道綽禅師、浄土仏教こそ真実の教えと鮮明にされる! [聖道仏教と浄土仏教]
親鸞聖人が、七高僧の4番目に挙げておられる、
道綽禅師(どうしゃくぜんじ)について言われたお言葉に、
道綽決聖道難証(道綽は、聖道の証し難きことを決し、)
唯明浄土可通入(唯、浄土の通入すべきことを明す。)
と、正信偈にあります。
つまり、
道綽禅師が仏教を2つに分けられ、
『聖道仏教では助からないから捨てよ、
浄土仏教を信じなさい』
と、ハッキリ教えてくだされたばこそ、
親鸞、弥陀の救いに遇えたのだと、
道綽禅師の厚きご恩を喜ばれているお言葉です。
●仏教に、2つある
では、道綽禅師が仏教を2つに分けられた、
とはどういうことでしょうか。
仏教とは、仏の説かれた教え、ということですが、
ここで「仏」といわれているのは、
約2600年前、インドで活躍された
お釈迦さまのことです。
お釈迦さまが、35歳の時、
最高無上の「仏」のさとりを開かれてから、
80歳でお亡くなりになるまでの45年間、
説いていかれた教えを、
今日、仏教といわれます。
仏のさとりまで到達された方は、
この地球上ではお釈迦さまお一人ですから、
これを「釈迦の前に仏なし、
釈迦の後に仏なし」と言われます。
「自称、仏」という人は時々ありますが、
自他ともに認める仏は、お釈迦さまだけです。
ですから「仏教」といえば、
この地球上では
「釈迦の教え」だけをいわれるのです。
ほかの何人(なんびと)の説いたものも、
仏教とはいわれません。
世の中には、お釈迦さま以外の名前を出して
「○○の仏教」などと言う人がありますが、
それは○○教と呼ばるべきものであって、
「仏教」ではありません。
繰り返しますが、
仏教とは、
「仏のさとりを開かれた、お釈迦さまの教え」
のみをいうのです。
道綽禅師が、その仏教を大きく2つに分けられた、
ということは、
「一人のお釈迦さまが、2つの仏教を説かれた」という、
突拍子もないことを言われているのですが、
実はこのように仏教を2つに分けられたのは、
道綽禅師が最初ではありません。
道綽禅師の500年前、
インドの龍樹菩薩が、
「難行道」と「易行道」に分けておられます。
また、道綽禅師の少し前の時代、
同じ中国の曇鸞大師は、
「自力の仏教」「他力の仏教」とおっしゃっています。
それを道綽禅師は、
「聖道仏教」「浄土仏教」と言われたのです。
●2つの仏教
「聖道仏教」とは、出家して山に入り、
厳しい修行に打ち込んで、
さとりを得ようとする仏教をいいます。
欲や怒り、ウラミ・ネタミの煩悩と闘い、
後生の一大事を助かろうとする教えです。
例えば聖道仏教の一つ、比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えに従って戒律を守り、
さとりを開こうとする宗派で、
今日でも「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)
といわれる荒行があります。
伝教(でんぎょう)が開いてより千数百年、
完遂した者はわずか、
途中で挫折すれば持参の短刀で
自害せねばならなぬ掟もある、
まさに命懸けの修行です。
それは、「行ずることが難しい教え」
ゆえに龍樹菩薩は「難行道」と言われ、
「自らの力」を励んで助かろうとする教えだから
曇鸞大師は「自力の仏教」と言われました。
現在ある聖道仏教の宗派は、
天台宗、真言宗、華厳宗、法相宗(ほっそうしゅう)などで、
これらすべてを聖道諸宗といわれます。
「浄土仏教」とは、
無上仏である阿弥陀仏のお力によって
救われる仏教です。
「すべての人を、
欲や怒りの煩悩のあるがままで、
この世は絶対の幸福に救い摂り、
死ねば必ず、
浄土往生の本懐を果たさせてみせる」
と誓われているのが「弥陀の誓願」であり、
この弥陀の救いを
明らかにされた教えが「浄土仏教」です。
弥陀に救われたお礼の念仏は、
弥陀によって称えさせられる易しい行だから
龍樹菩薩は、「易行道」と言われ、
まったく弥陀のお力(他力)によって
救われる教えだから
曇鸞大師は、「他力の仏教」と言われました。
このような龍樹、曇鸞のご指南にしたがって道綽は、
仏教を「聖道仏教」と「浄土仏教」に大きく分けられ、
「聖道仏教では一人も助からぬ。浄土仏教を信じよ」
と徹底して叫んでいかれたのです。
これを道綽禅師の「聖浄廃立」といわれます。
「廃立」の「廃」とは、廃物の「廃」で「捨てもの」ということ、
「立」は「立てるべきもの、信ずべきもの」ということ。
「捨てるべきもの」と「信ずべきもの」をハッキリさせ、
「捨てるべきものを捨てよ、信ずべきものを信じよ」と
教えることを、「廃立」といいます。
「聖道仏教では助からなかった」
と身をもって知らされ、弥陀の本願によって救い摂られた
道綽禅師が、釈迦の経典、先師の論釈にしたがって、
「弥陀一仏を信じよ」と徹底された教えが、
「聖浄廃立」であったのです。
では、その弥陀の救いにあわれるまでの、道綽禅師の半生をうかがってみましょう。
●道綽禅師
道綽禅師は、1400年前の中国の方で、当初は、聖道仏教の一宗派である
「涅槃宗」に打ち込んでおられました。
涅槃宗とは、釈迦が最晩年に説かれた
『涅槃経』を信奉する宗派で、当時の中国仏教界を風靡していました。
厳しい禅定や懺悔の行の実践を重ね、「道綽禅師」の名は次第に四方に高まり、衆人の尊敬を集めます。
しかし、当の道綽は、深刻な壁に直面していました。
後生の一大事の解決を求めて、座禅等の自力修行に励めば励むほど、
一向に定まらない自己の本心が知られてくる。
身体は座禅していても、心は猿のごとく、馬のごとく娑婆中を飛び回って、
動きずくめに動く。
悪を造る心は一瞬たりともやまない。
「私が悪を造る状態を例えるならば、その激しさは暴風、どしゃぶりの雨のようなものだ」
求めれば求めるほど、知られてくるのは、
救われる縁のない自己の姿。
「本当に座禅などの自力修行で、この暗い魂の解決、できるのだろうか」
そんな時、たまたま曇鸞大師の旧跡・玄忠寺に詣でた道綽禅師は、曇鸞の行跡を記した境内の碑文を一読するや、心に百雷(ひゃくらい)のごとき衝撃を覚える。
「曇鸞大師ほどの偉大な高僧でさえ、四論宗の自力修行を捨てて阿弥陀仏の本願他力をたのみ、仙経を焼き捨てて浄土教に帰依しておられるではないか。
まして私のような至らぬ者が、自力修行によってさとりを得ようなどとは、
全く不可能であった」
ついに涅槃宗を捨て、浄土仏教に帰依されたのです。
48歳の時でした。
玄忠寺に滞在し、曇鸞大師の大著『浄土論註』に取り組まれ、
やがて弥陀の本願に救い摂られたのです。
そのあとは、御恩報謝の念仏を日々七万遍ずつ称えられ、弥陀の本願を宣布していかれました。
『観無量寿経』を解釈して有名な『安楽集』を著し、聖道自力の仏教では
誰も助からないこと、浄土仏教によってのみ
すべての人が救われることを、明らかにされたのです。
しかもこれは、決して道綽禅師の独断ではなく、次のように釈迦自身が『大集経』という経典に説かれていることなのだと、おっしゃっています。
「我が末法の時の中の億億の衆生、行を起し道を修せんに、未だ一人も得る者有らず」と。
当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、唯浄土の一門有りて通入すべき路なり。
●仏教を説かれた目的は
ここで、こんな疑問が起きる人もあるかも知れません。
「聖道仏教では助からないのに、なぜ釈迦は説かれたのだろうか」
「仏の説かれた教えを、捨てよとは、もったいないのではないか」
もっともな不審ですが、例えでお答えしましょう。
ビルや学校、住宅など「建物」を建てる時には、
「足場」が必要です。
「足場」を設けずに、
「建物」を建てることはできません。
しかしその「足場」も、
建設を終えれば全部取り払われます。
工事が終わり、目的の「建物」が完成したのに、まだ「足場」が建物を囲んでいる、ということはないでしょう。
いつまでも残しておくと、見栄えが悪く、不便で、子供が遊んでケガをする危険もあるからです。
浄土仏教は、目的である「建物」にあたります。
お釈迦さまが仏教を説かれた目的は、
この浄土仏教、すなわち「弥陀の本願」一つを説かれるためでした。
そのことは、親鸞聖人の『正信偈』のお言葉、
「如来所以興出世(釈迦如来が仏教を説かれたのは)
唯説弥陀本願海(弥陀の本願、ひとつであったのだ)」
で明らかです。
ところが、
世界最大級の建物を建てるには、それなりの足場が要るように、大宇宙最高の妙法である
「弥陀の本願」を明らかにする時には、どうしても、それ相当の準備が必要だった。
その足場に当たるのが、聖道仏教なのです。
経典の数でいえば、7000冊余りの一切経のうち、
浄土三部経の三巻以外は、すべて聖道仏教の経典です。
具体的には『法華経』『般若経』『涅槃経』『華厳経』
『金光明経(きんこうみょうきょう)』
『解深密教(げじんみっきょう)』などです。
すなわち、浄土仏教という建物を建て、
弥陀の本願を鮮明にするために、それら7000余巻の膨大な聖道仏教の教えを足場となされた、ということです。
しかし、建物が完成すれば足場は要らぬように、すでに「弥陀の本願」が明らかになった今、聖道仏教は必要ありません。
それどころか、
迷ってケガする人もあるので、直ちに捨てなければなりません。
ですから、「助からない教え」を、
「それでは助からないから、捨てよ」
と教えるのは、もったいないどころか、釈迦の真意にかなったことになるのです。
もちろん、そのように「聖浄廃立」を叫んだならば、いまだ釈迦の本意を知りえず聖道仏教に迷っている人たちからは、激しい非難攻撃の嵐が吹き荒れることも、当然でしょう。
「弥陀一仏に向け」
と徹していかれた聖人の、波瀾万丈のご一生を見れば明白です。
しかし、極悪の親鸞を救いたもうた、広大無辺な弥陀のご恩を思えば、どうして後ずさりできようか。
道綽禅師が、身命を賭して「聖浄廃立」してくだされたばこそ、弥陀の絶対の救いに親鸞、いま遇うことができたのだ。
ご恩を深く仰がずにおれないと、そのご苦労を絶賛なされているお言葉が、
「道綽決聖道難証(道綽は、聖道の証し難きを決し)
唯明浄土可通入(唯、浄土の通入すべきことを明かす)」
阿弥陀仏の本願以外に、仏教はない [聖道仏教と浄土仏教]
顕示難行陸路苦(難行の陸路の苦しきことを顕示し)
信楽易行水道楽(易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう)
これは龍樹菩薩の教えられたことを、親鸞聖人が明らかにされているお言葉です。
大意はこうです。
“「難行」の教えでは誰も助からない。
すべての人の救われる道は、阿弥陀仏の本願しかないのだから、早く弥陀の本願を聞きひらき、無上の幸福に救われてもらいたい。
龍樹菩薩は我々に、かく勧められているのである”
●難行道と易行道
まず「難行」「易行」と言われているのは、
「難行道」の仏教と「易行道」の仏教のことです。
「難行道」の仏教とは、“捨家棄欲”といって、妻子家族を捨てて深山幽谷に入り、欲や怒りの煩悩と闘う難行苦行によって、仏のさとりを得ようとする教えです。
現在も日本にある宗派でいえば、天台宗、真言宗、禅宗、華厳宗などで、聖道諸宗ともいわれています。
例えば比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えに従って戒律を守り、さとりを開こうとする宗派で、今日でも「千日回峯行」といわれる荒行があります。
真夜中の零時前に起床して、山上山下の行者道を30キロ歩くのです。
この間、堂塔伽藍や山王七社、霊石、霊水など約300カ所で所定の修行。
無論、雨風雪、病気になってもやめることはできない。
もし途中で挫折した時は、持参の短刀で自害するのが山の掟になっています。
初めの3年間は毎年100日、次の2年間は毎年200日、
その翌年は100日、最後は200日間、
休まず修行しなければならず、とりわけ大変なのが、
最後の年に100日続ける「大回り」です。
山を下りて京都の修学院から一乗寺、平安神宮、祇園と1日84キロを、17、8時間で回る生死関頭の苦行です。
最澄が叡山を開いてより今日まで、やり遂げた人は数える程で、文字通り命がけの修行です。
それでも、仏のさとりにはほど遠い、初歩の段階といわれます。
このように「行ずることが難しい教え」
ゆえに「難行道」と言われているのですが、これは龍樹菩薩が身をもって知らされたことでした。
●龍樹菩薩でさえ
今日まで、52段のさとりの最高位である仏覚に到達された方は、
2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまお一人です。
その釈迦に次いで高いさとりを開かれた方が、龍樹菩薩です。
面壁9年で手足腐るほど修行に打ち込んだ、あの達磨大師でも30段そこそこであったと言います。
中国天台を開いた智者(天台大師)も臨終に、
「ただ五品弟子位(10段に満たない位)あるのみ」
と告白しています。
これらと比較しても、自力難行によって41段のさとりを開かれた龍樹菩薩が、いかに人並み外れて優れた方か、知られましょう。
今日も仏教の諸宗派から尊敬され、
「小釈迦」とか「八宗の祖師」と仰がれているのも分かりますね。
ところが、です。その龍樹でさえも、「『難行』の教えは険しく苦しい道だから、とても仏覚まで到達することはできない。
意志薄弱、ねい弱怯劣の私ごとき者の進める道ではなかった」
と知らされ、真に魂の救われる道を探し求め、ついに「阿弥陀仏の本願」によって絶対の幸福に救い摂られたのです。
「本願」とは「誓願」とも言われ、お約束のこと。
大宇宙にまします無数の仏方の師(本師本仏)である阿弥陀仏は、
「どんな罪悪深重の者も平生の一念に必ず絶対の幸福に救い摂り、死ぬと同時に浄土で仏のさとりを開かせる」
と、とてつもない約束をなされています。
欲や怒り、妬みそねみ一杯の私たちが、この世も未来も無上の幸せに救われるのは、ひとえにこの本願力不思議、弥陀の独り働きによってですから、弥陀の救いを「易行道」と龍樹菩薩は言われているのです。
●陸路と水道
この「難行道」と「易行道」との違いを、
分かりやすく「難行の陸路」「易行の水道」と仰っています。
目的地に行こうとする時に、テクテク歩いていく「陸路」の道は、山あり谷ありで、石につまずいてケガをしたり、雨に打たれて難儀したりと、つらい苦しい道となります。
それに対して、船に乗って船頭まかせ、重荷を下ろし、風に吹かれて海や河川の水面を滑るように進む「水道」は、大変楽しい道でしょう。
同様、難行苦行の教えでは一人も助からないのだよ、すべての人を安楽無上の幸せに生かして下さるのは、阿弥陀仏の本願しかないのだから、弥陀一仏に向け、弥陀のみを信じなさい。
このように龍樹菩薩が、非難迫害の嵐の中、熱烈に布教して下されたおかげで親鸞、弥陀の本願を知らされ、救われることができたのだ、なんと有り難いことなのかと、厚きご恩に合掌感泣されているお言葉が、
「難行の陸路の苦しきことを顕示し、易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう」
の2行です。
これはそのまま、仏教を説かれたお釈迦さまの真意でした。
●仏教は、弥陀の本願一つ
釈迦が、80年の生涯、説いていかれた教えを今日、仏教といわれます。
その教えのすべてが書き残されているのが、七千余巻の一切経。
仏教とはどんな教えかを知るには、その一切経を読まねばなりませんが、漢字ばかりで、しかも一字一句に深遠な意味がありますから、誰でも彼でも読めるものではありませんし、正しく理解できるものでもありません。
今日、世界の光と仰がれている親鸞聖人は、その一切経を何度も読破されて、『正信偈』にこう断言されています。
如来所以興出世
唯説弥陀本願海
この意味は一言で、
「釈迦が仏教を説かれたのは、
阿弥陀仏の本願一つを明らかにするためであったのだ」
と仰有ったお言葉です。
簡潔に言えば、
「仏教=阿弥陀仏の本願」
ということ。
「阿弥陀仏の本願以外に、仏教はない」
と断定されている、親鸞聖人のお言葉なのです。
そして、
「決してこれは、親鸞の独断ではない。
インド・中国・日本の七高僧方が、明言されていることなのだ」
と、同じく『正信偈』に、
印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機
「インド・中国・日本に現れられた七高僧方は皆、
“仏教を説かれた釈迦の本意は、どんな人も救う弥陀の誓願一つであった”
と明らかにされている」
と仰っていることも、繰り返しお話をしてきました。
続いて、その七高僧の筆頭である「龍樹菩薩」が、弥陀の本願を明らかにされ、勧めておられることを聖人は、
「顕示難行陸路苦信楽易行水道楽」
と仰有って、
「釈迦の真意は、捨家棄欲の難行道ではないのだよ。
出家も在家も等しく救う弥陀の本願一つが仏教なのだ。
みな人よ、早く弥陀の本願を聞信し、浄土で仏になれる身になってもらいたい」と教示されているのです。
これでお分かりのように、弟子である釈迦が、本師本仏の阿弥陀仏の御心を、生涯、明らかにされているのが仏教なのです。
分かりやすく言えば、こういうことです。
阿弥陀仏がお釈迦さまに、
「釈迦よ、私の心を、地球の人たちに伝えてきなさい」
と命じられた、その通りに釈迦がこの世に現れられて、
弥陀の御心ひとつを説かれた。
されば「仏教=阿弥陀仏の本願」であり、
「弥陀の本願以外に、釈迦の教え・仏教はない」ことも、
当然と知られるでしょう。
日本人皆殺しは、着実に進行しています!!