もはや立ち上がるしか日本民族を救う方法はない!!
日本の若者はなぜ立ち上がらないのか
ニューヨーク、ロンドン、ローマ、香港、ソウル……。「ウォール街を占領せよ」の掛け声のもと、経済格差の解消などを求める抗議行動が世界に広がっている。
日本にも波及したが、10月15日に行われたデモの参加者はわずか100人ほど。
数千人規模で展開する欧米とは格段の差がある。
日本の若者はなぜ、立ち上がらないのか。若者論に通じる識者4人に聞いた。
山田氏「親と同居のパラサイト多く、不満ない」 城氏「デフレで若者の生活水準が向上」
中央大学文学部の山田昌弘教授(専門は家族社会学、53)は
「若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」
と語る。
・基盤としてあるのが親との同居、いわゆる「パラサイト」だ。
・む住宅費が高い日本では、住むところさえあれば生きていける。
・親と同居していれば、食事もまかなってもらえる。
・こんな環境にあっては、デモなんて考えもしないだろう。
欧米であれだけデモが広がったのは、住むところがないという現実がある。
また「パラサイトしている若者は横の連携が取りづらい」とも指摘する。
・欧米では貧困層がまとまって暮らすエリアがあり、そこでくすぶった不満が発火点となるケースが目立つ。
・しかし日本ではたとえ不満を抱えていても、親元で暮らす限りはそれは点にすぎず、面にはならない。
これではまとまった運動にはつながりにくい。
「生活水準の相対的な向上」を理由に挙げる。
「デフレの進行によって、かつてないほど生活費が抑えられている。300円の牛丼を食べてケータイをいじってゲームをしている方が心地よい、という現状がある限り、大多数の若者はデモには向かわないだろう」。
欧米のデモの中には経済のグローバル化を標的にする動きがあるが、
「日本の若者はグローバル化の恩恵を受けている。1980年代の20代よりも、今の20代の方が物質的には豊か。年収はおそらく3割程度減っているが、80年代は牛丼は高く、部屋にはエアコンもパソコンも携帯電話もなかった。基礎的な生活水準は格段に上がっており、この差が若者の気質に与える影響は大きい」
と話す。
日本の若者は、『連帯の作法』を失う!!
一方、神戸女学院大学名誉教授で哲学者の内田樹氏(61)は日本の若者たちが格差拡大に対して声をあげないのは、
「社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできたイデオロギーの帰結だ」
と説明する。
今の日本の若者たちが格差の拡大や弱者の切り捨てに対して、効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが『連帯の作法』というものを失ってしまったから。
同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちとどうやって連帯すればよいのか、その方法を知らない!!
占領軍により若者が教え込まれたのは
・『能力のあるもの、努力をしたものはそれにふさわしい報酬を受け取る権利がある』
・『能力のないもの、努力を怠ったものはそれにふさわしい罰を受けるべきだ』
という『ニンジンとムチ』の教育戦略」。
「能力主義」「成果主義」「数値主義」の結果、「弱者の連帯」という発想や、連帯する能力が損なわれた。
原田氏「欧米ほど失業率高くない」 城氏「標的がいない」
エコノミストで大和総研顧問の原田泰氏(61)は「欧米に比べて失業率が高くないことも、デモが起こりにくい理由」とみる。
欧米では若年層の失業率は20~40%。
スペインでは25歳未満の失業率が8月には46%に達した。
これに対して日本では高いとはいえ10%に満たない。
「年収200万円でも暮らしていける現実があり、欧米ほど失業が深刻化していない。不満が顕在化しにくい」
欧米に比べ低い失業率の背景として「日本語の壁」を指摘する。
欧米では低賃金の労働が外国人に次々と取って代わられているが、日本ではまだまだ、日本人の若者が雇用されるケースが多い。
日本語が話せることが保護壁となって低賃金の外国人労働者の流入を阻み、若者を失業から守っている。
これが逆に「若者から危機意識を奪っている側面もある」とする。
「欧米と違い、日本には明確なデモの対象がいない」ことが若者が立ち上がらない一因だという。
「欧米で広がった一連のデモは『ウォール街的なもの』を敵視しているが、日本には『強欲な資本家』が見当たらない。
例えば東京電力の経営陣をつかまえても、欧米のように莫大な報酬をもらっているわけではない。
ただのサラリーマンにすぎない。
どこに向かって拳を上げたらいいのか、実にわかりにくい構造になっている。
まあ革命など起こす意欲も力量もない!!
ナメクジ男ばかりである!!
「日本の現状、清朝末期に似る」原田氏
大和総研の原田氏は「企業の採用システムが若者の行動を阻んでいる」と指摘する。
「現在の日本社会では、勉強ができる人はもとより、営業センスがある人や外食店などで現場を引っ張っていける人など、多少なりともリーダーの素質がある人はほとんど、企業が吸い上げている。その結果、企業社会の外にいろんな意味での優秀な人材が現れにくくなっている」
一見うまくいっているシステムが、実は社会の硬直化につながっている、と原田氏は危ぶむ。
企業社会に入った若者は、その社会の規範に染まっていく。
リスクを冒すことは回避され、声をあげない若者が量産される。
こうした日本の現状は、ちょうど中国の清朝末期と似ている。
中国は『科挙』という官僚試験で優秀な人を選抜した。
科挙はそもそも体制が正しいという前提で行われるものであって、科挙に合格した人材からは改革の声はあがらない。
この構図は今の日本と全く同じ。
過度の企業依存社会が、若者から改革への挑戦意欲を奪っている。
強欲な老人たちが社会的資源を独占している。
若者たちは能力があり、努力をしているにもかかわらず格付けが低い。
これはフェアではない。
彼らは連帯を求めているわけではなく、社会のより適切な能力主義的再編を要求している。
こうした若者たちのうちの一人がたまたま成功したとき、彼には『いまだ社会下層にとどまっている仲間』を救う義務は発生しない。
彼が成功したという事実からして、社会の能力主義的格付けは部分的には正しく機能しているからだ。
格差が進行している最大の理由は、社会上層にいる人間たちがその特権を自分の才能と自己努力に対する報酬であり、それゆえ誰ともわかちあうべきではないと信じ込んでいる点にあるとしている。
女子はアジアへ、日本に残るのは草食男子
若者が声をあげず、問題が顕在化しにくい現在の日本に対して、将来を危惧する声が相次ぐ。
「最近、若い女性がアジアを目指す動きが目立ってきている」
と指摘する。
アジアでは年齢差別が少ない国が多いといい、「能力のある若者は活躍できる素地がある」からだ。
そうした国や地域での活躍を目指したり、能力のある男性との結婚を目指したりする女性が増えていて、このままでは日本に残るのは『草食男子』のみ、となりかねない。
そして彼らは老いていく。
日本から活力がどんどん奪われていく。
若者の間では、頑張ったって報われない、どうせ出る杭(くい)は打たれる、といったあきらめムードが漂っている。
若者の間で人気があったライブドアの堀江貴文元社長が逮捕・収監されたことも失望感を生んでいるという。
希望が持てる社会の構築が急務である。
『努力すれば報償が与えられる』という枠組みそのものに対する直感的な懐疑のせいとみる。
若者は「『みんなが争って求めている報償というのは、そんなにたいしたものなのか?』という疑念にとらわれている。
一流大学を出て、一流企業に勤めて、35年ローンで家を建てて、年金もらうようになったら『そば打ち』をするような人生を『報償』として示されてもあまり労働の動機付けが高まらない。
「被贈与感」の重要性を指摘する。
「連帯せよ」とマルクスは言った。それは自分の隣人の、自分の同胞をも自分自身と同じように配慮できるような人間になれ、ということだと私は理解している。
そのために社会制度を改革することが必要なら好きなように改革すればいい。
でも、根本にあるのは、
『自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない』
という『被贈与感』。
そこからしか連帯と社会のラディカルな改革は始まらない。
「今の日本社会に致命的に欠けているのは、『他者への気づかい』が人間のパフォーマンスを最大化するという太古的な知見への理解」
もともと日本には、弱者をとりこぼさないような相互扶助的な社会システムが整っていたのではなかったか?
そのような『古きよき伝統』に回帰しようというタイプの主張を若者たちが掲げたら、大きな『うねり』が発生する可能性がある」。
ただ、今の日本の若者たちは
「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるようには思えない」
企業依存社会から脱却を
システマチックにうまくいっているように見えるが、一方で社会がどんどん硬直的になってきた。
1970年代までは企業社会に入らなくても何とか生きていけたが、今では企業に入らないとリスクが高すぎる。
こうした過度の企業依存社会を変える必要がある」と指摘。
『ステイ・フーリッシュ(愚かであれ)』と言ったように、社会の変革には多様な人材が必要だ。
愚かであろうとする人材を輩出するためには、企業に入ろうが入るまいが、リスクが同じにならないといけない。
そのためにも雇用の流動化を促し、企業の内外で変わらない社会保障制度の整備が求められる。
抜本的な制度改革が必要である。