乳がんを公表し、闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが23日に34歳の若さで亡くなった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が会見。以下その全文。
「このたびはわざわざご報告するようなことではないかもしれませんけど、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。
ご報告をするということもひとつ、義務なのかなと思います。昨日、夜に妻・麻央が旅立ちました。それによりましていろいろとございます。
その中で家族の時間や、しなくてはならないこと、家族で話すべきこと、子どもたちとのこと、そういったことの時間という中で、思った以上に皆さまに伝わったのが早かったということで急きょこのように皆さまにお時間を作っていただいたのも、多くの方にご迷惑がかからないように。
そしてまた、ブログやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということでこのような時間を設けさせていただきました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
――麻央さんとの最後のときはどんな言葉を交わされたのでしょう
「そうですね、私は昨日も舞台でございまして、それまで麻耶さんと、麻央のお母さんとずっと看病をしてました。
私は舞台が終わった後に、ここで別の撮影がありまして、その後にロビーでまた別の稽古がございました。
そのときにお母様からLINEが来てたんですけども、ちょっと僕は見ることができませんでした。
約1時間半程遅れて見た内容が『具合が悪いから。
ちょっとお医者様が来ていて、家族を呼んだようがいい』というような内容でして、慌てて急いで帰ったわけです。
そうして帰りましてまだ麻央はこの世にいてくれて、たまたま、本当にたまたまですけど、私がちょうど妻のそばに座って、ちょっと呼吸が苦しそうだったので、大丈夫かな…おとといまではしゃべれたんですけど昨日はずっとしゃべれずにいたんで。これは不思議な話ですけれど、息を引き取る瞬間、を私は見てました。
そのときこれは本当に不思議なんですけど『愛している』と言って。彼女が。その一言を言って…泣いちゃいますよね。その一言、『愛している』と言って本当にそれで、そのまま旅立ちました」
――麻央さんは『愛している』の言葉を受け止めたように思いましたか
「いや、僕が言ったわけじゃなくて彼女が。旅立つ間際に『愛してる』…『る』が聞こえるか聞こえないか分かんないですけど。
『愛している』って言って旅立ったのがちょっと、まぁ何ていうんでしょうか。こんなに愛されてたのはよく分かっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたっていう。何ともいえませんね。
すいません、なんか。どうしても昨日の今日で、何の準備もできてなくて。このようなところでお見苦しいところをご覧いれて…」
――最後をご自宅で送ってあげられたのは良かったと思いますか
「それはとても良かったと思います。お母様もお父様も私もお姉様も麻耶さんも、で、子どもたちもずっとそばにいれたのですごく良かったなと。
私の父は病院で亡くしてますので、病院のときとは違う、家族の中で家族とともに、一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」
――お子さんも含めご家族で、皆さんで送ることができたということですか
「そうですね、子どもたちもみてました」
――麻央さんは闘病中辛い中でも勇気と愛情、笑顔を忘れずに戦ってこられた方ですね
「おっしゃる通り、
本当に笑顔と勇気と愛情。
けっしてブレない自分。
そしてどんな状況でも相手のことを思いやる気持ち。
まぁ愛ですよね、そういった力が最後までブレず。
おとついまで笑顔で話してて。
昨日はちょっと調子悪かったんですけど、おとつい、我々家族も急にそういう風になってしまったので、戸惑った部分がすごく大きかったです」
――海老蔵さんからは麻央さんにどんな言葉をかけましたか
「僕ですか?この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話してました」
――海老蔵さんにとって麻央さんはどんな存在でしたか
「うーん……とにかく、私をどんな部分もどこまでも愛してくれていたんだなと。存在っていうのを……うーん、まぁね存在ね」
「できればずっと一緒にいて私のが先に逝って彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達や、ご家族、麻耶さんやお母さんやお父さま、そして私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です」
――麗禾ちゃんや勸玄くんの様子は
「麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って寝てました。」
「うーん、認識はしていると思いますね。勸玄はまだ、分かってはいるんですけど、分かっていないところもあって、今日の朝も横になってるところにふたりが麻央の顔を触ったり足をさすったり、手を握ったり。」
「そういうところを見ると私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと。子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだ、分かってるんですけど、分かっていないと思います」
――奥さまから学んだこと、どういったことを伝えていきたいと思いますか
「元気になったら彼女は、自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらば、ああしたいこうしたい、多くの人の救いになれるような存在になれるようになりたい、というようなことで一生懸命闘病してました。」
「それでブログというものも始めたんです、だから本当にマスコミさんのおかげで、ある意味公になってありがたかったと思います。それでブログというものを始めて、なにかこう同じ病の人たちや苦しんでる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、まぁ私からすると何か人ではないというか、何というかすごい人だなというか。言い方おかしいですけど。とにかく総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは『愛』なんだと思いますね」
――麻央さんの姿、思い出される表情は
「どういう表情?全部ですね。初めて会ったときの彼女から今の今日の朝まで全部です」
――笑顔が多いですか?
「そうですね、多かったと思います」
――これまでお話されてきた中で子どもさんへのお話で印象に残っていることは
「子ども?心残りだと思います。ふたりのことについて。どうすればいいんだろうって考えても答えが出なかったものだと思います。」
「ですからいろんなことがあり、今回も子どもたちが出演したり、7月にせがれが出るんですけども、そういうのを観に来ることをひとつの目標としていろんなものを作ったんですけど、うん、まぁでもきっと見てると思うんでね。まだまだ心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか」
――海老蔵さんが託されたことは?
「多すぎて言葉に出せないですね。もちろん今も舞台やってたわけで、このあとも舞台ありますし、来月もすぐありますし。」
「子どもの稽古もありますし。麗禾の成長のことも考えますし。やっぱりこれからまだ5歳と4歳ですから、これからお母さんっていう存在が彼女や彼には非常に重要な存在なわけではないですか、それをやはり失った、それを僕は代わりにはなれないですけど、出来る限りのことをやっていくように、もう、思ってますね」
――麻央さんの言葉で思いだされる言葉は?
「よく言っていた言葉…やはり、言葉というかお姉さん、麻耶さんが調子悪かったときにも例えば私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、そしてお母様も看病で疲れているときも、麻央のほうがもちろん大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ。」
「こういう言葉っていうことじゃなくて、どこまでも相手のことを思う気持ち。これはね、一番多かったですね」
――麻央さんは改めてどんな奥さん?
「そうですね、わかりませんね。僕を変えた奥さんなんじゃないですか、わかりません」
――麻央さんがプロポーズのときに「来世も再来世も一緒に」という言葉が一番響いたとおっしゃっていましたが
「そのつもりです。その話もしました。ですがまぁ僕が愛想尽かされないように頑張んないといけないんだけど」
――その話をしたとき麻央さんは?
「元気なとき? 喜んでましたよね」
――改めて麻央さんに伝えたいことは?
「まだね、昨日の今日なんで。こういうところも全部聞いてると思うんでね、言うことは言わなくても伝わってると思うんで。いつも思ってるよねっていうことですね」
――麻央さんのブログに励まされた方へメッセージを
「麻央のブログや麻央の存在で励まされた方がいらっしゃるということで、今回のこのような形もある意味とらせていただいたと思うんです。実際、そういうことがなければ、このようなことを報告すること自体が、形としてはどうかと思うんです。」
「ですが多くの麻央のことを応援してくださった方、そして麻央と共に戦っている方々、本当に昨日先に旅立ちましたけども、ずっと麻央はきっと皆さまのそばにいると思うので、本当にいろいろありがとうございました」
未熟な二人の医師!!
2014年2月、麻央は夫の市川海老蔵(38)と一緒に人間ドックを受診したとき、乳ガンの疑いを持たれる。すぐに港区にある大病院で再検査。担当したのは、乳腺外科のA部長だ。
「当時、同科には部長が2人いた。もう一人の部長だったX医師は臨床経験が豊富な名医で、現在は赤坂で開業している。X医師が診ていれば、このとき発見できたはずだ」(同前)
結果、A部長はガンを見落とした。
「8カ月後、乳房に違和感を持ち、検査を受ける。ここでやっと乳ガンが発見された。告知したのはA部長だ」(同前)
すでにリンパ腺にガンが転移した状態だった。通常、このようなガンの場合、抗ガン剤によってガンを小さくし、手術で切除するのが「標準治療」だ。
「当然、A部長は標準治療を提案した。だが、麻央さんは乳房の温存を望んでおり、提案に難色を示した」(同前)
東大医学部出身のA部長は「使う用語が難しく、患者への説明がうまいタイプではない」(元患者)という。
「麻央さんの説得には、A部長の部下のB医師も加わった。だが、B医師は『それもひとつの選択肢』と非標準治療に理解を示し、説得を諦める。結局、麻央さんは病院を去った」(前出・ガンの専門医)
1年半後の今春、中央区の病院を麻央が訪れたとき、ガンは骨と肺に転移したステージ4。ガンが皮膚から飛び出すほど、悪化した状態だったという。
「もし、最初の診察でガンが発見できていたら。標準治療の有用性をもっと真摯に説明していたら、状況は変わっていたはず。悔やまれてならない」(同前)
A部長とB医師はどう答えるのか。
本誌の直撃に、A部長は「小林麻央さんの担当だったことについてはお答えしていません」。B医師は「私は関係ない。診ていません」とのことだった。港区の病院は「患者さんのプライバシーに関することはお答えできません」(総務課長)。
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