“人工肉”は本当に夢のテクノロジーなのか?
文春オンライン2022.12.17
堤 未果 source : ライフスタイル出版
気候変動問題、ウクライナ侵攻による食料危機を背景に、食をめぐる世界市場では今なにが起きているのか? 急速に進むフードテックの裏側を描いた新著『ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか?』が話題の国際ジャーナリストが語る、“食の文明史的危機”とは?
――今後、フードテックの世界市場規模は700兆円を超えるとも言われていますが、アメリカの代替肉大手ビヨンド・ミートがついに日本にも上陸しました。
堤 近年、「気候変動」と「食料不足」を一気に解決する“夢のテクノロジー”として、人工肉が大きな注目を浴びています。牛のゲップによる環境破壊も減らせるし、大量の飼料と水を消費する畜産よりもコスパがよく、動物性タンパク質じゃないから健康にもいいと。
植物性の代替肉自体は以前からあり、アメリカで私も食べたことがありますが、パサパサした食感で肉の味とは程遠かった。ところが、インポッシブル・フーズ社が遺伝子工学を使って開発した肉汁したたる人工肉はかなり肉の食感に近くて驚きました。
――ベジタリアンや環境意識の高い世代にも熱烈に歓迎されていますね。
堤 一方で、インポッシブル・バーガーは原材料に遺伝子組み換え(GM)大豆が使われていることや、グリホサート系残留物が検出されたこと等をめぐり、アメリカでは市民団体から訴訟も起きている。当局の拙速な「安全認可」が疑問視される中でも、市場のスピードはそれを上回り、すでに去年から全米500ヶ所の学校給食メニューに取り入れられています。
ビヨンド・ミートのようにGM作物を使用していない人工肉もありますが、いずれにせよ乳化剤や結合剤のような添加物や保存料の多い「超加工食品」です。
「超加工食品」に安全上の問題点はないのだろうか?
――安全性の検証が拙速な感は否めませんね。
堤 はい。ですが巨大資本がマネーゲームを繰り広げるこの分野の勢いは、とどまるところを知りません。豆さえ使わず直接細胞からつくる「培養肉」もホットな市場で、シンガポールですでに培養鶏肉の提供を始めた米イート・ジャスト社は、世界最大規模のバイオリアクター建設計画を進めています。
1基につき4億5000万ドルもかかる莫大な建設費、電力消費の大きさ、動物細胞の培養液の感染リスクなど問題は山積みですが、各国政府は「気候変動」「人口爆発」などの対策を掲げて我先にと規制をゆるめ、代替タンパク質の開発競争に力を入れています。
これはどこかで見た光景だと思ったら、14年前『ルポ 貧困大国アメリカ』で取材した、大規模な工業型畜産の推進と同じ構図だったんですね。あの時は、欧米だけでなく新興国で急速に拡大してきた食肉と乳製品の需要を、「畜産の生産性を高めることで」解決するという流れでした。増え続ける世界人口にとって重要なタンパク源を賄わなければ起きる飢餓を解消するために、農業と畜産を工業化しなければならない、と。
1頭の牛から取れる肉を増やそう、牛乳を増やそう、食肉処理のスピードをあげよう、管理する牛の数を増やして効率化しよう――生産性が飛躍的に上がる一方で、効率化でぎゅうぎゅう詰めにされ感染症に弱くなった牛たちに大量の抗生物質を投じ、その糞尿は地域の水源や大気を汚し、餌にする遺伝子組み換え穀物の単一栽培(モノカルチャー)によって土壌汚染が拡がりました。
豚や鶏も同様です。今や世界中で批判の声が上がっていますが、工業化された畜産や農業で推し進められた「もっと大量に、もっと早く、もっと便利に」というグローバル資本主義的手法がもたらしたものは、南北格差を拡げ、環境・健康・エネルギーという3大社会的コストが途上国に押しつけられ、食料不足の解消にもならなかった。
食料不足解消の妨げになっていた“巨大なマネーゲーム”
――飢餓を救うという触れ込みだったのに?
堤 私が金融業界にいた時に、食料不足による飢餓、というヘッドラインが出ると失笑が起きたのを、よく覚えています。食料が投機商品になったときから、必要とする人に届かない歪みが深刻になり、それで潤っていた業界だったからです。
人類全員が食べられるだけの食料は十分あったにも関わらず、人災としての食料危機が頻発するようになってしまった。
「人口爆発はもう止まらない、飢饉が訪れる」と恐怖を煽られた私たちは、巨大なマネーゲームのなかで踊らされているに過ぎなかったのです。
その反省から、工業型畜産や単一栽培、遺伝子組み換え食物などに対する反発が世界中で広がり、「家族農業の価値」や「持続可能な食と農」の形へと見直しが進んでいたところで、今度はSDGsの名の下に、気候変動や食料危機を解決する夢のテクノロジーとして、ゲノム編集や合成生物を始めとするフードテックや、デジタル農業が勢いよく台頭してきました。
歴史を見てもわかるように、政府やマスコミ、学者などによって、飢餓など「恐怖」を煽られ、「この道しかない」といわれる時、私たちはよくよく注意しなければなりません。
――すでに日本ではゲノム編集されたトラフグやマダイ、トマトなども流通していますね?
堤 いち早く規制緩和に踏み切っている日本は、〈クリスパーキャス9〉という手法で開発された、通常の1.9倍の速さで成長するトラフグや、1.2倍の身がある「肉厚マダイ」を市場に出しています。
日本ではメーカーが届け出さえすれば安全審査も表示もなしでOKですから、ゲノム編集トマトの苗はすでに5000以上の家庭に無料で配布され、トマトはオンライン販売されています。全国の福祉施設や小学校に無料配布する計画も着々と進んでいます。
マーケティング的には実にうまい戦略で、もちろんそれは営利企業の自由でしょう。ただしここで大切なことは、私たち市民にも「食を選ぶ自由」という権利があること。国や企業は消費者に向かって「どうぞご自由に」というけれど、選択の自由は情報公開があってこそのもの。そこに情報の非対称性があってはダメなのです。
ゲノム編集かどうかを表示し、判断材料として商品が作られる過程を公開すること――安全性の是非で議論が平行線で終わる前に、特に食や薬など、いのちや健康、子ども達や地球の未来に影響するものについては、大前提として、情報の民主化が不可欠でしょう。開発した研究者もこれについては同意見ですから、私達消費者が、食の選択肢を望むかどうかで、今後変わってきます。
警戒すべきゲノム編集食品のもう一つのリスク
――確かに情報の非対称性が大きい分野です。
堤 またゲノム編集のもう一つの問題は、そこに特許がついてくることです。たとえば〈クリスパーキャス9〉は研究には無料で使えますが、商業用には巨額のライセンス料がかかります。種子・農薬大手のコルテバと医薬・農薬大手のバイエルの2社だけでも、ゲノム編集作物の特許出願数が1500件を超えていることが、すでに欧州で問題になっています。
ゲノム編集で破壊された遺伝子の特許が一度認められると、自然界で生まれた同じ破壊遺伝子も特許の対象となるため、該当する自然の種子やたまたま同じ性質をもった作物まで、カバーされてしまう可能性が高い。このリスクを警戒すべきでしょう。
本書に詳しく書きましたが、遺伝子工学を駆使したフードテックについてくる様々な特許、小規模農家を次々とつぶすデジタル管理とテクノロジーの問題は、川の上流を「誰が握るか」なのです。単に新しい技術だけに目を奪われてこの部分を見逃せば、文字通り一握りの巨大企業による食と農の支配が完成するでしょう。
特に、今のテクノロジーは「何を食べるか」という食の主権だけでなく、私たち人間にとって「食」が持つ意味や、他の生き物・大地との関係までも根底から変えてしまうほど進化しています。そういう意味で、私たちは今まさに、〈食の文明史的危機〉を迎えているといっても過言ではありません。
――在来種まで外資による特許で支配されてしまったら本当にディストピアです。フードテックが様々な問題を抱えていることは確かですが、その一方で、気候変動問題への迅速な対応には、牛を減らせる人工肉のようなテクノロジーも必要ではないでしょうか?
堤 ええ、それは当然の疑問でしょう。私も以前はそういう考え方でした。いま、牛のゲップによるメタンガスが温暖化の主要因とする説が有力ですから、人工肉は救世主と謳われ、私が取材した方の中にも、畜産そのものを廃止すべきだという声が少なくありませんでした。
でも本当にそうでしょうか?
この問題を考えるにあたって、まずは歴史を見なければなりません。
牛はむしろ環境再生の切り札になりうる
大規模な環境破壊を引き起こした「工業型畜産」が登場する前まで時計の針を巻き戻し、牛という生き物を、大きな生態系のなかで捉え直すのです。
たとえば、私が取材した米バージニア州の〈ポリフェイスファーム〉は、牛と土壌の共生が持つ驚異的な力を確かめに、世界中から視察が相次ぐ牧場です。ここの牛達は、〈輪換放牧〉といって、区画から区画へと草を集中的に食べながら移動させられるのですが、これを見た時、本当に驚きました。
土の上に落ちた牛の排泄物が栄養価の高い肥料となり、たくさんの蹄にふまれて草の種とともに土中に押し込まれ、菌根菌に栄養を与える。菌根菌は、植物の根の中から土の中へ菌糸を伸ばして、土の中の養分を吸収して、それを植物に与えますが、根っ子はそのお返しに、植物が光合成で作った炭素化合物を菌根菌へ提供するのです。まさに「お互いさま」の関係ですね。
これによって炭素がしっかり土に閉じ込められて、土の中の微生物が活性化し、生物多様性に富んだ循環型のサイクルが生まれるのです。
牛のゲップが問題になるのは、工業型畜産で牛肉を年間5800万トンもの規模で大量生産しているからであって、問題はその育て方のほうだったのです。
こうした生態系の循環にそった方法は、リジェネラティブ・アグリカルチャー(環境再生型農業)と呼ばれ世界で注目を集め、日本でも実施が始まっています。適切な規模感で本来の生態に沿ったアプローチをとったとき、牛はむしろ環境再生の切り札になるのです。
超加工食品を食べ続けると引き起こされる深刻な不調
――土から牛を見た時に全く違う側面が見えてきて驚きました。
堤 ゲップという要素だけで、牛を欠陥品とみなし切り捨てる、テクノロジーで置き換えればいいという発想自体が、極めてアメリカ的な合理主義、科学技術至上主義的なものの見方なんですよね。実は何を隠そう、私自身がかつてそうだったので、反省を込めてなんですが。
大学で渡米した私にとって、アメリカンライフスタイルは憧れそのもので、ファストフードにもしっかりハマっていました。どの州に行っても同じ味が手に入る安心感! なんて早くて安くて便利なんだろうと感動していた。画一化された大規模なトウモロコシ畑を見ても、わぁ一面黄色いな、凄いなアメリカ映画と同じだ、ダイナミックだなぁ……などと喜んでいる、今思えばとんでもない学生だったんですね。
ところが大学院を出たあと、国連や現地の証券会社で働きながら、アメリカ的な超加工食品を食べ続けた結果、20代の終わり頃になって、ひどく身体の調子が悪くなってきたんです。吹き出物がいつまでも治らなかったり、食べても食べても痩せてゆく、腹痛に苦しめられ、精神的にも不調が出はじめた。食べたものが私になる、という言葉の意味を実感した、とても怖い時期でした。
9・11のあと日本に帰国して、医者に告げられたのは、「総理と同じ消化器系の難病です。一生治りません」という言葉でした。難病指定なので保険こそ利くものの、ステロイドの薬を使わないといけないし、乳製品から揚げ物まで食べてはいけない食事のリストがすごかった。
いろいろな薬やサプリも試しましたが全く効かない、まさに絶望的な日々でした。
偶然出会った中国医学が症状を改善し、価値観を大きく変えることに……
――潰瘍性大腸炎は相当つらいですよね。
堤 でもある時、偶然出会った中国医学の先生に、「あなたは自分の身体をモノ扱いしてきましたね」と言われたんです。「腸と畑の土壌は同じ。ボロボロになった腸にいくら高いサプリを入れても吸収しません。まずは土台を自然からもらった状態に戻しなさい」と。
藁にもすがる思いで、食を変えて腸内蘇生治療を行ったところ、なんと3ヶ月で症状が出なくなったんです。「食」というものを通して「土と腸は同じ」であることや、全ては循環の輪の中の一部であるという気づきは、その後長い時間をかけて私のなかで温められ、人や、社会や、あらゆるものに対する考え方の根幹を、大きく変えてゆくことになりました。
毎日口にするものは、肉体だけでなく、私達の価値観も作ってゆく。食を問うことは、文化を作り、未来を変えてゆくこと、本当に大切なんだと、深く考えさせられたのでした。
『ルポ 貧困大国アメリカ』の取材で、大規模にオートメーション化された畜産現場に大変ショックを受けた時、単純にもう肉食は止めなければ、などと思った事を思い出しました。
考えてみれば、アメリカでは悪いところがあれば切る、足りない栄養素があれば外から足す、という考え方が主流で、それこそが、近代工業的なものの見方だったんですね。いつでも、どこでも、好きなだけ、あらゆるものが便利に手に入ることを目指すグローバル資本主義は、農産物も、畜産も、「生産性」という物差しが最優先される結果、いのちは「モノ」になってゆく。でも、食べ物と工業製品との大きな違いは、食はすべて自然からの「いただきもの」だということなんですね。
工業化された畜産が、動物だけでなく、生産する人間もモノ扱いする手法である事をみれば、気候変動対策で、牛を“悪魔化”するより大事なことが見えるでしょう。問題の本質は、人間VS家畜ではなく、一握りの人々が市場全体を支配する、独占型の構造なのです。個々のフードテックやデジタルなど、テクノロジーは道具にすぎず、そこに善悪はありません。
3年にわたる取材を通して見えてきた“大きな鍵”は日本にあり
――非常に示唆に富んだ視点ですね。
堤 今回の『ルポ 食が壊れる』の3年にわたる取材を通して見えてきたのは、今まさに私たちの食卓を大きく変えようとしているフードテックの裏側や激化する農地争奪戦、デジタル化による新たな支配構造という〈食の文明史的危機〉のみならず、生き物と土の深い循環関係であり、食と農の根源的な再生への道を探る、現場の人々の謙虚さと叡智でした。その果敢な試みは想像を超えて、世界各地で力強く拡がっていたのです。
そして何よりも、この「食と農」という分野では、他でもない私たちの国日本にこそ、これから先の人類と、全ての生き物にとっての持続可能な道へ続く、大きな鍵があったこと。取材を通して触れた、先人達の残してくれたものの価値に、私は改めて、胸がいっぱいになりました。
本書が私たちの生活、社会の中での食のあり方を見つめ直し、未来を選択するヒントになることを願ってやみません。
堤未果(つつみ・みか)
国際ジャーナリスト。東京生まれ。ニューヨーク州立大学国際関係論学科卒、ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連、米国野村證券などを経て現職。米国と日本を中心に政治、経済、医療、教育、農政、エネルギー、公共政策など、公文書と現場取材に基づく幅広い調査報道と各種メディアでの発信を続ける。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で黒田清・日本ジャーナリスト会議新人賞、『ルポ 貧困大国アメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞、新書大賞を受賞。著書に『政府は必ず嘘をつく』『日本が売られる』『デジタル・ファシズム』などがある。WEB番組「月刊アンダーワールド」キャスター。
ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか? (文春新書)
今日の雪景色
今日も一日吹雪模様でした。