午後7時54分、家族で夕食の団らん中に震度3の余震がありました。
米沢を含む山形県南部の置賜地方は、地震の被害はほとんどありませんでした。川西町(米沢市の北に隣接)で小屋が壊れ、一時国道をふざいで片側通行となる事故がありましたが、直ぐ回復し大きな問題にはなりませんでした。米沢は、地震の時も停電になりませんでしたが、長井、山形など県内全域で12日の夕方まで丸1日停電になりました。一酸化炭素中毒による、二次的な被害がありました。
ガソリンの供給も、平時の8割に回復し、今日は近くのGSで満タン(20分待ち)にすることが出来ました。
一番の打撃は、山形新幹線が不通になっていることです。福島以北の新庄までは4月上旬に回復しそうですが、福島県内は下旬になりそうなので、東京方面からのアクセスが出来ません。観光客が激減しています。恒例の5月3日の上杉祭りも秋に延期がきまりました。
米沢市の市営体育館には、福島県から多くの人たちが避難してきています。市役所のHPには、名簿が公開されていました。とくに、南相馬市の人たちが原発事故のために、老若男女多数避難しています。URLは以下の通りです。
今日の夕方も米沢で震度3の地震が発生した。勤務時間が終了し、帰宅の準備をしている頃でした。連日大きな余震が続き、市営体育館に福島県から避難してきている500名以上の人たちは、大変不安を募らせているものと思われます。
午後3時過ぎからは、大粒の雪が降りました。真冬並の厳しい冬がまだ続いています。現在積雪40~50cmあります。米沢は雪が多い所ですが、いつもの年ならもう平地の雪は消えている頃です。
津波の爪跡の悲惨さが連日報道されています。死者と行方不明者を合わせて3万人を越えるのではないかと思われます。東京電力福島第一原発の事故も心配です。命がけで頑張っている人がいるので、放射能の数値にあわてふためくことなく、冷静に対応したいものだと感じています。
「たった65年年前」という、ブログの記事があった。(次のURL)この記事の内容に同感します。広島や長崎では、今でも多くの人たちが原爆による放射能の後遺症で苦しんでいます。彼らの浴びた放射能は、現在TVで大騒ぎしているレベルをはるかに超えた数百倍、数千倍のものでした。今のところ、健康上問題ないと言われている人たちも同じだと思われます。広島県民や、長崎県民は今回のことに大変心を痛めているのではないかと思われます。
たった65年前
きのうの朝、出勤前に大きな地震があった。震源地は、福島県いわき市付近。7時12分さらに36分頃と、米沢でも震度3を記録した。
日中は、真冬並の寒さが続き風花が舞い、風も強かった。
ある友人が、「ツイッターにはマイッター」とつぶやいていた。
私が時々見ているお勧めのブログは、<復活!やまがたの四季と暮らし>です。URLは以下の通りです。
http://blog.goo.ne.jp/s-sakai3104/d/20110319
またもう一つは、おそらく山形大学工学部関係者の<米沢より愛をこめて・・>です。URLは以下の通りです。
降る雪や昭和は遠くなりにけり
米沢市内の勤務先の2階で、体感では震度4に近い大きな余震(TVでは3)がPM6時18分頃発生した。46分頃にも震度2か3程度の余震があり、まだまだ予断を許せない。
昨日までの3連休でガソリン不足もだいぶ落ち着き、今日は米沢市内では1時間、中には30分以内で給油出来る所もあると聞いた。山形市近郊ではまだ1時間あるいは2時間以上と聞いた。さらに県内ではそれ以上のところもあり、昨晩からの給油待ちによってCO中毒なり重体となった人がいる。
はじめまして。
OCNブログ人でブログをはじめました。
このブログでは、大河ドラマ天地人のふるさと米沢を含む置賜地方を中心に、山形県内の事を時々掲載します。
今回ブログを始めたのは、3.11東北関東大震災がきっかけです。遠く離れた友人や親戚の人たち、子供たちにふるさとの様子を伝え大切な絆を再確認するためのものです。時々思いつくまま、気が向くままに、書いていきたいと思います。