イランのイスラム体制派民兵組織「バシジ」に属する学生らが29日午後、在イラン英国大使館を襲撃した事件で、イラン警察は29日夜、大使館を占拠していた学生らを退去させた。英国のキャメロン首相は29日に発表した声明で「イラン政府は重大な結果を見ることになる」と述べ、イランに対する報復措置を示唆した。オバマ米大統領も「容認できない」と非難しており、イランの核兵器開発疑惑に端を発する欧米とイランの緊張は一層高まっている。
バシジはイラン体制派「革命防衛隊」傘下の民兵組織。警察は催涙ガスなどで襲撃を鎮圧したが、学生らは約8時間、大使館の一部を占拠した。革命防衛隊系ファルス通信によると、テヘラン北部の別の英国施設にも29日午後、学生ら約200人が侵入し、英国人職員6人を一時拘束したが、警察が排除し、学生ら12人を逮捕した。
目撃者の話や国営メディアの映像によると、英国大使館前には29日、警官隊が配置され、群衆を押し返していた。だが、大使館への乱入を徹底して防ぐ様子はなく、学生らは壁をよじ登り、イラン国旗を振るなどした。今年3月に反政府デモに参加し、警察に拘束された男性(45)は「イランの警官はデモの際にはもっと強硬だ。バシジの大使館侵入を許したようにしか見えない」と話した。
襲撃に加わった学生らは声明を発表し、「イスラム革命の理念に基づき行動し、いかなる(政治的)組織にも指示を受けていない」と主張、「(イラン政府に)英国大使の即時追放と対英関係断絶を求める」と訴えた。一方、イラン外務省は29日、「(襲撃は)許せない行為であり遺憾」との声明を発表した。
英外務省は29日、駐英イラン代理大使を召喚して抗議した。キャメロン首相は政府の緊急会議後に発表した声明で、襲撃について「常軌を逸しており、弁護の余地がない」と非難した。ヘイグ英外相は「(外国公館の保護などを定めた)ウィーン条約の重大な違反だ」指摘した。
オバマ米大統領は29日、ホワイトハウスで記者団に「イラン政府が(外国公館を保護するという)国際的な義務を果たしていないことの表れだ」と述べ、イランの対応を批判した。カーニー大統領報道官は襲撃に加わった学生らの訴追をイラン当局に求めた。
国連安保理も29日、襲撃を「最も強い言葉で非難する」との報道陣向け声明を発表し、イラン政府に対して外交官や外国公館を保護するよう求めた。
イランの核開発疑惑を巡り、英米などは21日、イランの金融機関との取引停止などを含む追加制裁措置を発表した。これに対して、イランは28日、英国大使の追放を決定していた。
イランの首都テヘラン中心部にある英国大使館で29日に起きた、群衆らによる襲撃事件。79年の米大使館占拠事件をほうふつとさせる今回の「直接の動機」は、英国による新たな経済制裁とされるが、事件の根っこには、02年にイランの反体制派が秘密核開発を暴露したことで先鋭化してきたイランと欧米との激しい対立がある。
「核の平和利用」を主張するイランに対し、欧米などは核兵器開発を目指すものだと非難してきた。イランの核開発を現地査察などで監視してきた国際原子力機関(IAEA)も、疑惑解明に向けたイランの協力不足などを理由に03年以降、11回に及ぶ非難決議などを採択した。
中でも、今月8日にIAEAの天野之弥事務局長が発表した報告書は、欧米からの機密情報などを基に、イランの核兵器開発疑惑を強く示唆する内容となった。これを受け、IAEA理事会は18日、11回目の対イラン決議を採択。国連安保理への付託は見送られたものの、欧米独自の対イラン制裁強化に道を開いた。
イランは60年代後半から原子力活動を開始し、当初は米国や西ドイツ(当時)から支援を受けたが、79年のイスラム革命以降はロシアや中国から協力を得た。85年にウラン濃縮計画に着手、87年に核の「闇市場」を通じ、パキスタンが核開発に使用した濃縮施設の設計図や遠心分離機の部品などを入手したと言われる。
一方でイランは、70年に核拡散防止条約(NPT)に加入。74年にはIAEAと包括的保障措置(査察)協定を締結し、平和的核開発の権利を主張。これに対し国連安保理は、兵器転用の恐れがあるウラン濃縮活動の即時停止を要求。06年以降、4回にわたり制裁決議を採択してきた。IAEAは、核物質の転用は確認されていないものの、イランが原爆の製造に不可欠で民生用には不釣り合いな特殊技術の開発などを行ってきた可能性が高いとみている。
イランの首都テヘラン中心部の英国大使館で29日に起きた襲撃事件。79年の米大使館占拠事件をほうふつとさせる今回の「直接の動機」は、英国による新たな経済制裁とされるが、事件の根っこには、02年にイランの反体制派が秘密核開発を暴露したことで先鋭化してきたイランと欧米との激しい対立がある。
民兵組織「バシジ」が事件を主導した背景には、昨年11月29日にはテヘラン北部で起きたイラン人核科学者の男性1人が死亡した2件の爆弾テロがある。
背後に米欧諸国やイスラエルが関与しているとして、バシジの学生らが事件1年を機に米欧諸国への抗議集会を計画。バシジ幹部のムスタジェラン氏は「大使追放よりも大使館占拠の方が効果的だ」と語り、大使館占拠を周到に計画していた可能性がある。
一方、欧米などは「核の平和利用」を主張するイランに対し、核兵器開発を目指すものだと非難してきた。イランの核開発を現地査察などで監視してきた国際原子力機関(IAEA)も、疑惑解明に向けたイランの協力不足などを理由に03年以降、11回に及ぶ非難決議などを採択した。
中でも、今月8日にIAEAの天野之弥事務局長が発表した報告書は、欧米からの機密情報などを基に、イランの核兵器開発疑惑を強く示唆する内容となった。
IAEA理事会は18日、11回目の対イラン決議を採択。欧米独自の対イラン制裁強化に道を開いた。イランは60年代後半から原子力活動を開始。当初は米国や西ドイツ(当時)から支援を受けたが、79年のイスラム革命後はロシアや中国から協力を得た。85年にウラン濃縮計画に着手、87年に核の「闇市場」経由でパキスタンが核開発に使用した濃縮施設の設計図や遠心分離機の部品などを入手したとされる。
一方でイランは、70年に核拡散防止条約(NPT)に加入。74年にはIAEAと包括的保障措置(査察)協定を締結し、平和的核開発の権利を主張。これに対し国連安保理は、兵器転用の恐れがあるウラン濃縮活動の即時停止を要求。06年以降、4回にわたり制裁決議を採択してきた。
イランの政策に関し、最終決定権を持つ護憲評議会は28日、駐イラン英国大使を追放し、対英関係を縮小するとした法案を全会一致で承認した。核開発問題を巡り、英国がイランに対して新たな経済制裁を決めたことを受けた報復措置。法案は2週間以内の大使追放を規定している。英国は「正当性がなく遺憾だ」と法案に強く反発しており、両国関係が緊迫する可能性がある。
国際原子力機関(IAEA)が今月8日、イランの核兵器開発疑惑を巡る「根拠」を列挙し、「深刻な懸念」を示した報告書を公表。これを受け、英国は21日、米国やカナダと同調して、イラン中央銀行を含むイランの全金融機関と自国の銀行との取引停止を禁じる制裁措置を発表した。
イラン中央銀行は原油取引の決済にかかわる、いわばイランの「生命線」。制裁の影響で原油輸出が大幅に減少すればイラン経済への重大な影響が予想される。このためイラン国会は27日、両国関係の見直しを盛り込んだ法案を賛成多数で可決し、護憲評議会も28日、これを追認した形。
法案は、両国が互いの大使駐在を停止し、臨時代理大使が任務に当たるとしている。国営テレビによると、ラリジャニ国会議長は「英国は絶えず我々に行動を監視されていることを知るべきだ。これは単なる始まりだ」と威嚇した。
イランは80年以降、米国と断交しており、英国大使が追放されれば、西側諸国とのパイプがより縮小することを意味する。欧州連合(EU)も新たな経済制裁を検討しており、イランは英国に対して断固たる姿勢を見せることで、今後同様の制裁が拡大するのをけん制する狙いがあるとみられる。
そして、これらのトラブルは第三次世界大戦へと進んでいくのである。