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倉沢澄夫 タイ相撲連盟会長の苦労が実りました!

2016年04月23日 | タイの出来ごと、あれこれ
 
 世界大会で金メダルを獲得できるまでになった倉沢澄夫さんの相撲部屋、ここまでにするまで
22年の歳月が過ぎました。 大変な辛抱と我慢の連続でしたでしょう。 昨日からの続きです。

高校時代の3年間は、一度も休まず稽古に励んだという倉沢さんですが、社会人になってからは
相撲に縁がなく、まさか タイでの地で、自分がもう一度 相撲に関わるとは想像もしなかったといいます。

 
 <タイの相撲部屋に日大部員も訪れたこともありました・・・>

倉沢さんは日本では約20年近く、地元の銀行員として働いていました。 地元の静岡で
知り合ったタイ人女性と結婚しましたが、結婚後すぐ 奥さんがホームシックにかかって
しまい、銀行員を辞めて、一緒にタイで生活することを決めたそうです。 

当時、タイの日系企業は大手製造業がほとんどで、まだ現地採用などはなく 仕事も見つからず
苦労したようですが、運よく台湾系の貿易会社に就職がきまり、そこでは4年間 働きました。

書籍ビジネスを始めるきっかけとなったのは1983年でした。 静岡の書店がアジアに出店している
記事を新聞で見かけ、当時 日系企業が増えてきたタイに 大きな可能性を感じ出店を打診しました。

 

その後、順調に推移していきましたが、テナントで入っていた日系デパートがタイから撤退する
ことになり、書店も撤退してしまいました。  そこで、倉沢さんは在庫の本を買い取り、
「東京堂書店」 の第1号店を、フジスーパーのある ソイ 33/1 にオープンしました。

最初の書店の立ち上げで学んだことは、なるべく小規模な店にして、人が集まる便利な場所に出店する
ということでした。 BTS など無い時代、買い物ついでに立ち寄れる場所というのが大きなポイントだったと。

ですが、苦労したのはタイ人従業員の教育です。 本の取り寄せからディスプレイまで、日本語の微妙な
ニュアンスを必要としますからネ。 また、日本から取り寄せる本は、返品が一切できないため、すべて
買い取らなければなりません。 人気の本でも在庫が出れば赤字に、仕入れがとても難しかったといいます。

 

タイ人従業員の教育を徹底し、仕事もマニュアル化し、また競争相手も少なかったため、
一番多いときで16店舗、東急デパートやサイアムパラゴンなどにも支店を出すくらいでした。

順調だった書籍ビジネスも、紀伊国屋書店など大手が進出してきたことや、出版業界の不況なども
重なり、数年前から事業は縮小傾向にあります。 フジスーパー近くに出した1号店も撤退しました。
今は、競争が激化するなか タイでどのように運営していくか、打開策を練っている状態といいます。

 

今では、日本人のタイでの起業など珍しくない時代ですが、当時は倉沢さんが書籍ビジネスを始めたのも
相撲の指導を始めたのも、すべて手探りの状態でした。 ここまで来れたのは、自分を受け入れてくれた
タイのおかげで、タイ人に恩返しをする想いで指導をしているといいます。

それが、ついに二つの世界大会での金メダル獲得です。 本当に苦労が実ったわけです。
本当におめでとうございました!  


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