小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

自動車保険に考える:

2016年04月13日 | 社会戯評

自動車保険に考える:

従来ならば、車を買ったディーラーから、進められるに任せて、自動車保険も、高い保険料を支払っていたものであるが、最近では、ネット・アプリで、簡単に、同一条件であれば、何処の会社が、自分にとって、一番安いかが、比較して、見られるサイトもあるようである。そんなことで、距離分だけを優先して、少しでも、安くあげようとあの手この手のネット勧誘やCMであるが、何でも、自動運転が部分的にでも、可能になってくると、大分、事情が異なってくるらしい。確かに、自動ブレーキ、車線変更、縦列駐車、バックモニター、自動点灯装置など、或いは、ドライブレコーダーとか、ハイテク化されてくるに連れて、当然事故リスクも、低減してくるのかも知れない。運転履歴や走行中のビッグデータの解析が可能になれば、ここのドライバーに応じた個別の保険料の算定と云う事も夢ではなくなろうとしている。もっとも、GPSで、すべての草稿場所と時間があからさまになると困る人間も間違いなく、出てくることは確かであろう。知らぬ間に、こうしたビッグ・データの解析が、女房殿の手許に送られてくると謂うようなサービスも、まんざら、遠い将来の話ではなくなるであろう。もう、今日では、一定の基準や、決まり切った型どおりのクライテリアでのみ、安全性とか、事故リスクの予見を解析する時代が過ぎ去ろうとしているのかも知れない。こうなってくると、それこそ、生命保険等も、間違いなく、日常生活でのビッグデータが、例えば、何を食べて、どのくらい酒を飲んでいて、煙草を何本喫っていて、家族の病歴データから、Aiを活用して、健康年齢ならぬ余名を、算定して、保険料を弾くとか、、、、、様々な応用が、無限に拡がってくることになるのかも知れない。それに比べて、カントリー・リスクとか、貿易リスクとか、地政学的リスクなどは、まだまだ、アナログなのかも知れない。少々、考えさせられてしまう。

 

 


一寸、気になるCM:

2016年04月11日 | 社会戯評

一寸、気になるCM:

いやはや、誠に、残念至極である!何でも日清食品のCMで、ビートたけしや矢口真理などが、出演した大学講座仕立てのCMが、放送中止になってしまったそうである。一度も見たことがないので、コメントのしようがないけれども、見てみたかったものである。何が、中止に至った原因であったのかに、大変、興味が沸きますね。何が、不適切であったのか?そして、何処に、視聴者からのある一定程度の数に上る苦情が、あったのであろうか?更には、スポンサーである、その企業イメージと、そのCMとは、どういう点で、齟齬が生じてしまったのであろうか?どうやら、ネットでの検索だけでは、事情がよく飲み込めないのも、事実である。そこで、お蔵入りになったこのCMを、検索キーワードで調べると、しっかりと、You Tubeには、アップされていて、再生可能なようである。(既に、削除されてしまったとも、謂われているが) グローバルな世界に通用するおバカ人材を育成する Obaka’s University、Crazy makes the Future (英語を敢えて、使用しているのが、憎い!) 特に、視聴者の顰蹙を買うようなモノではないとも感じられるが、確かに、これまで、不倫やゴースト作曲家とか、事実が異なるとかで、世間を賑わせた人達(矢口真里・新垣隆・ムツゴロウ・小林幸子)が、ビートたけし学長の台詞の中で、登場してくるのであるから、一般的な世間の『常識・倫理観・禊ぎ感』から、確かに、受け容れがたい、考えられない視点なのかも知れない。それでも、ターゲットを若者に据えていたにも拘わらず。こういう結果に納まってしまったと云う事は日本社会の中で、まだまだ、テレビ媒体での、或いは、CMの世界で、『ブラック・ヒューモア』のようなモノが、定着していないことを物語っていることになるのであろうか、いささか、残念な気がしてならない。同じビートたけしのCMでも、ライフ・プランナー保険のほうは、本音を逆手にとっても、こちらは、問題なかったのであろうか?多少、ヒューモア感が、あった方が、やはり、『ブラック・ジョーク』よりは、毒気が薄められるのかも知れないが、そのさじ加減が、難しい所だったのであろうか?スポンサーの一方的な言い分ではなくて、制作側の言い分を聞いてみたいものである。バドミントン選手の出演は、間に合わなかったのが、残念でならないが、、、、、。その前に、放映中止では、致し方ない。『馬鹿にならなければ、世の中を変えられない』というメッセージ性にも、今日の時代を暗示しているのであろうか?こっそりと、もう一度、見直してみることにしよう。私同様、まだ、見られなかった方々には、見られることをお薦めしたい。そう言えば、昔、小指を出して、『私は、これで、会社を辞めました』というCMが、あったことも、想い出した。日清の次のCMに期待したいものである。果たして、時代を切り裂くような衝撃的なCMは、打ち出せるのであろうか?期待できるのであろうか?

 


相乗りバスと人ものバスと:

2016年04月10日 | 社会戯評

相乗りバスと人ものバスと:

30年ほど前には、JRバスが、走っていたものの、廃線となってしまい、スミレ号なる地域路線のバスサービスに、変更され、地域の脚の確保を目指すと言うことで、何とか、存続されていたが、これも、採算の悪化ということで、サービスの時間も、極だって、少なくなり、住民の脚の確保には、全く機能していなかった。そして、とうとう、デマンド・相乗りバスという形で、4月から、朝夕の一部のサービスを存続して、登録制の利用を促すことになってしまった。先日、インバウンドで旅行中のアメリカ人観光客に、小諸の懐古園から、あぐりの湯までのバスの時間と停車場を教えたにも拘わらず、結局、駅の停留所が分からずに、車で、迎えに行く羽目になった。考えてみれば、地域住民の脚ばかりでなく、散々、インバウンドの観光客数の増加を目玉にしているにもかかわらず、全く、観光客の脚や、アクセスを考慮していない地方都市行政の在り方は、一体、如何なものであろうか?これでは、地域住民も観光客も、全く、置き去りでしかない。そんな中、ヤマト運輸が、岩手県で、或いは、宮崎県で、補助金も貰うことなく、地域の民間の知恵を出し合うことで、『人と貨物の相乗りバス』を、採算的にも、成功裏に、運用しているというニュースが、報じられていることを知った。宅配便も過疎地の住人の脚も、更には、その延長線上での福祉・見守りサービスまでも、一挙に実現可能となり、関係者一同、おおいに、メリットを享受していると言うではないか?200万円程度のバスの改造費で、こうした素晴らしいサービスが、実現するのであれば、それこそ、各地域、或いは、広域連携でもって、共同で、運行を検討すべきではなかろうか?何事も、知恵を出し合えば、一挙に、解決がつくこともあるのかも知れない。それにしても、何故、こうした事例の共有化が、進まないのであろうか?

 


ICIJによる租税回避者リスト(パナマ文書)の公開:

2016年04月09日 | 社会戯評

ICIJによる租税回避者リスト(パナマ文書)の公開:

ハッキングされたかどうかは、分からぬが、パナマ法律事務所の文書を独自に、国際的な国境を超えて、(International Consortium of Investigative Journalists 略称:ICIJ国際調査報道ジャーナリスト連合)ジャーナリスト達が、分析し、一部を公表したもので、その団体数足るや、21万余に及び、文書総数は、1150万点にも達するそうであるが、一体、どれ程の内容なのであろうか?そう言えば、FIFAの賄賂の問題が、表面化した後に、メッシ親子が、ケイマン諸島で、租税回避措置を執っていたとかで、スペインの税務当局から調査されているというニュースを知っているが、考えてみれば、中国共産党の幹部達にも、米国での親族名義の隠し資産などを、公開したら、或いは、金正恩の北朝鮮個人資産を、公表したら、戦争どころではなかろうにと、以前から、謂われていたが、実際、プーチンも、習金平も、所詮、同じ穴の狢の如く、公然と、名前が挙がってくることに、何も、今更、驚きを隠すこともなかろう。それにしても、今日の世界は、国境なる物を、カネは、簡単に、越境してしまうものである。考えてみれば、昔の大航海時代でも、鼠などは、或いは、蟻や蚊なども、容易に、伝染病ですら、簡単に、国境を超えてしまうのであるから、別に、インターネットによる情報の国境越えや、租税回避が公然と行われても、不思議ではなかろう。もっとも、国家という一定の枠組みでしか、富の移転は、制限されるしかない以上、今日的な問題である、富の格差などは、国際的な一定のルールの中で、相互監視制度が、必要になってくることは間違いなかろう。どんなに、言論の統制や情報の遮断を試みようと、例えば、爆買いで来日する中国人観光客に、本件を、直接尋ねてみたらよいであろう。その口から、又、他の口へと、瞬く間に、マスメディアよりも早く、中国国内へ伝播することは間違いないであろう。北朝鮮は、少々難しいかも知れないが、中国は、容易であろう。そう考えてみると、観光というものも、一種の外交戦略の一つとして、機能するのかも知れない。今後の詳細な解明が待たれるものの、ボディー・ブローのように、じわじわと、これから、色々な情報が、明らかにされてくるかも知れない。国境なき医師団や、国境なきジャーナリストではないが、既に、タックス・ヘイブンの地では、マネー・ロンダリングされた国際的な様々な首脳の懐と死の商人やテロリストやマフィアの資金マネーも、糞も味噌も一緒くたに、きっと、共存共栄しているのであろう。一体、全世界の富と謂われるものの何%くらいが溜められているのであろうか?『we are NOT 1%』の人間には、興味深い内容である。果たして、どれ程、週刊文春は、採り上げるのであろうか?!

 


超高速AIトレーダーに果たして、勝てるのか?:

2016年04月08日 | 社会戯評

超高速AIトレーダーに果たして、勝てるのか?:

株高の潮目も大凡、変わり目に来たようで、機関投資家ならいざ知らず、素人の眼には、一休みとゆきたいところであろうが、何でも、米国仕込みの機械による自動株式売買システムなるものが、しかも、驚くべきことに、AIを駆使して、更には、超高速でもって、人間には、出来かねるような経験と学習と予測を、瞬時に、行ってしまうようなシステムを、大手の野村證券が、導入を検討しているとか、報じられている。これでは、素人の投資家などは、ひとたまりもないではないか?電話による旧来の株式売買が、ネット証券や、コンピューター・システムを導入したデイ・トレーダーでも、何台ものスクリーン画面を見較べながら、最終的には、人間が判断していれば、まだしも、もはや、ここに至っては、AIなる人工知能に、熟練トレーダーの役割をも、担われる羽目になるとは、どうしたものなのであろうか?一秒の何百・何千分の一の差で以て、勝負が決まってしまうような高速化と機械化の波に対する、『不平等』は、議論されることはないのであろうか?競争の平等性は、何処かへ、ぶっ飛んでしまったのであろうか?売りと買いを同時に、機械が、超高速でそのタイミングを逃さずに、完了して、一円の利ざやも、負けることなく、勝ち取るそういうシステム自体に、問題はないのであろうか?もう、これまでの直感とか、経験に頼るような手法は、通用しなくなりつつあるようでいて、密かに、不平等、同じ土俵での相撲は、難しくなりつつあるように思われる。それにしても、これでもか、これでもかと、技術の方がどんどん、法律や現状を追い越していってしまうのであろうか?

 


通貨とは?Fin Techとゲーム・コイン:

2016年04月07日 | 社会戯評

通貨とは?Fin Techとゲーム・コイン:

何でも、LINE POP(公称、4000万ダウンロードと謂われているらしいし、未払い資金は230億円、スマホ・ゲーム市場全体の規模では、何と9450億円規模とかで、今後更に、拡大傾向にあるとされている。)とか云うゲームの件に関して、関東財務局によるLINEへの立ち入り調査がなされたという記事が眼にとまった。これでは、税収不足に喘ぐ当局も目をつけざるをえないのかも知れない。もっとも、こちらには、ゲーム自体が、全く、門外漢で、やったこともなければ、これから、ダウンロードして、やってみようとも、ゆめにも思わないが、そもそも、資金決済法なる法律の中で、前払い支払い方式に、まぁ、要するに、万が一の破産などのリスクを想定して、消費者保護の観点から、事前に、地方財務局へ、一種の発行保証金や資金保全のために、供託しておく必要があるとかで、これを、どうやら、内部指摘があったにもかかわらず、怠っていたという嫌疑がかけられたらしい。もっとも、こうした法律の先を行く事例に対しては、法律の解釈は、いつの時代でも後追いで在ることは事実であるし、解釈になると更に遅れがちであることは否めない。同様の事例は、ゲーム関係の業者に、結構、違反事例があると謂われているが、考えてみれば、一体全体、『通貨』とは、何を意味するのであろうかと、考えさせられる。人気の電子マネーなるものやポイント還元なるものも、マネーと謳われているから、通貨かと思えば、違うそうである。以前、ビット・コインの問題で、所謂、『仮想通貨』が、問題になったが、三菱UFJではないが、一部の銀行では、これを取り込んで、正式に、取り扱うようになったと謂われているが、海外送金の手数料に風穴が空くことを怖れた、初めから、囲い込みの一環なのであろうか?通貨とは、国家などによって、その価値を保証された決済のための価値交換媒体であると謂われているものの、等価交換の価値は、流動的なもので、今日では、外国通貨も含めれば、誠に、複雑化している。外国通貨の交換レートもそうであるし、ビットコインなどの仮想通貨も、或いは、ゲームでのダウンロードに課金される仕組みとか、誠に、ITが、公然と絡んだ、所謂、『Fin Tech』に至ると、もう、これまでの従来型の『信用と融資』などというものは、過去、営々と積み重ねてきたものが、まるで、一夜にして、崩壊してしまう可能性も否定しきれないものがある。マイナス金利もそうであろうが、銀行も、ウカウカしていられなくなるのかも知れない。我々世代が、創業独立するときには、最低限の個人資産を、担保にして、或いは、信用の実績がつくまで、我慢に我慢を重ねて、雌伏、何十年とチャンスが来る時を待ち、銀行による厳しい信用調査にも、パスするために、長年、待ったものである。しかしながら、今日、ベンチャーへ、成功報酬として、一部の株式を渡す代わりに、当座の運転資金を融通して貰って、起業する、所謂、『Fin Tech』活用術が、普及し始めているのも、事実であろう。もうこうなると、一体、通貨とか、資金とか、信用とかとは、一体、何だったのかと、首を捻りたくなってくる。どうしたものであろうか?考えさせられてしまう。

 


又、商品券なのか?!:

2016年04月06日 | 社会戯評

又、商品券なのか?!:

家電エコポイントやエコカー減税などの過去の経験を、踏まえて、消費の喚起に向けて、又ぞろ、商品券とか、額面を上回る価値のあるプレミアム商品券で、子育て関連のサービスとか、旅行券などへの消費を喚起させようと、画策されているが、そんなことで、本当に、消費増税実施が可能になるのであろうか?これまでの事例でも、瞬間的な、或いは、一時的、単発的な消費で、まるで、打ち上げ花火が打ち上げられた後のしょぼい、終わり方にならないのか?要するに、所詮、『需要の先食い』でしかなくて、持続可能な、永続性を伴う消費ではない。そんな小手先だけでの対応策で、可能なのであろうか?消費増税でも回避できれば、それでも、一時しのぎには、やらないよりは、マシであろうが、仮に、消費増税が延期されるようにでもなれば、果たして、どんな構造的対策が、考えられるのであろうか?既に、アベノミクスの潮目も変わりつつあり、財政金融政策も、やや、出尽くした感があり、一方で、依然として、実質賃金が上昇することなく、生活の豊かさが、本当に実感されない限り、或いは、新たな成長戦略の果実が、具体的に、力強く牽引してこない限り、なかなか、豊かさを実感することはなく、トルクダウンも知らぬうちに、汚染水同様、何処かに、漏れてしまい、円高・輸入の恩恵にも、又、円安・輸出の恩恵にも、どちらに転んでも、実感されず、更には、石油安でも、恵まれず、只、ひたすら、物価の上昇のみが、更には、株高の恩恵も甘受することなく、貧富の格差の増幅のみ、実感されかねないのが、現状なのであろうか?記憶に間違いなければ、もう何十年に亘って、景気が悪くなる度に、国内消費・国内市場の拡大政策が、とられたにも拘わらず、うまく、機能してこなかったのも事実であろう。既に、これまでのパターンとか、原理原則が、予想通りに進んでいないのが、現実である以上、これまでと同様の策を弄しても、果たして、うまく、筋書き通りに、機能するのであろうか?

 


イサム・ノグチ・ルーム他、三田キャンパスでの美術鑑賞会:

2016年03月31日 | 社会戯評

イサム・ノグチ・ルーム他、三田キャンパスでの美術鑑賞会:

杉並三田会の分科会である『美術鑑賞会』の定例会参加で、これまで、気が付かなかった学内の貴重な美術収蔵品を、解説付きで、観賞することが出来たのは、有難いことである。何でも、今回は、三田キャンパスに保存されている、著名な彫刻家イサム・ノグチの「ノグチ・ルーム」を特別に公開していただき、調度品も含めて、新校舎内に移築保存されている部屋を鑑賞するとともに、解説を、慶應義塾大学の渡部葉子アート・センター教授にお願いして行って戴くということであった。その前に、まず、最初に、渡部先生に解説レクチャーを受け、その後、大学構内を歩いて「ノグチ・ルーム」を特別見学、併せてキャンパス内のイサム・ノグチ、猪熊弦一郎等の彫刻も鑑賞出来るというものであった。全く、学生時代には、そんな貴重な美術所蔵品が たくさん、構内にあるとは、つゆ知らずに、過ごしたものである。知らないということは、恐ろしいことで、別に、知らなくても、生きていけることに違いはないのであろうが、折角、そこに学んでいる学生や卒業生には、やはり、その歴史的な経緯を知って貰っても、決して、損はないであろう。うすうす、ノグチ。ルームなるものの、存在は、知っていたが、それが、何処になり、又、有名な、『無』の石像の意味も、或いは、戦後の空襲から復興する過程での建築物や構内に置かれたブロンズ像、新旧図書館にさりげなく飾られているステンドグラスも、絵画にも、更には、萬来舎に置かれた美術品なども、確かに、謂われなければ、明治期と江戸期の文化・芸術の融合が見られるも、説明を聞かなければ知らないことばかりであった。自らの血筋と、父親との葛藤と、日米間の政治的な戦争と歴史の狭間に、親指と人差し指を丸く、円環に、交差させた中には、『禅の思想』が、密かに、その底流には、込められていることなど、成る程、知らなければ、それで済んでしまうことも、知れば知るほど、奥深いものである。螺旋階段の微妙な傾斜も、何でもCADで計算するのではなくて、人の手で、設計することで、微妙な趣がそこには、現れてくるそうであり、フォルムとか、使い勝手とかいうものは、微妙に、今日の一律的な機能中心の無機質のオフィス・ビルに似たものになってしまうのかも知れない。その意味で、空襲を奇跡的に免れた三田演説館の建物の脇にひっそりと置き去りにされた感じがあるノグチの旧ルーム跡地のフォルムも、こうして、眺めてみると、なかなか、趣があるようである。現役の学生、卒業生も、或いは、一般の人も含めて、観賞に充分堪えうる所蔵美術品、建築学的にも、大変興味深いものである。美術品のみならず、建築様式というものも、詳しく解説されてみると、吹き抜けや、階段にも、様々な趣向が凝らされていることを、設計者の往事の思いが、感じられて、大変、感動してしまうものである。高松の庭園美術館も、訪問してみたいものである。それにしても、藤田嗣治ではないが、イサム・ノグチにしても、日本という国は、世界的な才能を、戦争という特殊な状況を差し引いたとしても、どういう訳か、受け容れがたい風土が、あるのであろうか?桜の花も開花して、旧図書館の写真を思わず、撮影してしまった。


Snow Money Park で考える:

2016年03月30日 | 社会戯評

Snow Money Park で考える:

何でも、外国人観光客に、長野県でも人気が一番である『地獄谷野猿公苑』を見たいというAirbnbで宿泊している外国人がいるので、ご相伴ではないが、こんな機会でもないと、Snow Monkeyを見ることはないであろうと、その人気を自分の眼で確かめに、一緒に、車で、行くことにした。高速道路でいえば、長野の先の信州中野ICを降りて、渋温泉経由で、ショートカットしようかと思えば、冬季期間は、通行止めで、結局、上林温泉経由で、駐車場に、車を止めて、そこから、杉の木の生い茂る1.6キロばかりの遊歩道を、結局、30分以上徒歩で、ぬかるんだ泥道を登ることになった。最後の硫黄の臭いがかすかに感じる渓谷の上流には、急峻な石の階段があり、ここを登り切ると、切符売り場で、その先に、野生の猿が入ると謂われている湯治場(?)が、見られるという。成る程、実際に来てみると、とんでもないところである。こんな硫黄の臭いの立ちこめる急峻な渓谷に、野生の猿が食べるような食料はなく、こえでは、かつて、里に下りてきて、害獣になってしまうのが、関の山であろうか?これを見事に、逆手にとって、住民が餌をやりながら、猿の集団を囲い込みに成功する、ここまでは、考えられないことではない。しかしながら、そこから、どのように、観光資源としたのであろうか?アクセツ用の遊歩道と、webカメラによる生中継とか、ICTを駆使した情報の発信やSNSを活用したことなど、ハードとソフトの両面から、プロモーションを施したことが、一挙に、世界を相手に、観光資源として、こんな山の中を、一大世界的な観光地に仕立て上げたのであろうか?日本人でも、恐らく、地元の人などは、多分、ほとんど、対象にはならず、というのも、80%以上が、外国人観光客で、せいぜいが、20%程度で、それも、長野県以外からの所謂県外のナンバーが多いように見受けられた。駐車場の傍には、ちゃっかりと、外国人観光客をターゲットにした、寿司ロールとラーメンを販売するカフェが、オープンしている。しかも、外のメニュー案内は、写真入りの英語で、書かれていた。もうこうなると、ブーメラン効果ではないが、ガイジンに弱い日本人には、ガイジンがよいというのだから、きっと、面白いのはないだろうかと、思って、訪問することになるのかも知れない。まさに、私の場合は、このパターンに該当しようか?パンフレットも、英語語・中国語・タイ語とバラエティーに富んでいて、面白いものである。ここには、まさに、歴史旧跡とは全く異なる、人工的な観光地の海外への売り込みの仕方のノウハウが、隠されているようでいて、実に面白いが、果たして、本当に、これで、カネが、巡り廻って、雇用創出にも、役立っているのであろうか?後、10年もすれば、きっと、泥道も、アスファルト化されて、バリア・フリーに改善されるのであろうか?

 


ザッカーバーグに、中国での勝算は、あるのか?:

2016年03月27日 | 社会戯評

ザッカーバーグに、中国での勝算は、あるのか?:

自分自身の個人資産から、中国系の妻とのあいだで、長女が生まれたというので、世界一の寄付金を社会還元に、実施することにしたというニュースを聞いたときには、成る程、この若者は、大したものであると米国内のネチズンのみならず、世界中のフェースブック利用者のほとんどが、その時には、賛同したようである。しかしながら、中国当局のネット規制の網をくぐるかのように、あのPM2.5の濃いいスモッグの中で、紫禁城前を、公然と、ジョギングする写真が、アップされるとは、そして、当局と後日、公然と握手するさまには、その落差に、米国系ネチズンのみならず、一体、この若者は、どんな思惑で、そんな行為を行ったのであろうかと、批判されるのも、理解出来ないわけではない。確かに、天安門事件以降、フランスや欧州へ、逃れた一部の活動家やその支援者達には、まさに、これ以上の裏切りとしか、その目には、見えてこないのかも知れない。香港での出版社の越境拘束や、新聞記者や民主家・弁護士への厳しい拘束や取り調べなど、一連の習金平体制への批判封じの流れが、今、まさに、現在進行形であるにも拘わらず、何故、この若者は、こんな諸行に、突然、打って出たのであろうか?所詮、何処かで、近い将来、その大きなツケが、回されてくることは、間違いないであろう。それを差し引いても、一体、どのような思惑が、あるのであろうか?日本では、既に、若者の中で、フェースブック疲れという一種の社会現象が、見られ始めているのに対して、中年や老人達が、むしろ、増加しつつあると謂われている。今回のザッカーバーグの行動に対して、FBIの情報提供要請に対するアップルのiPhoneのロック解除を断固、拒否するという会社方針は、実に、対照的である。何も、アップルが解除拒否したところで、どうせ、イスラエル辺りのハイテクIT企業が、密かに、ロック解除の技術的な協力を行うことは、実に、見え見えで、初めから、アップルと当局との出来レースであるに違いないことは、明らかである。アップルは、秘守義務を守り、当局は、テロ対策への情報提供という理解を、双方とも、しっかりと、獲得できるわけである。それに対して、ザッカーバーグによる、まるで、ゲッベルスと握手するようなさまは、一体、どのような双方の思惑が、相互利害一致を見たのであろうか?それとも、実は、同床異夢の大いなる闘いの始まりなのであろうか?ここは、感情的にならず、冷静になって、事態の成り行きを見守る必要があるのかも知れない。もっとも、膨大なFBの情報までもが、中国当局の手に入らないという保証は何処にもないが、、、、、。サイバー空間での闘いに、過日、一敗地にまみれた習金平は、オバマにしてやったりというところなのであろうか?それとも、何か、ザッカーバーグには、全く、別の思惑と大いなる次の野望が、あるのであろうか?オバマと事前の打ち合わせは、果たして、なかったのであろうか?依然として、マス・メディアは、紋切り型の分析と報道しか聞こえてこないが、、、、、、、、。


老人よ!惜しみなく、その『無形資産』を若者に与えよ!!:

2016年03月25日 | 社会戯評

老人よ!惜しみなく、その『無形資産』を若者に与えよ!!:

先日、武石村の信州せいしゅん村のある会議に、後輩が、フィールド・ワーク実証調査の場が、なかなか、見つからないので、そのきっかけになるようにと、紹介し、一緒に、参加させて戴いた。考えてみれば、若い時には、政治的にも、社会的にも、随分、我々若者は、よい意味でも、悪い意味でも、(もっとも、ちっとも、悪い意味などとは、その時には、全く、考えても、感じてもいなかったというのが、真実であるが、)親も含めて、ご迷惑をお掛けした以上、歳をとってからは、如何ほどのその経験とノウハウと人脈ネットワークなどを、謂わば、『無形資産』という形で、惜しみなく、社会的な還元で、社会的な貢献とは、云いたくはないが、とりわけ、若い人達には、もっと、手を差し伸べる、そういう場が、SNSでも、現実空間でも、必要なのではないかと、最近、ひしひしと、自分の体力の衰えを感じると共に、その感慨が日増しに、強くなってくる。とりわけ、老人体操教室に参加していると、とても、健康的で、気力体力が充実していて、実に、これらの『老人パワー』は、人口構成からしても、(もっとも、いずれは、フェード・アウトしてしまうけれども、)それまでは、女性の活用なども必要であるが、年寄りに、もっと、お金を使って貰い、個人の有する『無形資産』を、惜しみなく、若い人達に、活躍する場を、機会を、創り出して、そこで、一緒に、『歳をとっても、役に立つという悦び』を感じて貰うことが、まさに、地方の創生の根幹であり、人が集い、カネが循環して、新たなノウハウのICTを活用したハイブリッド・進化形が、生まれ出てくるのではないかと、そんな予感がしてならない。都会での若年貧困対策支援の炊き出しも結構であるが、所詮、一過性の対症療法で、根本的に、何か、新しい起業が生まれるわけではなくて、せいぜいが、『貧困ビジネス』程度ではなかろうか?もっとも、そこには、補助金や税金が、うまく、循環しているわけであるから、なかなか、頭のよい起業家がいるものである。ヤクザに、コンサルタントが雇われていたら、まさに、お薦めなのかも知れない。それはさておき、地域に、カネが落とされ、循環して、若い人達が、或いは、外国人が、やってきて、文化を、芸術を、当たり前の、当たり前な生活を、暗闇を愉しみ、樹木を改めて根元から、てっぺんまで、見渡して、その根の張りかを想像してみることも、そういた都会では、公園にゆかなければ、味わえない様な普通の体験に、実は、『無限の価値』が在ることに、私達は、気が付いていないのかも知れない。爆買いなどという一過性の経済効果ではなくて、持続可能性を有する、無限の循環型の、広く、カネも循環し、深く、精神的にも、その地方に棲む人達が、或いは、やってくる人達が、相互に、インターアクティブに、『日常性に潜む何気ない価値』に気が付けるような、『そんな工夫』が、そこには、求められているのではないかと、最近、つとに、思いを強くする。『それは何か』は、これからも、若い人達とともに、一緒に、創り出してゆきたいものである。その意味からも、老人よ、無形資産を、惜しみなく、与よ!と声を大にして、云うだけでなく、ボランティアの行動・奉仕という形で、汗をかきたいものである。(冷や汗では、決して、ありませんよ。) 下流老人などと謂う概念には、こうした『無形資産』が、見逃されていて、残念でなりませんね。そんなに有形資産とフローばかりが、尺度ではないと思います。そうかといって、精神的すぎる、メザシや『清貧』でも、カネは生まれないし、勿論、廻らないし、そんなところには、人は来ませんね。無形資産を、(よい意味で、提供して貰う) 盗み出すには、どんなオレオレ詐欺が、必要なのかを、考えてみる必要性はありそうである。詐欺師に、一度、質問してみるのも、必要かも知れません。

 


官製春闘も腰折れか?:

2016年03月24日 | 社会戯評

官製春闘も腰折れか?:

どうやら、潮目が変わってきたのであろうか?何でも、トヨタではないが、為替のレートが、1円でも円高になろうものならば、400億円もの利益が、一日で、吹っ飛んでしまうと云うではないか、流石に、官製春闘の音頭取りも、今年は、原油安と中国市場の先行き不透明さや、マイナス金利の影響なのか、ここへ来て、腰折れの様相を呈し始めてきた。実質賃金の上昇も、これでは、あまり、期待できずに、ズルズルと、消費者心理も冷えてきて、トルクダウンも、全く、一番下のシャンパン・グラスには、こぼれ落ちてこず、一体、シャンパンは、何処に行ってしまったのであろうか?消費マインドも、この先、V字回復ることもなさそうな状況になりつつある。ここへ来て、再度の消費税の延期の議論も、海外の著名な学者先生の意見を聞くという形を演出することで、衆参同時選挙選挙を想定した政治日程へと、すこしづつ、舵取りが、微妙に変わってきたモノである。もうすっかり、ここへ来て、成長戦略とか、三本の矢とかという言葉も、聞かれなくなり、政治的なスキャンダルや、軽率な発言が、目立ち始めてきて、政治も、経済も、潮目が変わりつつあるのであろうか?一強多弱の中で、一体、どのタイミングで、伝家の宝刀は、抜かれるのであろうか?そして、その時の争点とは、はっきりとシメされるのであろうか?それとも、争点隠しやぼかしを図られるのであろうか?

 


日本人、中国研究学者の失踪、再び!:

2016年03月21日 | 社会戯評

日本人、中国研究学者の失踪、再び!:

朱 建栄なる人物の失踪も、既に、人々の記憶から、遠くなりつつあるが、2013年、この人物も、所謂、中国による対日本への宣伝工作員として、マスメディアにも、結構露出していたにも拘わらず、突然、二重スパイとしての嫌疑(?)をかけられて、中国出張中に、失踪し、帰国後は、それっきり、マスコミには、露出することがなくなった。一体、この事件の真相は、実際、どういうことだったのであろうか?一向に、マスコミからは、中国を意識しすぎてか、どうかは、分からぬが、闇の又、闇である。あれから、香港の出版業者やら、不正腐敗を暴く国内の出版業者や、民主・人権活動家、弁護士などを、次々に、越境検挙し、その習金平への批判封じを、徹底的に、推し進めたり、外国人に対する反スパイ法を強化したりと、人権・出版報道の自由への圧力を強めている矢先に、今度は、法政大学の趙 宏偉教授が、北京出張中に、失踪したそうである。明らかに、この背景には、一連の流れが、底流としてあることは、間違いのないところであり、日本は、断固として、自国民の海外での安全・保護という観点から、徹底的に、調査・抗議すべきであろう。その理由と現状報告を、明らかに、すべきであろうことは、当然であろう。本当に、こんなことをする国が、相互・互恵的な共通の価値観を有するに値する隣国なのであろうか?何故、こういう経緯に至ったのかを、はっきりと、公表されて然るべきであろうと思われる。北朝鮮による日本人拉致という過去の自国民に対する基本的人権を守りきれなかった日本という国は、一体、海外での日本人をどのように、平時でも、守り切れるのであろうか?その政治的な力量が問われかねない。何とも、不可解な失踪事件であろう。双方の政府から、何も、聞こえてこないのが、実に、気持ちの悪い話である。

 


偽名と芸名と源氏名とビジネス・ネームとゴースト・ライター:

2016年03月20日 | 社会戯評

偽名と芸名と源氏名とビジネス・ネームとゴースト・ライター:

こうなってくると、今や、何が何やら、さっぱり分からなくなってしまう。相手の名前を聞いたときに、本当に、その名前は、体を表しているのでしょうかと、思わず、聞きたくなってしまう。ショーン・マクアード・川上なる人物が、何でも、経歴詐称とかで、問題になっている。『詐称』自体が、問題であることは、誰しもが、認めることにしたら、それ以外には、一体、何が、本質的なところで、問題なのであろうか?考えてみれば、ペン・ネームというものも、決して、詐称ではなかろう、そのように考えてみれば、日本社会というものは、名前に関しては、なかなか、肝要であるとも云えなくはないだろうか?源氏名などというものは、その最たるものなのかもしれない。問題は、それを語るところの、詐称とは云わないまでも、語る主体の内容であろう。ショーン・Kたる人物が、そのものいいで、或いは、その著作で、講演などで、コメントする内容が、刮目すべきものであれば、決して、これ程までに、バッシングは、受けなかったのかも知れない。逆説的に謂えば、日本という社会は、ある種の権威主義とか、肩書きとかを、源氏名とは別に、重んじる社会なのかも知れない。その意味で、こうした、ある種の許容範囲での『二重性』が、様々な分野で、垣間見れて、実に、面白い。例の難聴の作曲家騒動も、既に、忘れがちであるものの、ペン・ネームも、海外逆輸入の俳優の名前も、ゴースト・作曲家も、今回のビジネス・ネームも、みんな、そんな『仮面の二重性』を、有している社会構造なのかも知れない。今や、サラリーマンも、大きな組織に属していながら、別の肩書きや、別名で、活躍出来る社会であっても、宜しいのではないだろうか?問題は、それを使用するところの主体の意図的な詐称かどうか、ではあろうが、、、、、、。仮に、凄い結果を残していたら、一体、世間は、許したのであろうか?もう一度、自分の名前を考え直すよい機会かも知れない、そして、自分とは、一体、何ものなのかとをも、、、、、、、。

 


電子版お薬手帳プラスを試す:

2016年03月18日 | 社会戯評

電子版お薬手帳プラスを試す:

30余年の長きに亘って、通っていたホーム・ドクターが、高齢のために、昨年の冬に、突然、亡くなってしまったので、改めて、新しいホーム・ドクターを捜して、月に一度、薬を処方して貰うことにしたが、処方箋薬局も、生き残りを懸けて、どうやら、顧客の囲い込みに、忙しい。何でも、固定客を増やせ増やすほど、医療報酬料にも、影響が及ぶとかで、こういうアプリを利用させることで、きっと、効果があるのであろう。薬を貰うまでの空き時間に、無料アプリとして、二次元バーコードの形で、お薬手帳の電子手帳版という広告があったので、早速、年寄りの新しもの好きで、試してみることにした。成る程、薬局を選択して、登録して、基本的な情報を、お薬手帳に、記載されている内容を含めて、アレルギー情報とか、薬の名前などを、登録すると、自動的に、処方された薬の内容が、電子的に、反映されるものである。更には、血液検査の明細とか、血圧、歩数などの記録を、データとして、記録できるし、自分だけではなくて、家族のデータまでもが、記録される。これまで、パソコンには、過去の健康診断のデータなどを入力しているものの、スマホのこのアプリに、同期できれば、なかなか、便利である。しかも、どんな薬を飲んでいるかとか、血圧のデータとか、様々なデータが、ICチップ同様、データ・ベース化可能である。しかも、処方箋を貰ったら、これを写真撮影して、メールで、登録した処方箋薬局に、送附すると、折り返し、準備ができ次第、10分ほどで、登録したメルアドに、準備出来上がりの連絡が来るから、薬局で、待っている必要も無い。実際に、これを試してみたところ、その通りに、待たずに薬を受け取ることが出来た。これで、実証試験も終了したことになる。無論、個人の健康情報が、薬局側へ、データ・ベース共有化されてしまうから、個人情報の漏洩リスクは免れない恐れは、否定できないこともないが、、、、、、。それでも、未だに、ICチップで、病歴の記録はされていないから、ある種、それまでの繋ぎには、なるのかも知れない。なかなか、便利な無料アプリである。レシートを撮影して、自動インプットできる家計簿のアプリよりは、ずっと、使い勝手が宜しいように思われる。処方された薬が、準備出来ていれば、翌日でも取りに行けるから、忙しいサラリーマンには、なかなか、便利であろう。地方などの遠隔診断などともに、もっと、活用されて然るべきソフトなのかも知れないが、使われなければ全く意味がないのも、事実であろうか。ご興味のおありの方は、試してみることをお薦めしたいものである。年寄りには、面白いおもちゃなのかも知れないが、、、、、、。