きのうの3月11日は、東日本大震災からちょうど14年目の日だった。今でもあの日の事は鮮明に覚えている。このブログを始めたのも、大震災・原発事故をきっかけにしたものだった。
14年前の東日本大震災直後は、日本中がいろいろと混乱していたが、ようやく1年が過ぎて落ち着きを取り戻した。当時のブログを見ると、その頃の感情が蘇って来る。
震災から1年後のブログ記事にその様子を書いています。
東日本大震災から1年。辛い記憶が甦る。山形県公立高校の入学試験が前日無事終わり、採点を朝から学校でしていた時だった。午後2時46分いきなり大きな揺れが2~3分続いた。子供の頃に経験した昭和39年の新潟地震と同程度かそれ以上だった。このブログを始めたのも、震災をきっかけにしたものだった。いつの間にか季節は1回りした。
薄日差す平穏な寒い朝を迎えた。現在山形県には県外から全国で最も多い13,730人が避難している。4分の3は原発による放射能の不安による自主避難者だという。福島市から車で1時間、米沢市には福島県の避難者が特に多い。現在積雪約90cm避難者には大変過酷な冬だった。
東日本大震災1周年追悼式をTVで見ながら、2時46分に黙祷した。手術後の健康不安を抱えた天皇陛下の言葉には、深い悲しみと被災者に寄せる温かな想いがにじみ出ていた。被災県を代表して追悼の言葉を述べた人達の話には身に詰まされるものがある。
震災直後の不安な状況は、開設したばかりのブログ記事に掲載しています。その一部を以下の通りです。
今日の夕方も米沢で震度3の地震が発生した。勤務時間が終了し、帰宅の準備をしている頃でした。連日大きな余震が続き、市営体育館に福島県から避難してきている500名以上の人たちは、大変不安を募らせているものと思われます。

午後3時過ぎからは、大粒の雪が降りました。真冬並の厳しい冬がまだ続いています。現在積雪40~50cmあります。米沢は雪が多い所ですが、いつもの年ならもう平地の雪は消えている頃です。

津波の爪跡の悲惨さが連日報道されています。死者と行方不明者を合わせて3万人を越えるのではないかと思われます。東京電力福島第一原発の事故も心配です。命がけで頑張っている人がいるので、放射能の数値にあわてふためくことなく、冷静に対応したいものだと感じています。
「たった65年年前」という、ブログの記事があった。(次のURL)この記事の内容に同感します。広島や長崎では、今でも多くの人たちが原爆による放射能の後遺症で苦しんでいます。彼らの浴びた放射能は、現在TVで大騒ぎしているレベルをはるかに超えた数百倍、数千倍のものでした。今のところ、健康上問題ないと言われている人たちも同じだと思われます。広島県民や、長崎県民は今回のことに大変心を痛めているのではないかと思われます。
[ 米沢市役所と道路の向かい側にある市営体育館(10時頃撮影) ]
午後7時54分、家族で夕食の団らん中に震度3の余震がありました。
米沢を含む山形県南部の置賜地方は、地震の被害はほとんどありませんでした。川西町(米沢市の北に隣接)で小屋が壊れ、一時国道をふざいで片側通行となる事故がありましたが、直ぐ回復し大きな問題にはなりませんでした。米沢は、地震の時も停電になりませんでしたが、長井、山形など県内全域で12日の夕方まで丸1日停電になりました。一酸化炭素中毒による、二次的な被害がありました。

ガソリンの供給も、平時の8割に回復し、今日は近くのGSで満タン(20分待ち)にすることが出来ました。

一番の打撃は、山形新幹線が不通になっていることです。福島以北の新庄までは4月上旬に回復しそうですが、福島県内は下旬になりそうなので、東京方面からのアクセスが出来ません。観光客が激減しています。恒例の5月3日の上杉祭りも秋に延期がきまりました。

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