お昼は1時がちょうど良い

在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

回顧録 19

2015年12月05日 | 回顧録
小学校4年生の時に母が算数の授業用に買ってくれた算盤。まさか8年後にそれが給料をもらうための道具となるとは‥‥ 約50年経った今でも家の机の引き出しにしまってあり、少し渋くなりましたがまだ動きます。


当時の仕事場の作業環境の中では明るさが影響して(暗い中での残業も影響)、視力が低下してしまいした。在学中は両眼とも1.5だったのが就職した半年後には0.7になりました。家庭の都合で在学中に自動車運転免許を取得できなかったので、仕事が落ち着いた半年後に教習所に通う事になり、教習所で視力検査をしたところ判明したのです。裸眼での運転は不可という事です。

視力はその後更に低下し、会社の定期健康診断では0.1を下回るまでになってしまいメガネ生活の始まりとなったのですが、労災の適用にはならないと言われ残念な気持ちになりました。


在学中に免許を取得して、視力低下に気づかないまま運転するよりは良かったのかなとも思ったりして‥‥


その一方で、入社してから給料の一部は家を建てる為の貯金として取り分けるようになり、始めてから4年程して宅地を購入する事が出来ました。22歳の時です。温かい家庭を夢見ていたのでまずは家を立てねばという計画の第一歩です。


その3年後、25歳の時に家を新築しました。私の親が家を売却して借家住まいになってから22~23年後に復興できたのは嬉しかったです。25年ローンを組みました。50歳になれば完了して、60歳の定年迄10年間貯金をすれば定年後の資金は大丈夫だという目論見でした。


ここ迄は一時的に順調な時期でした。というのも、この頃の社会的情勢として「ノストラダムスの予言」というのが流行り、自分の人生計画にも影響を与える事になったのです。それについてはまたの機会に‥

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