Climax! 週末園芸日記

タイ王国滞在中の黒歴史から週末ガーデナー日記へと復活。
夏は、実生ペチュニア、冬はパンジーが売りです。

聞こえるのに、聴けない(続:ASD)

2014-06-30 09:13:07 | 雑記
誰にも判らないでしょう。
本人は、理由はわからないが感じていました。
何を言われてもいわれた通りにできなくて叱られ続けたり、
周囲から嫌がらせを受けたり、いや、周囲を不快にさせていたこと。

聴力があるといっても「音が、聞こえているだけ」
記憶して行動ができないのです。
聴けないのです
聴覚でのコミュニケーションができないのです。
ですから今、仕事さがしていますが、できる自信がありません。

何せ誰にも認められない聴覚障害なのですから。

今まで、ただ生きているだけで疲れるのが何故か判っただけでも
よかったと知人は言います。でももう疲れ切ってしまいました。

努力しないようでいて毎日死ぬほどの努力だったのです。
主治医である院長先生の言葉
聴力障害者が今までの仕事できますか?
また辞めるだけですよ!


でもやってきたのですよ16年も教員を
そして警備員を6年近く。

それは脳が統合して処理していたのだと。
もうコンピュータでいえば、データのバッファーが溢れて壊れてしまったと。
これ以上無理したら…

ここまで生きてきたのは無理の連続だったのです。

がんばれという言葉
禁句である。

今はっきりいいます。
がんばっていたのです。これ以上はがんばれないのです。

でも稼がないと資本主義社会では生活できません。

何を甘えたことを言っている!
聴覚障害者でも定年まで勤めた!
とか英雄伝ありますよね。

それってさ周りに支えられているんだよね。
まず教育委員会の人事のサポート。
そして生徒も保護者も周りの同僚も
聴覚障害者
だって判っているよね。

俺は誰にも救われない。
だから会議などの時は自分でレジュメを書きいつも視覚データで話を進めてきた。
それで何とかやってきた。知らぬうちに。
でもいつも底辺を這いずり回る職場に回されてこれ以上がんばれというのか。

ある優秀な校長がいたそうだ。その結果、問題学校の校長に異動。
左遷されたと勘違いした校長は薬物に手を出し犯罪者に。
こんな事件もありました。

そうなる前に私は職を辞したのです。
出も冷静に考えれば教員やめるだけで一般職員として
残るのもありだったのです。

でも私には人生の邪魔者がいて家のローンばかり考えているお荷物がいました。
今壊れていくところの私の身など全く案じず。
がんばれがんばれ
努力すればなんでもできる

できません
ヒトは、イルカのように泳いだり、鳥のようには飛べないのです。

私はこれからどうすればいいのでしょう。
主治医は、聴覚障害者も仕事をしているとか、
在宅勤務を探せと言います。

もっとも医者に聞く方が悪いのです
私もそうですが、専門家は専門以外は素人です。

医者が仕事の斡旋なんかできないし世の中のことなんか理解できているわけ無いんです。
責めているのではなく私もです。ずっと教育のことを学んできました。
今更他のことなんか全くできないのです
そして教育のこともできなくなってしまいました。
今は練習問題一つ解けません。


ASD

2014-06-28 15:08:41 | 雑記
自閉症スペクトラム(ASD)で見るとADHDではないが、
高機能自閉症の一種であると心理テストの結果判りました。

結局今まで生きてきたことはなんだったのでしょうか。
判ったことは本当に人一倍努力していて
溢れた情報を脳が処理しきれなくなってしまっていた。
そういうことです。
具体的には言語動作性が標準よりしたからかなり劣るの間で75という数値はもう少しで
知的障害のレベル。
平均すれば人並みのIQ100を上回っている。むしろ優れた部分もあるが、
動作性特に算数が劣っている。
わかりやすく言うと聴覚が役に立たないので聞いていても何を言っているかわからない。
聞きながら同時作業ができない。、聞いていても記憶できない。
聴力があるのに、主治医に言わせると
「聴覚障害者からみれば失礼になるけれども、
貴方は耳が聞こえないのと同じ


努力でなんとか仕事に就けないのですか、と聞いても。

「無理して努めてもコミュニケーションが取れなくてまた辞めるだけ」と。
さらに、
「聴覚障害者が、普通の人と同じ仕事ができますか?
仕事を選びなさい!」


全ての涙が絶望に変わっていく。
今までなぜうまくいかなかったのかは判った。
しかし、大学でも最優秀な成績で卒業し、
採用試験の難関も突破して10年以上勤めてきたのははいったい何だったんだろう。

でもそれが私が壊れてしまった原因

もう頭は元に戻らないだろう。

消えてしまいたい。


失業者認定

2014-06-17 16:04:27 | 雑記
病気は治っていないがとにかく失業認定
これで説明会でて最初の認定日を迎えれば待機期間の7日分を除いた分の手当がはいる。
でもそれって21日分でしょ。まず生きていけないよね。
貯金だってもうろくにないし。

どうすんだよ。


ハロワに行った

2014-06-14 01:24:52 | 雑記
受給資格延長の解除と求職申込書の手続き、求職者給付(失業保険)の申込をしてきました。
つらいです。現実は就労不能なのに、年金の請求をするには診断書が出せない状態で、
「就労不能」と書かれたら、なんの救済も支援もありません。
ここは、失業者になるしかないのです。
しかし、帰国時にはその支援すらなかったのですから、まだマシな状況なのか。
でも追い込まれているのは確かだ。
追い込まれて慌てると、クリニックからは「焦燥感とか行動強制が見られる。」
と書かれてしまうわけです。

仕事。何をすればいいのだろう。
求職相談の窓口では見つかりますよとか軽く
いってくれるけど現実は底辺職しか無いことはわかる。

給付申し込みは打って変わって担当者は特に言葉を交わすこともなくキーボードでチャカチャカ入力して
説明会の案内と認定日のしくみを淡々と説明してお終い。
待機期間内のですぐ認定になると。
でもその金額ではますますきつい。

それより無職・求職中で借家の更新できるのか不安だ。
不安を抱えたままで、まだこの時間まで眠れなかった。
明日もやることはないが、また整骨院で膝の治療だ。
なんの仕事をして良いかわからないまま日は過ぎていく。
未だ走ることができない身体。何ができるというのか。
もう嫌だ。


ついに来てしまった。傷病手当給付切れ。

2014-06-12 21:55:07 | 雑記
ついに来ました。長かったようで短かった。
傷病手当金給付の請求期限が。
今日までの分が今月末頃、振り込まれますが、
そのあとのお金はめどが立っていません。

双極性障害と診断されましたが、年金受給真性を主治医から否定されたので、
もう手当は、ありません。ですから失業者に認定を受けるために
完治もしていないのに労務可能の証明書を出してもらうことにしたのです。
その書類は「病状証明書」などと呼ばれ、ここに就労不能と書かれてしまったら
事実不能でも、年金は請求できない、雇用保険による基本手当または傷病手当は
受けることができなくなるのです。

つまり制度の狭間で、何も支援が無くなる。
それを避けるためにまだ就労不能だというのに条件付就労可能に診断してもらったわけです。

世の中には、社労士と組んで、年金請求をする医者を捜し書類を作る人もいますが、
私はそのつもりはありません。無知ではなくかなりその方法は調べました。
でも年金もらって暮らすという方法を選びませんでした。
いや鬱症状でそんな気も起きなかったのかもしれない。

働けば良いではないかと言うでしょう
でもネット民が言う「コミュ障」などと比べものにならない
パーソナリティ障がいなのです。
ただ細かい診断は心理テストの結果を待たないと何とも言えません。
残念ながら明日、ハローワークに行くまでには結果報告は間に合いませんでした。

これからどうしたらいいのだろう
なるべく人と関わらない仕事を探すしかないのかな。

何百何千と人と接してしてきた仕事をしていたのに惨めなものだ。