盗人宿

いまは、わかる方だけ、おいでいただければ。

八兵衛

2019-05-22 13:08:20 | にゃんころ
下総(いまの千葉)の成田といいますと成田のお不動さんで知られたもので、交通不便の昔は江戸から成田まで参詣に行ってくるとなりますと、どうしても往復に三日はかかったものだそうです。

途中の泊まりは大概が船橋ですが、浮気男たちは普通の宿屋でなく女郎屋に泊まります。
そのため船橋の女郎のことを「八兵衛」と呼んだそうで、これは「行きにしべえか、帰りにしべえか」と悩むところから「しべえ」がふたつで八兵衛になったとか。

 「おう、明日は早立ちだ、今夜は早寝するとしよう」
 「そうだねえ……お前さん、成田詣ではいいけれど、船橋で八兵衛なんぞ買っちゃぁ駄目だよ」
 「なあに、たかが三日の旅じゃねえか、そんなことするもんか」
 「そんならいいけどさあ……」
 「それより短くても旅ぁ旅だ。ひとつお暇乞いをしようじゃねえか」
 「およしよ、まだ金坊が起きてるよ。それにお前さん、むこうへ行く前に垢離を取って体ぁ浄めなきゃいけないんだろ」
 「なぁに、成田に着いてから浄めりゃ、かまやしねえよ。なあ、おい……」

てんで、その晩はお暇乞いをいつもより入念に済ませまして、さて翌日、いよいよ出立という時に、金坊が、

 「お父っちゃん」
 「なんでえ」
 「うちの鶏も、一緒に行くのかい?」
 「鶏なんぞ行きゃしねえよ、なぜだ?」
 「だってほら、ご覧よ、あそこでお暇乞いをしてらあ」
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消える球

2019-05-21 19:51:34 | にゃんころ
野球の上原投手が引退しました。

上原といえば2013年のワールドシリーズで、レッドソックスのクローザーとして優勝投手になったことで有名です。
日本では先発で活躍していましたが、彼は「アメリカで投げたい。先発にはこだわらない」と、オリオールズでも最初は先発でしたが途中から中継ぎとクローザー、レンジャースでも主にブルペン要員でした。
日本で先発していた選手はメジャーに渡っても先発で投げたがるものですが、彼は逆にクローザーとして各球団から争奪戦が起こるまでになりました。

レッドソックスに移籍した時も、ブルペンにはハンラハンやベイリー、そして田澤などがいましたが、いずれも不調や怪我で調子を落とし、上原にクローザーの座が回ってきました。
そこからの活躍はいまさらいうまでもないでしょう。
レッドソックスの本拠地、グリーンモンスターで有名なフェンエイパークの内部フロアには、過去の輝かしい歴史の写真とともに、上原が最後の打者を三振に打ち取って捕手に抱きかかえられながら、泣き顔で天を指差している写真が飾られているそうです。

球速は速くても140km/h前後で、160を超える投手がごろごろいる中でなぜ上原はクローザーという重要なポジションで活躍できたのか。
彼はいわゆる「球持ちがいい」、つまり他の投手よりホームベースに近い所で球を離すのです。
だから打者には、球速計の数字より速く感じられます。

球種は「ツーシームとスプリットだけ」といわれますが、彼は指の場所や握りをほんの少し変えるだけで同じツーシームでも曲がり方が違うのです。
しかも同じフォームで、投げてからマウンドとホームベースの中間あたりにくるまで、どう曲がるかわからない。
さらにスプリットも混ぜてくるのですから、打者にとっては厄介です。
多くの打者は「あいつの球は消える」といっていました。


メジャーに確実な実績と強い印象を残した上原ですが、私の記憶に残る彼はまだ日本で投げていた時です。

シーズン終盤、名前は忘れましたが誰か外国人打者が本塁打を55本打って、まだ数試合を残していました。
55本といえば王貞治氏の現役時代の最多本塁打記録で、長い間「外国人にそれを抜かせてはいけない」というのが日本の全球団の「暗黙の了解」、つまり残り打席はすべて敬遠されました。
上原にも、ベンチ(私の嫌いな読売)から敬遠の指示がでました。

しかし上原はそれを拒否し、勝負を要求しました。
マウンドには投手コーチが行って説得するのですが、彼は涙を流しながら拒む。
「記録は抜かれるためにあるのではないか、勝負するのが怖くて敬遠するなんて卑怯だ」と。

最終的には敬遠に同意しましたが、この時点で彼は日本野球のどろどろした側面に嫌気がさしたのではないでしょうか。
あれがあったからこそ、上原のメジャーでの活躍につながったと私は思っています。

日米通算で、彼は100勝、100セーブ、そして100ホールド(中継ぎとしてリードを保ってクローザーにつなぐ)を達成しています。
日本人ではもちろん彼が初めて、メジャーでも彼を含めてふたりしか成し遂げていない記録です。
引退はしても、彼は日米で成功を収めた輝かしい投手のひとりとして、多くの人の心に残り続けるでしょう。
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浦島太郎

2019-05-20 13:37:35 | FFXI
先月FFXIに復帰して、とっくに忘れていたことをいろいろ思い出してきました。

いつも申し上げているように私はMac使いで、Windowsのことはほとんどわかりません。
壊れていたコントローラを安物の新品(1,600円)に買い換えて、コンフィグでボタンやレバーの設定をするところから躓きました。
PS2と同じ動きにしたいのに、設定ソフトがわかりづらく、しかもXIを動かしている時はコンフィグが起動しないので、設定をしてはXIを立ち上げ、おかしい部分はXIを終了させてコンフィグを起動してまた修正、の繰り返し。
なんせブランクが長かったので、「これはPS2と同じだろうか」と指が思い出すだけでも時間がかかりました。

動かせるようになったら、次はミッション、クエスト、そしてバトルをしなければなりません。
いまXIのレベル上限は99ですが、IL(アイテムレベル)というものがあり、武器や防具にILがついていると実質的にレベル119まで上げられます。
一部のヘビープレーヤーはこのIL119にさらにオーグメント(付加価値)をつけ、より強化を進めています。

私はといえば、2キャラのうちひとりがぎりぎりIL119、もうひとりはIL117です。
XIでは頭・胴・手・脚・足の5部位の防具、1または2部位の武器を装備できます(日本刀や両手剣などは1本、短刀や片手斧など二刀流ジョブは2本)。
これらをすべてIL119にすれば、とりあえずキャラ全体も119になります。
しかしそれ以外にも首や耳、背、腰など最大で16部位まで装備品をつけられるので、同じ119のキャラでもこれらの強さによってピンキリなのです。

しかもピアスひとつが1000万ギル(XIの通貨単位・だいたい感覚としては日本円に近い)とか、とんでもなく強い相手を倒さないと手に入らないとか、強化のためにアイテムが5万個必要とか、復帰間もない私には別世界に見えます。
とりあえず昔のやり残しのミッションやクエストを進め、地道に小銭を稼いで少しずつ強化する以外の道はありません。

まあ、私は「何を倒したか、レベルはいくつか」よりも、ミッションやクエストの「物語」を味わいたくてやっているようなものですから、しょせんヘビープレーヤーに追いつくつもりはないし、あっても無理な話です。
時間だけはたっぷりあるので、やり残しをゆっくり楽しむことにいたします。
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鬼平

2019-05-19 14:29:09 | にゃんころ
いまアニマックスで「鬼平」というアニメをやっています。

鬼平といえば、あの池波正太郎の名作「鬼平犯科帳」。
原作はお読みになったことがなくても、中村吉右衛門が鬼平こと火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を演じたドラマなら、ご覧になった人も多いでしょう。
あるいはさいとう・たかをが原作を漫画にしたものを、本屋やコンビニで見かけた人もおいでのことと思います。
ちなみに私は最初にドラマ化された、松本幸四郎(後の松本白鸚)のモノクロ版もリアルタイムで観ています。

ドラマや漫画に比べると、アニメの鬼平はもう少し若くていわゆる「ぞろっぺい」とでもいうんでしょうか、あまり偉そうにしていないし貫禄というよりは働き盛りの雰囲気。
アニメの製作には池波正太郎の作品を管理する事務所も絡んでいるので、いわば作者公認の新しい鬼平スタイルといえるでしょう。

もともとは2017年にテレビ東京で放送したものらしいのですが、私はスカパーばかりで地上波はほとんど観ないのでこの作品の存在は知りませんでした。
まあ大抵のアニメは、数年もすればスカパーのどこか(大抵アニマックス、劇場版はたまに日本映画専門チャンネルなど)で流れますから、地上波の番組はチェックしてないのですよ。

原作が優れているのでアニメもおもしろいのは当たり前ですけど、このアニメはキャラクターデザインとテンポがいい。
音楽もかっこいいし、エンディングテーマを歌っている由紀さおりの歌声も、相変わらず透き通って艶っぽい。

いま、うちの弐号機は、忙しいんですよ。
平日は毎日「夏目友人帳」「鬼平」「カウボーイビバップ」、週末は「どろろ」の1969年版と2019年版、日曜深夜は「食戟のソーマ」。アニメだけでこれだけ録画しています。
他にも毎週録画している番組が何本もありますが、これは途中でCMが入らないので頭とお尻の余分を消去すればよいので楽です。
アニマックスは途中に何ヶ所もCMや番宣が入るので、これを削るのがなかなか面倒です。
番組によってはキャプチャーのマーカーが入っていなかったり、CM明けのずれた所に入っていたり。
まあ時間は山ほどあるので、地道にリモコンと格闘しながら日々を過ごしています。


話は変わりますが、きょうは長女の誕生日です。
そう、私と1日違いなんですよ。
もう何年も会っていないし、何をしているかも知りませんが、便りがないのはいい便りなのでしょう。
いつの日か、また会えると思います。
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還暦

2019-05-18 09:39:38 | にゃんころ
さて、ついに私も干支が一周してしまいました。
名実ともに高齢者の仲間入りです。

この歳になりますと、

 誕生日 冥土の道の 一里塚

ですから、喜びというものはないですね。
まあ人並みに干支をひと周りできた安堵感と、後は残り時間がまた減っていくという虚無感しかありません。
両親と兄は祝ってくれましたが、他に祝ってくれる人もなし、娘たちはどこでどうしていることやら。

そういえば次女が家を出て、ひとり暮らしをしているようです。
「声優になりたい」というので養成学校を出ましたが、うまくいかないことは私には最初からわかっていました。

たとえば役者なら、年相応の役というものがあるわけで、70や80を超えた老優が十代を演じるわけにはいかないし、その逆もできません。
まあ特殊メイクさえすれば、こんな↓こともできますが、これはあくまで特別な例外。

 https://www.youtube.com/watch?v=8DnKOc6FISU

つまり役者は長く続けていると、必然的に演じられる役の年齢層が上がっていき、世代交代が行われます。

ところが優れた声優は、若いうちから老人の声で演じられるし、何十年も同じ役を演じる人も少なくありません。
しかも定年もない。つまり「上がつかえて」いるのです。
一方、若い声優希望者、つまり養成学校の卒業生などは、何万人もいます。
その中からプロになれるのはほんの一握り、ほとんどは仕事ももらえず挫折していきます。

次女は声優に早めに見切りをつけて、何年か演劇をやっていたようですがそれも辞めて、もうずいぶん会っていないのでいま何で食っているのか私も知りません。
まあ短い間とはいえ、やりたいことができたのだから幸せだといえるでしょう。
この先も幸せであるかどうかは、彼女が生き方を決めることです。

願わくば私のように「うれしくない還暦」は迎えてほしくないものです。
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最後の日

2019-05-17 10:30:57 | にゃんころ
きょうは、私が50代の最後の日です。

振り返ってみればパワハラで鬱病になり、職を失い、肝炎で死にかけ、新たな職にも就けず、ひたすら家にこもって通院と買い物ばかりの50代でした。
人生でいちばん働ける貴重な時間を無駄にして、自己破産で借金をチャラにして、本当にただ生きているだけの世捨て人でした。

……なんて他人の不幸話を読んでも、楽しくもありませんよね。
ここは気分を変えて、みなさんに質問。

 アメリカの国歌の題名は?

「星条旗よ永遠なれ」と答えた人、間違いです。「星条旗」が正解。

実はこれ、私も勘違いしていて、きのう知人に教わりました。
音楽、特に吹奏楽を学んだ人でないと、正しく答えられる人は少ないのではないでしょうか。
「星条旗よ永遠なれ」も、聴けば誰でも知っている名曲なんですが、これって音楽の授業で習いましたっけ?
もう昔のことだから覚えていません。

来年はオリンピック。あちこちの、ひょっとすると初めて耳にする国歌が流れるかもしれません。
主なものでは、

 ドイツ「ドイツの歌」
 フランス「ラ・マルセイエーズ」
 イギリス「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」
 ロシア「ロシア連邦国歌」
 中国「義勇軍行進曲」

などなど、調べてみると「曲はよく聞くけど曲名は知らない」ものがたくさんあります。
イギリスやフランスはみなさんご存知でしょうが。

ウィキペディアに各国の国歌の一覧が載っているので、興味をお持ちの人は調べてみてはいかがですか。
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機種変更

2019-05-16 17:33:46 | にゃんころ
いま使っているiMacは2009年製のもので、すでに最新のMacOSは動きません。

どうせ仕事で使うわけではないので高性能は必要ないのですが、そろそろくたびれてきました。
もう10年動いてくれてきたのと、今週末で私が還暦になる区切りに、新しいものに入れ替えることにしました。
別に還暦は関係ないんですけどね。

いまも昔もMacの買い時は「欲しい時にいちばん新しい機種を買う」。
まさに新しいiMacが出たばかりなので、いいタイミングです。
生活保護受給者はあまり高い買い物をしてはいけないのですが、数十回の分割で払えばさほど無理もかからないし、そもそもひとり暮らし世帯にインターネットは不可欠です。
そんな何十万もするものでない限り、生活保護を打ち切られることはないでしょう。

きょうアップルに電話をしたところ、オプションなどをつけて価格は想定の範囲内。
ただ、新製品が出てしばらくは銀行振り込みやコンビニ払いができないらしいので、数週間待ってそれができるようになってから、改めて購入しようと考えています。
いよいよ還暦が関係なくなってきましたね。


それまではこの文章を書いているiMacを使い続けることになります。
故障もせずにいままでよくがんばってくれました。
まだ動くのを手放す(リサイクルに出す)のはもったいないともいえますが、アップルに頼めばリサイクルもきちんとやってくれるでしょう。
中にはいいかげんな処分をする業者もいますから、信用できるところに託すのが基本です。

というわけで、購入とリサイクルのタイミングによっては、このブログが数日間お休みさせていただく可能性があります。
あらかじめご了承ください。
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写真

2019-05-15 11:15:38 | にゃんころ
昔のgooブログは、もっと写真の掲載が簡単だった気がするのですが……

私も今週で還暦を迎えるので、新しい機能を覚えるのは苦手です。
もちろん昔はワークステーションからスーパーコンピュータまで仕事で扱ってきましたから、コンピュータそのものが苦手なわけではないのです。
ただ、普段使っているMacOSが実にわかりやすいものですから、現在のgooブログの「画像を載せたいなら先にアルバムを作れ」というシステムがどうにも不便で、これまで使おうという気になりませんでした。

しかしこのままではずっと文章だけのブログが続くことになるし、先日のミサイルの写真のようにURLを載せるだけでは読者に手間と不便をかけてしまいます。
そこで四苦八苦の末、ようやくアルバムの作り方がわかりました。
このブログで最初に掲載する写真は、



「よろしく、なの。」

私の生活のパートナー、のらくろです。
猫好きの人なら顔立ちでおわかりのとおり、雌です。

実はこの写真は10年以上前の、まだ1歳になっていない頃の写真です。
人間でいえば中学生くらいでしょうか。
以前に住んでいた家で撮影したものです。
いま住んでいる家は狭くて散らかっているので、いい写真を撮れる場所がないのです。


昔の写真ならたくさんありますので、今後はこのブログにもたまに登場してもらう予定です。
それ以外にも写真やイラストを使ったほうがわかりやすい記事も書くでしょうから、このアルバムという代物を活用していままで以上に魅力的なブログにしていきたいです。

いっそ毎日のらくろを乗せて、いわゆる「猫ブログ」に登録してしまいましょうか。
それはそれで、ちょっと違うよなあ。
あくまでも「たまに」登場してもらう程度です。
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駕籠賃

2019-05-14 11:10:53 | にゃんころ
駕籠屋がふたり、芝の高輪で客待ちをしておりますと、そこに侍が通りかかります。

 「えー、旦那様、お供つかまつりましょうか」
 「お、駕籠屋か。ちょうどよい、身共はこれより品川の遊郭に参ろうと思う。土蔵相模(有名な妓楼)まで急いでくれるか」
 「へえ、ありがとうございます」
 「酒代はやらんが、駕籠賃は充分にとらせるぞ」
 「どれくらいいただけますでしょうか」
 「拙者の『前のもの』の長さだけとらせるが、どうだ?」

駕籠屋がおそるおそる握ってみて驚いた。相当な長さのものがすでに硬くなっている。
喜んで客にして目的地まで運んで、貰った銭が四文銭で百と五十。六百文だからこりゃいい稼ぎでございます。


さて翌日、今度は土蔵相模の前で駕籠屋が待っておりますと、きのうの侍が出てまいります。

 「旦那様、きのうはありがとうございました。きょうもお供を願いたいもので……」
 「そうか、芝高輪まで参る。駕籠賃はきのうの通りでよいか」
 「へえ、結構でございます」
 「そうか、急げよ」

駕籠屋は喜んで、えっさほいさの韋駄天走り。

 「へい、旦那、着きましてございます」
 「いやご苦労じゃった。さ、遣わすぞ」

と、パラッと投げ出した銭が、四文銭で五十枚。

 「あれっ、旦那、きょうはずいぶん少のうございますが?」
 「使った後は、短くなるものじゃ」
 
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母の日

2019-05-13 10:47:27 | にゃんころ
きのう花を持って実家に行ってきました。

母は昭和一桁生まれで、入浴などには介護が必要ですがまだまだ元気です。
私は実家から歩いて30分ほどのところに住んでいるので帰ろうと思えばいつでも帰れるのですが、私が無精をして数ヶ月にいちどしか帰らないため、久しぶりに私に会えたことをたいそう喜んでくれていました。

実家には父と母、そして兄の3人が暮らしています。
兄は生涯結婚しない道を選んだので、子供はいません。
要するに、すでに「老老介護」が始まっているのです。

父は大正生まれなので、令和は人生で4つめの元号となります。
もう10年近く前から認知症を発症し、いまでは私の顔もわかりません。
母や兄に車椅子を押してもらわないと外出もできません。

しかしそれ以前の父は、息子の自分から見てもすごい人でした。

子供の頃、友人の家に行くとたいてい「父親の部屋」や「書斎」がありましたが、父は狭い家の部屋を息子ふたりの個室として譲り、自分はいつも居間でテレビを見たり本を読んだり、新聞のチラシの裏に書の練習をして、夜はそこに布団を敷いて母といっしょに寝ていました。
居間には本棚もレコード棚もなく、子ども心に「自分の父はよその家より勉強や努力をしない人ではないか」と思いましたが、それは大きな間違いでした。

父はいちど読んだ本の内容をほとんど覚えていて、本はすぐ古本屋に売ったり人にあげたりしていたのです。
レコードもいちど聴いたアルバムは覚えていて、「コルトレーンのあの〇〇の入ったアルパム、何だったっけ」と訪ねるとすぐに答えが返ってきました。

公務員になって当時の文部省に入る前は進駐軍関係の仕事をしていたので英語も堪能で、学会などに外国人がくると、仕事の時は通訳がつくのですが、プライベートで東京観光をする時などはいつも父が指名されていました。
書道は「書道の先生を指導する」ほどの腕でした。
インターネットなどない時代、疑問は父に質問すればほとんど解決しました。
ノンキャリアで入った文部省ですが、最終的にはノンキャリアが到達できる最高の地位に就いて勤め上げて退職しました。


あの日々は、もう戻ってきません。
母の日なのに父の話になってしまいましたが、私はあの両親から生まれたことを心から誇りに思っています。
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