<若い人の声が聞こえてこないのは、何故だ?!>:
もう、何年も、国が瓦解し、溶けてしまうのではないかという危惧を、歳を重ねるにつれて、感慨ひとしおである。学生の頃、徹夜して、友人の下宿で、喧々諤々、天下国家を論じたというのに、今や、安保法制反対運動以来、若い人からの声が、聞こえてこない。代わりに、聞こえてくるのは、悲惨極まりない親からの虐待死亡事件や耳と目を疑うようなバイテロとかいう、考えられないような風潮で、民事訴訟損害賠償請求金額を、バカ親は、本人に替わって、支払うのであろうか?まぁ、そんなことはどうでもよろしいが、一体、<若い人の声は、どこへ、消えてしまったのであろうか?>、これほど、SNSが、喧伝されているにも関わらず、就活や婚活や日々の生業に明け暮れしていて、それどころではないのであろうか?まるで、言葉を失ったかのような息苦しい状況の中で、不作為や、未必の故意、無責任、無自覚、不条理、諦め、傍観、まるで、一昔前、例えられたような<茹で蛙>状態が、現在進行中で、このままでは、昭和恐慌頃の<テロルの正当性>も、決して、否定しきれない状況ではなかろうか?言霊をないがしろにする者は、結局、行為そのものをも、軽んじることになり、論理のすり替えや、真っ向議論を回避する手法で、アカウンタビリティーも、一切無視する人間は、結局のところ、墓穴を掘るのであろうが、それでも、今日、ほっかぶりと人の噂も、75日を過ぎれば、退職金もたんまり、そういうことなのであろうか?
人の年齢は、何で、推し量るのであろうか?最近、橋本治や堺屋太一などの訃報に接するたびに、考えさせられてしまう。体の芯底から、沸々と溢れ出んばかりのエネルギーと煮えたぎるようなギラギラした情熱を滾らせる若者を、どこにいるのであろうか、齢を重ねても、生き生きと最後の瞬間まで、生き抜いてきた故人に、どうしたら、そんな風になれるのであろうかと思い描く日々である。
人生など、若い時には、自分の思い描くようなことを思いっきり、やっても良いではないか?一回きりの人生、失敗しても、今の日本では、天安門事件時の戦車の砲身の前に、立ちふさがった若者や、その砲身を背けた解放人民軍の若い兵士にしても、どちらも、今、どうしているのかと思い巡らす時、対極的に、ハロィーンの渋谷の街頭で暴れた若い人は、一体、どれ程の違いがあるのかと思ってしまう。
そんな最中、たまたま、イトーピア小諸管理に隣接する区域で、太陽光発電の工事による自然破壊と里山原風景が破壊される危惧があり、更には、小諸市当局が、生活環境課を窓口として、環境条例のガイド・ラインの運用強化ではなくて、真逆の方向である、緩和策を検討しているという方に接し、昔の若者である年寄りが、声を発した次第である。
下記、8ページに亘る長文ですが、ご一読の上、その地区地区で、コラボしつつ、声をあげてください。
(引用):
<私達は、小諸市大久保のイトーピア別荘地の住民です>。近隣の小諸市御牧ヶ原台地で、現在進行中である、太陽光発電パネル工事による<里山原風景と自然・生活・環境の破壊>に対して、小諸市当局は、生活環境課をはじめとして、環境条例の規制を強めることなく、むしろ、逆方向の緩和策へと、舵を切ろうとしています。個人の自主的な責任ある確固たる意思と行動の下に、地域を超えて、一人一人が、この問題の本質を理解するとともに、その意思と行動で、コラボ、相互支援できる体制を整えるべく、下記するアピール文を、SNSを通じて、皆様に告知公開することとし、その第一歩を記すことと致します。
<小諸イトーピア別荘地周辺間際の太陽光発電所設置に反対します。>
皆様による、その#シェアー #拡散 #リツイートをお願い申し上げます。尚、個人の意見を最大限度に尊重をするものの、最低限の社会的な通念に基づきつつ、且つ、非民主主義的なモラルを逸脱するような言辞は、自ずと抑制されて然るべしとするガイドラインを設けることとしています。これまでの運動とは異なる新しいモーブメントを展開できるように、高校生・若者から、お年寄りまで、或いは、日々の生活に追われている壮年の皆様も含めて、芸術・音楽・アート・農業・林業・公務員・市議会議員・主婦業・観光業・ワイン栽培業など、様々な分野で、ご活躍している方々が、自らの声を大にして、<双方向で、インターアクティブに、地域、年齢、時空を超えて、情報発信、相互交流できるように>、運動を進めてゆきたいと考えております。どしどし、リンクが、拡大指定ゆくこと、又は、その手助けをしていただける方々の支援を期待してやみません。
添付ファイルは、8ページに亘るものですが、まずは、お読みください。今後、適宜、意見表明を様々な形で、行ってゆきますので、ご支援お願いいたします。
住民への配慮を欠いた小諸市の太陽光発電所設置のガイドライン(小諸市長の2018年12月4日の市議会答弁を批判する!)
1. 太陽光発電所設置は、はたして、原発に代わるクリーンなエネルギーだ
ろうか?
東日本大震災による福島第一原発事故以降、国策として原発に代わる環境にやさしい再生可能なエネルギーの導入の一つとして、太陽光発電が重要視されている。しかし、国策として自然エネルギーの活用の一つとしての太陽光発電所設置は、家庭用の太陽光発電所設置以外は、自然環境や住居・生活環境、耕作環境にマッチしていません。長野県小諸市の太陽光発電所設備設置のガイドラインによると、小諸市は住民の意思を無視して、この国策に沿った太陽光発電所設置を推進をしている。
ところが、太陽光発電所が設置された周辺では森林は伐採され、水の流れが変わり、ソーラーパネルの下にシートを敷き詰めるか、あるいは、シートを敷かずに除草剤を撒いて雑草が繁茂しない処置が施される。シートを敷く場合は、雨水などの処理は浄化槽を通して処理し、土壌の保水能力が低下するとともに、乾燥化が起こる。一方、シートを敷かない場合は、除草剤を撒くことによって、土壌は除草剤で汚染される。いずれにしても、土壌の乾燥化や除草剤による汚水により、大地から再び緑を取り戻すことは難しいことになる。特に数年前から農地法の規制を緩めた結果、耕作地は耕作以外の利用が可能になり、休耕地に太陽光パネルを設置した場合には、再び耕作地には適さない。耕作に適した地力の回復には長時間かかることであろう。さらに、ソーラーパネルは、埃などで汚れると発電力量が下がるため、定期的に洗浄剤を撒いて洗浄しなくてはならない。休耕地や民有地、土地改良区についても太陽光発電所を設置した場合も、上記で述べた様に大地は汚染される。
さらに、太陽光発電所が住宅地周辺に設置された場合、まず、緑は失われ、景観が変貌する。ソーラーパネルからの反射光は、まぶしいだけではなく、私達が住んでいる里山の風景を失わせるものでしかない。ソーラーパネルの設置によって、周辺の気温は少し上がりますが、ソーラーパネルの洗浄剤散布は、住居・生活環境・耕作環境に悪い影響を与えるものである。
また、太陽光発電所設置に伴って、水の流れが変化し、さらに汚水が地下に浸透することによって、田や畑に影響を及ぼすことになる。つまり、太陽光発電所の設置は、自然環境を破壊し、住居・生活環境を害い、耕作環境には好ましいものではない。家庭住宅用の太陽光発電は、2009年11月から固定価格買取り制度(FIT)は開始されたが、今年で10年目を迎える所では、2019年11月でFITは終了する。約53万件、約200万Kwの太陽光発電所に対するFITは終了すると言われている。
2年前から九州電力では、太陽光発電による電力量が日によって増大した時に、この太陽光発電所からの発電力を使用せず、9回も止めたことがあります。稼働中の原発を急に止めて、また復旧させることが困難であるという理由によるものですが、九州地方における地震災害・火山災害などを考慮すると、原発稼働は避けるべきではないかと思う。
FIT終了後、年を経てソーラーパネルの廃棄処分の時期に至ったとき、事業者は実際に廃棄処分をするであろうか。小諸生活環境課の課長Y氏は、廃棄処分費用は、FITで対応すると述べているが、現在、メガソーラーに匹敵するパネルを廃棄できる業者は存在しない。さらに、ソーラーパネルの廃棄処分には莫大な費用がかかることが指摘されている。廃棄処分前に、事業者は太陽光発電の権利を他者に譲渡するか、雲隠れするのではないかと懸念されている。他市の事例を参考にすると、事業者が太陽光発電所の設置をして、稼働した段階から得られる利益の一部を、市側はパネルの廃棄処分に充てる費用として、市に収めさせる動きがあります
太陽光発電所が廃棄されないまま放置された場合、ソーラーパネルに使われているシリコンをはじめとする数種類から十数種類の重金属類が大地を汚すことでしょう。
2. FITについての様々問題点が現われている。
朝日新聞(2019年1月26日朝刊)によると、太陽光発電のFIT認定を受けた事業者が、太陽光発電所の設置をしないで、FIT認定の権利を売買したり、無秩序な自然破壊や住民とのトラブルを招いたりするなどの問題が、全国的に続出し、国や自治体がどうやら規制に乗り出そうとしている。例えば買取り固定価格を下げることや、太陽光発電より風力発電に比重を置く政策をとることなどが報じられている。また、新聞報道などで、電力会社がFITで支払った費用は、各家庭の電力料金に上乗せされていて、その総額は約2兆円~3兆円とも言われてきたので、政府も検討せざるを得ない現状になってきている。
3. 森林を失うと里山は滅びる。
昔から、森林を失ったことによって文明が滅びた事例が沢山あります。
古代のギルガメシュ物語もその一つで、ギルガメシュ王が友人のエンキムドゥと共に森の神フンババの退治に出かける物語である。このフンババは、そびえ立つレバノン杉の森をまもり、人間の欲望から森が破壊されることから守ってきた。ギルガメシュ王はこの美しい森を伐採し、ウルクの町を立派にして、幸福になることを目指した。そのためにフンババは退治され、レバノン杉の森は消滅した。
実際、古代では、レバノン杉は真直ぐに成長するため、船を造るのに最適なのでレバノンの杉を使って船を作り、地中海の諸国との通商で栄えた国が、レバノン杉を伐採し過ぎた為に森を失い、文明が滅んだことを物語っています。東京新宿区にある新宿御苑には、まっすぐに成長した立派なレバノン杉を観ることができる。中国ではシルクロードで栄えた楼蘭もオアシスが枯れて砂漠の中に埋もれてしまいました。最近では、中国の黄土高原の森林が少なくなり、
河川や空気は汚れ、PM2.5が付着した黄砂が日本まで到達してきています。
一方、日本の江戸時代、信州飯山地方の鍋倉山周辺のブナ林を役人たちが伐採しようと来た時に、農民たちが「どうぞ、ブナ林を伐採してください。伐採すると田んぼに水が入らなくなり、納める年貢の石高が減ることになりますが、それでよろしければどうぞ」と言ったところ、役人たちはすごすごと引き返えしたそうです。農民たちは、森から出る水量と田んぼから採れるコメの石高の量が密接な関係していることについて、経験を通した知恵を持っていたのです。現在、信州トレイル(斑尾山~天水山までの80kmの登山コース)には、見事なブナ林が残っていてハイキングを楽しませ、また、里山は失われずに農業や地元住民の生活環境を守ってくれています。
4. 小諸イトーピア別荘地周辺間際の太陽光発電所設置に反対する。
私達は、小諸市大久保のイトーピア別荘地の住民です。
この別荘地は1008区画あり、その中で334軒の別荘が建っています。約半年前から、この別荘地周辺間際に、事業者から大規模な太陽光発電所設置について、3ヶ所[エコ革(パネル11300枚、1.65MW),藤巻建設(パネル8160枚、1.7MW),野村屋(パネル1000枚、400KW)]の申請が出されている。他に畑の間際は別荘地の隣接地ですが、小規模のソーラーパネル110枚の太陽光発電所設置の申請が事業者から出されていることを含めると、合計4ヶ所の申請が出されている。昨年の12月の時点で、小諸市に対して、事業者からメガソーラー以下の太陽光発電所の申請が33ヵ所、メガソーラーに匹敵するものが6ヵ所、事業者から申請されています。太陽光発電による1Kwh当たりの買取り価格が減少してきた現状では、事業者による駆け込み申請が、時間が経つにしたがって増えつつあると考えます。
何故、このように太陽光発電所の設置が長野県中部に集中しているのかという理由は、沖縄や九州地方は、日照時間が長い反面、気温が高いためソーラーパネルから得られる発電力量が落ちることと、東北地方以北は冬に雪の影響で十分な発電力量が得られないからです。
太陽光発電所設置については、イトーピア別荘地内では家庭用のソーラーパネルの設置は認められていますが、事業者による太陽光発電所の設置については、イトーピア別荘地の管理規則によって別荘地内での設置は認めていません。
しかし、イトーピア別荘地の住民が土地を手放して、その土地を事業者が買い取って強引に太陽光発電所の設置に着手した時、イトーピア管理規則は法的な規制ではないので、太陽光発電所の建設は、止めることは不可能です。
小諸市大久保の小屋場に、既に設置され太陽光発電所は3ヶ所あります。一つは藤巻建設のソーラーパネル4104枚(1000kw)のもの、残り2つは、事業者が同名(N氏)の方で、両方とも49.5kwの太陽光発電所です。藤巻建設の太陽光発電所は、小諸市大久保の諏訪山区からホタルの里に通じる道の急斜面に設置され、ソーラーパネルの下は土面で、パネルを支える支柱の土台にはコンクリートで固定されてなくて、土面に直接埋め込まれています。小諸市の太陽光発電所設置に関するガイドラインでは急斜面の設置は認められないとしているが、現実はガイドラインに違反する設置がなされています。この道をカーラジオをつけたままで通ると、パワーコンデショナーから出る電波でラジオが聞こえなくなり、散歩がてらにこの道を通ると、ブーンという騒音が聞こえます。大型の台風や豪雨が襲った場合、このソーラーパネルが崩壊するのではないかという危惧を抱いている人は一人や二人ではありません。この藤巻建設の太陽光発電所の道一つ下の崖下の畑では、農作物に異変(水やけで野沢菜やセンブリが十分育たなくなったこと。註:水やけとは、水が畑に入りすぎて農作物が十分育たないこと。)が起きています。この異変が、藤巻建設の太陽光発電所設置に伴って、ソーラーパネルの下の浄化槽の建設によって地下水の流れが変化し、畑に水や汚水が入りすぎたのではないかという因果関係を検証しているところです。また、藤巻建設の太陽光発電所内に造られた調整池から豪雨などに伴って時々水があふれて道路側に流れ出すことがあります。
また、藤巻建設の太陽光発電所の北側にある2つの発電所は、いずれも同じ事業者N氏所有の発電所で、事業所は「かねろくパワー合同会社(東京港区)」と「ふたつぎソーラー大久保第六発電所(長野県松本市)」よるもので、2つとも49.5kwの発電力量のものですが、小諸市の太陽光発電所設置に関するガイドラインでは、ソーラーパネルが500m²以上、50kw以上の場合から、小諸市の審査対象になることを考えると、同じ事業者が同じ場所で49.5kw×2の発電所の建設は、審査対象を避けるために、2つの発電所に分けて50kw以上にならない様に申請を取り付けたことが伺えます。過去に、事業者によっては、複数以上の事業所を所有している人もいて、小諸市の太陽光発電設置に関するガイドラインの対象からのがれる為に、事業所ごとに発電力量を50Kw未満に分けて申請すれば、いくつでも太陽光発電所の設置が認められることになります。現在では、同じ事業者が二つ以上の太陽光発電所を造った場合、それらの発電力量が合算すると50Kw以上の太陽光発電所設置については、小諸市の審査の対象になります。
この事業者が同じの2つの発電所のうち北側の方は、発電所と道との間に隔てるフェンス(擁壁)の上部は固定されてなくて、手で押すと曲がるような細い針金でできた金網で、東西方向に列毎に造られたソーラーパネルとソーラーパネルとの間に、約1mの幅の小道があります。子供たちがこの中に入ったりした場合は、感電死するのではないかと危惧して、小諸市の生活環境課に連絡したのですが、いっこうに改善されていません。以前には、この太陽光発電所に小規模の火災が発生しました。消防車がやっと通れる狭い農道をゆっくりと通って行きましたが、太陽光発電所の火災は、普通の消火作業ように水をかけることはできません。水の放射に伴って、電気が通電することがあり、消防士や付近にいる人に危険が伴うからです。
また、小諸大久保小屋場周辺には、以前はオオタカやノスリが巣をつくり生息していたのですが、今はその姿を観ることはできません。また、野ウサギやキツネ、カモシカの姿はここ数年見られなくなりました。また、場所によっては、レンゲツツジが繁茂しているところがあります。小諸市のガイドラインでは、太陽光発電所が占める面積が100ha以上でなければ、環境評価を実施しないとの報告を聞いたことがあります。100ha未満でも、動植物が生息しているのかどうか検証すべきだと考えます。
小諸市の太陽光発電所をいくつか観て気が付いたことは、ガイドラインによると、ソーラーパネルからの反射光や景観を損なわない様に、また、気温の上昇を抑えるために、太陽光発電所の周辺に樹木を植えることを義務付けられていますが、ほとんどの太陽光発電所の周りには、樹木を植えているところはありません。なぜ、太陽光発電所の周辺に樹木を植えるという規制を、事業者たちは無視するのかという根拠は、樹木を太陽光発電所の周りに植えると、樹木によって日照時間が減少することと、落葉がパネル上に落とさせないためであろうということが考えられます。また、ガイドラインによると浅間山の景観を損なわない様にという規定がありますが、小諸高校付近のみどり区周辺では、サンラインから目に入る太陽光発電所が建設され、浅間山系の景観を損なっています。
上田市、佐久市、軽井沢市の太陽光発電に関するガイドラインを参考にすると、公共施設や別荘地には特別な配慮をしなくてはならない規定がありますが、中には条例を作って自然環境や住居・生活環境を守る保障をしている市もあります。小諸市は、一般的な環境条例はありますが、太陽光発電所設置に関するガイドライン以外、太陽光発電に関する条例はありません。特に、太陽光発電設置に関して、上記の三市のガイドラインの中にはレッドエリアやイエローエリアを設けて規制している市もあります。小諸高校のすぐ脇にはメガソーラーが建設されていますが、上記の三市の中ではレッドエリアを設けて高校などの公共施設周辺での太陽光発電所の建設は禁止しているところもあります。学びの場で、窓を開けたらメガに匹敵するソーラーパネルが目に飛び込んでくる光景は、高校生たちに故郷の印象を害うものではないでしょうか。小諸市の杜撰さはどこから来るのでしょうか。
長野農業大学付近のビューラインの少し南側に富士見ヶ池があり、そこから秩父の山や富士山を観ることができます。この池の名称は、その地点から風景に因んだことだと思えます。その南に大きな貯水池があり、その間際にカフェ&ワインのお店が最近できました。そのオーナーの方から、この高台の下の崖側に大規模な太陽光発電所の申請がなされていると知り、急遽、店の前の小さなブドウ栽培用の畑を買うことができたという話を聞きました。オーナーの方は、360°の展望を見ながら、コーヒーとワインを楽しんでもらおうと店を出したのですが、太陽光発電所ができると景観が損なわれると嘆いていました。一人のカメラマンが、ここから見る景観が最後になるのではないかということで、景色をカメラに収めていたことが印象に残りました。
5.なぜ、小諸市長は、イトーピア別荘地の住民の意思を蔑ろにするのか。
今年(2018年)の11月初めから11月15日まで、イトーピア別荘地の住民に対して太陽光発電に関して、設置に賛成か、あるいは、反対かのアンケートを取りました。その結果、90%が反対でしたが、小諸市長はアンケートの結果を無視するとの書類を送ってきました。
12月4日、小諸市議会で野党の方が、「なぜ、小諸市では他市のように太陽光発電所設置に関するガイドラインにもと付いて、住居・生活環境、自然環境を守る条例を作らないのか」と質問したところ、小諸市長は、「小諸市が条例を作り、事業者の太陽光発電所の設置を却下した場合、事業者から訴訟に持ち込まれ、小諸市側が敗訴になった場合、損害賠償を支払わなければならないからだ。(註:このような訴訟をスラップ訴訟と言う。)」という答弁をしました。小諸市議会だより(177号)によると、野党の方が「ガイドラインを見直しして新たな指導要領で対応するとの方針で区との協定を義務付けるとあるが、仮に協定が締結できなかった場合、(太陽光発電所の)建設を中止できるのか」という質問に対して、環境水道部長は、「行政指導でお願いするしかなく、計画を止めることはできない」と答弁され、また、「ソーラーパネルの維持管理や廃棄時の規定についても強制力が持てるのか」と言う野党からの質問に対して、環境水道部長は、「法律の縛りが無い中では、当事者同士の信義に基付いて実行、担保されることになろう」という答弁がなされた。この部長の答弁は、太陽光発電所建設の問題を他人事のように思っているのであろう。この小諸市議会だよりの中で、小諸市長の答弁(「事業者への営業の自由への配慮、訴訟リスクなどの課題があるので検討していく。」)が簡単に載っています。事業者への営業の自由への配慮を一方的に認めているが、小諸市の市民の住居・生活環境、自然環境を守る自由は無視されている。
この小諸市長の答弁に対して、長野県 環境部 環境エネルギー課に問い合わせたところ、この課の課長:M氏から、今までに自治体が事業者から訴えられて、敗訴になり、損害賠償を請求された事例がないことを次のように述べられました。M氏の発言:「お問い合わせいただきました『長野県の自治体で、太陽光発電所の事業者による訴訟で、自治体側が敗訴になった事例』は、承知しておりません。なお、他県の事例になりますが、筑波山の景観保護エリア内への太陽光発電所の事業者による建設計画をめぐり、県の不許可処分を取り消し、設置許可を義務付ける水戸地方裁判所の判決の新聞報道(茨城新聞)がありますので、参考までに紹介させていただきます」とのことでした。現在、茨城県が控訴して訴訟は継続中とのことでした。
筑波山は古代万葉の頃からの由緒ある場所であり、太陽光発電所の建設は地方文化を破壊するものであろうと思える。
小諸市長は、昨年(2018年)の12月4日の小諸市議会の審議で、事実に反する嘘・偽りの答弁をしたのです。なぜ、小諸市長は嘘・偽りの答弁をしたのかという理由を明らかにすべきだと考えます。
小諸市の生活環境課のY氏からは、事業者からのスラップ訴訟をリスクがあると見做して、事業者からの太陽光発電の申請を受け付けることと、小諸市民で太陽光発電所設置の要望があることをもう一つの理由としていますが、この理由も確たる根拠が薄いように思います。その理由は、長野農業大学の東側にできたメガソーラーの事業者は、九州の福岡ホールディングスで、小諸市の事業者ではありません。また、小諸市の小屋場に建設された2つの太陽光発電所の事業者のN氏の事業所や藤巻建設の事業所も小諸市の市民の所有ではありません。小諸市の生活環境課の回答もそのまま鵜呑みにはできません。生活環境課が、小諸市に建設された太陽光発電所の事業者のうち、何パーセントが小諸市在住なのか、明らかにする必要があると考えます。なお、小諸市の生活環境課に、自治体の中で、事業者によるスラップ訴訟で敗訴になった事例があるのかどうか尋ねた時、生活環境課のY氏からは、「そのような事例を掌握していません」という回答でした。生活環境課が自治体側の敗訴の事例を掌握していない現状の中で、小諸市長の答弁は、事実に元付かない発言は、小諸市民を欺くことの何物でもない。そして今なお、小諸市長以下の主だった環境水道部長や市議会議員の中には、事実に基付かない考えを小諸市民にアッピールしていることは、市議会そのものの運営の在り方が問われるものと思われる。
なぜ、小諸市議会は、事業者の営業の自由のみを認め、住民側の意思を無視して自然環境の破壊に手を貸すのであろうか。住民の生活環境や自然環境、耕作環境を守る保障をせず、太陽光発電所設備設置に関する条例を作ろうとしないのか、その理由を検証する必要があると考えます。
5. 小諸市の休耕地・民有地・森林などの土地の利用は、自然環境・生活環
境・耕作環境を守ることを保障する中で、多角的な視点をもって企画することを要請する。
小諸市は環境条例の見直しのプロジェクトを始めたようですが、小手先の
太陽光発電に関するガイドラインや一般的な環境条例のちょっとした見直しの修正で終わらせるのではないかと危惧します。小諸市は太陽光発電所設置に関する条例を作って、自然環境・住居生活環境・耕作環境を守る保障をすべきではないか。さらに、休耕地等の土地の利用の仕方は、太陽光発電所建設に限定せずに、自然環境や住居・生活環境、耕作環境を破壊しないやり方で、資金援助も考慮に入れて、多角的な視点をもって推進すべきであることを提案する。
(以上)
下記サイトも併せて、ご参照ください:
http://stop-suwashishigamegasolar.com