小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

松枯れの樹が心配である:

2015年06月09日 | 自然・植物・昆虫
松枯れの樹が心配である:
ベランダの向こう側に、長い間、窓越しに、太い松の樹が、すっくと、佇立していて、冬場になると、周りの広葉樹が葉を落として、其の隠れた全身の姿を根元から、てっぺんまで、一本まるごと、見られる。実に、これが、宜しい。樹というのは、枝振りも大切であるが、全体が見られるというのが、私は、好きである。間近に、枝や、其の葉を観るのも又、宜しいが、森を見るのでは決してない!まずは、個々の樹を観るのである。そうすると、それは、まるで、人間の人生に如くに感じられるのであるから、実に、可笑しいし、不思議な感情を抱くことになる。今年になって、非常に気懸かりなことが起こっていた。枝先が、何となく、茶色い松枯れの様相を呈し始めたのである。しかも、徐々に、それは、枝から、枝へと少しづつ、拡大・伝播し始めてきている。恐らく、周辺の松枯れ病によるものであろうことは、容易に、想像はつく。治療をして上げたいところであるが、私には、なす術もない。物言わぬ松の樹が、唯々、病いに陥り、まるで、癌細胞が、次第に、身体を蝕んで行くような感じであろうか?松枯れにより、最近では、太い松、細い松を問わず、赤茶けた枝振りを無惨に、曝している光景が、目立ち始めているのは、おおいに、残念なことである。恐らく、長い間、私の眼を愉しませてくれたこの松も、今年の暮れ前には、無惨な姿を曝すことになるのであろうか?


山吹の花を活ける:

2015年05月14日 | 自然・植物・昆虫
山吹の花を活ける:
「七重八重花は咲けども山吹の実の(簑)ひとつだになきぞ悲しき」、毎年、山吹の黄色い花が、咲き始めると、太田道灌のこの歌を想い起こすが、新緑の緑が深まる季節には、この枝の伸びきった先に咲く黄色い花が、おおいに、目立って、美しい。我が家の玄関先に生えている山吹は、八重で、花びらが、数多くて、その黄色の色合いも、濃くて、緑に映える。この黄色と緑の葉と、花瓶の茶色の色合いが、マッチしていて、私個人としては、好きな組み合わせである。如何にも、花瓶の色が、土の色のようで、まるで、土の上に、あたかも、植えられたかの如く、見えれば、生け花としては、おおいに、満足するところである。というよりも、自己満足するというところが、正直な感慨であろうか?プランターに植えられた球根や春の花々も宜しいが、自然に毎春、花を咲かせてくる花々もある程度、観賞し終わったら、枝先の剪定も兼ねて、来年の為に、チョキンとカットして、生け花にしてみるのも、これ又、一興ではなかろうか?テーブルの上に、置いてみたら、部屋の中が、急に、この黄色い色で、パッと輝きだしたような気がするのは、錯覚だろうか?一輪挿しでも、何でも、花を活けることで、花を愛でる気持をいつまでも持ちたいものである。来年は、どんな花を咲かせてくれるであろうか?因みに、英語名では、Japanese Roseとも云われているそうです。

八重桜のブーケを作る:

2015年05月11日 | 自然・植物・昆虫
八重桜のブーケを作る:
GWの後半をずっと、愉しませてくれた八重桜も、一房、二房と徐々に、萎れながら、ぽつり、ぽつりと、落ち始める。それが、針葉樹の若葉の上に、まるで、牡丹雪のように、ピンク色の花が、緑色の上に、浮き立つ。土の上に、落ちてしまった花房は、まだ、ピンク色で、とても綺麗である。樹の上に、咲いているときには、手で取れないから、地上に落ちてきた花房を萎れていないモノを中心に、手で拾ってみる。萎れてしまった花房は、力なく、花びらをひらひらと散らす。元気の良さそうな花房を10個づつ、束ねて、小さなブーケにしてみることにした。毎年ではないが、気が向いた年には、これを幾つか、束ねて大きなブーケにして、水盤の上に生ける。なかなか、綺麗なモノで、食卓をピンク色に染める。これは未だ一度もやったことはないが、何でも、八重桜の花びらを塩漬けにして、お白湯に入れて、自家製桜湯を愉しんでみたいものである。まぁ、気まぐれだから、いつのことやら、とんと、分からぬが、いつの日か、やり方を勉強して、実行してみたい物である。まるで、ブーケは、イチゴ氷のような様相を呈している。思わず、スプーンで、掬ってみたい衝動に駆られる。春の花々も、徐々に、散り始めてゆく。すずらんの小さな白い花が、ちらほら、咲き始めた。どんぐりの長い花房が、落ち始め、まるで、乾燥水苔のように、こんもりと、道端に、溜まっている。静かに、知らぬ間に、実を結び始めるじきなのであろう。徐々に、里山も、初夏の装いの準備に、移りつつあるのであろうか?ますます、新緑が、濃くなり始めるように感じられる。

樹を見る:

2015年05月10日 | 自然・植物・昆虫
樹を見る:
「木を見て、森を見ず」とは、よく言われることであるが、実際、一本の樹木それ自体をてっぺんから、幹の根元まで、なかなか、眺められるモノではない。ということは、実際、この木というモノは、所詮、枝葉末節的な樹の一部なのであろうか?秋から冬にかけて、落葉樹の葉が、落ち始めると、今まで見えていなかった巨木が、とりわけ、赤松の針葉樹林が、その姿を一本丸ごと、晒し始める。しかしながら、春先から、初夏に掛けては、逆に、今度は、その姿をまるで、「真理」が、何かの影に隠れてしまって見えないかの如く、その全体像が、見えなくなってしまうのは、何とも、面白いものである。一体全体、どうしたものだろうか?たしか、陶淵明の漢詩に、「東園の青松」というものがあったが、要するに、夏場には、ツタや蔓で、その松の姿は、見えなくなってしまうが、ひとたび、寒気に、触れると、青い松が、堂々と、姿を現すという風な意味合いで、逆境にあっても、いつの日か、順境な時が訪れるから、それまで、心して、待機せよという今のサラリーマンにも通じるような漢詩であるが、成る程、ベランダから、景色を眺めていると、「樹を見る」ことは、何とも、贅沢なことのようにも、思われる。都会では、現役の頃には、全く、公園にでも行かない限り、丸丸一本の銀杏の樹などは、上から下まで、眺められないものである。今は、広葉樹の淡い薄緑色の新緑の葉と枝に、蔽われてしまって、姿を隠してしまったが、当分は、この柔らかい緑溢れる樹海を森に抱かれるように、包まれて、楽しむことにしよう。

春蝉が、今年も又、鳴き始めた!:

2015年05月03日 | 自然・植物・昆虫
春蝉が、今年も又、鳴き始めた!:
茶色一色だった窓からの風景も、いつしか、春風と共に、桜が咲き、春の嵐にあっと言う間もなく、散ってしまい、わずかに、八重桜の花が、今を最後にとばかりに、咲き誇っている。ドウダンツツジの白い花や、山吹の鮮やかな黄色い花も、咲き誇り、若葉も春の温かさに誘われて、やっと、背伸びをするが如く、その新しい芽を伸ばし始め、薄緑色した柔らかそうな葉っぱを伸ばして、そよそよと、風に吹かれている。これまでは、どんな樹木の葉であるかは、ある程度は、推測できても、これだと、決めるには、どうも、自信が持てなかったが、今や、ハッキリと、葉の形で、自己主張をし始めて、モミジの葉であるとか、白樺の葉であるとか、認識されるに至った。柔らかいモミジの葉は、誠に、気持ちよさそうに、横枝を思いっきり、横に伸ばしながら、春風に、浮かぶように、そよいでいる。それを見ているだけで、何とはなしに、こちらの心も、和らいでくるようである。眼からの刺激というモノは、存外、コンクリート・ジャングルの中では気が付かないこうした小さな茶色から、緑への変化を教えてくれて、改めて、脳を刺激してくれるのかも知れない。ひょっとしたら、花見も、新緑の中でのドライブも、呆け防止には、おおいに、役立つのかも知れない、などとも、思ってしまう。気が付けば、どんぐりの花も、今では、無数の房を垂らしているようにも思われる。そんな中、今日、今年も又、ギィー、ギィー、ジージーと、陽が射し始めると、春蝉の鳴き声が聞こえ始めた。これから、初夏に掛けて、ニーニー蝉が出てくるまでは、当分の間は、春蝉の天下である。

ブルーシートを外す:

2015年04月29日 | 自然・植物・昆虫
ブルーシートを外す:
春の年中行事である。桜の花が咲き始める頃に、毎年、ベランダのブルーシートを外すことになっている。それにしても、松葉が、凄まじいくらい溜まっているし、土埃というか、泥というか、ブルーシートの表面には、茶色く、土が、固まっている。水溶性の塗装を塗ってあっても、なかなか、ベランダの表面というモノは、こんなにも自然の猛威に曝されるモノなのであろうか?シートをデッキ・ブラシで、擦るとどす黒い水が、流れる。これでは、やはり、高圧洗浄機で、一挙にシートも、ベランダの汚れも、落とした方が良かったかも知れない。シートを干す作業も大きいから、大変な作業である。GWには、再び、天気の良い日を見ながら、もう一度、行わなければならないか?そして、夏場には、塗装を施すことにしよう。これも又、ペンキ塗りも楽しいものである。松の林が、一斉に、花粉を落とし始める前にやらないと、今度は、黄砂と見間違えるほどの大量の黄色い花粉に、車もベランダも蔽われてしまうことになりかねない。これも又、年中行事だから仕方ない。去年のビオラが、花を咲かせてきたので、こちらも、移植しなければならないし、結構、年中行事が、目白押しである。畑や田んぼをやっている人達は、さぞや、もっと、忙しいことであろう。

フェイス・タイムでハナミズキを観る:

2015年04月23日 | 自然・植物・昆虫
フェイス・タイムでハナミズキを観る:
それにしても、スマホのIT技術というものは、進んでいるものである。この恩恵を利用しない手はない。折角、装備されている機能なのであるから、同じ値段だったら、使うに越したことはない。たまたま、東京の庭先のハナミズキが、咲き始めたと女房殿が電話を掛けてきた、しかも、IT音痴を自称している彼女から、「フェイス・タイム」で、見せて上げると、切り替えると、何と、咲き始めの白いハナミズキが綺麗に写っているではないか?これまで、何度か、実験的に、使用しているが、これは、テレビ電話同様、確かに、現状を伝えるのには、便利な代物である。距離が離れていても、映像と音声で、同時中継できるのであるから、昔に較べると格段に、技術が進歩したものである。これは、もっと、活用しても良いのかも知れない。他にも、眠っている機能はないだろうか?この次は。このハナミズキの木に、営巣しているシジュウカラの画像を雛の声と共に、撮影して見せて貰うことにしている。これも又、楽しみである。

油断していたら、冬に逆戻りである!:

2015年04月14日 | 自然・植物・昆虫
油断していたら、冬に逆戻りである!:
もう、春めいてきたと思っていたら、東京では、既に、桜が満開であった。又、東京の庭の花桃も、白木蓮も散り始めていて、今や、ハナミズキの蕾がおおきく膨らみ始めていた。こんな調子だから、一挙に、春が進んでくるのかと思って、小諸に戻ってきたら、案に相違して、小雨模様で、しかも、外気温が5度で、これでは、まだまだ、里山の麓は別にして、山の上は、まだまだ、冬の様相に逆戻りしてしまった感じがする。三寒四温とは、良く言われるが、これでは、一挙に、冬へと逆戻りで、肝心の桜の花も、果たして、強い雨風に、耐えられるかとも心配になってしまう。大体、毎年、里山の上は、GWの連休くらいにならないと、桜も開花しないが、今年は、若干、早いのかも知れない。花の魁として、挑戦レンギョウが、黄色い花が、咲き誇り始めるのも、あと少しであろう。麓では、今や、真っ盛りである。東京で購入した八重桜の苗は、今や、小さな花が2-3輪咲き始めて、何処に、植えようかと迷ってしまう。山桜の樹が、数年前に、土壌菌の為に、カビにやられて、枯れてしまったのは、残念であるが、これに代わって、おおきくなってくれると有難いところであるが、、、、、、、、。生存競争が激しい、自然界のことだから、しっかりと、地中を耕して、土も軟らかいものを入れてやらないと、なかなか、根付きが難しいかも知れない。地植えは、もう少し、暖かくなってから、やることにしよう。それにしても、まだ、ストーブが、朝晩には、手放せない程、寒い。残念乍ら、小諸懐古園の桜は、未だ、1-2部咲きといったところだろうか?その代わり、天守閣跡からは、アルプスの雪を頂いた遠くの山々が眺めることが出来た。あと、1週間か、10日ほどであろうか?

=やっと、春めきだした!:

2015年04月06日 | 自然・植物・昆虫
=やっと、春めきだした!:
タンポポの黄色い花が、咲きだしたと思っていたら、今度は、知らぬ間に、雪柳に、緑色の芽が、かすかに、観られるようになってきた。未だ、朝晩は、冬に逆戻りしたかのように、ストーブを手放せないが、どうやら、里山の麓のほうは、白木蓮が咲き、梅も満開、やっと、桜の蕾が、ピンク色に、染まり始めてきた。いよいよ、もう間もなく、里山の方にも、春の訪れが、一週間ほどで、来ることであろう。たまたま、東京へ、所用で戻る途中には、もはや、桜も満開で、東京では、既に、白木蓮も、雪柳も、ほとんど、散り終えて、箒状に、天空に枝を高く掲げた桃色と色の花桃の花達が、今年も、元気に、咲き誇っている。そして、これからは、白いハナミズキの花が、樹木全体を蔽うように、咲き誇ることになる。こうなると、春も本番であるが、今年は、私の感覚からすれば、少々、早めの感じがしてならないが、流石に、里山では、やっと、桜が、蕾を膨らませたところで、もう一度、桜を愉しめるのは、誠に、有難い贅沢なことである。碓井峠は、昼間でも外気温5度で、まだまだ、冬の様相であるが、程なく、緑色の木々の芽吹きが、観られるかも知れない。そうなると、景色全体が、茶色の枯れ葉を落とした樹木の茶色一色から、緑の芽吹きとのミックスに、そして、段々、その薄緑色が、濃くなってゆき、最後には、多くの木々が、その緑の葉に、蔽われて、ひとつの季節が、次の季節へと、又、バトン・タッチしてゆくことになろう。それも、もうすぐであろうか?又、その色合いのグラデーションの変化が、愉しみである。

今年も、白梅が咲き始めた:

2015年02月24日 | 自然・植物・昆虫
今年も、白梅が咲き始めた:
ご近所の紅梅は、もう、すっかり、満開一歩手前にまでなってしまったが、我が家の白梅は、やっと、枝先の陽当たりの良い先端が、空に向かって、開花し始めたばかりである。これから、一雨一雨毎に、蕾が膨らんで、開花することであろう。もう、冬もやや、峠を越え始めていることが、この植物たちの動きを眺めていると、そんな季節の変化に、気付かされる。以前植栽した小さなジュリアンも、目一杯に、その花々を狭いプランターの中で、押し合いへし合いしながら、今や、咲き誇っている。こちらは、春が近づくにつれて、衰えてゆくのが、通例であるが、白梅の方は、暖かさが増すにつれて、ますます、元気になってゆく。当分は、こうしたせめぎ合いの中で、今度は、白い雪柳と白木蓮の花が、次の主役として、控えている。白木蓮の固い蕾も、徐々に、膨らんできているような気がしてならない。いつ頃になったら、固い茶色の固い殻を脱ぎ去るのであろうか?知らぬ間に、庭の小さな雪柳の蕾も、心なしか、膨らんできたような気がしてならない。春も、もう少ししたら、やってきそうである。

ジュリアンを植える:

2015年01月14日 | 自然・植物・昆虫
ジュリアンを植える:
日本海沿いの街々は、毎日、どんよりとした雪雲に蔽われて、毎日、すごい積雪に悩まされていることであろうが、太平洋側では、ここのところ、連日、冬晴れが続いている。気温といっても、零下になることはない。それでも、東京は、まだまだ、冬の気配が漂っていることには変わりはない。そんな中でも、花々は、春の気配が、ほのかに、感じられる。女房殿が、冬場のガランとしてしまった幾つかのプランターに、春の装いを彩るべく、小さな蕾と色とりどりの花を咲かせているジュリアンを購入してきた。黄色・白・深紅・紫・薄紫・赤、それぞれを、どんな色の配置で、丸いプランターと長方形のプランターに、植えたらよいのか、取りあえず、配色を考えながら、並べてみることにした。なかなか、色合いのバランスというものも、頭を使い、結構、難しいものである。最終的には、最高執行権限者たる者の最終調整を経た上で、無事、プランターへの植え付けが終了しました。花の下からは、多数の蕾が顔を出していて、これから、次々と、暖かくなるにつれて、花を咲かせそうである。実に、楽しみなことである。冬の高枝切りから、1ヶ月、あと一ヶ月もすると、今度は、梅の蕾が膨らみ始める頃となろう。そして、白木蓮、雪柳、小手毬、そして、花桃、花水木へと、春爛漫の花のオン・パレードへと今年も、連なってゆくのであろうか?急に、玄関周りが、明るく華やぎだしたのは、気のせいだけではなさそうである。

雪景色を見ながらの朝食と温泉:

2014年12月30日 | 自然・植物・昆虫
雪景色を見ながらの朝食と温泉:
年末年始を小諸の里山で、過ごすことに毎年しているが、今年は、12月初めには、既に、所用で東京に戻っていたので、約一ヶ月ぶりのことである。今年は、一寸、寒いから、雪のほうも、先日には、約15センチ程積もって、早くも除雪車の出動となったそうである。今年は、この分だと、年末から年始に掛けて、久しぶりに、雪景色が愉しめるかも知れない。昨晩からの雨のせいで、夜には、みぞれに変わり、翌朝には、窓のシャッターを開けてみれば、うっすらと、雪化粧をしていた。雪化粧の景色を眺めながらの朝食とは、なかなか、趣きがあって宜しいではないか?すっかり、向日葵の種がなくなってしまった野鳥の餌台にも、久しぶりに、向日葵の種を入れて上げることにしよう。外気温は、ほぼ、零下である。道には、車の轍の跡が、くっきりと、ついている。久しぶりの温泉詣でである。坂道を慎重に滑らぬように、運転しながら、近くの温泉施設へ向かう。フジや王林のりんごが、一寸熱めのお湯にプカリと浮かんでいる。近くで香りを嗅ぐと、如何にも、りんごらしい香りがする。少々熱めのお湯だから、半身浴で、じっくりと下半身や脚の指先を中心に、じっくり、温めて、味わうことにする。残念乍ら、露天風呂は、ガスっていたために、外の景色は、愉しめなかったのは、残念である。久しぶりの雪景色を観ながらの朝食と温泉は、一寸、ゆとりを感じる非日常の風景なのかも知れない。たまには、こんな経験も宜しいのではないだろうか?次は、雪見酒と洒落たいところである。

年末恒例の高枝切りを行う:

2014年12月24日 | 自然・植物・昆虫
年末恒例の高枝切りを行う:
といっても、ブロック塀に、梯子を掛けて、高い枝を払うのは、女房殿の役目と決まっていて、自分は、カットされた枝を受け取る係であるが、、、、、、、今や、、、、、。それを小さく、細かな枝に、再カットして、袋詰めに供するだけのことである。それにしても、爆弾低気圧のせいもあったのだろうか、悉く、強い風雨に曝されて大半の樹の葉は、落葉してしまっていたので、後は、枝を払うだけの話である。花桃のほうは、随分と毎年、毎年、カットしても、すぐに伸びて、今年は、二階の窓の高さを越すような勢いである。来春の開花後には、強剪定する時期を迎えているのかも知れない。年中行事とは云え、今年は、だんだん、作業も遅めになってしまった。例年は、12月初めには、作業終了するところであったが、歳のせいだろうか、遅れ遅れになっているような気がしてならない。庭師にでも頼めば、簡単なのであるが、実際、家の前を何人もの庭師が、これまでも、女房殿に、声を掛けているらしいが、その都度、我が家は、自分でやると言い張って鄭重にお断りしていることにしている。もっとも、それも後何年くらい持つだろうか?年々、樹は生長して、大きく、太くなり、落葉する量も半端ではない。都会では、アスファルトに落ちる落ち葉ほど、厄介なモノはない。とりわけ、雨の後の濡れ落ち葉ほど、厄介なモノはない。半ば、自分自身も「濡れ落ち葉」同然だから、簡単に、非難できうる立場でもないのが、辛いところである。何とも、情けない話である。結婚以来、長い間、よくも続けてきたものである。後10年くらいは、続けられるであろうか?横に寄り添うように植えられている白木蓮の樹も、大きくなって、春を待ち焦がれてか、蕾を一杯つけている。やがて、3月末頃には、真っ先に、白い花を春に先駆けて咲かせてくれる。冬来たりなば、春遠からじであろうか?年末恒例の高枝きりも、これで、一段落である。

冬終いの準備に取りかかる:

2014年11月29日 | 自然・植物・昆虫
冬終いの準備に取りかかる:
11月も終わりに近づいてきたので、車のタイヤもスタッドレスに履き替えて、冬支度をして、東京へ戻る準備をすることにした。信州の冬の里山は、気温もだんだん、低くなり、朝起きて、洗面の時に、水道管の凍結防止のヒーターのサーモ・スタットが自動的に作動して、暖かな温水が、蛇口を捻ると出てくる。恐らく、明け方の外気温は、零度に近くなっているのであろうと想像される。ベランダには、霜よけの為に、大きなブルー・シートの覆いを掛けて、紐で、端をくくりつけておくが、例年、下からの風や、雨や積雪・氷で、冬の厳しい環境の下では、耐水性であっても、大変である。まぁ、やらないよりは、マシであると云ったところであろうか?今年の2月の大雪の時には、1ヶ月も経った後でも、膝上くらいの残雪が、固い氷と化して、ガチガチに、固まっていたものである。二重窓ではない箇所には、内側から、プチシートを窓枠に沿って貼りつけて、防寒対策とする。水廻りは、毎年、念入りに、シンクには不凍液も注いで、万全を期することにしている。それでも、冬場の寒いときには、どういうわけか、凍りつくことがある。一体、野鳥たちや、リスなどの小動物らは、どのようにして、この厳しい冬の寒さを凌ぐのであろうか?餌台に置いていった向日葵の種なども、恐らく、一日限りで、食べ尽くしてしまうのが、関の山であろう。申し訳ないが、こちら様は、里山に較べれば、ずっと暖かい都会へ、避寒では、申し訳ない。次は、年末・年始の年越しか、冬の間に、一寸、来荘するくらいかな?水廻りが、きちんとしていれば宜しいが、、、、、、。暫く、冬の間は、店終いである。次は、雪景色になっているであろうか。

胡桃を味わう:

2014年11月25日 | 自然・植物・昆虫
胡桃を味わう:
季節毎に、その旬のものを味わうことは、地方都市での小さな楽しみのひとつであり、又、人生を味わう時に、ふと、何気なしに、喜びを感じるものではなかろうか?晩秋から初冬に掛けては、銀杏とか、胡桃とかの木の実が、実に、信州では豊富である。以前、くるみ割り用に、金属製のペンチのような道具を購入したものの、どうも、うまく、割れない。銀杏には、結構、役には立ったものの、、、、、、、、。採りたての固い殻に蔽われた胡桃の実は、既に、加工を施されたものに較べて、その身は、大変クリーミーで、実に美味しく、新鮮である。私は、ナッツ類に食物アレルギーがあるので、アーモンドなどの木の実類は、芳しくないのであるが、少量ならば、抗ヒスタミン剤を服用すれば、問題なく、少量のみ、毎年、旬のものを戴くことにしている。何せ、高血脂肪症も、注意しなければならないから、そんなに、馬鹿みたいに食する必要は無い。ただ、少量をワインと、ついでに、ブルーチーズか、何かを、クラコットの上に載せて、戴ければ、それで良ろしい。本当は、薪ストーブか、暖炉の暖かな炎でも眺めながら、ワイングラスを揺らしながら、ロッキング・チェアーにでも座りながら、一時の晩秋から初冬へと移ろいゆく夜の静寂を、家族や友人達と愉しめれば、これに勝るものはないであろう。今回は、日帰り温泉施設に売られていた特大粒の胡桃と、一緒に売られていた民芸品の木製のネジ式の胡桃割り器を購入して、割りながら、試してみた。一寸、中身が黒みがかった食べられそうにないものが出てきたので、こちらは、屋外の野鳥の餌台に置いておいたところ、翌朝には、ものの見事に、跡形もなく無くなっていた。翌々日の朝に、食事をしていたところ、ベランダの手摺りをリスが、ス、ス、スーと素早く、掛けて行き、餌台に顔を突っ込んで、向日葵の種を食べていたところをみると、どうやら、リスが、食べたようである。どんぐりの実といい、まさに、今は、リスの餌が、豊富な時期である。人間様も、リス同様、この季節の恩恵を少しでも、短い間に、愉しみたいものである。程なく、長い冬が訪れることになる。紅葉していた樹の葉達も、風に吹かれて、一斉に、ハラハラと、落ち始め、その枝振りを露わに見せ始めている。これから、長い冬を迎えようとしている。