こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は栃木県日光市から群馬県沼田市を結ぶ国道120号の一部
椎坂峠(しいさかとうげ)を掲載してみたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/be/daa381a821c06bedb2104941cc7314e3.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)は群馬県沼田市にある峠
椎坂峠旧道は、一部を除き、地図上では国道120号扱いではなくなっている
峠の頂上に「オルゴール館椎坂」などの観光施設が集約していたが、
後述のバイパス開通を待たずして2012年に閉業している
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a5/0fffe8236f54a62e69cb9f04b48f372c.jpg)
群馬県沼田インターから国道120号尾瀬片品村方面に車を走らせると
かつて賑わっていた椎坂峠(しいさかとうげ)オルゴール舘の
赤い屋根が見えてきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2f/b676bc2e4f19e311c2c852d0c7094f24.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)
栃木県日光市から群馬県沼田市を結ぶ国道120号の一部
群馬県沼田市利根町 - 白沢町間にあり、標高は約793メートル(旧道)である
明治維新後、本区間における道路の開削はまず数坂峠から着手されたが、
難工事により中断 代わって栗生峠が開削され、
大正時代に栗生隧道が完成した 戦後、1953年(昭和28年)に
本区間が二級国道に指定されると、
1958年(昭和33年)から椎坂峠への付替工事が着手され、
1964年(昭和39年)に開通した 2車線化され大型車の通行も可能になり、
尾瀬への観光客やスキー場へのアクセス道として使われてきた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ab/c224b1d1670020198d9f1915ad2693e6.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)巨大廃墟と化したオルゴール舘
椎坂峠へは山道特有の急カーブや急坂が連続し、降雨や積雪、
凍結などで通行止めとなった際は利根町や片品町が孤立化するという
問題を抱えていた 2013年11月22日に峠越え区間を
トンネルで避ける新道・改良事業「椎坂バイパス」が開通し、
交通の流れはバイパス経由へと切り替えられた
(供用廃止はしていないので、現在でも椎坂峠越えの通行は可能だが、
後述のオルゴール館跡以外、特段観光地や大型施設等は確認できず、
基本的に通過するだけの道になっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/3a/369823fb0b22c138cd9781ff9a933b9d.jpg)
車の通行も少なく賑わっていたオルゴール舘もひっそりとしていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4e/6621f4f93f13e7bf95a6957a95346cc7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8f/6b2277a86c092163e72b1d12c7755d7b.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)オルゴール舘には
吹割の滝観光、尾瀬、日光戦場ヶ原観光の際、帰り道に
お土産を買いに立ち寄ったものです
尾瀬探勝の観光バスの休憩地として栄えていたものです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f7/47278980f3d80692310ac6e68a178ea0.jpg)
広い駐車場もひっそりとしていて廃墟のようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/d9/de3414ded67295ee0481f6c75925e9c3.jpg)
2013年に完成した椎坂バイパス トンネル
あっという間に通り抜けてしまいました
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は栃木県日光市から群馬県沼田市を結ぶ国道120号の一部
椎坂峠(しいさかとうげ)を掲載してみたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/be/daa381a821c06bedb2104941cc7314e3.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)は群馬県沼田市にある峠
椎坂峠旧道は、一部を除き、地図上では国道120号扱いではなくなっている
峠の頂上に「オルゴール館椎坂」などの観光施設が集約していたが、
後述のバイパス開通を待たずして2012年に閉業している
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a5/0fffe8236f54a62e69cb9f04b48f372c.jpg)
群馬県沼田インターから国道120号尾瀬片品村方面に車を走らせると
かつて賑わっていた椎坂峠(しいさかとうげ)オルゴール舘の
赤い屋根が見えてきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2f/b676bc2e4f19e311c2c852d0c7094f24.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)
栃木県日光市から群馬県沼田市を結ぶ国道120号の一部
群馬県沼田市利根町 - 白沢町間にあり、標高は約793メートル(旧道)である
明治維新後、本区間における道路の開削はまず数坂峠から着手されたが、
難工事により中断 代わって栗生峠が開削され、
大正時代に栗生隧道が完成した 戦後、1953年(昭和28年)に
本区間が二級国道に指定されると、
1958年(昭和33年)から椎坂峠への付替工事が着手され、
1964年(昭和39年)に開通した 2車線化され大型車の通行も可能になり、
尾瀬への観光客やスキー場へのアクセス道として使われてきた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ab/c224b1d1670020198d9f1915ad2693e6.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)巨大廃墟と化したオルゴール舘
椎坂峠へは山道特有の急カーブや急坂が連続し、降雨や積雪、
凍結などで通行止めとなった際は利根町や片品町が孤立化するという
問題を抱えていた 2013年11月22日に峠越え区間を
トンネルで避ける新道・改良事業「椎坂バイパス」が開通し、
交通の流れはバイパス経由へと切り替えられた
(供用廃止はしていないので、現在でも椎坂峠越えの通行は可能だが、
後述のオルゴール館跡以外、特段観光地や大型施設等は確認できず、
基本的に通過するだけの道になっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/3a/369823fb0b22c138cd9781ff9a933b9d.jpg)
車の通行も少なく賑わっていたオルゴール舘もひっそりとしていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4e/6621f4f93f13e7bf95a6957a95346cc7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8f/6b2277a86c092163e72b1d12c7755d7b.jpg)
椎坂峠(しいさかとうげ)オルゴール舘には
吹割の滝観光、尾瀬、日光戦場ヶ原観光の際、帰り道に
お土産を買いに立ち寄ったものです
尾瀬探勝の観光バスの休憩地として栄えていたものです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f7/47278980f3d80692310ac6e68a178ea0.jpg)
広い駐車場もひっそりとしていて廃墟のようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/d9/de3414ded67295ee0481f6c75925e9c3.jpg)
2013年に完成した椎坂バイパス トンネル
あっという間に通り抜けてしまいました
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
ちんこ飴を土産に買って帰りました。
そうそう気持ちよく打ちっ放しで遊んでる方を拝見しました。