小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

柘榴の実を食してみる:

2015年10月16日 | 自然・植物・昆虫

柘榴の実を食してみる:

なかなか、庭植えの柘榴の実は、毎年、毎年は、ならないものである。せいぜい、4-5年ぶりくらいだろうか?去年は、大きな実がなったので、期待したのに、残念乍ら、熟することなく、気が付けば、落ちてしまった。今年は、女房殿による前年の剪定が宜しかったのかどうかは、素人目には、判らぬが、新しい枝先に、沢山のオレンジ色の花が咲き乱れ、数多くの柘榴の実がたわわに実ったものである。本来は、摘果でも丁寧にすれば、一つの実が、大きく、立派になるものを、それでは、全滅の危険性があるので、素人だから、そのまま、放っておいたところ、赤く染まり始めて、実が割れて、中から、赤いルビー色の粒がこぼれ落ちんばかりになっていたのに、ふと、気づく。早速、2-3個ほど、手折ってきて、食してみることにした。柘榴の実というものは、本当に、綺麗な色をしているものである。ましてや、中の実の何とも言えないような美しいルビー色は、如何にも、貴賓がありそうな色合いである。僅かに割れたその堅い実を開きながら、ルビー色の実をひとつひとつ、指で摘出しながら、食することにした。柘榴ジュースなどと云うものは、一体、どのようにして、絞り出すのであろうか?一粒一粒は、それぞれ、硬い小石のような形の種が、入っているから、歯では、かみ砕けない。微妙に、種を舌の上で、吐き出すようにして、味わってみることにする。爽やかな酸味と甘味が、口の中に、拡がってくる。一粒一粒、これの繰り返しである。実に、手間隙の掛かること、極まりない。歩留まりが悪すぎる。ジュースなどは、一体、どのくらいの実を搾るのであろうか?それでも、4-5年に一度くらいの柘榴の実を味わうということは、実に、季節を感じて、愉しいことである。まるで、オリンピック並であろうか?幹が、もう直径10cm以上になるところを観ると、確か、区の何かの記念樹に、小梅と一緒に、植えたものだろうから、もう20年くらいには、なるのであろうか?記憶が定かではない。来年も、しっかりと、花を咲かせて、やがて、秋には、又、実を付けてくれるであろうか?小さな楽しみであるが、おおいに、季節を感じる1本である。玄関先のハナミズキの樹の赤い実が。落ちてくる丁度、同じ頃である。

 


窓からの景色も変わってきた:

2015年10月06日 | 自然・植物・昆虫

窓からの景色も変わってきた:

気が付けば、もう、10月に入ってしまった。残すところ、今年も、はや、3ヶ月を切ってしまった。時の経過には、いつも、驚かされてしまうのは、何故だろうか?窓から、眺める季節季節の景色も、少しづつではあるが、変わってくる気配が感じられる。春を愉しませてくれる桜の樹は、どうやら、真っ先に、その葉の色を、衣替えして、橙色と薄緑色のグラデーションに、そして、程なく、赤く色を染め替えてくるのであろうことは、想像に難しくない。遠く、眺められる白樺の樹は、早速、薄緑の葉をもう、黄色に、染め替えつつある。何とも、その色彩のグラデーションが、見事である。今年は、冬の訪れが、早そうな気がしてならない。朝などは、もう、寝床から抜け出せないほど、今や、冷えてきている。そろそろ、来月初めには、灯油の準備も、しておかなければならないかも知れない。着るものも、冬物を併せて、準備しておかなければならないであろうことは、例年、急に寒くなってから、バタバタ、慌ててする習慣から、自覚もしているが、、、、、、、いつも、女房殿任せで、何処に、何があるのか、把握できていない。流石に、モミジの葉は、まだ、その枝先の葉だけが、やや、薄くなっただけで、例年、10月下旬から、11月に掛けて、あっという間に、その色を変えてしまうが、まだ、準備中であると云うところであろうか?急に気温が下がると、あっという間に、葉の色も変わってしまうのが、この季節の特徴であろう。心なしか、野鳥たちの囀りや囁きも、ここのところ、あまり、耳にしない。何処へ行ってしまったのであろうか?もう、どんぐりの木の実も、まばらに、転がっていて、終わりを迎えているのだろうか、窓の景色の移ろいを眺めていると、少しづつ、季節が変わりゆくように、感じられてならない。

 


草ヒバリの鳴き声を愉しむ:

2015年09月17日 | 自然・植物・昆虫
草ヒバリの鳴き声を愉しむ:
都会には、せいぜいが、コオロギくらいしか、小さな庭には、秋の夜長を愉しませてくれる虫がいなくなってしまった。もう、何年くらい前になったか、忘れてしまったが、5年ほど前のことだろうか、風呂に浸かっていたら、あるとき、リ、リ、リ、リィーという美しい音色を奏でる虫の声が、花桃の樹の中から、聞こえてきた。何とはなしに、風呂のぬるい湯にゆったりと浸かりながら、夏の終わりというか、初秋の夜長に、聴き入っていると、実に、風情のあるものである。その音色の持ち主が、誰なのかを色々と調べた挙げ句に、樹の葉や草の上で、鳴くという小さな「草ヒバリ」という虫であることが、その鳴き声から、やっと、判明した。もっとも、その姿をハッキリと確認出来たわけではないが、どうも、樹の葉や草の上に、留まって、夜通し鳴き続けるようである。昔の人は、虫にも、なかなか、風情のある名前を付けたものである。確かに、ヒバリが大空高く舞い上がりながら、鳴く様に、似ているかのような音色である。実に、綺麗な鳴き声で、しかも、よく響き渡る。それも、毎年、必ず、この時期になると鳴き始めるのである。短い命を、どのようにして、毎年、繋げてゆくのであろうか?もう程なく、聴かれなくなってしまうだろうが、来年も、果たして、聴くことできるであろうか?春の桜、花桃の花見といい、夏から初秋に掛けての草ヒバリの鳴き声、晩秋のモミジの紅葉、毎年、季節季節毎の自然のイベントを愉しみたいものである。草ヒバリの声を聴いたことのない人は、是非、検索して、一度は、聴いて貰いたいものである。都会では、疲れて帰宅するときに、草ヒバリが鳴いていても、酔っ払っていたり、消耗しすぎていて、ヒョッとして、こんな美しい鳴き声を聞き逃しているかも知れない。今夜も、鳴いてくれるかな?聴けるといいなぁ!

今年も栗の実がなりそうだ:

2015年09月06日 | 自然・植物・昆虫
今年も栗の実がなりそうだ:
桃・栗、3年、柿8年、であるが、随分、前に、植えた栗の木が、いつの頃からか、秋になると、実を付け初め、最近では、大きな実を付けるようになってきた。もう一本、植えた栗の木は、植えた時期が悪かったのであろうか、水遣りに失敗して、枯れてしまったのは、残念である。それにしても、大した肥料もやらないのに、緑色の栗のいがが、いつの間にか、茶色くなり、自然に、はじけてきて、中の実が顔を出してくる。今年も、大きな緑色のいが栗が、幾つかつき始めている。無事に、収穫になればよいが、毎年、せいぜいが、ひと粒くらいしか、まともに、収穫できない。昔の人は、柿も、桃も、栗も、胡桃も、飢饉の時には、そのまま、食料になる訳だから、大したものである。今では、栗菓子として、信濃の国の地方名産品として、欠かせないものなってしまったのは、嬉しい限りである。栗に対して、なかなか、柿の方は、一向に、実を付けないのは、残念である。松の大木の根の張り具合で、大きくなれないのであろうか?理想としては、柿の実がなって、これを吊し干し柿に加工したいものである。毎年、期待しているものの、花芽がつかない。これでは、実がならないわけである。モミジの紅葉もおおいに楽しみであるが、栗や柿の収穫も本当は、期待したいところである。

秋の気配:

2015年08月29日 | 自然・植物・昆虫
秋の気配:
いつも車を走らせる田んぼの途を、車窓越しに、眺めると、いつの間にか、緑色の穂の波が、少々、黄色にその表面が変わってきたような気がしてならない。又、里山の道端に生えているすすきの穂が、少しばかり、開き始めてきているではないか?もう、既に、暦を先取りして、秋の気配が漂い始めてきた。桜の葉も、一日で、今度は、緑色の葉が、橙色に、何枚かが、変色してきている。僅か、一晩の出来事なのであるが、、、、、、、。この調子だと、もう、9月と言うよりも、既に、10月くらいの気温である。流石に、半袖・半ズボンでは、もはや、寒いほどである。長袖が必要になってくる。ひょっとすると、キノコの類も徐々に、顔を出し始めてくるかも知れない。いやはや、人間の生活も、そろそろ、夏のモードから、切り替えてこないと、風邪でも引きそうである。秋雨前線のせいなのであろうか、台風が過ぎ去った途端に、今度は、冷え冷えとしてきた。何とはなしに、夜空の月の明かりも、澄み切ってきそうな雰囲気である。これで、秋の虫の声でも、大きくなってくると、いよいよ、残暑などは、もう、訪れることなく、一挙に、秋めいてしまうのであろうか?秋茜が、そろそろ、飛び始める頃か?そう言えば、ここのところ、蝉の声が少なくなってしまったような気がしないでもない。

秋の気配:

2015年08月29日 | 自然・植物・昆虫
秋の気配:
いつも車を走らせる田んぼの途を、車窓越しに、眺めると、いつの間にか、緑色の穂の波が、少々、黄色にその表面が変わってきたような気がしてならない。又、里山の道端に生えているすすきの穂が、少しばかり、開き始めてきているではないか?もう、既に、暦を先取りして、秋の気配が漂い始めてきた。桜の葉も、一日で、今度は、緑色の葉が、橙色に、何枚かが、変色してきている。僅か、一晩の出来事なのであるが、、、、、、、。この調子だと、もう、9月と言うよりも、既に、10月くらいの気温である。流石に、半袖・半ズボンでは、もはや、寒いほどである。長袖が必要になってくる。ひょっとすると、キノコの類も徐々に、顔を出し始めてくるかも知れない。いやはや、人間の生活も、そろそろ、夏のモードから、切り替えてこないと、風邪でも引きそうである。秋雨前線のせいなのであろうか、台風が過ぎ去った途端に、今度は、冷え冷えとしてきた。何とはなしに、夜空の月の明かりも、澄み切ってきそうな雰囲気である。これで、秋の虫の声でも、大きくなってくると、いよいよ、残暑などは、もう、訪れることなく、一挙に、秋めいてしまうのであろうか?秋茜が、そろそろ、飛び始める頃か?そう言えば、ここのところ、蝉の声が少なくなってしまったような気がしないでもない。

桜の葉が、色づき始めた

2015年08月20日 | 自然・植物・昆虫
桜の葉が、色づき始めた!:
桔梗の花が、咲き乱れていたのに、あっという間に、今度は、黄色いおみなえしの花が、咲き誇り、おまけに、ホタルブクロや竜胆とおぼしき花が咲き始めてきたかと思いきや、桜の葉までもが、一部、黄色く色づいていたのに、今日には、他の葉も一挙に、赤く色づき始めている。もう、朝晩には、半袖・半ズボンでは、寒いくらいで、夜は、しっかりと、窓ガラスを閉めて、肌掛け布団を掛けて寝ていないと、ヘタをすると、風邪を引きそうなくらいである。あんなに、暑い夏は、何処へ姿をくらましてしまったのであろうか?何とはなしに、蝉の声も、少しばかり、減ってきたような気がしないでもない。夏草の中で、盛んに、鳴いていたキリギリスの声も、最近では、とんと聞こえなくなってしまったことにも、気づかされる。代わりに、夜などは、コオロギの声が聞こえてくると、やはり、季節は、晩夏から、初秋へと、この里山では、既に、準備完了と言おうか、既に、始まっているのかも知れない。知らぬは、人間様だけで、カレンダーを9月にめくらないと、実感しないのかもしれない。

桜の葉が、色づき始めた

2015年08月20日 | 自然・植物・昆虫
桜の葉が、色づき始めた!:
桔梗の花が、咲き乱れていたのに、あっという間に、今度は、黄色いおみなえしの花が、咲き誇り、おまけに、ホタルブクロや竜胆とおぼしき花が咲き始めてきたかと思いきや、桜の葉までもが、一部、黄色く色づいていたのに、今日には、他の葉も一挙に、赤く色づき始めている。もう、朝晩には、半袖・半ズボンでは、寒いくらいで、夜は、しっかりと、窓ガラスを閉めて、肌掛け布団を掛けて寝ていないと、ヘタをすると、風邪を引きそうなくらいである。あんなに、暑い夏は、何処へ姿をくらましてしまったのであろうか?何とはなしに、蝉の声も、少しばかり、減ってきたような気がしないでもない。夏草の中で、盛んに、鳴いていたキリギリスの声も、最近では、とんと聞こえなくなってしまったことにも、気づかされる。代わりに、夜などは、コオロギの声が聞こえてくると、やはり、季節は、晩夏から、初秋へと、この里山では、既に、準備完了と言おうか、既に、始まっているのかも知れない。知らぬは、人間様だけで、カレンダーを9月にめくらないと、実感しないのかもしれない。

東京は、暑かった!:

2015年08月11日 | 自然・植物・昆虫
東京は、暑かった!:
一寸、所要で、東京へ戻ったら、室温24℃で、夜になると、窓を閉めて、おまけに、肌掛けでも掛けていないと、足先が冷えてくる長野県とは、異なり、全く、一日中、クーラーを掛けていないと、熱中症にやられてしまいそうであることが、実感される。おまけに、運動のつもりで、外出時に、徒歩で、出掛けようものならば、すぐに、汗だくとなり、まるで、瀧のように、頭からも汗が噴き出てくる始末である。成る程、田舎では、移動が、車であるから、車内は、一寸我慢すれば、すぐにでも快適な冷房が効いてきて、汗は、引くし、突然の雷雨にも、折りたたみ傘を常に、携行する必要もない。ただ、傘を車内に、置いておくだけで、まず、雨に、濡れることはない。何とも、都会暮らしと云う奴は、大変なことである。おまけに、毎朝、すし詰めの電車で、通勤するとなると、これに加えて、ストレスも、倍増することは間違いない訳である。いやはや、6日連続の熱帯夜とか、35℃とか、ニュースで、聞くが、聞きしに勝る暑さである!こんな天気の中で、本当に、オリンピックは、8月に開催されるのであろうか?間違いなく、アフリカのアスリートには、屋外競技では、有利になるであろう。それにしても、気温の測定も、本来の体感温度は、プラス5℃であると云われているのであれば、アスファルト道路の照り返しとかを勘案すれば、既に、40℃程度には、実感されるのであろうか?温室効果ガスではないが、大変な時代になったモノである。それにしても、エルニーニョの影響で、今夏は、冷夏かも知れないなどと気象庁は長期事前予想をしていたが、相変わらず、出鱈目なモノである。せいぜいが、Go雨探知機くらいが、信用できようか?さて、今日は、雷雨があるのであろうか?

餌台にやって来る野鳥の性格:

2015年08月10日 | 自然・植物・昆虫
餌台にやって来る野鳥の性格:
ベランダの餌台には、ひまわりの種を、時々、入れておくと4種類ほどの野鳥が、餌をついばみにやってくる。まずは、ヤマガラ、こちらは、非常に人なつっこくて、よく慣れると、それこそ、指の先から、或いは、手に載せた向日葵の種をさらってゆく、余りに、人なつっこいので、手からは、餌をあげないことにしている。とにかく、すばしこくて、気が短くて、せっかちで、餌がなくなると、堂々と、「なくなったぞ!早く、補充してくれ」とばかりに、ピーピーとせがみ始める。次に、一寸、身体の大きさは、小ぶりになるが、シジュウカラやヒガラ、コガラが、やってくるが、ヒガラとコガラとの区別は、なかなか、目視では難しい。大体、ヤマガラが食べ終えるまで、周辺の小枝に止まって、ジッと隙を狙っている。カワラヒバだろうか、こちらは、黄色い羽を羽ばたかせながら、どちらかと言えば、のっそりと、ピヨピヨと鳴きながら、動作がゆったりとしていて、餌台には、直接捕まらずに、いつも、手摺りの上をのっそりと、歩きながら、ついばむ。随分と、のんびりとしている鳥である。これでは、ヤマガラに生存競争で、敗れてしまうであろうにも思う。ヒヨドリやコゲラは、餌台には、決して来ない。とりわけ、コゲラは、最近、数が多くなり、それだけ、枯れ木が増加した為なのであろうか、ギー、ギーと声高に鳴いている。それにしても、窓越しに、観察していると、その野鳥の性格が、よく反映されていて、実に面白い。まるで、人間の社会の縮図のような気がしてならない。それにしても激しい雷雨の時には、一体、何処に避難しているのであろうか?又、厳冬の冬場には、どんな餌を食べているのであろうか?気になるところである。そう言えば、向日葵の種を隠す習性があるのか、突然、とんでもないところから、発芽するのには、驚かされる。

桔梗の花が咲き出した:

2015年08月04日 | 自然・植物・昆虫
桔梗の花が咲き出した:
暦では、八月に突入したせいなのか、連日の猛暑日である。もっとも、これまでの生活実感からすれば、大体、八月も15日を過ぎると、遅くも、20日頃過ぎには、空気が涼しさを増してきて、秋の空気が漂い始めるものである。従って、暦と云うよりも、蝉や虫の鳴き声とか、草花の咲き具合を眺めながら、その季節季節を判断してゆくと、まんざら、大きく外れることもない。そんな中で、既に、桔梗の青紫色の花が、今を盛りに、咲き誇っている。又、一部の萩の花も、既に小さな赤紫の花をつけている。もう、植物の世界では、秋の準備なのであろうか?雷も、そういう観点から、聞いていると、盛夏と云うよりは、やや、秋を先取りしたような上空の空気は、もう、冷たい空気になりつつあるのであろうか?季節の微妙な移ろいを感じないでもない。この暑さもいつまで、続くのであろうか?一寸、日陰でも、この桔梗という花は、種を播き散らかして、群生してくれるが、花持ちは、そんなに、長くはない。簡単に、花ごと、萎れてしまい、もう既に、翌年の種の準備に、取りかかってしまう。冬場には、実の先が、自然に裂けるように割れて、小さな種子達が、こぼれ落ちるように、散らばる。毎年、それでも、残った種は、綺麗に手で割ってあげて、すべての種が廻りに、播き散らかされるようにしてあげると、毎年、花を咲かせてくれる優れものの間違いなく、期待を裏切らない花である。だから、何とはなしに、この桔梗の花が好きになるのである。緑の中に、何やら、青い紫色した花をみかけると、ホットするモノである。短い夏の終わりも、もう、そこまで、来ているのであろうか?

鬼ヤンマに見入る:

2015年08月03日 | 自然・植物・昆虫
鬼ヤンマに見入る:
流石に、夕方になっても、未だ、暑い!それでも、早めの夕食を済ませて、ベランダで、椅子に腰掛けて、夕陽が松林の間に、残照を落としながら、沈んでゆくのを見ていると、急に、顔の横を後ろから、ビューンと、何やら、羽音が、かすめる。大きな鬼ヤンマである。以前にも、ベランダに、決まって、飛んでくるのを知っていたが、トンボは、一定の同じ場所を飛行するという性質があることをものの本で読んだことがある。ジッとして、観察していると、10数メートルの同じ空間を、行ったり来たり、因みに、その回数を数え始めると、十回、二十回、段々と増えて、五十回、とうとう百回以上に、なってしまった。途中から、ぶつかりそうになるので、場所を横から眺められるように変えて、その飛行経路を観察する。それにしても、凄いスピードで短い距離を飛びながら、餌を探すモノである。しかも、瞬時に、ホバーリングしたり、途中で、急に、上昇したり、ベランダの手摺りを急に、上昇して、飛び越えたり、空中に、急上昇したり、とにかく、その飛行は、まるで、エアー・レースの小型飛行機の飛行さながらであろうか?段々薄暗くなってきて、百二十回を越えてからは、流石に、数えるのを諦めた。それでも、鬼ヤンマは、飛行を繰り返して、餌を探しているのであろうか?今日も又、同じ鬼ヤンマとおぼしきトンボが、やってきた!近くの溜め池で、毎年、付加するのであろう。間もなくすると、今度は、秋茜が、多数、秋の空を飛び交うことになる。

雷雨の恵み?:

2015年07月31日 | 自然・植物・昆虫
雷雨の恵み?:
最近では、スマホのアプリにも、例えば、「Go雨探知機」なるものが紹介されていて、ダウンロードすれば、自分のいる現在地点の半径5キロ程度にリアルタイムで、近づいてくる雨雲や雷雨や豪雨の動きを逐一、事前に知らせてくれるから、便利になったものである。標高900m弱の里山では、それだけでも、都会に較べれば、気温が低いのであるが、これに加えて、赤松の林やどんぐりの林のせいなのか、夏場でも、都会に較べれば、10℃程度は、低いのは有難い。更に、夕方から夜に掛けて、もっとも、時として、午後早い時間帯の場合もあるが、群馬県・栃木県に掛けて、よく生じる雷雨が、上空を通過するためだろうか、ひとしきり、強い雨が、雷を伴って、通過する。そのお陰かどうかは、分からぬが、通過後は、気温が一挙に下がり、空気は、更に、濾過される。都会ならば、帰宅時間や、最寄りの駅に到着してから、徒歩で帰宅する頃に、雷雨に打たれるような感じで災難であるが、里山では、そんなことはない。お陰で、シャワーならぬカー・ウォッシュではないが、フロント・ガラスも、ボディーも、綺麗になってしまう。気温も下がり、車も洗車出来るし、たまの雷雨も、決して悪いことばかりではない。都会では、ゲリラ豪雨で、地下街の浸水や、住宅街の近くでは、河川の浸水や崖崩れとか、何かと厄介者であるが、里山では、別の意味での恩恵ももたらしてくれるのが、有難いことである。どうやら、雲行きを眺めていると、今日も又、要注意の時間帯がありそうである。洗濯物は、早めに、取り込んでおいた方が良いであろう。落雷による停電だけは、勘弁願いたいところである。

蛍鑑賞を愉しむ:

2015年06月28日 | 自然・植物・昆虫
蛍鑑賞を愉しむ:
ボランティアのお陰で、今年も又、蛍の乱舞を鑑賞できる季節になった。その年の天候、気温や雨の量などによって、蛍が舞い始める時期が、異なるが、飛び始めたという情報を元に、シカゴと香港から来た外人観光客と一緒に、蛍の鑑賞することになった。街頭が少ないので、懐中電電灯を持参して、或いは、スマホを活用して、思い思いに、田んぼの用水路沿いを歩くと、既に、田んぼに、スーと、淡い光が、空中に、浮かんでは消え、消えては、又、再び、浮かび上がり、飛び交っているようである。土手の草の上に、静かに、止まったままで、しばし、小休止している蛍もいる。以前、写真を撮ったものの、後から見たら、ポツンと小さな光だけが写っていて、何が何やら、分からない事があってから、やはり、自分の眼に、しっかりと焼き付けるのが良いということに方向転換をした。蛍というのは、存外、フレンドリーだね!とシカゴから来た日本で企業の英語の教師をしている青年が云っていた。確かに、そっと、手を出すと手の平にのり、ジッとしていて、淡い光を発行しながら、一休み語には、又、空中を舞って、木の枝へと移ってゆく。東京からやってきた小さな子供達は、月明かりの下のたんぼ道の散歩と蛍と星を眺めて、ソラの星も、蛍みたいだねと、面白いことを言っていた。充分、蛍狩りを愉しめたことであろう。来年も又、来たいねとも云っていた。大人も、童心に帰って、一緒に、遠い黒い山並みを眺め、月と叢雲を愛で、星を眺め、蛙の鳴き声を聞き、そして、蛍の乱舞を愉しめるのは、実に、有難いことである。

立て続けに、ヘビに遭遇する:

2015年06月11日 | 自然・植物・昆虫
立て続けに、ヘビに遭遇する:
東南アジアの動物園か何かのショーで、長くて太いニシキヘビを首に巻くという体験をしたことがあるものの、それは、これから、ヘビに触るという事前の覚悟があるから、又、観光だからと云う軽いノリと想い出作りに、やってみようという覚悟が必然的に、出来ているから宜しいものの、それが、全く、心の準備無しに、突然、遭遇すると云うことは、全く、困ったものである。大体、これまでの経験則から云えば、オリンピック同様、4年に一回程度の確率のチャンス(?)で、夏場の暑い頃には、出くわすこともない訳ではない。たまたま、生ゴミを裏のコンポストに、捨てに出ようと思い、玄関の扉を思い切り開けたところ、目の前に、1m程の灰色がかったへびが、いるではないか、頭が丸く、小さいから、毒蛇でないことは即座に、素人目にも判別できる。もっとも、ヘビも驚いたのか、こちらをちらりと観た上で、玄関の脇の木製デッキの下へと逃げていった。ホットして、コンポストの方向へ、行こうとしたら、今度は、デッキの上に置いてあった土の袋の傍らを、同じ種類の別のへびが、もう一匹いるではないか、こちらは、仕方なしに、棒で、追いやると、スルリと、デッキの底の隙間へと姿を消していった。やっと安心して、コンポストへ生ゴミを捨てて、容器を水道で洗って、再び、玄関に戻り、扉を開けようとすると、玄関タイルの隅の方で、何やら、カサカサという音がするので、ふと眼をやると、玄関脇の物置と壁の僅かな隙間へ、同じ種類の別の(?)ヘビが、ヌルッと、滑り込むではないか!いやはや、ほんの僅かな、5分程度の間に、3匹もへびに、遭遇するとは、普段から、恐らく、こちらは、気が付かないが、きっと、そこら辺を、我が物顔で、徘徊しているのであろうか?急に気温が上がって、蒸し暑くなったから、冷たいタイルの上や、薄暗いデッキの下をきっと好むのであろうか?東京でも、数年前、自宅で、女房殿が、ヘビを梅の樹の上や土台の通気孔のところで、見かけたものであるが、都会でも、下水管の中で、ネズミなどを捕食して、生き延びているようで、脱皮した大きな薄皮が、川の水草の間に、浮かんでいるのを観たことがある。それにしても、いきなりの不意打ちは、やめてもらいたいものである。音もなく近寄り、音もなく、去りゆく、どうやら、この里山の家の周りには、こちらは知らないが、様々な小動物が、跋扈しているようである。こちらは、全く、知らぬが仏、脳天気である。これで、当分、遭わずに済むのであろうか?そう願いたいところである。それにしても、この辺は流石に熊はいないが、熊でなくてよかった。