快晴。
狭い庭がジャングル化。
平気なつもりであっても、一晩中これからの猫や鳥の事を考え、
自分がしたくても出来ない自分の後始末や葬儀のなどを考えて眠れなかった…。
今更、もう慌てる段階ではないとわかっている自覚症状、癌は胃だと思い込んでいただけだ。
しかし、「腎臓、エコー、影」で検索し現在自分に起きている息切れや背部痛、肋骨の下の痛み
胃癌の可能性が一つ消えた後の、胃でない臓器の起こす不快症状、それは、
2011年に亡くなった腎盂・尿管がんの母が訴えていた症状とまるっきり同じである。
今となっては、なるほどこの事を訴えていたのかと、良くわかる。
腎臓が腫れても、皆、何故気が付かないと思うだろう、自分もそう思う。
今でも腫れを指摘されなければ胃腸だと思ってしまうだろう。
が、腎臓が膨張して起こる背後痛、肋骨の下の痛み、息切れ、
胃の薬を飲んでもそれらが改善されない事実、
食事をとるとおそらく腹腔内が狭くなって腫れた腎臓を押すのか具合が悪くなる事が、=あたかも胃の悪さに思えてしまう事。
実際、私の様に胃の不快感を訴える人が多いのだそう。
胃癌後の母が腸閉塞を繰り返し、「今回もいつもの腸閉塞だろう」と入院し、
入院中に不具合(今ならわかる、腫れた腎臓を一生懸命、膵臓癌か?と指していた)を訴えているうちに、
腎盂癌の尿管の閉塞による水腎症による痛みのショックで失神。
田舎の総合病院では腎臓の専門がいなく、転院までの苦しみと応急処置、その後の腹膜播種と片腎へのオペ。
いくら入院していると言っても、母が男と逃げた!というアルツ親父の妄想と徘徊に不眠不休で独り立ち向かう実家での日々。
当然だが、誰も手伝ってくれない。
旦那さえ私を自分の親なのにお世話しないと罵った。
いきなり忘れようとした余計な悪夢までが蘇ってきた。
やれやれ、よりによって、2度目は一番大変な癌になってしまったようだ。
臓器を全部切り取るわけにもいかないし、母の事を思い出すと残った腎臓は抗がん剤で危機にさらされる
しかも、腎盂・尿管がんなら抗がん剤もないに等しい。
オペ後一、二年生きれたら、その間に少し動けて旅立ちの支度が出来れば御の字だ。
腎臓がんでも、ようやくネクサバールという救世主が登場したというところ。
腎臓がんについて、母の生きていた2010年の頃と同じように、今回は自分の為に検索しても、あの頃とあまりに変わらない。
また、腎臓がんの方の発覚までのブログを読んで思い当たる事ばかりでうなずくばかり。
結局、尿が目視で赤いか、偶然、私の様に別の検査、胃の検査の腹部エコーに引っかかった感じである。
またお医者様の説明などは、痛みの自覚症状が出ている場合は、もう癌は5cm以上大きく育ち、
腎臓の部分切除可能は4cmあたりまでなどに落胆したり…。
ただ、調べる事によって一つだけ気がかりなことが出来てしまった。
昨日はうろたえる旦那をなだめ、大人しく来月の14日までCТの順番をあくのを待つつもりでいた。
しかし、その間、腫れた腎臓が水腎症になってしまうか、もしくはちょっとした刺激で破裂してしまうのかという事だ。
そうなると救急車騒ぎの痛さだという。
今は動けるので、救急車を呼ぶ形にならない前に、もう来月まで待たずに自分でどこかに受診してしまう方がいいと考えた。
体験談を読むと、おそらく自分はもう転移もしている、ステージも後ろの方なら、今更急いでもとは思う…。
しかし、私が唯一出来ることは救急車騒ぎを起こさないくらいだろう。
それと体験談を読んでいると、ぼーっと待機の間にCТ以外にもある沢山の検査を済ましてしまえそうだ。
そこで、何軒かオペの件数の順位が高い病院を探し、電話をつなぎ受診方法を聞いた。
またあまりに打つ手のない腎盂癌なら、最期は丸山ワクチンでいいと心を決めた。
しかし、協力病院が見つかりそうにない。怒られそうだ。
自分の最期を決めた時に電話が鳴り、有料老人ホームのアルツ親父が帯状疱疹だという。
だからといって本人いたって元気らしい、やれやれ、多分父の方が長生きだろう。
私が父母よりかなり先に逝くのは悔しいが、アルツハイマーに怯える事は無いのだ。
後見人制度も変更しなくては、公証人役場にもいかなくてはと思いは巡る。
また、従弟にこれからの事を頼もうと電話、
父はアルツハイマー、姉は音信不通、旦那は義兄の癌、義母の通院とかち合うかもしれないから。
今後、自分が良かれと選んだ病院で、悪性でも、奇跡が起こってそれが良性でも、
結局は近いうちにしなくてはいけないオペの同意書や立会いを頼む。
まず腎臓にできた腫瘍は90%は悪性であり、組織を検査に回した結果、悪性に当たらなければ宝くじ並みの幸運だと思う。
さらに問題は宝くじに当たっても結果は片腎になる事だ。ろくなもんじゃねぇ。
安静にしても、昨日までは胃からだと思っていた腎臓の痛みがわかるので、座ったり、
どうにもならぬことだが、へとへとになるまで考えることによって、自分を納得させている。
他の方の腎臓がん闘病記の入院生活の記述は、これから病院に持っていくもの、病院での検査やオペまでの心構えを教えてくれて大変役に立つ。
問題は、退院後の生存率が低い、もしくは再発率が高い事だろう。
結局、昨日の今日では、まだ平常心ではいられない、
考えて調べて、調べて考えて、自分と動物にとってどういう最期がベストなのがをぐるぐる反芻して繰り返している。
そして考える事に限界が来た時点では寝られないのではふーふー重い体を動かしながらも押し入れ1つ、ロフトの荷物を整えてみた。汚写真は無し。
色々、猫の使うくたびれたグッズは捨て去りたいが、
ある程度は戻るとはいえ、あまりの高額医療に、猫の物など綺麗に洗っていれば可のスタンスになってしまったわ。
明後日、決めた病院に飛び込み、可能な限り体を調べてもらうつもりである。
自宅で空いている時間は、居ても立っても居られないので、物の整理に費やす、そして疲れさせて寝るの繰り返ししかないだろう。前回の癌の時もそうだった。
ようやく咲いたノックダウン。
アマドコロの間の紫蘭のつぼみが上がってきた。
増えるのでけし坊主はすぐに摘む。
やれやれ、ようやく遺品整理がおわったのにね…。
狭い庭がジャングル化。
平気なつもりであっても、一晩中これからの猫や鳥の事を考え、
自分がしたくても出来ない自分の後始末や葬儀のなどを考えて眠れなかった…。
今更、もう慌てる段階ではないとわかっている自覚症状、癌は胃だと思い込んでいただけだ。
しかし、「腎臓、エコー、影」で検索し現在自分に起きている息切れや背部痛、肋骨の下の痛み
胃癌の可能性が一つ消えた後の、胃でない臓器の起こす不快症状、それは、
2011年に亡くなった腎盂・尿管がんの母が訴えていた症状とまるっきり同じである。
今となっては、なるほどこの事を訴えていたのかと、良くわかる。
腎臓が腫れても、皆、何故気が付かないと思うだろう、自分もそう思う。
今でも腫れを指摘されなければ胃腸だと思ってしまうだろう。
が、腎臓が膨張して起こる背後痛、肋骨の下の痛み、息切れ、
胃の薬を飲んでもそれらが改善されない事実、
食事をとるとおそらく腹腔内が狭くなって腫れた腎臓を押すのか具合が悪くなる事が、=あたかも胃の悪さに思えてしまう事。
実際、私の様に胃の不快感を訴える人が多いのだそう。
胃癌後の母が腸閉塞を繰り返し、「今回もいつもの腸閉塞だろう」と入院し、
入院中に不具合(今ならわかる、腫れた腎臓を一生懸命、膵臓癌か?と指していた)を訴えているうちに、
腎盂癌の尿管の閉塞による水腎症による痛みのショックで失神。
田舎の総合病院では腎臓の専門がいなく、転院までの苦しみと応急処置、その後の腹膜播種と片腎へのオペ。
いくら入院していると言っても、母が男と逃げた!というアルツ親父の妄想と徘徊に不眠不休で独り立ち向かう実家での日々。
当然だが、誰も手伝ってくれない。
旦那さえ私を自分の親なのにお世話しないと罵った。
いきなり忘れようとした余計な悪夢までが蘇ってきた。
やれやれ、よりによって、2度目は一番大変な癌になってしまったようだ。
臓器を全部切り取るわけにもいかないし、母の事を思い出すと残った腎臓は抗がん剤で危機にさらされる
しかも、腎盂・尿管がんなら抗がん剤もないに等しい。
オペ後一、二年生きれたら、その間に少し動けて旅立ちの支度が出来れば御の字だ。
腎臓がんでも、ようやくネクサバールという救世主が登場したというところ。
腎臓がんについて、母の生きていた2010年の頃と同じように、今回は自分の為に検索しても、あの頃とあまりに変わらない。
また、腎臓がんの方の発覚までのブログを読んで思い当たる事ばかりでうなずくばかり。
結局、尿が目視で赤いか、偶然、私の様に別の検査、胃の検査の腹部エコーに引っかかった感じである。
またお医者様の説明などは、痛みの自覚症状が出ている場合は、もう癌は5cm以上大きく育ち、
腎臓の部分切除可能は4cmあたりまでなどに落胆したり…。
ただ、調べる事によって一つだけ気がかりなことが出来てしまった。
昨日はうろたえる旦那をなだめ、大人しく来月の14日までCТの順番をあくのを待つつもりでいた。
しかし、その間、腫れた腎臓が水腎症になってしまうか、もしくはちょっとした刺激で破裂してしまうのかという事だ。
そうなると救急車騒ぎの痛さだという。
今は動けるので、救急車を呼ぶ形にならない前に、もう来月まで待たずに自分でどこかに受診してしまう方がいいと考えた。
体験談を読むと、おそらく自分はもう転移もしている、ステージも後ろの方なら、今更急いでもとは思う…。
しかし、私が唯一出来ることは救急車騒ぎを起こさないくらいだろう。
それと体験談を読んでいると、ぼーっと待機の間にCТ以外にもある沢山の検査を済ましてしまえそうだ。
そこで、何軒かオペの件数の順位が高い病院を探し、電話をつなぎ受診方法を聞いた。
またあまりに打つ手のない腎盂癌なら、最期は丸山ワクチンでいいと心を決めた。
しかし、協力病院が見つかりそうにない。怒られそうだ。
自分の最期を決めた時に電話が鳴り、有料老人ホームのアルツ親父が帯状疱疹だという。
だからといって本人いたって元気らしい、やれやれ、多分父の方が長生きだろう。
私が父母よりかなり先に逝くのは悔しいが、アルツハイマーに怯える事は無いのだ。
後見人制度も変更しなくては、公証人役場にもいかなくてはと思いは巡る。
また、従弟にこれからの事を頼もうと電話、
父はアルツハイマー、姉は音信不通、旦那は義兄の癌、義母の通院とかち合うかもしれないから。
今後、自分が良かれと選んだ病院で、悪性でも、奇跡が起こってそれが良性でも、
結局は近いうちにしなくてはいけないオペの同意書や立会いを頼む。
まず腎臓にできた腫瘍は90%は悪性であり、組織を検査に回した結果、悪性に当たらなければ宝くじ並みの幸運だと思う。
さらに問題は宝くじに当たっても結果は片腎になる事だ。ろくなもんじゃねぇ。
安静にしても、昨日までは胃からだと思っていた腎臓の痛みがわかるので、座ったり、
どうにもならぬことだが、へとへとになるまで考えることによって、自分を納得させている。
他の方の腎臓がん闘病記の入院生活の記述は、これから病院に持っていくもの、病院での検査やオペまでの心構えを教えてくれて大変役に立つ。
問題は、退院後の生存率が低い、もしくは再発率が高い事だろう。
結局、昨日の今日では、まだ平常心ではいられない、
考えて調べて、調べて考えて、自分と動物にとってどういう最期がベストなのがをぐるぐる反芻して繰り返している。
そして考える事に限界が来た時点では寝られないのではふーふー重い体を動かしながらも押し入れ1つ、ロフトの荷物を整えてみた。汚写真は無し。
色々、猫の使うくたびれたグッズは捨て去りたいが、
ある程度は戻るとはいえ、あまりの高額医療に、猫の物など綺麗に洗っていれば可のスタンスになってしまったわ。
明後日、決めた病院に飛び込み、可能な限り体を調べてもらうつもりである。
自宅で空いている時間は、居ても立っても居られないので、物の整理に費やす、そして疲れさせて寝るの繰り返ししかないだろう。前回の癌の時もそうだった。
ようやく咲いたノックダウン。
アマドコロの間の紫蘭のつぼみが上がってきた。
増えるのでけし坊主はすぐに摘む。
やれやれ、ようやく遺品整理がおわったのにね…。