こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は群馬県吾妻郡中之条町にある
若山牧水が越えた名も寂し 暮坂峠を掲載してみたいと思います
群馬県道55号中之条草津線上にある暮坂峠
暮坂峠(くれさかとうげ)は、群馬県吾妻郡中之条町にある峠
かつては六合村と中之条町の町村境であった
(現在は当該町村同士が合併) 標高は1088m
峠付近には若山牧水の歌碑がある
暮坂峠にある石仏とお地蔵様
石仏は苔むしていて古き主要道の面影が偲ばれます
暮坂峠頂上付近の景観
暮坂峠頂上付近の景観
暮坂峠周辺の案内図
暮坂峠にはマントを羽織った旅姿の若山牧水像
(石像)や『枯野の旅』(随筆集「樹木とその葉」/大正14年)の歌碑も立っています
マントを羽織った旅姿の若山牧水像
歌人若山牧水が詠んだ数少ない詩のひとつ、
若山牧水は、明治32年、宮崎県生まれ 暮坂峠へは、
大正11年10月20日に、花敷温泉から四万温泉へ向う途中におとずれ、
歌を詠んでいます 文中では、雪景色の中を沢渡温泉に向かって、
弟子の門林兵治(文中ではK-君)と2人徒歩で越えたところです
牧水は、「...やがてひろびろとした枯芒の原、
立枯の楢の打続いた暮坂峠の大きな沢に出た」と
印象を書いています 草津温泉から暮坂峠を越え沢渡温泉に至る道端には、
その文中に挿入された歌の碑がたくさん立てられ、
自然環境もよく残されていて、当時の旅を追想させる所です
別に、この時の印象を詠った「枯野の旅」という詩が残されていて、
これを刻んだ立派な詩碑と牧水の旅姿の像が、
1957年(昭和32)峠に立ちました
この詩が刻まれた碑が建つ暮坂峠は、古くから草津へ抜ける
交通の重要な役割を果たしてきました 現在では日本ロマンチック街道となり、
詩碑と、マントを羽織った旅姿の牧水像が美しい景観を見守り続けています
暮坂峠へは、大正11年10月20日に、
花敷温泉から四万温泉へ向う途中におとずれ(若山牧水)
若山牧水が越えたとされる旧道も残されているようです
暮坂峠(くれさかとうげ)
かつては草津温泉と中之条を結ぶ主要道で、強酸性の草津温泉から、
仕上げの湯として柔らかい湯の沢渡温泉へと向かう湯治客で、
江戸時代には大いに賑わったのだとか
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は群馬県吾妻郡中之条町にある
若山牧水が越えた名も寂し 暮坂峠を掲載してみたいと思います
群馬県道55号中之条草津線上にある暮坂峠
暮坂峠(くれさかとうげ)は、群馬県吾妻郡中之条町にある峠
かつては六合村と中之条町の町村境であった
(現在は当該町村同士が合併) 標高は1088m
峠付近には若山牧水の歌碑がある
暮坂峠にある石仏とお地蔵様
石仏は苔むしていて古き主要道の面影が偲ばれます
暮坂峠頂上付近の景観
暮坂峠頂上付近の景観
暮坂峠周辺の案内図
暮坂峠にはマントを羽織った旅姿の若山牧水像
(石像)や『枯野の旅』(随筆集「樹木とその葉」/大正14年)の歌碑も立っています
マントを羽織った旅姿の若山牧水像
歌人若山牧水が詠んだ数少ない詩のひとつ、
若山牧水は、明治32年、宮崎県生まれ 暮坂峠へは、
大正11年10月20日に、花敷温泉から四万温泉へ向う途中におとずれ、
歌を詠んでいます 文中では、雪景色の中を沢渡温泉に向かって、
弟子の門林兵治(文中ではK-君)と2人徒歩で越えたところです
牧水は、「...やがてひろびろとした枯芒の原、
立枯の楢の打続いた暮坂峠の大きな沢に出た」と
印象を書いています 草津温泉から暮坂峠を越え沢渡温泉に至る道端には、
その文中に挿入された歌の碑がたくさん立てられ、
自然環境もよく残されていて、当時の旅を追想させる所です
別に、この時の印象を詠った「枯野の旅」という詩が残されていて、
これを刻んだ立派な詩碑と牧水の旅姿の像が、
1957年(昭和32)峠に立ちました
この詩が刻まれた碑が建つ暮坂峠は、古くから草津へ抜ける
交通の重要な役割を果たしてきました 現在では日本ロマンチック街道となり、
詩碑と、マントを羽織った旅姿の牧水像が美しい景観を見守り続けています
暮坂峠へは、大正11年10月20日に、
花敷温泉から四万温泉へ向う途中におとずれ(若山牧水)
若山牧水が越えたとされる旧道も残されているようです
暮坂峠(くれさかとうげ)
かつては草津温泉と中之条を結ぶ主要道で、強酸性の草津温泉から、
仕上げの湯として柔らかい湯の沢渡温泉へと向かう湯治客で、
江戸時代には大いに賑わったのだとか
最後まで御覧頂きありがとうございます
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