久々にブログを更新する気になりました。早いもので明日が母の初七日を迎えます。冠婚葬祭になると普段会えない親族との出会いがあります。
仮通夜の時に初めて自分の名前の意味を知る機会を得ました。22年間同居していた母に、私の“満”の姓の由来を何度も聞いたことがありましたが、返ってくる言葉はそれなりに意味のある言葉でした。ところが、兄弟のなかで兄(姉)弟の名前の意味を調べると以外にも別の意味があることが57歳最後の日に知りました。私は5男1女の4男として生をうけました。長男は終戦の2ヶ月前に“はしか”によって亡くなった話は聞いたことがあります。が、次男は子どもの頃は病弱だったので、3男は勇ましい名前をつけたそうです。そして私は、母の年齢から「最後の子どもになるだろう」と“満”と付けたそうです。その後、弟が誕生したので、名前は父が付けずに祖父が名付けたとのこと。名はその人にとってそれぞれ“意味”があるようですが、私は「明るく育って欲しい」と自分では思っていただけに、ちょっと残念な気持ちになりました。しかし、名前で人生が決まるものではありません。どんなに立派な名前を付けられても逆に名前負けする場合もありますから・・・。真実を知っただけでも大きな成果です。そんな会話をしている時、我が家の息子たちの名前について聞かれました。が、特に意味があるわけでも期待感を持っていた訳でもありませんから、親と同じです。
偶然とは不思議なものです。母が亡くなった日は我が家の電話番号と同じ日(自宅の電話番号下4ヶ桁は0902)。さらに告別式は私の58歳の誕生日でした。母の家系は長寿のようです。母の上にはまだ2人の伯母がいますので、最低でも母の年齢を超えて生きたいとおもいます。(母の年齢までまだ35年間もあります。)
そのためには、健康管理と同時に目標を持つことが長生きの秘訣だそうです。「私は100歳まで生きたい・・・。そのためには“くよくよ”しないこと」が母の口癖でした。
でも、戦前・戦中・戦後を乗り越え生きてきた母の世代と現在の食文化などを考えると長寿は簡単ではないように思います。
9月定例議会が明日から一般質問がはじまりますが、今回は勉強不足もあって十分な状況ではありません。後輩議員などの質問を聞きながら勉強したいと思います。
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