小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

冬季オリンピックなるもの:

2015年02月12日 | 社会戯評
冬季オリンピックなるもの:
平昌で3年後の2018年に開催される予定の冬季オリンピックで、今や、韓国が凍えて始めていると云われている。考えてみれば、巨大箱物施設を、改めて、一地方都市で、建設し、これを、今後も、維持・運営していかなければならないのでは、これは、もはや、一地方都市の財政云々では済まされない問題であろう。もっとも、それを支援する国、自身が、国家財政の赤字であったり、財政負担に耐えきれない状態であれば、もはや、それは、一大事であろう。しかしながら、冬季オリンピック自体が、或いは、アジア大会ですら、開催を積極的に、推進するだけのメリットが、乏しくなりつつあること自身も、問題である。そもそも、温暖化の影響かどうかは分からぬが、とりわけ、冬季開催の場合には、雪の問題もあり、確実に、雪の確保が確実視される地路的な場所の問題から、開催国は、限定されよう。しかも、箱物の建設後での管理・維持は、それなりの需要が見込まれない限り、ソリ競技などにしても、考えてみれば、難しい課題であろう。長野時もそうであったが、インフラ、とりわけ、道路の整備は、どさくさに紛れてなのかは分からぬが、兎に角、不要とでも思われるような交通量の少ない農道を含めた道路なども、舗装されて、きれいになったことを想い起こす。国の威信を懸けて、などという理由は、もはや、今日、通用もしなくなり、或いは、地方都市のインフラも良くなる式の議論や、インセンティブも、財政破綻の前には、もはや、神通力が効かなくなりつつあるのが現状であろうか?そして、競技によっては、競技それ自体の人口が少なくて、減少の一途を辿ってしまっていては、先細りの運命しか待っていないのも残念乍ら、厳しい現実でもあろう。それこそ、冬季オリンピックなどは、過去の開催国での持ち周りで、新たな開催国などを募らずに、やるとかという手法を生み出さない限り、先行き、不安定なことになるのではなかろうか?そんな元気な積極的にやってみようと思うような国や地方都市が、今日、果たして、出てくるのであろうか?しかも、テロの危険リスクをも抱えながら、開催するという対費用・効果を考えたときに、どうなのであろうか?そんな元気な国が、或いは、地方都市が、世界の何処にあるのであろうか?東京オリンピックも、例外ではないのかも知れないとおもうと、必ずしも、浮かれてはいられないのが現状であろう。

統計数字の怪:

2015年02月11日 | 社会戯評
統計数字の怪:
何でも、前年比で、観光収支が、5千億円ほども、改善し、これは、ゆうに、造船の輸出が稼ぎ出すそれに、匹敵する程だそうである。それにしても、来日外国人観光客が日本で、落とすお金も、こうして考えれば、馬鹿にならない規模である。こうなってくると今後、来日観光客の落としてくれるお金で、少子化で、シュリンクしてゆく国内市場にとっても、決して、疎かにしてはならないものがある。しかも、それだけではなくて、草の根の民間外交や非軍事部門での文化交流の元にもなっていることを考えると、数字だけでは語れない何ものかがあろう。それはさておき、貿易収支の赤字が、確かに、エネルギー輸入の増加や円安やら、輸入のコスト増加やら、更には、日本の会社の海外進出で、貿易構造も変化してしまい、思ったほどには、直接日本からの単純輸出が増加しないという構造から、貿易赤字が10兆円以上も増加していると云われている。しかしながら、進出した先の現地海外子会社からの株式配当などを反映する一時所得では、18兆円という数字にも匹敵するものになってきた。今や、単純に、日本からの輸出とか、輸入とか云うべきモノではなく、複雑に、絡み合って、数字・統計をますます、複雑化している。昔も今も、数字をみずに、その背後に潜む真実を把握せよと云われてきたが、成る程、そういうことなのかも知れない。それにしても、個別数字と全体的な数字との整合性をはっきりと認めて考えなければ、なかなか、分からないことが、多いものであることが、これからも、分かろう。

閻連科(イエンリエンコー)の云う「国家が仕掛ける記憶喪失症」なるものとは?:

2015年02月09日 | 書評・絵本
閻連科(イエンリエンコー)の云う「国家が仕掛ける記憶喪失症」なるものとは?:
中国文学作家に、接することは、せいぜいが、現代でも、「魯迅」止まりであり、中国が抱える現代的な課題に対しては、最近の拝金主義・官僚腐敗汚職・民族主義の弾圧・自然破壊・金権体質、など、数え上げれば、数知れないが、それらを真剣に、現代文学作品の中で、読む機会は、ほとんど、ないのは、残念な限りである。新聞のコラムの中に、閻連科(イエンリエンコー)という1958年生まれの解放軍の出身で、現在、反体制作家として当局の監視下にある魯迅文学賞、カフカ賞受賞作家のコメントが出ていたが、なかなか、興味深いものがある。国内に止まり、とりわけ、文筆でもって、暗黒政治社会に対して、孤高の灯台の灯を守りながら、どれ程の知識人が、中国国内には、いるのであろうか?そして、一体、このような状況下で、文学というものに、或いは、広く、ペンに、言論に、何が出来うるのであろうか?拝金主義が蔓延して、社会を歪めていると分かっていても、マネーという物差しを棄てることが出来ない、更には、枯れた花までも、再び、咲かせてしまうほど、汚れた空すらも、又、綺麗な澄み切った空を蘇らせてしまう国家権力という現実の絶大な力と、どのように、対峙できるのであろうか?そして、天安門事件を「国家が仕掛ける記憶喪失症」と評する彼にとっては、暗黒に順応してしまわないように、社会の闇を照らす懐中電灯のような文学作品を、如何に世に出せるのかという課題は、極めて、大きなものがあろう。それは、中国だけの問題ではなく、日本でも、戦後70周年の記憶の喪失、或いは、これを歪曲して、政治的に利用しようとする旧戦勝国側にしても、同様であろう。彼の手法とする「非リアリズムによるリアル化」とは、どういうことなのか?確かに、言論弾圧の中では、それこそ、別の意味でも、言論の自由や、表現の自由が制限されている最中では、直接的なルポルタージュ的なリアリズムやドキュメンタリーは、余りに、無垢で、文学的ではなく、攻撃と弾圧の対象になりやすい。しかしながら、それを風刺を効かして、いかにも歴史小説風に、或いは、架空の設定の中で、オブラートに包み込んで論じることは、逆に、リアリズムを、一層、進化させるような手法であるといえようか?そこには、巧妙に仕組まれた「無限の創造力」をだからこそ掻き立てるような、そして、事実を一層事実よりもリアルに考えさせられるような工夫が、凝らされていて、言論弾圧との闘争の過程で、その文学が、ぎらぎらと、光輝くようになると評されている。一体、これから、彼の描こうとする課題は、どのようなものになるのであろうか?そして、それは、単に、中国という国だけではなくして、普遍的に、もっと、広い全世界的な課題でもあるのかも知れない。言論と表現の自由や、風刺の自由が逆に、宗教の侮辱とも取られかねない現状、そして、貧困と差別・移民、民族排外主義、異なる文明・宗教同士の衝突など、今日的世界的な課題は、ますます、苛烈に、我々を待ったなしに、襲ってくる。それでも、こんな政治的な厳しい日中間の政治関係の中でも、民間での交流・観光での密接な関係による別次元での交流を評して、中国人は、だんだん、成熟していて、民族主義も、ゆっくりとではあるが、好転していると、飽くまでも、ポジティブである。(村上春樹が評した、「尖閣の狭小なナショナリズムを安酒に酔いしれている状態」に対して)成る程、中国人は、政府を疑っているし、信用していなくて、むしろ、軽蔑しているのかも知れないが、、、、、。その意味で、中国ネトウの動向も、それ程、額面通りには、受け止める必要性はないのかも知れない。むしろ、複雑な現実を真摯に受け止め、単純明快な二分化をむしろ、疑った方が良いのかも知れない。その意味で、不条理なことが日常生じている中国の現状こそ、文学が取り上げる課題が、色々と詰まっている玉手箱なのであるのかもしれない。その意味で、今後、新作「炸裂志」も含めて、どんな作品が発表されるのか、期待したいところである。我々は、中国であれ、日本であれ、アメリカであれ、ロシアであれ、国家というものが画策する、「記憶喪失症」に、しっかりとした対抗軸を、自分自身の中で、持っていなければならないであろう。それは、又、普遍的に、一国だけではなくて、国境を超えて、個々人の心の中に、根付かなければならないであろう。いつの日にか、天安門事件を主題にした文学作品を読んでみたいものである。


なぜ、若者は田舎へ向かうのか?:

2015年02月07日 | 社会戯評
なぜ、若者は田舎へ向かうのか?:
残念乍ら、長野県・中川村での信州地方自治学会主催のFBフォーラムに、参加できないが、パネリストの創造美学舎のマゼコゼさんの事前のコメントを読んでいて、懐かしく、若い頃のことを想い起こす。60年代の後半、未だ若かった我々は、寺山修司の「書を棄てて街へ出でよ!」という言葉に、痛く、感激したことを今も、はっきりと、覚えている。その頃は、友人の汚く、狭い四畳半のアパートに、今では、間接喫煙の被害者に間違いなくなるであろうショート・ホープの臭いが染みついた中で、夜通し、酒を酌み交わしながら、どのように行動すべきか、或いは、自らの主体性について互いに論じていたものである。そう言えば、羽仁五郎の「都市の論理」という本を、当時、友人が読んでいたことも想い出すが、まずは、高橋和己ではないが、悩みに、悩み抜いた末に、主体性を如何にして、確立して、この主体的な独立と、そして、社会的な具体的な行動を起こして、理想を実現するか、現実を如何にして、打破し、改革してゆくべきかを、それぞれの個人個人が、問われていたし、それを、現実の場に、deployしてゆくのかを、都市の片隅で、論じていたわけである。だからこそ、「書を棄てて街へ出でよ!」Throw away Books and Rally in the Streets(ここでのRallyと言う言葉が曲者であって解釈が微妙で、単に街へ出るという単純な意味ではないことは、分かろう)と言う言葉は、現実味を帯びて自分自身に直接、迫ってきたし、結局、その後、本当に、国を飛び超えて、飛び出してしまったり、本当に、世を捨てて、ドロップ・アウトしたり、「塀」の向こう側に、行っていまい帰って来なかったり、自らを責めた挙げ句に、「あちらの世界」に、逝ってしまった者もいる。その頃は、田舎というイメージは、牧歌的な、優しく、自分を受け容れてくれるところではなくて、むしろ、封建主義や差別を、それは、若者独特の反抗的な身勝手な考え方だったのかもしれないが、否定した上で、超えなければならない、福澤諭吉の評する「封建制度は、親の仇である」式のフィーリングだったのかも知れない。今日、交通やIT通信インフラの進歩に伴い、何処でも、便利に、連絡やネット通販でも買い物が出来、手に職さえ持っていれば、地方でも、豊かな暮らしが出来得る環境であるのとは、大きく、異なるのかも知れないが、、、、、。都会にいるにせよ、田舎に向かうにせよ、喰う飯の種がない限り、何処の世界でも、なかなか、夢の実現は難しいものであろう。今日の漠然たる気持で、何とかなる式な考え方では、決して、現地でも受け容れられないし、夢の実現などは、「夢の又夢」であろう。受け容れる側でのインフラの整備も重要であろうが、そもそも、行く側のしっかりした自覚と目的意識が存在しなければ、互いに、ミス・マッチングを生じてこよう。こんな筈ではなかった式の挫折は、いつでも、何処にでも、起こりうるであろう。僕らの時代には、社会の中で、ドロップ・アウトしたり、ヒッピーで、世界を漫遊したり、果ては、IT起業の経営者になっている者もなくはない。都会にいるにせよ、田舎にせよ、自立・自主・独立・メシの種をしっかり、確保することを目指さない限り、決して、双方にとっても、互いに、良いことではないであろう。そう言えば、寺山は、「田園に死す」というものもあったとうっすら、記憶しているが、決して、そうなることのないようにして貰いたいものである。「若者は、荒野を目指す」というものもあったことも、想い出す。時代も、当時と、大きく変わってきたのであろうか?どうだろうか?

節分の翌朝の想い出:

2015年02月06日 | 動物・ペット
節分の翌朝の想い出:
節分の日の豆まきが、我が家の愛犬はとても、好きであった。とりわけ、その翌朝の散歩の時には、途を歩きながら、鼻先を地面にクンクンと擦りつけながら、何やら、盛んに、小さなものを捜して急ぎ足に、歩いて行く。時々、立ち止まっては、コリコリ、ボリボリと何かを食べ始める。我が家では、全く、食い意地が悪い奴であると、総スカンであるものの、本人は、全く、意に介さず、或いは、拾い食いの観点から、非常に危険であるというドクター様のありがたいご託宣も又、意に介さずに、毎年、18年余も続けていたものであることをいつも、この日の翌日になると懐かしく想い出す。それにしても、あの大豆の炒った豆を長い舌先で、ペロリと平らげ、カリッと小さな音がして、美味しそうに食べているので、結局、我が家では、大豆の炒り豆をおやつに、この日には、食べて貰うことにした。犬の年齢では、食べさせる数も少な過ぎるので、人間の年齢に相当する粒数を上げることにしたものであるが、年齢が進むに連れて、多くなるので、最後には、制限されたものであったが、それでも、本人は、喜んで、私の手の上で、小さな粒をペロペロ食べていた。楽しい想い出だったが、、、、、。道端に鬼は外で、播いてこぼれた大豆の粒を見るたびに、我が愛犬との懐かしい想い出が胸をよぎる。

PCメガネ・クリップを使ってみることにした:

2015年02月05日 | 社会戯評
PCメガネ・クリップを使ってみることにした:
年齢と共に、身体の様々なパーツが、まるで金属疲労してくるようである。簡単に、取り替えられて、コンピューターではないが、ハードを交換して、リセットと出来れば良いのであるが、そうはいかないのが、人間の身体である。現役の頃は、メガネも掛けずに、ガンガンやっていたが、最後の頃には、いよいよ、老眼鏡を使用しないと、小さな文字が、とりわけ、手前では、見えずらくなってしまった。しかしながら、テレビは、別にしても、ほとんど、毎日、PC画面を見ながら、仕事をすることになると、目の疲れも、年齢の衰えとともに進んでくるだけでなく、ブルーライトの悪い光線の影響で、そうなるのかも知れないと思い、PCメガネを購入してみることにした。もっとも、昨年、眼医者で、処方して貰い、老眼鏡をつくってしまったので、これでは、もう一つ、5000円でも度付きで、PC専用メガネを作るのも、勿体ない話であると判断して、別の方策を模索することにした。すると、PCメガネにも、エレコム社のクリップ式というものがあって、これであると、若干、費用も、3000円以下で、しかも、老眼鏡の上からでも、運転用サングラスのように、活用できるで、これで、捜してみることにした。跳ね上げ式ではあるものの、そのまま、着用すれば、どうやら、違和感もなく、心なしか、ブルー光線が和らいだような気がしないでもない。これは、なかなか、優れものであろう。もっと、早くに気付いて、購入すれば良かった。アマゾンの配送では、別にプライムではなくとも、早速、翌日の午前中には、配達が完了する始末である。おまけに、ケース付きである。それにしても、これでは、本体だけならば、全く、もっと、安いことになるのであろうか?それこそ、百円ショップではないが、今に、使い捨ての感覚で、PCメガネの老眼鏡使用者をターゲットにすれば、ニッチ商品でヒット受けあいではないだろうか?何でも、女房殿も、一言相談してくれれば、私も欲しかったのにと怒られてしまった。まぁ、どっち転んででも、いつも褒められることは、少ないが、、、、、、。

予防歯科に変えてみる:

2015年02月04日 | 社会戯評
予防歯科に変えてみる:
医者の選択は、セカンド・オピニオンではないが、既に、50年近く通い慣れたホームドクターは別にしても、床屋と歯医者のそれは、残念乍ら、なかなか、変更することが難しいのではないかと、個人的な経験からそう思うが、、、、、もっとも、廃業とか、何か特別な理由でもあれば、別な話ではあろうが、実際、自分の場合には、そうは行かなかったのが、現実であった。そんな中、自宅近くに、数年前に、開業した新しい「予防歯科」を売りにしたところが、家族の勧めもあり、受診してみることになった。とりわけ、虫歯などはないものの、多少、歯周病の予防と、手前・手前での対応が必要があったからなのではあるが、、、、。
唾液の検査、歯の内部・外部のデジタル写真、ミュータント菌の分析、歯茎の溝の深さ・減り具合の測定、更には、口全体の歯のレントゲン、並びに、口の中を4等分毎に、上下左右に分割して撮影した歯のレンドゲン、これは、歯茎の下まで、見えない歯に付着したプラークを見られるというものらしい、これらのデータを総合的に、検査デー化して、これを8等分の円形グラフに、グラフ・チャート化して、項目毎に、ビジュアルに、症状と課題を摘出し、処理方法を次に、ドクターと相談しながら、定期的に、処置後にも、3ヶ月毎とか、6ヶ月毎とか、歯石の除去とメインテナンスを、歯間ブラシの使い方とか、歯ブラシの仕方を学びながら、予防もしながら、処置して行くと云うことらしい。従って、このコンセプトを納得して貰わない患者には、処置をしないという謂わば逆張りにマーケティングであろうか?何でも、私が、USBに画像や検査データを保存して、持ち帰りたいという初めての患者らしく、ドクターに頼んで、この要求に初めて、応えて貰うことになりました。考えてみれば、可笑しな話で、これまでの歯医者では、兎に角、丁寧な説明はあまりなく、対処処置だけに終始していて、アナログのカルテを、デジタル化して、貰っておけば良かったと思うほどであります。何とも、日本の医療は、こちらから、患者側から、要求でもしない限り、情報開示がされないというシステムもじつに不思議なものですね。これで、取りあえず、歯医者の基礎データが出来ましたね。ICTが、発達している割には、医療という分野では、情報の共有や、持ち出しが、全く、デジタル化されていませんね。やたら、医療機器は、デジタル化されて、検査結果の説明もモニターの大きなPC画面を見ながらの説明で、その個人情報足る診療情報は、患者個人が持ち帰るとか、情報共有出来る仕組みが、救急医療だけでなくて、保険証も含めて、すべての個人病歴履歴などがインプットされるような仕組みが一体、いつになったら、出来るのでしょうか?そんなことを歯医者の検査を聴きながら、思った次第です。いよいよ、次回からは、歯茎の下側に隠れている歯に付着しているプラーク(これらは、レントゲンでないと見つからない)を手で掻き取る処置から始めると謂うことらしい。次に並行して、歯の治療と歯周病の予防措置に、続き、、、、、、という手順だそうである。70代や80代になっても、何とか、自分の歯をできる限り、多く、保持していたいものである。なかなか、現役の頃には、時間がなかったから、受診も限られていたが、これからは、定期的に、通いながら、予防歯科に務めてゆきたいものである。成る程、若いドクターではあるが、理屈に叶っていて、多いに宜しいのではないでしょうか!

オープン・データ化の陥穽に考える:

2015年02月03日 | 社会戯評
オープン・データ化の陥穽に考える:
何でも、様々なデータをもっと、人々の手にとりやすく、且つ、実生活の上でも様々な要求・ニーズに応じて、これらのオープン・データを、もっと付加価値を高めて、利用できないかというFB上での研究会に、参加していて、試行錯誤の途中で、ふとそのある種陥穽に、気が付く。私の場合には、ボランティアで、例えば、地方観光都市のインバウンドの増加支援策として、例えばウィキディアに情報をアップして、これに地図情報や様々なリンク情報やQRコードを貼り付けて、これを来日観光客などが、その観光スポットで、公共WiFi環境下であれば、詳細な歴史情報や温泉宿や食事施設の情報なども、一挙に、入手出来るような仕組みをオープン・データ化の交流会で、実際に、勉強してみたいと思い参加してみたところ、まずは、情報というこれ自体、或いは、データ自身がそもそも、著作権やら、個別個人情報などで、出典・準拠を明示させていないと、ハードルが高いと云うことが分かった。逆説的に謂えば、著作権や個人情報が一切含まれていないデータが、何処に存在し、或いは、ある新しいデータを作成しようと思っても、ツールとしての個別データには、某がしのそれらが、含まれていると、自動的に削除対象になりかねないことが分かった。それでも、「逆転の発想」で、年寄りは、しつこいから、それならば、既にウィキペディアにアップされている情報を再加工して、準拠・出典・リンク先も明示して、この貴重なデータを利用できないかと考えるわけである。今日、論文ですら、コピペが当たり前になっている今日、確かに、自分で、データを新しく、作ろうとすると、これは、大変な作業であり、この作業なくしては、前に進まないことが分かる。だからこそ、簡単に、個人情報でも、名簿業者から購入するのが、コスト的には安いのが充分理解出来よう。素人でも、容易に、せいぜいが、EXCELやワードで新しいデータを作って、これを自動的にある種のフォーマットで、アプリに転換できるような仕組みが構築されると便利であるような気がしてならない。いずれにせよ、当分は、試行錯誤が続くであろうが、小さな風穴が開けられれば、極めて、安価に、便利に、しかも、実利的に、生活の中に、生かされて行くのではないかと考える次第です。まぁ、こちらは、時間が余っているので、試行錯誤してでも、専門家の助言を仰ぎながら、素人なりのデータをアプリ化してみたいと思っています。後日、その過程でのやり取りも取り上げてみたいと思います。参考までに、下記、サイトご参照下さい。陥穽に嵌まらずに、突き進んで行きたいところですね。

http://linkdata.org/home

世田谷区教育カフェⅡに参加してみた:

2015年02月02日 | 社会戯評
世田谷区教育カフェⅡに参加してみた:
世田谷区長である保坂展人氏のFBで、開催を知り、別に世田谷区民ではないが、教育支援の在り方を探るカフェ方式でのフォーラムに参加してみることにした。ほとんどの参加者が教育現場に何らかの形で関わっている人達であるが、地域社会の中では、むしろ、そういう聖域でない部外者の方が、目から鱗の論議が出来るのかも知れないし、各グループ間での討議の内容もなかなか、興味深いものがあった。オランダでの教育現場の視察に関する個別習熟度モニタリング・システムなど(分かっていない箇所を分析できるシステム)や個別教育によるサポート・システム、或いは、これから必要とされる本当の学力とは何であるのか、などに関する基調報告をベースにして、教育の質を高める為に、世田谷区では、どんなサポートが可能なのであろうか?そして、教育現場とは別に、どのような教育センターの機能・人・環境が、必要なのかを、主たる討議課題として考え、これを区政の教育現場に、反映させようとするものだそうである。そもそも、個人的には、実の弟が静岡で、教員として務めていた縁や従兄弟の何人かが教員であるという以外に、直接的には、教育現場に、関わることもなかったし、子供達も成人してしまってからは、教育現場とも縁は無かったが、たまたま、小諸の審議会の中で、教育水準の低下と人財の流出という課題に、直面した現実から、地域での教育支援の在り方に、興味を覚えた次第である。この問題は、今日、一地方自治体である世田谷区だけの課題ではなく、まさに、全国的な規模での日本としての普遍的な課題でもあろう。その意味でオランダという6割にも達する移民人口を歴史的に有する多文化共生都市・国家は、フランスとは又別の教育の在り方で、存在感を高めているのかも知れない。明治以降のイギリス式教育と鎖国時代のオランダを通じた文化・国際情報の入手という日本の仕組みとは異なり、今日でもなかなか、興味深い対比かも知れません。

世田谷区によるオランダ視察による6項目のまとめとして、
1.国際教育の推進(諸外国の学校との交流活動の推進に関する研究・検討)
2.ICTを活用した教育環境及び教育内容の充実(ICT環境整備、児童・生徒の活用能力の向上)
3.新教育センターの整備に向けた検討(教員の指導力向上)
4.児童・生徒の自主性・主体性育む教育の推進
5.家庭教育の充実(家庭教育の在り方)
6.特別支援教育の充実(児童・生徒の教育的ニーズに応える指導・支援の在り方の検討)

まずは、学校組織そのものの明治期以降の歴史的な成り立ちにも、残念乍ら、日本という国は、戦前、戦後にも、ある一定の国の枠組みというものが、大きく、のし掛かっているように思えてなりません。例えば、このフォーラムで、改めて、私が、驚いたことは、教育という世界が、極めて専門性の高い一種の「聖域」のような感じ、それは、良い意味でもあり、又、悪い意味からでも、別の言葉で言えば、「地域社会に開かれていない領域」のようなものです。例えば、教員にしても、議論の中で、「労働力の流動化」ではありませんが、教員のFA化・オープン化などは、資格の観点からも、絶対に、あり得ないものの、実際には、現実的に、実施されている非正規労働者のような臨時職員という名の教員の在り方など、問題は、多くあります。逆説に云えば、良い人財をリクルートしようとすれば、それは、一体、どのような待遇とどのような環境の下で、どのような仕組み作りが必要になるのでしょうか?
これは、既に、今回の参加で、うすうす気付いていたところの、教育とは、只単に、今日、もはや、教育分野の単なる問題ではなくて、「福祉」・「教育相談」・「保育・子育て」・「空きや対策」・「労働政策」・「格差」・「貧困」などの様々な問題とも「複合的にリンク」していることが浮き彫りにされました。もはや、「学校」という領域は、教育が、学校単独のものでは成立し得ず、それが、中核的に位置して、その廻りに、みんながぶら下がる式のものではなくて、むしろ、多様な、多重な、多層な、「生徒の家庭」・「地域社会」・「外部専門家」などのグループとの双方向的な相互・相乗的な支援組織を、教員や学校を取り巻く中で、構築していかないと、隠れ発達障害の児童の問題や幼児問題も含めて、或いは、モンスター・ペアレンツの問題に対処するにしても、不可欠になるのかも知れません。教員のパワー・アップも質の向上も、専門性の推進も、今や、個別教師という単独の問題では、到底、解決は不可能でしょう。地域社会とのアウト・ソーシングも含めて、官民・地域社会と一体となった市民参加の運動体に、拡がらなければ、確かに、情報の発信ですら、或いは、既存の様々な方策が何らかの形で実現されているものの、残念乍ら、うまく相互・複合的に機能していない仕組みも、実際にあるようです。残念ながら、ICT活用と言っても、どんなに、学校で、一人一台のPCやiPadやタブレットが、提供されなくても、実際には、家庭や現実社会での方が、圧倒的に、先行していて、常に、学校というところは、「後付け・後追い」になってしまうのが現実なのではないでしょうか?自分の個人的な経験から云っても、学校で、習ったことなどは、団塊の世代は、IT関係者以外にいないでしょうし、自分も、たまたま海外の貿易関係に関わっていて、英語を通じて、メールやPC操作を独学で覚えて、実践即学習という毎日でした。これが、現実ではないでしょうか?何も、決して、ICTを否定するものではありませんが、むしろ、ハード中心の学校では無くて、専門家のアウト・ソーシングも含めて、民間との分業・協働でもしない限り、今日のすぐに陳腐化するソフトの修得は、難しいのではないでしょうか?いずれにせよ、国際交流や多様な国際共生の意識というものは、一朝一夕に成し遂げられることは難しく、余程、中学や高校くらいからでも、ギャップ・イヤーの制度を設けてでも行わないと、尤も、それも、こうした制度を理解する社会の共通な理解という社会基盤がない限り、これも、機能不全に、陥るのかも知れませんが、いずれにせよ、本当に、制度が機能不全に陥っている本当の理由とは、一体全体、何なのか?様々な仕組みは、既に、制度化されていると云われています。しかしながら、何故、それらが、相互に、有機的に、機能しないのでしょうか?評価・検証・査定で、余りに、多忙過ぎる、或いは、更なる管理作業や仕事に、毎日追いかけられるという悪循環の繰り返し、出来すぎる子供までもが、やる気を無くすような社会であってはならないし、特別支援学級の人員不足も、甚だしいと云われています。教育に対する情熱を有する熱血教師の育成ではなくて、或いは、個人スキルの向上のためにでは無く、(教員による学級担任の複数制ワーク・シェアリングなど)、児童・生徒が幸福と感じられるような学校現場を支えられる支援期間としての独自な教育制度を、何とか、創設するために、地域・市民住民と共に、考えていきたいものです。
こういうことは、地方都市でも同じように、個別課題と関連づけして、論じられるべきであると思いました。

君のいない散歩道をひとり歩く:

2015年02月01日 | 動物・ペット
君のいない散歩道をひとり歩く:
梅の蕾が、いつの間にか、膨らみ始めた。昔は君と一緒に、いつもの川沿いの散歩道を一緒に歩くと、狭い道沿いに、3種類の紅白の梅の樹が、春先前には、毎年、つぼみが膨らみ、数輪の花が、開花するのを愉しんだものである。丁度、塀際から、枝が伸びて、背の高さほどで、鼻を寄せると良い具合に、剪定されていて、春の柔らかい甘い香りを嗅ぐことが出来た。必ず、その場所から、数十メートル手前に差し掛かると、君は、いつも決まって、鼻先を風上の方に向けて、クンクンとその空気に漂うであろうこの春の香りを一緒に、愉しんだものである。もちろん、君の鼻の方が、私のアレルギー性鼻炎の鼻に較べたら、ずっと、1000倍程も感度が良かったであろうから、君の方がいつも先に、立ち止まって、クンクンと嗅いだものである。そんな散歩道も、もう、2年余り、同じ散歩道は、歩いていない。ふと、家の梅の樹を見たら、蕾が大きく、膨らみつつあるのを見ていたら、そんな昔の光景を想い起こして、一人で、トボトボと、歩いてみることにした訳である。同じように、今年も又、同じ時期に、程なく、甘い香りがすることであろう。カワセミが、魚を捕ろうとしていた場所も、今日は、前日の雨が降ったせいか、濁っていて、横目で見ながら、通り過ぎてしまったが、君と一緒に、散歩の途中で、ずっと眺めていたことを想い出した。18年間も長い間、一緒に散歩した途も、もう、再び、通うことも、こんな事がない限り、そんなにはないであろう。一人で歩いていると、君がいつものように、時々、後ろを振り向きながら、ひょっこりと、私の一歩前を歩いている姿を想い出して、涙が溢れそうになる。春先の梅の香りと夏の終わりの金木犀の香りには、君の残像が、いつまでも、付きまとわって胸が痛くなってしまいそうである。写真の君は、気持ちよさそうに、永遠に、午睡を愉しんでいるかのようである。