軽井沢ツウのみなさん 軽井沢の歴史の中に 「 長倉 」 とか 「 長倉の牧 」とかって
フレーズが登場するのを 知ってますか?
ずっと前にここで 軽井沢が明治の中頃 避暑地としての幕開けがあったとか
江戸時代は 五街道のひとつ 中山道の宿場町だったとか
軽井沢で見回す山を越えて向こう側の隣国へ往来する 峠と道があったとか
それも 1000年以上の昔からいろいろな痕跡があるとかお話したけれど 覚えてますか?
それに そんなこと ボクなんかよりずっとよく知っている人もきっと いるよね
江戸幕府が出来るよりももっと前 東山道と呼ばれる道が 長野県のどこかを通過していたころ
長倉と名付けられた 道の駅(うまや=江戸時代の宿場の様な場所)が 長野県内にあって
交通輸送や貢馬(こうば=朝廷に差し出す馬) を 飼育管理する牧場のひとつ
長倉の牧(ながくらのまき)と呼ばれる 大きな馬の牧場があったと言われていて
中軽井沢の国道18号線北側方向に位置していたのではないかと言われている
道の駅も 中軽井沢駅周辺の長倉と小字のある一帯が該当するのではないかといわれ
湯川岸にある 長倉神社にも 延喜式に記録のある長倉神社だと 標識が出ているね
だけど あまりに昔のことで 本当のところはよくわかっていないらしい
そんな 歴史の中の「 馬 」 の話を 今度の日曜日 11月24日(日)AM10時~正午
軽井沢のお隣 佐久市中込の 中込会館で 「古代から中世まで、佐久と馬のかかわり」
という お話会があるそうだよ
参加費は無料のお話会で 講師は佐久市の学芸員 羽毛田卓也さんだと広報にあった
この人は 古代から中世あたりの山城や古道に詳しい
去年は 「 道祖神 」 のお話会をしていたね
質問にも 丁寧に答えてくれるので 歴史好きのファンも多い
興味が湧いた人は お出掛けしてみたら