郡山は東北道で宇都宮に出掛けた時や、福島県浜通りのいわき市に出掛けた時に何度も通過したが、市街地に下りたのは初めてだった。4日に東北中央自動車道が米沢まで開通し、6日に初乗りした。その1週間後の13日(月)も秋晴れに恵まれたので、米沢中央口から乗り、大笹生から東北道とのジャンクションを通過し、郡山に向かった。途中吾妻PAと安達太良SAで休憩した。安達太良に立ち寄ったのは、郡山市内の観光案内パンフレットを入手するためだった。サービスカウンターの外には無かったので、係員に頼んでもらうことが出来た。
郡山ICを下りて最初に向かったのは、安積歴史博物館・旧福島県尋常中学校本館だった。福島県立安積高校の前進となった学校である。当日は月曜日で休館日だったが、職員の配慮で見学させてもらった。
教室の窓の外には、安積高校の校舎が隣接している。調理実習をしている生徒たちが見えた。
今回は30分程度の見学だったが、次回来るときは1時間以上かけてじっくりと見学したいと思った。
次に、天気も良かったので開成山公園をぶらりと散歩した。
安積疎水の開拓を物語る碑があった。
朝米沢で東北中央自動車道に乗った、米沢中央口である。 ↓
天元台のゲレンデが白くなっていた。
←安達太良SAから見えた磐梯山
↓ 午後2時頃米沢に戻った時、米沢中央口の降り口で見えた朝日岳。
↓ 祝瓶山(朝日岳の左に見えた山)
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東北中央自動車道、 福島大笹生-米沢北IC間が11/4(土)の午後三時から開通した。翌5日は大渋滞が発生し、友人が仙台からの帰りに利用したところ、2時間弱かかり大変な混雑だったそうである。
私も話のタネに6日月曜日、米沢北ICから福島大笹生を経由して、東北道の福島松川パーキングエリアまで行ってみた。車の流れは大変スムーズで、米沢北IC・ 福島大笹生間は30分も掛からなかった様な気がする。
↓ 八幡原ICを過ぎた辺り、栗子山が見えた。
全長8972mの栗子トンネル。米沢では東・西の栗子トンネルを合わせても6000mにも満たない。121号線の会津街道の大峠トンネルで約4km。初めて通ったので特に長く感じた。
↓ 米沢側は、米沢スキー場の真下を通っている。
福島松川PAの上りETCの出口を出て、今度は下りETC入り口から再入場した。目の前に下りのPAは見えるたが、不慣れな場所なので、反対車線の入り口を探すのに苦労した。
再び高速に乗り、福島西ICで下りた。吾妻運動公園付近を少し散策してから、フルーツラインから大笹生に向かった。
↓ 大笹生から最初のトンネル。
栗子トンネルは、上りはすいすいだったが、下りは少し混んでいた。そのせいで、トンネルの後半は時速40・50kmに減速した。トンネルを抜けると再び70・80kmでスムーズに走行できた。
米沢ハ八幡原ICで、国道13号線に下り、無事新高速道の試走は完了した。大変走りやすくとても良い道路だった。
やまがたニュースオンラインニュース より
東北中央道・福島-米沢間が全線開通 地域活性化に期待 2017年11月04日 19:09
東北中央自動車道の福島大笹生(おおざそう)インターチェンジ(IC)-米沢北IC間(延長35.6キロ)が4日、開通した。基本計画決定から四半世紀を経て福島-米沢間は栗子トンネル(8972メートル)の整備で全線が結ばれ、置賜に高速新時代の幕開けを告げた。
[ 動画はコチラ]
午後3時の開通を前に合同式典が米沢市万世町刈安の栗子トンネル前で行われ、国、山形、福島両県、関係市町、各議会、経済団体の代表ら約300人が出席した。石井啓一国土交通相、吉野正芳復興相、吉村美栄子山形、内堀雅雄福島の両県知事、中川勝米沢、小林香福島の両市長、両県選出の国会議員がテープカットし、くす玉を割って新時代の到来を祝った。
石井国交相は式典後に記者会見し「開通で地域活性化への貢献が期待され、冬季交通の安全安心が図られる。無料区間であり、原発事故の避難者にとっても朗報と考える」と述べた。吉村知事は本県側の開通式であいさつし「開通は歴史の一ページとなり、山形創生につながると期待している。今後も本県高速道ネットワークの早期完成に全力で取り組む」と強調した。
福島県相馬市を起点に本県を経て秋田県横手市までの東北中央道(総延長約268キロ)のうち、福島ジャンクション(JCT)-米沢北IC間(延長37キロ)は1991年に基本計画が決定。国の直轄区間となり、計1883億円を投じて整備された。福島JCT-福島大笹生IC間(同1.4キロ)は昨年9月に先行して開通している。
今回の開通区間は暫定2車線で、県境付近の栗子トンネルは道路トンネルとしては東北一、無料トンネルでは日本一の長さだ。福島市と米沢市の中心部間の所要時間は従来の約1時間から約40分に短縮される。冬季間の交通の安全性や定時性が向上し、首都圏などとの物流の効率化、広域観光交流の拡大、企業誘致促進などによる地域の経済活性化が期待される。
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秋の秋田の一人旅4泊5日も、いよいよ30日に最終日になった。未明に太平洋上を通過していた。台風22号は勢力を保ったまま温帯低気圧に変わった。
その影響で、雨風が前日以上にひどくなった。天候が良ければ湯沢市内も観光したかったが、今回は取りやめて一路米沢を目指した。約190kmぐらいの距離である。
道の駅おがちで秋田県内では最後の休憩と、お土産をの購入をした。
今から24・5年前、剣道の競技会に秋田市まで生徒を引率したことがあった。その頃は山形県内は高速が無く、唯一秋田道の横手・秋田間だけが開通していた。行く先々で、幾度も幾度も休憩しながら8・9時間かかったことを覚えている。あの頃に比べると、大変ドライブが楽になった。
おそらく、10年以内には米沢から秋田まで高速が完全につながり、休憩を入れても4時間程度で秋田市まで行ける様になるだろうと思われる。取りあえず、南陽・山形上山間の東北中央自動車道が平成30年度中に完成するので、その後東根・尾花沢間も4・5年後には完成すると思われる。その時は、湯沢まで2時間半程度で来れるので、再度ゆっくりと着てみたいと考えている。
雄勝峠の山形県側も秋田県側も、高速道路がところ所通れるようになり、とても走りやすくなっていた。新庄駅の広い駐車場で一休みした。駅舎の中にも入ってみた。新庄祭りを含めて昨年ユネスコの無形文化遺産に登録された。駅構内の山車の横に大きな垂れ幕が掲げてあった。
新庄駅を後にして、道の駅むらやまで休憩。東根から東北中央自動車に乗り山形上山ICを下りて、コンビニで最後の休憩をした。
米沢南陽道路(11月4日以降は、東北中央自動車道と呼び名を変更)の降り口は、本線料金所を通る様になっていた。26日米沢を出発した時はまだ以前の料金所を通ったが、いつの間にか撤去されて無くなっていた。
11月4日の福島・米沢間の高速開通に合わせて最後の工事が急ピッチで進められていた様である。
午後5時過ぎ、2年振りの長旅も無事終わり、4日振りに我が家に戻った。いつもの賑やかな孫たちの声が懐かしかった。
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29日の朝、ユフォーレを出発した時は雨がだんだんと酷くなっていた。一路高速に乗り横手を目指した。
ところが、米沢をスタートしてから600km以上、一度もガソリンを詰めていななったため、燃料不足の警報ランプが高速に乗り始めた頃に点滅を始めた。自動車のフロントパネルで、残りの走行可能距離の表示に切替えたら、カーナビにある横手までの距離とほぼ同じだった。
大曲ICで一旦降りて、駅前の方まで行ってみた。ガソリンを満タンにしてから、近くのコンビニで休憩してから、国道13号線で横手に向かった。
横手城に行く途中、道の駅雁の里せんなんで昼食の休憩をした。
横手城は土砂降りの雨の中の見学となった。
観光客は、帰り際に1つの団体がきただけだった。
大曲から横手までは約20km、高速に再び乗ると大分遠回りになるので国道13号線を進むことにした。その途中に休憩したのが、道の駅雁の里せんなんである。
B級グルメの大会で優勝したことのある、横手焼きそばをレストランで食べた。
← さらに大きな見易い画像をご覧頂くには、この小さな画像をクリックして下さい。
横手城を見学してから、石坂洋二郎文学記念館に立ち寄った。
文学館には懐かしい映画のポスターなども沢山あった。同じ郷里の石川達三の展示もあった。
館内をじっくりと見てから、係の人からビデオの上映を勧められ、20分ほど一人で見た。
写真撮影は禁止なので、石坂洋二郎の書斎の写真を1枚だけ取らせてもらった。
その後ホテル到着前に、横手市役所に隣接したかまくら館も見学し、お土産も沢山買った。
横手セントラルホテルには、予定通り午後4時半頃に到着した。結婚式場も併設された立派なホテルだった。米沢で言えば東京第一ホテルの様な雰囲気だった。
夕食は飲み屋街のかまくら通りの居酒屋に、タクシーの運転手に案内してもらい済ませた。小一時間ほど過ごしてから、再びタクシーを呼んでもらい約2km弱のホテルにもどった。午後7時頃だった。
横手市観光協会のホームページは以下のURLです。 ↓ クリックしてみて下さい。
http://www.yokotekamakura.com/02_kanko/index.html
横手城や石坂洋二郎文学記念館、かまくら館などの詳細情報を見ることが出来る、リンクのページが開きます。
※ 次回は旅行の最終日、10月30横手から米沢までに立ち寄った、道の駅雄勝や新庄駅の事などを掲載予定です。
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28日(土)八郎潟のホテルで朝食バイキングを済ましてから、大潟村を西から東へ横断し国道7号線に出た。[道の駅ことおか]で休憩してから、高速に上がり二ツ井白神ICで、国道7号線に降り、また[道の駅ふたつい]で一休みした。
道の向かい側には、大きな建物の建設中だった。店員に聞いたら新し道の駅を建設中とのことだった。現在の道の駅は高速道路建設のルート上にあり、移転する計画になっていた。
国道7号線を能代方面に2・3km戻り、県道317号線を白神山地に向けて北上した。約20分程で旅の目的地藤里町の「白神山地世界遺産センター」に到着した。湯の沢温泉の直ぐ側だった。
日本に台風22号が近付いているせいで、徐々に天気が下り坂に向かているのか、朝は雲一つ無かった大空にはうろこ雲がどんどん広がり始めていた。
白神山地の四季折々の自然の姿や動植物、日本のみならず世界中の世界遺産についての地図もあった。
別室の展示室では、地元藤里町出身の平野庄司氏の切り絵原画展が開催されていた。
センターの係員に絵葉書を扱っていないか聞いてみたら、ここでは扱っていないとのことだった。しかし、現在町民祭が藤里町の体育館で開催されているので、そこで切り絵の絵葉書を売っているかも知れないと教えてもらった。
世界遺産センターから2・3km走ると峨瓏(がろう)の滝があった。大変見事な滝だった。
峨瓏の滝を後にして、青森県との県境を目指して県道を進んだ。2・3km進むと車同士が擦れ違えない様な狭い曲がりくねった山道になった。延々とひたすら太良(だいら)峠を目指し、10km程度走った様な気がした。4・5分に1台対向車がある程度の山奥だった。
峠に2・3台の車の駐車場があったので、休憩しながら紅葉の写真も撮った。道の駅ふたついからは、26kmほど離れていた。
もと来た道を20kmほど南下し、藤里町町民体育館に立ち寄った。町民祭で地元の人達が老若男女を問わず、沢山訪れていた。お目当ての、平野庄司氏の切り絵の販売コーナーを見つけ、10枚ほどの絵ハガキを購入した。
二ツ井白神ICから秋田自動車道に乗り、走ること約1時間で秋田中央ICを下りた。いつの間にか小雨が降りだし、さらに10km以上の田舎道を走り、太平山の麓の秋田県健康交流センター「ユフォーレ」に到着した頃は、薄暗くなり雨も本降りになった。
玄関を入ると、ペッパー君が出迎えてくれた。
大浴場でドライブの疲れをいやすため、晩酌セットを頼んだら値段以上の大変豪勢なものだった。風呂上がりの生ビールは格別だった。
29日の朝9時前にユフォーレを横手に向けて出発した。雨が激しく降り続いて止みそうもない気配だった。
※ 次回は雨の横手城と石坂洋二郎文学館の記事を掲載予定です。
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旅の2日目(27日)の午後2時過ぎ、道の駅てんのうを出発し、男鹿半島の北端、北緯40度にある入道崎に向かった。岬はとても広々としていた。
男鹿半島に向かっていたところ、高さ10m位ありそうなが立っていた。
男鹿総合観光案内所の大きな目印だった。小休止してから、入道崎を目指した。
入道崎に着いたのは午後3時前だった。
入道崎で30分位休憩した後、八郎潟干拓地の西側に位置する大潟村役場近くの、ホテルサンルーラル大潟に向かった。八郎潟の西、日本海沿いの国道101号線はアップダウンとカーブの多い昔ながらの道路で、車の交通量も大変少なかった。
ところで、道の駅てんのうから男鹿半島に向かう途中までの道路も同じ101号線だったが、こちらは平坦で、一部4車線のとても走りやすい道路だった。
入道崎から約1時間で大潟村のホテルに到着した。
縦長の写真は27日の夕方、午後4時半頃に撮影したもので、横長のは翌28日午前8時30分頃のものである。
28日の朝はすっきりとした青空が広がっていた。
上の写真は、大潟村を横断する県道54号線である。どこまでもどこまでも10km以上の直線道路が続いた。
※ 次回は白神山地と、秋田市の太平山周辺の記事を掲載予定です。
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旅の2日目(10月27日)、国道7号線を北へ数km、白瀬南極探検隊記念館を見学した。
館内の写真は撮れないので、ホームページ(HP)にアクセスして見て下さい。
http://shirase-kinenkan.jp/ ← URLをクリック
[ 以下の文章はHPからコピーしています。]
白瀬南極探検隊記念館は少年時代から極地探検を志して研さんを重ねたにかほ市金浦出身の白瀬矗(しらせのぶ)と、彼の壮大な夢とロマンに共感した30人の男たちが、明治の末期南極の白い大陸に繰り広げた壮絶な人間ドラマを今に伝えています。また、白瀬らのスピリッツを継承し現在も続けられている、日本の南極観測隊の歴史と現在について知ることができます。
前の日の午後は隠れていた鳥海山の頂上が、27日はくっきりと見ることが出来た。
駐車場と公園の広場の間には、
可愛い犬とペンギンの人形が
並んでいた。
金浦ICから高速道路に乗り北へ約80km、秋田市を通り越して昭和男鹿半島ICを下りた。休憩予定の「道の駅てんのう(天王)」に、午後1時過ぎに到着した。
カーナビに「道の駅てんのう」と入力して辿り着いたら、想像以上の大規模な施設なのには驚いた。子供から年寄りまで1日中いても遊べる場所だった。
遅い食事の後に、天王タワー最上階にエレベーターで上ることにした。
天王タワーの最上階にある展望台からは、360度の景色を見ることが出来た。
↓ 展望台からは、保育園児の遠足?に来ている様子が見えた。
↓ タワーの途中には、小さな資料館があった。
「道の駅てんのう」のホームページ
http://www.kurara-spa.co.jp/ ← 左のURLをクリックしてみて下さい。
※ 次回は男鹿半島と八郎潟周辺の記事を掲載予定です。
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26日午後2時過ぎ、九十九島をゆっくりと眺めながら、蚶満寺(かんまんじ)に向かった。象潟(きさかた)は江戸時代芭蕉が訪れた最北の地である。
↓ 芭蕉が訪れた頃は、ここは海だった。松島の様な景勝地だったらしい。
↓ 鳥海山の山頂は雲が架かっていた。
↓ 蚶満寺(かんまんじ)の案内板
駐車場に車を停めて、山門と松林の中を一巡りしただけだった。いつかまた来るときは、もっと時間をかけてゆっくりと見学してみたいと思った。
山門 ↓
芭蕉の句 象潟や雨に西施がねぶの花
道の駅「ねむの丘 象潟」の4階は展望室になっていた。
一日目の宿、蕉風荘の前の池は昔は海だったらしいと、宿のフロント係に聞いた。ここで芭蕉は句を詠んだとのことだった。
芭蕉の句 汐越や鶴はぎぬれて海涼し
[最初に詠んだ腰長(こしおさ)は、5年後に刊行された奥の細道では、
汐越(しおごし)に改められている。]
※ 次回は白瀬南極探検隊記念館と、日本海東北自動車道を北へ約80km、秋田市の北に位置する潟上市の「道の駅てんのう(山王)」周辺の記事を掲載予定です。
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