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「子育ては親の仕事」という呪縛

2019年07月31日 | 本と雑誌

ハフポストあの人のことば2019年07月30日 

   毛谷村真木

「子育ては親の仕事」という呪縛から自由になろう。内田樹さんが監修、聞き手を堀埜浩二さんが務めるnoteのインタビュー連載『困難な子育て』が書籍化された。

現在、この国の「子育て」を難しくしている問題の多くは、「子育ては親の仕事」という呪縛によるものではないか━━。

 その1つの問いをきっかけに、では、親だけでなく「みんなで育てる」ためにはどうすればいい? 子育てにかかわるみんなが「育てながら学ぶ」ためには? …など、実際に子育て真っ最中の方々に話を聞いたnoteの連載「困難な子育て」。この度、1冊の本にまとめられました。

インタビューに登場するのは大学教授や建築家、会社員など、職業こそ様々ですが、みなさん、思想家・内田樹さんが主宰する道場「凱風館」で「合気道を学んでいる(もしくは、学んでいた)」方々です。

 本にもその内容が詳細に収められる、凱風館で開催された「困難な子育て」のインタビューを受けた皆さんが登壇したフォーラムにお邪魔し、この連載の監修を務める内田樹さんに、ご自身の子育てについて、その楽しさ難しさについて、そして「子育ては本当に困難なのか」話を聞きました。

周りにいる大人がみんな違うことを言うなかで子どもは葛藤し、自立する

 兵庫県神戸市にある「凱風館」は、思想家・内田樹さんの自宅兼合気道の道場でありながら、子どものための能楽教室やマルシェといったイベントの拠点になるなど、いま地域のコミュニティとしてその機能に注目が集まっています。

 道場を通して人と人が繋がり、ゆるく連携し、子育てもシェアするという、凱風館の“場”としてのユニークな機能は、「孤育て」「保活」といった言葉に表れる、子育てがままならない今の社会にとって何か大きなヒントがあるのではないか。

 本書『困難な子育て』は一貫して、子育てが難しい今の状況を悲観することなく、だからこそ「子育てを楽しもう」という気分をつくりながら、この国の「子育てのかたち」と「その営みの本質」に迫ります。

そのコミュニティづくりの中心であり、同書の監修を務める内田樹さんに、話を聞きました。

 

━━「みんなで子育て」を目指す時に大切になってくるのが、子どもの「集団として生きる力」です。それは、どんな「力」ですか?

 「集団として生きる力」というのは、集団の中のどこが自分のいるべき場所で、その中でどんな働きを自分は果たすべきかを知る力のことです。

 凱風館の場合、何もない空間ですけれど、小さい子どもたちをこの空間に放り出すと、大喜びして駆け回ります。でも、そうやって遊びながら「集団として生きる作法」を学習しているんです。みんなと呼吸を合わせて一緒に笑う、人の動線を塞がない…そういうことが集団行動の基本になります。

 武道では「座を見る」という言い方をしますが、これは与えられた空間における自分のいるべき位置を知ることです。頭で考えることではなく、皮膚で感じることです。

 いるべきではないところにいると、身体的なノイズが聴こえるはずなんです。そのノイズが消えるように位置を移動する。

 武道ではこれを「触覚的に空間認知する」というふうに言ったりしますが、「いるべきところ」と「いるべきではないところ」の識別はときには死活的に重要なことですけれど、頭で考えてもわからない。身体感覚を研ぎ澄ますしかない。

 凱風館には少年部があり、4歳から合気道を習うことができます。入ったばかりの頃は、「はい、座って」と言っても、どこにいればいいか分からない。ダマになったり、列を崩してバラバラになったりするんですけれど、2年3年と稽古をしてゆくと、その時の人数に応じて、列を作ったり、一人一人の間の間隔を調整したりできるようになります。俯瞰的に、自分自身を含む風景を見下ろすことができるようになっている。

 これは合気道の技がどうこうという以上に、大切なことだと思います。適切な空間認知ができるようになった。自分と自分の仲間たちが「どこで、何をしているか」を俯瞰で見下ろすことができるというのは、とても大切な社会的能力です。

 というよりも、それができないと社会生活は始まらない。個人としての能力がどれだけ高くても、集団の中で自分がいるべき場所、果たすべき役割がわからない人は他者とコラボレーションすることができないからです。

 ですから、小さい頃から、集団の中に身をおいて、子ども同士身体を触れ合いながら、転げ回って遊ぶことはとても大事なんです。

━━いまの時代、一人っ子の家庭も多く、「集団として生きる力」を子どもが体得する場が少ない気がします。また、親離れ、子離れが難しいとも指摘されますが、子どもの自立には何が必要でしょうか。

 子どもができるだけたくさんの大人と関わりを持ち、できるだけ多様な考え方やふるまい方に触れるようにすることだと思います。

 母親も父親も、学校の先生や、周りにいる大人たちがそれぞれ違うことを言っている中で子どもは葛藤し、葛藤を通じて自立する。周りの大人たちが同一の価値観である環境が子どもの成長には最も有害です。

「可愛い子には旅をさせろ」と言いますが、その通りだと思います。思春期になったら、家という閉じられた文化圏から外へ送り出して、いろいろな経験をさせることが子どもの自立の道です。

━━子育てが難しい社会である一方で、その経験の有無でもまた分断が生まれつつあるように感じています

 子育てしたからといって、いきなり人間的に大きく成長できるわけではありません。それは世の中を見渡しても分かります。幼児的な親はいくらでもいますから。経験から何を引き出すかは一人一人違います。同じ経験をしても、それで成長する人もいるし、しない人もいる。

ただ、子育てには驚くべき発見があるのは確かで、それらは本を読んだり、人から話を聞いて知ることとはレベルの違うリアリティーがあります。

 

自分の子どもが生まれる時も「うまく愛せないんだろう」と思っていた

━━自身の子育てを通して、どのような発見をされましたか。

 僕の場合は、ずっと、子どもが苦手でした(笑)。よその子どもを見てもとくに「かわいい」とも思わなかったし、子どもの方も僕にはなつかなかった。

だから、自分の子どもが生まれる時も「うまく愛せないんだろう」と思ってました。

でも、妻や家族の手前、「愛してるふり」「可愛いと感じてるふり」をしなきゃいけない。妻はそういうのをすぐに見破る人だから、「本当はこの子のこと、愛してないんでしょ!」とずっと言われ続けるんだろうな…と思ってました。

案の定、生まれた瞬間に看護婦さんに「抱いてあげてください」と言われて困り果てました。抱きたくなんかないので。いま、手が滑ってこのタイルの床の上に赤ちゃんを落としたら、どれくらい怒られるだろうと思うと怖くてしようがない。だから、3秒くらい抱いて、すぐに看護婦さんに戻しました。

でも、不思議なもので、生まれて3週間くらい経ったころかな、ある日溢れるような愛情がこみ上げてきて、「なんて可愛いんだ!」と。明らかに内分泌系の異常が起きたんです。「この子のためだったら死んでもいい!」と思えた。

 心理学者の岸田秀さんは「人間は本能が壊れた動物だ」と言われてますけれど、「壊れている」だけで、本能が「なくなった」わけじゃない。それは自分の中に制御不能の「父性愛」が噴き出したときに実感しました。

 たしかに、親は時として自分を犠牲にしても子どもを守らなきゃいけない。DNAを次世代に伝えなきゃいけない。それはたしかに生物としては合理的なふるまいなんです。子どものためになら死んでもいいというような「異常な」感情が発動して、僕はそれに支配された。子どもに対する愛なんて、親が自己決定できるものじゃないということを、その時知りました。

 自分の意志で子どもに対する愛情はコントロールできないということは、実際に子どもを持ってみないと分からないです。

 僕の場合は、その後離婚して、父子家庭で娘を育てることになりました。2人でしばらく生活するうちに、父子家庭ではなく、母子家庭になるしかないということに気がついた。

 

幼い子どもと二人で暮らす場合、「父の仕事」って、ほとんどないんです。「母の仕事」しかない。だから、父親をやめて、母親になることに決めたんです。

娘との12年間のふたり暮らし。あれは「母子家庭」だった

━━性別と役割は切り離して考えるという前提はありますが、「父の仕事」「母の仕事」はどういう意味で、具体的にはどんな変化があったのですか?

 三食、栄養バランスのよいご飯を作って子どもに食べさせる。洗濯して、アイロンをかけて、清潔な服を着せて、天気のいい日はお布団を干して、暖かい布団に寝かせて…という子どもの基本的な生理的欲求を満たすことが、僕がここで言っている「母の仕事」なんですけれど、それを丁寧にやっていたら、もう一日が終わっちゃうんです。「父の仕事」の出番がない。

僕が作ったご飯を子どもがぱくぱく食べているのを見ると、それだけで安堵して、「勉強しろ」とか「宿題やったのか」とか、そんなよけいなこと言う気にもならない。生きてくれていれば、それでいい。

一般的に父親というのは子どもに対して「生きていれば、それでいい」では済まないんです。何か余計なことを期待する。子どもを社会化することを自分の義務だと思ったりする。

でも、母親は違います。子どもの生存のための基本的な欲求を満たすのが主務なわけですけれど、母親をやっていると、それだけで一日分のエネルギーは使い果たしてしまいます。それ以上のことなんかする余力がない。

母親は子どもの衣食住の基本欲求を満たすことができればいい。夜寝る時に子どもが生きていれば、もう「100点ゲット」なわけです。勉強ができようができまいが、友だちがいようがいまいが、そんなことはとりあえず副次的なことに過ぎない。

父子家庭になって、母親としての仕事をするようになって、初めて母親の満足を経験しました。これは父親の仕事を果たすことの満足感とは比べ物にならないと思いました。

結局、父子家庭は12年間続きましたが、僕はあれは「母子家庭」だったと思っています。

━━「子育ては困難、か」というテーマでその難しさだけでなく、楽しさや、ご自身の子育てについてもお話をお伺いしましたが、最後にもう1つだけ…、子育てに終わりはありますか?

親子が一緒に暮らす時間は驚くほど短いです。うちの娘には、18歳になったら家を出るように早くから言っておきました。あとは自立してやってくれ、と。どこでどういうふうに暮らそうと、それは君の自由だよ、と。

 娘は大学に行かずに、東京でバンドやったり、古着屋やったり、ぶらぶらしていたんですけれど、30歳過ぎてから「フランス語がやりたい」のでアテネ・フランセの授業料を出してくれと言ってきました。もちろん、ほいほい出しました。

別に娘だからというわけじゃなくて、僕の家に出入りする若い人たちを支援するのと、それほど違うわけじゃない。若い人の市民的成熟を支援するのは年長者の義務ですから、娘が知性的に成長したいと言って来たら、全力で支援します。僕は若い人には優しいんです(笑)。

 

『困難な子育て』(堀埜浩二/取材・文・構成、監修/内田樹、ブリコルール・パブリッシング)

著者であり、インタビューの聞き手を務める堀埜浩二さんの「結婚や子育てに対する“安心感”を凱風館が提供している」という発見と、「“社会で子どもを育てる”ための場が全国に同時多発的に生まれている」という考察から始まったnoteのインタビュー連載が書籍化。 インタビューを受けた方々と、内田樹さんが、少子化時代の今の日本における「子育てのかたち」について語り合ったフォーラムの内容も収録する。 「余裕がないからできた、集まり、つながり合える『場』」「我が子と自分と、ダブルで生きる人生としての『子育て』」など、新たな地域コミュニティである凱風館の子育てのかたちを紹介。成功も失敗もないはずだけど、どこかうまくいかない、本当にこれでいいの? など、子育てにおけるモヤモヤを抱えている人にとってヒントとなる言葉が詰まった1冊です。

 


暑い日が続きます。
日中もどんよりとした天気でムシムシします。
夜は気温の変化が一番感じられます。
いつもの夏ですと、寝るときに窓を開けて寝ることはほとんどありません。
なのに、今年は開けて寝ても何でもない。
最低気温が20℃以下が普通なのですが、今年は何と24℃もあるのです。

北海道まで亜熱帯の風が吹いているのです。そして、寒帯圏が小さくなっているようです。

蜘蛛の巣にかかった小鳥

 何とも不思議な光景でした。

蜘蛛の巣の真ん中に翼を広げ、逆さまになって貼り付いているのは、蝶ではなく小鳥でした。

蜘蛛の糸が羽をくっつけ、飛ぶことができません。
羽を一枚一枚、糸を取り除きましたがまだ飛べず、草の下に潜り込んでいます。
これで明日まで様子を見てみます。
蜘蛛の糸、すごいですねぇ。

 


女性就業者、初の3000万人突破 6月労働力調査

2019年07月30日 | 社会・経済

  日本経済新聞 2019/7/30

   総務省が30日発表した2019年6月の労働力調査によると、女性の就業者数(原数値)は3003万人と、比較可能な1953年以降で初めて3千万人を突破した。前年同月に比べて53万人増え、就業者全体の伸びの9割近くを女性が占めている。専業主婦らが新たに仕事に就くことが増えているためだ。6月の完全失業率(季節調整値)は2.3%で前月から0.1ポイント下がった。

   男女合わせた就業者は6747万人。女性の就業者が全体の44.5%を占め、09年平均と比べて2.6ポイント上昇した。欧米の主要先進国の大半は40%台後半で、日本もその水準に近づきつつある。

   女性の就業者を年代別にみると、65歳以上の伸びが目立ち、19年6月は359万人と09年平均と比べて145万人増えた。一方、65歳以上の女性の就業率は17.7%で、男性(34.3%)と比べて低く、引き続き増加が見込まれる。日本の人口全体の減少が続くなか、「女性」「高齢者」が働き手の不足を補う意味で存在感を増している。

   女性の生産年齢人口(15~64歳)の就業率は71.3%で、前年同月に比べて1.9ポイント上昇し過去最高になった。年代別では15~24歳は50.5%と、同年代の男性を上回る。25~34歳は78.1%、35~44歳は77.8%と10年前より10ポイント以上高い。

   女性の場合、30歳前後から結婚や出産を機に仕事を辞め、就業率が下がる「M字カーブ」が課題とされてきたが、解消に向かっている。政府による育児休業制度の充実などが寄与した。ただ働き方の多くはパートなど非正規で、女性の雇用者全体の55%を占める。男性の非正規は23%で2倍以上の差がある。

   人手不足を補う性格が根強いため、例えば女性管理職の割合は欧米と比べて低い。独立行政法人の労働政策研究・研修機構によると、日本の管理職に占める女性の比率は16年時点で12.9%。一方、米国は43.8%、フランスは32.9%だ。

   日本では終身雇用と長時間労働を前提とする働き方がなお主流だ。出産や育児で休職や短時間労働が必要になる女性は昇進する際、依然として不利になりやすい。人口の減少が続くなか、安定した経済成長を保つためには働き手の多様化が欠かせない。勤務年数でなく、能力に応じて評価する仕組みづくりなど、男女を問わず働きやすい環境を整える必要がある。

   6月の男女合わせた完全失業者数は前年同月比6万人減の162万人だった。新たに転職活動する人などが減ったことが影響した。一方、厚生労働省が30日発表した6月の有効求人倍率(同)は前月から0.01ポイント低下し1.61倍。低下は2カ月連続だ。正社員の有効求人倍率は1.15倍と、前月から横ばいだった。


人手不足を補う性格が根強い」・・・?
そうだろうか?
65歳を過ぎた女性がそんな理由で就労するとは考えにくいのだが!
「老後の生活費」、2000万、「減り続ける年金」、これらが最大の理由ではないのか?

直売所風景。

品物も増えてきましたが、売れません。
お客さんが来ないというか、人が通らない。
行商に出るか・・・

野イチゴ(ナワシロイチゴ)が赤く熟してきました。


「吉本」とテレビ局の「政権」との癒着を明らかにせよ!

2019年07月29日 | 社会・経済

 夜なのに気温が下がりません。今も25℃以上あるようです。
プラプラと散歩をしてきました。
またホタルに出会えました。
今夜初めて2匹のホタルを見ました。
いつも草の中で光っているのですが、もう1匹はよろよろと空中を飛んでいました。

 昨日は「『政権』のマスコミ対策は・・・・」でしたが、今問題の「吉本」問題も徹底的に明らかにする必要があるだろう。「政権」と「吉本」の癒着が税金の無駄遣い、「おともだち」への還流を招き、根は「森友」と同じところにある。そして「ワイドショ―」で「忖度」発言を繰り返し「世論」誘導に大きな力を得た。同時に、テレビ局と「政権」の癒着も明らかにしなければならない。

朝顔(ヘブンリーブル―)

そして、アジサイ。この色が好き。


「政権」のマスコミ対策は…・

2019年07月28日 | 社会・経済

低投票率はテレビのせい?夏目三久「由々しき事態」と自戒

  女性自身記事投稿日:2019/07/25 

    7月21日に投開票が行われた参議院議員選挙の投票率は48.80%、過去2番目の低さだった。さらに10代の投票率は31.33%と伝えられている。

   この事実を憂う声は多い。選挙前にSNSを通して投票を呼びかけていた古舘寛治(51)は参院選の22日に《投票率が…民主主義の放棄を半分の人がしている。半分が政治に興味がない》とツイート。また井浦新(44)も23日に《考える事を諦めないでこれから起きる政治の動向から目を背けず個々の力をつけて。そして次の選挙はみんなで投票だ!》と呼びかけ、《興味ないとか忙しいはもうナシね自分のことだよ。そしたらきっと変わるから良い方向へ》とつづった。

   投票率の低さについて、茂木健一郎氏(56)は「テレビに責任があるのでは?」と疑問を呈している。茂木氏は参院選の開票直後にTwitterで《日本のテレビって、何やってるの? 投票終わってから選挙特番組んで、膨大なリソース注いで、どんな意味があるの》と投稿。22日にも投票率の低さに触れ《NHKは選挙終わったら突然「憲法改正」が政治日程にどうのこうのとか言い始めたけど、選挙期間中、憲法改正の是非などについてニュースの中で分析、報道していた記憶がないんだけど、どういうことなんだろう?》と疑問を呈した。

   参院選の直前、テレビでは主に吉本興業の問題ばかりが取りざたにされていた。4日から公示されたにも関わらず、政策の比較や精査など有権者にとって重要な情報が報じられる機会に時間を割かれることは極めて少なかった。そういったテレビの姿勢にTwitterでは否定的な声が上がっている。

   《「投票率低い」とか「若者の政治関心がー」とかテレビで垂れ流してるけど、投票日が終わるまで、さんざん無関係な「闇営業」とか「日韓摩擦」とか「タピオカ」ばっかり報道して選挙にも政策にも触れなかったクセに、どの口で言うのさ》

 《もう、日本のテレビに期待するものは何もない! もっと、選挙前に伝えろよ! !投票率だって、選挙前に各党の論戦を伝えれば上がるよ…全然、情報がない

 《次の選挙ではきっと、もっと選挙に関する報道がされるはず。と、期待を抱きつつ、はたしてその希望は叶えられるのか?それくらいテレビにはがっかりさせられてる》

   そんななか、「あさチャン!」(TBS系)でメインキャスターを務める夏目三久(34)が口を開いた。夏目は24日、番組が吉本興業の問題に多くの時間を割いて特集したことに触れた。「これについては様々なご意見があると思いますし、批判もあると思います」と話したあとに突然、「投票率が過去2番目に低かったということもありました」と切り出しこう語った。

「これ由々しき事態だと思うんですよね。日本の未来を担う子供たちが政治に関心を失っているというのは、私たちの報道の仕方に問題があるとも思っていますし、私もこの後、スタッフとしっかり話していきたいと思っています」

投票率の低さを見つめ、自ら語り始めた夏目。ネットでは賛同する声が上がっている。

《選挙前になると、様々な問題があった事を放送しなくなり、開票日以降になってから放送するのは忖度意外のなにものでもない。メディアを名乗るなら、前回の選挙からどんな問題があったかを報道して、有権者が判断出来る情報を流すべき》

 《投票後の結果速報は各局競っているが、局によってそう変わるものではない。投票前にこそ選挙関連番組を多くやるべきだ》

 《国民に真面な判断材料を提供する事が、マスコミに関与するMCの責任ではないでしょうか。芸能人も司会者も自分の考えや意見が言えない日本のマスコミは、正常といえるでしようか》

 


 

   選挙終了後の23日夜NHK,日本テレビ、テレビ東京、「朝日」、「毎日」、「読売」などのメデイア幹部は、赤坂のイタリア料理店で安倍首相と約2時間の会食をしたという。

発行部数激減の新聞業界でこのような「権力との癒着」は、より信頼を裏切り、販売部数をさらに減らすだろう。

「選挙の公正」を理由に政治的圧力をかけられやすい選挙報道は、突っ込んだ取材や批判的な報道を躊躇する傾向にある。政治勢力からの様々なクレームに対処する煩わしさを思うと、つい「事なかれ主義」に逃げてしまう、その背景には、2014年の総選挙前に自民党がテレビ局に「公平」な報道を文書で求め、「政権」からの圧力を露骨に表した。すべて「政権」のもくろみ通り、メデイアへの「忖度」と有権者の「無関心」を達成しつつある。

野の花

大きな桐の葉。

もう、キリギリスが鳴いていると思ったら、ハウスの中まで入ってきた。秋を感じてしまう。


声明ー“韓国は「敵」なのか”

2019年07月27日 | 社会・経済

わたしがフォロワーになっている方のブログ記事を転載させていただきます。

声明ー“韓国は「敵」なのか”に賛同します

  心の中のBYJと共に! 2019-07-27 03:28:23 | つぶやき


昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志の方々77名が、インターネットを通じて声明を発表され、日本の市民に賛同を求めていらっしゃいます。
呼びかけ人の中には多少の意見の違いもあるそうですが、基本的な部分で一致し、悪化の一途を辿る日韓関係を憂慮し、何とかしたいと考えていらっしゃいます。

私は他ブログを訪問していてこの呼びかけを知り、早速賛同の意を表し、ここを訪れて下さる方々にもお知らせしたいと思いました。

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「声明」を発表しました。賛同者募集も準備中です。


 この声明は、昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志が執筆し、インターネットを通じて、日本の市民に賛同を求めるものです。77名の呼びかけをもって発信します。呼びかけ人の中には多少の意見の違いもありますが、基本的な部分で一致しています。

ご賛同いただける方は、下記サイトの賛同フォームにてご署名ください。

第一次の締め切りは、8月15日といたします。状況の推移を見ながら、次の行動を考えたいと思います。

 https://ssl.form-mailer.jp/fms/a466957e630362

 

 日韓関係はいま、悪循環に陥っています。いま、ここで悪循環を止め、深く息を吸って頭を冷やし、冷静な心を取り戻さなければなりません。本来、対立や紛争には、双方に問題があることが多いものです。今回も、日韓政府の双方に問題があると、私たちは思います。しかし、私たちは、日本の市民ですから、まずは、私たちに責任のある日本政府の問題を指摘したいと思います。韓国政府の問題は、韓国の市民たちが批判することでしょう。

 双方の自己批判の間に、対話の空間が生まれます。その対話の中にこそ、この地域の平和と繁栄を生み出す可能性があります。

 

     「声明 韓国は「敵」なのか」世話人一同

 

                         2019年7月25日

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このホームページのURLは、https://peace3appeal.jimdo.com/ です。お広め下さい

連絡先eメールは asia3peace@yahoo.co.jp

 


<声明>  韓国は「敵」なのか

はじめに

 私たちは、7月初め、日本政府が表明した、韓国に対する輸出規制に反対し、即時撤回を求めるものです。半導体製造が韓国経済にとってもつ重要な意義を思えば、この措置が韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない、敵対的な行為であることは明らかです。

 日本政府の措置が出された当初は、昨年の「徴用工」判決とその後の韓国政府の対応に対する報復であると受けとめられましたが、自由貿易の原則に反するとの批判が高まると、日本政府は安全保障上の信頼性が失われたためにとられた措置であると説明しはじめました。これに対して文在寅大統領は7月15日に、「南北関係の発展と朝鮮半島の平和のために力を尽くす韓国政府に対する重大な挑戦だ」とはげしく反論するにいたりました。

 

1、韓国は「敵」なのか

 国と国のあいだには衝突もおこるし、不利益措置がとられることがあります。しかし、相手国のとった措置が気にいらないからといって、対抗措置をとれば、相手を刺激して、逆効果になる場合があります。

 特別な歴史的過去をもつ日本と韓国の場合は、対立するにしても、特別慎重な配慮が必要になります。それは、かつて日本がこの国を侵略し、植民地支配をした歴史があるからです。日本の圧力に「屈した」と見られれば、いかなる政権も、国民から見放されます。日本の報復が韓国の報復を招けば、その連鎖反応の結果は、泥沼です。両国のナショナリズムは、しばらくの間、収拾がつかなくなる可能性があります。このような事態に陥ることは、絶対に避けなければなりません。

 すでに多くの指摘があるように、このたびの措置自身、日本が多大な恩恵を受けてきた自由貿易の原則に反するものですし、日本経済にも大きなマイナスになるものです。しかも来年は「東京オリンピック・パラリンピック」の年です。普通なら、周辺でごたごたが起きてほしくないと考えるのが主催国でしょう。それが、主催国自身が周辺と摩擦を引き起こしてどうするのでしょうか。

 今回の措置で、両国関係はこじれるだけで、日本にとって得るものはまったくないという結果に終わるでしょう。問題の解決には、感情的でなく、冷静で合理的な対話以外にありえないのです。

 思い出されるのは、安倍晋三総理が、本年初めの国会での施政方針演説で、中国、ロシアとの関係改善について述べ、北朝鮮についてさえ「相互不信の殻を破り」、「私自身が金正恩委員長と直接向き合い」、「あらゆるチャンスを逃すことなく」、交渉をしたいと述べた一方で、日韓関係については一言もふれなかったことです。まるで韓国を「相手にせず」という姿勢を誇示したようにみえました。そして、六月末の大阪でのG20の会議のさいには、出席した各国首脳と個別にも会談したのに、韓国の文在寅大統領だけは完全に無視し、立ち話さえもしなかったのです。その上でのこのたびの措置なのです。

 これでは、まるで韓国を「敵」のように扱う措置になっていますが、とんでもない誤りです。韓国は、自由と民主主義を基調とし、東アジアの平和と繁栄をともに築いていく大切な隣人です。

 

2、日韓は未来志向のパートナー

 1998年10月、金大中韓国大統領が来日しました。金大中大統領は、日本の国会で演説し、戦後の日本は議会制民主主義のもと、経済成長を遂げ、アジアへの援助国となると同時に、平和主義を守ってきた、と評価しました。そして日本国民には過去を直視し、歴史をおそれる勇気を、また韓国国民には、戦後大きく変わった日本の姿を評価し、ともに未来に向けて歩もうと呼びかけたのです。日本の国会議員たちも、大きく拍手してこの呼びかけに答えました。軍事政権に何度も殺されそうになった金大中氏を、戦後民主主義の中で育った日本の政治家や市民たちが支援し、救ったということもありました。また日本の多くの人々も、金大中氏が軍事政権の弾圧の中で信念を守り、民主主義のために戦ったことを知っていました。この相互の敬意が、小渕恵三首相と金大中大統領の「日韓パートナーシップ宣言」の基礎となったのです。

 金大中大統領は、なお韓国の国民には日本に対する疑念と不信が強いけれど、日本が戦前の歴史を直視し、また戦後の憲法と民主主義を守って進むならば、ともに未来に向かうことは出来るだろうと大いなる希望を述べたのでした。そして、それまで韓国で禁じられていた日本の大衆文化の開放に踏み切ったのです。

 

3、日韓条約、請求権協定で問題は解決していない

 元徴用工問題について、安倍政権は国際法、国際約束に違反していると繰り返し、述べています。それは1965年に締結された「日韓基本条約」とそれに基づいた「日韓請求権協定」のことを指しています。

 日韓基本条約の第2条は、1910年の韓国併合条約の無効を宣言していますが、韓国と日本ではこの第2条の解釈が対立したままです。というのは、韓国側の解釈では、併合条約は本来無効であり、日本の植民地支配は韓国の同意に基づくものでなく、韓国民に強制されたものであったとなりますが、日本側の解釈では、併合条約は1948年の大韓民国の建国時までは有効であり、両国の合意により日本は韓国を併合したので、植民地支配に対する反省も、謝罪もおこなうつもりがない、ということになっているのです。

 しかし、それから半世紀以上が経ち、日本政府も国民も、変わっていきました。植民地支配が韓国人に損害と苦痛をあたえたことを認め、それは謝罪し、反省すべきことだというのが、大方の日本国民の共通認識になりました。1995年の村山富市首相談話の歴史認識は、1998年の「日韓パートナーシップ宣言」、そして2002年の「日朝平壌宣言」の基礎になっています。この認識を基礎にして、2010年、韓国併合100年の菅直人首相談話をもとりいれて、日本政府が韓国と向き合うならば、現れてくる問題を協力して解決していくことができるはずです。

 問題になっている元徴用工たちの訴訟は民事訴訟であり、被告は日本企業です。まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはずなのに、はじめから日本政府が飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました。元徴用工問題と同様な中国人強制連行・強制労働問題では1972年の日中共同声明による中国政府の戦争賠償の放棄後も、2000年花岡(鹿島建設和解)、2009年西松建設和解、2016年三菱マテリアル和解がなされていますが、その際、日本政府は、民間同士のことだからとして、一切口を挟みませんでした。

 日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎として、存在していますから、尊重されるべきです。しかし、安倍政権が常套句のように繰り返す「解決済み」では決してないのです。日本政府自身、一貫して個人による補償請求の権利を否定していません。この半世紀の間、サハリンの残留韓国人の帰国支援、被爆した韓国人への支援など、植民地支配に起因する個人の被害に対して、日本政府は、工夫しながら補償に代わる措置も行ってきましたし、安倍政権が朴槿恵政権と2015年末に合意した「日韓慰安婦合意」(この評価は様々であり、また、すでに財団は解散していますが)も、韓国側の財団を通じて、日本政府が被害者個人に国費10億円を差し出した事例に他なりません。一方、韓国も、盧武鉉政権時代、植民地被害者に対し法律を制定して個人への補償を行っています。こうした事例を踏まえるならば、議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だと思います。

 現在、仲裁委員会の設置をめぐって「対立」していますが、日韓請求権協定第3条にいう仲裁委員会による解決に最初に着目したのは、2011年8月の「慰安婦問題」に関する韓国憲法裁判所の決定でした。その時は、日本側は仲裁委員会の設置に応じていません。こうした経緯を踏まえて、解決のための誠実な対応が求められています。

 

おわりに

 私たちは、日本政府が韓国に対する輸出規制をただちに撤回し、韓国政府との間で、冷静な対話・議論を開始することを求めるものです。

 いまや1998年の「日韓パートナーシップ宣言」がひらいた日韓の文化交流、市民交流は途方もない規模で展開しています。BTS(防弾少年団)の人気は圧倒的です。テレビの取材にこたえて、「(日本の)女子高生は韓国で生きている」と公然と語っています。300万人が日本から韓国へ旅行して、700万人が韓国から日本を訪問しています。ネトウヨやヘイトスピーチ派がどんなに叫ぼうと、日本と韓国は大切な隣国同士であり、韓国と日本を切り離すことはできないのです。

 安倍首相は、日本国民と韓国国民の仲を裂き、両国民を対立反目させるようなことはやめてください。意見が違えば、手を握ったまま、討論をつづければいいではないですか。

 

 2019年7月25日

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呼びかけ人

 <呼びかけ>(*は世話人) 2019年7月26日 現在77名 

 青木有加(弁護士)

 秋林こずえ(同志社大学教授)

 浅井基文(元外務省職員)

 庵逧由香(立命館大学教授)

 石川亮太(立命館大学教員) 

 石坂浩一(立教大学教員)*

 岩崎稔(東京外国語大学教授)

 殷勇基(弁護士)

 内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)*

 内田雅敏(弁護士)*

 内橋克人(評論家)

 梅林宏道(ピースデポ特別顧問)

 大沢真理(元東京大学教授)

 太田修(同志社大学教授)

 大森典子(弁護士)

 岡田充(共同通信客員論説委員)*

 岡本厚(元「世界」編集長)*

 岡野八代(同志社大学教員)

 荻野富士夫(小樽商科大学名誉教授)

 小田川興(元朝日新聞ソウル支局長)

 大貫康雄(元NHKヨーロッパ総局長)

 勝守真(元秋田大学教員)

 勝村誠 (立命館大学教授)

 桂島宣弘(立命館大学名誉教授)

 金子勝(慶応大学名誉教授)

 我部政明(琉球大学教授)

 鎌田慧(作家)

 香山リカ(精神科医)

 川上詩朗(弁護士)

 川崎哲(ピースボート共同代表)

 小林久公(強制動員真相究明ネットワーク事務局次長)

 小林知子(福岡教育大学教員)

 小森陽一(東京大学名誉教授)

 在間秀和(弁護士)

 佐川亜紀(詩人)

 佐藤学(学習院大学特任教授)

 佐藤学(沖縄国際大学教授)

 佐藤久(翻訳家)

 佐野通夫(こども教育宝仙大学教員)

 島袋純(琉球大学教授)

 宋 基燦(立命館大学准教授)

 高田健(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)

 髙村竜平(秋田大学教育文化学部)

 高橋哲哉(東京大学教授)

 田島泰彦(早稲田大学非常勤講師、元上智大学教授)

 田中宏(一橋大学名誉教授)*

 高嶺朝一(琉球新報元社長)

 谷口誠(元国連大使)

 外村大(東京大学教授)

 中島岳志(東京工業大学教授)

 永田浩三(武蔵大学教授)

 中野晃一(上智大学教授)

 成田龍一(日本女子大学教授)

 西谷修(哲学者)

 波佐場清(立命館大学コリア研究センター上席研究員)

 花房恵美子(関釜裁判支援の会)

 花房敏雄(関釜裁判支援の会元事務局長)

 羽場久美子(青山学院大学教授)

 平野伸人(平和活動支援センター所長)  

 広渡清吾(東京大学名誉教授)

 飛田雄一(神戸学生青年センター館長)

 藤石貴代(新潟大学)

 古川美佳(朝鮮美術文化研究者)

 星川淳(作家・翻訳家)

 星野英一(琉球大学名誉教授)

 布袋敏博(早稲田大学教授・朝鮮文学研究)

 前田哲男(評論家) 

 三浦まり(上智大学教授)

 三島憲一(大阪大学名誉教授)

 美根慶樹(元日朝国交正常化交渉日本政府代表)

 宮内勝典(作家)

 矢野秀喜(朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動事務局長)

 山口二郎(法政大学教授)  

 山田貴夫(フェリス女学院大学・法政大学非常勤講師、ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク事務局)

 山本晴太(弁護士)

 和田春樹(東京大学名誉教授)*

   


なぜ、18歳は選挙に行かなかったのか

2019年07月26日 | 社会・経済

 

なぜ、18歳は選挙に行かなかったのか検証しました。

 

 BLOGS 2019年07月26日

戦後2番目に低い投票率。
悔しすぎます。

この3年間、私がやってきたことを赤裸々に、捨て身の覚悟で書きます。

 

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このブログは、たかまつなな個人の考えです。
所属する組織、勤務先とは一切関係ありません。

ご意見やお問い合わせがある方は、下記までお願いします。
infotaka7@gmail.com
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18歳選挙権の専門家として

私が立ち上げた株式会社 笑下村塾は、年間1〜2万人の方に出張授業をしています。

今回の参議院選挙では、選挙期間中だけでも、13校の学校に選挙に行く大切さを伝える授業をしにいきました。

この資金はクラウドファンディングで集めました。
●「笑いの力で投票率を向上します」
https://camp-fire.jp/projects/view/166465

 

18歳の投票率ワースト10の県で無料で出張授業をしました。ご支援くださった方、ありがとうございます。あと7日ありますので、引き続きご支援お願いします。

私たちは、一番現場をよく知っている団体だと自負しています。

私は、大学院で主権者教育のことを研究しました。
選挙管理委員会とのコラボはじめ、総務省の主権者教育の動画では、監修・出演してます。
18歳選挙権の現場・政策を深く知る専門家の一人でもあると思っています。また中学・高校の教員免許や司書教諭、専修免許も取得したため、学校教育にまつわる法律や歴史なども学びました。

 

18歳選挙権のこと、若者の投票率のことを私が知っている範囲でしっかりと記します。
どうか、メディアの方、ちゃんと伝えてください。お願いします。

キャスターの方に「選挙について報じる量が少なく、私たちメディアにも責任があります」なんて言わせていいんですか。なぜ、きっちりと検証しないのですか。視聴率がとれないから企画が通りにくいと民放の方から愚痴を聞きました。

選挙報道が少なくなる中、テレビ朝日が選挙についてやって数字をとっていたと朝日新聞が報じているのを見ました。なんとか現場から変えていきましょう。まだ遅くありません。なぜ、投票率が低かったのか、きちんと検証し、反省し、視聴者の方に向き合いましょう。。。

これは、個人のブログのため、私の考えも強く出ています。私が3年間見たこと経験をまとめます。

唯一の主権者教育、専門の会社が誕生

私、たかまつななは3年前、18歳選挙権が導入された時に会社を作りました。
それには、理由があります。

会社を作ったのは22歳。
私が生まれてから記憶にある範囲で、初めて、「政治の場で若者が主役になった」のです。

ただ、その時、テレビでやっていた番組はひどいものばかりでした。
若者をスタジオゲストに呼べばなんとかなるという短絡的なものでした。

「面白い教材ないじゃん!」
「だったら、私が作った方がましだ!」
そう思い、新宿のネイキッドロフトでオリジナルの教材を考えライブを開催。

ブームを逃してはいけない。
芸人として、旬には敏感だったので、私は、会社の作り方の本を買い、1週間で会社を作りました。

そして、そこから、私の睡眠時間は1時間になり、クラウドファンディングでお金を集め、全国の学校に飛び回りました。

 

毎日たくさんのメディアが来てくれました。
NHKはじめ、民放、新聞社ー。
総務省も選管もメディアも力を入れた結果、18歳の投票率は、51.17%でした。

20代は35.60%だったのに比べたらまずまず。
しかし、主権者教育の実施率が9割以上だったので、授業で扱ったのにも関わらず、選挙を半分の人が棄権した。
もっといえば、授業をしなくても3割ぐらいの人が投票にいくということは、授業をして投票にいく人は15%ぐらいしか増えないという授業の内容自体を見直さないといけないのではないかと私は思っていました。

戦後2番目に低い投票率

あれから、3年が経ちました。今回の参院選。
メディアだけではなく、教育現場でも、18歳選挙権が忘れ去られていると感じました。

焦って、なんとか選挙を話題をと思い、ひたすら笑下村塾内で議論しました。
出張授業は社長の相川が、SNSは私が責任をおうことになりました。

なんとか選挙のことを若者に届くようにと
・1分で分かる政党の選び方
・若者よ選挙に行くな 動画

などを作りました。

動画は400万回以上再生されました。
twitterだけでも、この2つは、2000万人に届きました。

そして、news zeroやバイキングやスッキリ!などはじめ、民放各局、新聞、ローカル局、ネットメディアでこの動画が流れました。

1日30件ぐらいメディアから問い合わせが殺到しました。

動画は、2時間で撮影し、その日中に編集。
制作費は2万5千円。

相当頑張ったと思います。

「選挙は数字が取れないから企画が通らないけど、こういう動画なら情報番組でも扱えるから助かった」
そんな意見を現場で奮闘する方からもらえて、嬉しかったです。


https://www.youtube.com/watch?v=GLbc9in9zeY

だが、投票率は悲しい結果でした。

今回、投票率は戦後2番目に低かったです。

しかも、18歳の投票率は、34.68%。
3年前は、51%。

むむむむむむむ!!!

こんなに落ちるのか!!
18歳の投票率が低かった理由

18歳の投票率が低かった理由をざっと列挙しました。

若者の感覚的なところは、もちろんありますが、
私は政策的・物理的な環境をみても、下がって仕方がなかったことだと思っています。

●日程

3年前は、6月22日公示、7月10日に投開票。
今回は、7月4日に公示、7月21日に投開票。

テスト期間と重なったり、夏休みに入ったり。

学校は7月中旬から行事がたくさんあります。
行事があると総合学習の時間は動かしにくく、選挙があるから主権者教育をやろうとはなりにくいのです。

3年前、18歳の投票率が2番目に低かった宮崎県の先生に電話で取材したところ、
「大学のオープンキャンパスと重なり上京している子がいた。期日前投票も徒歩では行けず、車を親に出してもらわないといけないから、忙しくて行けなかった。学校を投票所にできないか選挙管理委員会に相談してみたいと思う」と話してくださった。

ちなみに、東京は投票所の数が増えています。東京と地方では、選挙に対する意識や感覚がまるで違う。このことを理解した上で、投票率を理解しないといけません。

 

●投票所の数

 投票所の数というのは、各自治体に委ねられています。あまり大きなニュースにはなりませんでしたが、投票所の数は全国で4万7044カ所で、前回の2016年より858カ所減りました。人口が減る中、投票所の設置に必要な人手が足りないという問題が発生しており、2001年のピーク時より1割も少ないのです。

 著しいのは、青森県は69カ所をなくして931カ所になり、岐阜県は減少幅が最も大きく8.1%(66カ所)になりました。青森は3年前の18歳の投票率が全国で41位と低いので、もしかしたら、投票所の距離が原因の一つの可能性があります。(ここはまだ検証できていません)

 投票所1カ所につき有権者2~5人を立会人として配置しなくてなりません。その対策として、共通投票所というものがあります。2016年の公職選挙法改正で導入された制度で、人が多く集まる商業施設などに設けることができ、その自治体内の有権者ならば誰でも投票できるというものです。
これは今回、45カ所しかありません。二重投票を防ぐシステムにお金がかかるということから普及が遅れているそうです。

 

●副教材

 総務省と文科省が高校生向け副教材「私たちが拓く日本の未来」を18歳選挙権が作られた時に作りました。これが、ページ数が多すぎるし、ただでさえぎゅうぎゅう詰めのカリキュラムにどうやってこれを教え込むのか?先生がこれを読み込むのも大変ですし、なんとマニフェストを比較してみるページは、真っ白で、生徒が調べて記入しなければなりません。

 私各政党のマニフェストを比較すること、それを整理することを毎回やっていますが、それらを中立に扱い抽出しようとすると、多分30〜50時間ぐらいかかっています。
 これを生徒にやらせるの?せめて、選挙の時に総務省がオフィシャルで使えるものをHPにアップして、それをダウンロードできるようにしてほしいと、総務省にお願いしたことがあるのですが、「どの政党を一番最初にもってくるのか」など議員の先生方でもめるだろうから、きっとできないと言われたことがあります。もちろんおっしゃることは分かりますが、あなた方でできないなら、先生は無理だよ…。

 あと公職選挙法においても、マニフェストやポスターを全政党であっても、先生が生徒に印刷して配ることは違反にあたるとのことから控える選挙管理委員会や先生が多いです。となると…架空の政策で模擬投票をするとか、選挙に行こうをこえた授業をすることは困難です。
 笑下村塾の出張授業も、具体的な政党や個別の政策については踏み込んでいません。公職選挙法や学校の先生を守るため、現状のルール化でやることは仕方ないことです。

 私は情報を持つメディアがうまいこと、これから廃れてしまうであろう新聞社が自社の新聞を使いながら、出張授業で選挙に行こうということをやるということができるといいなと思っています。
 大学生の頃から新聞記者の方や報道番組のプロデューサーを捕まえて、このことをプレゼンしていますが、「その危機感は内部にない」みたいなことを言われて撃沈しています。もう大手メディアが殿様の時代は終焉を迎えていることに、どうして購買数とかを見て思えないのかなぁ。新聞なんてもう皆とらないから、新聞の切り抜きの授業とかができない学校現場とか知らないのかなぁ。

 とにかく、現場が使える、使いたくなる副教材を作らないといけないですよね。3年前、私が取材した高校生が「新品のまま持ち帰らされた」とか言っていました。いろんな事情はおありだと思いますが、もう少し現場のニーズにこたえていただきたいものです。

・副教材
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/senkyo/senkyo_nenrei/01.html

 

●啓発予算

 3年前、電通さんが入り、大々的に18歳選挙権のPRが行われました。
 広瀬すずさんと、YouTubeでちょう流行った「本能寺の変」ならぬ「選挙権の変」。写真を送ったら自動的に選挙ポスターが作れる18歳選挙権のサイトを総務省が作りましたが、HPの予算は年度毎に作られており、ドメインの有効期限が1年であっさりと切れてしまい、ふざけてとった大学生が取得してしまったという悲しすぎることがありました。
 省庁のPRについては、名誉職だとおもい、女優さんの契約も通常とは異なる形で、せめて10年とかサイトを残すことはできないのですかね。URLが変わると、SEOとかも落ちちゃいますよね。

 私の知り合いの人が手がけていたのですが、すごくセンスがある方で、行政っぽくないポップさとかがあったんですけどねー。全国で藤田ニコルさんと主権者教育のNPOさん、人気ラジオとコラボしたイベントなどを総務省が実施していて、若者にリーチすることができていて、予算が多すぎたかなどは検証の余地があると思いますが、一定の効果はあったと思います。
 東京都の選挙管理委員会も、選挙!選挙!しか言っていませんでしたが、アニメーションと、りゅうちぇるさんを面白くミックスさせ話題になっていましたよね。めちゃくちゃお金かかっていそうでしたが。。。当時私は懐疑的でしたが、選挙があること以外、何も伝わらないから!!
 ですが、選挙があること自体知らない若者が多かった今回の参議院選挙では、もしかしたら、この手のやつが有効だったかもしれませんね。

 

●総務省

 総務省の中でも、本当に頑張っている方はたくさんいらっしゃいます。ネット投票だって実現したいと、投票率だってあげたいという方もいます。何より、お騒がせガール、たかまつななと一緒に動画を作ってくださったってだけで、私としては、挑戦的!だと驚きました。
 以前、総務省の方とお仕事させていただいた時に、「統一地方選、参院選で18歳選挙のことなにかやりますか?」と聞いたら、「国政選挙で、初めて導入されたから、前回の参院選ではやりましたが、個別の選挙においてはやりません」と言われ、衝撃と、そうだよなーと落胆したのを覚えています。
 ですが、動画を作るということを総務省もやっています。よかったら、ガチャピン・ムックとコント風に、政治とは何か、民主主義とは何か、投票率の不思議について学べますので、ご覧ください。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/senkyo/manabe_senkyokkyo/index.html

 個人的にこのように学校現場で使えるものを作っているのに、サイトがみにくかったり、これ学校の先生や全国の選挙管理委員会向けに作られていますが、どこまで届いているのかなぁと心配になります。
 何より、若者よ選挙に行くな が400万回見られているのに対して、これが1500回というのは、悲しすぎます。やはりストレートに言ったって伝わらない。毒やエッジをつけないとダメなのかな。どちらの伝え方も知っているだけに、どの時にどんな手法で、どこに出すかって本当に悩みます。
 正直、現公職選挙法の元だと、学校現場で、具体的な政治イシューやマニフェスト比較など主権者教育をやるのは相当難しく、現場の勇気が必要なので、教育現場、教室の中での適用方法などを見直してほしいと個人的には思います。どうか、総務省の偉い方、お願いします。

●文科省

 実は、ここが笑下村塾としても、たかまつななとしても関わりが少なかったのですが、一番心配なんです。でも、事情としては仕方ないですよね。。学校現場では、長らく政治とは距離が置かれてきました。それは偏向教育の歴史からです。
 ざっくり言うと、戦争の時、全体主義的な教育、「国の政策には絶対従え!」と、したことを反省し、政治教育を認めるようにしたのですが、実際に偏った教育が過激に行われてしまいました。それを制限するのに苦労した歴史があることは、政治と教育を語る上で理解しなければなりません。
 教育基本法第十四条には「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない」とありますが、第二項には「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」とあります。
 強い政治思想に侵されないために、政治的中立を保つために、長らく教育現場がとってきた対応は、政治には触れない。そのことで中立性を保っていたんです。って、そんなギャグみたいなことあるんかい…。副教材を見ても思うんですが、抽象的な禁止事項が列挙されているから、正直よく分からない。私が校長でも、担任でも、社会科の先生でも怖くてこれじゃできないです。
 ですが、文科省が教育現場に及ぼす力は、絶大なので、3年前の主権者教育をやろう、でも注意点はここだぜ、的な通知を出し、結果9割以上の学校が主権者教育を実施しました。

・これは、政策上とても大事な通知なので一応リンクはっておきます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1363082.htm
 文科省が現場の先生を守る仕組みなどを形成しながら、現場に時間をとれよとプレッシャーをかければ、一定の効果は出ると思います。

●内閣府

 ここの方とも、お話したことがあります。主権者教育のための予算を縦割りで出せないなら、ここから捻出するのはどうかなと思いましたが、予算をつける=主権者教育を教育現場でできないと認定するのは難しいというお話でした。投票率半分なのに、そんなこと言うの?って驚きましたよ、正直。
 私の会社は、なんとか、お金をいただけるところからいただくというスタンスをとっているので、企業研修や講演会など黒字化できた部分や、クラウドファンディング、オンラインサロンの売り上げをお金がない学校へ補填し、なんとか出張授業にまわしていますが、お金が集まらず、主権者教育の出張授業から撤退する団体や寄付が集まらず困っているNPOを見てきたので、行政の補助金でまわり、自立性のないNPOなどもよくないなとは思っていましたが、本来は投票率アップは国がやるべきことだから、もう少し予算がついてもいいのにとずっと思っていました。
 というか、後輩たちも、学生が主体となって頑張っているから、予算つけてほしいです。公職選挙法に違反していないかどうか教材をチェックしつつ、官民連携するみたいなことできないですかねー。

 

●財務省

 実は、たかまつ個人がめちゃくちゃ期待しているのは財務省です。たまに意見交換をさせていただいたり、笑下村塾で研修などさせてもらったことがあります。
 期待している理由は、財政教育というのを官僚が手弁当でやっています。借金があってお金が足りない、増税の理解とかって財政のこと勉強しないといけないですよねというのが動機みたいです。政治家は、お金を削りました!と財務省を完全敵とみなす、or予算をつけてくれ!攻撃だから、そこに国民の高い関心を集め、できる限り、しがらみから関与をさけたいという狙いですね。
 財政教育から、何にいくら使われているか国民が知り、予算の配分を変えて欲しいと意見を持ち始めるのは、とても大事なことだと思います。単に増税して財源を増やせばいいわけではもちろんないので(削れるところ削ったりも必要だし)難しいところですが、財務省が今の流れも踏まえ、やる意義があるからこそ、期待できると思っています。
 お金に常に厳しいため、自分たちの省で広報費などにお金をかけると、無駄づかいじゃないかと批判されることが多く、あまり広報などのお金を使えないのが弱点みたいですが。。

●現場の先生の不安

 現場の先生は、そりゃ不安ですよね。教育委員会に言われたらどうしよう。実際3年前の参院選でも直後に、議員が政治的中立をおかしていなかったか調査しようとしたことがありました。このことは、相当な批判が集まりすぐに、その議員さんは撤回しました。
 現場の先生の不安の声は私のもとに何度も届きました。だから、選挙管理委員会に丸投げというところが多いのですが、選挙管理委員会は選挙のプロであって、教えるプロではないんです。だから、私たちは伝えるプロであるお笑い芸人が出張授業にいっています。政治的中立にやる、政治の授業をやるコマを確保するのに苦労されているのが私の印象です。

●主権者教育のNPO

 政治にお金を払う企業なんてない。これが市場原理です。しかも少子化。予備校が潰れる時代。教育の市場も圧縮。政治の教育なんて、儲からないし、わかりにくい課題だから寄付も集まりにくいんです。だから、出張授業をメインにしないところが多くなってしまったというのが私が感じる悲しいところです。

 

●政治を語る雰囲気

 なんか、政治オジさまに、「君、これ知っている?」とマウントをとられます。「こんなことも知らないの?僕が教えてあげる。」これが正直うざすぎます。テレビ番組でも、twitterでも、何度もされました。「はぁ??????」「うざいいーーーー」。
 あと、会社や学校、組織が政治を語ってはいけない雰囲気を出しすぎです。組織と個人は完全にわけるべきです。私、たかまつだって、今回は●●党にいれましたーとか、気軽に言えるようにしたいです。その勇気はありません。多分、すべてを失います。ごめんなさい。
 でも、皆がそういうこと言えるといいですよね。芸能人がテレビで、どこに入れたとか自由闊達にいえるといいですよね。政治的な人間は、ダークなイメージで排除するのは、やばい社会だなと思います。

●若者のイシューがなかった

 18歳がめちゃくちゃ困るわかりやすいイシューが今回はなかったですよね。徴兵制をやります!ぐらい言わないと、若者は動き出さないのかなと、あるテレビ局の政治の解説委員の人と話したことがあります。もちろん教育政策として、奨学金のことを踏み込むところはありましたが、全体の争点や関心時としては低かったですよね。

●ネット投票できない

 ネット投票できたら、ラインで投票できたら、絶対に行きますよね。でも、私はこの理屈をいう文化人は信用していないです。

あまりにも、その意見が届くので、私は先日こんな投稿をしました。

「ネットで投票できたら行くのに〜と嘆く方へ。若者が選挙に行けば、ネット投票が実現できるかも〜と私は思います。ネット投票をできる法律を作れるのは、政治家です。多くの若者が選挙に行くと、当選するために「ネット投票を実現します!」という政治家が出現するかも。選挙で若者の存在感を示しよう!」

ネット投票をやるのが難しいのは下記3つです。

 

①法律を大幅に変えなきゃいけない
 選挙がまるで違うゲームになってしまう。
自分の選挙区が100人の村だったら。50人しか選挙にいかない。
25人支持されたから、当選できていた。
100人が選挙にいったら、あと25人ぐらいに支持されなきゃいけない。
今までの倍?むり、しんどいよー。ってとこです。
熱心なファンがいる人や政党ほど、投票率が低い方が、得ですよね。
投票率が倍まであがるのは極端な例かもしれませんが、若者に限ったらありえるかもですよね。もともと低いし。無党派層を獲得するのって、なかなか政治家にとっては不安ですよ。
 私が政治家なら、このまま投票率が低い方がありがたいです。

②セキュリティ
 サイバー攻撃にあったら、どうしようというものです。
海外のハッカーから狙われる?この辺は、私も技術的にできるという人もいれば、難しいという方もいらっしゃりよく分かりません。
 ネット投票ができた時に、技術提供できるように準備する会社が選挙をわかりやすく伝えるサイトを運営しており、たまにネット選挙に関する記事を書いているのをみて、ステマではないのでしょうが、そんな印象を事情を知る者としては感じてしまい怖いとか思ってしまいます。めちゃくちゃ便利なサイトなのですが。。。政治で儲かる企業、ありましたね!政治で儲かる人は、あと世論調査の会社と選挙のPRをできる会社ですね。
 そこの良心的な方たちが、主権者教育や勉強会などを企画されているのは、よく見ます。選挙のことを知るからこそ、強い危機感を感じていらっしゃるのでしょうね。

③投票先の秘密をどう守るか
 今ここで、俺の前で投票しろ!みたいなこと、絶対おこりますよね。恐喝されるのはよくないですよね。組合の会合で、全員隣の人のチェックのもと、今から投票しましょうみたいなのって、めちゃくちゃ怖いですよね。投票しているところを動画で撮影しろとか、いろいろ危ない香りがぷんぷんとします。。
 ネット投票やれば…という人は、なんと絵空事をと正直思ってしまいます。高校生がいうのは、まだしも、大学教授がそういうコメントをしていたりするのをみると、驚いちゃいます。

●メディア

 選挙報道が少なくなったと朝日新聞が報じていました。選挙翌日も、吉本の内紛ばかりで、なんだこりゃと残念でした。吉本を扱うなら、反社とどう向き合うべきかじゃないの。1分早く当確を伝えることって、なんで大事なんだっけ?政治的公平に報道する=政治を報道しないとは違うよねってことの再認識。か、現場の人を守るルールなのかなぁ。教育も一緒ですよね。扱う人が守られるルールを作り、それが誰が見てもわかるルールが不可欠ですよね。

投票率を諦める同志たち

悔しすぎて、投票日翌日、投票率を高くするために戦う仲間たちに電話取材をして、YouTubeで生配信をしました。

マスコミの方、取材先探している方必見です。
https://www.youtube.com/watch?v=7LoD7YcHObs

 2時間生放送で、本当に主要な「若者に政治を伝える」団体がたくさん出演してくださりました。
ただ、誠に残念なことに、「今回の投票率どう思いましたか?」と聞いたら、ほとんどの方が予想通りみたいな言い方をされたのです。。。

 いや、もちろん低いという予想は出ていたけど、悔しいとか悲しいとか、何もできなかったとか無念とかそういう感情が先じゃないのかなって。私の質問の仕方が悪かったのかもしれないし、今回低い予想なんて皆していたから、投票率をあげるなんて、夢物語だったかもしれない。

 

でも、私たちでさえ、夢を見なかったら、誰も夢をみれないよって、本当に悔しくなりました。

常に捨て身のお笑い芸人だったからかなぁ。
誰にも知られていない。
路上ライブで素通りされる。
そんなところから、テレビにでるところまで経験できたからかなぁ。

資本金1円で貯金0円で会社作ったり、底辺からのスタートだったからかなぁ。

頑張れば、果てしなく遠い夢も近づくことがあるって知っているからかなぁ。

 

いろんなアプローチの団体が必要だし、考え方を否定する前に、市場を広げることは大事。

でも、やっぱりもっと大きな夢をみんなで抱いて、あの業界おもしろそうって思わせたい。

M1とかってそうじゃないですか。

一夜でスターになって、みんなあれに、憧れて、お笑いはじめるわけじゃないですか。

今、主権者教育の会社が熱い!そう思わせるために、私は株式会社にしました。
いつか、めちゃくちゃ儲ける。政治を伝えることが市場になることを示し、ライバルを増やします。

芸人の先輩 伊集院光さんに会社を作った時に、相談させていただいた際に
「でんじろう先生が科学教材を作った。今じゃ本屋じゃ当たり前に並んでいるけど、当時科学教材がお金になるなんて皆思っていなかった。だから政治もできる」
とおっしゃっていただき、めちゃくちゃ頑張ろうと思いました。

私が池上彰さんに憧れているのは、政治が数字のとれるコンテンツだと書籍の売り上げでも、視聴率でもしめしたことです。

数字って、継続には大事。だから、まだまだですが、笑下村塾では、これから追い求めていきたいと思っています。

政治家は若者の投票率をあげるのに本気ではない

18歳選挙権導入の政治的な背景を考えると、とても分かりやすいのですが、それは、長くなりそうなので、また行います。

やっぱり、根幹はここだったりします。

政党とか政治家の方個人の名前を具体的に出すことは控えます。
私は若者の投票率があがれば、彼らがどこにいれてもいいと思っています。
どこかに誘導したいわけじゃありません。

考え抜いた一票も、適当にいれた一票も同じ一票なのが民主主義の不思議なところで、難しさですよね。投票の質についてうるさくいい、投票にいくことだけを促すのはポピュリズムだ!と主張され、私を怒る方がいますが、それには納得がいきません。

そういうことを言う厄介な人がいるから、じゃあ行くの辞めようと考えてしまうと思います。というより、私はお笑いで敷居を下げるから、あなたは投票の質をあげてくださいよ。仲間割れしている場合じゃないし、なんで20も下の子の活動をそんなに否定するのか?ださくない?と心の中で不満をぶちまけております。

ちなみに、私たちは若者の投票率アップを目指しているだけで、どこの党に恣意的に誘導しているなどという意図は当たり前ですが、一切ありません。

その上でですが、現状を分析しますと、若者は比較的現在は、与党を支持しております。

野党はあまり頑張っても、自分たちが得をしません。
一方で与党も、若者の支持は消極的選択であり、消去法で選ばれたりしているため、熱心な党員ではないことなんて、ちゃんと認識しているため、そこを死ぬ気で掘り起こそうとはしません。

20年近く前、当時の森喜朗首相が、無党派層の人に向け、「(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれど……」と言いました。それだけ、無党派層を恐れているのです。

18歳選挙権を風化させないために、国会で芸人100人ライブをやったんですよ。

 

芸人100人×学生×議員をあつめる
ライブで、結果は大盛況だったんですが、議員さんを集めるのが一番苦労しました。
悔しかったなぁー。

お忙しい方々だし、こちらも急な開催だったし、新年会シーズンと重なってしまいましたが…。

今の若手議員の方々は、これからビックリするぐらい、選挙の戦い方がかわることを意識された方がいいと思います。会社でも、20、30代の若手の感覚と、50代、60代の感覚の乖離がすごくないですか?
今の20代、30代も、あと10~30年後、投票率があがって、影響力を持ち始めたときに、SNSで情報を判断する。そのときに、どう見られるかを考えた方がいいと思います。個人の発信力を高めることができるコンサルタントなんてなかなかいないですし。

今回諸派で頑張られたところは、そういうところを上手くついたのではないかと思いました。

長くなりましたが、ここ3年私が感じたところです。
感覚的なところもあります。

それ違う、実はこうじゃないかという意見、どしどしお待ちしています。
深夜に書いているため、誤字脱字、お許しください。

他の人の課題ばかりあげつらったので、笑下村塾がどんなことに、どのように挑戦し、失敗したか、次回どのように向き合うべきなのかなどきっちりと、また書きます。

 

<仲間募集中>

また、政治を分かりやすく伝えることに今後も注力したいので
・ライター
・文章の編集やディレクション
・イラスト
・動画編集
などできる方を探しています。

社会人の方も学生の方も週1ぐらい〜、時給1000円で副業的にやってもいいという方いらっしゃいませんか。

アウトプットの量が、全然追いつかないので、お手伝いいただきたいです。

この文章を最後まで読めたということは、きっとできると思っています。

下記まで、過去の実績や思いなどを書いてください。
infotaka7@gmail.com

またまだまだクラウドファンディングのご支援もお待ちしています。

あと6日です。
https://camp-fire.jp/projects/view/166465

すでにご支援いただいたみなさま、ありがとうございます。
引き続きご拡散お願いします。

18歳の投票率が低い10の県で出張授業をしました。

笑いの力で若者の投票率を向上するため、どうかお力添え下さい。

 

ちなみに、学校での出張授業を書籍化しました。

「政治の絵本」よろしければ、ご一読くださいませ〜。
https://www.amazon.co.jp/dp/4335460406/


画像が多く掲載されていましたが割愛させていただきました。

政治に、選挙に関心を持ってもらうような施策ががほとんどありません。各学校の構内にポスター掲示板を作るなど、少しでも関心がもたれ、話題になるよう配慮しなければいけませんが、関心を持たれたら困るのでしょう。せっかく寝た子を起こしたくはないのです。「(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれど……」

 久しぶりのほぼ一日雨の天気です。
とうきびが穂を出し、かんじんな肥大期に入るとき、恵みの雨です。
夜の気温がやや高めで、最低気温が20℃を超えています。
野菜にとって最低気温20度越えは避けたいところですが・・・


雨宮処凛がゆく! 第490回:重度障害者二人が国会に!! れいわ新選組の快進撃。の巻

2019年07月25日 | 社会・経済

 マガジン9 2019年7月24日

    https://maga9.jp/190724-2/

   2019日7月21日。おそらく世界初の「ALSの国会議員」が誕生した。

   れいわ新選組・特定枠1位のふなごやすひこさんだ。

   特定枠2位の重度障害者・木村英子さんも当選となった。

 比例3位だった山本太郎氏は、90万票以上を取りながら落選。ぶっちぎりで過去最多の票を獲得した落選者という伝説を作った。

 そうして2議席を獲得したれいわ新選組は、政党要件を獲得した。

 開票後の記者会見で、ふなごさんは「本当に今日というこの瞬間が来たことに胸がいっぱいです」とスピーチで述べた。

 「さて、私はこの選挙期間中、山本代表の合理的配慮の実践の数々に触れました。新橋では、私の乗る大型車椅子に人がぶつかるからこの位置にいてほしいと自ら警備スタッフの方に声をかけたり、新宿では介護スタッフに椅子を出したりしていました。

 この優しさにつながる合理的配慮を実践する男、山本太郎こそ、これから我が国を、日本を優しい国にする人です」

 「今回の選挙戦で、皆さんの行動が少し変わってきたように感じました。

 障害者優先エレベーターに乗り込もうとしても、いつもいっぱいで乗るまでに相当な時間を要することがあります。エレベーターの扉が開き、車椅子で待っていると『優先でしたね、降ります』という言葉が聞こえました。

 国民の皆さんの意識が少し変わってきたように思えました。小さいことかもしれませんが、このようなことが大事だと思います。

 国会に入れてもらうために、皆さんはきっといろいろなことを考えてくださると思います。大変な面倒なことかもしれません。でもよろしくお願いします。

 ところで、今回なぜ私が立候補しようと思ったのかを申しますと、自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくないと考えたからです」

 「僕は、変えたい。こんな矛盾を変えたい。どこか弱々しく見える僕ですが、根性だけは人一倍、命がけなのですから。これからが勝負です。どうぞどうぞよろしくお願いします」

 また、やはりこの日、会見した木村さんは以下のように語った。

 「みなさんからたくさん応援を頂いて、そしてまた厳しい現状にある障害者の人の一票一票が私の心にすごく突き刺さっています。頑張らなきゃという思いです。頑張らせてください」

 振り返ってみれば、記憶がないような17日間だった。

 そしてもちろん、すべては選挙前から始まっていた。

 例えばこの日、ふなごさん当確が出た直後、開票を見守る現場で太郎氏は支援者の方々に一人の女性を紹介した。それは川口有美子さん。自らALSの母親の介護をしてきた人で、日本ALS協会元理事だ。太郎さんは、「ふなごさんと自分を繋げてくれた人」として川口さんを紹介。この日、「こんな嬉しいことあるの?」と何度も口にしていた川口さんは、ふなごさん当確に「ギネスブックに載るかもしれない!」と喜びを爆発させた。

 そんな川口さんと太郎氏と3人で作戦会議をしたのは6月なかば。そこでふなごさんの話になり、繋いで頂き、初めて会いに行ったのが6月24日。人工呼吸器をつけてベッドに横たわるふなごさんに「国会で一緒にやりませんか」と熱く語りかける太郎氏の姿を見て、「空気読まない」もここまでくれば芸術だな、とすら思っていた。だって、全身麻痺で人工呼吸器を装着した人が立候補して国会議員を目指すなんて、命そのものを赤の他人である山本太郎に預けるのと同じことである。

 一度松戸の市議選に出ていることは知っていたものの、まぁ、無理だろう。そんなふうに思っていたその2日後だ。太郎氏のもとに介助者を介して「OK」という返事が来たのは。

 全身に鳥肌が立った。あの瞬間から、私の中でも完全にスイッチが入った。本当に、命がけで選挙に出る人がいる。これは全身全霊でサポートしなければ、と。

 選挙戦が始まってみれば、連日、最前列には続々と車椅子が増えていった。また、ALSや、車椅子の重度障害者たちがふなごさん、木村さんの応援にために駆けつけてくれた。

 7月13日、渋谷の街宣には、ふなごさんと同じALSの岡部宏生さんが応援に来て介助者の代読という形でスピーチしてくれた。19日、新橋SL広場で開催された「れいわ祭2」には、ALS歴34年の橋本みさおさんと子どもの頃の脳梗塞で障害を持った天畠大輔さんが来てくれた。口のわずかな動きを介助者が「あ、か、さ、た、な」と読んでいくやり方で時間をかけてスピーチがなされ、どこに行っても笑いをとる橋本さんは「橋本はピンクが好きなので、れいわ新選組の色にピンクを使わないでほしかった」と言って観客を沸かせた。

 病歴の長い橋本さんは、ふなごさんより麻痺が進んでいて表情筋がほぼ動かない。介助者が口の動きを読み取っている姿を見ても、側からはまったくその動きはわからないほどに。そして「一切発話できない」という天畠さんも介助者とのやりとりでスピーチ。そんな重い障害を持つ天畠さんは、立命館大学の大学院博士課程を修了している。障害があったって、なんだってできるということを体現しているのだ。

 選挙最終日には、筋ジストロフィーの小田政利さん、進行性難病の海老原宏美さん、筋ジストロフィーの梶山紘平さんが応援に来てくれた。3人とも人工呼吸器ユーザーでありながら、3人ともが一人暮らしをしている。ステージの上からそう告げると、みんなが一斉に驚いた顔をした。ちなみにALSで気管切開をして人工呼吸器をつけるふなごさんは喋れず、口からは食べられないけれど、筋ジスの二人は人工呼吸器をつけても話せて口から食べられるという。一口に人工呼吸器ユーザーと言ってもいろいろあるのだと、私自身が日々学んだ。

 小田さんがスピーチの冒頭、「みなさーん、ちょっと聞いてください。いきなりですが、僕、生きててもいいですか?」と問いかけると、みんな「生きてていいぞー!」と叫んだ。梶山さんは、「僕には能力がありません。学歴も職歴もありません。では何をやってきたか。不平等な社会で、34年間、死に物狂いで生きてきました」と語ると、大きな拍手が辺りを包んだ。

 ハートネットTVなどでおなじみの海老原さんは、個人的に前からファンだったので会えて嬉しかった。呼吸器を小脇に抱えて世界を旅し、日本酒が大好きという彼女の毒舌はいつも番組でも冴えていて「清く正しい障害者」像をいつもぶち壊してくれるのだが、そんな彼女はこの日、真剣な顔で自分たち障害者が運動を重ねて地域生活を勝ち取ってきたことを話した。

 「私たちは、ただ口を開けて、手をこまねいて自分たちの地域生活の権利というものが与えられることを待っていたわけではありません。自分たちの姿を社会にさらし、人目にさらし、時には社会から大きな批判を受けながら、浴びながら、自分たちの地域生活の権利や、命の権利というものを勝ち取ってきたんです。

 なぜ私たちがそれだけ頑張れたのか。命を縮めながら、障害の重度化を起こしながら、なぜこんなに頑張ってきているのか。それは、重度障害者、社会のなんの役にも立たない、生産性がないと言われているような私たち重度障害者が安心して生きていける社会というのは、すべての人にとって安心し生きていける社会だということを、私たちが一番よく知っているからです」

 そして開票日、ふなごさん、木村さんという重度障害者議員が誕生した。

 早速参議院がふなごさんに聞き取りをしたいということで、私も同席するつもりだ。

 これから、この国のバリアフリーは国会主導でバリバリと音を立てて進んでいく。

 これが「革命」じゃなくて、何が革命なんだろう。

 れいわ新選組のすべての候補者たち、最高の戦いを見せてくれてありがとうございました。

 「障害者観が変わった」という声と同じくらい、「選挙観が変わった」という声をたくさん聞いた。「こんなにワクワクした選挙、初めて」という声も。そらすべて、れいわ新選組の多様で多彩で空気を読まない候補者たちのなせる技だろう。

 そんなれいわ新選組に、たった3ヶ月で4億円の寄付が集まったことにも胸が震える。山本太郎は、これをみんなの「悲鳴だ」と語っていた。なんとかしてこの政治を変えてくれ、という悲鳴。私もまったく同感である。

 そして、それぞれの野党候補者も素晴らしい戦いを見せてくれた。

 参院選、お疲れさまでした!

 ここからまた、次の戦いが始まる。

 


 北海道は今日あたりから学校は夏休みに入るのだろうか?
ぜひ子供を連れて当園に遊びに来てほしい。
いや、おひとりさまでも構わない。
自然の中に身を置くことは心身をリフレッシュさせてくれるだろう。
ここはただの畑ではないのだぁ!

あなたの「居場所」にしてください。

昨日、ようやく地元の「設備会社」が来てくれた。
昨年からの依頼、何度も顔を出してお願いしたのだが、・・・
とにかく水が出るように、ポンプを交換してほしいと。
簡易浄化槽はそのあとでもいいからということで。
それでだめなら自分でポンプを買ってきて自分でやる、と言ってきたのです。
浄化槽にかかるまで金は払わん!


 


日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡される“ハゲタカ”問題を考える(3)医療編

2019年07月24日 | 社会・経済

「1錠約1600円の薬が突然1錠9万円に値上げ」薬価のカラクリと投機――内田樹×堤未果

文春オンライン

内田 樹             堤 未果

 右肩上がりに膨れつづける医療費は、平成29年度に42.2兆円を記録した。国家予算のゆうに4割以上を医療費が占め、すでに国民の4人に1人が65歳以上の未曾有の超高齢化社会において、国民皆保険、医療制度の崩壊をいかにして防ぐことができるのか。知の巨人と気鋭のジャーナリストが喫緊の難問に挑む。

 ◆◆◆

医療の再建をどう行うか

内田 人口減少社会においては、国家予算の相当部分を医療費が占めることになります。ですから、医療と保険のシステムをどう設計するのかということが緊急の政策課題になる。でも、これは非常に多くのファクターが絡むので、専門的なチームが必要です。先ほど申し上げたように、これは医療経済学の仕事です。医療と経済の両方のことがわかる専門家が必要になる。アメリカは医療経済学のプロフェッサーが500人ほどいるのに対して、日本はポストが5つしかないそうです。医学、経済学、数学、疫学、統計学を横断的に一望できる研究者の数が日本では圧倒的に不足している。でも、そういう人でないと、これからの医療政策や保険制度について提言できない。

 医療と経済の問題は、まさにこれからの日本にとってとても重要な知見だと思います。つい先日名古屋に行って、皆保険と医療の未来というテーマで講演し、国民皆保険制度と薬価について触れました。例えば今年5月に保険に収載された「キムリア」という白血病の薬(CD19 CAR-T製剤)はとても高額で、前後に必要な検査費用や入院費、抗がん剤なども入れると一回4000万円を超えてしまう。製薬メーカー側は患者数はピーク時で216人という数字を出していますが、名大名誉教授で小児科医の小島勢二氏によるとそれは現時点での話で、潜在的患者数は1万人、今後拡大して行く事を懸念されていました。もちろん薬を売るほうからすると、絶対にとりっぱぐれのない国保に入りたいでしょう。保険証があれば自己負担数十万円で投与できるので患者さんたちは喜びますから政府への反対も出ない。でも本当にそれで良いのでしょうか? 国民皆保険制度があれば高い薬を出し放題という今の仕組みをよく考えてみてください。今回のキムリアのように、保険に収載すればそれが前例となりますから、海外の製薬メーカーや投資家は続々と後に続こうとしてこの市場に入ってくるでしょう。

内田 国保で高額の医薬品をどんどん認可していくと患者は喜ぶし、製薬会社も喜びます。これを禁止すると、「金がある人間だけが高額の新薬で治療を受けられ、金がない人間は死ねということか」という批判が必ずある。それはたしかに正論なんです。でも、患者と、製薬会社と、「政治的に正しい人たち」の言い分をすべて聞いていたら、国保は持たない。

堤 ええ、講演でもまさにその話をしたんです。そもそも4000万円という薬価ですが、じつは名古屋大学が独自に開発して今臨床研究中のCAR-T製剤は費用が100万円程で済むという。

 これを聞いた時、つくづく考えさせられました。私たち日本人は特に疑問もなく、「薬は高いもの」だと思い込まされている、と。

 高騰しつづける「投機対象」の薬

内田 製薬会社は薬価の積算根拠を示さないですよね。「企業秘密です」と言って。

 そう、企業秘密ですね。医療をテーマにした本の取材の時に驚いたのは、高額な医薬品の実際の原価を出した団体がヨーロッパで猛烈なバッシングを受けていた事です。薬の場合、開発費以外の費用もとてもかかりますから、例えば企業買収費用や特許料、設備投資などがどんどん価格転嫁されて高くなってゆく。広告費も莫大です。日本は皆保険があるから薬価を精査する公的インフラがありますが、アメリカは政府が薬価交渉権を持ってないから企業側の言い値になっていて、とにかく高い。例えば、HIVで免疫が低くなった患者さんに処方される薬の会社を買収した若い投資家がいたんですね。1錠約1600円の薬でそれだってけっこう高いんですが、買収後にその社長さん、いくら値上げしたと思います?

内田 10倍ぐらい?

 55倍。1錠9万円にしたんです。これはさすがに大騒ぎになって大炎上したんですが、合法は合法です。買収費用に弁護士費用、諸々かかっているんだというのが言い分でした。結局、あまりにも炎上したので渋々下げました。4万3000円に。それだって最初の値段の27倍です。投機の対象となって値段が釣り上がっていくケースは慢性疾患の薬でもよくある話ですね。

 薬は商品ですけど命に関わるものじゃないですか。さっきの話に戻すと、名古屋大学が開発した薬の方はどうでしょう? 大学の研究機関が開発したものはそれが優れていれば日本の知的財産、国民の資産です。だからこそ、国がきちんと予算を入れる価値がある。そもそもアメリカの薬の値段設定はいろんなオプションがあるし、かなり政治的です。

『沈みゆく大国アメリカ』という本で紹介しましたが、80年代にレーガン政権と中曽根首相が交わした「MOSS協議」を皮切りに、日本はかなり不利な状態に置かれています。

 他国の3、4倍の値段で医薬品と医療機器を買わされている、何でこんなに高いんだと、各地の病院の院長たちがよくこぼしているでしょう?

内田 3、4倍も高く!?

 そうなんです、当時は日本がそうとうな貿易黒字だったこともあり、林業などいくつかの分野で、輸入するときの承認を事前にアメリカに相談する約束をしてしまった。そこから医療の規制緩和がどんどん進んでいきました。

 日本の国保は素晴らしい制度ですが、恵まれすぎていて患者さん自身が薬のことをあまり調べないですね。「ハゲタカ」がいっぱい飛んで来ているいま、国民は言われるがままに薬を飲むのではなく、いのちや身体については責任を持って、例えば出された薬についてはちゃんとお医者さんに聞く、自分で調べたり薬剤師さんに聞いてみるなど、自衛した方が良いでしょう。何を身体にいれているかに関心を持つことは、口から入れる食べ物への関心にも繋がります。

 いま消費者庁が食品の成分表示をどんどん緩めていて、去年は「遺伝子組み換えでない」という(遺伝子組み換えの方の表示はゆるいままです)成分表示の基準を厳しくしたので、今後は「遺伝子組み換えでない」という表示がされにくくなってゆきます。海外から入ってくる添加物の表示規制も年々緩くなっている。私たち日本人は、何を口に入れているか知る権利をじわじわと奪われているのです。中身に関心を持たず、価格や見た目やCMだけを基準に買って食べる、病気になる、お医者さんに行って出された薬をそのまま飲む。医療費の問題を机上で論じるだけではダメで、このループを私たち国民の側が変えることが、非常に重要だと思うんです。何故なら最終的に医療費を確実に下げてゆくのは、患者・消費者側の意識だからです。

性善説のシステムが一番コストもかからない

内田 医療に関して言えば、一番安く上がるのは予防なんですよね。対症的措置には時間もお金もかかる。だったら、ことが起きた後にどう対処するかよりも、ことが起きないためにどう予防するかに資源を投じる方がはるかに費用対効果がよい。

 トラブルの予防のために組織的にどうすればいいのかということについては、繰り返し言うように、現場でリスクの芽を摘むのが一番コストがかからない。堤防に穴が空いていたら、会議にかけて、伝票書いて、稟議書回してから穴を埋めに行くよりも、穴を見つけた人がその場で小石を詰めた方がいいに決まっている。前近代までの社会では、そうやってきたはずなんです。中枢的に統御せず、離散的なシステムにしておくこと、性善説で現場に権限を委譲すること。その方が管理コストが圧倒的に安い。ただし、それを回すためには、「性が善な人」を採用するしかないのですが(笑)。

 予防にリソースを使い、それを機能させるために性が善な人を雇うと?

内田 集団成員が基本的に「善人ばかり」だという前提で制度設計すると、システムの管理運営コストはほんとうに安く済むんです。逆に、人間は基本的に邪悪であり、放っておくと公共のものを私物化し、定められたジョブを果たさないので、監視と処罰が必要であると考えてシステムを設計すると、管理部門に膨大な資源を投じなければいけない。でも、管理部門というのは、いかなる価値も生み出さないセクターですから、管理部門が肥大化すれば、組織はどんどん鈍重で、非生産的で、暗鬱なものになる。

 僕は毎年、野沢温泉にスキーに行くんですけど、スキー場に貸しスキー屋さんがあって、夜の間は靴とスキー板をひと晩100円で預かってくれるんです。店のお兄ちゃんに100円渡すだけで、こちらの名前も聞かないし、別に引換券を渡すわけでもないし、ロッカーにしまうわけでもない。ただ、その辺に立てかけてあるだけ。これに外国から来た人は驚くわけですよね、「誰も盗まないの? 誰も自分のより高い板とすり替えたりしないの?」って。ヨーロッパだったら、持ち主が近くにいないとわかったら、どんなものでもあっという間に盗まれてしまいますからね。

 誰も盗まないし、誰も人のスキー板や靴とすり替えないということが前提なので、このひと晩100円で預かるシステムの維持にかかるコストはお兄ちゃんが100円集金する手間(「あ、どうも」と言って缶に入れる)だけで、支出はゼロなんです。鍵つきのロッカーを設置したり、管理人や監視カメラを置いたり、複製不能の引換券を発行する……というようなコストが一切かからない。

性善説で設計された仕組みって、日本社会のところどころにまだ残っていますね。もちろん、すべてのシステムには適用できませんけれど、いくつかの条件をクリアーしたら、「こういう場合は性善説でシステムを回せる」という判定はできるはずなんです。生産性を上げようとほんとうに思っているなら、できるだけ「性善説ベースト」のシステムを増やした方がいい。

 日本に帰国した当時、ルールや線引きを曖昧にして、「悪いようにはしないだろう」と想定して後で揉めるという場面に遭遇して疑問を持ったことがあるんです。むしろルールや仕組みは性悪説で作り、人間には性善説で対応という方がお互い気分良くスッキリするんじゃないか? と。一方で、内田さんの性善説で回せる仕組みということで言えば、地方にある野菜の無人販売所を見てものすごく衝撃を受けました。子供の頃も見て知ってはいたけれど、アメリカ帰りでもう一度見たときに、うわぁすごいなあと嬉しくなったのを覚えています。

 ああいう信頼関係は、みんながお互いさまで助け合う小さな規模だからこそ成り立つんですね。いま人口減少も進み都市部集中になっていますが、小さなコミュニティで分散してその地域の中で循環していくような計画にシフトしてゆく方がいいと思います。長野の佐久市のように、医療も地域の中でボランティアの保健師さんがお互いさまで声掛けしあうやり方は、早期発見による予防機能だけでなく、孤独死の人も減らしている。千葉県いすみ市や東京都足立区がやったように小学校の給食を全部有機食材や地産地消にするような試みもこれから重要になってゆくでしょう。地域経済に貢献する上に、子供の素行もよくなって自然と医療費も下がります。お互いさまの精神で支え合う小さいコミュニティをたくさん作っていくことが、日本人がこの国の持つ宝を守りながら持続可能な発展をしてゆく一番の近道ではないでしょうか。

日本の豊かな「見えざる資産」

内田 スモールサイズの「顔の見える中間共同体」なら性善説ベーストで回せるんです。手作業、手作り、手売り、手渡しでやっているので、一見非効率的に見えますけれど、実はほとんどロスがない。そこで食糧を生産したり、医療や教育や介護などのサービスを相互支援的にやりとりする。そういう自律的なコミュニティがいくつかゆるやかに連携して、もう少し大きなコミュニティを形成する。そういうところに予算も権限も委譲してゆくことが、統治機構の効率化と生産性向上に最も効果的だと僕は思いますね。

 日本はまだまだ豊かな「見えざる資産(invisible assets)」があります。温和な自然環境、治安の良さ、景観の素晴らしさ、神社仏閣、温泉、スキー場、芸能などの観光資源も豊かです。いま、ハゲタカやグローバリストたちが群がってそういう日本の国民資源を換金化して、自分たちの個人資産に換えようとしている。まずそれを防がなければいけない。どれくらいのストックがあるのか、それをリストアップして、それをどう守るか、どう使い延ばすか、それを考えるべきだと思います。日本が持っている資源は、すべて精査したら、驚くほどあると思うんです。現金はないけれど、老舗の信用があるとか、お得意さんが多いとか、みたいな(笑)。

 それをどうやって長く使い延ばしていくか。それを50年、100年のタイムスパンで考える。そういうロングスパンで国のあり方を考える時には、イデオロギーと金儲けを絡めちゃいけない。国力国富というのは貨幣に換算して考えるものじゃないんです。

 その通りですね。『日本が売られる』と言う本はまさにそのために書きました。価値があるからこそ売られようとしている日本の宝物は私たちが考えている以上に沢山あります。それらを一つ一つしっかりみて、そこから立て直すと決めればいい。世界のさまざまな例を見ても地域レベルでできることから始めています。動き出す事で政治への意識も明るいものに変わってくる。いま全部がトップダウンだから、みんなできないと思ってるんですね。

「こんなところで小さくやったって社会は変わらないよ」って私のところにきて肩を落とされる方、沢山いますけど、そんなことはありません。逆ですよ。小さくやるから変われる。日本でもまだまだできることが山ほどあるし、一瞬一瞬の選択が未来を変えてゆくからこそ、私も書き続けられるんです。内田さん、今日は本当にありがとうございました。

 

内田樹(うちだ・たつる)

   1950年東京生れ。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『ローカリズム宣言』『人口減少社会の未来学』など著書編著多数。『私家版・ユダヤ文化論』で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』で第3回新書大賞受賞、2011年に第3回伊丹十三賞を受賞。近著に『街場の天皇論』『そのうちなんとかなるだろう』ほか。

 

堤未果(つつみ・みか)

   国際ジャーナリスト。東京生まれ。NY州立大学卒業。NY市立大学大学院国際関係論修士号取得。国連、米国野村證券などを経て現職。米国を中心とした政治、経済、医療、教育、農政、エネルギー、公共政策など幅広い調査報道で活躍中。多数の著書は海外でも翻訳されている。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で日本ジャーナリスト会議黒田清賞受賞。『ルポ 貧困大国アメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞・中央公論新書大賞を共に受賞。近著に『日本が売られる』『支配の構造』(共著)等。


 今日はそこそこの雨が降りました。まだ欲しいところですが、これから4.5日は傘マークが付いているので期待して待ちましょう。

 ズッキーニがたくさん採れています。

 

ズッキーニに含まれる栄養価と効能

 

旬の食材百科

 

https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/zucchini3.htm

 

 ●ズッキーニに含まれる主な栄養素と働き

 

カリウムを多く含んでいます

 

カリウムはナトリウム(塩分)を排泄する役割があり、高血圧に効果があります。また、長時間の運動による筋肉の痙攣などを防ぐ働きもあります

 

ビタミンCも含んでいます

 

風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどに効果があります。

 

◆ベータカロテンやビタミンB類が豊富

 

ズッキーニにはベータカロテンやビタミンB群が含まれているので、身体の中での代謝を促進し、アンチエージングにも貢献してくれます。

 

ズッキーニ料理画像集

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%BA%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AE%E9%A3%9F%E3%81%B9%E6%96%B9#mode%3Dsearch 

エディブルフラワー

農薬を使わないからこそです。

生食用カボチャ(コリンキー)です。
生でサラダに入れると歯触りがとても良い。


「7月26日」の記憶

2019年07月23日 | 事件

凄惨な事件をどのような言葉で語るか――相模原事件と「一人で死ね」をつなぐもの

丁寧さを欠いた「死を語る言葉」が広まっていくことについて

  Imidas時事オピニオン2019/07/23

    荒井裕樹(二松學舎大学准教授)

「7月26日」の記憶

 2016年7月26日に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」(以下、相模原事件)から3年が経とうとしている。被害者やその家族・遺族には、なおも癒えない傷を抱える方が少なくないだろう。

 犠牲となった方のご無念を思い、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

 一方、この事件を追いかける記者や学者たちからは、すでに昨年(18年)あたりから、記憶の風化を懸念する声が漏れている。19名もの命が奪われた凶悪な事件が、わずか2~3年のうちに風化してしまう事態を、私たちはどのように受け止めればよいのだろう。

 もちろん、7月26日に「だけ」、この事件を思い起こせばよいわけではない。しかし、この日に「さえ」、思い起こされないなどということがあれば、それはまさに記憶の風化に他ならない。

 あの事件が今後、社会にどのような影響を及ぼすのかについて考え続けている私にとって、昨年の「7月26日」は本当につらい一日だった。

 この日、オウム真理教元信者6名の死刑が執行された。死刑制度そのものの是非をここで論じることはできない。また、かつての凶悪犯罪を擁護するつもりは微塵もない。しかし、わずか2年前、おぞましい犯罪によって「死」が重ねられた日に、極めて異例とも言える6名の死刑が執行されたことに、酷いめまいを覚えたのだ。

 これに先立つ7月6日には、すでに7名の死刑が執行されていた。その際の報道のあり方(例えばテレビの情報番組では、執行に至る過程がまるで「実況中継」されていた)に強い違和感を覚えていた私は、重ねて6名死刑執行の報道に接し、しばらく感情の整理がつかなかった。

 人の「死」に関わることへの「畏れ」や「ためらい」といった感覚が、社会から、メディアから、言論空間から、急速に失われつつあるように思えてならない。そうした心理的な規制が摩耗していく状況が、不気味でならない。

「死ぬなら一人で死ね」

 本年5月28日、神奈川県川崎市登戸駅付近で起きた「川崎殺傷事件」の報道に接し、こうした懸念を改めて強くしている。

 私自身、犠牲になった外務省職員と同じ歳であり、命を奪われた児童と近い年齢の子どもがいる。決して他人事とも思えないし、無関心でもいられない。

 この凄惨な事件を起こし、自ら命を絶った犯人は、長らく「ひきこもり」と言われる状態にあったと報じられている。事件そのものには猛烈な怒りが湧いたが、犯行時の年齢とかけ離れた写真が出回る様子には驚きを禁じ得なかった。当該人物は、どれほど社会と隔絶した状況を生きていたのだろう。

 この事件をめぐっては、犯人に対する「死ぬなら一人で死ね」というフレーズが物議を醸し、大きな議論となった。一方には、被害者やその家族・遺族の心情を思えば当然の表現だという意見があり、他方には、こうした言葉が「ひきこもり」と呼ばれる状況にある人々への偏見を助長し、更なる絶望へと追い込むとの懸念が示された。

私自身、あの犯行は卑劣そのものであり、許しがたい凶行だと思う。被害者の無念をおもんぱかれば、胸をかきむしりたくなる思いが湧き上がる。しかし、それでも、それでも、「死ぬなら一人で死ね」というフレーズには、どうしても看過できない不気味さが潜んでいるように思えてならないのだ。

卑近な嫌悪感は、卑俗な正義感をまとう

 私は文学者として、「激しい言葉による感情表現」を無下に否定できない。そうした言葉を使わざるを得ない文脈や事情をこそ読まねばならないからだ。

 したがって、もし仮に、加害者を憎む言葉が被害者の私怨から吐露されたとしたら、私はそれを否定できない(私自身、理不尽な犯罪に巻き込まれたら、そうした私怨を吐露するだろう)。静かに、深く、その苦しみを推し量りたいと思う。

 しかし、今回騒動となった「一人で死ね」というフレーズは(あるいは、このフレーズがSNSなどで拡散したという現象は)、こうした私怨に根付いたものとも思えない。果たしてこの言葉は、誰の、どのような「怨」が焚き付けたものなのだろう。

 この問題を考える際に思い浮かぶのは、かつて障害者差別と闘った脳性マヒ者による障害者運動団体「青い芝の会」である。

 彼らは「障害者は生きていても可哀想」「障害者は施設で生きた方が良い」という発想そのものが差別だと叫んだ。こうした発想は、一見「愛と正義」の体裁をとってはいるが、その裏には、障害者への卑近な嫌悪感が隠れていることを喝破したのである。

 「青い芝の会」の問題提起を私なりに咀嚼して言えば、卑近な嫌悪感は、往々にして、卑俗な正義感をまとって現れるということになるだろう。

 このことを念頭に置きつつ、SNSに溢れた「一人で死ね」という言葉を振り返ってみると、やはり、陰鬱な疑問を抱かざるを得ない。

 あれらは純粋に、「被害者感情の擁護」から発せられたものだったのだろうか。そこに冷たく鋭利な感情が混じっていなかったと、本当に言えるだろうか。

 ここで言う冷たく鋭利な感情とは、「役に立たない」「迷惑になる」として排除された者への嫌悪感であり、また、誰かのことを「役に立たない」「迷惑になる」という言葉で切り分け、自身から遠ざけたいとする忌避感である。

 「死ね」という言葉にも様々な含みやニュアンスはあるだろうから、「死ぬなら一人で死ね」というフレーズ自体が、そのまま「殺意の表明」であるとは言えない。

 しかし、もしもその「死ね」という言葉に、特定の人々への嫌悪感が混じっていたのだとすれば、そのこと自体が恐ろしくないはずはなく、そうした言葉が目に見えるかたちで飛び交う状況が、異様でないはずがない。

 こうした言葉がさしたる抵抗感もなくメディアに載り、広がり、降り積もっていけば、この社会はますます、人の「死」に対して、無遠慮で、配慮のないものになっていくだろう。

「自分は『裁く側』にいる」という感覚

 今回の騒動で飛び交った「死ね」という言葉は、漠然としたマジョリティ感覚から発せられていたように思う。その正体をはっきりと名指しするのは難しいが、強いて言うなら、「自分は無条件に『誰かを裁く側にいる』という感覚」である。

 こうした感覚がSNSばかりでなく、今回の火元の一つになったテレビ(特に情報番組)などでも目につくようになり、とても気になっている。

 かつて情報番組で意見を述べる人と言えば、複雑な事情を解説できる学識経験者か、異なる視点を提供できる報道関係者が主であった。しかし、いつしか、「情報の整理」や「異なる視点の提供」よりも、漠然としたマジョリティ感覚を「個人的見解」という体裁で言語化する人物が目立ってきたように思う。

 そのような人物たちから時折こぼれる「~というのが世間一般の考えだと思いますよ」といった類いの物言いが、私には気になって仕方がない。こうした発言は、「個人的見解」を装いつつ「世間一般の価値観」を代弁し、「世間一般の価値観」を伝える体裁で「個人的見解」を開陳していて、不信感を抱かざるを得ないのだ。

 この論法で発言する限り、人はいくらでも責任を回避できる。自身の「個人的見解」に差別的な要素が含まれていたとしても、それは「世間一般の価値観」を代弁しただけなのだから自分という一個人に責任はない、ということになるからだ。

「一人で死ね」にせよ、あるいは「不良品」(※)にせよ、公的な言論空間に飛び交う「死」や「命」への丁寧さを欠いた発言の背景には、こうした「感覚」が潜在しているように思えてならない。

 個人が私的に発信できるSNSに対して、テレビは組織で運営され、指示系統やチェック体制が存在する。その意味でSNSとテレビはまったく違う。にもかかわらず、近年、両者から発せられる言葉は不気味に均質化しつつある。

 今回の騒動は、こうしたテレビが深く関わったということを、私たちは危機感をもって受け止めた方がよい。

私たちが目の当たりにしているのは、SNSだけでなく、テレビというマスメディアからも「凄惨な事件の詳細を伝えつつ、人の死を丁寧な言葉で伝える力」が失われゆく様子なのかもしれないのだから。

「生きる権利」は「一つの意見」なのか

 ここで冒頭の相模原事件に、いま一度、立ち返りたい。

 相模原事件は、犯行そのものの残忍さもさることながら、容疑者を凶行へと駆り立てた歪んだ価値観も衝撃的であった。そして、障害者の尊厳を蔑ろ(ないがしろ)にする容疑者の価値観に対して、「わからなくもない」といった意見から、積極的な賛同・賞賛まで、「同調」の声がSNSに湧き上がった点も衝撃であった。

 あの頃、本当に体調を崩したり、外出に恐怖感を覚えたりした障害者たちが少なからずいたということを知ってほしい。

 この事件も、来年1月から裁判員裁判での公判がはじまる。法廷で、被告がどのような供述をするのかはわからない。憶測で何かを語ることは慎まなければならない。しかし、私にはどうしても拭いきれない懸念がある。

 もしも公判中、被告が犯行前後に発信していたような、障害者の尊厳を蔑ろにする発言が繰り返され、それがメディアによって乱雑に報じられたとしたら、再びSNS上に忌まわしい「同調」の言葉が広がるのではないか、という懸念である。

 もちろん、裁判の様子が報道されないなどということがあってはならない。裁判を通じて、私たちはこの事件の詳細を知り、同じような悲劇が繰り返されないために必要なことを考えなければならない。

 しかし、「障害者の尊厳を奪った事件の詳細を伝えつつ、殺害された障害者の尊厳を守る力」を、すべてのメディア関係者が有しているとも思えない。むしろ、昨年7月の死刑報道や、今回の「一人で死ね」騒動を見ていると、どうしても悲観的な想像をしてしまう。

 まさかとは思うが、相模原事件の被告が障害者の尊厳を否定する発言を法廷で繰り返したとして、それに対して「『障害者にも生きる権利がある』といった意見もある」などといった類いの、気味の悪い両論併記が報道されないことを切に願っている。

「誰にでも生きる権利がある」とは普遍的な価値なのであって、併記されるべき「一つの意見」などではない。もしも、このような両論併記がなされたとしたら、この社会には「一つの意見の範囲内でのみ、生きていてもよい人(生きることを許される人)がいる」ということになる。

 本当にそれで良いのか。

 凶悪な事件には、「社会の歪みの現れ」としての側面が必ずある。したがって、そうした事件について考えることは、私たちが生きる社会そのものを見直すことに他ならない。また一方で、凶悪な事件が「どのような言葉で語られるか」が、その後の社会の「言葉のあり方」を決めていくことになる。

 いま、この社会には、「『生きる権利』や『生きる資格』の有無を、無自覚かつ無遠慮に裁く言葉」が溢れている。こうした言葉の氾濫に与するのか。抗うのか。私たちは決して大げさではなく、分かれ道にいる。


  この度の参議院選挙で当選した「令和」の2人、重度障害を持つ。舩後靖彦氏(61)は、全身の筋力が低下する難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う。人工呼吸器をつけた全身まひの国会議員の誕生は史上初。もう一人の木村英子氏(54)も脳性まひの重度障害があり、介助者の付き添いが必要だ。

 こうした新たな「現状」に対して「国会」は、「議員」さんたちは、そして「国民」は、どのような対応をとるのか?このような人たちを「当選」させた「有権者」が、こんなにもいたことに拍手を送る。

 今朝、目が覚めて外を見ると雨が降っている。「予報」にはなかった雨だ。パジャマのまま外へ出てみたが、そこそこの雨足だ。PCで「雨雲の動き」を確認すると、雨雲がかろうじてかすめてくれた感じで、まさに、今降ってきたようで、1時間も持たないものだった。畑のある江部乙は、当然「対象外」であった。

皆さんにとってはすでに見飽きたであろう花たち。
雨が少なく、花びらもいくぶん縮れている。

こちらは「北海道の花」亜麻。
今年種をまいたのが花を咲かせ始めた。こちらも水不足。

ハウスの中にやってきたエゾゼミ。


一時保護所

2019年07月22日 | 社会・経済

虐待被害児らの一時保護所で人権侵害 管理ルールが「過剰な規制」と指摘される。

朝日新聞デジタル 2019年07月18日 


   児童相談所に保護された子どもたちが最初に身を寄せる「一時保護所」が人権擁護の視点に欠けるルールを設けていたことを、東京都の第三者委員が指摘した。

   朝日新聞社第三者委員会がまとめた40ページに及ぶ意見書。「どこも逃げ場がない」「言葉が鋭い、もう少し穏やかに言っていただきたい」など子どもたちの声が記載されている

虐待被害児らの一時保護所で人権侵害 都の第三者委指摘

 虐待などの理由で児童相談所(児相)に保護された子どもたちが最初に身を寄せる「一時保護所」について、東京都の第三者委員が、子どもを管理するルールを「過剰な規制で人権侵害にあたる」と指摘していたことが、朝日新聞が入手した資料でわかった。一方で、定員超過や職員不足が運営に悪影響を及ぼしていることにも言及している。

 3月末に都に提出された意見書を、情報公開請求で入手した。一時保護所は児相が運営し、被虐待児や非行などの子を24時間受け入れ、保護する施設。所内での子どもたちの処遇をめぐっては、各地で問題が指摘されているが、第三者の立ち入りが極めて難しいため、具体的な問題点が明らかになることはこれまでほとんどなかった。

 意見書は、一時保護所によって実情は少しずつ異なるものの、私語禁止や会話を制約するなどのルールを課すほか、子ども同士が目を合わせることまで禁じる指導をしているところがあると指摘。職員は個人情報を話すことを制限しているだけだなどと説明しているが、「どのルールも管理思考で、子どもの人権擁護の視点に欠ける」と指摘した。

 また、ルールを守れない子どもに対して、壁に向かって食事をする▽廊下についたてを立ててその中で辞書を書き写す▽体育館の中やグラウンドを何周も走る――などが強いられている状況も報告。「ルール違反に対する指導の名の下に罰を与えているとしか言えない」「本来は内省を深める目的の個別処遇が、罰になっていないかも再検討を要する」などとした。

 子どもの権利に詳しい川村百合弁護士は「自治体によってはよい処遇をしようとしている所もあるが、東京だけの問題ではない。全国共通の課題と考えるべきだ」と指摘する。(編集委員・大久保真紀)

     ◇

 〈一時保護所〉 虐待や非行などの理由で保護が必要と児童相談所長か都道府県知事が判断した子どもたちが最初に生活する場所。各都道府県に最低1カ所あり、全国には2018年10月時点で計137カ所ある。東京都内の7カ所の17年度の総定員は213人。新規入所者は2107人で、全国の一時保護所入所者数の1割弱を占めた。児相は一時保護の間に子どもの心身の状態や家庭環境などを調べ、家庭に帰せないと判断した場合は児童養護施設に入所させたり、里親に委託したりする。一時保護の期間は原則2カ月までで、全国の平均在所日数は約30日。その間は、原則として学校に通えない。


 安倍政権の終わりがすでに始まっている。自民党は66あった改選議席を大きく減らし、単独過半数も奪えなかった。6年半続く安倍政権に国民が飽きはじめているのは間違いない。

 「改憲勢力」で国会発議に必要な3分の2の議席(85)確保を目指したが、及ばなかった。そこで注目は「国民民主」に揺さぶりをかけること。そして残された支持率アップのカードは、“韓国叩き”と“日米蜜月”。公示直前に、韓国への輸出ストップを打ち出したのも、参院選のため。実際、世論調査では安倍政権の対応を支持する声が多く、内閣支持率もアップしている。ここでイチかバチかの「解散」に及ぶことも十分にあり得る。

 


ハゲタカに食いものにされる日本の教育現場――内田樹×堤未果

2019年07月21日 | 教育・学校

日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡される“ハゲタカ”問題を考える(2)教育現場編

  内田 樹  堤 未果

文春オンライン20197.20

   教職員の長時間労働がブラック過ぎると話題になっている。過労死ラインの週20時間以上残業をしている教員は中学校で57.7%、小学校で33.5%(「教員勤務実態調査」2017)との統計もあるなか、現場を疲弊させる諸政策が打ち出されてきたのはなぜなのだろう。ビジネス化が進みすぎた教育制度にたいして、アメリカの教師たちが起こした100万人デモとは? 学生が食いものにされる実態と再建の道筋を探る。

 

◆◆◆

最低の教育コスト×最低の学習努力

 内田 新自由主義の潮流のなかで、教育分野もまた「ハゲタカ」の餌食になりつつありますね。2004年に株式会社立大学という制度が導入されました。ビジネスマンたちが「大学の教師というのは世間のことを何も知らない。だから、無用のことばかり教えて教育資源を無駄にしている。われわれのような世知に長けた実務家が大学で教えれば、即戦力となる優秀なビジネスマンを育てることができる」と言い出して、特区にいくつか大学を作った。それから15年経ちましたが、いまも残ってるのは二つくらいじゃないですか。あとはほとんどが潰れた。そりゃそうだと思いますよ。ビジネスマンが大学作るとまっさきにするのが人件費コストと教育コストの削減だからです。

  彼らはまずいかにして教育コストを減らすかを考える。言い換えれば、「どうやって教育しないで済ませるか」を考える。ビルの貸し会議室で授業をやったり、教員を雇わず、職員に授業をさせたり、ビデオを見せて授業の代わりにしたりした。学生たちを集めるときも、「最小の学習努力で、単位や学位が得られます」という売り込み方をした。ある株式会社立大学は「一度も学校に来なくても卒業できます」というのが売りでした。

  学習努力が貨幣、学位記が商品だというふうに考えて、それを売り買いするというスキームで考えると、「最低の教育コストで大学を経営しようとする人」と「最低の学習努力で大学を出ようと思った人」が出会えば、そこに「欲望の二重の一致」が成立する。と思いきや、これらの大学はばたばたと倒産した。教育の本質がわかっていない人たちが教育事業に手を出すと必ずこういうことになります。

 構造改革特区法ですね。この法改正は学校を作れるのが「国と地方公共団体と学校法人」という部分に「株式会社」を加えましたが、そもそもの「法の精神」部分についてきちんとした審議がされませんでした。例えば私学には自主性とともに公共性の担保が求められますが、株式会社立という新しい存在はそこについてどう整合性をつけるのか。国家にとってとても重要なこの部分が、置き去りにされてしまったのです。官邸と財界主導で進める構造改革特区の目的は民間活力を使った経済活性化ですから、「既存のルールが経済活動の障害になっている」という事ばかりに焦点があてられる。少子化と過疎化で苦しむ自治体側は、どうしても「収入増・雇用増」が第一の目的になってしまう。でも教育でも医療でも第一次産業や公共インフラでも、最も大事なのはむしろそうした経済的側面以外、元々の法律が守ろうとしていた根幹部分の方なのです。そこが疎かにされてしまっているのが、構造改革特区の最大の問題ですね。

 株式会社立大学でもその副作用が吹き出していたのではないでしょうか。結局教育の質は問わず、頭数だけ欲しいってことですよね。

 

「授業料は取るが、できるだけ教育活動はしない」学校

内田 そうです。東京福祉大学が中国人の留学生を集めて、学生たちが行方不明になったことがニュースになっていましたけれど、この大学も「授業料は取るが、できるだけ教育活動はしない」ことで商売をしていた。理事長は笑いが止まらないくらい美味しいビジネスだと豪語していたそうですけれど、たしかにビジネス的に考えたら、このやり方は合理的なんです。教育コストを最小化したい大学と、最少の学習努力でとりあえずIDが欲しいという留学生の出会いが成立しているわけですから。でも、このウィン―ウィンのビジネスも結局は長続きしなかった。

 こういう仕組みを英語では「学位工場(degree mill)」と呼びます。アメリカは大学の設置基準が緩いので、ビルの一室だけ借りて、サーバーを一個置いただけで大学を名乗っているところがあります。そういう大学では、どんな中身のない論文を提出しても、金さえ払えば学位をくれる。実体のない学位ですが、それでも「欲しい」という人がいる。ジャンクな商品を売りたいという人がいて、ジャンクな商品を買いたいという人がいる。合法的な取引ですから、司法は介入できない。ビジネスマインドで大学を経営したら、教育活動をしない代わりに、大学が発行できる何らかの証明書を売りつけるという商売になるに決まっています。それは学位工場の事例を見ればわかります。

 いまは学生に1年間海外留学を義務づけている大学がけっこうありますね。これもビジネス的に言ったら、きわめて合理的なんです。だって、授業料を満額もらって、留学先の学校にその一部を払って、残りは「中抜き」できるわけですから。1年間まったく教育活動をしないでもお金が入ってくる。教職員の人件費も、キャンパスの維持管理コストも25%カットできる。だって、学生がいないんですから。それで味を占めたら、そのうち「だったら、いっそ2年間海外に行かせない?」って誰かが言い出すでしょう。たしかに賢いアイディアなんですよね。2年留学させたら、教育コストが50%削減できる。学生が半分しかいないんだから、校舎校地も半分で済むし、光熱費もトイレットペーパーの消費量も半分で済む。でも、このロジックを突き詰めると、そのうち「おい、いっそ4年間行かせちゃおう」という話になる。そしたら大学がなくて済む(笑)。

 校舎もいらなくなりますね。

内田 もうキャンパスも教員も職員も要らない。サーバーが1個あれば済む。最初に授業料だけ振込んでもらって「じゃあ、海外のあの大学に留学してください」と言うだけでざくざくと金が入ってくる……わけはないんですけれど、ビジネスマインドで考えたら、大学の利益率が最大化するのは、大学が存在しない時であるということになる。ほんとうにそうなんです。教育活動をしない大学である学位工場が一番儲かるんです。でも、いまの大学人には、このジョークの意味が理解できない人がほんとうにいる。どうして海外留学1年義務化はよくて、海外留学4年義務化はいけないのか、その違いがわからなくて、ぽかんとしている人間が現に大学を経営している。

 銭勘定がうまいだけのビジネスマンが大学の経営をすれば、これと同じ事態が生じます。さすがに「大学をなくす」ということまでは自制しても、「海外留学2年間義務化」くらいのことは思いつきかねない。よその教育機関に丸投げして、それで「いくら抜けるか?」と計算する人間は、そもそも教えたいことがないんです。教えたいことがない人間がどうして大学の経営なんかに手を出すんです? 

 教育というのは本来「持ち出し」でやるものなんです。自分にはどうしても教えたいことがある、だから身銭を切っても学びの場を立ち上げたい。そういう人が教育者なんです。学生を消費者扱いにして、「市場のニーズがどうだ」とか「顧客満足度がどうだ」というようなことを言っている人間は教育にかかわるべきじゃない。

 特区でできた株式会社立の悲惨な末路を知っていたら、いま頃になってまたぞろ「実務家が教えるべきだ」とか「大学の経営にビジネスマインドが足りない」というようなふざけた台詞が出て来るはずがないんです。それと同じことを言って大学を始めた人たちが大失敗した。LECリーガルマインドは5年で募集停止になりました。LCA大学院大学は3年で募集停止になりました。TAC大学院大学は申請段階で却下されました。今回はそれとどこが違うのか。今度ばかりは「前車の轍を踏まない」という自信があるなら、どこがどう違うのか、それを語るべきでしょう。

 さっきも言いましたが、特区の規制緩和の最大の問題はそこですね。投資家が入ってきて、いろんなものが経済性と効率を物差しにシステマティックに処理されてゆく中で、子供達もある種の「商品」としてビジネスの力学に取り込まれてしまう。10年前、『ルポ 貧困大国アメリカ2』の取材現場で嫌という程見た光景です。あのシリーズにはアメリカで起きた事が数年先に日本にやってくる、という警告が込められていたのですが、その後「構造改革」の名の下に、アメリカ発のビジネスモデルが様々な分野で日本に輸入されてきました。

 経済性だけでは価値の測れない教育や医療、第一次産業や公共インフラなどは特に慎重にしなければならないのに、肝心の審議の場に当事者が入っていない。消費者に提供するサービスという位置づけになりますから、この法改正が進むほどに、その実態は教育の本質からかけ離れてゆくでしょう。

 ちなみにそういうビジネスをやっている人に限って、自分の子供はその学校に入れないですよね。

自分の子どもは海外に行かせる日本の“教育改革者”たち

内田 財界人も政治家も自分の子どもは当然のように中等教育から海外の学校に入れてますね。それは一つの見識でしょうから、僕は別にそれに異議があるわけじゃない。でも、自分の子どもを海外の学校に留学させている人たちは、日本の学校教育についてうるさく「ああしろ、こうしろ」と言うことは自制して欲しいと思う。

 以前、ある会議で隣になった人が、学校教育について僕が発言するたびにうるさく反論してくる。どう考えても、彼の言うようなしかたで学校教育を「改革」していったら、子どもたちの学力は低下するし、大学の研究力教育力も落ちる。そういう有害な提言ばかりする。不思議な人だなあと思っていたら、「うちの娘は高校の時からアメリカです。いまはハーバードの大学院に行ってる」と自慢げに言うんです。

 彼は日本の学校教育を見限って、自分の子どもをアメリカに留学させた。だから、「日本の学校教育を何とかしなくちゃいけない」という喫緊の個人的理由は彼にはないんです。彼が日本の学校教育に期待することがあるとしたら、それは日本の学校を見限って、わが子を海外に留学させた私は賢いということを確認することだけです。だとすれば、彼があらゆる機会をとらえて「日本の学校教育が一層ダメになるような提言」をするのは当然なんです。もちろん、無意識にやっているわけで、本人はあくまで善意の提言をしているつもりなんですけど。僕はそういう人物の話は眉に唾を付けて聞くことにしてます。

 そうだとしたら恐ろしく有害ですね。

内田 先日、以前ハーバード大学にいた方が教えてくれたんですが、ハーバードの夏学期になると、日本から政治家の息子とか財界人のドラ息子たちがぞろぞろ来るんだそうです。ハーバードは学費はめちゃ高いですけれど、夏学期だけの学生IDがもらえる。正規の学生じゃないんだけれど、キャンパス内でハーバードの教授の授業を受けることができる。ろくに授業も出ないで遊んでばかりいるんだそうですけれど、日本に帰った後に、「僕がハーバードにいた頃のことですが……」というような話をする(笑)。

 ハーバードの学歴ビジネス……売る方は笑いが止まらないですねぇ(笑)。

内田 別に単位を取ってなくても、学位を取っていなくても、履歴書に「ハーバードで学ぶ」とか「〇〇先生に師事」とか、書き放題でしょ? 嘘じゃないんだから。

 最近の自民党の政治家って、最終学歴がアメリカの大学という人が多いじゃないですか。でも、あの中には、夏期講習とか外国人向けの語学のクラスを受講しただけの人も結構いると思いますよ。たしかに、夏期講習でも、それが生涯最後の大学での受講経験だったら「最終学歴」ではあるわけですからね(笑)。

 安倍晋三は以前の経歴には「南カリフォルニア大学政治学科留学」と書いていましたけれど、実際に取得した単位の半分は外国人のための英語の授業で、政治学は受講していなかった。いまはもう履歴から削除したらしいですけど。

 有権者のために文春さんがそういう方々の一覧でも出しては?(笑)

内田 多少話を盛るのは別に構わないんです。ただ、そうやって「海外留学で履歴に箔をつけようとした人」たちがこの国の教育政策についてあれをしろこれをしろとうるさく言っていることに僕は腹が立つんです。

 この四半世紀、文科省の指示で、教育現場には膨大な無意味なタスクが課せられて、現場は疲弊し果てています。日本の学術的な水準はどうすれば上がるか、若い人たちをどうすれば知的に活性化できるか、といった本筋の問題にはまったく取り組まず、「アメリカみたいなやり方」を導入することに夢中になってきた。FDとか、相互評価とか、PDCAサイクルとか、教育の質保証とか……この四半世紀に大学に押しつけられたタスクはほんとうに膨大なものです。そのために大学教員が研究教育に割くことのできたリソースの3~4割がた削られたんじゃないかな。人によってはもっとかも知れません。特に独立行政法人に移行した国立大学の教員たちはほとんど10年にわたって、会議と書類書きに忙殺された。こういう仕事はたいてい若くて、仕事の手際がよい教員に集中しちゃうんです。このタスクに投じられたリソースを彼らが研究と教育に集中することができたら……と考えると絶望的な気分になります。ノーベル賞何個分かの知的損失だったと思います。

大学教員がシラバスを書くために膨大な手間暇も……

 ああ……会議と事務仕事に大学教員の研究時間を削ることがいかに日本の国益を損ねているか。一握りでもそこから生まれてくる素晴らしいものが、この国の貴重な知的財産だという意識を国のトップに持って欲しいです。

内田 大学のシラバスというものがありますね。この授業でいつ何を教えて、どんな知識が身につくか詳細をリストにしろというものですけれど、そんなことができるはずがない。1年半も先に自分がどんなことに興味を持っていて、学生たちに何を伝えたいと思っているかなんて、わかるはずがない。そもそも、教育的にはまるで無意味なことなんです。

 シラバスというのは工業製品の仕様書なんです。工場で工業製品を作るプロセスを想定して、どういう材料を使って、どういう工法で、どういう効能で、どういう仕様のものを製造するつもりか、それを書けと言っているのです。工業製品の場合だったら、それは必要でしょう。でも、僕らが相手にしているのは、生身の人間ですよ! 工業製品のように規格通りのものを作り出すことなんかできるはずないし、すべきでもない。

 いまも日本中の大学教員がシラバスを書くために膨大な手間暇を費やしています。教育を「工業製品の製造プロセス」のメタファーで考えるということ自体に僕はまったく同意できませんけれど、それ以上に腹が立つのは、シラバスなんか教育のアウトカムに何の関係もないことです。教育効果がまったくない作業に教員たちを忙殺させておいて、それをしないと文科省は助成金を削ってくる。

 現場の先生たちの話を聞いていると、不満が相当溜まっていますよね。こないだも大阪で現役の公立校の先生が実名を出して府を訴えていましたが、もっと束になって声を上げてもいいと思います。アメリカでは教育をビジネス化するための評価制度を始め、様々なことを現場へ強要した結果、100万人規模のデモが起きたんですよ。「こんな事をするために教師になったんじゃない」と、爆発したんです。オバマ元大統領の地元のシカゴでものすごいデモが起きた時のことを覚えています。ブッシュ政権から引き継いだ教育の市場化をさらに強化して、教育予算を巡って学校同士を競争させたんですよ。競争に負けたら補助金ゼロといういじめ、過激なレースをさせたことに教師たちが反乱を起こした。

 教育は社会的共通資本で公教育は国の財産――国の根幹に関わるものなのにどこまでビジネスにするんだと。海の向こうの事ではなく、日本でも同じことです。経済学者の故宇沢弘文氏が繰り返しその価値を訴えられていた「社会的共通資本」について、私たちは今こそ真剣に考えるべきでしょう。結局オバマ政権下では教育のビジネス化政策は止められなかったものの、現場の教師たちが立ち上がり声をあげたことは確実に流れを変えました。前回の中間選挙を見てもわかるように、州や自治体レベルで「ボトム」から少しずつ変わりつつあります。

現場に自由裁量権を与える大切さ

内田 とりあえずアメリカのいいところは文科省がないんですよね。中枢的に全国の教育政策を統括するような巨大な権限を持つ省庁がない。州ごとに教育制度が自主的に決められる。だから、義務教育の年限も州ごとに違うし、進化論を教えない州が出てきたりもする(笑)。でも、それが教育の多様性を担保していて、リスクヘッジにもなっている。

 日本の場合も、都道府県の教育委員会に権限があって、各自治体ごとにかなり自由な教育政策が採択されれば、いろんなことが実験できる。どこかの自治体での教育実践が成果を上げていることがわかれば、それを共有することができる。

 中枢的に政策を統括して、全国一律に同じ教育政策を強いるのは、教育実践の創意工夫のためにはやってはいけないことなんです。子どもは生身なんですから、一律に扱うわけにはゆかない。だから、子どもと直接接する現場の先生にできるだけ多くの自由裁量権を与えた方がいい。いろんな先生がいて、先生ごとに教育理念も教育方法も教育の目標も違っているという環境が子どもが成長する上では一番なんです。40年近く教育現場にいて、それは経験的に確言できます。

 僕は最初東京都立大に勤めて、それから神戸女学院大学に移ったんですけれど、二つの大学の一番大きな違いは、都立大の職員たちには自由裁量権が与えられていないことでした。それは私学に行ってから分かりました。女学院では、現場の人たちが自由裁量権を委ねられている。

 公立大学だと、ガラス窓が一枚割れても、何枚も伝票を起票して、稟議のハンコをいくつかもらわないと修理に来てくれない。でも、女学院では、日常的なトラブルだと、現場の職員さんが、自分の責任ですぐに来て、片付けてくれる。伝票を出せとか、稟議のハンコがいるから1週間待てとかいうようなことを言わない。ずいぶん話が早かった。

 95年の震災の時に、それは骨身にしみましたね。システムがダウンして、業務命令を発令するセンターそのものが存在しない段階から、自発的に教職員・学生が集まって、復旧作業が始まった。この時の作業工程管理は完全に自主的なものでした。誰も命令しない。なにしろ、どれくらいの被害が出ていて、どこから復旧すべきかについて中枢的にコントロールするセンターが機能していないんですから。でも、驚くほど手際よく復旧作業は進んだ。それは女学院には現場への権限委譲という習慣が根づいていたからだということに後になって気がつきました。指示のないことをしてはいけない、権限のないことをしてはいけないというルールで縛られた公務員たちでは、とてもこんな真似はできなかったでしょう。その時に、いちいち管理部門に話を上げて、その許諾を得てから動き出すという上意下達の仕組みの非合理性に気がつきました。「ほう・れん・そう」とか言っている組織が一番非効率なんです。

 でも、日本の組織はほぼすべて中枢が管理する「ツリー」型の組織ですね。多くのビジネスマンはトップダウンが最も効率的だって骨の髄まで信じ切っている。それ以外にもっと効率的な組織があるのではないかということを想像さえしない。でも、現場に自由裁量権を与えること、実際に研究教育のフロントラインにいる人に大幅に権限を委譲するのが、実は一番効率的で、一番生産性が高いんです。

原発事故以来、さまざまな企業でコンプライアンス違反とか、データ改竄とか、仕様違反とか不祥事が起きましたけれど、現場では「こんなことしていたらいつか大変なことになる」というのは分かっていたはずなんです。わからないはずがない。でも、それを上司に具申しても、「黙っておけ」と言われる。うるさく言い立てると煙たがられて、場合によっては左遷される。上は自分の在職中に事件化しなければ、それでいいと思っている。いつかはばれて大ごとになるだろうけれど、その時には自分はもう異動しているか退職しているので、関係ないと思っている。

 現場に権限委譲しておけば、大きなトラブルが起こることは防げるんです。クラフトマンの直感で、「なんかこのメカニカルノイズはイヤな感じがする」といったことがあれば、ちょっとボルト締めておこうとか、クラックがあるかどうか見ておこうか、部品を交換しておこうかということを、いちいち上司にお伺いを立てなくてもできるという体制があれば、そういう事故や不祥事の多くは未然に防げた。僕はそう思っています。

 システムクラッシュを招くようなリスクというのは、だいたい「ジョブとジョブの隙間」に発生するものなんです。誰の仕事でもないし、誰の責任でもないところに「リスクの芽」が発生する。それは気がついた人が自分でさっと「摘んで」しまえばそれで済むことなんです。でも、「ジョブ・デスクリプションに記載されている以外の仕事をする権限はない」とルールで縛られていると、「そこにリスクがある」ということに気がついていながら、手を出すことができない。その結果、カタストロフが発生する。

「問題点を発見したら、自分ですぐになんとかしてくれ」と(笑)

内田 僕は凱風館という武道の道場をやっています。僕は館長ですけれど、「神輿に担がれてる」だけです。特に指示は出さない。会議も開かない。門人たちには「問題点を発見しても僕には通報するな」と言ってあります。「問題点を発見したら、自分ですぐになんとかしてくれ」と(笑)。

 だから、現場に権限を委譲しています。必要経費も最初からまとまった額を書生たちに預けています。「必要だと思ったら使ってください。用途の適否については諸君が判断してください。足りなくなったらまた言ってください」と言ってあります。さすがに畳替えとか、サッシの交換とかいう桁の仕事だと僕のところに相談に来ますけれど、それ以下の金額のことについては事務方任せです。でも、そうやって権限委譲していると、システムトラブルは起きないんです。起きても、すぐに補正される。だから、問題点を発見したり、解決したりするために会議を開く必要がない。年に何度か道場の幹部たちに集まってもらいますけれど、それは僕が皆さんに「一年間、お疲れさまでした」とご馳走するためです。

 現場に自由を与える代わりに、自分の頭で考えてね、と(笑)。トップに覚悟があってこそできるシステムですね。

内田日本の組織の問題は、会議と書類書きにあまりに無駄な時間を費やしていることだと思います。日本社会を立て直すためには、組織の生産性を上げるしかないんですけれど、ほとんどの人はそれをトップダウンシステムを強化して、独裁的な仕組みにすることだと勘違いしている。でも、話は逆なんです。

 まず優秀なメンバーをリクルートする。しかるのちに彼らに権限委譲する。それが一番楽なんです。独裁的な仕組みにこだわる人たちは、前段の「優秀なメンバーをリクルートする」というところでいきなりまずつまずいてしまう。それは、トップダウン派の人たちは、メンバーをリクルートするときに能力よりも「イエスマンかどうか」を優先的に見るからです。どんな無意味なタスクでも、理不尽な命令でも、上の指示に従う人間であるかどうか、それを最優先の採用条件にする。その人がこれから集団内部でどんな能力を発揮してくれるか、どのような点において「余人を以ては代え難いか」ということには副次的な関心しかない。

 たしかに上の言うことに唯々諾々と従う人間ばかり集めたら、効率よく上の意志が下に伝達される組織はできますけれど、そのような組織が生産性の高い組織かといったら、話は違う。イエスマンシップだけを条件に人を集めたら、上の顔を窺って、指示待ちする人間が集まるだけで、自分の頭でものを考え、判断する人間はあつまらない。上の人間が見落としたことを指摘し、上の人間が誤った判断をしたときに補正を提案するタイプの人間がどこにもいなくなる。「自分ではものを考えない人間」ばかりを集めた組織では権限委譲のしようがない。

「独裁的なシステムが有効だ」と主張する人がたくさんいますけれど、そういう人たちは自分の周りには「無能なイエスマン」だけを集めている。自分の指示を口をあけて待っている人間に取り囲まれていることがうれしくてしょうがないんです。自分が次々と指示を出さないと組織がさっぱり動かないのを見て、「オレがいないと何もできない連中だ」と思って、ご本人はいい気分になっている。でも、それは彼が有能だということではなく、無能なイエスマンばかりの組織を自作した結果なんです。いまの日本では、会社だけでなく、行政組織もそうなっています。「安倍一強」とか「官邸支配」というのは、行政の要路に「無能なイエスマン」ばかりを配したことの結果なんです。

どうすれば日本の組織は活性化するのか?

内田 日本の組織を何とかしようと思ったら、まず人材登用の第一条件をイエスマンとするというルールを廃止することです。そして、自分の頭で適否の判断が下せる優秀な人材を登用して、彼らに気前よく自由裁量権を与える。もちろん、いろいろな失敗もあるでしょうけれど、組織が活性化し、イノベーションを起こすためには、そうした方がいいんです。イエスマンたちで埋め尽くされた組織でイノベーションが起きるということは絶対にありませんから。

 かつての大学はその点ではいまよりずっと自由でした。適当に研究費がばらまかれて、研究テーマが社会的に有用かどうか、金になるのかどうかなんて誰も訊きやしなかった。だから、海のものとも山のものともつかないような研究を何年も続けることができた。そういう試行錯誤があるから、時々思いがけない学術的アウトカムが出て来た。研究の95パーセントはたいしたアウトカムを生み出さないものでしたけれど、5パーセントの「当たり」が出たら、研究への投資は十分に元が取れるものなんです。

 イノベーションというのはいつだって「まさか、そんなところから出て来るとは思ってもいなかったところ」から出て来るものです。だったら、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で予算をばらまくのが効率的なんです。とりあえず研究の成否について予測し査定するコストはゼロになる。

いまは社会的有用性があり、換金性が高いことがあらかじめ証明できる研究にしか予算がつかない。でも、先に何が出て来るかわかっている研究がイノベーティヴであるということは論理的にあり得ないんです。                        

 「イノベーション、イノベーション」と盛んに旗を立てる一方で、組織の体質やシステムの部分が逆行しているという話ですね。大学の研究に関しては、本当にもったいないと思います。その環境を作る側の人の脳内にまずイノベーションを起こさなきゃ!(笑)。

 教育でも研究でもそうですが、「無駄なものイコール価値のないもの」という固まった考えは有害になるので外さなきゃなりません。同調圧力が強い日本のような国で今までにない優れたものを誕生させるには、まず何よりも、自由な発想が生まれやすいのびのびした環境を整える事が先でしょう。環境を作ればメンタリティは後からついてくる。だから枠組みを作る側の責任は大きいのです。トップに立つ人間の価値観・思想によって組織の体質も運命も、大きく変わってしまう。今内田さんが仰ったように、教員を締めつければ、それは巡り巡って日本の知的財産や学校での教育レベル、これから社会に出てゆく子供達の知的レベルにマイナスの影響を与えますよね。現場を細かく管理するのではなく、全員がそれをやる事の真の目的や本質を理解しているか、そこから外れていないかどうかをチェックする事の方が、遥かに重要だと思います。


 総務省によると、参院選の21日午後4時現在の投票率は全国平均22.72%で、前回の27.25%を4.53ポイント下回った。

「上がるかな?」と思ったが厳しいようだ。
それにしても、選挙があることの実感が薄れているのではないだろうか?
田舎に住んでいることもあり、選挙カーを一度も見てないし、候補者の顔すらも見たことがない。チラシも入らないし、ハガキも来ない。
儲けるための「規制緩和」ばかりでなく、こうしたものの規制も緩和すべきだろうとおもう。
そうすれば、少しでも「関心」が高まるのではないだろうか。


1+1の答えがわからない。虐待、貧困......。そんな境遇の子どもたちに勉強を教えるNPOの活動とは

2019年07月20日 | 教育・学校

ハフポストBLOG 2019年07月19日 

 

 虐待や貧困など、やむを得ない事情で両親と離れて暮らす子どもたちは自然に学ぶことがほとんどなく、小学校の勉強に苦労する。認定NPO法人「3keys(スリーキーズ)」は、そんな子どもたちへの学習支援に取り組む。拠点充実のため、クラウドファンディングで支援を募っている。 

    • A-port朝日新聞社のクラウドファンディングサイト

 お風呂の中で数を数えるように、子どもたちは勉強ともいえないような段階で多くのことを学んでいる。

虐待や貧困など、やむを得ない事情で両親と離れて暮らす子どもたちは、そうした機会がほとんどなく、小学校で勉強を始めるときに苦しむ一因となっている。

 認定NPO法人「3keys(スリーキーズ)」は、そんな子どもたちへの基礎教育の支援に取り組んできた。より多くの拠点で支援をするために、クラウドファンディングで支援を募っている。

「親が追い詰められてしまうのでは」

 「自宅の近くに児童養護施設があり、子どもたちに勉強を教えるボランティアを募集していました。

そこで子どもたちと関わりを持つうちに、親元で暮らせず施設で育つ子が、全国で5万人もいることを知ったのです」

こう話すのは、3keysの代表を務める森山誉恵(たかえ)さん。

森山さんは、子ども時代をアメリカやアジア地域で過ごし、日本とは異なる国の文化に触れながら成長してきた。

日本に戻って大学へ進学した際、子育てや教育を家庭で抱え込まなければいけない日本の環境に驚いたという。

「施設に居た子たちは虐待や貧困などを理由に、自宅で暮らすことができない状態でした。もちろん子どもに手をあげてしまうことはいけないことですが、日本の場合には『親が子育てを完璧にしないといけない』というプレッシャーで追い詰められてしまうところもあるのではないか、と感じました」

 アメリカで森山さんが暮らしていた地域では、学生が行う定番のアルバイトにベビーシッターがあった。

ある程度成長した子どもはベビーシッターに預けることが一般的だったため、母親がひとりで育児を抱え込んでしまうことはなかった。 

 その後に引っ越したアジアの各地域でも、親戚や近所の人たちが全員で子育てをするような地域の繋がりがあった。いたずらをすれば誰もが親の代わりに叱り、いいことがあったら一緒に喜んでいた。

 森山さんはボランティアで学習支援を続けるうちに、今の日本では教育を受けるために費用がかかりすぎること、子育てを夫婦ふたり(あるいは一人)で完結しなければいけない社会であることが、親を追い詰める原因になっているのではないかと考えるようになった。

 しかし、問題意識をもっていても、自分ひとりで勉強を教えられるのは2〜3人が限界だ。

「この問題に対して、私は何ができるだろう?」と考えた結果、2009年に大学生を組織してより多くの子どもに学習を教えるための学生団体を設立した。

これが3keysの始まりだった。名前には、「きっかけ・きづき・きぼう」の3つの鍵を届けたいという思いを込めたという。

「1+1」が分からない

 施設で保護された子どもたちは、小学校や中学校に通っている。

恥ずかしながら筆者は「毎日学校に通えているのであれば、さらに勉強を教えてもらうのは贅沢なのではないか」と感じた。

ところが森山さんの説明を聞いて、これが大きな勘違いであったことを知った。

 学校にも行けているのに、なぜ学習支援が必要なのか。

まず、養護施設は子どもたちの命を守り育てる場所であるため、基本的には勉強を教えることをしない。

そして保護された子ども達の多くは、親と一緒に買い物をしておつりを受け取ったり、ものを見せて「これは何かな?」と名前を当てたりする時間をもった経験がない。

森山さんが出会った子どもたちの中には、空に浮かぶ、ふわふわした白いモノの名前が「くも」であることを知らない子や、目の前にあるパンが何個なのか分からないという子もいた。

その段階にいる子が小学校へ行って、いきなり「1+1の答えは何でしょう?」と聞かれても答えられる訳がない。

 3keysがしているのは、子どもたちが大人になった時に自分の力で生きていくために、学校でまなぶための準備をすることだ。

小学生になると、急にクラスメイトとの学力比較がはじまる。

それまでは知らないことが多くても気にならなかったのに、周囲の子たちが3回練習すればできることが自分は10回練習しないと身につかないことに焦りだす。

 原因は理解力の不足ではなく、幼い頃に受けられるはずだった遊びながらの教育が足りなかったことであるのに、本人にそんな事は分からない。

授業で先生が話すことが外国語のように聞こえて「だから自分はダメな子なんだ」「私は馬鹿だから、お母さんに捨てられたんだ」とやがては自己否定にまで繋がってしまう。

3keysではそんな悲しい思いをする子を減らすため、できるだけ早い段階から一人ずつ勉強のサポートをしていく。

 初期のころは市販のドリルを使って勉強を教えていた。

だが、ひらがなが分からないからといって、小学生や中学生の子たちに3歳児向けのアニメが描かれたドリルを渡しても、「幼稚園の子がするドリルはやりたくない!」と受け入れてもらうことが難しかった。

そこで、大人が見ても違和感をもたないようなドリルを独自に開発した。

使い方を教える際にも、「初歩的なことを理解していないから、勉強しなければいけない」など否定的な伝え方はしない。

クイズを出すような形式で、問題を解くのに慣れてもらうようにしている。

 ドリルの開発には、大人がつきっきりで補助をしなくてもいいことも重要なポイントだった。

施設のスタッフは、一人あたり何人もの子どもの世話をしている。一日中、勉強を教えていることはできないのだ。

手がかかる教材では継続してもらうことが難しいと考え、大人が説明する部分は最小限でいいように工夫している。

 ドリルを解くことが習慣化すると、学校での勉強も徐々に分かるようになってくる。黒板に書かれている内容が分かる、テストの点数が上がることは、子どもたちにとって今まで経験したことのない嬉しい体験だ。

さらには森山さんが予想もしていなかった、こんな効果もあった。

勉強が苦手だったある男の子が、少しずつ学習を積み重ねて授業についていけるようになった。

その子はひらがなが鏡文字になってしまうところから修正をはじめて、テストの点数もクラスの平均点に追いつくようになった。

すると「授業が分からないことから、教室を抜け出してしまう」「授業中に周りの子に話しかけて、進行を妨害してしまう」癖がすっかりなくなったのだった。

彼の姿を見て、施設にいる他の子たちもつられて勉強に取り組むようになったそうだ。

「ないがしろにしていい子どもたちはいません」

 今回のクラウドファウンディングは、日常のなかで基礎教育を受けられなかった子どもたちをサポートするための支援拠点を増やしていくことを目標にしている。

今後は、基礎教育の補助が必要な養護施設やひとり親家庭などに配布できるような学習ツールを作成することを目指していくという。

森山さんは「ないがしろにしていい子どもたちはいません。

生まれ育った環境によって子どもの権利が保障されない子どもたちがゼロの社会を実現するために、どうかみなさまのご支援をいただけますようお願いいたします」と支援を呼びかけている。

クラウドファンディングは9月3日まで。詳細はこちら

(取材・執筆=小松田久美/story’s base Inc.)

 


 

いよいよ明日、参議院選挙投票日です。
一人一人が大事にされる、誰も置いてきぼりにされない、そんな政治を求めます。 

 変えましょう!

基礎学力は「生きる力」、社会を変える力です。

学びの貧困」2017年11月10日 | 教育 も参考に上げておきます。

https://blog.goo.ne.jp/mooru1949/e/299b86596de99e3e565dfebf2224ee12

 

 


未成年の自殺死亡率が過去最悪。こんな国にした張本人は誰か?

2019年07月19日 | 社会・経済

  MAG2NEWS 2019.07.18

     by 河合 薫『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』

   先日閣議決定された「自殺対策白書」によると、全体の自殺死亡率は統計開始以来最も低い数値となったものの、未成年に目を向けると過去最悪を記録、20代までを加えた若者世代の死因のトップも自殺と、異常としか言いようのない状態となっています。いったい何が日本の若者たちを自死へと追い詰めているのでしょうか。健康社会学者の河合薫さんが、自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で考察しています。

 

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)

健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

 

日本の若者はなぜ自殺するのか?

  2019年版「自殺対策白書」が閣議決定されました。18年の自殺者数は2万840人で、前年から481人減り、37年ぶりに2万1,000人を下回りました。

   自殺死亡率(人口10万にあたり)は、1978年に統計を取り始めて以来、最も低い16.5で、自殺対策の効果が垣間見れる結果となりました。

ただ、19歳以下の未成年の自殺者数は前年より32人増え599人。自殺死亡率は2.8で統計開始以来最悪でした。

   若者の自殺率の高さはこれまでにも問題視されてきました。15~19歳の未成年者に加え、20代の死因のトップはすべて「自殺」。「若いんだから病気にはならない。自殺が一位って普通でしょ?」という意見もありますが、これは大きな間違いです。

以下に示すとおり、欧米の主要国の同年代の若者はいずれも事故死の方が多く、日本だけが事故死の3倍以上もの若者が自殺しているのです。

【「自殺」と「事故」の比率】

 日本   17.8:6.9

フランス 8.3:12.7

カナダ  11.3:20.4

米国   13.3:35.1

   このような状況を鑑み、今回の白書では過去10年の統計によって原因を分析。その結果、

小中学生の自殺の原因は「親子関係の不和」「家族からのしつけ・叱責」

高校生、大学生は「学業不振」「進路に関する悩み」「うつ病」

などが目立っていたそうです。

…なんとも。言葉がありません。

   生きるためにこの世に誕生した“子”が、自ら命を絶たなければならない社会は“異常”としかいいようがありません。

   自殺は個人の問題ではなく、社会の問題です。これまで行ってきた研究でも確かに性格傾向と精神疾患との関連は認められています。しかしながら、それはあくまでもリスク要因でしかありません。多数あるリスク要因のひとつです。

だって、人は「生きるため」に生まれてくるわけで。だからこそ誰が教えずとも必死に立ち上がり、歩こうとする。

赤ちゃんには生まれてから数時間で母親を見つめたり、表情を真似るようになるなど、身近な人と関わりを持とうとするのも本能です。

未熟な肉体で生まれてくる人間は、誰かの世話なくして生きていくことができません。そこで赤ちゃんはにっこり笑うことで、「私は生きています。私が健康で生きられるように手助けしてください」と他者とコミュニケーションをとるのです。“3カ月微笑”と呼ばれるこの仕草こそが、赤ちゃんが最初に身に付ける「社会性」なのです。

   いったい何が、若者たちを苦しめているのか?「子供社会は大人社会の縮図」と考えれば、自ずとその答えは出てくるのではないでしょうか。

大学の“教室”という空間で学生たちと接していると、彼らの生きづらさを感じることが頻繁にあります。

見た目は一見“今風”のおしゃれな学生でも貧困に喘いでいたり、一見“明るい”活発そうな学生でも自信喪失していたり。彼らは“キャラ”を演じている自分に疲弊し、SNSで“リア充自慢”する友人に気後れし、都内近郊の自宅から通う帰国子女の同級生に嫉妬し、自分の気持ちを正直に表現できる勇気を持てず、そんな自分に悩んでいました。

   時代の風や空気に敏感な若者は、社会の不寛容さを肌でビンビンに感じている。ちょっとでも「正解」から踏み外すと、負け組だのがんばりが足りないだのと自己責任論がはびこる社会です。

勝ち組だけにしか「未来」は存在せず、一度でも失敗をしたら再チャレンジが許されないことがわかっている。

   それは私たちオトナが暮す社会の生きづらさであり、閉塞感であり。「自己責任」という薄っぺらい“正義感”を振りかざす自称エリートの存在が、若者を息苦しくさせているのではないか。そう思えてなりません。


   今の日本の指導者が唱える「強い経済」「強い農業」「強い国」。
「弱い」者はどうしたらいいの?
「強い者」に寄り添う政治。
 changeしよう!

 今日の傘マークもなんのその。
お湿りにもならず。
明日も傘マークがついているが、今日並みだろう。


<参院選>「一人でも投票に行くんや!!」 31歳芸人の動画、279万回再生

2019年07月18日 | 社会・経済

 

 

 東京新聞 2019年7月18日 夕刊

「若者の政治離れ」と言ってる人に一言

 自身もかつては選挙に行かない若者だったという三十一歳のお笑い芸人が、若者に参院選の投票を呼び掛ける動画が、インターネット上で人気を集めている。参院選が公示された今月四日にツイッターに投稿した動画は、十八日午前までに再生回数が二百七十九万回を超えた。政治家が若者に届く言葉で政策を語ろうとしない「政治の若者離れ」を変えたい思いが配信の動機だ。 (村上一樹)

 「若者の政治離れもなにも、そもそも近づいたことが無いと思うねん」

 「それよりも、若者に近づいてもらうための工夫をした方がええんちゃうか」

 動画は、沖縄の海辺で赤いTシャツにふんどし姿のお笑い芸人「せやろがいおじさん」が、カメラに向かって語り掛ける場面で始まる。決めぜりふは「せやろがい」。関西弁で「そうだろ?」の意味だ。

 おじさんの正体は、奈良県出身で沖縄県を拠点に活動する榎森(えもり)耕助さん(31)。知名度を上げるため試行錯誤を重ね、昨年夏から「せやろがいおじさん」として時事問題や世間の風潮に物申すネタを動画サイト「ユーチューブ」やツイッターに投稿し始めた。

 今回のテーマは「若者の政治離れ」。離れる以前に、若者と政治の距離が遠いという問題意識だ。

 動画では、若者らに人気のショート動画配信アプリ「TikTok(ティックトック)」を例に挙げ「年配の方に『老人のTikTok離れ』って言うても絶対ピンと来(け)えへんやん。そんな感じ」と、若者と政治の距離感を表現する。

 一方、十月に予定される消費税増税について、困るのは所得が低い若者も同じだと指摘。「『俺が行かんくても一緒でしょ』じゃなくて、俺一人だけでも行くんや!」と呼び掛けた。

 ネット上では「人生で初めて、選挙に行こうと思った」などの多くのコメントが寄せられている。

 榎森さんは本紙の取材に「参院選には政権に緊張感を持たせる役割がある。動画を見た人はぜひ投票に行ってほしい」と話した。動画は「せやろがいおじさん 参院選」で検索できる。

 

ブルーベリー色づき始める。



 今年いただいた大きな株だが、植え替えの痛手か、さほど大きな実になっていないし、数も少ない。
 今朝の天気予報では、明日昼から大きな傘マークがついていたので安堵したのだが、今見るとなんと、しょぼい雨に変わり、他の予報を見ると雨なんかない。これじゃあ期待できません。

 あらたなひとから「いいね!」をいただきました。また説明しておかなければ「誤解」を生みそうなので・・・
わたしはPCでのみこのブログを見ています。
だから私はこの「機能」を使うことができません。
指定された「テンプレート」を使用すると利用できるようですが、せっかく作ったわたしだけのテンプレート」を変えたくありません。
『テンプレ‐ト」は、無料会員でも自分のデザインでできます。トライしてみてはいかがでしょうか?
 ところで、わたしのブログのプロフィールのところの「フォローする」ボタンを表示していません。
わたしが1日で訪れることができるブロガーさんは50~70人。ですので今は制限させていただいています。でも、この「新機能」ブログになってからは、まったく「フォロワー」さんを増やすことができなくなってしまいました。「フォロー」はできても「フォロー」されなくなってしまったのです。前の「機能」では「フォロー管理」画面から「フォロー」するボタンがありましたが、今は「拒否する」ボタンしかないのです。事務局に復活をお願いしているのですが・・・
 
 

深刻な中高年の「ひきこもり」 親も高齢化、見えぬ将来

2019年07月17日 | うつ・ひきこもり

東京新聞 2019年7月17日

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 かつては若者の問題とされていたひきこもり。今、問題視されているのは中高年だ。国が三月に公表した調査結果によると、四十~六十四歳のひきこもり状態の人は推計で約六十一万人にも。八十代の高齢の親が、引きこもる五十代の子どもの面倒を見る状況は「8050(はちまるごーまる)問題」と呼ばれ、親亡き後、子どもが頼る人を失うことが懸念されている。支援はどうあるべきか。 (細川暁子)

 五年前のある日、長女の部屋をのぞいた瞬間、悲鳴を上げた。赤く染まった布団に倒れている長女。首を包丁で刺し、自殺を図ったのだ。長女は当時、四十一歳。一命を取り留めたものの「死のうとしたのは、その時が二回目。今も目が離せない」。七十八歳になり、いつまで元気でいられるかと思うたび、母親は不安に襲われる。

 長女は東海地方の高校を卒業後、事務員として就職したが、人間関係に悩み、四年で「辞めたい」と言いだした。「みんな働いているのに、なぜできないのか」。夫(78)が諭し、車で職場に連れて行った直後、長女はカッターナイフで手首を切った。そのまま一年ほど家にこもった後、今度は工場で働き始めたが、そこも半年で辞めた。以来約二十年間ひきこもっている。

 長女は、パソコンはおろか、携帯電話も持たない。ほぼ一日中、自室で寝て過ごし、食事は一人。風呂にも入らず、母親が体をタオルで拭いたり、髪を切ったりしている。話し掛けても、返事はほとんどない。

 六年前、やっと連れて行った精神科で統合失調症と診断された。今は障害年金を受給し、月に数回、訪問看護を受けている。「私たちが亡くなれば娘も立ちゆかない。今後について話し合う必要があるが不安にさせるとその後が怖い」

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ひきこもりの高齢化は、三月に国が公表した調査データで初めて明らかになった。これまで三十九歳までだった対象を、四十~六十四歳に広げて行った今回の調査。ひきこもりを「半年以上、家族以外とほとんど交流していない人。買い物などに出掛けるほかは外出しない人」と定義、身体的な病気のある人は除いた。

 それによると、ひきこもりの期間が五年以上の長期に及ぶ人は半数を超える51%に。複数回答できっかけを尋ねたところ、「退職した」が36・2%と最多で、「人間関係がうまくいかなかった」、「病気」がそれぞれ21・3%だった。

 二〇一七年度、NPO法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会が、生活困窮者向けに設けられている各自治体の相談窓口二百十五カ所を調べたところ、回答のあった百五十一窓口のうち、「ひきこもりの相談を受けたことがある」と答えたのは88・1%。それを年齢別に見ると四十代の相談が最も多く60・9%に。さらに、四十代以上の百九例について両親の状態を分析したところ、父親は「死別」が48・6%、母親は「七十代」が32・1%で最多だった。親の死後、あるいは親が高齢化する中で、ひきこもりの中高年が貧困に陥る事態が浮き彫りになった。

 バブル崩壊後、国内の景気は低迷し、若者たちは超就職難に見舞われた。今の四十代は、まさにその時代に社会に出た世代だ。〇八年にはリーマン・ショックもあった。政府が六月に発表した三十五~四十四歳の雇用形態によると、正規雇用を希望しながら非正規で働いている人は現在、五十万人に上る。家族会連合会の調査をとりまとめた愛知教育大准教授の川北稔さん(社会学)は「非正規の仕事にしか就けなかったり、リーマン・ショックで雇い止めに遭ったりしたことが、生きづらさにつながっている」と分析している。

◆就労以外にも「居場所」を 支援の形、見直す自治体

ひきこもりの子を持つ親らでつくる「NPO法人なでしこの会」の例会に集まった人たち=名古屋市内で

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 職業訓練を行う就労移行支援事業所で週五日、パソコンの使い方を学ぶ愛知県内の五十代の男性。昨年、計二十年近いひきこもりの状態から抜け出した。

 高校卒業後、専門学校に入ったが、人と話すのが急に怖くなった。結局、一週間で退学。家電量販店や飲食店でのアルバイトも続かなかった。家にこもるようになり、二十六歳の時、うつ病と診断された。

 ひきこもっている間は、「社会との接点を失いたくない」と新聞記事を書き写すなどして過ごした。常に「このままではいけない」という思いがあり、派遣会社に登録して働いた時期もあったが、再び人とかかわるのが苦痛になって閉じこもるように。社会不安障害などと診断され、障害者手帳を取得した。

 転機は三年前。八十代の父親と、名古屋市の家族会「NPO法人なでしこの会」に話を聞きに行った。メンバーは、ひきこもりの子を持つ親たちだ。根掘り葉掘り聞かれることもなければ、「働かなきゃ」などと諭されることもなかった。「この人たちなら分かってくれる」と安心できた。会を通じて行政関係者の話を聞いたのを機に、就労移行支援事業所に通い始めた。今は「障害者枠でも働きたい」と意気込む。

 なでしこの会は二〇〇一年に結成され、会員は約九十人。七十代前後の親が中心だ。一一年からの四年間は、愛知県の委託を受け、精神保健福祉士らを最大五人雇い、個別の訪問相談などを行っていた。一三年には、ひきこもりの当事者が調理や接客を担うカフェも開設。住民らが昼食を食べに訪れるなど好評だった。

 こうした取り組みを支えた計八千万円は、国の緊急雇用創出事業交付金をもとに県が設けた基金だ。交付金のそもそもの目的は、〇八年のリーマン・ショックを機に失業した人らを仕事に就かせること。事業が一五年で終わったため、カフェは二年を待たずに閉じた。自身もひきこもりの娘(31)がいる理事長の田中義和さん(67)は「会員の会費だけでは厳しい」と漏らす。

 活動の財源に雇用対策用の金が充てられたことが示すように、従来のひきこもり支援は、当事者を就労に導くことがゴールだった。だが、それは変わりつつある。なでしこの会をきっかけに、自立への道を歩み始めた男性は「親にとっても、子にとっても、まず必要なのは、自分の気持ちを吐き出せる外の『居場所』ではないか」と話す。自らの経験も踏まえ、家族だけで何とかするのは無理だと感じる。「どんな人でも自分の思いを分かってほしいという気持ちがある」

 注目されるのが、岡山県総社市の取り組みだ。一七年に全国の自治体では初めて、ひきこもりの支援センターを開設。翌年には、市社会福祉協議会が空き家を借りて居場所「ほっとタッチ」の運営を始めた。センターでは専門職員二人が電話や訪問などで相談に応じるほか、「ほっと-」では市の講習を受けた住民らが一緒に野菜作りを楽しむなどしている。ひきこもりに関する行政の相談窓口は、四十歳未満を対象とする青少年担当の部署が受け持つことが多い。一方、年齢の制限がない総社市では相談に来た二百七人のうち七十七人が四十歳以上だった。

 十五~三十九歳の若年層と中高年を合わせると、国内のひきこもりは百万人を超えるとみられる。愛知教育大の川北さんは「人とふれあえる居場所をつくり、掃除や調理など『役に立った』と感じられる活動をしてもらうことが第一歩」と指摘。「家族だけに責任を押しつけず、行政や支援団体などのチームで支えることが大事」と話す。

 


 

 予報では1日中☁、所によっては一時強い雨。全然期待できない。1日中☀だった。まとまった雨が欲しい。

ツユクサ。