西島三重子を聴く:
調子に乗って、一寸、夏の草刈り機をやり過ぎたのか、もう一ヶ月も前に、腰椎にヘルニアの未だかつて経験したことのない激痛が走り、急遽、東京の家に、女房殿の運転で、連れ戻されて以来、これまでの活動が、無期停止状態になってしまった。ドクターによれば、3-4ヶ月は、裁定でも、手術を回避して、自然治癒を目指すのであれば、しっかりと、トレーについて、運動と軽度の筋トレをしないと、脊柱管狭窄症に加えて、車椅子生活を余儀なくされるとまで、脅されてしまい、自宅療養中に、仕方なしに、YouTubeで、動画や、音楽鑑賞となってしまった。それでも、良い根性をしているせいか、音楽を聴きながら、(当分、映画は、外出できるまで、お座り、お預け状態ですが、)何か文章でも書いていたいと思い、懐メロを聴いていたところ、西島三重子というシンガー・ソングライターの<池上線>や<千登勢橋>などの歌を何度となく、聴くことになった。野口五郎の<私鉄沿線>程の大悲とではないが、よく似た情景の描写と叙情曲である、ほとんどが、その昔の恋愛の想い出の回想が主題である。人は、時として、想い出の中に、生きることはないかもしれないが、想い出をかみしめる時があっても良さそうである。戻れない場所、戻れない時間、戻れない想い出と、そして、今の自分と、それにしても、情景というものは、歌詞のなかで、巧みに、メロディー・ライトともに、まるで、その情景が、タイム・スリップしてくるように、描かれているモノである。歌というものは、そういう情景そのものを、あたかも、その場所にいるかのような錯覚に、陥れる作用があるようである。竹内まりあの<駅>を、中森明菜が、情感を込めて歌い上げた<情景>は、別にしても、西島三重子の歌い上げる空間と時間は、思わず、50年も前の<時間と場所>に、舞い戻ってしまうかのような力が確かにそこにはあるようである。決して、超一流の歌手ではないかもしれないが、それにしても、歌というものは、時間を超越して、誰か一人でも、感動してくれるのであれば、それは、きっと歌手冥利に尽きるものなのかもしれない。<池上線ふたたび>などという新たな曲を、リリースする必要は全くないのでないのだろうか?一芸芸人ではないが、ひたすら、50年でも、60年でも、死ぬまでも、歌い続けて、やり続けていても、良いのではないだろうか?作曲家を目指したようであるが、<池上線>の作詞家、佐藤順英のエピソードも、余談としては、なかなか、<神田川>の作詞家、喜多條忠のエピソードと並んで、興味深いものがある。日吉ミミや小柳ルミ子への曲もよかったですね。
西島三重子songs:
https://www.youtube.com/watch?v=cZT7IlhE-zA&index=3&list=PLuvYRKGxs2x21I3YAXs27u-jnYhflI7dJ