小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

76歳にしての重い選択:

2016年07月14日 | 社会戯評

76歳にしての重い選択:

最近では、ボランティアの活動に時間を費やされていて、とんと、政治的な問題に対して、ブログでコメントする機会がなくなってしまった。そんなこんなで、参議院選挙の結果にも、まぁ、そんなところかなと云う程度にしか、日本人の民意とは、こんなモノなのかという印象を持っていたところへ、究極の後出しジャンケンではないが、熟慮に、熟慮を重ねたのであろうか、鳥越俊太郎氏が、野党統一候補として、名乗りを上げたところ、一斉に、野党側は、もっけの幸いとばかりに、これを担ぎ上げてしまった。方や、官僚出身の手堅い候補者や、政界の渡り鳥という異名を有するやはり、ニュースキャスター出身の先出しジャンケンに掛けた、反自民票を狙った棒女性候補も、これでは、全くの形無しであろうか?結局ここまでの政党の側での人選をみていると、本当に、人材が不足しているのではなくて、既に、枯渇しているような有様を呈しているのは否定できない現実であろうか?今回の参議院選挙での若者の投票率を分析したコメントを読んでも、本当に、危機意識を持って、投票したければ、自ら、住民票を取り寄せてでも、投票所に行って、一票を投じるそのくらいの気概がなければ、こんな上からの『与えられた18歳選挙権』などは、糞食らえとばかりに、主張しても良さそうなモノであるが、、、、、、。考えてみれば、自分が18歳の時には、選挙や、ましてや、政治参加などの声は、ベトナム反戦運動の中で、教室で、勉強や受験勉強をしていて、果たして、良いのであろうかなどと、肌身に滲みて、感じたものであるが、如何せん、今や、老人層しか、そういた危機意識を感じるものが少なくなってしまっているのであろうか?誠に、76歳にしての決断、とりわけ、癌の手術を経て、健康を取り戻したとは云いながらも、失礼だが、年齢だけから、判断すれば、この老人の決断は、如何にも、重いし、老人というモノも、まだまだ、捨てたモノではないなと思う次第である。総評もなくなり、農協も力を失い、年金暮らしの年寄りも、まだ、これからは、死ぬまでに、一働きも、二働きも、若者に負けじとばかり、大きな流れに逆らって、逆流を巻き起こせるかも知れないかな。テレビ朝日やTBSから、或いは、ジャーナリストからの政界への転身を、今回、幾人かにみていると、やはり、マスコミに対する何らかの眼に見えない権力の風圧が、徐々に、空気を読めよ!という風潮が蔓延してきて、一億、総茹でガエル化しつつあるのかも知れない。実務家を無難に選択しようとする構図と今度は、対局の構図との闘いに、無機質的なものから、何か、どろどろした情念の闘いの場に、引きずり出されたような構図に移ってきたようである。果たして、不信と混乱の中で、都民の選択は、どちらを、選択することになるのであろうか?


ネット広告に学ぶ:

2016年07月11日 | 社会戯評

ネット広告に学ぶ:

昔、電通の友人が、昨今は、マスメディア広告も、あながち、ネット広告を侮れないね!などと云っていたことを懐かしく、想い起こすが、実際、試しに、実験的に、FB上で広告を発信してみると、様々な事柄が、判ってきて、なかなか、興味深いモノがある。何せ、自分の手で、一から、広告の企画を練って、画像やキャッチコピー、テキストまでを作成して、画面の構成までを、手掛けることで、おまけに、予算も、自分の懐具合と、対費用効果とを勘案して、策定すれば、どういう客層や、どの地域の距離までを対象にしたら良いかなども含めて、クリック一つで、選択できることは、誠に有難いものである。成る程、ナショナル広告などは、一零細個人企業などでは、必要ない以上、ごくごく、限られた地域に集中したリージョナル・マーケティングに集中すれば良いだけのことである。謂わば、基本的なまずは、初歩的なブランディング戦略の告知とプレゼンスという所だろうか?何とも、一日、300円から、自分の好きなだけの長さの期間も設定可能であるのは、誠に嬉しい。取り敢えず、近隣、70キロ程度でのユーザーに、しかも、様々な分野の興味を引くタイプの人達に、広告ページを配信して貰うことにしよう。期間は、取り敢えず、30日間程度で、これなら、予算も、総額1万円似内程度で、済むし、そのビッグ・データ分析から、色々なことが、分析・勉強することが出来るであろう。しかも、今後イベントの告知なども、短期的なスポット広告をワンコインで、行なったりと、バリエーションが、企画可能である。こうなると、季節毎、年間行事に併せた宣伝・広告や、誘客作戦も、こうしたデータ・ベースを基にして、メリハリのある効果的な対策も又、可能になり得ようか?兎に角、一軒一軒ごとのポスティングなどよりも、ずっと、効果があるかも知れない。累計リーチ数も、7日間で、1万弱に到達しているから、新聞媒体等よりも、個人零細企業向けには、対費用対効果が、抜群であるのかも知れない。しかも、いいねとか、リーチして貰った人達のねずみ算式の友人・知人達への拡散やシェアーも期待できるとなると、実に有難いことである。こうなると、もう夏前には、秋の紅葉シーズンに向けての販売促進と冬季でのパウダー・スノーの近隣穴場スキー場の宣伝とか、外国人顧客・日本人顧客に向けての体験プログラムも企画して置かなければなりませんね。I-o-Tとは、良く云ったものである。成る程、身近に感じられ始めるとなると使わない手はないですね。一段落ついたら、今度は、ネット販売の準備に移るとするかな。弱者にとっては、誠に有難いツールである。


農民生活歴史資料館のイメージがほぼ纏まる:

2016年07月08日 | 社会戯評

農民生活歴史資料館のイメージがほぼ纏まる:

海外から来るインバウンドの旅行客に、事前に、サウンドしてみて様々なことが分かってくる。郷土資料館のように、ただ、品物を並べて、文字で説明したところで、何の感動も得られない。何故ならば、それは、今一、我々の現在の生活とは、無縁であるからである。例えば、以前、お父さんから、大きな鋸を二つ、見せて貰ったところ、一つは、樹を切る鋸であることは、容易に、理解出来ても、もう一つの鋸が、まさか、天然氷を切り出す鋸であるとは、思いもつかなかったものである。成る程、今日では、電気冷蔵庫が当たり前のように、生まれたときから、氷などは、冷蔵庫を開ければ、いとも簡単に、手に入れられることになってしまい、ものを冷やすという行為自体が、氷で、冷やすなどとは、思いもつかない時代になってしまっている。まして、冬の寒い季節に、わざわざ、南極の氷でオンザロックを飲むわけでもあるまいし、天然氷を、何故、切り出すのであろうかなどと、思いも寄らないのかも知れない。カナダからの自転車旅行をしているフィルによれば、二人がかりで、太い樹を鋸で、押し合いへし合いして、樹齢何百年という大木を二人がかりで、切り出す鋸はみたことがあるが、天然氷を切り出すのは、成る程、カンボディアでしか、みたことがないねと感慨深げに、云っていた。成る程、餅つきの杵と臼も、触ってみて、その重さが実感出来、又、樹齢何百年というケヤキの幹をくり抜いて、臼が出来るのかなどと、知っているようでいて、結構、知らないモノである。ましてや、餅つきなど、どんな手順で、餅米を蒸かして、どのくらいの量の分量の餅が、何人分くらい出来上がるのであろうか?、そんなことも、今や、長老にでも尋ねないと、ひょっとして、わからないかも知れない。棚田の歴史なども、新田開発とか、中山間地の開拓とかも、唐松林を伐採し、畑や田んぼに、する為に、水利を如何に確保してきたかとか、結構、どんな道具が、使用されてきたのか、鋤や鍬も含めて、その重さを実感してみないと、まさに、『来て・みて・触って・実感して』貰うそういう資料館にしたいものである。それは、何も、農家や商家・豪農や武家屋敷に限らず、何でも、そうなのかも知れない。昔、馬小屋であった部屋に、作ってみるのも、面白いかも知れない、或いは、漬け物小屋であったところに、展示してみるのも良いかも知れない。そして、そこに、英語のナレーションでも、昔のカセット・テープ・レコーダーを活用して、流してみることにしてみようか、どうやら、藏の中に眠っているお宝でも探すことにしてみようか?それにしても、ひん曲がった太い樹の幹を加工した杵は、随分と重く、硬かったが、よく、先人達は、こんなものをこしらえたモノである。その知恵と工夫には、改めて、感激してしまうほどである。納屋の片隅に、5-6本も、転がって眠っている代物も、程なく、その眠りから、一寸、醒めて貰うことになりそうである。

 


ダッカのテロに思う:

2016年07月06日 | 社会戯評

ダッカのテロに思う:

振り返ってみれば、まだ、ドイモイが、定着しつつある頃でも、現地の治安事情を考えて、常に、『人民の海』の中に、紛れ込むように、革靴は、履くことなく、腕時計も左腕に巻くことをせず、ワイシャツも、アイロン掛けなどはせずに、そのまま、皺がついたまま、裾は、だらしなく、ズボンの外に出したままで、ホーチミン・サンダルという出で立ちで、外出し、夜も、朝も、街頭に連なっている不衛生な屋台で、小さな四角いプラスティックの椅子に座って、食事をするという、一種の途上国に於ける『掟』のようなものがあったような気がする。それは、別に、高級外車に乗ることもなく、もっとも、こちらは、決して乗せる側ではなく、時たま、現地の有力者のお誘いの時に、ベンツか、ロールスロイスに、乗せて貰う側であったが、決して、その時にも、油断することなく、レストランでも、アメリカのマフィア並みに、一番奥の入り口が、見渡せる場所に、陣取って、食事をしたものである。もっとも、我々は、ボディー・ガードがついていたわけではないけれども、自然と、そんなことが身についてしまったモノである。又、上述したような小汚い身なりで、街を散歩していても、チラチラと立ち止まっては、スリがつけてこないかと、前後を

わざときょろきょろと見張ったりもしたモノである。それにつけても、治安が、多少改善してくると、人間は、やはり、自然と、日本食レストランや、外国人が好んで出掛ける評判の良いホテルやレストランに足繁く、通ってしまうモノである。何とも、テロに遭遇してしまわれた人々には、どんな言葉をかけたら良いのであろうか?とりわけ、途上国の都市計画などの専門家などは、成る程、こんな所へ出向いて仕事をしていたのかと、改めて、感慨に耽る始末である。又、加害者側も、裕福な家庭で、留学経験もあり、それが、又、過激な思想に、皮肉にも、触れてしまったとも謂われているが、幕末から明治維新期へかけての若き留学生達と較べると何とも、皮肉な対照的な結果である。もしも、この加害者と日本の明治維新期の留学生同士が、議論する場所があったならば、一体、どんなことを互いに主張しあったことであろうか?それにしても、民政とその国の経済的な自立とは、誠に、難しいことであることが、容易にわかり得よう。唯々、冥福を祈るしかないのであろうか?それとも、まだまだ、これからも、こうした悲劇が続くのであろうか?そして、自分には、何が出来るのであろうか?

 


ゲストハウスの企画立案をする:

2016年07月01日 | 社会戯評

ゲストハウスの企画立案をする:

なかなか、マーケティングは、面白いモノである。とりわけ、顧客層の把握というモノは、データの整備から、コツコツとやって行かなくてはならない。しかしながら、何分初めの分野だから、おいそれとは簡単にゆかず、結局走りながら、少しづつ、軌道修正を加えて之ながら、軌道に乗せて行く以外に、王道はなさそうである。宿泊客への徹底的な質疑応答以外に、アンケートでも施さない限り、なかなか、分からないものである。それでも、隠れたコンテンツというモノは、何処にでも、転がっているモノである。或いは、これまで、頓挫してしまったプロジェクトが、何故、そうなってしまったかを分析することによって、新たに復活できる可能性があるのも、実に面白い。結局、子供向けの団体客のプロジェクトと、仕事での出張者パックとか、ゴルフ・コンペ・パックとか、幾つかの企画を立ち上げて、これをサイトにアップしてみると、様々な反応が早速出てくることになった。夏場どころではなくて、もはや、先々秋口から、年末・年始に掛けての予約のための企画と営業を行ってゆかなければならない。勿論、衣料品ではないが、秋・冬物を販売する頃には、次の春・夏物を事前に準備しておかなければならないのは、当然のことであろう。何せ、家族・零細経営だから、組織的にと言うわけには行かない。一人何役もこなさなければ出来ない代物である。しかしながら、それが又、面白いのである。何せ、こちらは、ボランティアだから、失敗しても構わないのであるが、そういうわけにはゆかない。必ず、過去の経験と実績からして、成功に導かれる筈である。今のところ、この確認に揺るぎはない。それでも、想定外のことは、、起こりうるモノである。客商売というモノは、生産販売とは、又、異なる事業である。もっとも、過剰な在庫とか、賞味期限とかに悩まされることがないのが、少々、気が楽であるが、それでも、将来が保証されているモノではない以上、同規格立案、魅力を発信するかが、ポイントである。コンテンツの見直し、発掘、魅力ある企画・立案、強みと弱みの分析、情報発信、収集、ネットワーク作り、他人の褌で、もっと宣伝して貰う仕組み創り、しかも、資金をかけないで、効率的に、最大効果が対費用であげられるようにと、、、、徹底的に、ない知恵を絞りに絞って、クリエイトする作業の連続である。年老いた頭には、うってつけの呆けへの刺激だろうか?そんな云い方をすると失礼であろうが、ストレスにならない程度で、しかし、まったりと、且つ、スピーディーに、露天風呂にでもつかりながら、今日は、久しぶりの快晴だから、洗濯干しと露天風呂で、作戦を練るとしようか、後は、都会の現役のコピー・ライターに、バトンタッチして、こちらの素材を提供して、ディーテイルを、作業・加工して貰うとするか、うるさい客であると想われているでしょうね、もっとも、あんたも、しっかり、この年寄りよりも、しっかり稼いでくれよと、暗に、こちらは、無償だからねと、暗黙のプレッシャーをかけることにもなっているかも知れないが、、、、、。ドッグラン&ガーデン看板製作も、現在進行中である。もう少しで、こちらも並行して、オープン予定である。


本当に、円高は、望ましくないのか?:

2016年06月29日 | 社会戯評

本当に、円高は、望ましくないのか?:

随分と、可笑しな議論と、何処か違和感を感じざるを得ない議論の展開ではなかろうか?私のように、若い頃に、365円時代から、308円に、そして、250円、120円、80円にまで、円高を経験したことのある世代には、何やら、円安神話が、何か、可笑しな議論に、聞こえてならない。一体全体、この国のエコノミストは、本当に自国の通貨が、強くなることに、そんなに、違和感があり、すべて、単純な輸出の為に、為替相場が、円安にぶれることのほうが、すべての景気を左右するとでも、本当にそんな議論を正しいことであると考えているのであろうか?昔は、円高による随分と庶民生活が、バラ色になるという神話(?)が、国内消費市場の需要の活性化が、国内消費市場のアメリカ並みの拡大が見込まれると喧伝されたものなのに、いつの間にやら、そんな国内市場の成熟化も、消費市場の拡大も、萎縮と緊縮と金融市場の危機とかで、結局、バラ色の未来が、成長も止まり、非正規雇用も拡がり、若者は、働く意欲を失い、未来に対する希望も消え失せて、年寄りは、年金問題に窮して、内向きに、縮み上がってしまい、貧困と格差と不平等と心の老いが、蔓延してきてしまう始末なのだろうか?本当にそれらが、円安の方向性で、単純に、解決するのであろうか?そんない、海外に進出してしている気牛が多数に登る中で、本当に、輸出利益に、貢献する円安だけが、唯一無二の打開策なのであろうか?誰一人として、この流れに異を唱えるエコノミストがいないのは、おかしな現象である。みんな、通貨の先物為替ヘッジで、リスクを回避しているはずであるし、単純に、為替政策だけで、乗り切れる代物ではなろうに、、、、、、と私などは、これまでの経験から、そのように感じられる。一円の為替レートの違いで、莫大な大損もすれば、大枚が舞い込むと云われているが、それでは、円高で、大儲けをする会社は、いないのであろうか?もう、ガソリン価格にも、一喜一憂しないことにするか?円高になったから、価格が下がるかと思えば、いや、備蓄もあるし、需要・供給のタイム・ギャップがあるし、産油国の思惑があるから、すぐにはならないし、そう考えていると、いつの間にやら、景気が悪くなったり、金融危機が発生したり、何でも、要するに、理由をつけては、価格が下がらない様な仕組みにでもなっているのであろうか?デフレも度が過ぎると、日銀ではないが、実質賃金上昇や手取りの拡大とは一切関係なく、何が何でも、消費者物価の目標管理を断行してゆくのであろうか?何が正しく、何が、何処から、どの時点から、ボタンを掛け違えたのかも、全く判らずに、万事、物事が、進行してゆくことになるのであろうか?全く、これまでの指標が、有効ではないのが、現状ではなかろうか?もう訳が分からないから、露天風呂にでも入って、ゆっくりと、考えてみることにするか?

 


表現の仕方を変えてみよう:

2016年06月28日 | 社会戯評

表現の仕方を変えてみよう:

そうすると、全く、別の地平が見えてくることになる。この一ヶ月間の変化は、全く、10年一日の長の感が無きにしもあらずと言ったところであろうか?車中で、たまたま、看板の値段を、私が、聞き違えたのか、どうかは、判らぬが、月額と年額を取り違えて、月額でも安いですねと云ったところ、実は、その金額が、年額だったことに端を発する。又、無償ボランティアで、気まぐれから、英文HPを作成して、更に、使用されていない部屋を、謂わば、しよう価値ゼロだった部屋を、インバウンドの外人旅行者向けに、エアビで、貸し出すということをじっさいにやってみたところ、これが、外人観光客だけでなくて、日本人にも、通用することが判ってきた。面白いことに、物事というモノは、若い時に、徹底的に、知恵をトヨタではないが、乾いたタオルを絞りに絞ってみると新しい何かが、生み出されてくるモノで、謂わば、資金のない人間にとっては、こうした省資源的な手法が、富を生み出す一つのきっかけになることを学ばせて貰ったが、まさか、それが、50年経った時点で、ボランティア活動の中にも、生かされようとは、想像だにしていなかったことは、全く、皮肉なことである。爪楊枝を、フルーツ・ピックに、民宿をゲスト・ハウスに、言い換えるだけで、何か、全く、新しい地平と風景がそこには、見えてくるから、面白いモノである。言葉の有するイメージというモノは、面白いモノで、第三者委員会等という言葉も、如何にも、客観的な部外者が独立的に、調査するのかと思えば、決して、そうではない。同じように、一つの物事も、言い方を換えることで、全く、別のモノに、転移してしまうから、実に面白い。この一ヶ月間での動きは、まさに、一つの物事の言い方の変換が、次々に、相乗効果を生み出して、新たな利用価値を生み出し、又、そこから、新たな商品価値が生まれ、それが、ますます、外部へと波及してゆき、地域の人々の心にも、又、その行動、発想にも、少なからぬ良い影響を、及ぼし始めて来たのかも知れない。耕作放棄地のドッグ・ランへの転用も、又、その景観保護トラスト運動も、外来寄生植物の伐採運動も、決して、それらの効果の一端だけではない、大きなインパクトを有しているのかも知れない。ぬかっていた田んぼの耕作放棄地も、バークや、チップや、木材のおがくずを入れることで、住民からも、自分の家で、余っていたチップを提供して貰ったり、草花を寄附して貰って、ガーデンを整備する作業に協力して貰ったりと、住民の知恵と労力を、無償提供しえ貰いながら、着実に、大資本を投じることもなく、ビックリする程のカネをかけなくても、どうやら、完成に、漕ぎつけられそうである。そうか、何事にも、知恵を絞って、民力を歯を食いしばって、絞り出すことで、周りの人間も変化し、発想にも、変化が生まれて、そして、何よりも、まずは、やってみようという意欲と行動パターンの変化が生ずることで、物事が、一歩一歩、前に、進んで行くのである。走りながらでもよいから、まずは、軌道修正を重ねながら、きめ細かく、コンテンツを練り上げて行けば、ヒョッとして、新しいビジネス・モデルが、生まれてくるのかもしれない。そう考えると、この一ヶ月間の余りにも濃密な経験は、実に、10年分の経験とノウハウを学んだような気がしてならない。それにしても、一地方での小さな事柄が、今や、I-o-Tの活用で、或いは、他人の褌を活用する事で、大きな資金を使うことなく、実に、効果的に、対費用効果を実現できる世の中になりつつあることを実感する昨今である。どちらかといえば、私は、文章中心で、即物的な動画や写真等には、余り、興味を示してこなかったが、インスタグラムなどには、甚だ、門外漢で、活用してこなかったが、流石に、ここに来て、若い外国人旅行者達から、その凄まじい反響と威力を、まざまざと見せつけられる羽目に陥ってしまった。SNSとの合体・連携も、もはや、単なる夢物語ではなくて、イイネの数も、馬鹿にしてはいられないほどである。未だ、顔を合わせたことのない人達が、数百人単位で、いると云う事は、情報が、今や、その人達に、自動的に、シェアーされて行くと云う事で、数百人でなくて、恐らく、近い将来、数千人、数万人、数十万人へと、拡充されて行けば、それだけでも、もの凄い化学的な反応が生じかねないことは、想像に難しいことではない。新しいコンテンツの切り口が、又、新たな表現に変換することで、更に、しんかされて行くような気がしてならない。ゴルフ・パックも、登山・ハイキングも、出張パックも、体験も、ネット販売も、ドッグ・ランも、ひとつひとつ、勉強してみるとしようか?どんな新しい、これまでとは違った風景が、そこに、見えてくるのか、今から、愉しみである。

 


梅雨の日長、メール整理をする:

2016年06月24日 | 社会戯評

梅雨の日長、メール整理をする:

日頃、メールの整理を、ホルダー毎にしているものの、それでも、結構、様々な情報が溜まってしまうモノである。新聞社、マスメディアの毎日のデジタルニュース、銀行や証券会社からの情報、ネットスーパーから、或いは、これまで利用したことのあるネット・通販会社各社からのニュース・レターとか、いやはや、ありとあらゆる情報が、向こう側から、ひっきりなしで、毎日、やってくる。情報というモノは、幅広く受けるのも必用であるものの、何も見なければ、見ないで、或いは、読まなくても、それなりに、済むモノでもあるのも事実であろうか?そう思えば、過ぎ去ってしまった過去の情報は、検索でもすれば宜しいのではないのか?それとも、即時性こそが、やはり、必要なのか?どちらが、正しいことなのであろうか?情報の価値判断とか、取捨選択とか云うものは、ビジネスを現役でやっているときには、結構、重要なことであり、昔は、毎日、関連記事をスクラップしたり、システム・手帳に縮小版で保存していたりと、こまめにしていたことを想い出す。身近のモノを、断・捨・離することが、人気であるが、その基準と、情報の断捨離とは、全く同じなのであろうか?明らかに、今を生きることと、これからを見据えた将来へ向けての、或いは、過去の情報との関係性は、取捨選択をする上で、どのように、異なるのであろうか?だからこそ、情報の保存・蓄積量は、捨て去られることなく、ますます、水ぶくれになってしまう。もう現役ではないから、それ程、気にはしないが、それでも、スリム化は、ダイエットと同じであろう。

 


人が来てくれることと来ないこととの矛盾:

2016年06月11日 | 社会戯評

人が来てくれることと来ないこととの矛盾:

早速、人知れず、地域の住民しか知らない隠れ湧水の現地調査で、考え込んでしまった。即ち、これを整備することで、人がやってきて、騒々しくなることと、ゴミが増えたり、無軌道なひとたちや、マナーの悪さから、住環境が悪化することと、更には、お金が落ちないのに、これまでの静かな自然環境が破壊されてしまうと云う自分へのデメリット、一体、どのように、これらの矛盾を解決することが可能なのであろうか?この自己矛盾、地域活性化への理解に対する矛盾、過去に、テレビの取材で、山菜の特集をしたところ、一挙に、都会からの人間も含めて、車で、やってきては、大量に、山菜を根こそぎ、持って行かれたという苦い経験が、この地域には、あるそうである。道路も、かなり、高い所まで、ガードレールも含めて、整備されていて、坂道ではあるものの、電動アシスト自転車であれば、全く問題ない場所である。もっとも、住民にとっては、これまでも、開拓で切り拓いた土地に、住んでいる以上、静かな住環境であるわけで、そこに、狭い駐車場に、たくさんの車が、ポリタンクを持参して、水くみにでもやってくるようにでもなれば、そえは、それで、大問題になることは必至で、その意味で、カネも落ちない、自分にとって、何のメリットもない、湧水の売り込みは、一体、どんなメリットがあるのであろうか?間違いなく、そっぽを向くことになることは、必至であろう。素晴らしいコンテンツがあっても、難しい課題である。遊歩道にしても、日本トレール百選に、選ばれていても、肝心の分岐する地点では、別にルート案内の看板が設置されているわけではない。これでは、全く、画竜点睛を欠くどころか、登山者は、みちに迷ってしまうことは、必至である。考えてみれば、ハードはとくいであるものの、いつでも、ソフトが駄目だから、そのコンテンツ自体も、全く、無駄になり、無用の長物になりはててしmアウ輝線星がないわけでは無い。人に来て貰うこととお金が落ちて、地域に、回り始めること、そして、地域の静かな住環境を維持しながら、活性化されるとということを同時に、りょうりつさせることは、どうしたらよいのであろうか?更に、登ってゆくと、素晴らしい砂防ダムが、エメラルドグリーンの湖面に、山々の風景が映り込んでいて、これはもう、春の桜の開花や秋のモミジの紅葉の時期は、どんな風景になるのか、隠れ眺望百景にも値するものではなかろうか?既に、構想はできてているものの、この一点の矛盾を、どのように、解決できうるのであろうか?実に、唸ってしまった。じっくり、時間をかけて対応しなければならない。それでも、湧水の溜め池は、こんこんと、木々の中で、湧き出ている。誰が建てたかはわからない朽ち果てた東屋が、湧水の溜め池の傍らに、静かに、佇んでいた。ここで、お茶やコーヒーでも飲めたら、良さそうではあるが、、、、、、。限界集落寸前の問題をみる思いがする。

 


二人の鈴木さんにみる年寄りの出処進退:

2016年06月10日 | 社会戯評

二人の鈴木さんにみる年寄りの出処進退:

桝添の見苦しい言い訳は、どうでも宜しいが、なかなか、歳をとってからの出処進退、とりわけ、引退する時期というモノは、成功すればするほど、難しいモノである。何も、しないで、定年を迎えるサラリーマンのほうが、ずっと良さそうにも思えてならないが、そうでもないのが、昨今の流れである。もっとも、経営者というモノは、どんなに、成功して、業界での評判が良くても、一夜にして、足許を掬われるのが世の常である以上、一種の『永久革命』のようなモノであることも、又、否定できない事実である。ましてや、これが、多数の従業員や、顧客の家族までも含めた舵取りとなるとなるほど、もはや、カネの問題なのではないことは事実であろうか?それでも、歳をとってくると、猫に鈴をつけることの出来る周囲の或いは、身内の、更には、創業当時の同志達もいなくなってしまい、結局、秀吉みたいになってしまうのであろうか?名誉とか、評判とか、誇りとか、カネとか、全く、歳を重ねるに従って、ブクブクと、要らぬものが、重ね着のように加わってくるのであろうか、黒塗りの運転手付きの高級車での送り迎えになれてしまうと、一人で歩くことすらも出来なくなってしまうと良く言われている。人生、歳をとってくると、なかなか、難しいモノである。私には、最近、お付き合いして貰っている農家のお父さんやおかあさん達、先輩のご老人達が、何か、理想的な老人像のように、不思議と、思えてならない。二人の鈴木さん達の騒動をみるにつけ、そんな感慨を抱き始めて、他山の石にしないと考えるに至る。どのように、健康寿命を謳歌しつつ、地域社会との接点をもちながら、社会貢献が出来ないだろうかと、考えてしまう。さぁ、これから、ドッグラン&ガーデンの開場準備と、これを記念した野菜のネット販売、ペット・ホテル申請、隠れ湧水の再興、野菜農家の訪問と、耕作放棄地対策と地域コンテンツ開発と、面白いように、今日やる用事と今日いくところが、出てくるのは、不思議である。

 


景観と庭作りというコンテンツ価値

2016年06月09日 | 社会戯評

景観と庭作りというコンテンツ価値:

そもそも、ドッグランのきっかけは、五右衛門風呂から、見下ろす景観が、とても、綺麗な割りには、その隣接する下に拡がる耕作放棄地が、すすきの草茫々で、とても、遠望する景観が綺麗なのに対して、隣の敷地は、耕作放棄地だから、地権者の許可を貰わなければ、草すらも、合法的には、刈り込めないのが、実情であった。しかしながら、そんなこともいってはいられないほどの高さにまで、たっしていたので、結局やむなく、地権者と交渉して、活用方法を提案したところ、喜んで、管理と利用提案を受け容れてくれた。こう考えると、景観というもの自体が、大変な有意義なコンテンツになる訳で、そこから、ドッグランの計画が出てきて、早速、草刈りから、お父さんの仕事が出来たわけである。バーナーで、草の元を焼いてから、根を絶やしてから、バークを敷いたり、砂を敷いて、芝を張るという算段である。そうこうしていたら、近所の人達から、自分の庭に咲いている花を、あげるから、植えてくれという依頼が、舞い込んできた。成る程、庭作りではないが、都会では、なかなか、庭に花も植えないから、よく、海外で経験したオープン・ガーデンではないが、花壇に綺麗な花達を植栽して、ベンチと日傘を置いて、お年寄りのお茶飲み場にでも、なったら、宜しいかも知れない。こうなってくると、もはや、耕作放棄地も一挙に、眺望の良い価値を生み出すコンテンツ化することになるかも知れない。実に面白い展開になってくるかも知れない。

 


いよいよ、ドッグラン工事着手だ!:

2016年06月08日 | 社会戯評

いよいよ、ドッグラン工事着手だ!:

結局、そもそもの構想から、1週間ほどで、具体的な図面と、くい打ちの感覚が、どうやら、グーグル・マップの空撮写真から、ソフトを利用すれば、何でも簡単に出来上がってしまうモノである。76歳になる元大工のお父さんの説明では、15万円もするようなレーザー光線を利用した測量ハイテク機器で、いとも、簡単に、正確な測量が出来てしまうそうである。お父さんの高いおもちゃなどと、侮る勿れである。それにしても、草刈りを二回もしてもらい、最後には、芝刈り機で、更に短く、そして、除草剤で、徹底的に、雑草を駆除して、いよいよ、砂をまいて、その後で、芝生とバークを敷き詰める算段である。周りには、杭を打ち込み、最初は、ネットを張る予定であったが、お父さんから、自分が何でも、入り口も含めて、柵を作るからと、当初の初期投資を抑える予定だったのに、ポケットマネーをはたいてくれることになったのには、驚きである。肉体的にも、精神的にも、やる気が出るばかりか、お金までも出して貰ったのでは、全く、申し訳ない話である。地面に敷き詰めるバークも、横浜の私の取引先の社長から、厚意で、運賃だけで済まさせて貰ったり、全く、初期投資が、少なくてすむことになってしまった。しかも、保健所との交渉では、特に、許認可は問題なく、ドッグランだけでなくて、ドッグホテルも、営業可能になりそうな状況である。最終的には、改めて、現地で、話し合うことにして、前向きである。もう来週末には、ひょっとして、完成してしまうかも知れない。こうなると、動物病院や、ネット上でのホンダが主宰するDogrun.comにでも早速、登録して、広報・宣伝する必要があるかも知れない。水廻りも、来週、使用していなかった樹脂製の金魚の池を持ち込んで、水廻りにし、更には、無駄に朽ち果てようとしているベランダの板を、電動ノコで、カットして、デッキを作ることも材料費がかからないで済みそうである。捨てないで良かった。又、新たに購入を予定していた、折りたたみのテーブルイスも、これで、捨てずに、活用出来る可能性が出てきた。いやはや、初期投資が、相当抑えられそうである。これが、かつての『耕作放棄地』で、草ぼうぼうで、景観が著しく、阻害されていたと考えると、全く、感慨深いモノである。更に、隣の下の耕作放棄地にもと、夢が広がり始めてきた。お父さんも、大工仕事に、張りが出てきたようである。このプロジェクトが、今後、新たな地域再生活動へ繋がることを願ってやみません。そんな時も時、たまたま、NY在住の動物介護活動を勉強している旅行者が、宿泊に来る予約が入ったが、タイミングが良すぎますね!


地元デザイナーとのコラボ:

2016年06月06日 | 社会戯評

地元デザイナーとのコラボ:

ブランディング戦略は、売り物のコンテンツとは別に、如何に立案するのかが、大変、重要なモノであることは、言を俟たない。とりわけ、地方の弱小、無名の一ブランドなどは、全く、大海の都会に住む消費者には、全く、どうでも良いことなのかも知れない。それでも、ただ、商品やコンテンツが良いだけでは、全く駄目で、やはり、ブランド・ロゴや、パッケージや、商品コンセプトや哲学や、顔の見える生産者と消費者との関係性の構築とか、単なる、値段が 安いとか、品質が良いとか、そういう問題だけではない。それでも、地方、或いは、地域固有の差別化商品の開発等というモノは、人数だけかけて、会議を繰り返したり、高額のコンサル料を支払って、同じような内容を、別の所で、異なる人間に、説明、説得しても、独自の差別化できる商品開発が出来るモノではない。既に。独自な詳細な戦略と戦術、並びに、サプライチェーン・マネージメントの体制も、個別商品毎に、構築できる体制は、整って来た。後は、共通する、ブランディング政策のロゴや、ステッカー、パッケージに合わせたイメージの具象化であり、ビジュアル化である。成る程、クラウド・ソーシングやクラウド・ワークで、格安で、ネットを利用して、広範囲な作品を募集することも、勿論、或いは、公開コンペで最優秀作品を選ぶことも一案であろう。しかしながら、地方の埋もれた書家やデザイナーや、様々な地方在住の芸術家に、チャンスを与え、作成して貰うことも、決して、無駄な骨折りでは無いような気がしてならない。電通の親しい友人にでも、頼めば、それで、カネを支払いすれば、一件落着ではないし、そんな昔の大企業の一員では、もはやないのが現実である。勿論、著作権とか、使用権料とか、法的な面や知的所有権の面も、しっかりと友人の専門家に頼んで、抑えながら、じっくりと、整えてゆけば、ひょっとすると、T-シャツや暖簾やエプロンも、外人向けに法被も浴衣も、うまく行けば、お土産で売れるかも知れないですね。慎重に、しかも、着実に、やって行こうということになりました。どんなロゴとパッケージが出来るか、おおいに、楽しみになってきた。とにかく、何でも、やってやろう!その先に、何かが見えてくるのであろうか?いよいよ、ドッグランも建設が、今週には、始まりますので、又、お楽しみに、、、、、、。

 

 


早速、英文HPの効果が、Airbnbの予約で、出始めた!!:

2016年05月31日 | 社会戯評

早速、英文HPの効果が、Airbnbの予約で、出始めた!!:
ボランティアで、早速、英文HPを開設したら、早速、その効果が出始めて、6月、8月と12月末と海外インバウンドの予約が、入り始めた。一応、予想通りと云えば、そうでるが、極めて、順調で、しかも、様々な分析が可能になってきた。サービスも、きめ細かく、お客様の意見をどしどし、取り入れてゆけば、面白い展開になりそうである。しかも、レビューを書いて貰って、他人の褌で、宣伝してもらえることは、誠に有難い話である。確かに、このレビューは、ホスト側も、顧客側から評価されると同時に、顧客側も、ハウスルールを守らなかったとか、ホスト側から、低い評価をされると、今度は、ほかの宿泊場所に、泊まる権利を制限されたりもするし、ホスト側から、レビューを評価されないと、レビュー自体が、公開されない仕組みになっている。成る程、なかなか、考えたモノである。これなら、一定のレベルの顧客を常に、維持できそうである。要するに、質の悪い顧客が宿泊することは、どうやら、なさそうである。しかも、顧客側は、ある程度の評価を、レビューを読みながら、判断出来るというモノで、なかなか、考えたモノである。徐々にではあるが、こうした相乗効果が、しっかりと表れてくることであろう。

 


地域のお年寄りと一緒にネット・ショップを立ち上げる:

2016年05月28日 | 社会戯評

地域のお年寄りと一緒にネット・ショップを立ち上げる:

今の時代というモノは、ITを駆使すれば、いとも簡単に、ネット・ショップが立ち上がってしまうモノである。地域のお年寄りと話をしてみて、『顔の見えるネット・ショップ』を立ち上げることにした。要するに、分業・協業である。即ち、こちらのこれまでの会社でのネット・ショップの経験とお年寄り達のサプライ側との分業・協業で、これに、若い人達の感性を外部から、都会の顧客として、アドバイザーで参画してもらい、箱や袋のデザインなども、地元のデザイナーなどや、クラウド・ソーシングで、袋やロゴなどを、着実に、構築してゆけば、しっかりと、『顔の見える関係性』を生産者と消費者の間で、可能になろう。私は、よそ者だから、地元は、地元の人にお願いするのが一番である。何事も、小さな第一歩からである。既に、商品リストとプロジェクトチームは、発足済みである。もっとも、発足と云っても、お茶飲みながら、の茶話会だけだったが、、、、、、。ミーティング・ミニッツもレジュメもない。何も、大きな組織ではないから、、訳の分からぬ出来の悪い部長やお偉いさんの承認を貰う必要も、全く無い。サプライ・チェーン。マネージメントも、お手の物であり、又、食品ラベルも、これまで、イヤと云うほど、やってきた。又、マーケティングも、これまでのビジネスの延長線上である。後は、もうやるだけであるから、プラット・フォームを構築して、宿泊して貰ったり、農業体験に理解を示してくれる顧客への告知と宣伝・組織化である。既に、生産者の個別、ニック・ネームと顔写真・自己紹介シールも、準備済みである。年寄りの生きがいになれば、これに勝るものはないし、都会の消費者が、喜んで貰って、体験に、来て貰えれば、有難い。今度は、庭作りも消費者には、手伝って貰おうかとワークショップを企画中です。なにせ、都会のマンションでは、自分の庭もないでしょうから、、、、、、、。ひょっとして、雑草取りも、やって貰えるからも知れませんネ。只、モノを売るだけでは、誠に、勿体ないコンテンツである。7月目標で、開店準備中です。