「日本の司法はそんなものなのか」一橋大アウティング事件、踏み込まぬ司法判断に遺族ら落胆
ハフポスNEWS 2019年02月27日
泉谷由梨子
原告の訴えを全て棄却しますーー。
鈴木正紀裁判長が淡々と話すと、傍聴席にはため息が漏れた。
ゲイであることを同級生に暴露(アウティング)された一橋大の法科大学院生(当時25歳)が、2015年8月に校舎から転落死した事件。学校が適切な対応をしなかったと両親が訴えた東京地裁の裁判は、2月27日、原告側の敗訴で終わった。
学生に過去の自分を重ね「常に死が隣に控えている」と感じた松中権さん、オープンリーゲイとして活動しながらも、時にパートナーとの「関係を偽らなくてはならない」ことに疑問を感じると書いた松岡宗嗣さん。その他にも、亡くなった学生に思いを寄せる同性愛や性的マイノリティの当事者を含む人々が傍聴席を埋め、その時を待っていた。
しかし、判決では、ハラスメントなどの相談を受けながら転落死を止められなかった学校側の落ち度はなかったとされた。
それだけでなく、「アウティングが不法行為にあたるか」などの議論には一切踏み込まなかったことが、原告や支援者を落胆させた。
「日本の司法はそんなものなのか」
原告となった両親の代理人の南和行弁護士・吉田昌史弁護士も「夫夫(ふうふ)」だ。南弁護士は、弁護士を目指していた学生から、亡くなる直前、アウティングについての苦悩を相談されていた。
判決を受けて開かれた記者会見。吉田弁護士は判決について以下のように語った。
裁判では一貫して意図せずアウティングされることの危険性を訴えてきたつもりです。アウティングは人を死に追い込む危険がある加害行為。そうした不法行為が学内で行われたというのを前提に、大学にはどのぐらいの危険性があるのかを判断してほしかった。
若者がひとり、命をなくしている。そこに踏み込まなければ、「今現在同じことが起こった時に、大学は同じ判断をするんですか」ということになってしまう。
訴訟が始まってから他の大学でもいろいろな動きがあった。代理人としては不本意な裁判所の姿勢でした。
続いて南弁護士は、亡くなった学生の父親の「笑われるような判決ではないか」や、「日本の司法はそんなものか」と落胆する妹のコメントを読み上げた。
そして、さらに家族の様子や思いを代弁。涙をぬぐった。
彼のお母さんお父さんは、裁判のたびにこう話していました。「本人の気持ちも一緒に法廷に来ているから。弁護士にはなれなかったけど、あなたの裁判だよ」と。
この裁判が勝つか負けるかよりも、裁判所が「アウティング」をどう捉えるか、その本質を気にされていました。
「目指していた弁護士にはなれなかったけれど、本人の生きたことが日本の裁判の歴史の中で大きな基準になるような判決になれば、夢は果たせなくても意味はあったんじゃないかな」それがご両親の思いでした。
「アウティング」は集団の中で人間関係がガラッと変わってしまうこと。しかし裁判では表面的な判断しかされなかった。私達、原告代理人も残念でなりません。
「カミングアウト」「アウティング」に接したら
しかし、今回の訴訟では、亡くなった学生に「好き」と告白され、その後「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ」と、友人たちにLINEグループでアウティングをした同級生に、一定の理解を示す声が少なからずあったことも事実だ。
例えば、「異性愛者である自分がもし突然、同性の知人から『告白』をされたら、どう接すればいいのか?誰にも言わずに自分で全て受け止めなくてはいけないのか」といった声だ。
南弁護士は、そうした声を受けて、「知人が同性愛者であったという秘密を知ってしまうことが、『爆弾を預けられた』みたいに思われることも嫌だなと思った」と率直に語った。
その一方で、差別や偏見の多い世の中での意図せぬアウティングが、その人を孤立させ、死に追いやるほどの危険性を孕んだ行為だということについて、もっと考えてほしいとも訴えた。
南弁護士は、今回のアウティング行為について「相手が傷つくのをわかっててやったので正当性がない。秘密を抱えている人に敵意を向けたって解決はしない」と改めて厳しく指摘した。
さらに、一般的に「カミングアウトや告白などで秘密を知った人」「誰かのアウティングに接してしまった人」に対しては、こう考えてほしいと語った。
みんな、集団の中で人と人との人間関係を作っています。その中でアウティングされることは、「この人みんなの前でこういうこと言ってるけど、本当は違いますよ」ということをバーッと裸にされたような感覚です。その不安感が孤立に繋がります。
アウティングに「巻き込まれた」(周囲の)人も、知ってしまった事情をなかったことにするのではなく、「あなたの孤立感も分かるよ」としたうえで、新しく人間関係を作っていけたらいい。「聞かなかったことにするから大丈夫だよ」というのは違うと思います。それが、アウティングされた人を救う上で大事だと思います。
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「彼は私」でした。一橋大アウティング事件で、電通を辞めて向き合ったひとつの感情。
私は、一橋大学出身のゲイのひとりです。この事件を機に、どんなことを感じ、考えてきたのかを、お伝えしたいと思います。
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ゲイであることを同級生に同意なく暴露(アウティング)され苦しんでいた一橋大学ロースクールの学生(当時25歳)が、2015年8月、大学敷地内で転落死する痛ましい事件がありました。
残されたご家族が、大学の相談対応の不備などを訴えた訴訟の判決公判が2月27日、東京地裁で開かれます。
私は、一橋大学出身のゲイのひとりです。この事件について知れば知るほど、考えれば考えるほど、胸がぎゅーっと締め付けられて、悲しさと怒りがグチャっと混ざったような感情が喉につかえて、吐き出すことができず、とても苦しくなってしまいます。
今となっては聞くことのできない、亡くなってしまったご本人の気持ち。
残されたご家族の方々、おひとり、おひとりの思い。
アウティングをした学生が当時そして現在、何を考えているのか。
国立市が「アウティング禁止」が盛り込まれた条例を施行するなど、多くの自治体や教育機関が動くなかで、今もなお姿勢を変えない一橋大学が守ろうとしているものとは何かーー。
判決を迎えた今日、認定NPO法人グッド・エイジング・エールズの代表としてではなく、他の誰でもない、私、松中権自身が、この事件を機に、どんなことを感じ、考えてきたのかを、お伝えしたいと思います。
あの日、大学生の頃に夢見た仕事が現実になろうとしていた。
2016年8月5日。第1回の口頭弁論にともない記者会見が開かれた時、私はブラジルのリオ・デ・ジャネイロにいました。
広告会社の電通に新卒で入社し、16年目の夏。日本一硬いクライアントのひとつといわれる、日本国政府の首相官邸担当営業となって5年が経っていました。
リオ五輪に合わせて世界中からやってくる人たちに向けて、日本の文化や技術を期間限定で現地にて発信する、「ジャパンハウス」というホスピタリティ施設プロジェクトの、まさに立ち上げのタイミングでした。
2010年にNPOを立ち上げて二足のわらじで働いていた私は、会社の仲間にも、ゲイであることをカミングアウトしていました。クライアント先の方々にひとりひとり説明したことはありませんでしたが、周知の事実でした。
聖火リレーの最中に、ランナーとして参加していたゲイカップルが、リオのゲイタウン・イパネマで立ち止まってキスをするニュースが流れると、「ゴン、もちろん、このニュース知ってるよね?」とチームのひとりが教えてくれたり、現地入りしていた組織委員会の方からは、「2020年の東京大会では、松中さんのLGBTネットワークの力もお借りしないとですね」と声をかけてくれたりしました。
私にとっては、大学生の頃に夢を見ていた仕事、働き方、それが、まさに目の前で現実になろうとしている瞬間でした。
大学4年生の冬、逃げるように留学したオーストラリア。
一橋大学に通っていた4年生の冬、体育会の部活動の仲間も、ゼミの仲間も、みんなが卒業と就職に向けて準備する中、ひとり、逃げるように留学した先がオーストラリアでした。わらをも掴む思いでした。
ゲイカップルが手を繋いで街中を歩いているというニュースをネットで見つけ、自分らしく生きるにはここしかない、と信じて渡った国。初めて、ゲイであることをカミングアウトして、楽しく過ごした日々。
初めて、自分という存在を、自分自身が受け止め、向き合うことができた2年間。その留学の最後、2000年シドニー五輪のクロージング・セレモニーの会場に行く機会があり、オーストラリアが生んだ歌姫、カイリー・ミノーグが、ドラァグクイーン50人を引き連れてショーをする姿を目の当たりにしたことは今でも忘れられません。
「将来、そんな多様性を讃えるような仕事をしたい」。帰国後、内定が決まった電通で、人生において初めて思い描いた夢でした。
一橋大の「彼は私」でした。
本当に、自分はラッキーだな。周りの人や出会いにも恵まれて。まさかカミングアウトして働けるなんて、想像もしていませんでした。
このまま、いまの部署で働きながらNPOと二足のわらじを続けていけば、「多様性」がテーマの東京オリンピック・パラリンピックをレインボーにすることにも関われるかもしれない。いや、きっと関われるはずーー。
人生に一度あるかないかのオリンピックが日本で開催される機会に、LGBTのことをポジティブに発信できれば、多くの人たちに希望を届けられるかもしれない。このラッキーを最大限に生かしていきたい。
リオ五輪の現場で「ジャパンハウス」を立ち上げ、オープニングセレモニーの運営をしながら、そんな高揚感を全身で感じていました。
セレモニーの後、ホテルに帰った夜のことでした。時差ぼけもあり、うつらうつらしていた朝方だったかもしれません。何気なく開いたパソコンで見たFacebookのタイムラインが、事件のニュースや投稿で埋めつくされていたのです。
一橋大学、法科大学院、ゲイ、転落死、同性愛を暴露、アウティング、友人に恋愛感情・・・
オープンリーゲイで文化人類学者の砂川秀樹さんが、多くの同性愛者が自分と重ねて「彼は私だ」と感じていると、おっしゃっていました。
まさに、まさに、「彼は私」でした。
一橋大学法学部でゲイ。同じ、くにたち(国立)の校舎で学んでいたひとりのゲイというだけではなく、記事を通して知る、やりとりや状況のすべてが、私でした。
ホテルの部屋でひとり、過呼吸で吐きそうになりながら、パソコンに向かっていました。
本当に、自分はラッキーだったのか
全身に電気ショックを受けたように、血液が体から音を立ててサーッと引いていく。記者会見の当初、ネット上に流れていた同級生たちとのLINEグループのやり取りの画面のスクショが、トドメをさしました。
6月24日水曜日
12時32分 おれもう おまえがゲイであることを 隠しておくのムリだ。ごめん
12時40分 たとえ そうだとして 何かある?笑 (既読8)
14時00分 これ 憲法同性愛者の人権 くるんじゃね笑(既読8)
たとえ、そうだとして 何かある?
同級生のアウティングを、とっさにうまいこと誤魔化そうする。「笑」をつけて……。既読になっても、そこから80分間、何の反応もないLINEグループの仲間たち。
なんてコメントすればいいんだ。何が正解なんだ。
どう答えれば、一瞬の笑いで終わって、これまで通りの仲間たちに戻れるんだ。
ゲイってことが、なかったことになるんだ。
いや、もしかしたら、誰かが助け舟を出してくれるかも。
男が好きでも、女が好きでも、関係なくね。
さらっと、そんなこと言ってくれないか。
いや、まずは否定しないと。
いや、否定したら、逆に怪しい。
みんなとの関係が崩れる。
どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。
亡くなった彼の、心の声が聞こえてくるようでした。大切にしたい仲間たちとの関係と、自分らしく生きたいけど生きられない葛藤との間で、なんとか辻褄を合わせ、帳尻を合わせ、ごまかし、嘘をつき、一緒に笑い、笑ったふりをし、楽しんでいるふりをする。
それは、私自身が一橋大学での4年間、毎日、経験していたこと。私自身の心の声でもありました。電通に就職した後も、NPOを作ってカミングアウトするまで心の声は続いていました。
続いていたはずなのに、この事件のニュースやLINEのやり取りを目にするまで、本当にすっかり忘れていました。記憶のどこかにしまい込んで鍵をかけてしまっていた、という方が合っているかもしれません。
本当に、自分はラッキーだな。周りの人にも恵まれて。このラッキーを最大限生して2020年まで、二足のわらじで頑張ろうなんて高揚感とともに感じていた自分。その愚かさや薄っぺらさ、自己中心的な発想に落胆しました。
自分はラッキーなんてものではなく、ただただ、たまたま生きることができているだけ。生かされているだけ。いまの日本社会では、同じようなことが誰にでも起きうる状況で、私自身も含めて、セクシュアル・マイノリティの人たちは、毎日、綱渡りのような生活をしているのです。
ちょっとしたことがきっかけで、身近にいる誰かの考え方や行動がちょっと違うだけで、常に「死」というものが隣に控えている。いまだに、それが必然であり、たまたま偶然、生きられているだけ、とも言えるかもしれません。
電通を辞めた私が向き合った、ひとつの感情。
リオ五輪でのプロジェクトを終え、帰国した2016年秋。グッド・エイジング・エールズのメンバーひとりひとりに、電通を辞めて二足のわらじから一足にして、LGBTの活動に専念したいと相談しました。
「ゴンが決めたことだったら、応援するよ」
「しばらく休職してじゃ、ダメなの?」
「ワクワクするね」
「35年ローンで買ったばかりのマンション、どうするの?」
いろんな声があり、相当悩みましたが、最後はみんなで背中を押してくれました。この2月で独立して1年半と少しとなります。
グッド・エイジング・エールズは、2010年4月4日に立ち上げて以降、「LGBTと、いろんな人と、いっしょに」という掛け声のもと、当事者とアライ(理解者、支援者、応援者)が交われるような場づくりに関わる、様々なプロジェクトを展開してきました。
身近な経験や体験から、理解を広げたり、当事者が安心できる場を広げたりしていくものです。もちろん、引き続きこれらの活動は続けて行きたいと思っています。2020年というタイミングも最大限に活用していくつもりです。
ですが、私個人としては、今回の事件をきっかけに、自分の中にあるひとつの感情に向き合わなければならないと思うようになりました。
それは、「人権を主張すること、それを守る制度を求めること、そのために政治的に動くことは、どこかカッコ悪い」というものです。
「そんなことをしたら、理解を広げるどころか、壁を作られてしまう」
「面倒くさい奴らだと思われて、良い関係を作れない」
「なんか、バランス感覚のない人に思われるのは嫌だ」
これまで、いろんな理由をつけて逃げてきた自分と対峙することとなりました。
「どこかカッコ悪い」なんて言っていられない。大切な、大切な、いろんな将来の可能性を抱えた、ひとりの若者の命が失われたのです。
彼は私、だったかもしれないし、彼は明日の私かもしれない。
彼は私の大切な誰かかもしれないし、彼は誰かにとっての大切な誰かかもしれない。
彼は、自分の人生を自分らしく生きたいと願う全ての人なのです。
理解をひろげて「安心」を、差別をなくして「安全」を。
「同調圧力の強い日本社会では、声をあげるのは難しい」ではなく、そんな日本社会だからこそ、どんな人であろうと、その性的指向・性自認によって差別をしてはいけないという人権意識や法制度を整えていくべきだと考えています。
理解をひろげることで「安心」した場所をつくることと同時に、何かがあった時に頼れる、その何かを事前に食い止められる「安全」な場所であることも大切です。「安心」と「安全」の両輪が必要なのです。
どんな理由があったにせよ、アウティングをしてしまった学生や正しい知識をもとにした誠実な対応がなかった一橋大学には、どれだけ重大なことを起こしてしまったかを認識し、今後に向けて真摯に動いてほしいと願います。
そして、本当は、LINEグループでアウティングがあった後、既読8となった仲間のうち、残り7人こそ、彼を救うきっかけをつくることができたのではないかと強く思っています。
「そんなこと、言うなんて何を考えてるんだ」と静止したり、「これは、ひどいハラスメントだ」と客観的な立場から当局にレポートしたり、「大丈夫かい? なにかサポートできることない?」と個別に連絡したり。それぞれに、できることがあったのではないでしょうか。
7人だけでなく、くにたちの校舎がそんな仲間たちであふれていたら、歯車は違う未来に向かうことができたかもしれません。
母校に何も働きかけができていなかったことへの悔しさと反省、二度と同じことが日本全国の学びの場で起きて欲しくないという思いから、会社を辞めてからは、NPO活動とは別に、性的指向・性自認に関する差別をなくしていく法制度を求める活動にも関わるようになりました。
そして判決をむかえる今日、一橋大学の卒業生と在校生をつなぐ取り組みを、有志で立ち上げました。
「PRIDE BRIDGE」と名付けたネットワークで、一橋大学のキャンパスを、LGBT学生・職員にとって安心・安全な場所に変えるための具体的なアクションをひろげていきたいと思っています。
もちろん、キャンパスの外にも色々な相談先はありますが、そこにアクセスできない状態の人が、たくさん存在しているのです。くにたちの校舎を、誰にとっても優しい場所に、根本から変えていくことが必要なのではないでしょうか。
一橋大学の卒業生や、身近に卒業生がいらっしゃる方に、ぜひ届いてほしいと思います。
「あなたが、この世界で見たいと思う変化があるなら…」
日本社会は少しずつ変わり始めている。そう感じている人も多いかもしれません。「自分は、いま心地よく働いているから、わざわざ声をあげなくてもいいと思っている」そんな当事者の声もよく聞きます。
でも、そこには自分たちより先に生まれたみなさん、自分たちの同年代や後輩など、本当にたくさんの方々や団体による地道な取り組みが存在しています。
もし自分はラッキーだな、色々あるけど幸せに生きられている、と思っている人がいたら、それは、自分の周りの小さな社会にいる人たちのおかげで、偶然生きられているだけかもしれないと、考えてみる時間を持ってもらえると嬉しいです。
当事者だけではありません。たまたま自分の身近な大切な人たちは、偶然幸せに生きていられるだけ、幸せに生きているように見えているだけかもしれないないのです。
社会は勝手には変化しません。
変えたいと願う人の、小さな勇気と行動が集まって変わっていくものです。
ガンジーによる言葉、大好きな名言があります。
「あなたが、この世界で見たいと思う変化があるなら、あなた自身が変化となりなさい」
ひとつの大切な命が失われました。もう二度と、繰り返してはなりません。私たちの時代で、終わりにしましょう。
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