(本記事は自ホームページの旧記事をブログ用にリメイクしたものである。)
今年(2008年)の秋は10月上旬の八甲田(記録はこちら)を皮切りに、
18日は鳥海山の秘境・鶴間池(記録はこちら)などと素晴らしい紅葉巡りが続いている。
10月22日は、本業で秋田県南部に行った折り、
空き時間を利用し、栗駒山の西側、
厳密には泥湯三山(山伏岳、高松岳、小安岳)の北山麓にある紅葉処を訪ねてみた。
いずれも一般的にはさっぱり知られていないスポットだと思う。
最初は三途川渓谷。
ここには数百万年前の大昔、巨大なカルデラ湖が有ったとのことで、
その名残とも言える地層、三途川層が高松川の浸食によって剥き出しになっている。
地学的な詳細はこちらのホームページを参照頂きたい。
今回、訪ねた折りは紅葉が新鮮だった。
今回のマップ(三途川渓谷はマップの上左端)
次は兜山(670m)。
中新田集落の北に位置するこの岩山は溶岩ドームのように見えるが、
古い火山の名残りだそうだ。
高校時代、左側の稜線を伝って登頂したことがあるが、樹木に遮られ、眺望はさっぱりだった。
兜山の反対、南側には泥湯三山(小安岳、高松岳、山伏岳)が聳えていた。
三番目に寄ったのは苔沼湿原。ここの紅葉は草紅葉だ。
ここは若かりし頃(中学~高校時代の話)、何度か訪ねている。
初夏はワタスゲやサギスゲ、ヒオウギアヤメが、真夏は確かコオニユリがいっぱい咲いてたように記憶している。
湿原は水路のような細い水面にぐるっと囲まれている。
この湿原は全て「浮島」だが、君は信じられるだろうか。
沼の周囲の針葉樹はただのスギの植林だが、湿原の草紅葉や広葉樹の紅葉と妙に調和している。
立て札の記述の中には、
私が卒業した高校の教員や生徒達(主に先輩達)が汗水流して調べ上げた成果がかなり含まれているように思う。
何故ならば・・・
現在は湿原保護のため、苔沼の中に入ることは絶対禁止だが、
私は高校時代、学術調査のお手伝いで、二、三度、湿原(巨大な浮島)に上陸したことがある。
当時は湿原を囲む水路に角材を渡しただけの橋が一本架かっていた。
その危なっかしい橋を渡って上陸しようとすると、
湿原の縁はズブズブ抜かると同時にグラグラ揺れて、とっ( ̄π ̄;とても気持ち悪かった。
湿原そのものが巨大な浮島であることを体感したのはこの時だった。
湿原の中央部まで行けば、だいぶ安定して来るし、慣れもあるだろう、揺れはさほど気にならなくなる。
そこはミズゴケやツルコケモモ、モウセンゴケなど普段見かけない小型植物の天下だった。
ツルコケモモの未熟な実をほおばり、しょっぱいような酸っぱい味に思わず声を上げた。
ホロムイソウのような変な植物、世界一日本一小さいトンボ・ハッチョウトンボに生まれて初めて出会ったのもこの湿原だった。
その後、大学に進み、社会人になってからの私は遠方の山や湿原(尾瀬など)ばかり行くようになり、
故郷にあるこの湿原は忘却の彼方へ。
あれから40年近くなった。
懐かしかった。
でも紅葉の時期に此処を訪ねるのは今回が初めてだ。
素晴らしい草紅葉だった。
沼の奥の方に行くと、青々とした牧草地があった。
と言うよりも残っていた。
そこを昇るととても景色が良くなることを私は知っている。
約40年ぶりに駆け上がってみるか。 ε=ε=へ(+´π`;)ノ
振り返ると、沼の背後から魁偉な岩山が見えて来た。
この岩山は先ほどの兜山だ。
この辺りの標高500~600mのなだらかな一帯は、
以前、木地山(きじやま)高原と呼ばれていた(今はあまり聞かない)。
近くには他にも大小幾つかの沼があり、巡ってみるとけっこう愉しい。
高校時代、恩師と一緒にオゼコウホネ(北海道の一部と尾瀬、月山にしか無いと言われていた)を発見した沼もある。
南の方は
後ろの山の中腹に白く見えるのは川原毛地獄。
東の方を望むと・・・
足倉山(1083m)
奥羽の山脈が連なる。山を覆うブナ林はけっこう紅葉してるようだ。
その少し南には栗駒の山並みが見えた。とても穏やかな山容だ。
厳密には手前が秣岳(まぐさだけ、1424m)。左側奥の方に栗駒山(1628m)。
以上。
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