昨日(12/15)人丸さんの前を車で走っていたら
偶然、N.A君の実家が解体されようとしていた。
彼の人生のマイルストーンの一つが消えてゆくと
感慨深いものがあった。
産土の地の想い出として大正14年の人麻呂社正面の写真を贈ろう。
昨日(12/15)人丸さんの前を車で走っていたら
偶然、N.A君の実家が解体されようとしていた。
彼の人生のマイルストーンの一つが消えてゆくと
感慨深いものがあった。
産土の地の想い出として大正14年の人麻呂社正面の写真を贈ろう。
短い秋が終わり、冬に向かうと思っていましたが、このところ暖かい日が続いています。紅葉もやっと街中に降りてきたようです。我が家の生垣のドウダンツツジも毎年この時期には色づき季節を知らせてくれます。今年は気温の低い日が少なかったせいなのか、老木のせいなのか色の鮮やかさが無いようです。コロナも収まる様子はなく、5回目のワクチン接種の案内があり再来週に接種の予定です。インドアーの生活にもすっかり慣れて、少々コロナ太り気味で、通院箇所も回数も増えてきたようです。今年も残り1か月少々になりましたが無事に新年迎えたいものです。
美術展の残務整理が一段落して庭を見ると、山茶花が大輪の花をつけていた。
友にメールしたら、‶花は黙して語らないから愛おしい"のだと言う。
草花は時期が来れば花開き、葉を色づかせて自然と共に息づいている。
私達は、嬉しい時も悲しい時も花に癒され、心を和ませてもらっている。
忙しいとは、心を亡くすと書くけど、忙しくても草花を愛でる気持ちは無くさないようにしたいものです。
みなさーん!どうしていますか?
コロナが収まらなくて、会えない内に歳月が過ぎてしまいそうですね。
私は、趣味の仲間で制作した作品をアンデパンダン展に持ち込むことを10年続けています。
今年も9月28日~10月3日に県立美術館で開催されるので、只今取り込み中なのですが、、、
でも、このブログがストップしているのが気になって、昨日集まった時のもぐもぐタイムの写真でもと投稿しました。
身体を動かすより、口が動いてるほうが多い仲間での制作過程がたまらなく好きなのです。
多分会期中には、同窓生とも会えるのではと楽しみに思っています。益田の方からもお出かけくださいな♪
いつかはこの話を披露するつもりでいました。先般の某友の奥さんに関する熱いコメントがそのきっかけとなりました。といっても、たいした話ではないかもしれません。でも私にとっては奇跡的と思える出来事だったのです。
44年前の1月、新婚旅行先は第二のふるさと、土佐の高知でした。大阪からの飛行機が着陸して、私達降りる準備を始めました。その時ある一人の若い可愛い女性に声を掛けられました。断りなく勝手に描いてすみません、とでも口にされたのだと思います。それが、掲載している鉛筆で描かれたスケッチです。慌ただしくて何の話も出来なかったため、到着ロビーで彼女を待ったのですが、残念ながら行方を見失いました。ふと紙片の裏を見て吃驚しました。住所とともに書かれている名前が妻と同じ「明美」だったのです。これは必ず便りを差し上げなければいけません。旅行から帰るとすぐに取り掛かるつもりでした。しかし何かと慌ただしく、ペンを持つのが一日延ばしになっていました。そのうち面倒になって来て結局やめてしまったのです。とんでもない横着者です。
それから30年が経ち還暦を迎えました。或る日書類などを整理しているうち、あの紙片が目に留まりました。見つめているうちに、叱咤する声が心の裡から聞こえて来ます。意を決してお詫びの手紙を紙片のコピーとともに郵送しました。すると二週間ばかりして、彼女のお母さんから返信がありました。丁寧できれいな文字でした。内容は概ね以下のようなものです。娘は大阪の堺市に嫁いでいる、コピーを送ると自分が描いたものに間違いない、(手帳の一枚に描いたもので、保管している当時の手帳と合わせると、切れ目が割符のように合致した)女子大生だった娘は就職活動の帰路だった、明美という名前は当時婚約中の皇太子(明仁)、お相手(美智子)から一文字ずつ頂いた、等々・・・・・・・。ちなみに、私の妻の誕生日は美智子様と同じ10月20日なので、こういうことででも何かの縁を感じます。
このような巡りあわせ、偶然は遠く離れた三家族の気持ちを高ぶらせるに十分でした。当然のように文通が始まりました。とりわけ私とお母さんのやりとりが多かったです。お母さんは短歌が趣味の文化人でした。便りの1つに書かれていた、「娘が撒いた種が花開いた」という言葉が強く印象に残っています。私の怠慢により、開花が怖ろしいほど遅れてしまいましたが。
文通は暫くの間続き、やがて年賀状のやり取りに代わっていきました。両家族ともに今でも変わらず元気にお暮らしのようです。この紙片はきちんとファイルにおさめ、たまに眺めては当時を懐かしんでいます。
まもなく妻の祥月命日、その後お盆です。子供達と墓参りに行って来ます。
長い駄文にお付き合い頂きありがとうございました。皆さんの心に残っている思い出を聞かせて下さい。
節目の年になり、真摯に生きよう・・・と思う。
まずは、ハンドルネームを変えてみよう。
それでは一句一首
豊作で
茗荷の花の
枯れ尾花……「野辺生」
相見つつ
前後不覚の
その味を
香菜ですよと言われても
茗荷を食った後なので……「鼻裸居」
決定しました「野辺生」・・・きれいですから。
初めて投稿します。何卒宜しくお願い致します。
家の近くにけっこう大きな庭園があり、周りの住民達と協力しながら掃除や池の水やりをしています。
毎朝5時起きで一時間のお勤めです。
先日の私の当番日、池の鯉を目当てにやって来たアオサギを撮りました。
こういうシャッターチャンスは滅多になく、上手く撮れたと少し誇らしい気でいます。
なかなかおさまらないコロナと猛暑の中、一服の清涼剤になれば幸せです。
6月4日土曜日の昼前、M・A君と連れ立って上野へ。
天気も良く、コロナも終息に向かっている気配があり、上野動物園のあたりは凄い人混みだった。
画廊にはK・Yさん、H・Rさんも来ており、一緒に画伯・友游君の作品(上記写真)を中心に閲覧した。
彼の絵は以前とはタッチが違って油絵のように見え、素人の眼だがさらに上手になったように思えた。
その後みんなで軽い昼食をとった後、私達は友游君とともに、能楽堂に向かう女性達と別れて近くをぶらり
と散策した。
久し振りの再会、多岐にわたって弾かれたようによく喋った。ただ、3人とも場所や名前や日時を思い出せ
ない場合があり、時々話が滞った。「あれ誰だったかな」「どこでだっただろうか」等々。仕方がない、後
期高齢者一歩手前の人間の会話なのだから(私は到達済み)。また、散策といっても、ぶらりといっても、
残念ながら否応なくそういう足取りにならざるをえないほど、足腰が弱っている3人だった。特に私は腰
の蝶つがいが外れたような状態になり、途中で何度もベンチに腰を下ろして休憩をとって2人に迷惑をかけ
た。普段こういうことはないので、多分履きなれない靴のせいだろうと思う。
ともかく、楽しいひとときでした。
みんなで集まる時が早く来るといいな。
写真追加(団塊)
27年前に雉さんからプレゼントされたお宝品(テレカ)です。机の中に眠っていたので、取り出してみました。右下に雉さんの名前が印刷されていましたので黒塗りしています。
三年ぶりの規制のないGWもあとわずかとなりました。
いかがお過ごしでしたか?
帰省した人や旅行に出かけた人で、どこも混雑しているようです。
私は、孫娘が帰省して泊まりに来たので、一緒に散歩がてらお城へ~~
以前この木なんの木で紹介した“なんじゃもんじゃ”の花が満開でした。
明日は、ガーデニングをしようと思っています。