小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

熊本震災義援金の協力:

2016年05月26日 | 社会戯評

熊本震災義援金の協力:

阪神・淡路大震災の時には、義理の妹の神戸の実家が、崩壊して、当時90歳以上であったお爺さん夫婦が、生き埋めになって、何とか救助されたが、そんな長生きをして、怖い目に遭うなんて堪らないと、当時思った記憶がある。会社の同僚の実家やら、結局、義援金やら、様々な支援物資を送ったことを想い起こす。3.11の東日本大震災の時も、徒歩で、4時間以上かけて、携帯電話のテレビの画像を見ながら、自宅まで、帰宅したことをこちらも、想い出さずにはいられない。又、当時は、その前に、NZのクライストチャーチでの地震もあったりと、NZの取引先からは、支援の募金要請があって、こちらも又、義援金を海外送金したことを想い出す。こうして考えてみると、相互互助の精神ではないが、お互いさまで、持ちつ持たれつ、災害の時には、何らかの手を差し伸べるのが、災害や地震の多い日本では、やはり、当たり前なことなのであろう。そうしてみれば、父や祖母も、関東大震災の被災者であったことも、我が家の歴史の中では、記憶遺産に該当するかも知れない。今回は、義援金という形とは、異なり、版画作品を購入するという形で、その代金を全額、義援金として、寄附して貰うことにした。田植えも観ているだけの田植え参加で、せいぜいが、ロジスティックくらいしか、お手伝い出来ない以上、年寄りに出来ることと云えば、せいぜい、お金を寄附することくらいか、使って上げることくらいしか、出来ないのが、関の山であろう。まぁ、それでも、精神的な支援よりも多少は、役に立つかも知れない。何に、どう使われようが、税金の使途を監視する市民オンブズマンではないから、それは、宜しいであろう。購入した作品に、代わりに、作品の中に描かれたなまず様には、地震被害に合わないように、せいぜいが、守って貰うように、お祈りするしかないかな?

 


シャープの7000人人員削減計画?:

2016年05月19日 | 社会戯評

シャープの7000人人員削減計画?:

おやおや、鴻海からの再建支援金が、いつのまにか、1000億円も削減された挙げ句の果てに、今度は、人員削減をせずに、何とか、再建計画を軌道に乗せようと、身売りの契約をしたはずだったのに、一体、どうなっているのであろうか?やはり、おぼこい日本人経営者達は、叩き上げの鴻海の嘗てのやり方と同じく、再び、煮え湯を、案の定、飲まされることになるのだろうか?何とも、やはり、予想していたかのような展開になりそうである。一体全体、最近の日本に於ける経営者のだらしなさは、一体、どうしたことなのであろうか?甘利・猪瀬・桝添と連続して、政治家の不祥事は、何をやであろうが、下部構造のほうも、どうやら、東芝や三菱やスズキではあるまいが、シャープも含めて、勿論、それぞれの問題は、異なろうが、地震の如く、脆弱な地盤の上に、組み立てられていたのかも知れない。それにしても、凄まじい規模での人員削減案である。私が、昔、新入社員で、入社した会社の規模が、約1万人であったと記憶するが、ほぼ、丸丸、当時の会社が、見事に、消え去ることになるのであろうか?考えてみれば、皮肉なことである。自分の手で、人員削減を出来ずに、結局、きれい事を並べて、再建計画の中身を、次々と違えてきて、これで、よく、労働者の権利が、生活権が、雇用が、守れたなどと云えるのであろうか?中高年・若者も含めて、再び、人材と技術の草刈場になることは、もはや、必至の状況ではなかろうか?サンヨーもそうであったし、東芝も切り売りで、そうなのかも知れないし、どこもかしこも、落ち武者狩りのような様相を呈し始めてきている。何か、アベノミックスが、どこかで、ボタンの掛け違いをしたように、どこか底知れない心理的な地震による不安感のようなものが、蠢き始めている様に感じられる。オリンピック招致に沸いた頃から比較すると、明らかに、競技場の問題、エンブレムの問題、招致に要したコンサル費用の問題、過剰な海外視察費用に要した問題等…、明らかに、冷や水を浴びせかけられたような様相である。何か、心理的に明るくなったはずなのに、知らぬ間に、地震のいつ又襲っているのではないかという不安と恐怖のような予感が、漂い始めて来ている。こういう状況になると、やはり、倫理観・清貧の思想が、必要・不可欠であり、厳しいガバナンスとコンプライアンスが、とりわけ、必要不可欠であると、まるで、今度は、振り子を逆に、大きく振られるかの如く、議論が声高に行われると、又、日本人のお得意とする、空気を読みながら、いつか来た道へと、再び、戻り兼ねもしない。

それにしても、経済・経営の分野でも、政治の分野でも、新しい時代を先取りする社会的なテーゼは、一体、何なのであろうか?少なくとも、子供の頃のガンジーの高貴な孤高の哲学と強靱な不屈な精神力に支えられた非暴力(無)抵抗主義などという、当時のテーゼ、或いは第三世界と言う言葉なども含めて、どうも、実に、見えてこない。見当たらないのではなくて、私達自身が、創り出そうとする努力をしていないのか、それとも、創り出せないのか、それとも、若冲ではないが、千年具眼の徒の出現を俟たなければならないのか?うーん、唸ってしまう。

 


ヨーカ堂の社長交代に思う:

2016年05月17日 | 社会戯評

ヨーカ堂の社長交代に思う:

企業というモノは、とりわけ、オーナー企業の場合でも、或いは、中興の祖による輝かしい業績を有する企業でも、随分と、最近では、組織ガバナンスの問題とか、オーナー宗家との関係性やら、宗家内部での骨肉を相食む親子の関係やら、或いは、米国流の物言う株主などと云う複雑な問題が、出てきて、更には、最近では、外部監査役とか、訳の分からぬ社外重役とか、学者も含めた人材の登用など、誠に、一筋縄ではゆかない様相を呈しているようである。新聞報道で読む限り、イトーヨーカ堂、セブンイレブンの社長交代劇を見るたびに、改めて、こうした問題が、大きなリスクなのであることを、感じざるをえない。マクドナルドの藤田田ではないが、『勝てば官軍!』、何でも宜しいから、業績がすべてであって、どんなに、屁理屈、理論を並べ立てたところでも、業績が上がらず、結果として、衰退へと坂道を下って行けば、もう組織というモノは、それで、一事が万事、評価されないモノでもある。逆に、どんなに、業績が良くても、時間をある時点の未来の一時期から、逆廻しに見た時に、実は、その時が、好調な業績のピークであって、そこから、知らぬ間に、下降してゆく下り坂の始まりだったとは、誰しもが、気が付かないモノかも知れない。一強多弱のコンビニ業界でも、錯覚ではないが、鈴木氏は、決して、オーナー宗家ではなくて、実は、創業者・宗家でもなかったわけで、もっとも、自らが手掛けたこのコンビニという業態事体が、もう1人の嘗ての番頭であった鈴木氏と一緒に、二人三脚で作り上げてきたものの、いつしか、出来上がった道を、様々な後からやってきた人達が、企業ガバナンスだとか、物言う株主のファンドとか、外部社外取締役とか、学者先生達によって、どうやら、自らのカリスマ性を否定された挙げ句の果てに、商人の根本である、『動物的・本能的な勘』までも否定されてしまい、つまり、業績が一番良いときに、何故、社長を交代させる必要があるのか、という実に悩ましいが、誰もが反対が出来ない理由で、辞任せざるをえなくなったことは、誠に、御本人は、忸怩たる思いがあったことであろう。もしも、藤田田が生きていたら、どのようにコメントしたであろうか?なかなか、興味深いモノである。『終わりの始まりの兆し』とでも、云ったであろうか?もう、後は、これから先、何年後かの業績の推移を見守るしかないであろう。しかし、科学的な理論と、果たして、カリスマの勘とは、どちらが、将来、優っていたことを証明するのであろうか?他人事といえば、それまでの話であろうが、、、、、、。社員や、取引先、関係者・フランチャイジー達は、他人事ではなかろうが、、、、、。この先、どうなるのであろうか?

 

 


イスラム勉強会に考える:

2016年05月14日 | 社会戯評

イスラム勉強会に考える:

考えてみれば、もう、随分と長い間の付き合いである。半世紀ほどにもなろうか、親しい友人達との誠に、内々の茶話会(?)もっとも、冷たいビールを結局、戴きながらに、なってしまったので、途中で、眼が泳ぐようなことになってしまったが、、、、、。まぁ、気の許せる仲間達との肩肘張らない一種の勉強会のようなものである割には、なかなか、考えさせられる内容になった。とりわけ、一神教と多神教の問題とか、奴隷という言葉の定義とか、今日的なインテリジェンス、情報収集の在り方とか、石油価格の予想とか、それにしても、次から次へと、考えさせられる課題が、浮き彫りになるものである。新聞やマスメディアには、書かれていないサウジの裏話や、なかなか、興味が尽きないモノである。もう、みんな第一線を退いた年寄り連中であるから、それぞれ、一家言は有しているものの、人間には、やはり、知的な好奇心が、どこかで、くすぐられないと、生涯現役で、勉強をしようとする内的な、或いは、積極的な意欲とでもいうか、そういうムーチべーションが、人間には、とりわけ、年寄りには、どこかで、沸いてこないと駄目なのかも知れない。昔は、実存を問われるように、口汚く(?)刺々しく、ののしり合った(?)仲間でも、みんな昔のふさふさの黒かった長髪も、グレーになったり、ほとんど、透けて見えるような状態になってしまったが、気持ちは、若い頃と変わらないのは、面白い。たまには、こういう類の会合を主宰して、出たとこ勝負で、集まるのも、宜しいのかも知れない。別に、もう、ギラギラした、利害関係もあるわけではないし、生き方や実存を問われるわけでもないから、気軽と云えば、気軽である。しかしながら、そんな中でも、根源的に、考えさせられる問題というモノが、結構、存在しているものであうことに、気づかされる。昔、読んだ本も、再び、読み返してみようかとも、考え始めた。それにしても、都会の地下鉄の駅と言う奴は、簡単に、迷うし、おまけに、長い距離を歩かされるモノである。電車に乗っている時間よりも、ひょっとしたら、体感では、乗り換え時間のほうが、長いのではないかと疑ってしまうほどである。

 


竹細工・藁細工の復古を企むことにしてみた!:

2016年05月13日 | 社会戯評

竹細工・藁細工の復古を企むことにしてみた!:

先日、農民伝承、伝統工芸品の話を聞いていたところ、今日になって、幾つかの写真がメールで送られてきた。何でも、猫つぐら(ちぐら)が、面白そうである!もっとも、自分の家の飼い猫は、中に嫌がって入ってくれなかったそうである.どういう理由なのであろうか?興味深い話である。それでも、今時、こんなモノを創っている人がいることに、改めて、驚いてしまう。それでも、キャット・ハウス等と云うよりも、この名称自身が、まるで、危険危惧種・絶滅寸前の化石寸前でいて、おおいに、宜しいではないか?農民の伝統工芸の復古を、ネット販売で、企んでみることにするか?こちらは、商品企画開発で、素材も含めて、販売マーケティングを担当して、後は、お年寄りに、毎日、少しづつでも良いから、或いは、予約販売でもよいから、少量から、作って貰うことにしたい。フランス・バケットタイプのパンを運ぶ小粋な藁バスケットとか、昔、子供の頃にイヤと云うほどあった、お弁当入れとか、何せ、若い人の感性で、商品開発をおこない、地元のお年寄りに、製作を1個から、まさに、手作りで、製作して貰って、製作過程をYouTubeででも、アップしてみようか?藁細工だけでなくて、竹細工も宜しいではないか?!先日、爪楊枝の作品を見せてもらったが、お母さんには、爪楊枝などと命名するのではなくて、フルーツ・ピックやスィーツ・ピックとか、名称を小粋な感じに、変更して販売すれば、新しい切り口で、面白いのではないかと、これも又、企みが日々、募ってきた。それにしても、色々なアイディアが、沸々と沸いてくるものである。又しても、今日、用事が、出来てしまった。間もなく、ネット販売を開始しますから、お楽しみにしていて下さい。これと並行して、今度は、庭園作りを企むことにするか?感性に満ちた若い庭園デザイナーを発掘したいところである。

 


ドッグランと古民家再生計画:

2016年05月12日 | 社会戯評

ドッグランと古民家再生計画:

小諸、糠地の農家民宿、里山生活体験宿の『青雲館』にある、露天の手作り『五右衛門風呂』の眼下には、対岸の八重原にある明神館の芸術村が、遠望できる売りがある。最も、すぐ隣接している耕作放棄地には、草が生い茂り、その更に下に拡がる元畑とおぼしき土地には、枯れすすきが、背高2メートルほどにもなり、実に、折角の美しい景観が宜しくない。司馬遼太郎ではないが、『庭園と景観は、何世代にも時間とカネを要する芸術作品である』と言う言葉通り、カネでは、買えない代物であろう。何せ、ない知恵を絞りに絞り、考えてみたところ、この草ぼうぼうの荒れ果てた土地に、山羊でも借りてきて、2頭ばかり、杭に繋いで、自由に放牧しておけば、ロープの範囲で、数週間でもすれば、雑草は、見事に、食べられてしまうだろう。そして、この土地を活用して、ドッグラン運動場を、害獣防止柵を活用して、DIYで、お客さんと一緒に、(他人の褌で)ワークショップでもやりながら、フェンスを設置して、そこに、イヤと云うほど、生えてくるアイビーでも植樹しておけば、目隠しにもなり、宜しいのではないだろうか?無償ボランティアの報酬は、提供された労働時間に応じ、無料使用権を、与えれば宜しい。土は、半分芝生で、残りは、在庫処分で行き場をなくしたバークの小さいサイズをバラ播いておけば、取り敢えずは、完成に、漕ぎつけられるかも知れない。おまけに、隣接する土地には、テントでも張れる芝生を用意しておけば、飼い主も、安心であろう。兎にも角にも、乾いたタオルを絞りに絞って、他人の機能を活用して、ミスマッチを、グッド・マッチへと繫げることが出来れば、大いなる再生へと、耕作放棄地も変身できるかも知れない。更には、子供達向けに、山羊や兎という小動物との触れあいとかを、お年寄りを活用して、やって貰えれば、これも、願ったり叶ったりではなかろうか?築100年以上にもなろうとする古民家も、格安で、借りられれば、これを内装工事改造することで、格安で、その『眺望権と使用権』を、マルチ・シェアリングという形態で、格安に、中小企業の従業員やその家族、或いは、オーナーの家族向けに、別荘として、使用権販売が、可能になるかも知れない。そして、自分たちが、宿泊したいときには、予約を事前に、ブロックしておいて、空いた日時を、今度は、Airbnbへ、一般公開して、活用して貰えれば済むであろうし、現地の草刈りや管理は、現地の人に、管理料という形で、お支払いすれば、これは、もう、一つのビジネス・モデルになり得るのかも知れない。モノは、試しであるから、月額1万円でも、借りることが出来れば、後は、改装費用を友人の建築・設計士と、法律的な契約事項を友人の弁護士と相談しながら、コストを抑制できれば、廃墟同然の古民家再生も、夢の又夢とは、云わせない。専門的な不動産屋に、任せて、しっかりと、仲介料を取られずに、宅地建物免許を有する友人に、お小遣いでもあげて、或いは、使用権を少し、分ける形で、付与すれば、多いに、可能性が大であるのかも知れない。又、一つ、今日、用事が出来てしまった。お愉しみですよ!

 


100円い草草履は、優れものである:

2016年05月11日 | 社会戯評

100円い草草履は、優れものである:

まぁ、謂わば、衝動買いに近いものであるかな!。脊柱管狭窄症であり、且つ、脚の裏が、謂わば、象さんの足裏のような感覚であるから、スリッパーが、おおいに、苦手である。しっかり、履ければ、宜しいのであるが、これが、むしろ、中途半端な段差を助長してしまい、バランス問題発生である。い草で、出来た恐らく、外国人観光客向けの100円ショップの草履は、27cmというLLサイズは、騙されたと思って、衝動買いした割には、なかなか、優れものである。まずは、草履の底が、フラットなのが実に宜しい、しかも、裏底がゴムだから、滑りにくい、そして、何よりも、夏には、蒸れなくて宜しい。安いから、こいつは、外人への土産物にもなるかも知れない。おおいに、期待できるかも知れない。何せ、100円だから、、、、。布製の草履も、室内履きには、宜しいかも知れない。何でも、伝統工芸で、田舎でも、作られているものであるが、色々と、試してみることにするか?こうなると、靴下も、変えなければならないのかも知れない。いずれ、お祖母さんにでも、布製でも、作り方を教えて貰うことにしてみようか?何も、爆買いの品を揃える必要は無かろう。伝統工芸でも、充分であろう。

 


サイクリングの目線:

2016年05月10日 | 社会戯評

サイクリングの目線:

普段、車を運転していると、坂道でも、冷たい風も、何も感じることなく、アクセルを一発、一寸、ふかすと、ビューンと一気に、登ってしまうものである。もっとも、四国の一部巡礼の時には、自転車で、嫌と云うほど、山道の苦労を思い知らされたものであるが、又、性懲りもなく、スポーツタイプの電動自転車を購入して、天気の良い日には、Ⅰ時間程度は、坂道を上り下りして、カロリー計算をしているが、走っていて、自分の目線の変化に気が付く、恐らく、徒歩で歩くのも、そうなのかも知れないが、サイクリングというものは、風を感じ、空気を愉しみ、道端のお地蔵さんとか、小さな花とか、川に降りてゆく小さな小径とか、何かの石碑とか、車では、パッと過ぎ去ってしまい、目に留まることが、絶対にないことが、しばし、そこで、立ち止まってみるということは、実に、人生にも、必要なことなのかも知れない。そして、『目線を変えてみること』、或いは、この『立ち止まってみること』も、人生には、必要なことなのかも知れない。すると、これまでは、自分自身、気が付かなかったことが、『新たな視点で』、見えてくることになるのかも知れない。どんな風景が、これから、見えてくるのだろうか、おおいに、愉しみである。

 


Farmer’s Guest House SEIUNKAN 英文HPのUP完了!:

2016年05月08日 | 社会戯評

Farmer’s Guest House SEIUNKAN 英文HPのUP完了!:

Farmer’s Guest House SEIUNKAN Woodland Life Experience, 農家民宿 里山体験宿、小諸市糠地の『青雲館』の英文HPのアップ完了である!ボランティアのやっつけ仕事と云えば、それまでであるが、兎にも角にも、無料サイトでの作成だから、その出来映えは、コンテンツ次第であろうか?何せ、素人の年寄り仕事だから、取り敢えずは、致し方ないか?見るに堪えられるだけのことはないであろうか、おおいに、心配である。これは、まだ、試運転の段階だから、徐々に、アップグレードしてゆくことにしましょう。とりわけ、写真の差し替えは、重要なのかも知れませんネ。後日の毎月のアップ・デートにご期待下さい。これに加えて、Airbnbでも、英文で、こちらは、日本語も併せて、考えていますが、取りあえず、インバウンド向けに、奧の大きな古い風格のある日本間一室のみを紹介することにしました。

 

http://nkmrimc.wix.com/seiunkan#!home/mainPage

 

https://www.airbnb.com/rooms/12897786 (21日以降は、下記に、移行します)

https://www.airbnb.jp/rooms/12916576

 

外国人の友達に、ご紹介下さい。7月から動き出す、長野県下、10都市での『交流の駅構想』に向けて、まずは、試運転です。

 


農家民宿の再生に挑む:

2016年05月05日 | 社会戯評

農家民宿の再生に挑む:

GWの最中であるから、少々、こちらも、実は、休みを取らせて貰って、ブログも一休みと言ったところである。もっとも、こちとらは、毎日が、日曜日の日帰り温泉施設湯治客であるから、実際、世間様の休みとは、おおいに、異なるのであるが、、、、、、。折角の空いた時間を、ボランティアで関わっている活動に、少しでもお役に立てればと思い、無償勤労奉仕の無料で、英文HPの開設と、Airbnbへの英語版登録による海外旅行インバウンドへの宣伝を、開始する準備を、行ってみました。色々と、オーナーに話を伺ってみると面白いモノである。やはり、コンテンツというやつは、そこに暮らしている人間は、存外、その価値を認識していないものなのであろうか?むしろ、私のようなよそ者の方が、或いは、外人の方が、より客観的な価値を、評価出来るのかも知れません。誠に、皮肉なことである。最近判ったことであるが、Airbnbを利用する客の中に、海外の観光客だけでなくて、一般の日本人も、これを活用する事例が、急激に、拡大していることが、何件かのインタビューでも確認されました。日本人というものは、実に、面白い人種である。外人が評価すると、或いは、価値を再認識して戴くと、改めてこれまでの『捨て去られていた価値の再認識』をするようである。そして、いち早く、これに気が付いた者こそが、素早く、ビジネスに、結びつけてしまうようです。専門的な知識しか持ち得ていない分野にも、無料で、コストをかけないでも、簡単に、インターネットで、IT技術を駆使すれば、英文HPも、出来上がってしまうことは、実に、驚きである。全く、見様見真似で、誰にも相談することなしに、それなりのコンテンツと、オリジナル差別化可能なコンセプトを独自に、盛り込んだ英文HPが、いとも簡単に、数日の間で、出来上がってしまうものである。『信州交流の駅構想』にも、参加予定の10都市にまたがった独自のITプラット・フォームを構築すれば、何も、大手の楽天や旅行会社にも負けない独自の『ヒトがやってきてくれて、お金が落ちて、地域に循環して、雇用や、ネット販売のチャンスが生まれれば、』決して、夢物語ではないことは、間違い、そのような強い確信を抱くようになりました。衰退した50年前の農家民宿も、ひょっとして、都市の便利なビジネスホテルに飽きてしまった若いビジネス客や、昔学生時代に、滞在した、今では引退したお客さん達も、孫を連れても、やってきてくれるし、そういう層を取り込める可能性は、多いにあるように考えました。今度は、英語版のみならず、このベースになった日本語で、作ってみても宜しいかも知れませんネ。そして、今度は、小諸に来た人が、武石村にも、或いは、他の村にも、共通のプラット・フォームで、往き来する『ヒトの交流』が生まれれば、大いなる悦びです。その意味で、休み期間中に、わざわざ、駒ヶ根市や小諸市にまで、脚を運んで直接面談で、意見交換して戴いた、名古屋大学の遠藤准教授には、オープン・データに関する様々なアドバイスを戴き、感謝すると共に、早速、1000円程度のビーコンを活用した須坂で、実施済みの観光コンテンツを、こちらでも、独自に、活用してみたいと考えています。年寄りには、『今日やること、用事が、出来ると、』元気になるものです。兎に角、自分で出来ないところは、出来るヒトのノウハウを最大限に活用・協力して貰い、一歩でも、前に、進みたいと思っています。営業開始日が確定次第、二つの英文サイトが、アップされます。お楽しみにしていて下さい。

 


電動アシスト自転車の経済効果:

2016年05月02日 | 社会戯評

電動アシスト自転車の経済効果:

ハイブリッドの自動車から、PHVへ、そして、水素自動車へと、移行しつつある自動車業界に較べて、電動アシスト自転車の業界というのは、まずは、子供連れのママチャリ利用者が、恐らく、街中では、その顧客ターゲットなのであろうか?それにしても、実際、小諸のような『坂の街』を売りにしているような地方都市では、実際に、体験できるような機会を設けない限り、どんなに、逆立ちをしても、なかなか、普及には、至らないであろう、とりわけ、排気ガス対策として、自転車を推奨するための行政による補助金という名目ではあるが、一人、一台、2万円では、電動アシスト自転車の販売価格に比して、大したメリットは、感じないであろう。利用者側としては、そもそも、補助金の活用自体を、どれ程の人間が知っているのであろうか?どれ程の告知効果が、あるのであろうか?こういう対費用効果のデータの測り方も、必要不可欠ではなかろうか?まぁ、行政とは、そんなものなのかも知れない。しかしながら、街の自転車屋からすれば、一台、数万円しかしないような自転車では、こんな急峻な坂道の多い街では、どんなに、多段ギアを使用しても、全く、歯が立たないし、よくぞ、商売をしているものである。車を運転している同じ場所で、自転車を乗ってみると、何と、平地に見えるような場所でも、存外、結構な傾斜や坂道であることが、実感される。こういう場所では、確かに、電動アシスト自転車の威力は、大したものである。全く、優れものである。これなら、街の自転車屋でも、一台販売すれば、普通の自転車の少なくとも、最低4倍以上程度は、あるはずで、これを考えれば、もっと、積極的に、行政は、住民の脚の確保を最優先課題と考えれば、もっと、試乗体験の機会と場所を、宣伝、プロモーションすべきであろう。単なる、観光限定だけでは、全く、勿体ないものではなかろうか?例えば、まずは、無料体験試乗会の推進から始めて、次に、シェアリングへ、そして、体験結果から、購買へと、繫げて行けば、徐々にではあろうが、普及が進んで行くのではなかろうか?実際、購買してみて、判ったことであるが、かなりの急峻な坂でも、難なく、登ってくれるとは、全くの驚きである。もっとも、下りの坂道でのスピードには、充分、注意しなければならないが、まるで、車並みの速度が、確かに、メーターに表示される。ジムに備え付けられている室内バイクでは、30分漕ぐのは、とても、根気と忍耐力を必要不可欠とされるものの、お天道様の下では、1時間ほどでも、何なく、漕いでいられるものである。10キロ、20キロはゆうに、30キロくらいまで、簡単に、乗っていられるとは、全く、驚きである。経済効果も考えると、もっと、真剣に、考えてみても宜しいかも知れない。老人専用の買い物専用の三輪車電動自転車もあるようだから、生活に密着したタイプの宣伝・啓蒙活動も必要ではなかろうか?小諸駅の観光協会で、ママチャリ型の電動アシスト自転車を、試乗してみたら如何であろうか?

 


爆買いしない外国人観光客検索キーワード:

2016年04月22日 | 社会戯評

爆買いしない外国人観光客検索キーワード:

だいたい、日本人というものは、幕末明治期の時もそうであったのであろうが、外国人であるビゲローやフェノロサ等による、日本美術の価値の再発見が、なされる以前には、全く、その価値が理解されずに、貴重な文化遺産が、二束三文で、売り払われていたのが、現実であった。それは、今日でも、全く、同じことが通用しているようで、地方都市の住民というものは、全く、故郷の価値を、外国人によってしか、どうやら理解出来ていないようである。それは、スノー・モンキーでもそうであるし、又、インバウンドを担当する一部の役所の担当者も、全く、同様ではなかろうか?たまたま、1週間ほど、観光滞在しているサンフランシスコから、初来日で、やってきた単独行動の女性アーティストと、ゆっくり、歓談していたら、どうやら、これまでに、やってくる人達と、全く、同じコンセプトに、共鳴して、やってきてくれる旅行者であることが、再発見され、色々な貴重な意見を聞くことが出来た。勿論、東京や京都、日光などを巡る予定になっているのは別にしても、何故、この小諸の、しかも、こんな里山の辺鄙な場所を選択したのかから、質問を敢えて初めてみた。そして、どのように、最終的な場所の選定・決定に至ったかを、逐一、質問してみたところ、次のようなことが判明した。Airbnbの英語サイトで、検索を、まず、目的地、例えばKomoro,  次に、Guest House, ハイフンを入れて、続けて、Quiet,  Peaceful,  Art, Music, etc, 自分の望むところのコンセプトを、打ち込んでは、これを新しいキーワードで、場所の選定を行ってゆく訳である。そして、候補を何軒か、挙げておいて、個別に、今度は、そのサイトのReviewを詳しく、読みながら、部屋の内装や、食事の内容を、写真で、確認した上で、予約へと入ると懇切丁寧に、説明してくれた。成る程、やはり、想像していたとおりだ!Good Reviewは、何もしなくても、情報発信の動く発信拠点になるのだ!広告や宣伝などは、全く、不要で、過剰サービスを、むしろ、究極のサービスの削ぎ落としのほうが、むしろ、爆買いをしない外人観光客は、こんな辺鄙な里山にまで、来てくれるのであろう。幾つかの要望も出てきた。駅からの迎えとか、途中でのコンビニとか、スーパーでの買い物が何処で、可能なのかも、サイトには、表記して貰いたいと、成る程、都会では、100mも歩けば、コンビニが、いくらでもあるが、こちらは、車でないと行けないから、、、、、。そして、何もしないこと、景色を眺め、月や星を眺め、地産地消の安心・安全の野菜料理で、この人は、ベジタリアンであるが、結構、イスラムも含めて、ベジタリアンが多く来てくれるのは、有難い、今夜は、日本酒を飲みながら、たらの芽の天ぷらも、ワイワイガヤガヤ、やるのは、異文化交流の上からも、ホテルにはない全く新しい発見であると、布引観音を散歩で、歩いてきたらしいので、布引観音伝説を、英語で、説明してあげたら、大層、感激された。駅前の観光協会にも、顔を入れて写真撮影できる看板があったが、肝心の英語での説明がなければ、意味がない。地方の民話とか、寓話とかを、今度は、少し、ボランティアで、翻訳してみようかな。結構、喜ばれるかも知れない。真田丸より、ずっと、効果的ではないだろうか?桜を愉しんだようなので、是非、今度は、秋のモミジですねと再訪を希望しておきました。将来、アメリカでも、こんな風な場所を、自分で、作って、運営したいと云っていた。

 

 


小諸観光協会、電動アシスト自転車レンタルを試乗する:

2016年04月20日 | 社会戯評

=小諸観光協会、電動アシスト自転車レンタルを試乗する:

ブリジストン、STREAMというスポーツタイプを小諸駅内で、3時間(1500円)で、試乗体験してみた。なかなか、優れものの電動アシスト自転車で、急峻な坂道も、スイスイ、それ程、脚に力を加えなくても、漕いで、登ってくれる。今回は、小諸駅前から、御牧ヶ原、山浦にある茶房、読書の森まであぐりの湯経由で、往復試乗することにしてみた。

グーグルマップに寄れば、徒歩では、約Ⅰ時間、車で約15分、距離で、約7キロ程度であると、この自転車は、8段ギア変速で、、バッテリーの残量、距離、消費カロリー、スピード、バッテリー・アシストの選択度(強・標準・エコ)の三段階、で、下りでは、ブレーキと同時に、充電も可能になるという。実際に、今日の試乗では、行きが、30分、帰りが、20分程で、下りの坂道は、30キロ以上、上りの坂道でも、時速、11から15キロ、かなりの急峻な道でも、ほとんど、脚を漕いでいれば、負担なく登ってくれるのは有難い。向かい風のハンディを勘案すると、もっと、スピードがでていたのかも知れない。しかも、消費カロリーが、何と、960キロカロリーという有酸素運動プラスで、これは、糖尿病や運動不足を解消・サポートしてくれそうである。

出来れば、初回体験は、お試しで、半額サービスとか、期間限定、外人観光客には、無料貸し出しの特典があれば、口コミで、拡がるのではないだろうか?何でも、小諸から、軽井沢まで、この自転車で、往復できるそうである。こうなると、車の渋滞に、駐車場探しに、イライラすることもなさそうである。充電も家庭の電源にバッテリーを1時間挿すだけで、フル充電できるそうである。蛍光塗料の目立つ三角フラッグに安全ポールをつけて貰いたいところである。そうすれば、宣伝にもなると思われるが、、、、、、、。地元企業の広告もつけたりしても、よいのではないだろうか?インバウンドの観光客向けにも、英文で、簡単なパンフをつければ、更によいので、ボランティアで、作ってみよう。

SNSの未だ顔を見たことのない友人から、金沢での電動自転車のサービスの詳細をネットで、連絡して貰ったが、既に、こうしたサービスが、地域の活性化にも、繋がる側面をもっているのかも知れない。エコ・サイクリングとか、何でもよいから、こういうことが、拡散・シェアーされれば、おおいに、よろしいのではないだろうか、今後に、更に、期待したいところである。試乗の感想などをフィードバック出来るところが、ネット上にでもあれば、尚、結構である。皆様も、是非、一度、お試しください。

金沢のサービス: http://www.machi-nori.jp/

 


電動アシスト自転車のサービス開始に期待する:

2016年04月19日 | 社会戯評

電動アシスト自転車のサービス開始に期待する:

もう3年ほど前になるであろうか?小諸の審議委員会で、電動自転車の導入を提言したことを想い起こすが、小諸観光協会が、いよいよ、このサービスを小諸駅内への移転と同時に、サービスを開始するというニュースを知った。何でも、駅から、高峰高原の上の方まで、すいすい、走って登って行けるという触れ込みだそうである。今後、観光ルートの整備とか、バッテリーチャージ・ポストの増設とかを逐次、実施してゆくそうである。一方で、既に、地方での住民の脚は、サービスの低下をきたしていて、主たる観光地への脚は、勝手に、自動車で、云ってくれと言わんばかりのていたらくである。一方、インバウンドの増加が叫ばれて、喧しいが、これとて、脚の確保がなければ、どうしようもない。先日、NZから来たアーティストの海外観光客と話をしていたら、これは、クール!と喜んでいた。私のような若干、歩行に難儀している人間には、サイクリングも、多段ギアーの自転車であっても、坂の町の小諸では、とりわけ、里山などの急峻な坂道・山道は、どうしようもない。早速、実証実験で、体験してみることにしようかな!よければ、独自購入の検討もすることにしよう。観光と地域振興にも、結びつけたいところである。長いポールで、安全も兼ねて、目立つように、宣伝すればよいのに、或いは、SNSでも情報発信すればよいのに、まだ、どうやら、知恵が足りないらしいのは、残念である。まぁ、所詮、官のやることは、この程度しかない以上、民間が、もっと、考えなければならないだろう。それでも、一歩前進だろうか。やらぬよりも、ましであろうか。


地震報道にみるテレビ・メディアの限界:

2016年04月17日 | 社会戯評

地震報道にみるテレビ・メディアの限界:

つい少し前に、ブラタモリでやっていた『熊本城』にみる火と水の都を、みたところだったのに、誠に、無惨にも、天守閣の瓦や石垣が崩れ去ったものである。活断層や断層の上にしか、日本という火山国は、住まいを作れない以上、いつ、何処にでも、同じ災害に見舞われるとは限らない。何も、古い家ばかりでなく、新築でも、ひび割れでも入れば、考えてみれば、そこで、生活するのは、難しいことになることは必至であろう。テレビの報道を観ていると、如何にも、テレビ・メディアというものは、『被災者の立場』に立った『必要な情報』が、提供されず、結局、他人事のような客観的な分析、地震のメカニズムとか、何秒、どんな揺れがありましたかなど、そんなことは、東日本大震災で、嫌と云うほど、その瞬間には、身を守ることが、最優先で、後追い以外の何ものでもない。そんなことよりも、交通手段、道路状況、水や食料・ガソリンの確保、避難場所、安否確認のやり方、携帯電話の電源確保、など、そうした被災者の必要とする情報は、結局、一部のネット・メディアでしか、機能していないことが、はっきりした。一体、どのようにして、災害時に、情報にアクセスするのか、そして、どんな情報が、求められているのか、などは、これまでの阪神淡路・新潟中越・東日本など、いくらでも、あるはずで、これこそ、メディアの役割ではないだろうか?気象庁などと云うところは、余震・本震・予震などや、活断層のずれの説明されても、一体、被災者の現場に、どれ程の効果と助けになるのであろうか?又、地震の予測などは、直下型に関しては、難しい以上、面白、可笑しく、外れたとか、当たったとか、囃し立てても、全く、被災者には、意味がなかろう。そういう意味からすれば、テレビの報道は、如何にも、改めて、その限界性を露呈したことになるが、それでは、どうするのかが、議論されなければならないであろう。