釧路本線
太平洋沿岸の釧路とオホーツク海沿岸の網走を結ぶ目的で、両側から建設が進められ
路線は網走などに流された囚人らの手で建設されました。
網走側は、網走本線の延長として1924年から1929年にかけて札鶴まで開業
釧路側は、釧網線として1927年から1930年にかけて川湯(のちの川湯温泉)まで開業
このうち、標茶 - 弟子屈(のちの摩周)間は、1896年に事実上廃止となった釧路鉄道の旧路盤を利用している
弟子屈駅
摩周駅(ましゅうえき)は、北海道川上郡弟子屈町朝日1丁目7-26にある
旧称は弟子屈駅(てしかがえき)だったが、
990年(平成2年)11月20日に観光振興のために摩周駅に改称
網走駅
網走線(後に網走本線)の終着駅として開業した(初代)網走駅は、
札弦方面への延伸と共に途中駅となり、この方面への運行がスイッチバックとなる煩わしさが発生していた
1932年(12月1日:現在の位置に(2代目)網走駅を設置。
旅客・荷物のみ取扱い。(初代)網走駅を(初代)浜網走駅に改称し、同時に旅客扱い廃止。貨物のみ取り扱い
釧路駅
釧路市の代表駅で北海道旅客鉄道釧路支社が置かれている。
建物は道内で現存する最後の民衆駅であり、
駅舎はかつての札幌駅旧駅舎(4代目)に似た作りをしている(建設当初の外壁カラーは札幌駅と同じブルーであった)
東北海道の鉄道基点である旧釧路駅跡に設けられた幸町公園には、
1916年(大正5年)北海道内の鉄道線路の延長が千マイルに達したことを記念する北海道鉄道記念塔がある