小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

映画、<山中静夫氏の尊厳死>を観る:

2019年09月22日 | 映画・テレビ批評

映画、<山中静夫氏の尊厳死>を観る:

原作が作家・医師でもある、南木佳士(なぎ・けいじ)による同名の原作(文春文庫)で、過去に、<阿弥陀堂だより>という原作に基づいた映画があることを思い起こす。そういえば、その映画のロケ地の飯山の里山の阿弥陀堂を、観に行ったことを想い出した。それにしても、地方の映画館で映画を観るときには、ほとんど、観客が平日であれば、数人か、せいぜいが、10人以下であるのに、この映画は前売りであること、しかも、初日の主演男優監督他の舞台挨拶もあると謂うことで、全館満席であること自体に、驚きを禁じ得ない。

よい映画というモノは、その映画のテーマ次第では、まだまだ、映画も捨てたモノではなさそうである。原作・俳優・演技・テーマ・監督・脚本・情景、など、それぞれ相互にかみ合えば、興業も、成功するモノであろう。それにしても、<人生の最期を自分の意思で生き抜くことの意味>とは、安楽死でもなく、尊厳死とは、ホスピスでもなく、中村梅雀演じる元郵便配達員の婿養子の末期肺がん患者(山中静夫:中島静夫)の最期を看取るとは、そして、津田寛治演じる呼吸器科の担当医師自身も、<その余りに、職業的な立場から故の真摯な数多くの患者の死との向き合いから、自らうつ病を発症してしまう>という状況のなか、家族の葛藤も含めて、信州の浅間山を望む佐久市の病院を舞台に、<人間が死んでゆくことの意味>とは、何であり、<最期まで生き抜く>という意味は、<楽にして下さい>とは、必ずしも、安楽死ではなく、個人の尊厳を、どのように尊重しながら、未来への希望とともに、<死を迎え、受け入れるのか>ということを考えさせられる。<楽に死ねるような気がして、ふるさとの山をみゆ>という辞世の句の中に、山頭火のような句の似たような心境を見いだし、<わたしには、やっておきたいことがある>という患者の自分のお墓を創るという最期の望を叶えさせてあげたり、医師という存在は、単に、看取るだけではなくて、それなりの医療技術と共に、患者との或いは、その家族との心の信頼関係も含めて、患者だけでなく、同じように、<担当医師自身にも、様々な身体的・精神的なダメージが蓄積されていく>ことが、うつ病の発症に至ることからもわかる。

そういえば、亡くなった母が、入院していた介護施設付属の病院の医師が、死亡通知書を受け取りに言った際に、<自分の仕事は、患者を再起させても、せいぜいが、介護施設に戻せるか、看取るか、どちらかで、この葛藤の中で、医師として、勤務しなければならないことを理解してもらいたい>と言っていたことを思い起こす。石丸謙二郎演じる病院の事務方による浅間山が眺望できる患者の病室の移転要請を断る場面も、他の患者の手術実施を延期する希望を受け入れ、後日、病状の悪化により緊急入院する事になることも、患者ファーストで有り、自分のことは、セカンドであること、又、受験期の子どもとの会話も、こどもの自主性を尊重した対応にも、もっとも、夫婦間の会話は、やや、最期の場面以外には、やや、気掛かりなものがあるように描かれているが、、、、、、。中村梅雀は、役作りのために、6キロの減量をしたとかで、もっとも、津田寛治の方は、それをもっと上回る減量を実施したと、舞台挨拶の中で、言っていた。幼なじみ役の浅田美代子も、患者の妻役の高畑淳子も、脇役の中で、それなりの存在感を発揮していたし、医師の妻役の田中美里も、いかにも、息子を心配する典型的な医師の妻役を演じていて、抑え気味で脇を固めている。

舞台挨拶で、梅雀は、患者の呼吸の仕方を相当演技の上でも、工夫したそうで、腹水が、溜まって抜くシーンでも、色々と演技に細かく生かされている。先日、NHKのファミリー・ヒストリーで、大河ドラマの花神の大村益次郎役の父、中村梅之助の懐かしい場面がでていたが、役者としては、父にだんだん、似てきたという言葉が、好きではないらしい。確かに、役者というモノは、<自分は、自分でありたいモノであろう>ことは、確かであろう。今回の映画でも、末期がん患者の生き様というか、死に様を、思う存分、演じたような気がしてならない。むしろ、私は、患者が、ずっと、気を遣って生きてきたように、同じように、津田寛治演じる医師こそが、病院で、日々、気を遣いすぎて、鬱症状を発症してしまう課程での演技は、動作、顔色や、ボサボサの髪型だけではなくて、減量だけではなくて、しっかりと、台詞にも、演技にも、反映されているように感じられた。

夕暮れの情景も、小海線の電車も、千曲川を背景とした四季折々の浅間山の情景も、季節の流れを暗示させる木々の色も、その眺望が素晴らしい病室が、実は、佐久市の会議室内に創られたセットであることも、忘れてしまいそうである。

主題歌は、小椋佳、作詞・作曲の<老いの願い>で、村橋監督やプロデューサーによれば、年末までは、佐久市だけの上映に限定され、来年から、東京銀座で、順次、全国上映になるそうで、何度も、映画を観に、歌を聴きに来てもらいたいと、その先には、海外へも、上映を拡げてゆきたいと、、、、、、。舞台挨拶で、アッピールしていた。

両俳優、並びに製作チームの今後の活躍を祈りたいものである。

 

梅雀のひとりごと:ブログ参照下さい。ミュージシャンの側面も意外な一面である。

https://blog.goo.ne.jp/baijakujaco/e/689e00f7e601ce33c3d9f67bf3cfd6af

 


映画、<人間失格 太宰治と3人の女>を観る:

2019年09月18日 | 映画・テレビ批評

映画、<人間失格 太宰治と3人の女>を観る:

演出家の蜷川幸雄を父に持つ、蜷川実花監督による映画で、独特な映像手法と色彩感覚に溢れた中で、この重い主題をどのように表現しているのかということで、観ることにした。主演の太宰治に、小栗旬、妻の津島美知子役 宮沢えり、大田静子役 沢尻エリカ、山崎富栄役 二階堂ふみ、脇役陣を 坂口安吾役 藤原竜也、三島由起夫役 高良健吾、編集者役 成田凌、等が、固めて、お友達キャスティングに近い若い俳優陣達で、製作されている。

確かに、映像美としての数々のシーンは、初めの真っ赤な彼岸花が咲き誇る中で、子供達と歩く姿から、最初の入水自殺に失敗した、海岸での生還するシーンへと、等など、色彩感覚の表現は、確かに、写真家出身の才能が映像表現にでも各シーン、各シーンに、十二分に生かされているように思われる。

自明の史実に即しながら、重いテーマである、<堕ちるというコトとは、>或いは、<家族というものとは、>更には、志賀直哉、川端康成、井伏鱒二、等は、人物としては映画にでていないが、太宰の台詞として、表現されているものの、残念ながら、主題が、<太宰治と3人の女>ということである以上、三島由紀夫(高良健吾)や坂口安吾(藤原竜也)との議論は、なかなか、文学史的には、興味深いモノであって、残念ながら、史実通りかどうかは分からぬが、もう少し、深掘りを期待する観客には、一寸、物足りないものがあろうか?

どうも、小栗旬には、濡れ場が不得意そうに見えて仕方がない。これでは、沢尻エリカ様から、或いは、女性監督である蜷川実花監督からも、多少のクレームはつかなかったのであろうか?もう少し、ぐいぐいといっても良いのでなかろうかと、勝手に、観る側は、そんな風に受け止めてしまう。個人的に言えば、妻の役の宮沢りえの静の演技と、最期に入水自殺する山崎富栄役の二階堂ふみの情念の演技には、光るものがあり、評価されてしかるべきであろう。

太宰役の小栗旬が発する、<人間は恋と革命のために生まれてきた>他、これらの台詞の言葉も、どうも、流れの中で、重く受け止められないのは、どうしたモノであろうか?本という中で、同じ言葉を読者が、受け止めるインパクトと、映画の中で、俳優が発する台詞を介して、受け止めるものには、<どこか、違い>が生じるモノなのであろうか?

後年、大田静子の日記にもとづいた、その娘である大田治子による、<斜陽日記>の刊行をみても、この当時の小説を書くと言うことに対する苦悩と実生活で身重の妻と愛人の出産という同時進行は、いかばかりのモノがあったのであろうか?

 <人間は堕ちる、生きているから堕ちる>、<壊れてないと書けないんです、小説なんて>

<愛されない妻よりずっと恋される愛人でいたい>、<私赤ちゃんが欲しい>、

<人間は恋と革命のために生まれてきた>、<死ぬ気で恋、する?><おまえを、誰より、愛していました>

<本当の傑作を書きなさい>、<あなたは、もっと凄いものが書ける>、<壊しなさい、私たちを>

<死にたいんです一緒に>、<行き詰まったら、みんな死ねばいいんです>、<私と彼にしかできないことがある>、<戦闘、開始!>、<生きなくていいです>

<私ばかりが幸せでごめんなさい>、

<ぼくは太宰さん文学が嫌いです>、<たかが不倫じゃないですか>

 もし、太宰が、この映画を観たならば、どのようなコメントを寄せるであろうか?それにしても、自分が誕生した頃の時代・地理的な背景を考えると、成る程、そういう時代だったのかとも、想像される。もう一度、読み返してみるとしようか、、、、、、。

 

 


芸能帝国における個人と組織

2019年07月23日 | 映画・テレビ批評

芸能帝国における個人と組織:

 ジャニー喜多川というカリスマの死の以前から、時間を逆回しにしてみると、色々なことが、成る程であるなという事象が垣間見られるのは、興味深い。偉業は、偉業として、それなりに、評価すべきであるとしても、<ある種の忖度>による、或いは、それに近い、眼に見えない形での<圧力や、パワハラ>としか謂いようのないもので、動かしていたという事実は、重く受け止めるべきものがあろう。<カリスマが創った組織とその作品としての個人という構図>、もう既に、何らかの形で、ほころびが生じているのかも入れない。その意味で、自分が、自分を育ててくれた<組織と、個人の能力との葛藤、対立>とは、今日のサラリーマン世界にも、共通する何かがあるような気がしてならない。必ずしも、ミュージシャンとお笑い芸人や落語家とをごちゃ混ぜに論じるつもりはないが、確かに、近代資本主義の進展と共に、所謂、芸能界という<旧来の人買い家業>から、少しでも、合理的なだと一見できるような、(本質的には、何も変わっていないが)疑似契約に、衣替えしても、その内実は、全く変わっていない事になるのかもしれない。<企業30年説>に従えば、吉本興業もジャニーズ事務所にしても、新しい方向性への模索が、水面下で、胎動しているのかもしれない。どんなに、否定しようが、法律的に、問題がなくても、企業体としての道義的、倫理的ガイドラインからは、如何なものであろうかと謂うことになりかねない。<歌舞伎モノ>とさげすまされても、伝統と歴史と時間を経ることで、歌舞伎も落語にしても、伝統芸能と認知されて、権威付けされて、今日に至るものの、エンターテイメント界では、どんなに、頑張っても、お笑いの世界は、<の延長線上>でしかないのだろうか?<個人倫理のコンプライアンス観と組織の在り方との葛藤>は、結局、記者会見強行による、ある種の暴露合戦に終始することになるのであろうか?<謝罪会見>というものも、見かけ上での<お涙ちょうだい式>の如何にも、日本的なやり方で、難を乗り越える式の<儀式のようなもの>になってしまうのであろうか?

そもそも、パワハラというモノは、明らかに、権力を有するものとそうでないものという圧倒的なパワーの違いを前提にしている訳で、やっている方(加害者意識)などは、被害者ほどのものではないものであろう。その意味では、この力の差を補うモノとして、弁護士の個人的な依頼と謂うことも、十分ありうるモノである。内部告発にしても、その得るべきモノと失うモノとは、明らかに、異なる。良心の呵責とか、過ちの悔悟とか、更生への、自己弁明への機会を与える事は、必要であろうし、SNSも今日発展している以上、メディアの報道の仕方にも、配慮が欠けているだけでなくて、SNSでの情報発信も必要であろう。今日、それは、もはや、抑えきれないであろう状況である。

企業組織の危機管理とか、法務部門担当(インハウス・ロイヤー)とか、組織からの圧力とか、従業員教育の在り方、雇用契約の問題、感情論的な誠意の存在問題という様々な課題があるようにも思える。それにしても、テープ録音の問題も、Q&Aの内容確認問題も、政権へのすり寄りによる公共的な営業利権の獲得とか、根本的な給料の低さを棚上げして、一方的に自分の報酬を半額にカットするという提案など、悉く、わかりにくい、一見して、世間を敵に回さない戦略の選択の裏には、一体どのような意図が垣間見られるのであろうか?野党の国会論戦さながら、実に質の低いマスメディアからの質問には、少々、ウンザリさせられてしまうのは、残念なところである。相変わらず、<日本的なお涙ちょうだい式の痛み分け>というところで、問題の本質が、見えてこないし、解決手順すら、見えてこないのは、極めて残念な事である。尤も、この会見に関わらず、所謂、芸能帝国という疑似近代的な組織は、ほころびから、分裂・離散・崩壊へと向かい、実力のある、才能のあるモノのみが、独立、生き残り、或いは、逆に、組織に残留する道を選択しつつ、過去の島田伸助の問題を抱えながら、反社会勢力との付き合いを依然として、踏み絵のように、コンプライアンスという呪縛の下で、強いられてゆくのであろう。家庭内反面教師で有り、ハンシャ的家庭内存在であるお父さんには、あまり、潔さを感じられず、そうかと言って、問題の本質を剔抉させるほどの迫力ある記者会見には映らなかったことは、遺憾である。野党共闘も不発に終わり、まるで、ナチス張りに間隙を縫うように現れた、或いは、消化不良の野党共闘が吸い上げられなかったエネルギーをかっさらっていった山本太郎ほどの、パーフォーマンスもなく、<経営者としての矜持>も、微塵も感じられないのは、残念な事である。社長ではなく、やはり、御簾の奥に鎮座する会長とか、松本人志やさんまが、或いは、<芸人は猿回し論>のたけしを、社外重役くらいにでもして、オブザーバーで、この次は、公開生放送で、言いたい放題の現任当事者と会社側と第三者辛口オブザーバーのバトルロイヤルを期待したいモノである。視聴率は、グッとあがるのではないだろうか?それにしても、大阪万博や税金を投入するプロジェクトもさることながら、雇用契約やギャラの問題、利益分配比率の配分問題、更には、事務所の移籍や、株主としてのテレビ局との関係、芸能界という業界を含めて、改革の先頭に立つ、6000人もの芸人を束ねる経営者としては、元敏腕マネージャーであったとしても、如何なものだろうか?日本企業のこれまでの<企業という擬制家族論>に依存してきた、<曖昧さ>が、今日、あぶり出されてきつつある。もっとも、<今の日本の本質>を参院選挙結果と同様に、様々な課題が、垣間見られたようで、興味津々である。大衆の欲求不満を根本的に、吸収するような動きは、果たして、でてくるのであろうか?それとも、その前に、帝国の崩壊は、静かに現在進行形なのでろうか?


大杉 漣、映画、<教誨師>を観る:

2018年10月16日 | 映画・テレビ批評

大杉 漣、<教誨師>を観る:

 

2018年02月21日に急逝してしまった、<300の顔を持つ男>と異名をとる、大杉漣、イグゼクティブ・ディレクターにして、且つ最期となってしまった主演作品である。ネタばれになるので、映画の内容は、予告編などで、参照してもらえれば幸いなので、ここでは、映画の評論にとどめることにする。限られた時間、残された時間の中で、生きている6人の死刑囚の経緯・馴れそめが、後半に懸けて、徐々に、観客にも、理解されてくると同時に、教誨師という経歴に何故になったのか、どういうきっかけでなったのかという、対峙する側の個人的な履歴も、この映画の中での大きなテーマであろう。求道者にして、罪人を悔い改めさせ、善人にみちびく、魂の安寧に至らしむる役割とは、キリスト教に限らず、ここで登場する宗教という役割自身、そして、何より、刑法・死刑制度、裁判制度、それ自身の在り方、又、栽培員裁判や陪審員制度とは、被害者と加害者、或いは、それら各家族や友人を含めた関係者との相互関係性、道徳的な罪と罰、国家権力による無慈悲な合法的な死の執行、究極的な物理的な生命の抹殺、等などとは、すべて、正しいことなのか、それとも、単なる自己満足・偽善的なことなのか、又、その本質を知ろうと追求することこそが、果たして、本当の意味で、真実とは、何で、正しいことなのか、それとも、自己満足であって、何故理解し、知ろうとするのか、?

一体、本質とはどういうことなのであろうか、裁く人間と裁かれる人間との間には、何があり、何故、死刑囚は、何のために、生き続けるのか、我々は、何故、残されても、生き続けるのか、理解者として教誨師の行う、<対話>とは、一体、何のために、それは、本当に、心と心、魂と魂が、激しく、ぶつかり合い、言葉と言葉が、火花を散らしながら、何か、互いに、融合でもするのであろうか?一見、懺悔と基督教徒への入信への牧師としての手助けも、後日、<罪が、誰によって、本当に裁かれるのであろうか?>というグラビア写真に拙い覚えたての平仮名でメモ書きに残されたホームレスの老人死刑囚の一文には、余りにも重いものがあろう。生きるためには、平気で、無意識のうちに、或いは、意識的にも、教誨師にも、平気で事実を捏造したり、嘘をつき、利用する死刑囚のしたたかさ、生きるためのギブ&テイクにも似た生きるために手段を選ばない取引のようなやり方など、相模原障害者殺人事件を模したようなエゴイスティックな狂信的な若い死刑囚との議論にも、一瞬、たじろがざるを得なくなる教誨師に、その死刑執行直前に、ふらつきながら、抱きついた瞬間に、<耳打ちで、口にした一言は、一体、何だったのであろうか?>この自分が犯した犯罪を理路整然と主張し続けた若者に、最期の瞬間直前に、<教誨師に、何をつぶやいた>のであろうか?私には、大変、興味深く、気になるところである。

今から、50年ほど前の大島渚監督の<絞死刑>や数年前の是枝裕和監督の<3度目の殺人>など、併せて、再度じっくり、観てみたいモノである。本当ならば、大杉漣に、イグゼクティブ・ディレクターとしての感想やら、コメントが、貰いたいところだし、第二作・第三作も、期待したいところであるが、誠に、本人も無念な想いであろうことは、容易に想像できる。各俳優の評価も、余りよく知らないので、コメントは、差し控えることにしますが、70年代に、若くして、藤十郎や寺山修司に、学び、その後、劇団で、<沈黙劇>を学び、80年代の下積の食えない役者時代には、ピンク映画やVシネマで、食いつなぐ中で、あの独特な癖のある、嫌らしいカメレオン的な役柄を、<300の顔を持つ男>として、雌伏して、ようやく、90年代に、<遅咲き俳優>として、HANABIやソナチネで、北野武監督に、しかも、その見いだされ方というのも、際だって、偶然の出来事で、役者人生とは、誠に、奇妙なものである。最期の息を引き取るときも一緒であった田口トモロヲも、含めて、こうした役者達が、一瞬の閃光とともに、光を放ちながら、消えてゆくのは、おおいに、残念で仕方ないし、映画の手法や、ディテイルには、若干満足いかないものがあるものの、その大命題である、各種のアングルから、とりわけ、教誨師という観点からのアングルは、評価されて宜しいのではないだろうか、又、長編歴史小説など多数作品を残している吉村昭の短編、原作<休暇>(中公新書の蛍に所蔵)も、読んでみることにしよう。

志半ばで急逝した大杉漣の御霊よ、安らかに!と祈ってやまない。

 


インド映画を2作続けて、愉しむ!

2018年08月18日 | 映画・テレビ批評

インド映画を2作続けて、愉しむ!

子どもの頃に、同時代をガンジーやネールといった、インドの偉人達と共有したという刷り込みは、とても、大きい。インディラという戦後、何もなかった動物園に、寄贈されたインド象も、子どもの頃には、何度となく、遠足で観に行ったモノである。インド映画というものに、始めて触れたのは、もう何十年も前の海外出張中に、ホテルで、日本語放送が、移らないかと、チャンネルをむやみやたらに、回していたら、歌と踊りの何とも、華々しい、まるで、キンキラキンの宝塚歌劇団のように、これでもか、これでもかのように、主役格の男女とともに、大勢の踊り子・歌い手達が、次から次へと、出てきて、これが、終わりまで、続いていたことに、驚きを禁じ得なかったことを何でも、想い出す。

 それにしても、最近では、絶叫型映画上映とか、視聴者参加型コスチューム付きの上映とか、様々な形態の上映が、行われているようであるが、再来年に100年を迎える上田映劇では、流石に、そんな類いの観客が、観られなかったのは、当然と言えば、当然であるが、内心、残念だったといえば、嘘になろうか?

 何はともあれ、連日展開する、朝ドラの脚本家による、一方的な15分間での見せ場作りに為のあらゆる仕組みと、独裁者並みのストーリーの劇的な展開とは異なり、或いは、難解なミステリー・ドラマのような、気の抜けないようなワン・シーンを見落とすまいとするあの緊張感とは別に、実に、このバーフバリ <伝説誕生>と<王の凱旋>という連作は、単純明快、難しいことを考えない、すべて、これまでのそんな複雑な脚本家の意図を、ほったらかしにしておいて良い程、すっきりとしている。三世代に亘る壮大な叙事詩のごとき筋書きの展開とSFXを駆使した画面、歌あり、踊りあり、ファンタジーあり、余りに壮大なスケールに、ロード・オブ・ザ・リングの大作を思い起こさせるような戦闘シーンやら、更には、現代的な、セクハラや、大国による小国への威圧とか、考えようによっては、現代的な問題がちりばめられていて、不条理とか、カースト身分制度・奴隷制とか、差別とか、貧富の格差とかも、一挙に、氷解させてしまわんばかりの、王の強さ、正しいものは正しいという単純明快さ、ヒーロー性、陰謀は、必ず、失敗に帰する、悪は、成敗されるという帰結、裏切りや謀略により、死しても、その後も、再び、血縁とともに、正義は、復活するという、まるで、今の世の中の現実とは、全く、真逆な明快な主張である。

 この映画を見終わると、一体、今の世の中は、どうなっているのであろうかと、とりわけ、今の日本は、繰り返される、公文書の彩残、国家公務員による政権への忖度と不作為、嘘の上塗りでも、説明責任を果たさない為政者、言論の弾圧と人権の蹂躙を、強国の大義名分のもとで、継続し続ける、大国など、考えさせられる。尤も、ここから、安易な単純なヒーローの出現期待などを危惧する必要性も毛頭ないであろう、そんな難しい話は、忘れて、一時を、思い切り、主人公とともに、愉しむ方が宜しかもしれない、昔は、フランス映画や、イタリア映画なども、面白かったが、これからは、ハリウッド大作ではなくて、インドやイラン映画・台湾映画なども、ひとつのジャンルとして、上映して貰いたいモノである。次回作も楽しみである。難しいことは、忘れることにした!

 


映画、<ラジオ・コバニ>を観る」

2018年08月17日 | 映画・テレビ批評

=映画、<ラジオ・コバニ>を観る」

 自分の描いていた未来への理想図が、突然のISによる侵攻により、一転したとき、女子学生の彼女は、<ラジオ・コバニ>というミニコミ・メディアを駆使して、情報発信を試みた。そして、その問いかける口調は、<未来の自分の子供達>に、真実を伝えたい、残したいという思いだったのであろうか?親しかった幼なじみの友人のむごたらしい処刑への思い、或いは、クルド女性部隊の軍人達の戦い、そして、何よりも、捕虜として、インタビューを受けることになった、IS戦士の、<家族に会いたい、自分の安全を知らせて貰いたい!>と懇願する、或いは、無知と貧困から、ISに協力せざるを得なかった言う後悔ともつかぬ、告白など、更には、ブルドーザーによる、空爆で死亡したと想われる、敵味方の区別もつかぬような苦悶に満ち満ちた詩風が漂う、ブルドーザーによる死体処理現場、臀部と想われる太ももの一部や頭部と想われる一部や苦悶に満ちた骸骨顔の表情や、戦争の残酷さが、真正面から、画像の中に、描き出される。それにしても、平和というものは、あっけなく、いとも簡単に、日常生活が壊され、破壊し尽くされてしまうモノである。復興を遂げようとする過程や、最期には、主人公が、結婚式に向かうシーンで、人々の祝福を受けながら、<新しい未来に向かって出かける>シーンで、終わっているが、日常生活とは、かように、食べて、恋愛談義をして、日々過ごしながら、IS戦士も、恐らく同様に、敵味方を隔てることなく、時間が過ぎ去っていったのであろうことを、改めて見せつけている。この主人公は、その後、一体、どのような暮らしを、日常生活を取り戻していったのであろうか?そして、捕虜となったIS戦士は、更には、あのクルド女性部隊の指揮官達は、、、、、、、。日常の平和と安寧に、感謝するとともに、その脆さ・はかなさ・不確かさにも、常に、同時に、気配りしていないと、容易に、気づかぬうちに、破壊されてしまい、非日常へと落とし込められてしまうものである。

 


映画、<原田 要、平和への祈り:元零戦パイロットの100年>を観る:

2018年07月30日 | 映画・テレビ批評

=映画、<原田 要、平和への祈り:元零戦パイロットの100年>を観る:

県立上田高等学校のO君から、紹介された、上田の上田映劇のパスポートを購入したところ、スタンプラリーならぬ、映画の消しゴム・スタンプを、押して貰え、これがなかなか、趣のある出来映えで、自分も、数年に一度の消しゴム版画家(?)だから、共感してしまう。台風襲来の予想にも、関わらず、午前中の上映には、数十名の観客が、上映時間前から、着席していて、少々、驚いた。
 人の人生における死に際とは、何か、見えざる何者かの御手か、それとも、ある判断でもあるのかと、そんな感慨を、見終わって思わざるを得ない。年若くして、むなしく、人生を終わる者もあれば、偶然、どう考えても、不条理というか、理解に苦しむようなそうした死の存在も、実際垣間見られるのも、事実である。それに比べれば、99歳の、まさに、100歳を目前とした、しかも、米国のともにミッドウェーで戦った米国の退役軍人達の訪問当日に、奇しくも、息を引き取るとは、、、、、、、。或いは、壮絶なガダルカナル戦でも、不時着するも、生還して、内地に、帰還したり、セイロン島でも、行方不明の中を、母に似た夕空雲に、導かれて、生還したりと、数え上げれば、そうしたエピソードが、尽きないことに、驚きを禁じ得ない、太平洋戦争の開戦の時に、結婚して、更には、身重の妻を残して、戦争に、出向いてゆくと言うこと自体が、今の若い人には、想像もつかない、考えられないような状況である。戦争とは、いかなる理由があるにせよ、とりわけ、原田が、危機感を持ったのは、湾岸戦争当時のあのCNNテレビに映し出されたテレビの画像をみて、若者達が、<まるで、花火を観ているようだ>という、コメントだという。確かに、3.10の東京大空襲も、雨あられに降り注ぐ焼夷弾の恐怖も、アニメ映画の世界でしか、観たこともなく、体験、実感は、戦後生まれの我々世代でも、亡くなった親たちの世代からの伝聞にしか過ぎない。
 いかなる戦争も、その人間性、基本的な人権そのものの全面的な否定の上に成り立ち、勝者も敗者も、そこにはないと、殺さなければ、殺されてしまうという、過酷な現実があるばかりである。私には、父方の叔父が、マキン・タラワ海戦で、海軍佐世保陸戦隊の一員で、未だに、Missing in Action状態で、お墓には、遺骨はない、又、母方の叔父も、フィリピンで指揮の途中で、太もも貫通銃創で、昇降が、捕虜になることを恥じて、自決している。これとは違って、父は、騎馬隊で、ずっと勝ち戦で、中国から、ベトナム、シンガポール、最後は、インドネシアのボルネオで、終戦、途中、痔の手術で、ガダルカナルへの派遣に、奇しくも、漏れたと後年、語っていたのを思い出す。父は、生前、二度ほど、タラワ島を、夫婦で、記念碑追悼に、訪れているが、私も、一度は、行ってみたいと思うが、身体との相談である。
 戦後の公職追放、軍人への評価の逆転、幼稚園の経営に至るまでの経緯は、何とも、散々、終戦直前までも満蒙開拓団へ、若者を送り出したものの、戦後は、一転して、民主主義者に転校してしまった教師達や、朝鮮戦争以後、再び、公職へ復帰することになる旧軍人など、人生の在り方は、実に様々であるが、自ら、希望の○をつけて、一歩踏み出して、命を投げ出すことを選択した人に対して、断固として、確固たる信念から、拒否した人間がいたことを、何か、一筋の光明を見いだしたような気がしてならない。
 きっと、原田要という人は、何か、そうしたミッションでも背負わされて、生まれてきて、そして、100歳を前に、白寿を全うしたのではないだろうか?
私たちは、初期の段階では、零戦が優位だったのに、米軍による不時着機への徹底的な部品の分解と弱点の解析と、改造により、徐々に、総力戦で逆転され、敗戦へと追い込まれた事実を、後年、知ることになるが、それでも、そうした一コマ、一コマの中にも、個々人の人生に於ける生死の分かれ目があったことを忘れない。死者への鎮魂と戦後の託児所から始まった幼稚園教育、命の大切さを子供達に教えた戦後の後半生も、常に、死者達と向かい合いながら、その言わんとするところを、代弁していたように思われる。終戦を前に、ジェット機の試作機用のパイロットの要請という皮肉な結末は、誠に、象徴的であるし、亡くなった日に、米国退役軍人が、会いに来たというのも、決して、偶然の出来事ではないように感じる。きっと、この人は、最期の最期まで、自分の体験を後世に伝えるべく、生き証人として、命を長らえるべく、多くの死者達に、使命を託された一人なのかもしれない。そして、後世の託された私たちは、それをしっかりと、胸に刻みながら、心して、生きてゆかなければならないのかもしれない。
8月3日(金)まで、上田映劇にて、上映中、
http://sensou.suzaka.jp/

 


映画、<ラッカは静かに虐殺されている>を観る:

2018年07月04日 | 映画・テレビ批評

映画、<ラッカは静かに虐殺されている>を観る:

 

<子ども食堂in小諸>の学習支援に、関わっている長野県立上田高等学校の有志と、知り合いになり、そのOne Eye Projectによる学園祭での<シリア難民写真展>と上田映劇での関連する映画の上映を、支援するなかで、上記のRaqqa is Being Slaughtered Silently (略して、RBSS)を、再来年、創館100年を迎える上田映劇で、観ることにした。

シリアの内戦報道やISとの掃討作戦の中で、ある程度の都市名は、記憶していても、その都市が、本来どんな特徴のある都市だったかは、映画を観るまでは、正直言って、余り知識はない。しかしながら、主人公達である<市民記者達>にとっては、そこは、紛れもなく、現実の生活の場所であり、家族、親兄弟・友人達が、実際に、生き抜いている故郷であり、Homelandな訳である。にもかかわらず、<スマホMedia War> 或いは、<SNS War>と称する戦争の中で、マスメディアとは隔絶した、置き去りにされた、<市民記者と称する戦士>の戦いは、想像を絶する、命を懸けた戦いの90分間のドキュメンタリーである。親兄弟を逮捕・処刑され、更に、そのシーンを動画で公開することで、或いは、国外に逃れて活動する支援者をも、公然と暗殺する手法に、対抗する唯一の手段として、ぼかしや最新の暗号化までも、駆使して、国内組と海外組とが、携帯電話やPCを駆使して、FBや、Twitter などで、<情報発信>することで、<メディア戦争>を戦い抜いてきた訳であるが、未だ、<現在進行形>であることの一種の<危うさ>が、そこにはまだ残っている。又、安全であると、或いは、支援してくれると思っていたドイツなどの欧州自身でも、ISのテロや、移民排斥・排外主義の運動に、さらされているという現実がある。

 今から、約7年前の6月26日に、この<小諸布引便り>のブログの中で、約50年前の学生時代に観た、フランスの<影の軍隊>という反ナチのレジスタンス運動を主題にした実際にあった実話を元にした映画の評論を記したが、これらの主人公達は、全員、結局、ナチスにより、抹殺されてしまったが、唯一、今回のそれは、未だに、生き残りつつ、<現在進行中・生存中>であることに、少しでも、<救い>が、あるように、思われる。

 50年前の我々、元若者が、連帯した、(と思っていたのかもしれないが、、、、実際、それが、正しかったのかどうか、ベトナム戦争が、終結したことが、果たして、その後の世界秩序へ、今日、どうなっていたのかは、判断が難しいが、、、、、)、その30年も前にも、戦争が終結したが、その後も、血なまぐさい、東欧での動乱や、ベトナム戦争、パレスチナ動乱、コソボ民族浄化紛争、イラン・イラク戦争、天安門事件、ありとあらゆるところで、毎日毎日、血なまぐさい、<圧政からの解放と自由を求めた戦い>が、繰り広げられている。

 一体、<このニュータイプの運動>とは、何なのであろうか?50年前のメディア報道を意識した運動も、その在り方の端緒を見せつけられたが、これからの運動は、もっと、もっと、進化した形での<ハイブリッドな運動>になるのであろうか?そして、その中で、自分は、どのように、関わっていったら良いのであろうか?50年前の元若者から、今の若者への、問いかけと同時に、それは、そっくりそのまま、我が身にも、問いかけられることは、50年前も、現在も、変わらぬ課題なのかもしれない。そして、又、それは、将来に亘っても、そうなるのかもしれない。一体、何ができるのであろうか?

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BS映画、『夏の庭、フレンズ』を観る:

2017年02月01日 | 映画・テレビ批評

BS映画、『夏の庭、フレンズ』を観る:

2年程前の秋になるだろうか、同じく、湯本香樹美原作の、主演、本田望結、中村珠緒の『ポプラの秋』を、幼なじみのクラスメートのご主人がカメラマンだったことから、映画を観たことを想い起こすが、その時から、こちらの映画も、一寸、気になっていた。どちらも、肉親ではないが、知り合いである『老人の死』を通じて、子供達が、成長して行く過程を、繊細な文章と暖かい眼をもって、見守り、応援する中で、子供達は、やがて、少年・少女から、大人へと成長して行くというストーリーであろうか。児童文芸賞を受賞しただけあって、この映画も、三國連太郎のお爺さん役は、今となっては、もう、観られないのは、残念である。単なる子供達の仲間の肉親の葬式から、独居老人のその死の過程を見守ろうとする中で、やがて、そのゴミ屋敷同然の家の庭の雑草除去から始まって、家の室内外の改修へと、自発的に、行動を起こし、やがて、お爺さんの体験した辛い戦争中の、身重の女性を手に掛けてしまった話や、その復員後の結婚生活の破綻などの身の上話を通じて、少年達が成長してゆく過程も、そのクラス担任の若い女の先生が、実は、そのお爺さんの別れた奥さんの孫だということが、後に判るとか、そして、その奥さんに、遺産を実は、密かに、遺言で、残していたことなどが、葬式の際に、判るとか、最後の焼き場での、痴呆症を発症した奥さんが、跪きながら、一言、『お帰りなさい、ご苦労様でした!』という一言も、この3人の少年達の尽きぬ行動力とそのモチベーションの源泉とは、一体、何処から湧き出てきたのであろうか?微妙に、それぞれの少年達の家庭環境が、映画の中で、ちりばめられていて、とても、興味深い。何気ない日常生活の中でも、それは、様々なシーンに、例えば、庭の雑草を抜く場面でも、魚屋の少年が、錆びた包丁を研ぐときでも、スイカを美味しく、一緒に食べるときでも、アイロン掛けをするときも、台風の大雨の時でも、綺麗になった、広々とした庭にコスモスの種を播くときも、身の上話を聞くときも、成る程、冒頭の雨の中のサッカーの練習も、後で、見終わって初めて、気が付くモノがある。伊集院静が、『別れる力』か、何かで、云っていたが、『人間は、肉親でも、知り合いでも、誰であれ、別れることで、成長し、その別れることを体験する力をもつという事自体も、必要なのである』と、とりわけ、それが、死別であれ、別の種類の別れであれ、ふとしたきっかけで、知り合いになった、お爺さんとの『心の交流』から、その死別を通じて、これらの3人の少年達は、きっと、大人になっていったことであろう。主題歌を歌っていたザードの坂井も、逝ってしまったし、三國連太郎も、淡島千景も、亡くなってしまったが、この少年達を演じた子役達は、今、どうしているのであろうかとふと、考えてしまう。それぞれに、どんな別れ方をして、大人の階段を登っていったのであろうか?相米慎二監督による何気ない日常の情景に込められた小説の一文一文の描写は、なかなか、俳優達の演技とは別に、又、見終わった後に、じわじわと、印象に残るものである。小説に於ける想像力とは異なり、映画の描写も、実に面白いではないか。

 


映画、『スノーデン』を観る:

2017年01月31日 | 映画・テレビ批評

映画、『スノーデン』を観る:

一寸、用事が立て込んだ関係で、休日に映画を観る羽目になったことは、皮肉である、いつもなら、がらがらの映画館なのに、ネットで、確認したところ、何と、この映画もまた、ほとんど、満席同様な状態であった。何とも、不可思議な光景である。最近観た三作品の映画共に、皆、ほぼ、満席状態であったとは、驚いてしまう。『プラトーン』や、『7月4日に生まれて』という、これまでのアカデミー受賞作品の延長線上で、或いは、歴代の大領を扱ったJFK,ニクソン、ブッシュ、等の作品を挙げるまでもなく、オリバー・ストーン監督脚本の問題作のドキュメンタリーを基にした映画である。1995年に、サンドラ・ブロックが、主演で演じられた『ザ・インターネット』で、糸も容易く、自分という保証(?)された存在すらも、ネット上の操作で、なりすましの危うさに、驚かされたものであるが、今日、その後のネット上や仮想空間で繰り広げられた犯罪の手口を考えるときに、改めて、その危険性と進化のスピードに驚かされるものである。それでも、ごく、最近、約3-4年程前の2013年6月に、実際に、起こったこの事件には、その後の展開を見聞きするときに、改めて、その衝撃の小さくないこと、或いは、成る程、こういうことだったのかと、改めて、問い返される。ましてや、トランプの登場以後には、フェイクニュースも、ポスト・トゥルースも、今や、現実なのであろうか?

『個人の自由と安全』というバランス、とりわけ、9.11以降の世界的な風潮である、『私権の制限と安全』というバランスは、もろくも、法の支配による自由の制約や、法律には至らぬが、規範による、制限や、更には、緩い宗教的な道徳や、公徳心という範疇での『自主規制』とは明らかに、異なるところの、『安全最優先に基づく自由の制限』へと、『テロとの戦い』という錦の御旗の元で、ありとあらゆる生活の側面で、現在進行中(?)である。NSA(米国国家安全保障局)や、CIAは、この当時、29歳の元海兵隊出身の天才ITエンジニア、(反面では、ハッカーと、呼ばれて、ホワイト・ナイトなのか、どうかは、判らぬが)に、結局は、国家反逆罪の汚名を着せることでしか、訴追出来ずに、結局は、モスクワへと、逃げられて(?)しまう結果となった。電話、メールでも、チャットでも、SNSでも、トランプのツイッターも含めて(?)そして、ありとあらゆる通信、ビッグ・データも、友達の友達やあらゆるインターネット・プロバイダーも、ネット・サイバー上では、行き過ぎた監視体制の下、『対テロ戦争の為に』という錦の御旗で、サイバー空間も含めて、ドローンによる、或いは、無人攻撃機による攻撃まで、様々なシステムが、その唯一の目的のために、『テロには、本来関係無いのない私的な情報』も含めて、『政府の覇権を守るが故に、』、使われてきたし、現に、それは、映画の上だけではなくて、どういう政治体制をも問わずに、例外なく、『実際に、これまでも行われてきたし、現在も、そして、これからも、制限がなされようがなされまいが、断固として、行われることに間違いはない』ようである。そして、実際に、止まることを知らずに、厳然として、機能し続けているのが『現実』であることは、恐ろしいことである。『地球上で尤も、怖れられ追われている男の真実』とは、最近の『Fake News』や、『Post Truth』ではないが、アメリカにせよ、中国にせよ、ロシアにせよ、あの北朝鮮ですら、寸分も、違うことはないのが、現実であろう。国家反逆罪の罪から逃れることよりも、国家のために働くのではなくて、人々のために働くことを、自らの選択とした彼には、残念乍ら、皮肉にも、CIAからの『安全』は遠い遠い異国のモスクワの地で、保証されたものの、結局、彼の目指した理想の『自由』が、決して、保証されたわけではなかったことは、事実であろう。尤も、エンディング・ロールの最後の一行に、てんかんの持病を有するスノーデンを心配して、一緒に、ハワイへ、旅立った恋人も、結局は、事件後には、モスクワに渡航して、現在も、一緒に、生活している由であるという一文が、一抹の朗報とでも云えようか?それでも、自身の信念を貫く一方で、職場の同僚や、上司は、その後、どんな処分が科されることになったかは、告げられずに、エンディングになってしまったが、ガーディアンの記者達や、関係者は、どうなってしまったのであろうか?オバマから、トランプへと、更に、政治情勢が変わる中で、逆に、CIA、軍情報機関機能が、強化されるような傾向のなか、ロシア情報機関によるアメリカ大統領選挙へのサイバー攻撃が実際になされたとか、トランプの私的な不適切な情報が、リークされたとか、云われているが、一体、スノーデンや、ウィキリークス、アサンジーらは、モスクワから、今日の劇的な変化をどのような視点で、眺めているのであろうか?何とも、興味深いものがある。そして、この映画の中で、スノーデンが、デル・コンピューターや、日本でも、勤務していた実態が明かされたり、自衛隊の幹部が、ハワイを訪問して、情報監視システムを見学しているという事実を、我々は、どのように、考えたら良いのであろうか?日本での個人情報の監視と盗聴とコントロールは、どのように、現在進行形で、行われているのであろうか?映画の切符を購入するシステムもきっと、それなりに、分析されているのであろう!すると、最近観た3本の映画、『アイヒマンを追え』、『沈黙―サイレンス』、『スノーデン』も、人工知能のスクリーニングで、どのように、思考分類、或いは、思想分類されているのであろうか?パソコンのウェッブ・カメラが、突然、知らぬ間に、碧く点滅したら、やはり、ガムテープで、目隠しすべきなのであろうか?困ったものである!全く、考えさせられるも、では、どのように、このような便利なサイバー空間の中で、自分は、その自由と安全を守り抜いたら良いのであろうか?全く、考えさせられてしまう。

 

 


映画、『沈黙―サイレンス』を観る:

2017年01月30日 | 映画・テレビ批評

映画、『沈黙―サイレンス』を観る:

いつも、映画は、がらがらの中で、観ているものであるから、こんな満席の中で、映画を観るのは、久しぶりである。それにしても、斜陽産業と云われて久しいが、こんなに、大勢の人が観に来るとは、やはり、良い作品を、作り上げれば、結構、需要があると謂うことなのであろう。買うものがないとか、既に、飽和であるなどと云われているものの、まだまだ、商品企画と丁寧な商品つくりを行えば、需要はあるということに決して、間違いはない。

それにしても、もう、45年以上も前に、原作を読んだものであるから、映画を見終わってからでも、再び、読み返してみることにでもしようか?篠田正浩監督が、1971年、製作した同名の映画は、記憶にない事からすると、見てはいなかいのかも知れない。原作の本だけである。スコッティー監督の『タクシー・ドライバー』は、記憶にあるが、、、、、、。

 映画を観る上での時代考証と前後の歴史的な経緯を、他方整理してから、論評に入ることにしたい。時は、1641年キリシタン弾圧が厳しくなりつつある長崎、五島・生月島での話である。ザビエルが、鹿児島にキリスト教を伝えに、鹿児島に上陸したのが、1549年であり、その少し前の1543年には、種子島に、火縄銃が伝来したとされている。1552年には、ザビエルは、マカオで、ぼっしているから、インドのゴアを拠点とした、マカオ等のイエズス会系の極東への布教活動も、安土桃山時代の、信長・秀吉・家康へと覇権が移行してゆく過程での南蛮貿易やキリシタン大名、世界的な政治状況下の中での出来事として、ある程度、理解しておかないと、ポルトガル・オランダ・イギリス・スペインの世界的な覇権をも、充分、念頭に置きながら、観ておかなければ、単なる内面的な『神の問題』としてのみ、尤も、それこそが、主題であることには、変わりはないのであるけれどもである。それは、後半に、論じることにして、これらの一連の流れの中で、1587年の場t4エレン追放令や」九州征伐の過程での秀吉の当時の黙認市井が、1596年サンフェリペ号事件や1597年のフランシスコ会系の日本26聖人処刑事件へと、日本でのキリスト教布教に於ける、ドミニコ系、フランシスコ系、イエズス会系の主導権争いや、日本人奴隷売買の摘発などやらから、これまでの緩やかな間接統治、現地主義から、より根源的な直接的な宣教方式への転換とが相待って、既存仏教宗教勢力への排外主義・衝突も有り、更には、1637年の島原の乱による藩主の切腹ではない、斬首という形で、喧嘩両成敗的に、処罰される絶滅的なキリシタン抹殺へと、突き進んでゆくことになる。それは、皮肉にも、スペイン・ポルトガルから、徐々に、オランダ・イギリス、ウィリアム・アダムスや、八重洲の基になる、ヤン・ヨーステンなどの、事例を皮肉にも、観るまでもなく、世界貿易の実利と宗教の乖離を、徹底して、長崎平戸の出島へと、向かう過程でもあろうか、それは、世界史的にも、丁度、アルマダの海戦から、オランダ独立戦争に至る80年戦争への過程とも、符合する過程なのかも知れない。宗派的には、ポルトガル系のカソリック系から、オランダ流のプロテスタント系へ、或いは、間接統治主義だったキリシタン大名の勃興から、没落へ、至る、二度に亘る大きな殉教事件を引き起こす1619年、1622年という過程を経た上での暗黒の時代の出来事だったという背景を、私達は、十分理解しておかなければならないし、或いは、時の為政者の意図と、思想背景を理解しておかなければ、『内的な問題』、とりわけ、『神の沈黙』、『弱き者達』、『西洋と日本との思想の断絶』、『棄教の背景』、或いは、より、広い意味合いでの『転向・転び』という課題を考えるときに、充分、理解出来ずに、『今日的な課題』として、捉えることを妨げることになりはしないだろうか?心的な課題に立ち入った後で、最後に、映画評論を多生論じてみることにしたい。

 それにしても、中世の魔女狩りではないが、『拷問の歴史』、それは、ゲシュタポでも、北朝鮮の秘密警察でも、戦前の日本の特高でも、江戸時代のキリシタン弾圧の、逆さ吊りで、その血を一滴づつ、何日も掛けて、じわじわ苦しめながら、いたぶるやり方の前では、そんな『善意に満ちた信念』などは、木っ端微塵に、砕け散ってしまうことだけは、明らかであろう。とりわけ、今、若い頃を想い起こすときに、60年代の韓国でのキム・ジハの拷問前に宣誓した自白不当宣言文を、想い起こす。それは、如何なる拷問によっても、自らの信ずる『思想・信条・信念』は、決して変わることなく、強制的な拷問による自白は、有効ではないと宣するモノであった。謂わば、やむなく『踏み絵を踏む』ことと違いはない。『踏むがいい。汝を守る為に、この世に生かされ、痛さを分かつために十字架を背負った』と、どこからか、聞こえてくる、囁き掛ける声は、『弱き者』、『罪深き者』、を赦し、生き延びよとも、諭しているかのようである。『棄教』も、信仰を守りつつ、死にゆくものも、『死という鏡』の表と裏という一対だったのかも知れない。それでも、生き延びた者は、必ずその心の底に、悔悟と悔いを引き釣りながら、苦しみながら、日々、生きて行くことになる。弾圧する為政者の側にも、厳しくしても、根っこを徹底的に、叩きつぶしても、決して、根絶やしにすることは不可能であることを悟り、昔の『一向一揆』ではないが、結局、自分たちにも、或いは、キリシタン側にも、お互いに、都合の良い『形だけで良い転び』を、生み出して行くことになる。これは、『戦争中の転向』ではないが、如何にも、日本的な手法で有り、双方の面子を、互いに、折りの良いところで、融合するという一種の面子を重んじた『妥協的な手段』なのであろうか?『形だけで良い、形だけで良いのだ』という甘い悪魔のような囁きは、なかなか、刺激的なものである。棄教でもなく、背教でもなく、転向でもなく、『転ぶ』、転んでも、再び、『起き上がる』のである。日本的なるものとは、一体、何なのであろうか?そんな『甘い魅惑的な囁き』とは、果たして、何なのであろうか?きっと、日本的な思想と西洋的な思想との衝突から生じた『ある種の断絶』を、この時代には、こうしたやり方で、昇華・止揚してしまったのであろうか?究極的な虐殺という行き着いた先に、見いだしたものこそが、『転び』という八方全て、丸く収まる究極の選択であったのであろうか?

一向門徒も、悪人尚もて、往生すという親鸞の教えも、ジハードを厭わずに、殉教するモスリムも、この時代に、タイムスリップしたら、彼らは、どうしたであろうか?そして、肝心要の観客である我々は、果たして、どんな選択をしたことであろうか?密告もせずに、唯ひたすら、何度も形だけの踏み絵を踏み、唾を吐きかけて、転んでは何度もまた、立ち上がり、懺悔を繰り返しながら、結局、キチジローのように、処刑されるのであろうか?それとも、モキチのように、転びながらも、信念の中で、死んで行く途を選ぶのであろうか?『弱き者』は、どう生きて行けば良いのであろうか?

 窪塚洋介が、日本側での『よわき者』を代表する、片方の主役とすれば、明らかに、その対極にある相手方の主役は、イッセー緒方演じる、奉行であろう、その英語の演技もなかなかなものであると同時に、如何にも、悪意を内に包みながら、その自覚をおくびにも出さずに、飄々として、冷徹な官僚の役で、確信犯的な役柄と心理的な描写の演技は、実に、特筆すべきモノがある。そして、通史役の浅野忠正は、英語の台詞もあることながら、その小役人的な心情が、微妙に、台詞や演技にも、醸し出されていて、実に、これも面白い。それにしても、この時代の『貧困と格差』とは、映画とは云え、想像を遙かに超えるものがある。映画の中では、その後も、思想の再犯チェックは、とりわけ、厳しく、常に、確認、再確認、再々確認が、行われていたことがよく理解出来る。二時間40分程の大作出るから、その間、ずっと、観客は、嗚咽をひたすら、堪えながら、あるときは、堪え忍び、あるときは、堪えきれすにと、息苦しい連続であった。精根尽き果てると云うが、映画を観ながら、そんな感じで、上映後は、皆、押し黙りながら、映画館を後にしていった。少々、年寄りには、体力を必要とする映画であろうか?若い人には、是非、見てもらいたい映画であるし、無論作品を、読んでもらいたいと思う。もう一度、再読することにしようかな。それにしても、来日する中国人観光客が、きっと、中国の地下教会信者に向けて、DVDのコピーを持ち帰ることは必至であろうが、彼らは、中国現地で、どのように観賞するのであろうか?ロケ地が、台湾で、コストを節約するために、重視されたことは、長崎、五島の隠れキリシタンの子孫達には、少々、残念であった事は確かであろう。もっとも、転んだ人達がいなかったら、今日の子孫も存在しないことは、誠に、歴史の皮肉と云うほかないが、、、、、、、、、。

 


映画『アイヒマンを追え』を観る (渋谷:BUNKAMURA ル・シネマ)

2017年01月12日 | 映画・テレビ批評

=映画『アイヒマンを追え』を観る (渋谷:BUNKAMURA ル・シネマ)

東京という都市は、随分と便利且つ、贅沢なところである。平日の午後だというのに、良い映画を観たいという中年の映画ファン達に、席がほとんど、埋められているのには、驚かされる。丁度3年程も前のことだろうか、映画『ハンナカーレント』を新宿で観た時と、同じような情景である。同じホロコーストの『アイヒマン』を題材にしているものの、こちらは、裁判そのものではなくて、拉致・裁判に至る迄のドイツ人検事総長とその周辺の関係者の内面に関わる、ナチス残党(というよりも温存されたエスタブリッシュメント)との闘い、ドイツ人の歴史認識精算に関する問題、そういう観点から、翻って、日本人は、一体どうだったのであろうかと、考えると、実に、考えさせられる内容の映画である。

アイヒマン裁判は、子供の頃に、その逮捕と裁判の記事を今でも、子供心に想い出す。考えてみれば、自分が生まれた頃は、未だ、戦後復興と戦後政治秩序の処理とかが、ニュールンベルグ裁判も、東京裁判も、そうかも知れないが、歴史認識に対する政治ショー的な、東西冷戦の中での互いによるむき出しな凌ぎ合いのような様相で、フリッツ・バウアー検事総長も、決して、その枠外であったわけでは決してない。それにしても、我々は、どうやら、ドイツ人の、ドイツ人による、『ナチズムに対する歴史認識の成功的な精算』という事実は、正しくなかったことが、どうやら、改めて、この映画を観る限りは、再認識される。同じように、日本も、戦後間もなく始まった朝鮮戦争による経済再復興の最優先と、国民に開かれた(?)皇室と天皇制による政治的な統合のマヌーバーにより、日本人による、真の日本人のための、『歴史認識の精算』は、果たして、なされたのであろうか?それは、未だに、二度に亘る安保闘争と学生運動の高揚の時代を経ても、虚しく、戦後民主主義の課題、沖縄基地の問題、原発事故の問題、韓国慰安婦問題、日露の領土・戦後処理、中国との歴史認識の対立、対米従属、地位協定の問題など、明らかに、今日まで、70年以上経過していても、問題が先遅れされていることも事実であろう。考えてみれば、ユダヤ人としての出自を有しながらも、復讐ではなく、正義と信念に基づき、当時のアデナウアー首相などのドイツ政府高官の政治的な恥部を、明らかに、すべく、ドイツでの裁判公開を目論むものの、当時の東西冷戦や、既に芽生え始めているユダヤとアラブの対立や、東西冷戦、西ベルリンと東ベルリンという、東西冷戦の影響など、我々が、いやが上にも、否定しきれない状況に、当時は、もっと、制約されていたことが、改めて、認識される。当時の若者とのテレビの議論でも、考えてみれば、20代・30代のドイツの若者達も、実は、ナチスの躍進してくる頃に、幼い頃を過ごすか、教育を受けてきた世代であることも、実に、皮肉以外の何ものでないであろう。謂わば、日本での『皇国少年・少女』と、彼ら、『ヒットラー・ユーゲント世代』とは、どのように、対比、考察されるべきなのであろうか?更に云えば、世界的な、『スチューデント・パワー世代』と『紅衛兵世代』は、今日、どんな、立場で、どのような考え方で、社会の中で、根付いているのであろうか?或いは、彼らの子供や、孫の世代へ、どのように、今日的な歴史的認識という意識は、継承されているのであろうか?そう考えると、戦後ドイツに温存され、根深く巣くったナチスの残党の影響というモノは、ひょっとすると、今日の『民族浄化』や『民族排外主義』とか、『移民排斥』や、『差別・格差』、『新たな見えない敵への恐怖の創出』へと、繋がっているのであろうか?こうした観点から、この映画を観ていると、『ニュールンベルグ裁判』と、『東京裁判』、『アイヒマン裁判』というものも、『イラク戦犯裁判』も含めて、とても、興味深く思えてくる。『人は、何を裁き?何のために、裁くのか?』そして、戦争犯罪を、『正義・公正』の名の下に、戦争犯罪人として、本当に裁けるのか?アイヒマンとは、『誰でもが、簡単に、アイヒマンになれてしまうこと』に、そのナチズムの恐ろしさがあると、ハンナアーレントは、アイヒマン裁判を見守る中で、語っていたが、東京裁判での過程で、原爆投下責任論や、戦争犯罪を裁判で裁けるのかという重い課題をハル検事達が、問題提起していることを、一体、どれ程の日本人が、知らされているであろうか?アイヒマンの居場所情報を、モサドにリークさせたという事実は、バウアーの死後、10年経過して後に、初めて開示されたとか、云われているが、それ程までに、国家反逆罪という重い法的な拘束とナチス残党による政府官僚組織、或いは、メルセデス・ベンツなども含めた形での産軍共同体による資金的・人的・組織的なナチス残党への支援などを観ていると、日本でも、戦後は、同じようなことが、温存されていることは、決して、否定してもし切れない何かがあろう。若い部下が、結局、スキャンダルによる脅しを断固拒否して、自らの家庭と職をなげうつことと引き替えに、その秘密を秘守したことは、自らが『過去に犯した妥協と亡命による延命』という選択を、皮肉にも、対比しているかのようである。正義と信念を貫くことで、自らの命の断たざるを得なかった友人達は、バウアーが選択した『途』を、果たして、是としたのであろうか?それとも、結局、芋づる式に、犯罪行為を暴けなかった結果、或いは、アイヒマン一人だけに罪を被せて終了してしまったと言う結果に対して、どのような評価を加えたのであろうか?そして、我々、日本人は、『どれ程までに、自らの手で、日本人の手で、』、『自らの責任と結果』を、これまで、総括したのであろうか?そう考えると、未だに、70年経た今日でも、我々日本人は、再びの豊かさを求め、『経済復興・最優先』であり、60年代から始まる、所得倍増計画や、その後に続く『奇蹟の戦後復興・経済成長』という図式は、今でも、やはり、『すべてに、経済的な復興が、豊かさが、最優先される』という図式が、全く、変わっていないことは、どうしたものだろうか?それにしても、アメリカ映画の全盛の中で、やはり、ドイツ映画や、フランス、イタリア映画などは、興味深いモノがある。次は、遠藤周作、原作の映画『沈黙 サイレンス』、1月21日からが楽しみである。こちらも、『転向と形だけの転びと棄教』と言う観点から、共通する課題だろうか?冬の間は、少々、映画観賞に明け暮れルとしようか、、、、、、、。

 


映画、『オマールの壁』を観る:

2016年05月15日 | 映画・テレビ批評

映画、『オマールの壁』を観る:

大都会の便利なところと云えば、演劇や映画の好きな人々には、インディー系の施設が、選り取り見取りで、そういう所が、堪らない魅力であるかも知れない。観よう観ようと思いながら、結局、一月ばかりが経過してしまい、新宿の角川では、夜の部しか、上映していないので、渋谷のアップリンクという30人ほどが入れば、満員になってしまうような小さな映画館で、観ることにして、トコトコと、スマホ片手に、徒歩で、行くことにした。もっとも、年寄りの性で、地図アプリをいつも使ってはいないので、GPSで、自分の位置が、確認出来ても、目指す地点とは、どんどん離れて行くではないか!?結局、交番の前で、操作していても、埒が明かないので、訪ねたところ、どうやら、地図で場所を確認していたにも関わらず、道元坂と公園通りとを、年寄りの思い込みで、勘違いしていたらしく、危うく、上映時間に、遅れるところであった。それにしても、映画監督とか、脚本家というモノは、主人公達を、自分の好き勝手な結果へと、導くモノである。もっとも、題名の通り、巨大な壁に分離されたヨルダン川西岸のイスラエルによるパレスチナ被占領地域での話であるから、ハッピー・エンドに終わることはないとは予想しつつも、このアサド監督は、最期のどんでん返しを、よくもまぁ、観客を見事に、裏切ってくれたモノである。ストーリーは、兎に角、ネタばらしをしてしまう必要も無いので、是非、ご覧ください。冒頭の画面の左方隅に、小さい字で、監修:重信メイという名前を発見した。確か、重信は、あの元赤軍派の重信房子の娘で、現在は、パレスチナ問題などで、三カ国語で、ジャーナリストとして、活躍している人物であることを、ふと、想い出した。成る程、この映画の主人公達とも共通する気持ちを理解出来る立場なのかも知れない。それにしても、占領という余りにも、厳然とした展望の見えないインテファーダの絶望と無慈悲な現実の中でも、人間は、働き、食事をし、毎日、生活し、生きなければならないし、それは、自分自身でも、味方でも、或いは、敵側でも、家族がいて、お金を稼ぎながら、生きて行かなければならない、決して、例外のない人間の宿命のようなものなのであろう。若い頃に、『影の軍隊』というフランス映画で、ナチス占領下のフランス・レジスタンス運動を題材にした映画を観たことをふと、想い出す。レジスタンス組織の維持の為に、自らの命を助けて貰った恩義のある仲間を、やむなく粛正したり、結局、そこに、登場したすべての人物は、何らかの形で、全員、生き抜くことが叶わなかったのであるが、この『オマールの壁』にも、最期のシーンは、とりわけ、エンディング・ロールは、音声が、意図的に、かき消されている。ただ、左側の英語と右側のアラブ文字が、まるで、イスラエルとパレスチナの決して、交わることのない永遠の対立を象徴しているかのように、静かに流れ去って行く。それは、恐らく、観る観客の側に、一種の想像力を掻き立てざるをえないほどの『ある種の力』を有しているかのようである。つまり、この主人公、オマールは、結局、どうなってしまったのであろうか?逃げ延びて、逃げ延びて、助かったのであろうか?それとも、協力者という汚名をそそぎ、パレスチナ抵抗運動の戦士に、変貌していったのであろうか?それとも、自らの命を絶ってしまったのであろうか?そして、幼なじみだった友人は、裏切り者、協力者という新たな汚名の下で、果たして、家庭を守れたのであろうか?それとも、組織の仲間から、密かに、粛正されてしまったのであろうか?7人の独身の姉たちは、、、、、、、或いは、元カノは、どうなってしまったのであろうか?そのふたりの赤ん坊達の未来は、どうなってしまうのであろうか?モサドの側の家族は、どうなったのであろうか?帰りの電車では、そんな『想像力』が、頭の中をグルグルと駆け巡って仕方なかった。『人権』とは、何か、『生存権』とは、何か、『被占領地域の現実』とは、何か、そして、そこでの、敵味方・双方の側での『生きるという』意味とは、『裏切り者・協力者』というレッテルとは、?『自白をしないと宣言することが、犯罪になる現実』とは、?上映後、パンフレットをみていたら、See This Brilliant Film ! ―マドンナと、推薦文を寄せているのが、眼に入ってきた。是非、映画館へ、脚を運んで、観てもらいたい映画である。結局、『さざなみ』の方は、まだ、観れずにいる。

 


俳優の芸名に於ける匿名性:

2016年03月17日 | 映画・テレビ批評

俳優の芸名に於ける匿名性:

もう昔、若い頃に、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』という本を読んでいたとき、後に、この著者が、実は、山本七平なる日本人であることを知らされて、驚いたことがある。勝手に、こちら側は、著者が、ユダヤ人のイザヤ・ベンダサンであると、考えてしまったものである。考えれば、芸名などは、俳優を含めても、実際、最近では、名は体を表さずに、イメージが、先行していて、パリーパミュパミュなどは、本名の日本人の高校生の名前を云われても、さっぱり、その顔とコスチュームとが、一致しないものである。成る程、テレビで、人気が出たディーン・フジオカなる俳優も、実は、日本人で、福島出身であるそうであり、しかも、独身かと思っていたら、既に、奥さんも双子の赤ん坊がいるらしいとは、驚きである。もっとも、この驚きとは、本人には、別に驚きでも何でも無いのであろうが、勝手に、受け手の方は、想像を巡らして、人物のイメージを作ってしまいがちである。その意味からすれば、名は体を表さなければ、匿名性というものは、逆に、その神秘性を俳優にとっては、実力以上の何か貴重な高付加価値をつけるような物なのかも知れない。広東語や北京語や英語を、操って、東南アジアを、股に掛けて、活躍する日本人というものも、逆輸入俳優や横文字の名前に、極めて、弱い日本人には、ピッタリなのかも知れない。そう考えると、バンドや俳優も、何も、少子化が進み、縮みゆく日本市場だけを対象にすることなく、一度、外国で、売り込んで、逆輸入してくる逆戦略をとることも、マーケティングには、必要なのかも知れない。Dean Fujiokaも、初めから、藤岡竜雄という本名であったら、今日ほど、露出が少なく、評価されていなかったかも知れないと思うと、面白いではないだろうか?

 


めちゃイケにみる笑いの世界:

2016年02月29日 | 映画・テレビ批評

めちゃイケにみる笑いの世界:

『適者生存』という言葉の英語の訳はSurvival is the fittestであるということを随分前に、教えられたことを想い出す。成る程、生存するには、環境に適合しなければならないのか?もう5年程も前になるのであろうか?当時、精神を病んでいた岡村への愛故なのかどうかは、知らぬが、唯一のズブの素人として、めちゃイケ新メンバーに、選出されたにも拘わらず、結局、みちのくプロレス修行も途中放棄したり、局側の温情を自らが、お笑いという仕事の戦線から敵前逃亡する形で、逃げていた一出演者を、まるで、公開処刑するような、要するに、自らの嘗て選出した『笑いの目利きの罪』を、引き受けることなく、国民投票なるdボタン方式なるもので、無自覚に、首を切るなどと言う企画自体が、既に、フジ・テレビという局の芸能番組という分野で、現在おかれているところの地位と問題点を浮き彫りにしているようにみえて、その意味では、なかなか、面白い。それにしても、お笑いの芸人の発掘なるものは、別の意味からすれば、流石のメディアをもってしても、要するに、紹介するプラットフォームが、あっても、非常に、難しいものなのであると云うことではなかろうか?或いは、演劇で云えば、舞台が、大きくても、小さくても、物理的に、確保されていても、もっとも、キャリアのない芸人や俳優というものは、そういう『舞台』にすら、既に、立てるものは、ごく一部の限られた『選ばれし者』だけが許されるものであって、大半は、生活を維持するために、毎日毎日、アルバイトで、働いて行かねば、そのエントリーさえも、出来ない現実があるのかも知れない。この主人公が、一体、過去、五年間に、出演料をどれ程、補償されていたのかは、定かではないが、番組の中で、いみじくも、ダイノジが、涙ながらに、語っていたように、玄人のお笑い芸人は、当時、藁にもすがる思いで、必至に、争ったものの、唯一、玄人ではない、『素人』という一点のみで、敗れ去った、その無念さは、逆に、そっちの方にこそ、芸人魂を見てとれるのはどうしたものであろうか?エアー・ギターでも、必死になって、舞台へ上がろうとした、ダイノジの方こそ、応援したくなってしまう。それにしても、お笑いというものは、一発ギャグでも、30年、50年、やり続ければ、一発『芸』になる可能性を秘めているものの、それをやり続けるという『恐怖』、それで、本当に喰っていけるのか、家族を養って行けるのかという重圧は、並大抵なことではなかろう。成る程、芸人というものは、お笑いの世界も、俳優もそうなのかも知れないが、企画して、或いは、ある種の作られたプラット・フォームが、事前に、与えられても、所詮、その俎上に挙げられた素材が、好機と捉え、活用しなければ、ものにしなければ、全く、機能しないということが、これからも、証明されようか?それにしても、子供の頃に見慣れた、公開オーディションなども、今や、全国的な第二の石原裕次郎オーディションではないが、どうも、この種の第二の○○とかというオーディション企画や、国民的な○○というものが、流行らなくなってしまったのは、何か、関連や理由があるのであろうか?どうやら、少なくとも、云えることは、お笑いの世界には、カネも、血縁や地盤や看板は、全く、通用しないということなのであろうか?20年後か、30年後には、きっと、『あの人は、今!』などと、性懲りもなく、又、二次・三次加工するのが、この業界の常なのではなかろうか?そんな後味の悪い番組だから、投票もしなければ、最後には、結果を確認することもなく、床についてしまった。案の定、不合格になってしまったらしい。そりゃ、そうであろう。それにしても、めちゃイケ自体が、或いは、その出演者自身こそが、そんな他人事で、いられるのであろうか?明日は、我が身であることをうすうす、感じてはいるのであろうが、、、、、。