いらして下さりありがとうございます。
今日は米国のペンシルベニア州スリーマイル島で1979年3月28日に起きた原発事故について書いていきます。
下の地図の赤いところがペンシルベニアです。西にピッツバーグ、東にフィラデルフィアがあるアメリカでも古い都市があります。
フィラデルフィアは独立宣言や合衆国憲法が立案された場所としても有名です。
ちなみにWikipediaにはインディアンと呼ばれた部族に対してこんなことを行ったと書かれています。
デラウェア族、チェロキー族、イロコイ族、ハンニアソント族、サスケハンナ族、ウェンローロノン族など、10を超えるインディアン部族がかつてこの州に先住していたが、19世紀までにすべて西側の他州に強制移住させられた。残るインディアンは「絶滅した」とみなされ、部族単位では存在しないことになっている。
ペンシルベニア州は、1879年に「インディアンを殺し、人間を助ける」(野蛮人の心を殺し、善良なキリスト教徒として救済する)の標語のもと、インディアンの児童を強制的に収容し、民族浄化の方針に沿って言語も文化も奪って白人に同化させる「インディアン寄宿学校」の第一号「カーライル・インディアン工業学校」が全米で初めて開校された地である。
さて、スリーマイル島の事故についてお伝えしていきます。
これはレベル5の事故で、原子炉冷却装置の喪失事故でした。
スリーマイル島原子力発電所。中央手前の二つのドームが原子炉建屋で、その左隣の白い建物が制御室を含むタービン建屋。奥に見える二基の塔状構造物は放熱塔。
スリーマイル島はアメリカの東海岸を715mに亘って流れる川です。ペンシルベニア州の州都であるハリスバーグの中州にあり、周りから3マイル離れていることから名付けられました。ここには加圧水型の原子炉が2基あり、96万kwの出力でした。事故が起きたのは運転開始からわずか3カ月後。
この事故は原子炉の炉心が冷却水の不足によって溶けてしまうという大事故でした。最初は小さなトラブルを処理する為の作業だったものが蒸気発生器の給水が止まる事態に発展、更に原子炉に冷却水を入れねばならないのに、蒸気の働きによりメーターが不適切な表示をし、その結果運転員が緊急冷却装置を止めてしまったことで、原子炉容器の圧力が上昇しました。そして圧力を逃がす為に開いたまま固着してしまって、とうとう冷却水が漏れて原子炉が体きになり、燃料の溶融に至ったという事故です。
情報開示が進んでいた為、被害はすぐにニュースとなりました。「原子炉が爆発するのか。大都会の集中したアメリカ東部が崩壊するのか」というニュースが続き、母親が赤ちゃんを抱いて続々と避難を始めました。事故3日後には「8キロ以内の学校閉鎖、妊婦・学齢前の幼児の避難勧告、16キロ以内の住民の屋内待機勧告」などが出され、周辺の自動車道路では避難する車による大パニックが発生しました。格納容器に充満した水素ガスが爆発をおこす可能性が高まっていたからです。そこには、安全性より経済性を優先したという背景があります。チェルノブイリ事故より7 年も前のこの事故によって世界中の人々が原発事故の恐さを実感しました。
よく分かる原子力から引用
なお、実際の住民の被曝については、半径50マイル(80km)の住民の平均被ばく線量は0.01mSvで,最大の被ばく線量でも1mSvであり,健康上問題となるような有意の被ばくはなかったと多くの調査で語られています。
ところが、京都精華大学の中尾ハジメ氏の1979年の調査によると、どうやらそうではなかったらしいのです。
住民は事故の直後から口の中にニッケルのような金属の味がし、肌が日焼けのように火照るといった体感があったと。
そして鶏の卵は54個中4個しか孵らず、家畜は立てなくなったり死んだり・・・。植物も異常な様子を見せ、事故を感じさせるものは多く周辺にはあったというのだ。
以下、彼の報告から抜粋します。
住民は「空気が鋼のように青い色」をしていたことを,「ロのなかに金属性の味」がしたことを,くりかえし訴える。
案内されたチャールズ・コーンリーの農場──そこは事故のずっとまえに白い粉末状のものがふり,畑はうっすらと白くなり,水のみおけの底にたまった物質をかいだそうとすると水は牛乳のようにまっ白になったという──そこで,私たちは夏だというのに葉をおとしているリンゴの木をみせられた。農場は川岸につづく丘の項にあり,3キロ半ほどはなれた発電所はまぢかに見える。小さな若い木はほとんど葉がついていない。大きな木も枝の先のほうから葉がおちている。よくみれば,ひどく小さな実がついている。家の裏にならぶ松の木も梢がおじぎをしたように曲り,茶色になった葉をつけ奇妙にねじ曲った枝もたくさんある。家の陰にかくれている木よりも,外側にたつ木のほうがひどくやられている。そう,発電所の方からみて陰なのだ。家の南の角にたつ,まるい樹形の木──カエデのなかまだろう──は半分から上に大きな穴があいたように葉をおとしている。
77年以来,彼女が付近の農場からきき集め,農場主たちのサインをとった動物の異常の記録,そのコピーを車のなかでめくりながら,私は自分が,彼女とおなじように,いや彼女以上に素人であることを思い,あらためてぞっとした。私は獣医でもなければ,植物病理学者でもないのだ。牛の乳をしぼったこともなければ,木の名前さえわからない。なんの因果で,このようなことに足をつっこむのか?
20枚ほどある,きれいにタイブされた記録はいくつかの農場での動物の死産や病気のことがかかれていて,最後には必ず農場主のサインがとってある。真偽を疑われないようにするためだとジェーン・リーはいっていた。なんの公的地位にもない彼女のようなただの住民でさえ役人を相手にするときは擬似官僚的手続にのっとることをしいられるのだ。なんども相手にされなかった経験からとりはじめた方法なのだろう。チャールズ・コーンリーの名前のかかれた一枚がある。
1978年9月,肉牛一頭死亡──立ちあがれなかった。
12月,肉牛一頭死亡──立ちあがれなかった。立ってあるくことはできないが,身体をひきずるようにして動きまわる一頭がいる。もう一頭は正常にみえる。
獣医はビタミンとミネラルの注射をうち,ヴァンス・フィッシャー──この辺はずいぶん親戚同志の多いところで,フィッシャーもたくさんいれば,コーンリーも多い。開拓以来の土着なのだろう──が獣医のあとをひきうけ毎週注射をうってやった。全部1978年の春に買いいれた牛だ。
下痢,虚弱。背をまるめてあるく。
獣医の請求は100ドル以上。獣医によれば(通常の)二倍半ぐらいのミネラルを与えてやる必要があるという。ミネラルを買うのに二ケ月で60ドルかかった。土地のミネラル不足がつづけば,牧草も育たなくなると獣医がいう。
昨年の夏には二腹の子猫10匹が全部死んだ。
1978年──今年のブタの成長は以前にくらべて遅い。
1979年──子猫──三腹──一匹は首をまわすことができない──全部死亡。
この地図も中尾氏の調査から。
以下ももう少し引用をお許し下さい。
彼女のはたらくスプラウトリーはヨーク市に,住んでいる家は市の南にある。スリーマイル島から南へ約20キロはなれているその方角へ北風がふいたのは3月29日午前中2時間と午後の8時間そして30日午前一時からの4時間ほどだ(発電所気象記録)。なにかをあびているとしたらそのときだろうか。吐き気がそのせいだとすれば約一日後の発症ということになる。
あるいは彼女たちの逃げた方角が悪かったのか。発電所での風向きは,30日の午後は晩おそくまで,ずっと東ないし南東の風だったのだ。つまり彼女たちが家をはなれる3,4時間まえまで数メートルの風が,これから彼女たちがむかおうとしている地域にむかってスリーマイル島の方から流れていたのだ。なにかが原発から放出されているとしたら,風にのったそのなにかに遭遇するためにヨークから北北西の旧道七四号線をえらんだようなものである。
しかし,それが放射線による急性症状であると,だれがいえるのか。これこれの時間後の発症であると,だれが決められるのか。
私がきいたのは,そしてここに書いているのは,このままではたったひとつの孤立した出来事である。夜中の脱出行の緊張からきた車酔いではないのか。犬の吐き気? そんなふうにみえた,ということではないのか(実際に吐いたのかどうか,私はちゃんとたずねていない。いったい私はなにをしているのか)。時刻やら風向きやら風速やら調べてみた価値はほんとうにあったのだろうか。思いすごしではない,事故と関係がある,そんな保証はあるはずもない。経験は個々ばらばらのままでだれもが不確かである。これを書いているのは1月で,もうすぐ事故からまる一年もたとうとしているけれども,問題は手のつけられないままにちがいない。
急性症状についてちゃんとした調査による数字とか発見があったという報告をよんだおぼえはない,自分の友だちとか知りあいの話しかない,とシンディーはいう。いや,それが重要なんだよ。
シンディー そうよ。だけれど,だれもなんにもしていないということも,あきらかに大問題だ。だれも記録していない,書きとめていないのよ。
──だから,あなたが記録すればいい。
シンディー そうよ。……アングリーは新聞に,だれでも下痢とか,嘔吐,皮膚炎のような症状があったら電話をいれてくださいという知らせをだして,23人ぐらい,いや25人の名前のリストと,症状がどれくらいつづいたかというのを私はつかんでいる。もう一度あたりなおして,いまどうなっているか知るだけ知りたい。
だけどね,なん人かは電話をかけてきて,とくに目のまわりの皮膚炎がひどい……医者たちも,この症例が異常に多いし,普通じゃない,いままでにこんなのはまったく見たことがないといっていた,といってるのよ。
当時,陽に焼けたような体験をしたと,おおぜいの人間からきいたと彼はいう。
スティーブ 基本的に皮膚が乾くっていうことだろう,それから赤くなる,かすかに。いや……つまり,みんなの表現によれば,それはすごく軽い(感じの陽焼けなのだ)。とにかく,みんなそう表現してた。ううんと,どうやら3月28日から,4月の3日か4日ぐらいまでつづいたんじゃないかな,みんなおれにいってたのは。
そういう人たちは,基本的に,全員がそのあいだに,少なくとも家の外にでてたことがあって,ほら被曝したというか……被曝ということばがいいかわるいか知らないけど。とにかく,そういう人たちは家の外,たぶん庭とかなんかそんなことしてたんじゃない,ううん,3月28日から4月の六日だかぐらいまでのあいだに。それ以外に,おれがわかることはあんまりないと思う,ほんとに。
──赤くなって,それから? つぎの段階は?
スティーブ あー,たぶん,ただ消えるんだ。二,三日して,陽に焼けたときとおなじようなことだろ……だから,みんなは陽焼けのようだったというんだろうな。
──そういういろんな症状で,病院にいった人はたくさんいるのか?
スティーブ う-ん,ある人は。おれが話したある人たちは,かかりつけの医者にいった。たいていの人は,これはおれの理解だけど,それはあまり気にするようなことじゃなかったと思う。しかし,おれは知らないんだ。あんたの質問に直接こたえられない,知らないんだから,ほんとに。ある人たちは医者に行った,ということは知ってる。それから医者がどう応じたかということで,おれがいえることは,わかることは,たいしたことないといった,ということだ。
熊野さんが,かえらない卵のことをきく。
スティーブ おれの理解では,めんどりが卵をだいても,ようするにかえらなかったということだ。その男の人は52個中4個かそれくらいだといってた,かえった卵がだよ,信じられないほどの差だよ。おれが話をした人は,だれもかれも,自分とこの動物がうまく子どもをつくらないとか,なんか必ずいっていた。
そう,ひとりをのぞいてだれもかれも,スリーマイル島の事故以前にはおこってなかったといっていた。鳥が死んでいってるとか,こういうことは,スリーマイル島事故以前のこの春にもおきてたと,おれにしゃべった唯一の人間はアーミッシュの女性で,うーん,アーミッシュは合衆国のなかじゃおそろしく保守的なキリスト教のひとつで,いいかい,それ以外にはだれひとりいない,それが唯一の人間なんだ。彼女の宗教がこういう問題についてふさわしいかどうかも,おれはわからないが,とにかくまえにもそういうことはあったと,おれがきいたのは,それが唯一だ。
事故の規模について,どれくらいの量の放射能を放出したかという推定計算のたぐいは大同小異いろいろある。NRCはキセノンが1,300万キュリー,ヨウ素131が14キュリーという。同様に推定計算のはじきだした健康被害はといえば,80キロ圏内の人口216万4千人に0.15人から2.4人の致死ガン,同数の非致死ガン,遺伝的影響が0.05人から4.8人というのがある。どんなにややこしい計算が存在したとしても,計算は計算であり,現実ではない。
以上、引用終わり。
この他にも住民の聞き取り調査が続きますが、症状としては眼の異常(白い部分が充血、炎症など)、日焼けのような皮膚炎、嘔吐、下痢などが続きました。
今回の福島の事故では東京都にいた帰宅難民の中で、一晩外にいた者の中でも日焼けのような皮膚の火照りやアレルギー性結膜炎の症状を聞いており、また、横浜市では塊で抜けるような脱毛、吐き気、鼻血なども聞いています。その他の地域でも沢山の報告が上がってきています。
更にチェルノブイリでも、事故後の広河隆一氏(DAYS JAPAN主催)による3万人に及ぶ住民アンケートによれば、風邪の初期症状と同じ、金属製の味がした、鼻血、嘔吐、下痢、日焼けのような火照り、眼の炎症などを殆どの人が訴えていました。
今回、政府は福島で住民の低線量被曝の研究を行うとのこと、
ですが、既に世界は放射線の被曝のデータに不足してはいないのではないでしょうか?
政府はこれ以上のデータ集積ではなく、是非とも健康を回復する措置を、そして効果的な除染をすべきではないでしょうか?
アメリカの不景気によって日本が被る不利益はどこまででしょうか?
竜巻も地震も起こされています。震源が10kmの地震はちきゅう号が掘削した場所に核爆弾を落とし、爆発させて起こすもの。それより深い震源の地震はハープによるもの。
何を願えば安全に暮らしていけるのでしょうか?
除染にしても、日本大麻(にほんおおあさ)が常温核融合を起こし、放射能を分解することが既に知られています。
これを植えれば大地がきれいになります。
作業員の内部被曝もこれの吸引によって改善されるのです。
外国の大麻のように気分が高揚する成分は日本の天皇家がお召しになる素材でもある日本大麻にはそんなに含まれていません。
死なせる前に、何人がどういう症状で死んだという前に、これらを試す価値があるではないですか。
アメリカにはデータもあります。
彼らは隠しているのです。
私たちが日本語でそれを入手することは不可能です。
大麻(おおあさ)が禁じられたのは薬が売れなくなるからです。
日本神道ではこれをお祭りの時に焚き、無病息災を願いました。そして実際に焚かれた煙を吸い込むことによって、人々は病原菌から守られていたといいます。
麻は育てなくても育つハーブ(雑草)です。
これを禁じたのもアメリカです。
私たちは植物を自由に育てることも許されないのです。
今すぐに麻を解禁させなさい。
医療用大麻は世界で使用されています。わざわざ成分を調整し、日本大麻と同じようなものを開発して使っています。
それがこの国には恒常的にあったのです。
他にも科学的手段はいくつかありますが、書けば開発者が殺されることもありますから公表は控えなければなりません。
いつまでも核実験をしてないで、人類が平和に長生きできる共存の社会作りを目指したいものだと思います。
今、ひとりひとりに出来ることは原発に反対することも大切ですが、日々を大切に幸せに暮らそうとすること、
そして自分を好きになること、
言葉を大切にすること、
食事の時間や食べ物の選択に工夫をすること、
周りを大切にすること、
優しい気持ちを大切にすること、
などなどです。
中村天風先生も仰ってます。
人の短所を言う事なく、己の長所を説くことなし
人に施しをしても慎んでそれを思うことなかれ
施しを受けたら慎んでそれを忘れることなかれ
世の誉れは慕うに足らず
ただ仁心を主旨とする
心にはかってから行動をし、
人のそしりなどは気にせず、
名声を実質より過剰にせず
愚を守るは清い心である
黒色の中に立っても染まらずに
曖々として心の中は光を放ち
柔弱なのはわれらの友がら
老いるは粗暴を戒める
粗暴を行うのは卑しい人なり
長い間の事は図り難い
言葉を慎み飲食を律し
足るを知るは名誉に勝る
これを恒に行うならば
久しき男に自ら芬芳あたらん
お読み頂き、誠にありがとうございました。