お城へ行って来ました。
このところ3桁の感染者数になっているにもかかわらず、かなり多くの人出で広場では桜祭りのイベントが開かれていました。
一体どこでクラスターが発生しているのかも全く分からず、当初ほどのピリピリ感はなくマンネリ化しているようです。
先日まで硬い蕾だった🌸が、もう花びらが舞い始めていましたよ。
桜は華やかだけど、儚くて切なくなる花ですね。(歳のせいかな?)
お城へ行って来ました。
このところ3桁の感染者数になっているにもかかわらず、かなり多くの人出で広場では桜祭りのイベントが開かれていました。
一体どこでクラスターが発生しているのかも全く分からず、当初ほどのピリピリ感はなくマンネリ化しているようです。
先日まで硬い蕾だった🌸が、もう花びらが舞い始めていましたよ。
桜は華やかだけど、儚くて切なくなる花ですね。(歳のせいかな?)
我が家の庭先で最初に春を告げるのは紅白の梅花で、次に顔を出すのがこの花クリスマスローズです。クリスマスのシーズンでもないのにこの名前はどこからきたのでしょうか。何の手入れもしないのに、日陰の木立の間から毎年この季節になると芽を出して花を咲かせます。今日は気温が20度位に上昇しており春本番を感じます。来週からは高校野球が始まり、まもなくプロ野球も始まります。アメリカのメジャーリーグも労使交渉が解決したようで、1週間遅れの開幕のようです。日本人選手の活躍のTV観戦が楽しみです。ウクライナの問題やコロナ禍の問題はまだまだ続きそうですが、早く解決することを祈るのみです。
昨日来 一気に春めいてきた。畑に出るのも約1ヵ月ぶりになるだろうか、玉ねぎの3回目の追肥を終えた。これであとは生育を待つのみ。とはいえ、時には草取りをしなければならないが。併せて間もなくジャガイモを植え付ける時季となってきた。耕地や石灰を散布しておかなければならない。
ブログ投稿を何年もやってきたが、政治関係については個人のイズムがあることから、極力投稿しないようにしてきたが、この度のロシアのウクライナ侵攻には心から悲憤慷慨している。毎日のニュースを見るのも聞くのも辛い。お婆さんや、婦女子の惨憺たる避難の状況等には時に涙している。今世紀この時期にこんなひどいことがおきようとはよもや思いもよらないことである。どの国が主体となるかは分からないが一日も早い収束・終戦を祈るのみ。
高校時代の益田駅前を思い出しながら落書きしてみました。
古希の同窓会で帰益した時宿泊したホテルの部屋から撮影
レチさんが始めたふるさと今昔思い出巡りを引き継ぎ益田駅前に移動してみました。高校3年間は汽車通学で益田駅を利用していたので、この駅前の街路は懐かしく思い出します。
(益田駅)駅舎は当時とは変わっていますが、駅のホームは1番線が山陰本線下り、2番線が山口線到着・下り、3番線は山陰本線上りと今も変わっていないようです。当時はSLの汽車とジーゼルの気車が混在しており各線2時間に1便程度の運行でした。乗り遅れたら次の便まで約2時間は時間つぶしが必要で自然と駅周辺をぶらぶらしたものです。
(水口書店)時間つぶしに一番利用したのが駅前のこの本屋さんでした。いわゆる立ち読みですが、大人本のコーナーには行けず高校の参考書を開いては勉強する格好をしていました。長時間になると店員さんが本の整理にやってきて、これを迷惑サインだとして店を出ていました。
(朝日屋)石見交通のバス停の裏にあったと思いますが、高校生でも気軽に入れるお店で小遣いに余裕がある時には利用し、夏のかき氷、冬の大判焼きを食べながら汽車通生の社交場だったと思います。
(映画館)学期末の土曜日や定期試験が終わった午後に少ない小遣いを使って唯一の娯楽だった映画を楽しんでいました。日活や大映の中央劇場、新東宝や洋画の石見館、松竹や東宝のマルハ劇場が駅の近くにあり、須子には洋画専門のセントラル劇場、旧益田の益田川に架かる橋のたもとに益田東映劇場があり、私の出身地の横田にも豊城館という映画館がありました。映画全盛期の時代だったのでしょう。
(亀地食堂)この食堂に印象があるのは、高校を卒業して2年目の夏休みに高校1年2組の同窓会がここで開催され、生まれて初めての同窓会参加でした。男女を含めて30名位の参加だったと思いますが、半数が20歳になったばかりで半数はまだ未成年でしたが、お酒あり喫煙者もいました。後に聞いた話ですが、このクラスにいたマドンナを呼び出す目的で某幹事が企画したようですが、この同窓会もこれが最初で最後のようでした。
(純喫茶 白鳥)高校生の時は行ってないと思いますが、卒業してから良く行くようになりました。音楽を聴き、週刊誌を読みながらコーヒーとタバコを楽しむのが至福の時だったようです。また、ここに来れば同窓生の誰かに会えるという社交の場でもあり、夏休みや春休みに帰省するたびに訪れたものです。今でもこのお店は営業していると聞いたことがあります。
←①
②→
①校舎
②左より校舎、渡廊下、体育館
←③
④→
③テニスコート
④体育館
←➄
⑥→
➄部室
⑥左校舎、正面体育館
(防空壕側から写す)
改訂版です。
かむりさんに刺激を受けて、我が中学の母校について投稿しました。
写真は昨年末小雪の舞う中、異常者とみられることを恐れながらリポビタンさんが撮影してくれました。
当方勝手にばらばらに並べているためわかり辛いと思います、お許しください。
ご覧のように一番記憶にある防空壕(?)がハチの巣のようにあった山は切り崩されて住宅が立ち並び、
校舎は以前にあったテニスコートの位置に移っています。
二枚の略図は島千鳥さんの強い要請により書いたもので、間違っているかもしれません。
左側は益田中学校へ向かう道と大通りが交差するあたりの、昭和35年頃の街並みです。
僕たち高津生まれの生徒の通常の登下校は高角橋を渡った後、須子から通称「こいとうざ(だ)お」という
坂を越え、民家の佐々木家の角を曲がるというものでした。バス通学のものは、労館前というバス停で乗り
降りしました。でも時には僕をはじめ多くの元気印が須子の能美病院の横の道をまっすぐ山に向かって行
き、海雲寺のヘリから山越えをするという近道を選ぶこともありました。すると体育館の裏手に出ることが
出来ました。僕たちの一年後輩から新設された高津中学校に入学したため、その後その道は廃れ、ホントの
けものみちになったことが想像出来ます。吉田地区からは何本も道筋があり、裏通りを経て池というか沼地
の前の道を通った人も多かったと思います。その道の傍には現在は日本中で名の知れた「田吾作」という小
料理屋があります。
本当に様変わりです。あれから60年が経っていますから当然と言えば当然です。
他にも当時の思い出が甦って来て尽きません。
仲間の方々のコメントを頂ければ幸いです。
最後になりましたが、色々とお教え頂いた皆様どうもありがとうございました。
今年も例年通り、天照大御神の御札を受けに
門前仲町にある江戸最大の八幡宮と言われる富岡八幡宮に行って来ました。
この神社には日本一の黄金に輝く巨大神輿が参道脇に配置されており、
誰もが見学出来ます。また伊能忠敬の像もすぐ傍にあります。この深川の地から
測量の旅に出発したそうです。写真付きではなくてすみません。詳しくは
SNSでご覧下さい。
もちろん仲間の皆さんや13期の同窓生みんなのご健康とご長寿を祈願してまいりました。
どうかくれぐれも健康に気を付けられてこの一年をお過ごし下さい。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
小春日和が続き暖冬なのかと思っていましたが、街路樹も葉を落とし冬の訪れを感じる頃となりました。
雪が降らない内にと急きょ帰省してきました。
義兄(86才)が数日前に退院したところで、浜田の叔母(82才)は膝の手術で入院中、江津の叔母は元気ながら93歳というご高齢なので、さしずめ表敬訪問?というところです。
菩提寺に行く道すがら中学校へ寄ってみたら、あまりにも様変わりしていてびっくり!!
この前に投稿してくださった体育館への地下道を塞いだ写真を見て、どんな風になっているのか興味があって行ってみたのですが、、、、、
避難道路造成の工事中でした。昔、校舎下にあった体育館は無くなり、その横のグラウンドが切り崩されて、以前の登校路と反対側に道路が作られている感じです。石見神楽さんの家からは良く見えるようになったのでは?
現在は写真の右奥(自転車置き場の奥)が体育館なのかな?そして校舎にはベランダが取り付けられて、体育館に繋がっているように見えます。
校舎前の立派な建物は、調理室や理科室などに見えました。
ほんとは、職員室に行ってお話を聞きたかったのですが、むやみに校舎内に入るのはためらわれたので、写真だけ撮って帰りました。
わが母校も通り道なので、フェンス越しに一枚📸
建て替えられて面影がどこにもないというのは、やはり寂しいですね。
そういえば、甥っ子の子供が現在益高1年生で、野球部11名で頑張っているので来春は甲子園に行けるかもと話していました。
ちょっと明るい話題で、嬉しくなりました。そうなるといいですね。
我が家は小さな食料品店をしていましたので、いつも人が集っていました。
郵便配達員の方などは、配達終わりに集合場所にしておられたし、ご近所さんからお土産を頂くことも多く、人が集まるとそのお菓子をお出ししてお喋りが弾み賑やかな家でした。
このこけし達も当時お土産でいただいたものです。
断捨離で段ボールに片づけたのですが、未だに捨てられなくて久しぶりに並べてみました。
季節が一気に進み、山陰の空はすっかり冬の気配です。
コロナ感染が一段落していますが、集まろうという元気が出ません。
せめてこのブログで元気を届けてください! がんばりましょう!!
お二人の夕日投稿に魅せられて、先日美術館横の岸公園に行った時に撮ったものです。
今朝のあさイチでも紹介されていましたが、2枚目の写真が美術館横のカフェ(ステンドグラスの建物)です。
3枚目の写真は、澄川喜一さん創作の「風門 WIND GATE」です。
県立美術館のシンボルとしてしめ縄に垂れ下がる紙のしでをイメージしてつくられ、宍道湖の風を迎え入れる結界を意図しているモニュメントです。
もう一つのモニュメントは、ギャートルズやペエスケなどの漫画家、園山俊二さん(松江市出身)のペエスケの息子とその愛犬ガタピンの像らしい。
この公園では、週末になると演奏したり歌を唄っているグループがあったり、先日は結婚式の前撮りの撮影をしていましたよ。
やはり若者の集う場所のようです。独りで行くのはちょっと寂しいね。
日本海に沈む美しい写真を見て、瀬戸内はどうだろうと思い出かけました。
歩くこと10分たらず。
きれいな光景に出会えました。
それと、コロナ禍の前に行ったスリランカのカレーと世界遺産のシギリアロックの写真添付します。
早くもとのように旅行できる日を楽しみにしています