速いものですねぇ~ プーケット島に津波が襲って10 年になりました。
2004年に起きたスマトラ島沖地震から10年目を 迎えた昨日の26日は、タイ南部で多くの死者への
慰霊祭が行なわれていました。 インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード9.1の地震が発生し、
東南アジア各地に津波が押し寄せ、死者は23万人を 超えました。 タイでは南部プーケット県を
中心とエリアで、外国人旅行者約 3,000人を 含む、約 8,400人が死亡・行方不明となりました。
昨日は、他の被災地のインドネシアやスリランカなど各地でも、多くの遺族が集まり、慰霊祭・
追悼式が行なわれました。 プーケット島から遠く 離れていると、忘れられてしまいそうです。
インド洋大津波を 受けて、被災地には世界中から復興支援に多く専門家が集まり、寄せられた金額は、
災害から数か月で135億ドル (約1兆6000億円) 以上にも上り、事の大きさを 物語っていました。
<現地の日本人による慰霊碑も建立されています…>
ワタシは忘れもしません。 2004年12月26日の夜のことでした。 ちょうど その頃、タイにいる
親しい先輩とあるビジネスを 行なうべく、プーケットには よく行き来していたんです。 プーケットに
津波が押し寄せた時は、ちょうど 日本へ一時帰国していた時の出来事でした。
東京のレストランで食事を していた時に、バンコクから一本の電話が入り 「今 プーケットが大変な
ことになっているぞ」 との知らせ! 驚きましたねぇ~ 思い起こすと、一つ間違えば ワタシ自身も
犠牲者になっていたかも知れません。 被災したプーケットの場所から帰って来たばかりでした。
幸い ワタシたちのパートナーのファミリーには犠牲者が出ませんでしたが、家や経営にタッチしている
レストランや持っている船などは全滅でした。 とても 他人事とは思えませんでしたねぇ~ ・・・
今だに 何人かの日本人も行方不明と聞いていますが、外国人労働者の正確な数は不明ですって。
ほとんどの外国人労働者が、労働許可証を 持たないことに加え、親族たちは身柄拘束や強制送還を
恐れ、数日から数週間経っても届け出を 出さなったためです。 特にミャンマー人が多いらしいネ。
タイ政府が公式に発表した国内の死者数は5395人です。 一方、タイで津波被害に遭った6県全体で
約 2000人のミャンマー移民が死亡したと推定されているそうですヨ。 しかし 公式統計では、その
一部だけのようです。 現在も行方不明の400人の内、4分の1がミャンマー人とみられているとか。
タイ全体では推計 200万人に上るミャンマー人が働いているといいますから実感される数字です。
メディアは外国人観光客やタイ人の犠牲についてばかり取り上げ、ミャンマーの移民労働者の
死には、ほとんど注目されませんでした。 こんな深い陰のまた陰もあるんですねぇ~
ご冥福を お祈りいたします。
私には昨日の事のようです。
一生忘れないでしょうあの日のことは。
津波の怖さを映像でまざまざと見せ付けられ
その後日本での大震災へと続くわけですが
人間はなんと無力なものかと絶望に似た感覚を覚えてます。
私個人に被害はタイでも日本でも無かったのですが
大震災をきっかけに人生が大きく狂ったのは事実です。
たった3年で我が身の生き様がこれほど変わるとは。
プーケットの悲劇から10年、
多くの人々の人生を狂わせ
今も絶望感を抱えている方々が居られる事でしょう。
スマトラの大地震、そして東北の大震災、
それから天災で被害にあわれた方々皆さんのご冥福をお祈りしたいです。
こうやって投稿できるだけ私は幸せ者です。
私は つい最近 死にかかったんですからねぇ~
ブログを 書けるだけで、幸せに思わないと ・・・・
バンコクに居ては解らない何かが、発見できましたら教えて下さいませ。