O・Sくんが貸してくれた本「益田川の夢」
作者は中村文子(1928年生まれ)で2男8女の長女として、泉光寺近隣で育つ。
父親は右田酒造の杜氏として勤めていたこともあり、母親は高津地方出身(旧姓城市)とある。
石見弁の会話はもちろんですが、祭り料理で、角寿司(押し寿司)・お万(鰯の中におからを詰めたもの)・口取り・すぼ豆腐などが書かれていた。
すぼ豆腐は知らなかったけど、各地のお祭りには親戚でお呼ばれして行ったり来たりして賑やかだったことを思い出しました。
4月の節句には、重箱に巻き寿司や簡単なおかずを詰め合わせて外で食べたとある。
(私も近所の机崎神社や観音堂に行って友達と食べていた)
益田小学校入学が昭和10年だったとか、当時から二宮金次郎があって、講堂に行く太鼓橋を渡り、校歌も同じのがあったみたいです。
その他、あさっぺ、ツバ、スイバなどが出てきて、あったあった!と興奮しました。
都館という映画館があったらしいけど、どこら辺にあったのでしょうね?
そしてお正月3が日の雑煮は父親が作る習わしがあったと書かれていて、今まで我が家だけの習慣だと思っていたけど、皆さんのお家ではどうですか?あまりにも懐かしくて投稿してみました。
>身辺整理... への返信
身辺整理についてだいぶ前にコメントしたけど、他はともかく写真は全く手づかず、ギターも押し入れの奥で埃をかぶったまま。困ったものですね
それに比べて、あゆみさんの身辺整理の凄さ
30年前、大量であっただろう持ち物をほとんど処分し、生活に必要なものだけを持って神奈川の邸宅から都内のマンションに引っ越した。そこでの生き様はまるで仙人のようだ。食少なく、夜7時に床につき、朝は2時に起きる。電気をつけたことがないという。夜中は月の明かりがたよりだ。
起床後は人と出会わないうちにと散歩に出かける。
絶句!何かあったのだろうが、この断捨離と後半生、驚愕です。
解明してみたいな、その心の中を。
私の本当の目標は、あと10年と考えています。
現在、不用品の片づけをしているところですが、まあーどうでもいい物ばかりしまい込んであります。手紙や年賀状も捨てられなくて、どっさりありました。見ていると際限がないので思い切ってゴミ袋へ。
本や図鑑や食器類、そして痩せたら着るかもと取ってあった服も可能性がないので処分したので、タンス1つと本棚が空になりました。
今はアルバムの整理中ですが、これもとんでもなく大変な作業です。
子供達にとってみれば、思い出も価値も感じられなくて処分に困るだけでしょうから。
元気なうちでないと身辺整理は難しいものだと実感しながら、今月末までには終わらせてスッキリしたいと思っています。
毎年この時期になると、高3の3月に「サクラチル」「サクラサク」の電報を受け取り悲喜したことを思い出します。あれからもう60年なのですね。電報による合否連絡も昭和の遺産なのでしょう。
かむりさんは100歳まで元気でブログ投稿したいと言っておられますが、私は101歳まで頑張りたいと思います。私の親父は100歳4か月で他界しまいたので、それを超えるのがこれからの私の目標です。
先日「100歳になってしたいことは?」と尋ねられて、「同窓生のブログに投稿すること」と答えた。
もちろん、みんなも元気でコメントしてくれることが前提ですが・・・
まずは、80歳を目指して頑張ろう!
昨日は三婆でお花見へと出かけてみたけど、お城の桜
ランチした後コーヒーショップに移動して、「益田川の夢」と「高津川」の本を紹介しながら昔話に花が咲き、違う花見となりました。
気づいたらコーヒー☕一杯で延々2時間も~よく喋ったわ!
昔語りが出来る友がいるのは、ありがたいことですね
彼女とは六本木で、ばったり出くわした。24,5歳の頃だ。 小さな喫茶店にふらりと入ったら、彼女がテーブル席にこちらを向いて座っていた。目が合い、束の間見つめ合った。すぐに心が波打ち始め、いたたまれなくなって、そのまま踵を返して店外に出た。そんなことがあって、以後彼女のフアンになった。その気持ちを裏切らない演技を彼女はずっと見せてくれて来た。特に高倉健主演の「駅・ステーション」での演技は秀逸である。
その彼女がこの世を去った。心からご冥福をお祈りいます。
何と言っても、作者の半端ない記憶力には圧倒されました。
今は使われることも、耳にすることも無くなった益田の方言が、至る所に書かれていて、知ってるのもあってとても懐かしく面白かったです。年代は違いますが、地元に住むようになって知り合った人達の家のことも3件出て来ました。
気づけば、旧益田にはお寺が沢山ありますね。実家から歩いて行ける距離にも、近い順では、妙法寺、妙義寺、順念寺、暁音寺、泉光寺、医光寺など。
右田アサさんの本もずっと以前に読みました。
寺井家は、おそらく乙吉町(現在の日赤辺り)だと思われるのですが、それなら高津川というよりむしろ益田川に近いのではないか???と思い、モヤモヤしています。
あさっぺは、海藻です。わかめと昆布の間くらいのもので、風船のように膨らませて歯でしごきながら磯の香りを楽しんだ記憶があります。
高橋一清さんとは、ずいぶん昔に会食の席でご一緒する機会があって、その時にM子さんの話をしながら涙が止まらなくて困ったことがありました。
「編集者魂」という本は買いましたが、団塊さんが紹介されている本を、私も探してみることにします。
団塊さん、H間先生ってふっくらした丸顔のメガネかけたあの人ですよね。だとすると、
貴方とは一年の時、同じクラスだったんだ。いや、以前にそんな話したことあるかもしれない、あるに違いない。M子さんのことだって、東京の同窓会では度々話題に出たけど、同じクラスという認識はなく、みんなの会話をボーっと聞いていた。
遠い昔も今も霞の世界。コラ大丈夫か、レチ
中村文子さんと、団塊さんのおっしゃてた高橋一清さんの本、私も図書館で探してみます
角寿司、おまん、口取りなど懐かしい
「都館」は古川町にあった「益田館」のことではないかと思います(NKさんの割烹店の少し奥の方にあった)
団塊さんのコメントにあったM子さんのお通夜には数人の同級生と参加しましたが、彼女は末っ子でしたから、お姉さんたちやお兄さんにとっては可愛くてたまらない存在だったと思います。不幸な事故の原因となった、ヒビの入ったガスストーブのホースをみんなに見せながら泣いておられたお兄さんの姿が、今でもありありと浮かびます。
祭りは同じように親戚の家を行き来しました。節句はご近所のみんなと高津の浜に重箱持って行きました。どちらもけっこうモノクロ写真が残っています。
懐かしいですね