盗人宿

いまは、わかる方だけ、おいでいただければ。

まねっこ

2019-05-12 11:50:55 | にゃんころ
http://livedoor.blogimg.jp/copipe_hozondojo/imgs/2/3/23082a1d.jpg

ここ数日、やたらと北朝鮮がミサイルを打ち上げていて、韓国は懸命に「飛翔体」であるといっていますが、どう考えても弾道ミサイルでしょ。

かつて韓国はお得意の「自主開発」と称して、ロシアからロケットの技術供与を受けました。
そして「ここは国家機密なので絶対に開けないように」といわれた部分を平気で開けて分析しようとしたので、ロシアが怒ってそれ以来韓国人には決して触らせないようにしました。
他人の技術を盗んで成長した韓国には、自分でロケットを作る技術がないのです。
「2020年までに人類を月に送り込む」といいながら、いまだに衛星ひとつ自分で打ち上げられないのはそのためです。

また、韓国はアメリカからイージス艦を購入しようとしたことがあります。
ご存知のとおり、イージスはGPSなどと複雑に連動した護衛艦であり、単体では意味をなしません。
ところがやはりアメリカから「ここは心臓部だから絶対に開けるな」といわれたものを、やはり開けようとしたのがアメリカにバレました。
そこで当然「お前らにはこの心臓部は売らん」、といわれてしまいました。
ですから韓国の所有するイージス艦は、単にイージスの形をした漁船です。

このブログで画像のアップのしかたがわからないので(「ここにドラッグ」と書かれているのに反応してくれない)1行目にURLだけ載せましたが、ロシア、韓国、北朝鮮のミサイルの形がコピペと思えるほど似ています。
いや、似ているを通り越して同じといってもよいでしょう。

まあオリジナルはおそらくロシアです。それだけの技術を持っていますから。
ところが、今回の「飛翔体」は韓国から北朝鮮に技術が流れたのでは、という報道がありました。
こうなると韓国は北朝鮮と仲良くしたいのか、それとも戦争を続けたいのか、わからなくなってきます。


世界はいま米中の貿易戦争に巻き込まれて、経済全体が停滞に向かっています。
トランプは選挙があるから、おそらく日本も標的になるでしょう。
朝鮮半島や中国と、そしてアメリカとどう付き合っていけばよいのでしょうか。

安倍首相をはじめ、日本のリーダーの手腕が問われる数年間が続くでしょう。
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TOKYO2020

2019-05-11 11:54:56 | にゃんころ
いまさらながら、TOKYO2020のID登録をしました。

せっかく東京に住んでいるんだし、もう私が生きている間に3回目の五輪は日本にはこないでしょう。
どうせ抽選に当たるかもわからないし、だめでもともと。
さすがに開会式や閉会式、あるいは人気種目のいい席を狙う金銭的余裕はありませんので、できるだけ倍率が低そうな競技の安い席を狙うつもりです。

というより、私の本当の目的はオリンピックではありません。パラリンピックです。

バラ競技をテレビで観ていると、いつも客席がまばらです。
体に障害があるだけの屈強なアスリートの真剣勝負なのに、観ないのはあまりにもったいない。
陸上、水泳、ラグビー、バスケット、ボッチャあたりを狙おうと思います。


とても残念なことですが、日本(だけではありません)にはいまだにパラスポーツに対する偏見があります。
障害者が人前に出ることを忌み嫌う。まして集まって人前でスポーツなんて、と。
しかし、メガネやコンタクトを使っている人は目の障害者、虫歯の詰め物をしている人は歯の障害者です。
手がないから義手を、足がないから義足を使うことと何の変わりもありません。

パラアスリートは、ないものを悲しむのではなく、あるものを最大限に鍛え上げます。
もちろん先天的なものならともかく、ある程度年齢がいってから手や足、あるいは視力や聴力を失えば悲しみに打ちひしがれるでしょう。
それを乗り越えて残された部位の鍛錬を積み重ねた人たちが競うのが、パラスポーツなのです。

オリンピックのチケット予約はもう始まりましたが、パラリンピックはもう少し後のようです。
楽しみに待ちたいです。
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栃ノ心の治療

2019-05-10 12:14:55 | にゃんころ
先場所にカド番で負け越して関脇に陥落した栃ノ心が、「持病の患部のうっ血をヒルに吸わせる」治療を行ったそうです。

気持ち悪いと思う人も多いでしょうが、いまの医学では「患部にヒルをつけて血を吸わせる」「患部にウジをつけて悪い部分だけ食わせる」という手法が、けっこう行われています。
まああまり一般的ではないし、そこらの病院では頼んでもやってくれませんが、手術や薬では治しづらい患部の治療法として、世界のあちこちの先端医療現場で用いられている治療法です。

あそこまで閉鎖的な相撲界でその治療に踏み切ったというのは、よほど理解のある医者に巡り合ったのだろうし、栃ノ心もそこまでしてでも持病の右足を何とかしたいという切実な気持ちがあるのでしょう。
もともと彼は踏み込んで左手がまわしに届けば、白鵬でさえも脅かす怪力と技を持つ力士です。

彼の右足はかなり悪化しているので、次の場所で10勝というのは無理でしょうが、たとえ三役から陥落したとしても怪我をしっかり治してまた豪快な相撲を見せてもらいたいものです。


……と、思わず相撲の話をしてしまいましたが、私は子供の頃に大鵬と柏戸の千秋楽対決をテレビの前でわくわくしながら観戦した世代なので、いまの読者の人が喜ぶような相撲の話題には乏しいのですよ。

栃ノ心といえば、かつて前頭まで上がった宇良(うら)に負けたことがあります。
宇良は公式発表で172センチ135キロという小兵で、レスリング出身のため相手の懐に潜り込んでアクロバチックな技を繰り出すことで知られています。
顔が童顔であることから「生きたくまのプーさん」といわれ、彼に「足とり」という珍しい技で負けた栃ノ心は、盛んに恥ずかしがっていたそうです。

宇良は大型力士との対戦で無理がたたって大怪我をして、いま三段目まで落ちていますが、彼も怪我を治してまた上位に上がってきてほしい力士です。

地上波では十両あたりからしか中継しませんが、BSでは序二段や三段目から中継するので、若い有望な力士や逆に上から落ちてきた力士、年配でも土俵にしがみつく力士など、いろいろいておもしろいですよ。
五月場所で機会がありましたら、ぜひご覧ください。
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三種の神器

2019-05-09 13:50:15 | にゃんころ
きのう新天皇が、即位後初の宮中祭祀を行いました。
即位によって受け継がれた剣と勾玉を携えて、儀式に臨んだそうです。

さて、ここで誰もが思う疑問

「三種の神器」なのになぜ剣と勾玉だけなの? 鏡はどこ行った?

上皇の退位の儀式の時も、持ってこられたのは剣と勾玉、そして御璽でしたよね。
鏡はどこに行ってしまったのでしょうか。

実はこれにはまことに多くの説があって、そもそも持ってこられた剣と勾玉も、天皇本人でさえ見ることを許されていないので、実際に何が入っているかは誰にもわからないのです。

なぜ儀式に鏡がないのか。
ひとことでいえば「八咫鏡(やたのかがみ)は宮中のご神体のため動かせない」からだそうです。

しかし八咫鏡の本体(とされるもの)は伊勢神宮に、 草薙剣(くさなぎのつるぎ)の本体は熱田神宮に祀られており、皇居にあるのは「形代」、いわばレプリカです。
そして八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だけは、皇居にあるのが本物とされています。

鏡はレプリカなのに動かしてはいけない、勾玉は本物なのに動かしていい。
私たち庶民にはどうにも合点がいきません。

私はその道の研究者ではないのでネットで調べて書いているだけですが、そもそも神話から始まる天皇家。
長い歴史の中で三種の神器ができたとか受け継がれたとか紛失したとか発見されたとか、おびただしい書物に様々な記述があって、どれが本物なのか誰にもわからない。
神話もあれば南北朝の時代もあり、三種の神器が実在した時代も確かにあったでしょう。

いま、皇居・伊勢神宮・熱田神宮にある「本物とされるもの」のは、おそらく「ある時代に確かに三種の神器といわれた」ものにすぎず、過去にも多くの本物が存在して失われた、と考えるのがいちばん合点がいきます。
つまり天皇が国と国民の象徴であるように、三種の神器もいまは象徴が残っていて、粛々と次世代に受け継がれていく。
つまり儀式用のアイテムなのです。


私たち庶民の中にも、何百年も先祖代々受け継がれているものを持つ家は存在します。
しかしそれが本物であるかどうかは、1枚の紙切れに書かれているだけだったり、口伝だったりして、もしかすると本物ではないかもしれません。
近年、聖徳太子、源頼朝、足利尊氏などの肖像画が本人ではないという説が有力視され、教科書業界が困っています。
でも別に私たちは困らないし、「〇〇とされる人」でまったく支障はありません。

有名人は大変ですね。私たちには何の関係もない話です。
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結婚初夜

2019-05-08 12:16:42 | にゃんころ
きのう話題にした読者数ですが、5月6日は「PV数88PV、UU数73PV」でした。
100には届きませんでしたが、確実に増えています。
これからもマイペースで続けていきますのでの、新しく読者になられた人も引き続きのご贔屓をお願いいたします。

今回はヨーロッパの小咄を。


3人の姉妹が偶然に、同じ日に結婚式を挙げた。
大きな屋敷だったので、それぞれの部屋で初夜を迎えた。

母親がドア越しにこっそり聞き耳を立てると、長女の部屋からは笑い声が、次女の部屋からは泣き声が聞こえた。
三女の部屋からは何も聞こえなかった。

翌日、母親は3人に理由を訊ねた。

長女は、

 「だってお母さん、いつもいってたじゃない。くすぐったかったら大きな声で笑いなさい、って」

次女は、

 「だってお母さん、いつもいってたじゃない。痛かったら大きな声で泣きなさい、って」

三女は、

 「だってお母さん、いつもいってたじゃない。口にものが入っている時は黙ってなさい、って」
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105PV

2019-05-07 13:22:24 | にゃんころ
おととい、なぜか知りませんが、普段は30人前後の訪問数であるこのブログが、100アクセスを超えました。


「昨日のPV数 135PV 昨日のUU数 105PV」と書かれていて、私は未だにこの「PV」と「UU」の違いがわかりません。
しかし最低でも105人が訪れてくれた、と解釈してよいのでしょう。

誰か著名な人が、紹介でもしてくれたのか。
あるいは連休で時間のある人がネットサーフィンをして、たまたまおとといだけ集中したのでしょうか。

いつも申し上げているように、私はこのブログの文章を前日に書き、次の日に投稿しています。
物書きの習性で、原稿が締め切り当日まで上がらないのが不安なのです。
だから「おととい」というのは5月5日(現在からみれば「昨日」)のことであり、5月6日のアクセスはこの文章が表に出る明日(7日)になってみないとわかりません。

もしかしたらまた3桁が続くかもしれないし、逆にいつもの30前後に戻るのかもしれません。
いずれにせよ一喜一憂せず、マイペースで続けていくだけです。


さて、世間では大型連休が終わりました。
10日間休めた人も、飛び飛びだった人も、まったく休めなかった人もおられるでしょう。
病気で仕事のできない私にとっては、整形外科の休診があって週2回のリハビリが1回になったことを除いては、普段と何の違いもない10日間でした。

そして、私にはまったく関係ありませんが、イスラムのラマダンが始まりました。
イスラムの暦は西暦と少しずつずれていくので、真夏のように日の出から日没までが長い年は大変でしょう。
今年は(北半球では)そうでもないので、まあ我慢しやすいのではないでしょうか。

中東のように戒律の厳しいイスラムの人たちは本当に1ヶ月続けるそうですが、トルコのように戒律の「ぬるい」地域では、ラマダン中もレストランなどは昼間に開業しており、途中で挫折した人たちで賑わっているそうです。
宗教ってのは、その程度がちょうどいいのかもしれません。
あまりに信仰が極端にすぎると、ろくなことがありませんからね。
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コロッケ

2019-05-06 11:39:28 | にゃんころ
東銀座の裏通りに、知る人ぞ知る肉屋があり、ここのコロッケがとてもうまい。

まだ銀座のそばに住んでいた若い頃の昼下がり、ここでコロッケをいくつか買い求め、自転車を転がして銀座4丁目の交差点(三越の前)で、休日の歩行者天国の人通りを眺めながら、揚げたてのコロッケを食っておりました。
銀座で立ち食いをするなら、木村屋のあんぱんかここのコロッケに限ります。

するとコロッケの匂いに惹かれたのでしょう、三人組の女性たちが話しかけてきました。

「あの、そのコロッケ、ひとつ譲ってくれませんか」

もちろん素直に教える私ではありません。

「あげてもいいけど、それではあなたたちは物乞いになってしまいます。ご自分で買ってください」
「どこで売ってるんですか」
「いや、こういうのは自分で探してこそ楽しいんですよ。人に教わったらありがたみがない」
「そういわず、どうか教えてください」

そこまでいわれると、こちらもいたずら心が湧き上がってきます。

「それなら、交換条件でいきましょう。あなたたちがこのコロッケに見合うと思う物を、私に買ってきてください。私がそれに満足したら、場所を教えてあげます」

見知らぬ男にそういわれれば、普通ならそこで断念すると思います。。
しかし彼女たちには、揚げたてのコロッケの匂いがよほど魅力的だったのでしょう。
しばし相談の上、ひとりが三越に入っていきました。

そして戻ってきた彼女の手には、どう見ても500円以上はするチョコレートが握られていました。
そこまでしてコロッケを食いたいか。
おそらく普段から、うまいコロッケを食い慣れているんでしょうね。親御さんがしっかりした料理を普段から食べさせているのだと思います。

交渉成立。自転車を押して歩きながら、いっしょに店まで連れていってあげました。
そこでコロッケを食べた彼女たちの喜びようといったら。


数十年前の、ひとつ100円もしないコロッケの、忘れられない思い出です。
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愛子さま待望論

2019-05-05 13:54:58 | にゃんころ
きのうの新天皇の一般参賀では、行列が東京駅まで伸びたそうです。
今回は前天皇の崩御ではないので喪に服す必要もなく、フレッシュな(といっても私と同時学年で来年還暦)新天皇を一目拝んで祝おう、という気風が高いのでしょう。
ただ、午後の人は雷雨で大変だったでしょう。

さて、天皇の受け継ぎが終わると同時に、やはり「次」が話題にのぼり始めました。

あ、先にいっときますけど、現在の天皇は神ではなく象徴であり、「国民によりそう皇室」なので、私は必要以上の敬語は使いません。
無礼やら何やら文句はつけないでくださいね。

戦後、多くの宮家が廃止されたため、現在残っているのは昭和のおじいちゃんの血を引いた一族だけです。
昔は「にこにこ坊や」といわれた今上天皇が即位したため、現在の皇位継承順位は、

1.秋篠宮(なまずひげのおじさん)
2.悠仁親王(1の息子・小学生)
3.常陸宮(平成のおじいちゃんの弟)

この3人しかいません。

3はまず間違いなく、ないでしょう。もうお歳ですからね。
1は今上天皇とほんの6歳しか違わないので、令和の後を継いでもせいぜいほんの数年から十数年というところでしょう。
実際、皇太子にはなっていないし、本人に継ぐ気が薄いという情報もあります。
「あくまで自分は今上天皇に何かあった時のバックアップ」と考えているのでしょうね。
おそらく平成のおじいちゃんと美智子さんが、そういう教育をしたのだと思います。

となると実質的に、悠仁くんが大人になるのを待たねばなりませんが、天皇や皇太子は様々な儀式、来賓の接客など公務がたくさんあります。
それを彼がすべて担う事になったら。

そして何より、悠仁くんが結婚して、男の子が生まれなかったら。

まあいずれにせよ、にこにこ坊やは確実に私より長生きするでしょうから(受けられる医療のレベルが違います)、彼が平成のおじいちゃんのように生前退位しない限り、私が死んだ後の話になります。
しかし、悠仁くんが生まれたことで立ち消えになってしまった、女性宮家の創立の話。
これはいまのうちに議論しておかないと、確実に数十年後に火種を残します。

いちばんいいのは、愛子さん(今上と雅子さんの娘)が、戦後に宮家でなくなった一族の男性と結婚して女帝となり、男系の血筋を守ることです。
しかしそのためには皇室典範を変える必要があり、反対論も根強くあります。
逆にある全年齢対象の世論調査では、女性の8割は女帝や女性宮家に賛成している、という結果も出ています。

決して立ち消えにしてはいけない、早めに対処しておく必要があります。
頭の固い国会議員が減って、国民全体で盛んに議論をせねばならないといえるでしょう。
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大らかだった昔

2019-05-04 10:54:32 | にゃんころ
書く時間さえあれば、このブログを1日に何回も更新できるのです。
いわゆる性的な川柳やジョークでしたら、手元にたくさんありますからね。

しかしそれではいくら何でも、読者の人が疲れてしまいます。
だから毎回、ひとつかふたつずつ小出しにしているわけです。

 あれいっそ 神去ますと 橋の上
 朕はもう 崩御崩御と のたまえり

女性がオーガズムの時に「いく」とか「死ぬ」と叫ぶ、とよくいわれますが、私は(プロの風俗は除いて)これまで関係を持った女性がそれを口にするのを聞いたことがありません。
そもそも男性は射精という明確な物理現象があるのでわかりやすいのですが、女性のオーガズムは千差万別で、中には男性を喜ばせようとして演技をする女性も少なくない。

私の場合、隷にはオーガズムの時に必ず「いきます」というよう躾けるので(黙って達したり、逆に演技なんかしたらお仕置きです)、隷でない女性は単に「あっ、あっ」を繰り返すか、黙って体が痙攣するなど、叫んだ人はひとりもいなかったですね。

となると「いく」「死ぬ」などは、もしかすると遊郭の女性の演技から生まれた都市伝説ではないか、逆に稀に口にする女性がいたのが次第に広まって「その時にはいうもの」という社会通念ができたのではないか、とも考えられます。
まあいずれにせよ現在に至るまで、女性はオーガズムの時には「いく」「死ぬ」などという、というのは一般常識(?)として知られています。


1句目の「神去る」とは、神様が死ぬこと。
「国産み」という古い神話の中に、イザナギとイザナミが天の浮橋の上でセックスした描写がありますので、どこかの物好きが橋の上でセックスしたか(実際に女性が欄干に手をついてお尻を突き出し、男性が後ろから挿入すれば可能です)、それを見ていた人が詠んだものでしょう。

2句目は、おそらく女帝であった孝謙天皇が、道鏡とセックスを繰り返していたことから詠まれたと思われます。
道鏡はいわゆる「巨根」として有名で、

 道鏡は 座ると膝が みっつあり

という句も残っています。

孝謙天皇はその道鏡の巨根でも満足せず、他の男性たちとセックスを繰り返していたことが、鎌倉時代の「水鏡」という歴史書に記述されています。
もともと日本は鎖国からの開国まではセックスに開放的な国で、やんごとなき人たちも偉い武士も商人も側室や妾を持つのが当然だったし、春や秋の祭りの季節には庶民もフリーセックスを楽しんでいました。

そんな大らかな文化の中で詠まれたり描かれたものをいま読み返すと、現代はなんだかんだいってセックスに閉鎖的な国なんだなあ、と思わずにはいられません。
そりゃ少子高齢化も進むというものです。
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1日ぶり

2019-05-03 14:18:24 | にゃんころ
昨日はプライベートがごたごたして、久しぶりにブログを休んでしまいました。

さて、令和騒ぎはしばらく続くでしょうが、私には別のカウントダウンが始まっています。
私は今月で還暦を、のらくろは来月に11歳を迎えます。

私が病気で職を失ったのは、のらくろを拾った数ヶ月後でした。
その意味では厄病神ともいえますが、不思議と私はそうは思いません。
逆に彼女を拾っていなかったら、私は精神的にいま以上に壊れていたでしょう。

それから離婚もし、ずっと猫と共に11年。
私はもう仕事などで社会復帰することはないと思います。
きょうもただ、生きている。


のらくろは人間でいえば私の年齢を超えました。
猫の年齢は諸説ありますが、最近は完全室内飼いが増えたので、生まれて1年で人間の15歳、それからは1年ごとに人間の5歳、平均寿命は18歳前後といわれています。
となるとのらくろは人間でいえばいま60代の前半で、世間では「おばあちゃん」といわれ始める頃ですね。
病気や事故がなければあと7年から9年くらいは生きるでしょう。

私以外には決して懐かない猫ですから、私もそれ以上生きて最期を看取ってやらねばなりません。
そしてまだ両親が健在だから、親に葬式を出させるわけにもいかない。
テレビとインターネットとオンラインゲーム、そして通院と買い物でしか社会と関わりのない世捨て人ですが、それでもまた死んではいけないのです。

もしもこのブログが1ヶ月以上更新がなかったら、私は病気か事故で入院したと考えてください。
そして半年以上なかったら、私はもうパソコンを触れない状態になった(死んだことも含めて)と考えてください。

その時は「世の中そういうものだ」と、淡々と受け止めていただければ幸いです。
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