CS 2 300 ハケンの品格
若者は職場がなくて正規の社員 👆 となるのはなかなか至難の業という時代だ、
昔、私が若い頃は、言い方は不遜だけど縁故の就職が多くて、卒業のころ合いだな~となると、どこからか仕事の話が
来ていた、時代が違うから安易にこのようなことを今言うと「バカか?」と言われそうだけど、そうだった、
でもその縁故で仕事を得ると、これがなかなか厄介で、出来て当たり前、出来なきゃ紹介した人の顔に泥を塗ることにも
なりかねない、辞め方もきれいじゃなきゃならなかった、寿退社が一番オナゴには妥当で、他に理由があるとすれば、
家業を手伝うか、実家に帰って花嫁修業ぐらいのものだった、農村だからそれでも昔は通用したのよ(S )20年生まれの
与太話だけど、
篠原さん・役は不滅だと思ってた金融の正規社員として仕事してたけど、倒産してまさかの思いで、社員よりもスキル
と気づき、あらゆる資格を得た、それで堂々の3か月更新を承知でハケンの道を選び、保証はないけどぉ時給が高い!
仕事をキッチリ熟して残業も付き合いもせず邁進してた、
大泉さん・役や小泉さん・役の正社員は、そのことを笠に着て、あるいは優遇されてても気づかず、あるいは当然の如く
と、快適に仕事を熟すのに、新人ハケンは「ハケンだし」と言われながらお買い物までさせられて、
それを当然のようにパンやたばこやコーヒーを買いに走る、イヤだけど断る勇気もないし、まあ仕事の一部かと思って、
若さがあればたとえハケンだろうと許されたり、ちやほやされたりして職場暮らしを楽しめるけどね、
へりくだらずハケンとして生き抜くには情はもたず、ただただ与えられた仕事を時間内に仕上げて、孤独と感じないで、
㌧でもない、ハケンだって人ですから、ひとの持つ感情は持ち合わせてるんですから、正社員が頭を高くしないで理解を
ハケンに示せる姿勢があれば融合できるんだ、と、ドラマでは描き始めた、
年とると昔話が多くなるというけどホンとだった、きっと今のことを受け入れるアタマのcapacityを超えるからNGが多い
それになんたって夢も希望もあったわけだし皆✨だった、
1981といえば私は36歳、自分で言うのもなんだけどオナゴのテッペン!だった、子は3人(7歳と5歳ツインズ) 専業主婦
で一生懸命だった、そして家事の合間には寺尾さんのLPを聴いていた、擦り切れなかったかしら?
ハケンという言葉には間に合わなかったけど非常勤の経験はある、そんなに咋には扱われなかった、やはりそこは仕事の
成果と地道な作業の結果だと思うし、年齢が常勤より上で「面倒くさい!」と、
思われてたかもしれない部分は無きにしも非ずだけど、その分、洒落て堂々と背を伸ばしキラキラを身につけ負けないで
楽し気に日々を過ごしてたからね、和してね、実際、楽しい2年間だった、元職で58歳になってたけどね、ふふふ。
梅が咲いた、盆栽の枝ぶりは私には好ましく、どの角度から撮ればいいのかは分からないけど、自由奔放な咲き方は、
まるでオナゴたちが、あちらこちらを向いてお喋りしてるような、春先に相応しい咲きっぷりだわ、
そして時をかけた幹が、「ウッセー」とも言わずに静かにその花たちを支えて護ってる姿がいいんでね?
花も幹次第というところ、盆栽を趣味にしてる従姉の連れが手掛けたから咲いたような、私も気は遣いましたよ~
その中でまだ蕾でうつむいてる姿が愛おしい、
ところでMrs.centuryに忙しくしてたので、きっと春先には花はないなあと思っていた、みな鉢は雪の中だったし、
その雪払いをする気持ちの余裕や体力やなかったから、
そんな時でも 57577 だけは紙と鉛筆さえあればいいわけで、あとは投稿するのにメールをPCで、というsimpleな方法で
それが功を奏して続けられた、欠詠無しだったけど、採る採らないは選する方々の自由だし、
落胆と歓喜は何にでもつきものだから、そこで鍛えられて消したり書いたり置きっぱなしにしたりは繰り返しなの
葬送行事の合間でも無い知恵絞って言葉探しは出来た、やはり趣味は助けてくれるんだわ、その間だけは悶々から解放!
現実に翻弄された日々だったから有難かったわ~
そして二か月後に結果が出るという仕組みだから忘れた頃にやってくる~~~で、打率は五割六分、上出来でした、
10/18 でした、活字になるのは誌上でも紙上でも励みになるもんだ、
57577 は詠めば真実ということを教わったから、事実が余りに忙しかったから、いい具合にハブいたり(すまん!)
言葉工夫しながらも事実に即して纏めるわけだ、
うだうだし、だらだらし、気分の低下に抗えず、なんともはや窮屈でやるせない日々に、すっかり取り込まれてしまって
誰も同じだろうけどやりきれないわね、
だからって来る日を過ごさなきゃならないんだから工夫して、自己を責めず収束へ向かってやり過ごさねばならないわけ
メンタルを強く持ち、出来る限り家にいて、何かを成さねばもったいない、時間が、
親を亡くした娘には歳に関係なく忍び寄る言い得ぬ寂寞感が、それをなんとか昇華させようと、本来なら動いて転地して
となるところだったけど、このような事態となり身動きが取れない、
だからその気分を何かに集中させなきゃならないので暗中模索の体、それがいつまで続くのかはそれぞれだから、私は、
介護も長かったので予後も長いだろうし、決めなきゃならないことや片付けなきゃならないことや山積、
性分に従って気の済むまで時間をかけるだろうけど、食べなきゃ動けない( ゚Д゚)ということで過食の感じしないでもない
けど食べるんだぁ、もちろん私が食べてるんです、家で、念のため(笑)
あら嬉しいわ!クリスマスローズが一輪咲いた、なんたって雪の中の放って置かれてそのまま、秋口に鉢上げし軒下へ、
そのままバラの鉢植えと並べた、雪が降らない合間は枯れた葉が二枚ついてただけだったけど、
日当たり良好と適度な寒さを繰り返し、手をかけないのに蕾を見つけた時は嬉しかったですね~なにせ3・11以来なの、
やはり時が来れば咲くのね、逆境をも受け入れて咲こうとした花ヂカラ、見習いたいものです、
さて順不同でなかなか分からない処だろうけど、これは私の記録でもあるので思いつくシーンを思いつくがままです
奉行とのやりとり
(農家である宿敵が非農家である私から体よく田んぼの名義を奪取する方法を試みた案件)👈2023/02/08 追記
奉行はその道の専門家だろうから私などド素人ですから太刀打ちできるもんじゃあないとは思っていました、それに宿敵
は農業専業ですから、その筋には、”かお”が利いてたようで、でも奉行にはその立場であるプライドがありましょうから
そして宿敵は説明し始めた、
少しは電話で話してたように私には聞こえたけどあえて触れずに、名義変更の理由について説明してた、宿敵は勢いゼロ
しどろもどろで聴いてられない!と私は思ってしまった、あろうことかそのエキスパートと思い込んでる奉行のぺけぺけ
長に言った、
「もとはと言えば私の父が継農するはずだった一部を名義変更して欲しいだけで、58年も住んで耕してたところを何故
田圃と交換できないのでしょうか?地目が違うからと宿敵ちゃんは言ってましたけど、
なら、田圃の名義変更をする前に、宅地並びに畑や山林、原野を名義変更してから、私の家の農家呼称を抹消するように
その後、田圃の名義変更すればよかったんじゃないでしょうか?
そういう段取りなら、口約束(敢えて使いました、どうせ衝かれると思ったからね)でも、両親の思いは達成できたはず
じゃあなかったでしょうか?
田圃だけ宿敵ちゃんに名義変更してしまって、ハンコを押させて、あとは知りません、どこぞへ転居するんじゃないの?
はおかしいでしょう、地目の違うエリアについての交換は出来ないと仰るならば、売買にすればいいでしょう?
先にこっちのエリアを売買・名義変更して、何故ならこっちは農家仕様だったんだし、現に農業委員会からも連絡は常時
あって、ただ宿敵ちゃんが対応しないでいい、と言ったてので敢えてしなかっただけですよ、
あ!らしいですよ、母が当事者でしたから、私じゃなかったですから、
それから田圃と交換と言う筋書きだったのでは?農家しか農地を取得できないと農地法にあるんですものね」
ちょっとした弁護士風な婆になってた私(笑)ドラマの見過ぎ?
「現状の写真を撮ってこい」と言われた、アルバムにして花々を撮っていったら、ペラペラと見流して(プリント済み)
今度は「現地に行ってこの目で見てこないと」と言うから、「いつでもご覧ください、ただし草むしりが行き届いてない
かもしれないので、今まではきっちり毟っていましたけど、今はあまり話が進展しないから乗り気じゃないので(笑)」
と、生意気なことを私は言っちゃった!予告なしに挨拶もせず、奉行はスススーーーと断りもなく地べたを素通りして
いったのには驚いた旨を加味した、
挙句の果てに「なんだかこっちがリードされてるようだ、言いなりになってる気がする」って、ぺけぺけ長が不穏な空気
「そんなことはありますまいよ、私ゃド素人ですよ」という風を吹かせた(´∀`*)ウフフ
「介護をするためにこっちさわざわざ来て(私は民よ、せめてお出でになってくらいの丁寧語で言え、納税者です)
そして住み着いたという事かぁ」この一言で私はキレた、
雪の事や家の修繕や或いは、家を潰しにかかるかなど考えてたけど、私のアタマの片隅でカチン!!!と音がしちゃった(笑)
何度書いてもヤマ場のようで面白い、そりゃあ私より恐らく二回りくらい下の現役バリバリを窓を背に、上席にいるぉ方
ですから、日々、快適でしょう、でもね、婆には婆の経験がありますからね、場数は踏んでるんですよ私(´∀`*)ウフフ
「上のぉ奉行をお呼びできないの?」と口から出そうになったけど、この後またあれやこれやどれやと奉行と宿敵ちゃん
と司法書士が意見交換して、私を黙らせる策を練るんだろうから、その時でいいや」
「そういう民は多くて、思い通りにならないと机をバン!!!と叩いて帰る人も多いんですよ~」何?誘い水?(⌒▽⌒)
私ゃノリませんわ、またそちら様方々の出方次第で、こっちの出方を考えますわ~と、笑顔で「短気な方が多いのね」と
腹の中では、農業の何たるかが理解できずに、奉行よ、そこに配置されたされただけじゃあ歴史も何も分かりますまい、
だから、民は机をたたくのよ~も呑み込んだ、
そしてやっと重い腰を上げた風に宿敵ちゃんは測量を依頼して、隣接する5軒様に、どのように言ったかは知らない
けれど、差し詰め「P子が勝手なこと言って、ここをばあちゃんが生きてるうちに名義変更をと言うから、ハンコ押して
貰いたい」とでも言ったんじゃないかな?
「今更なのか?」と「今までしてなかったのか?」という感じで、笑われたのは宿敵で、私には何の痛手もなく済みまし
たよ、周囲は杭打ち了承して、測量は無事に済み、もちろん不承不承でしょうけど面子があるから宿敵はこの会は自腹を
切っった、当然です、今まではこっちでしたので、
貸与してる別隣家・宅地には貸与分を広げてOK!らしい、と言うのは、隣家が来て、
「いくら地主でも、あまり急に勝手に借地(借りて住んでる方)をどうこうしろと、言われてもなあ」って、広げたから
いいようなもんだけど、私に言ってもどうかなぁ、
「まだばあちゃんの名義になってなかったのか?」って深いため息をついた、宿敵ちゃんは売らない方針だから、
さて、花には似合わないガッチリした鉢に植え上げて、バランスも何もあったもんじゃあないけど、この鉢が好きなので
古いから二つに割れたのをくっつけて使うほど気に入ってるの、だから捨てられない~
いよいよMrs.centuryが逝ってまる二か月が過ぎ少し落ち着き、食欲のお陰で体力気力が戻りつつあるから、不要の紙の山
を大ごみ袋に捨て始めた、何で取っておいたんだろうと思うような書類があって、いちいち確認しながら袋の中へ、
これもまた次へのステップ!子育て、親の介護、その次に来るのは三つ上【D】の介護か?と思わないでもないけど、
有難いことに子らはその父に優しい、私より血気盛んで、半ば現役だし、私よりは【D】に手をかけてくれそうで安心
だから、私は私のしたいことを、元気で蔓延ろう~~~っと思いながら、
(お料理上手のブログ友さんにヒントを頂いて美味しいものを☝アボカドのエビチーズ焼き、美味しかった!thanks)
田圃はややケリが付いた感じだった、ママが高齢になってきた、私は12~3年目を迎えてた、あっちとこっちを行ったり
来たりがね、
そして平等だと言ったんだし、ママも他の△◇の介護をも受けたいんじゃないかな?と思ってママを頼んで都下に行った
その時私が都下で受けた電話「ママが入院したから」は幾日も経ってはいなかった、▼◇は私が帰らないと踏んだらしい
親が入院したら帰るでしょうよ、誰だって(苦笑)私の気持ちが全く分かっていなかった、
〇△◇で美しい介護をしてママをおくる方向へと動くんだろうなあと思ったら、そうじゃなくて、この家は潰して
ママは言葉の通じる(国外に出るわけじゃないでしょうよ)地域の施設にお願いして、私には都下に帰っていいと、
この話は何度も書いたから先刻ご承知でしょうけど、今回は記録で削除はしないと決めてるから、どんな齟齬があっても
図太く居座るつもりなんだ~今まではヘコヘコしては書いたり消したり休んだりして、ひんしゅくもんだとは先刻承知、
様々困惑もあったりしたら即カーテンを引いてお手上げの状態だったけど、
伊達に後期じゃないので居座りを決め込んでる、発散のためのブログで気がかりじゃあ本末転倒だもの、 ブログには、
メンタルの強靭さが不可欠だと、やっと気づいた次第なの、
ママが私に不信感を抱いたから、そうしたいと言ったらしいけど真偽のほどは分からない、△◇たちも不信感は持ったか
ら、そういう結論になったわけでしょう、現にMrs.centuryは、ハッキリ言いましたもん、
結局、自分は介護はしないけど口出しはするという体となって、私を刺激しちゃった結果なんだよね、私が途中下車でも
しようものなら「だからあの時言ったでしょ?」とでも、
ここから巷でよく言う介護の関与の仕方と考え方と、できるものへの差が始まるわけよ、でもね、一般論を例に挙げるよ
「介護をした兄夫婦が、その母の¥を自由に使って、母もグチってる、何とかできないか?」と言うその姉や妹のグチ、
その母だって暮らしてるんだから、そこに当然必要経費はあるわけで、それに兄嫁が家事を、介護を援助してたら、その
兄だという夫も連れには感謝するわけだ、レベルが低くてなんだかなあとは思うけれども、どんなにレベルが高くても、
そういう与太口は出るんだし、そこは、その母の一言があればいいのだ、
「兄には介護してもらってるんだから、余計な差し出口は控えなさい、たまに私がグチを言ったからって大仰なことは
言わないで聞き流しなさい、どうせあなた達は介護はしてくれないんだし」ぐらいの啖呵は切ればいい、
そうすればその兄夫婦も介護をしよう ̄と思うだろうし、要は矢張りその母の覚悟と威厳が大事だということとなる、
介護中でさえ、すったもんだするくらいだもの、ましてやその後のことなど明々白々、どこまでも泥濘になるだけよ、