小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

身勝手なゴルフ私論:

2015年08月15日 | スポーツ
身勝手なゴルフ私論:
若い頃は、一人でも、予約無しに、飛び入りで、シングルで、プレイをしたものである。別に、ヤクザの賭けゴルフではない。よく一人で、飛び入りに、この類がいて、素人は、ぼられると云うことを聞いたことがあるが、、、、、、別に、そういうことではない。単に、自分で、納得のゆくまで、練習ラウンドしたかったからだけである。昔は、一打毎に、各コースの何処に、何ヤード、何番手で、打ったかという結果をデータ化したこともあった。この分析に基づき、コースの攻略方法とか、クラブの番手管理を行ったモノである。ゴルフというスポーツは、なかなか、科学的な合理的なデータ分析に、適したモノであると、若い頃から、こういう手法で、上達を企図したつもりでも、せいぜいが、結局、ベストでも、ボギー・ゴルファー止まりで、90をコンスタントに切り、80台へは、一向に、進化しなかったものである。道具だったのであろうか?5歩圏内のパー・パットが、いつも、外してしまった為なのであろうか?或いは、アプローチが、ピタリと、ピンに、絡まなかったからなのであろうか?いやいや、そうではなくて、ボギーを拾えるときに、いつも、ダボに終わってしまうという精神的な弱さだったからなのであろうか?面白いスポーツである。精神と技術と身体、心・技・体が、うまく、揃わないとよいスコアが出ないのであろうか?私的な素人の経験では、そうでもなさそうである。コンペに出ることもなく、今や、女房殿を相手にして、我が儘勝手に、景色を愉しみながら、スコアの反省もすることなく、ナイス・ショットが出れば、お互い、褒め合い、ミス・ショットすれば、打ち直しすればよい。それ程、混雑、詰まっていないので、ツー・サムだから、プレイも早いので、少々のミスショットの打ち直しは、ローカルのゴルフ・コースでは、許されて然るべきである。(本当は、そんなことはないのであるが、老夫婦の私的なプレーだから、許されて然るべきであろう)もう、景色を眺めながら、スコアも気にすることなく、ゴルフが出来ることを只ひたすら、悦びとしたいものである。少なくとも、70代の前半くらいまでは、愉しみたいものである。薄暮のハーフでも宜しいか、フラッと、出掛けていって、フラッとプレーして帰ってくるというスタイルで、、、、、、、、。

今年初めてのゴルフ:

2015年07月27日 | スポーツ
今年初めてのゴルフ:
前回、いつ何処でやったのか、想い出せない。あんなに、昔はやっていたのに、米国駐在時代には、週二回も、やっていたのに、どうしたものであろうか?もう、そろそろ、ゴルフも卒業なのであろうか?もう、18Hもやる必要も無い。一寸、景色を眺めて、ドライバーショットの良いモノが何回か出ればよいし、アプローチもピンにピタリと、寄せることが出来れば良いし、パットも、ロングパットが、一発入ればそれで、万事宜しいかな?それにしても、いつまでも、繋ぎのユーティリティーが、安定しないし、腰の手術後のスウィングの改造により、アイアンが振り抜けないから、ボールが、どうしても、右に飛んでいってしまう。スコア・メイクに必要な100ヤード圏内のショットも、昔みたいに、ピタッとピンに絡まないし、寄らない。元々、ボギー・ゴルファーだから、パー4でも、3オン2パットで上出来である。然るに、アプローチとショートアイアンが、駄目になってきているから、4オン2パットや、3オン3パットのダブルボギーになってしまう。所謂、ダブルボギー病である。おまけに、ショート・ホールでも、アイアンの切れと正確性が落ちているから、ワン・オンしないし、アプローチで、ピンにピタッと寄らない。所謂、寄らず、入らずというダボである。困ったものである。こんなはずではなかったという感慨と自分自身への惨めさが増してゆく。おまけに、女房殿と一緒のプレーだから、おまけのレディース・ティーからだから、距離も短く、イージー・スコアの筈が、パーも一向にとれず、結局、52という、ボギー3つのみで、散々なスコアで、薄暮プレーだから、ハーフで、今年初めてのゴルフは、終了しました。昔なら、帰りに、即、練習場で反省の練習と修正ですが、もはや、その必要も無く、出たところ勝負の有様である。次回は、8月にでも、又、挑戦してみることにしようかな?もう、スコアよりも、ゴルフが出来れば良いかなと言う方へ、大きく、傾き始めています。それにしても、ゴルフの腕が衰えてきました。後は、いつまで、出来るかというところまで、来たようです。昔みたいに、一打一打のデータもとりませんし、反省も今や、する気力も失せました。あの頃の情熱が懐かしいですね!それでも、やっぱり、ゴルフは、楽しいですね。

これで、連続満員御礼というのは、本当なのか?:

2015年05月26日 | スポーツ
これで、連続満員御礼というのは、本当なのか?:
別に、相撲ファンでもないし、かといって、アンチ相撲ファンでもない、まぁ、大相撲が開催されていれば、テレビ観戦を愉しまない必要もないので、毎場所、みることにしているが、何でも、連続して、満員御礼だそうである。そえは、果たして、相撲人気のバロメーターなのであろうか?結果としては、観客動員数というモノが、一つのバロメーターであることには、変わりはなかろうが、、、、、、相撲の内容や、将来の展望を見たときに、本当に、そうなのであろうかとも、素人目には、映ってしまう。所詮、ひとり横綱の時代から、よく頑張ってきた白鵬にも、流石に、金属疲労の影が見られてきたし、万年、日本人横綱を期待されてきた稀勢の里にも、ここぞという一番で、毎場所、期待を裏切られて、今更、おしん横綱を期待する程の勢いも、最近では、みられない。他の大関陣に至っては、なにをやであろう。それにしても、相変わらずのモンゴル勢の照ノ富士、逸ノ城の大関争い、など、まるで、政界での一強他弱ではないが、同じような状況であろう。かつて、横綱に、駆け上がっていった過程を、各種のデータベースで、年齢とか、勢いとか、ライバルとか、各種の要素を解析した結果、やはり、ある種の「勢い」と、「ライバルの賞味期限」とが、関係しているそうである。換言すれば、勢いよく登ってくるときに、トップが、ライフ・サイクル上で、下降傾向が見られるときに、まるで、エアーポケットのように、逆転現象がみられるそうである。そういうことから、考えると、自己の情況と外部状況と、うまく、それらが、合致したときに、どうやら、下からの「新しいうねり」が、みられるのかも知れない。はやく、そういう局面が、ファンならずとも、観たいものである。演じる側の質もそうであるが、観る側の質は、どうなのであろうか?(千秋楽を前にして)

予行演習のサイクリングは、結構きつかった!:

2015年05月23日 | スポーツ
予行演習のサイクリングは、結構きつかった!:
自転車での旅となると、それなりの時間をずと、自分の脚で、漕がなければ誰も助けてはくれない。有明のフェリー埠頭までの距離は、約25キロ弱だから、ナビタイムの自転車では、2時間一寸の予定である。もっとも、実際に、走ってみて、初めて分かったことであるが、成る程、地名に、坂上とか、坂下とか名付けられているところは、確かに起伏が激しい。又、車で、走っていると感じられない起伏が、一件、平坦にみえても、どっこい、これが、結構、傾斜がついていて、存外、きついものである。又、信号待ちなどのロス・タイムが、都心部では、重なり、結構、トータルでは、ダウンタイムがあるモノであることが分かる。結局、途中休憩などで、2時間30分というところであろうか?膝や腰は、大して苦痛ではなかったが、サドルが、おしりに食い込んで、結構、痛い物である。長時間の運転に何らかの対策を打たなければならないだろう。それにしても、外人のサイクリストが多いのには、驚かされる。こちらは、シティー・サイクルの自転車だから、どんどん、追い越されてゆく。しかも、車道が怖いから、舗道の端を歩行者をかき分けながら、走らざるを得ないから、その速度も、所詮、知れている。スマホの地図アプリを頼りに、ルートを検索設定して、時々、時間と走行位置を確認しながら、結構、便利である。まぁ、天気が良かったから、スムースに行けたが、これが、雨でも降ろうものならば、もっと、時間も掛かろうし、都市部の高層ビルのひどい向かい風にも悩まされるということが、良く認識された。そえにしても、往復5時間ほどのサイクリングというモノは、結構、厳しく、明日は、間違いなく、筋肉痛であろうか?本番が、おおいに心配である。

プロ野球の順位予想は何故当たらないのか?:

2015年04月22日 | スポーツ
プロ野球の順位予想は何故当たらないのか?:
野球の解説者、或いは、評論家というものは、実に、責任がなくて、おおいに、宜しい、もっとも、ひとつだけ、その頭を悩ますのは、毎年、順位予想なるものである。これが、毎年、当たっている専門家が、とりわけ、野球の場合には、何人いるのであろうか?マンを持して、解説者から、監督になったとしても、これが、なかなか、思うように行かないのはどうしたものであろうか?一体、何が原因なのであろうか?素人目には、実に、これが、おかしくて仕方ない。今年も、今のところ、最下位に予想されていたようなチームが、首位に立っていたり、逆に、優勝予想とされていたチームが、両リーグとも、最下位になっていたとか、要するに、実績通り、或いは、評判通りに、期待通りに、活躍出来ているのか、それとも、していないのか?能力評価がプラス、或いはマイナスになっているためなのだろうか?素人目には、実際、よく分からない。卓球とか、サッカーとか、ゴルフとかは、ある程度、順位予想が、その実績で、判断されて、大きな番狂わせは、ないように、思われるが、野球評論家の査定は、はてさて、シーズン終了後には、どうなっているのであろうか?そういえば、あまり、番組でもBefore & Afterの査定表かは、サラリーマンとは、異なって、行われていないように思われるが、、、、、、、。野球技術の評価や解説とは、順位予想なるものとは、異なるものなのであろうか?ノムさんに尋ねてみたいところである。考えてみれば、為替予想も、株式相場の予想も、野球の順位予想と同じく、当たった試しがないことも、事実であろうから、それ程、気にすることもないのかもしれない。

真壁のスィーツとハスキー本間コンビ:

2015年04月05日 | スポーツ
真壁のスィーツとハスキー本間コンビ:
私、プロレスの味方です、ではないが、世に憚られる隠れプロレス・ファンである。といっても、最近では、余り、テレビの試合を見なくなっているが、、、、、、。この世界では、ベビー・フェースとヒールが、ハッキリしていて、どちらかと言えば、真壁もそのタッグを組む本間も、ヒールであることは、間違いなさそうである。そんな眞鍋が、一人前に、最近では、スウィーツの本まで、出版しようとは、誰が想像出来たであろうか?昔、横綱、大乃国が、あの大きな身体に似合わず、引退後に、スウィーツ好きであることを表明して驚かされたが、流石に、プロレスラーのヒールの第一人者である真壁が、スウィーツを食べながら、結構、様々な番組で、まともなコメントをしているのを聴くと、そのギャップの大きさに、改めて、ビックリさせられる。案外、その言動は、計算し尽くされた頭脳明晰なのかも知れない。恐れ入ります。同様に、本も、今や、引退した天竜のしわがれた声の後継者として、喉に激しいラリアートを食らったために、声帯に支障が生じて、ハスキー・ボイスになってしまったのかは、分からぬが、その憎めない馬鹿っぽい軽いキャラクターとも相俟って、なかなか、いい味を出しているではないか?しかも、もういい年で、40手前であろうか?プロレスラーとしての人気もさることながら、こういう特異なキャラの売り込みの仕方というものも、プロレスは、一種のレスラーというキャラクターを世に、如何にして、売り込むかというマーケティング戦略みたいなものの一環が、今日、必要・不可欠なのかも知れない。そう言えば、昔は、女子プロレスも、リングの上で、紙テープが乱舞し、歌や踊りでメイン・イベントが始まる時代があったが、今や、顔面破壊などと云う男顔負けの真剣勝負に、活路を見いだしているのであろうか?それとも、新たなマーケティング手法を試行錯誤、現在進行中、模索中なのであろうか?それにしても、最近のヒールは、一流のスウィーツの食レポといい、何を言っているのか聴きとれないハスキー・ボイスが、人気を博するとか、ヒール・レスラーも、幅が拡がって宜しいではないか?そう言えば、昔、読書家のジャイアント馬場が、新潮社か、何かの宣伝に、出ていたことを想い起こす。本業のプロレスでも、バラエティーなどでも、活躍することを祈りたいものである。

素人の目で楽しんで観る全豪オープン・テニス中継:

2015年01月23日 | スポーツ
素人の目で楽しんで観る全豪オープン・テニス中継:
スポーツは、少しでもやったことのあるものであれば、理解も早く、解説者のコメントも理解出来るが、プロの中でも、世界的なレベルに達してくると、恐らく、生で見るのと茶の間でテレビ観戦するのとでは、大違いだろうであろうと云うことくらいは、単純に、分かろう。生の音やその場の雰囲気というものは、なかなか、画素が発達し、画面がクリアに、大型化しても、なかなか、実感が伝わってこないであろう。テニスは、個人的には、所謂、ソーシャル・プレイヤーであり、相手の嫌がるところに、球を打ち返すのではなくて、如何に、ラリーが長く続けられるかを楽しむのが精一杯である。従って、プロの試合のように、如何に、相手の嫌がる球を戦略的に、或いは、戦術的に、打つかと謂うことは、まさに、私にとっては、論外の又、外なのである。そもそも、第一サーブのスピードが、200キロ以上にも達するようでは、もはや、バッティング・センターで、速球を打ち返すどころの話ではない。昔、一寸、上級者とテニスをやったところ、余りに、打球に回転が強く付いていて、手前で打とうとしたら、急に、自分側に、曲がってきて、ラケットをはじき返されたことを想い起こすが、試合の解説を聞いていると、なかなか、面白い。データの分析等というものは、所詮、結果ではあるのであろうが、大変興味深い。必ずしも、世界ランキングの上位だからといって、下位の選手に勝つとは保証がないのも面白いスポーツである。サーブ権があるときの第一サーブでの勝率とか、第二サーブの成功確率とか、勝率とか、単純ミスの確率、或いは、コンピュータによるボールの打った場所の分類など、なかなか、その分析が面白いではないか?興味深い科学的なデータ分析である。試合途中でも、教えて貰いたい物である。そうすれば、テニスの愉しみ方も変わってくるかも知れない。前後・左右・ライン線上、おまけに、最近では、判定に、選手がアピールして、センサー判定を三度、再確認出来るなど、なかなか、面白い。又、ネット・インしたりしたときには、紳士・淑女のスポーツであるから、相手に、失礼というような仕草を行うことも、ある種のプレイヤーとしてのマナーとして、行われるとか、如何にも、ゴルフもそうであるが、歴史的な貴族文化を反映したスポーツのような気がしてならない。それにしても、どんなスポーツも、ここ一番という、試合の勝敗が決する潮目の変わり目という瞬間があるもので、そこで、ミスを犯した方が、必ず、敗れてしまうものであることが、テニスの競技を観ていても分かろう。ブレイクをとれるかどうか、ジュースに、或いは、タイ・ブレイクになったときに、どれ程、踏ん張れるか、或いは、その瞬間に、ギアを意図的に入れることが出来るのかどうかということであろうか。言葉で言うのは容易いことであるが、実際、現場で、その瞬間に実行しようとすれば、大変なことであろう。それこそが、世界ランキングベスト10に入る者かどうかが、分かれるところなのであろう。それにしても、2時間も3時間も、一人で、孤独に、作戦を練りながら、サーブやストロークの打ち方を適宜変えて打ち分けるのは、大変であろうし、そういう戦いかたをするスポーツもこれ又、大変なスポーツである。相手に打ちやすいボールを如何に打ち返すかに主眼を置くソーシャル・テニス・プレイヤーであって、良かった。打ちやすい球を打つことと、打ちにくい球を打つことの大いなる違いを思わずにはいられなかったが、考えてみれば、プロは、打ちやすい球を打つことも当然、容易なのであろうが、、、、、、、。

広島、黒田に男気を感じる:

2015年01月06日 | スポーツ
広島、黒田に男気を感じる:
別に、広島出身でもないし、かといって、カープ女子ならぬ、カープ・ファンでもない。あえて、云えば、往年の懐かしき良き時代の草野球少年、プロ野球ファンであろうか?野球という球技は、個人プレーを基礎とするものの、やはり、団体スポーツでもあろうか。それも、主力のリーダーによる模範的な精神的な支柱と云った眼には見えない何らかの影響が、若い選手達に、無言の指導をすることにもなろう、そんな団体競技なのかも知れない。あまり、表だって目立つような選手でもなかった黒田が、メジャーで、二桁の勝利を何年にも亘って連続して、上げると云うことは、並大抵のことではない。広島入団時に、ドラフト何位で、入ってきたか知らぬが、それ程、華々しく、注目を浴びて入団したのであろうか?そんな玄人好みのするこうした燻し銀的な選手も少なくなってしまった。カネを積まれれば、サッサと、優勝する可能性の高い球団へ移籍してしまうようなそんな風潮は、今日の社会の裏返しでもあろうか?その意味で、10数億円にも登るであろうと思われる提示金額を蹴っても、古巣の広島カープのユニフォームを、MLBのピンストライプから、改めて、着替えると云うことは、並大抵の心意気ではない。まさに、野球人としての賞味期限を知り尽くしたプレイヤーの誇りと男気をそこには、感じざるを得ない。とりわけ、帰国後の春キャンプ参加での若手の有望選手に対する無言の、或いは、有言のアドバイスは、技術的なものよりもむしろ、「精神的なもの」の方が、大きく、作用するのかも知れない。野球ファンとしては、一体、どんな効果をもたらすのかが、楽しみである。とりわけ、カープ躍進の原動力になりつつある中堅・若手の選手達への影響は、並大抵のモノではないであろう。短期的なものだけでなく、練習や実践の中で、中期・長期に亘っての良い影響が、波及することは、間違いないところであろう。眼に見えない効果は、カネでは買うことが出来ない+アルファーを生み出すことになるでしょう。これで、イチローなどが、古巣の阪急にでも戻ってくれば、おおいに、日本のプロ野球も、さぞかし、面白いことになる可能性もあろうが、なかなか、そう一挙には、ゆかぬものでありましょう。目立たぬ燻し銀的プレイヤーの加入で、どんな成長を若手に与えるのかを試合の中で、観ることも、今年のプロ野球は、楽しみであります。逆説的に言えば、金満球団内で伸び悩みの若手には、何が足りないのかを考えるきっかけにもなりそうな気がしてなりませんね。今年は、カープの黒田投手に、注目したいところです。

今期第二戦の出来は?:

2014年07月28日 | スポーツ
今期第二戦の出来は?:
いやはや、高原の気候というものは、東京とは全く異なるものである。猛暑から、一転、前日の夜は、もはや、肌寒いと表現した方が、良いくらいで、長袖のパジャマと毛布が必要で、窓はもちろん、しっかりと締めきっていないと風邪を引きそうである。そのせいなのか、真夜中に、左脚が、冷たかったのかは、分からぬが、夢見心地の中で、つること再三で、左脚に、力が入らない。只でさえ、腰がふらつく状態なのに、今期2戦目は、先が思いやられる。高原のゴルフ場だから、標高が高く、景色も良いが、流石に、スタート時点では、半袖では、肌寒く感じられるほどである。昼食時には、レストラン内の温度が、24度、湿度、41%と云う何ともビックリするような温度・湿度計が、表示している。黄色なニッコウキスゲの花や、紫色のラベンダーの花々が、綺麗に咲き乱れている。やっと、陽が出てきたせいか、気温が上昇し始めて来たものの、高原の風は、相変わらず、気持ちが良い。その割には、残念乍ら、今期2戦目の戦績は残念乍ら、芳しくはなかったが、唯一、ショート・ホールで、夫婦揃って、パーをとれたので、それだけで、良しとしようか?プレイ終了後は、ゆっくりと風呂場で、景色を見下ろしながら、汗を流して、本日のプレイを無事、終了致しました。いつまで、夫婦で、ラウンドできるかは、分からぬが、できる限り、出来る間は、やりたいものである。

ワールドカップ最終強化試合に考える:

2014年06月08日 | スポーツ
ワールドカップ最終強化試合に考える:
別に、サッカーファンでもなければ、ワールドカップに拘るものでもない。敢えて言えば、スポーツ観戦が好きなだけなのかも知れない。どうも、スポーツは、というよりも、勝負事というものは、たいてい、対戦前に、余りに、期待しすぎると得てして、ガッカリさせられるものであることは、これまでの経験上、分かっている。なでしこに較べて、男子サッカーの日本代表は、どうも、試合の開始早々に、弱く、球際や競った時に、安易に、ボールを奪われたり、ミス・パスしたりと、なかなか、瞬時の判断や、ここぞという時の勝負に、いつも、弱いような気がしてならない。とりわけ、ここ一番のメンタルの弱さや、判断の遅れが致命的で、ゴールできるかとおもうと、逆に、外したりしてしまうのは、一体、どこに、原因があるのであろうか?ネイマールのようなミラクル・ボディーを有する超一流選手の科学的な動きと判断力の解析を試みた映像を観るにつけ、やはり、そこには、科学的・合理的な必然性があることが初めて理解出来る。だからこそ、こうした科学的・理論的・合理的なコーチングやレッスンが、子供の頃からも、遊びや運動の中にでも、不可欠なのかも知れない。メンタル・トレーニング以前の基礎的な運動解析が必要なのかも知れない。これまでは、一度、先行されたり、追いついても、又、抜かれるだろうとか、逆転されると、もう、これまでと思いがちであるが、最近では、どうも、事情が異なり始めているようである。今回も、後半に、追いつき、追い越すと、又、同点にされてしまい、これまでの実力であれば、せいぜいが、引き分けくらいだったのに、何と、大久保の難しい縦パスからを受けてからのワン・タッチ・ゴールで、突き放し、そのまま、危険な終了間際の時間帯も克服し、なんとか、試合が終了した。それでも、ワールドカップに、期待することは、まだまだ、微妙なものがあろう。日本人の心配性で、事前に良すぎても駄目だし、逆に、駄目でも、いずれにせよ、どちらに転んでも、心配してしまうし、あれこれと、批評してしまいがちである。はてさて、この結果は、実際の本番では、どうなることであろう、あまり、期待しないで、観戦することにしようか?それにしても、地球の裏側だから、試合時間が、気になろう。ライブは難しいかな!

ボクシングのチャンプとは?:

2014年05月13日 | スポーツ
ボクシングのチャンプとは?:
どうも、ボクシングというスポーツは、客観的な実力の評価とか、戦前の情報戦も含めて、えこ贔屓過ぎるスポーツではないだろうか?それは、丁度、自らの願望やら、期待がいつも一人歩きして、いつしか、それが、勝利という毒のような悪夢すらも、忘れてしまうところがあるようである。それは、ファンのみならず、スポンサーや放映権を有するテレビ局をも、その毒に犯されてしまうかのようである。井岡の三階級制覇への挑戦などは、その最たるモノではないだろうか?素人が、どんなに贔屓目に観ても、懐に入り込めない以上、有効なパンチなどは、そのリーチ差からも歴然ではあろう。ましてや、年齢差とその老練なキャリアから、そのハングリー精神から拳ひとつで、タイの刑務所から這い上がってきたそのチャンプは、当然、失うべきものが大きく違っていたのかも知れない。技術的には、明らかに、圧倒的に挑戦者井岡の負けは、歴然であろう。綺麗なノック・アウトも、試合的には、或いは、興行的にも、望ましいのであろうが、実際、もっと、こうした一種のドロドロした、やや、汚らしい、いやらしい試合も、何か、日本人の生き方や、世界の中での日本人の在り方を見せつけられたようで、実に、面白いではないか?社会の底辺から、のし上がってきたタイのチャンプに、挑戦者の天才、井岡は、もっと、学ばなければならないのかも知れない。汚い面白くない試合、チャンプが逃げ惑うばかりの試合といってしまえば、それまでであるが、私には、どうしてどうして、日本人の有していない、むしろ、忌み嫌うような要素を観られて、実に面白い試合であったと云って良かろう。もう、何でも金満で、金にものを云わせて、世界戦も自国興行権もすべて有無を言わさずに、思うがままに、行おうとするボクシング業界は、逆説的に、ある種の人間像を投影しているかのようである。ボクシングも、そんな風に、観ていると面白いものである。

二十歳の井上新チャンピオンに期待する:

2014年04月09日 | スポーツ
二十歳の井上新チャンピオンに期待する:
具志堅用高・井岡以来の天才肌の若いチャンピオンの誕生である。確かに、ボクシングという競技は、相手のパンチをかわしながら、有効打を打たせずに、自分が、逆に、有効打を打ち出せることが可能であれば、これ程、容易い競技はない。減量苦による太腿の裏がつるというアクシデントにも関わらず、第1ラウンドから、なかなか、非凡な才能が垣間見られたものである。それにしても、未だ、6戦目という快挙である。若ければそれで良いというモノでもないし、又、若いから、駄目であると云う必要も無い。強くなければ、世界チャンピオンにはなれないものである。又、幸運を持っていなければ、これ又、世界チャンピオンには、なれないものである。すべてを兼ね備えて、タイミング良く、自分のコンディションも良くて初めて、様々な要素が勝利に繋がることがない限り、チャンピオンにはなり得ないものであろう。ボクシングというスポーツは、努力と根性で、ハングリー精神で下から這い上がってくるような八重垣のような世界チャンピオンもいれば、井上のような天才肌のチャンピオンがいても宜しいではないか?八重垣が、自ら、防衛後に、観客に、井上選手の勝利を確信して、応援を送って下さいとアピールしたのも、宜しいではないか?いささか、最近では、亀田父子鷹のような関係性ではなく、違った形での父子鷹が、出てきても良さそうなものである。井岡と良い、井上といい、正統派ストロング・タイプのチャンピオンの誕生は、ボクシング・ファンならずとも、何か、次の試合を見るのも、又、ワクワクしてきそうな気がしてならない。今では、バラエティーで、笑いの的になっている具志堅用高も、曾ては、冠鷲の異名を取ったハード・パンチャーだったことを改めて、想い起こす必要があろう。二十歳で、横綱になったつもりで、今後も、防衛を重ねて、防衛回数の新記録を樹立してもらいたいものである。それは、ボクシング・ファンならずとも、門外漢の私ですら、期待するところである。


「大器」と 「未完」に思う:

2014年03月22日 | スポーツ
「大器」と 「未完」に思う:
何でも、相撲の琴欧洲が、引退すると云うではないか?引退会見の時に見せたこの元大関の悔しさと言うのだろうか、体力と気力とが、一致しない虚しさが、何とも、淋しそうであった。先代の佐渡ヶ嶽親方が、入門当時おおいに見込んだ「大器」とは、裏腹に残念な結果になってしまったものである。「大器」とは、辞書によれば、才能があり、器が大きいことであるそうであるが、語彙としては、「未完の大器」とか、「大器晩成」とか、何とも、大器が、既定路線通りに、或いは、期待通りに、能力を開化させるような言葉が、余り見当たらないのは、どうしたことであろうか?和英翻訳では、rough diamondとか、 late bloomerとかという表現が垣間見られるが、実に解り易く、そこには、何とも、磨かれることなく、遅咲きというよりも、蕾が、いつの間にか、萎れてしまいそうなそんな感慨が裏にあるようにも感じられる。それにしても、アスリートである以上、怪我が、一番怖い存在ではあるのであろうが、同じ、欧州出身の引退した元大関のバルトにしても、琴欧洲にしても、共通するのは、怪我が、その潜在的な能力を、結局は、潰してしまったことになるのであろうか?相撲の神様は、所詮、持って生まれた体力だけでは、微笑んでくれないのであろう。誰が優勝するかは、全く、分からないが、稀勢の里も、うかうかしていると、未完の大器と呼ばれて、終わってしまうことになるのであろうか?私は、そんなに、急いで横綱になる必要は無いと思っていたが、ここ最近では、そうも言っていられない情勢であろうか?怪我から癒えた遠藤は、果たして、どうなるのであろうか?その間隙を縫って、鶴竜が、ひょっとすると、するっと、抜け出すのであろうか?性格的に、共通するのは、おっとりしていて、性格が宜しく、張り手ばかりを喰らっている力士なのであろうか?門外漢には、よく分からぬが、、、、、デーモン閣下に解説でもして貰いたいところである。


浦和レッズに、レッド・カード!:

2014年03月15日 | スポーツ
浦和レッズに、レッド・カード!:
一昔前には、サッカーの熱狂的な無謀なファンとして、「フーリガン」なる言葉が、一世を風靡していたが、いつのまにか、風の便りにも、聞こえてこなくなってしまったのは、FIFAによる徹底的な取り締まり勧告とマナーの向上策の強化が背後にあった為なのであろうか?いずれにせよ、ネオナチばりの民族排外主義者によるスポーツに名を借りた無謀な行為は、取り締まられて然るべきであろう。その延長線上で、考えてみれば、人種差別的な横断幕やスポーツ競技での類するような行為は、当然、万国に共通する、共有されるべき「スポーツ精神」に準拠して、浦和レッズへのJリーグによる厳しい処分は、当然であろう。とりわけ、オリンピックを想定しての海外アピールではあるとしても、こうした民族排外主義的な言動や行為は、ヘイト・スピーチも含めて、許されてはならないであろう。しかしながら、何故、一部の人間が、、、、とか、浦和レッズと言う団体が、何故に、自主的に、内部から、こうした動きに対して、対処できなかったのであろうか?或いは、サッカー・ファンの中からも、どうして、そうした声が盛り上がらずに、最終的には、Jリーグという上部団体の「お上の声」でしか、無観客試合と云う処分でしか、解決できなかったのか、私には、極めて、残念な結果である。出来なかったからこそ、Jリーグ主導で行われたのであると云ってしまえばそれまでであろうが、、、、、。民主主義とは云わないまでも、下からの自主的な理念に対するうねりとか、意識改革が盛り上がらない限り、形式主義的な形での処分、海外向けのアピールであって、日本人の中に巣喰う眼に見えない「真の内なる人種差別主義」との闘いは、どうしたものであろうかとも、思わざるを得ない。英断と云えば、英断であろうが、何故、上部団体の手を借りてまで、自らの手で、自主的に、抑えられない程、人種差別に寛容であったのであろうか?真剣に、プレーするアスリートこそ、良い迷惑であろう。一件、落着とは、云えないであろう。何も人種に限らず、「あらゆる差別主義」と闘わなければならないことは、云うまでもないことであろう。それは、スポーツの世界に限られたことではない。広く社会に蔓延する何とはなしに、忍び寄る「民族排外主義」とい見えない風潮と闘うことであることを教えてくれるが、どのようにこれを阻止したら良いのか、考えさせられる。



ショート・トラックで垣間見られる隣国の国民性:

2014年03月12日 | スポーツ
ショート・トラックで垣間見られる隣国の国民性:
何とも、実に、面白い競技である。まるで、民族性丸出しの競技ではないだろうか?それにしても、日本人には、少なくとも、この競技というものは、あまり性格上、向いているとは思えないが、、、、、、。兎に角、人を押しのけて、更には、見えないところで、妨害したり、ぶつかったりと、写真判定とか、スロー・ビデオでチェックしない限り、みんな見つからなければすべて、OKという、或いは、先頭集団が転倒でもすれば、一番後方のビリが、金メダルとか、まあ、そういう競技と云えば、それまでであろうが、何とも不可思議な競技である。とりわけ、韓国は、お得意の種目とかで、中国とは、毎回、因縁が生じ、その結果、国家をあげてのお決まりの中傷合戦が行われている。実力が発揮されずに、それ以外の要素で、順位が決まるという競技は、本当に、スポーツとして、如何なものなのであろうか?否、逆に、だからこそ、面白いのであるという議論もあろうが、、、、、、どうしたものであろうか?スポーツ競技と「国民性の相性」というものは、何処かで、関連性があるのであろうか?人を押しのけてまで、あそこまで、やるのか?何とも、複雑な思いで、これらの競技を得意とする隣国人達の仕草をみるのも、又、この競技の愉しみ方の一つであろうか?どうしたものであろうか?オランダは、あれ程、スピード・スケートで、圧倒的な強さを見せたのに、ショート・トラックは、どうだったのであろうか?興味深いところである。タイムを競うのではなくて、万事、結果としての順位を競うところは、「すべて、勝てば官軍」という人生模様が垣間見られて(?)面白いと言えば、面白いが、転倒して、メダルを逃したアスリートに帰国後待ち受けるであろう国を挙げてのバッシングは、たまったモノではない。観ている分には、面白いが、、、、、、。