五月のバラには早いけど、せっかく芽吹いたバラに雪は酷だわ、でも花の命は短いかもしれないけど、木々は強い、
このお二人のこの曲はとても好き、
主がいなくなり残された部屋は妙に寂しい、泣くほどじゃないけど(私が冷たいんだか知らないけど事後は殆ど涙レス)
介護ベッドを片づけた続き間は日当たり良好な南向き、これからはこっちを客間にして、私の部屋はテレビと食事とで、
椅子がポツンと、七十七日経ちました、
あまりに過食なので料理の写真を裏に隠した、ので、どれ、見てもいいなあ(*´▽`*)と、お思いの方はお開き願います、
ホンとに🐖状態なの、お恥ずかしい~
せっかく芽吹いた花の芽を甚振るように雪が、まったくぉ空の機嫌は分からない、ボタ雪が降ってしまって台無しだわ、
とは言いながら根性無しの春の雪、今は止んで陽が差して、まあ好きにしなよ~としか言えない、
バラだけは諦めてたけど、この勢いじゃあ咲きそうだから、そろそろ手をかけようかなぁ、
出かけたいけど出かけられないつまらなさ、こんなことになろうとは~春を待ってたというのに躓いた感じが否めない、
こんなことにならなきゃ今頃🚅で素っ飛んでたのに~ふふふ
もたもたし乍らもやっと今朝早く仕上げました、好きな花束を見つけておいたので少し咲いたのを飾られてよかった、
Mrs.centuryの初彼岸だから、パパの若い頃の笑顔や龍馬風な祖父や、ダンディな叔父の遺影を飾って賑やかにした、
なんたって実家を、実家のファミリーを愛してやまないMrs.centuryだったからね、叔母の初彼岸でもあるのよ、
初彼岸ということで矢張り精進料理を作らにゃならないから、お膳をあげるのでね、自ずと食べなきゃいけない、これは
ぉ豚ちゃん化してる私にはいいことかもしれない、
さて旧態依然として、まあ時代遅れな農村ですけど、コロナの話は仏おがみの話題になってる、私はテレビや紙面を信じ
ひたすら有難いと思いながらも、Mrs.centuryの残したわずかばかりのマスクを使用してる、
ぉ人様が来られたら外し「マスクをしたほうがいいか~?」と訊き、「ゼロだからいいんじゃね?」と私が言ったら、
「気づかない隠れコロナがいるかもしれないからマスクは外ではしてるんだ~」と、客は言った、驚いたわ、
報道に裂け目があるのを知らないほど私も初心じゃあないけど、法事は避けたほうがいいのかなぁ~と悩んでるうちに、
日は過ぎていく、延期という選択も視野に入れ始めた、
そして初彼岸の朝、やはり雪に少し埋もれてた、暑さ寒さも・・・・というのはホンとだわね~
Mrs.centuryの苗字はスルー願いますね、
玄関に花かごが届いてたのが可愛かったからお墓に飾ってきました、何方だったのかしら?
後期高齢者のお知らせが来た、封筒一ぱいに読んでもなに?のようなパンフが積み込まれていた、そんなに咋に言わずも
分かっておりますがなぁ、一か月を切った日々だけど、奉行が気をもむほど老けてもいないし、食欲はあるし、
あまり迷惑はかけないように生きてます~と、奉行の方角へ向かって苦笑した、こっちは歳を忘れて気分よく暮らしてる
というのに追い打ち掛けなくたっていいわよ、Mrs.centuryがいるときは老いても娘だった!けど、今じゃあ老人かぁ、
前々日、陽が差してたから墓掃除に行った、そんなの朝飯前!という状態だったのに独りじゃしんどいなあと思ったのは
年のせいでしょうね、子に応援を頼み、車を出してもらって不甲斐ないなあと思った、
けどこうして後期高齢者になっていくのね?と思ったら俄然はらがたって「こんなの私じゃない!」墓の前の可笑しさ、
ちなみに子はあれ以来、ここで私を支援してくれてます、移動はしてませんので生粋の⛰形県の空気しか吸ってません、
やっぱ育て上手・Mrs.centuryの孫だわね、ということで助かってます、
私たった独りじゃ、セレモニーは出来ませんでした、困った時のファミリー頼みもいいもんですわ、今度は私が支援しま
しょ~なにかあったらね、
せっかく伸びた水仙に 👆 雪が降った、万事順調に初彼岸に向かってたというに、空の機嫌なんて殊更、春先は不安定
これが自然というものね、ということで初彼岸の仏壇飾りに水を差された感じ、
まあ、お墓の掃除と花飾りと水あげは済み、線香あげて挨拶は済んでるからいいんだけど、
朝からなんだけど録画しておいたEテレで「落語ディーパー」を観た、若手の落語家にヒケを取らない話をしてた、噂の
あの”おいた”をしちゃったイケメン俳優です、その場を濁すこともなく淡々と、
この頃風向きが変わって、連れの美人女優も軟化してきたようで、他人事ながら子供のためには、ここはママの踏ん張り
それだけに期待したい、
そして「さよならドビュッシー」を観た、ミステリアスでかつドビュッシーが常に流れてて、ひとが言うほど悪くはない
▼出君の演技だった、そりゃあ人生、色んなことがあります、迷うこともあるでしょう、ただ育児に邁進してるその妻に
心情が寄るのは当たり前です、母は強しですから乗り越えられると思います、
前にも言いましたけど、ぉ腹立ちはご尤もです、父を求める子らがいるなら、ここは一つ百歩、いや千歩譲って欲しい
▼出君も公共の場で謝ったといいますし、余計な言い訳もしないで「妻に一番申し訳なかった」と、ハッキリ名言、
有耶無耶にしちゃうことが多い中(実感がこもってるでしょ?ホホホ)オトコとしては策としてはいいんじゃね?
今、▼出君の謝罪インタビューを観た、こんなに真摯な、息子のような年頃の俳優さんに詰め寄ったインタビュアーさん
仕事でしょうけど、なんだかなぁ、
見てる私があーだこーだというのも与太な話だけども、インタビュアーさんはぉ歳を重ねてるからか、答えられない質問
をして年長者として甚だぉ品欠如だったと思うのは私だからだろうか、MCの◎◎さんを絶賛の意味が分からね~
他人事ながら胸が詰まった、だって言えないことが多い処を、矢継ぎ早にマイクを突き出す、受ける俳優さんも仕事、
「妻や子に辛い思いをさせた、驕りと慢心」と、時間をかけた甲斐があった内容だった、夫妻の頑張りを期待したい、
そんなにひとは裏表ばかりあるわけじゃないわ、
2023/02/18 追記
夫妻はきっぱり別れて、元妻子はパリへ、▼出君は独りで活動を続けてる、映画にも出演してステージに上がってるし、
いつの日になるかは分からないけど父子再会を願ってる、父を懐かしんでるでしょうから、尤も母の教えようによっては
その父を蔑視してるかもしれない、子は押し並べて純真だから、
そして独りのオナゴとして女優さんをつづけながら逞しく生きて欲しい、子たちが大きくなったなら、恋をして輝いて
再出発をして、映画にもご出演を楽しみにしてます、賢くて好きな女優さんだから💐
朝方はまだまだ蕾でこれまた姿としては好きな 👆 フクジュソウ
思えば頼まれもしないのに押しかけ介護に来てから17年目を迎えることとなった、そりゃあまだまだ元気ばりばりだった
Mrs.centuryとの花のエリア争いから、主導権を巡っての諍いや、
近隣への気配り品配りまで、ここ出身だというのに余所者扱いで、腹が立ったことなど数知れず、それにもめげず仕事も
そこへジッと2年余りお勤めしたあたりから農村の気配が変わっていった(笑)
私は58歳の現役ですから、専業主婦からの呪縛から解き放たれて、まるで独身の出戻り娘のような立ち位置に浸り乍ら
少しは土との遊びもかねて花を愛で、まあ優雅っちゃあ優雅とでも、
ママはママで農家の長女ですから、私に指導したがった、けど、今どきはネット検索があったものだから、親の手を、
待たずとも出来るわけよ、
△の家出の顛末
それでもママも歳を重ねていけば、少しは妥協ということも、そういう暮らし方に△は羨ましかったのか、婚家から家出
あっちも姑がバリバリだったからね~分からないでもないけど、昔からうまくいった試しがない嫁姑、
私ほどの根性が無かったのか、四の五の言いながら今度はこっちから家出( ^^) _U~~
そして△は病を得て入院手術をして、私は女中again!!!
だって△の連れが「うちは寝室が二階だから’&%$#”*+$%&」と言い訳して、ここに ご退院、それにしても嫁を
実家に退院させて面倒看させて大したもんだよ、その連れよ(怒)
予後を大事にしながら、またもや私は看護士+介護士、そして△は婚家に帰る、その間もそれからも△の子+孫が
この家に weeklyお泊りが凡そ十年ほど、ご接待!+子守り兼ね、
多少、草むしりを、粗大ごみを捨てて貰ったけど、☝の暮らしを繰り返されたら私の心はどうなります?
君たち、それを忘れたか?(笑)勿論そこそこの言い分はあるでしょう、私がこっちに居なかったら思い通りになった
かもしれないんだしね、それには根性と忍耐と努力が必須です、私はそれでもよかったのよ、ママがいいなら、
ある時を機に私は介護士だけとなるように仕掛けた、そりゃあそうでしょう、当たり前のようなぉ顔で、あ!布団係も
熟しましたのよ、面白いでしょ? だから私はあのファミリーは苦手なのよ(笑)
お日様がちょっと顔を出すや否や開き始めてぉ賑やか~
ちょっと後ろ姿もいいね~と言いながらフクジュソウさえ咲けば次々に花は咲くはずだった!けどマンサクはかたい、
それにしても心の余裕があるから待てるんだわよ、これが~うふふ、
👆の中心の膨らみが種になろうとしてる部位、花の観察日記もたまにはいい、でも私は人間の観察日記を面白く書きたい
種と言えば争いには種がある、それを双方がどう、どの程度捉えるかがカギで、これがなかなか味わい深い、もはや、
彼方に行ってしまった各位(笑)が残していった課題だから、これは残ってる者同士の綱引きとなるわけだけど、オトコ
とかオナゴに関わらず、しかも他人じゃないので割り切れない感情や競争心が邪魔してなかなか糸の絡まり方は興味深い
父の成り立ち
もう飽きた!方はスルーして下さいませ、思い出語りですので、
婿取りオナゴが二代続くと、父方実家はファミリーの成り立ちが複雑となった、祖母が40代に手が届こうとする頃
4人娘の末弟としての父を出産した、
わずか2年後、20代になったかならない伯母が(後継者を産むために若くして婿を取った伯母)は急くように授かって
生まれたのが、年が離れた私の従兄となる長男だった、件の宿敵の本家長男の父親、
(耳タコですよね、でも削除しちゃったからその真髄にふれないと話は見えない)近隣の親戚筋に父は養子に出された
ここが、そもそもの種なのです、
養子に出されたとはいえ、目と鼻の先の家で、父は殆どを(自分の生まれた家で)過ごしていたから、苗字が変わった
位のことで済んだと理解した、罪なことをしたもんだわ、大人は、でも当時はごくありふれた事だったらしいけど、
2023/02/18
この件に関しても本家・宿敵は「よくある話だ、そうやって家は続けられていくんだから、むかしからあったことだべ」
しゃあしゃあと言ってのけた、この言葉には一理あるとはいえなかなか父の娘の前では口を濁すくらいの思いやりは
もって欲しいと思った私がバカだった(笑)
このあたりから益々頑なになってゆく私、同じ土俵には決して上がらないのが母の教えだからさ~
そして父が小学校入学という時の知らせに、遊びに行っていた家の苗字+名前だったので、幼いとはいえ父はハッキリ
抗議したというから頼もしいじゃない、
「俺は◆の家の子じゃない、■家の長男だ、苗字を直して」そして再度養子縁組をし直して、無事、実家の苗字となり
入学の運びとなったらしい、祖母が私に後に言ったんだから、
それほど気強いパパだったというのに、肝心かなめの処では、からっきし弱めで苦笑しちゃう私、
結局、戸籍上は、当時の奉行には有り勝ちだったかもしれないけど、養父母の子として記載され、実父母の養子と記載
されてる、そのことを宿敵は、さも当たり前のように、
「当時は長男のいるところに婿なんて来る人はいなかったから、うちにはいませんよ~との表明で後で生まれた長男は、
養子に出されたのだ」等と、思っていてもいいからカルグチは叩かないで欲しいなあ、機微の問題だけど、機微なんて
期待する私はまだ血脈だというこっちゃ!
そして大好きな実母の下で我儘三昧の日々、なにせ継農は出来なくても長男ですから、ということで不憫に思った祖母は
父の人生をきっちり決めて、おさおさ怠りなく動いていった、
なぜ私がその頃のことを知ってるかというと、祖母が私に事あるごとに語っていたからだ、パパが拗ねてるのは幼児の頃
思いがなかなか吹っ切れなくて、拘りを捨てられないからだと、
まあ言えば 100 年戦争のようなもの、どっちもどっちと言えなくもないけど、親の気持ちと人生が繋ってたと思えば、
いくらお人好しの娘の私でも鬼にもなろうというものよ、
ついでと言えば昔は家を継続させるために、家業を継続させるために婿取りは当たり前だった、その家のために家族の為
生計の一助を担う大変な仕事だ、一から作り上げていく家を、有るがまま次世代へ繋ぐことが前提の縁結び、
新しい家族の一員となり生きる中で、一からの経験がないから、なんとか今の状態を自分の一として作り上げようとする
そこには自力では得られなかったかもしれない歴史や財がもれなくついてきた、
そのことを感謝じゃなくて利得と思うようじゃあ軽々、出来た婿殿とはいいにくい、余計なお世話だけど(笑)
先代よりもっとヤリ手で当たり前、辛い立ち位置だと十分察しはいたしますけど、遣り甲斐はありましょう?
選んだ道だもの、
今までの親族などを蹴散らして、自分ちの親族を重用してしまうようじゃ頂けないわ、じゃあzz家と名乗らないで、
旧姓家でいいんじゃない?娘婿っておいしい話じゃないのよね~脈々と継がれてきた姻戚を大事にしないで、
何が婿取りでしょう、だから事後ばらばらとお悔やみに行かなきゃならない羽目になっちゃう、頭首はそう簡単じゃない
その席であろうことか、その家の関係者が亡くなったことについて、或いは老後を長く看たことについて¥がかかった!
等と下世話なことを言うくらいなら婿入りはするものではなかったんじゃね?(苦笑)
そこには知らない歴史があって、その流れで礼を尽くさせて頂いて(; ・`д・´)きた旧の家の流れの者としては面白くない、
A<B<S<Dだけでいいなんて区切られるものではない、そこには思いの数々も含まれてるの、
やっぱ武士じゃあないけど、器って大事だわね~~起き抜けだけど腹が立ってきた( ^^) _U💤
でも卒業することにした、「もういいべ~」なんて言われながら、要らざる立ち位置になんて居たくはないという気分、
こちらから願い下げですよ~
シャコバサボテンは 👆 行事の間ずっと階段の下に置かれたままで、しかも水やりも儘ならなかったので、萎びそうだ
それを暇になったからと言って急に液肥や水をやり、早く元気に咲きなよ~と、毎日せかされてもね、
この花は場所を変えると蕾がぽろぽろ落ちちゃうから寒い玄関先に置くしかない、
それでも持ち主と似たのか、最後の力を振り絞るかのように蕾が色づいた、
介護じゃあないけど、昭和37年、転勤の度に家族が一緒に転校転地してたのを何を思ったかママは地元に帰って
子育てをしたいと言い、ささやかな家をパパに強請った、それをパパの実家の敷地に建てたのがそもそもの間違いだった
自力で買えない勤めじゃなかったんだし、パパの実家近くにだなんてママも考えが甘かった、
かやぶき屋根の家などが建てられてた農村に、こじんまりとしてるとはいえ真っ白なモルタルの平屋が建ってきれい!
電化製品は揃ってるし今風に言えばいいじゃん!それに周りは使い放題の畑や原野、
どのように好きな風景を作ってもよかったのよ、その時、まさか騒動がおきようとはね、乗っけからパパの実家では、
パパの持ち分は既に名義変更しちゃって後の祭り、異論を奉行に唱えてみたって少しばかり、
それでも粋な祖母がいるうちはよかったけど、彼方に行ってしまえば手のひら返しで、まさか子の私に辛くあたるという
ことはなかったけど、なかなかパパ&ママは取得できずにイラついてた(笑)
昭和44年の増築の時の青図が出て来た、それも封筒に入れて「登記申請書類控」とパパの字で、足しまししたんだもの、
ここからはもう動かないということでしょうに、それでも本家長男は年貢もゼロ、年貢なんて要らないから名義をよこせ
だなんてことは口が裂けても言いませんでしたよ、だってプライドだけは高い親夫婦でしたので、
まあパパもママも、婿さえもらわなきゃ娘は皆嫁に行けばいいと思ってたらしいから半ば匙を投げ加減だった事は分かる
パパはいいかもしれないけど、もしママが残ったら、敵地に独りだよ、可哀そうすぎるぜ、