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開戦の日に考える 戦争の足音が聞こえる 

2022年12月08日 | 生活

「東京新聞」社説 2022年12月8日 

 日本が焦土と化した太平洋戦争は一九四一(昭和十六)年のきょう十二月八日に始まりました=写真は、開戦を伝える国民新聞(中日新聞社が発行する東京新聞の前身の一つ)夕刊。あれから八十一年。憲法九条に基づく「専守防衛」が大きく変質しようとしています。耳を澄ませば、戦争の足音が近づいてくるようです。
 戦後日本の防衛政策は、戦争放棄と戦力不保持の憲法九条の下で組み立てられてきました。日本の安全保障を米軍の攻撃力に委ね、日本の自衛隊は専守防衛に徹するという役割分担です。
 自衛隊の装備は自国防衛目的に限られ、「他国に侵略的攻撃的脅威を与える」攻撃的兵器は、あえて保有してきませんでした。
 それは日本人だけで三百十万人というおびただしい数の犠牲者を出し、交戦国だけでなくアジア・太平洋の人々にも大きな犠牲を強いた戦争への反省に基づくものでした。日本は再び軍事大国にならないとの誓いでもあります。

◆平和国家を歩んだ戦後

 安倍晋三内閣当時の二〇一三年に策定された国家安全保障戦略は次のように記します。
 「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してきた」
 「こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」
 この平和国家としての歩みを大きく踏み外すのが、岸田文雄首相が年内に予定する国家安保戦略、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画の三文書改定です。
 その狙いは、他国領域を攻撃できる、政府与党が反撃能力と呼ぶ敵基地攻撃能力の保有と、防衛力強化のための財源確保です。
 歴代内閣は、他国領域にあるミサイル発射基地への攻撃は「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」と憲法九条が認める自衛の範囲内としつつも、他国を攻撃できる兵器を平素から備えることは「憲法の趣旨ではない」ともしてきました。
 長射程の巡航ミサイルなど、これまで保有してこなかった敵基地攻撃能力を実際に持てば、専守防衛を逸脱することになります。
 政府は、この敵基地攻撃能力を安倍内閣が一転容認した「集団的自衛権の行使」にも使えるとの見解を示しています。日本が攻撃されていないにもかかわらず、他国領域を攻撃することになれば、他国同士の戦争に積極的に参加することにほかなりません。
 岸田政権が敵基地攻撃能力の保有検討に至った背景には、軍備増強を続ける中国や、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮の脅威があります。周辺情勢の変化に応じて安保政策を見直し、防衛力を適切に整備することは必要です。
 しかし、軍事力に軍事力で対抗することが地域情勢の安定につながるとはとても思えません。逆に軍拡競争をあおる「安全保障のジレンマ」に陥るのは必定です。

◆軍拡増税という分岐点

 抑止力の向上が狙いでも、攻撃的兵器をたくさん備え、他国領域も攻撃できると声高に宣言するような国を「平和国家」とはとても呼べない。戦後日本の平和を築いてきた先人への背信です。
 岸田首相は二三年度から五年間の防衛費総額を現行の一・五倍超の約四十三兆円とし、二七年度には関連予算と合わせて国内総生産(GDP)比2%にするよう関係閣僚に指示しました。二二年度の防衛費約五兆四千億円はGDP比約1%ですので倍増になります。
 そのための財源をどう確保するのか。政府の有識者会議は歳出改革とともに「幅広い税目による負担」を求めています。
 物価や光熱費が高騰し、社会保障費負担も増える一方、賃金はなかなか上がらず、国民の暮らしぶりは苦しくなるばかりです。
 いくら防衛のためとはいえ、国民にさらなる増税を強いるのでしょうか。国民を守るための防衛費負担が暮らしを圧迫することになれば本末転倒です。とても「軍拡増税」など認められません。
 戦争はいつも自衛を名目に始まります。そして、突然起こるものではなく、歴史の分岐点が必ずどこかにあるはずです。
 将来振り返ったとき、「軍拡増税」へと舵(かじ)を切ろうとする今年がその分岐点かもしれません。感性を磨いて耳を澄ましてみると、戦争の足音がほら、そこまで…。
 

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真珠湾攻撃から81年。太平洋戦争の火蓋を切った戦いがカラー化写真でよみがえる真珠湾攻撃から81年。太平洋戦争の火蓋を切った戦いがカラー化写真でよみがえる | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp)

より一部紹介いたします。
 
「美しい南国のビーチに似つかわしくない戦争の景色」「この光景の再来がないことを願うばかり」と反響を集めています。

■日本軍の狙いが裏目に出た真珠湾攻撃。アメリカの世論は開戦へと傾いた

1941年12月7日午前7時55分(日本時間8日午前3時35分)、ハワイ諸島のオアフ島の海軍基地を、日本軍の航空部隊が奇襲した。これが太平洋戦争の端緒の一つとなった「真珠湾攻撃」だ。

ヒッカム飛行場に爆弾を投下した後、太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェスト・バージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦が、日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって、またたく間に黒煙に包まれた。犠牲者はアメリカ側の約2400人に対し、日本側は約60人だったという。

主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意喪失を誘い、短期決戦に持ちこむのが狙いだったが、現実には逆効果となった。

日本の開戦通告は、攻撃の30分前にアメリカ側に届くはずだった。しかし、駐米大使館が本国から受け取った暗号文の解読に時間がかかり、実際にアメリカ側に渡ったのは攻撃の40分後だった。

真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」となり、ルーズベルト大統領率いるアメリカ政府は、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」のスローガンを掲げて、アメリカの世論は、一気に開戦へと傾いた。


戦争はいけない!
決して起こしてはいけない!

その思いが「憲法」だ!
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることがないやうにする」(前文)

リメンバー、パールハーバー

敵地先制攻撃。それは敗戦への第一歩だった。

「日本人が肝に銘じなければならない痛恨の歴史」(写真報道家・中村梧朗)