昨日、12月26日の4年前は忘れもしません。ちょうどバンコクから来た友人・同僚3人で銀座のバーで
飲んでいた晩のこと。タイの友人から “プーケット島が大変だ” という電話が入って津波を知りました。
そうです。インドネシア海域でマグニチュード9・3の大地震がスマトラ島沖地震で発生し、タイでもプーケット
を含む南部6県が大津波に襲われ、その近辺が大被害を受けた日でした。当時 ワタクシもプーケット島で
会社を共同出資したばかりで、プーケット島には頻繁に出入りしており、26日は日本へ帰った来た
ばかりでしたので、尚更のこと吃驚した記憶が残っています。あれからもう4年が経ちました。
タイではこのような津波の大被害も初めてのことでした。タイ国内の死者・行方不明者は外国人旅行者
約3,000人を含む約8,400人の人が被害に遭い、日本人も28名の死亡が確認され、今でも一人が行方
不明だそうです。また プミポン国王のお孫さんも、この津波で亡くなっています。
この地震と津波による全体的な犠牲者と行方不明者は、最終的に25万人前後とされていますが、その
遺族や友人などを加えると、5回忌のこの日は世界で数百万の人が涙を流しながら、この大被災を
思い出していることでしょう。
11月の時点では、警察庁が津波犠牲者の身元確認のためプーケットに設置した部署によれば、その
犠牲者の内388体が今も引き取り手のないまま同地の警察施設に保管されているとの事でしたが、その後
どうなったでしょう?遺体388体はスチール製コンテナに収められ、深さ1・5メートルの地中に保管されて
いるそうです。
これらの遺体が引き取られない限り、プーケット島のツナミ(TSUNAMI)被災は終わりを告げられません!
TSUNAMI(ツナミ―津波)という言葉は、英語と言いますかタイ人でも外国人誰にでも通じるぐらいになって
おりますが、通常 "tidal wave" (潮汐・高波) という英語で使われてきました。この語は本来潮汐に
よる波を指し、地震による波にこの語を使うのは学問的にふさわしくないとされ、現在ではツナミが用いられ
ようになった、と聞きます。
また このツナミの語源は1946年(62年前)にハワイで津波の大被害があった際、日系人が“tsunami" と
いう語を用いたことから、米国で広く用いられるようになり、その後、学術用語として国際語化した
そうです。更に、このスマトラ島沖地震によって津波が激甚な被害もたらしたことが世界中に報道された
ことを契機に、一気に各国の言語で一般語になったようです。
ですから それ以来タイ人でも外国人でもツナミが通じる訳です。海外の発生源としたツナミでは、
1755年:リスボン地震‐津波によりおよそ 10,000 人が死亡。
1946年:アリューシャン地震 - 津波高 30 メートル(推定)- 死者行方不明者 165 人。
1060年:1960年チリ地震 - 日本では死者不明者 142 名。地震発生の 22時間30分後に 18,000 キロ
メートル離れた三陸沿岸に襲来した。遠隔地津波として日本では有名。
2004年:スマトラ地震-津波高さ 34 メートル – スマトラ島アチェやスリランカ、タイ・プーケット島周辺を
中心にアフリカ東岸にかけて、インド洋沿岸各国で 25 万人の犠牲者。遠隔地津波発生で
最大の被害。
等々、ありますが、スマトラ地震がいかに大きな「ツナミ」であったかが理解できますネ。
到底 忘れることは出来ません!!
「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
飲んでいた晩のこと。タイの友人から “プーケット島が大変だ” という電話が入って津波を知りました。
そうです。インドネシア海域でマグニチュード9・3の大地震がスマトラ島沖地震で発生し、タイでもプーケット
を含む南部6県が大津波に襲われ、その近辺が大被害を受けた日でした。当時 ワタクシもプーケット島で
会社を共同出資したばかりで、プーケット島には頻繁に出入りしており、26日は日本へ帰った来た
ばかりでしたので、尚更のこと吃驚した記憶が残っています。あれからもう4年が経ちました。
タイではこのような津波の大被害も初めてのことでした。タイ国内の死者・行方不明者は外国人旅行者
約3,000人を含む約8,400人の人が被害に遭い、日本人も28名の死亡が確認され、今でも一人が行方
不明だそうです。また プミポン国王のお孫さんも、この津波で亡くなっています。
この地震と津波による全体的な犠牲者と行方不明者は、最終的に25万人前後とされていますが、その
遺族や友人などを加えると、5回忌のこの日は世界で数百万の人が涙を流しながら、この大被災を
思い出していることでしょう。
11月の時点では、警察庁が津波犠牲者の身元確認のためプーケットに設置した部署によれば、その
犠牲者の内388体が今も引き取り手のないまま同地の警察施設に保管されているとの事でしたが、その後
どうなったでしょう?遺体388体はスチール製コンテナに収められ、深さ1・5メートルの地中に保管されて
いるそうです。
これらの遺体が引き取られない限り、プーケット島のツナミ(TSUNAMI)被災は終わりを告げられません!
TSUNAMI(ツナミ―津波)という言葉は、英語と言いますかタイ人でも外国人誰にでも通じるぐらいになって
おりますが、通常 "tidal wave" (潮汐・高波) という英語で使われてきました。この語は本来潮汐に
よる波を指し、地震による波にこの語を使うのは学問的にふさわしくないとされ、現在ではツナミが用いられ
ようになった、と聞きます。
また このツナミの語源は1946年(62年前)にハワイで津波の大被害があった際、日系人が“tsunami" と
いう語を用いたことから、米国で広く用いられるようになり、その後、学術用語として国際語化した
そうです。更に、このスマトラ島沖地震によって津波が激甚な被害もたらしたことが世界中に報道された
ことを契機に、一気に各国の言語で一般語になったようです。
ですから それ以来タイ人でも外国人でもツナミが通じる訳です。海外の発生源としたツナミでは、
1755年:リスボン地震‐津波によりおよそ 10,000 人が死亡。
1946年:アリューシャン地震 - 津波高 30 メートル(推定)- 死者行方不明者 165 人。
1060年:1960年チリ地震 - 日本では死者不明者 142 名。地震発生の 22時間30分後に 18,000 キロ
メートル離れた三陸沿岸に襲来した。遠隔地津波として日本では有名。
2004年:スマトラ地震-津波高さ 34 メートル – スマトラ島アチェやスリランカ、タイ・プーケット島周辺を
中心にアフリカ東岸にかけて、インド洋沿岸各国で 25 万人の犠牲者。遠隔地津波発生で
最大の被害。
等々、ありますが、スマトラ地震がいかに大きな「ツナミ」であったかが理解できますネ。
到底 忘れることは出来ません!!
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