pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

9@ 種を (m)Love Letter @捨てられない◆▼

2020-03-10 | #日記

クリスマスローズの中心に 👆 種が出来始めた、外の方がいいかしら、

蕊は伸びて、蕾も順次咲き始めて、このような時期、それでも花はその一生をゆっくり進んでる、

今季は種を育ててみよう、初めての経験はよろしいわ。

 




咲き急いだように花びらを開いて咄嗟の春に対応してた 👆 フクジュソウは今朝の冷たい風雨に身を縮めてた、

そして見えなかった葉っぱが見えて、けして綺麗というわけじゃあないけど、花の一生にもこういうと時がある、

これはこれで味わい深いなぁ、それにしても寒いわ、

 

 



美穂さんが若くてキュートな頃の作品で、1995年に公開された、豊川悦司さんも若くてちょっと浮かれてるような年頃、

小樽と神戸だなんて洒落てていいなぁと思って録画しといた、

ラブレターだなんて響きが古いのが私の心を揺さぶって、そういえばこんな婆にもそういう時期はありましたよ、

 

音楽といいシーンといい今の私にはドンピシャで、哀しみの中にも可笑しさが漂って、やがて楽しくなるなという恋文、

けど誤配、そんな始まりで、何より中山美穂ちゃんと豊川悦司さんの佇まいがいいですね、華がありながら密としてて、

 

なんたって忘れちゃいそうな冬景色がよかった、映画ともなれば美しいシーンがいいものねぇ、例えば雪山に敢え無く

散ってしまった同級生に呼びかけるシーン「お元気ですか~私は元気です~」と何度も何度も叫ぶ、

 

転校する時、同姓同名のオトコの同級生は「この本返しといてくれ」と、藤井樹という貸し出しカードに名を書きながら

裏には図書係のオナゴの子に手渡す、白い表紙のプルーストだったような、

 

その日はその父親を亡くしたばかりで、寝込んでしまった母親のために学校を休んで家の手伝いをしていた、忌中の紙が

破れてたりしてる描写が真に迫るわ、

 

白線流しのシーンを思い出しました、

 

亡くなった同級生のフィアンセからの手紙に、その頃の思い出をたどりながら、写真を撮りながら学校に行き、

グラウンドを走ってみたり図書室に行ってみたり、

そうしてそのフィアンセのために同級生の思い出を追ってたら、実はホンとは二人は好きだったんだ!ラストシーンに

気づくあたりが淡くて切なくていいわねぇ、

中山美穂さん、酒井美紀さん、柏原崇くん、豊川悦司さんに加賀まりこさん、范文雀さんなど、錚々たるメンバーで、

懐かしかった、

甘めの温かいカフェラテをすすりながらこういう一本は実にいい、ちょっと過ごすモチベーションが変わってきた、

 




 

片づけてたら出てきたカードで写真を見た、懐かしい、これを基に与太話を書いてたわけ、楽しかったなぁ、なんとか

復元できないかな?自分の記憶力でだけども、

 

捨てられない!初歩から会得 👆して使った愛着の深い品々だから、もう少しぉ取り置き、

Mrs.centuryは書類は捨てなかった、出てきた、この話は前にも何度も書いたからウザ!!!の方はスルーしてね、物語として

面白いと思うけど、ふふふ、親がいない今となっては躊躇しなきゃならないことは私には一つもないからさ、

 

それに、よく親がいなくなると残された子らでひと悶着あるというけれど、それは親が無益な書類は残さず、第一子の

決済を信じて、さり気なくというのが品がいい、下手に書付を残すと、子だけじゃなくて子の連れも増えてることだから

口が増えていいことはない、遺留分の請求だとか、寄与分だとか専門用語を出して二悶着にもなりかねない、

生前に親の恩恵を受けたなら、ぉ返しの気持ちで動くか、感謝で終わらせるかは子らの品格の問題だわ、残されたモノの

多寡はあまり関係はないと思うけど、

 

公務員の父はMrs.centuryと結婚する時、田をつけて貰って、よくある飯米の不自由から護る方法を祖母から貰った、

それは当時は画期的よね、だって寡婦になって継農した農婦の知恵としては、門外漢の祖母は凄いと私は思ってるから、

そして亡き父は転勤族となり、本家とは疎遠となり、飯米なんて何?のような扱いを、後継者の本家の長男の長男、

(私の宿敵)から受けた、

それに亡父は不在地主そのものだったから、実印さえも預けて返されず、米は話にならない、それに亡き父はその専門職

だから子のような本家僕ちゃんを相手に闘では忍びなかったらしい、世間体もあるしね私はこういう処が父として尊敬、

 

私には「早くMrs.centuryを関東に連れてって独居から解放したら?」と、本家僕ちゃんは何度も言った、そりゃあ筋道

としては通ってるけど、死守してるこのエリアをチャラにして欲しいというところが見え見えで分かりやすかった、  

そしてご時世の流れで、このあたり田圃も大型商業施設に買い取られていくのを垣間見た本家長男は焦った、のか、

共有名義を返して欲しい、俺さま独りのものにしたい❕と言った、もし売れたら持ち分で清算すりゃあいいんじゃない?

でも売れたわけでもないし、売れる話があったわけでもなく、ハズレだったんだもの慌てることなかったんじゃないの、

 

Mrs.centuryも「お任せしますからあなたのいいようにしてください」と品よく返した、90過ぎてましたのでね、

△◇たちも「それでいいから家を潰してくれればそれでいい」なんだぁ?no介護で頂くものは既に頂き済みなのに、

口をはさんだ、

憤怒は私を襲った、だってMrs.centuryは今、住んでるんですから、せめて自分の家からおくりたいじゃない?私は言った

「そんな田圃の、はした¥は要らないからここのエリアをこの母の名義にして」と、

本家宿敵は思いもよらない流れに戸惑ったみたいだった、私がそう出るとは思わなかったらしい、

 

けど素早く司法書士を連れてきて書類を仕上げて、親+3人の娘は得るべきものを得た、それが公共事業の買い取りで、

一部にすぎなかったから、相も変わらず残りは4人名義のままだった、本家僕ちゃんと我らの線は切れなかった、

 

さて、他人じゃあるまいに、高齢の親を甲斐甲斐しく支援してる私に向かって、本家僕ちゃんは地雷を踏んだ!

 

農業委員の連絡を受けるということはMrs.centuryは、農家を張れるくらいの田は持っていたのだ、農家になりたかった

けど、小柄だからという母方実家の祖父の選択で進学し、代用教員となっていたので、今だと思ったらしい、80代でも

意地はあったわけだ、そこで本家僕ちゃんにその旨を知らせに行ったのに木で鼻をくくった体だった、

私の親です、憤怒を隠し切れず「分かりました!」と言って帰ってきて私に、縷々、縷々、縷々説明をした、悔しそうに

この親贔屓の私に言っちゃったもんだから、娘である私は攻防戦を始めた、面白いでしょ?事実だし~

 

そのママの表情や思いや阻害されてた悔しさを思えば、今更ながら腹が立つ、パパがお人好しだということをいいことに

不在地主だということを盾にして、預かった水牛の実印を押しながら、その田畑を次々とパパから宿敵の父親に名義を

変更してゆき、農業に携わる道を封じたその行動に、パパの悔しさは想像に難くない、

それをを思わないわけにはゆかないの、きっとパパは農業を祖母としたかったのだと思うから、そしてパパはある申し立

をした、詳細は後で、書類検討してからね、古い書類がきっちり分けておかれてた、

 

思えば農業に従事してる方々は農地が一番必要で、そこに宅地が付随して、増やしていって減らしてはいけないとの教え

を真面目に守ってきて、自分に代では減らせない!と思い込んでた宿敵だったから、

まさか都会へ住むんだろうから、Pから難問苦悶を強いられるとは思ってもいなかっただろうけど、時代が違うのよ、

 

と言う攻防戦の末、笑い話のようだけど、書士の手に渡ってしまった案件は素早く処理され、手数¥を(相場?だべ)

当日にお支払いさせて頂き、同級生の事務所を後にした、

「飯食ってきたか~?」と訊かれたから私はその息子も交えて一献もいいかな?と思ったけど、父の言葉を思い出した

「有利にするような振る舞いは誤解の基だし、人間としてそういうことは慎め」と、生前に教えられてたから、

私は「二回戦もあるかもしれないから、それが終わったらね」と言って(ため口なのは同級生だから)とっとと帰った、

そしてご丁寧に「宿敵ちゃん、お陰様で無事権利証を貰って来たから、ありがとね~」と、

そしてパパの仏前に供えた、ママには「うちのものになったよ」とは囁いたけど分かってない様だった、分かってたか?

 




介護の長さのせいにするわけじゃないけど疲弊が止まらない、まあね、やり遂げて納骨して気は済みましたからいいのよ

でも、これといって片付けが進まない、いくら好天でも寒いし風邪ひいたら元も子もない、




 

ということで今までのレシート袋を引っ張り出して整理を始めた、まるまる15年分だからそりゃあ凄いけど、

ケジメです、いつ何があって必要になるかわからない、ホンとに詳細が(笑)¥の流れが如実に分かりました、使用済み

の通帳も記録ですので、ママが取っておいた意味がありました、口には出さねども、

その時々のことを思い出せるからボケ防止にはいいでしょう、とにかく物忘れが多いので、75祝まで一か月を切ろうと

してる、今まである意味において備蓄してきたパワーを思い切り発散したい、収束したらね、

負けられない、しなきゃならないこと山積みだから、

 

ちょっと記憶のたどり方は逆算のほうがいいと気づいた、2019から始めた、疾うに私がママの手法で担当してたので、

家計簿形式はとらないで、やはりレシート、送り状、領収書、メモなどの詳細を残しておく方法が一番いい、

家計簿もいいけど三日坊主になりがちだからね、年度ごと袋にそれぞれを収めておくだけだし、通帳による記載は明確

そこから、もし領収書が無くても、¥額でその内容は分かるからね、

振込用紙や現¥封筒などは取っておいたので明白、「貰ってない」とか四の五の言ってもダメなよう、ママは経理の達人

だったわ、それを継続してきたので¥については、国会のように花見だ(笑)惚けなくても指し示すことができるし、

飲食レシートについても、宿泊領収書でも、メンバーも今のところ思い出せるしね、

 

さすがにママが残さなかった使途不明については、これが面白い、叔父にはからきし大甘なママだったから、例えば旅費

それは車の窓からさり気なくカミッペラのように阿吽で叔父に渡してたのは幾度も見かけた、

だから叔父が御一行様を招待したのではないけど、表向きは叔父を立てた手法で、そこに一枚噛んでたのが△の連れ、

叔父からのオーダーがあれば、ママは本に挟んで△の連れを呼んで届けさせてた、私が気づかないとでも思ってたのかな

(*´ω`*) 今更まあいいんだけど、ネタは持ってる私なの📚

叔父もそれは忘れてなかったようで、miss叔母の家の売買について、私がローン仕様でお支払いして記帳を残しておいて

買い受けた、その時の手筈はすべて叔父が済ませてからあちらへいったのだ、情けは人の為ならず、

けどこれが通用するのは、その人間性と品格と感謝と御礼の気持ちのレベルが同じじゃないと成り立たない、欲張り¥を

動かさなきゃ事は運ばないのだよ、ケチも嫌いじゃないけど、そこに生産性を持たなきゃ、それと先を読むこと、

 

とかく介護にまつわる¥については、きれいに済ませるには担当者が自腹を切る覚悟を持ちながら、あらぬ言葉を受ける

こともあるということを事前に覚悟し、ひたすら労働をも含めて施行するのがいい、

 

2021  11/23   現在

まったく踏ん切りの悪い本家長男は一気に売買仕様を仕上げずに、だらだらだらと何回にも分けて、まるで豆腐の切り売

のように日延べして、未だエリアを完売仕様にしないところがオナゴの私から見れば意味が分からん(笑)

まだ未練があるのね、その子らは継農はしないし、ましてや私らが営々と管理してきた所などに興味もなく、手を入れる

わけじゃないし、その子らには子がいないので先は見えてる、ので、その子らは自分たちが住んでる所さえあればいいよ

そういう考えだと分かってるけど宿敵のみが執着してるわけ、

私としてはMrs.century を無事に己が地べたからおくれたからいいんだけどさ、それにしても課題を残すと面倒なのに

スカッとしないオトコだったわ、

 

コメント (6)
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