続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

動物病院デビュー

2022-08-08 15:59:11 | 獅子丸な日々・総集編

めっきり足腰のよわった小次郎パパは、おうちで待機です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

おや、黒柴犬です。

ひめちゃんは臨戦態勢です

彼女(以前名前を聞きましたけど忘れました)は方向転換して去って行きました。

 

暑くなりそうなので、山上城を通って帰ります。

アジサイの小径は、もうすっかり花が終わったのかな?

来年に向けて、しっかり剪定してありました

 

今は獅子丸の墓標とも言うべきヒマワリ一輪、まだ元気に咲いてます

 

 

 

 

2019年6月7日、実家に帰った獅子丸は、元気にみんなと暮らしていました。

ところが、意外に早く(8月20日)動物病院デビューしてしまったのです。

 

養家から、フィラリア予防薬とノミダニの予防薬が届いていますから、もう少し先の予定でした。

サークルのあるテラスは、真夏の連日の強い日射しに悩まされ、いろいろな対策をしていました。


先日、おとうさんが、獅子丸のサークル前面に、すだれの上に重ねて着古した黒いコートを懸けました。
気がつくと、すだれもコートもボロボロ
血痕がいくつもありました
てっきり、歯で食いちぎったものと思いました。


そして、彼は塞がれることが嫌なのだと理解されました
閉じ込められるような恐怖を感じたのでしょう

 

歯茎を痛めたと思い、歯磨きガムは控えました。
本人は催促していましたけど。

ところが、左前足の先をしきりに舐めています
よく見ると、親指に血がにじんでいます
あの血痕はここから出たらしい。

早速、いつもの動物病院に行きました。
車の中では、比較的落ち着いていい子でした


養子に行く前、ワクチン接種に来て以来です。

「親指の爪が剥がれかかっています。剥がすわけにはいかないので、もう少し剥がれてくるのを待ちましょう。痛み止めの注射と化膿止めの注射をします。お薬も今夜からあげてください。また、土曜日に来てください。剥がれてしまえば、直ります

獅子くん、痛かったんだね

予定よりずっと早い動物病院デビューとなりました






4月のなかばころから、獅子丸の養家のお父さんがけがをしてお散歩ができなくなって、ひめちゃんとおかあさんが寄って一緒にお散歩していました
時には、小次郎パパやおねーちゃんたちが寄りました

 


獅子丸の新しい人生(犬生)が始まったのです
獅子丸の新しい人生(犬生)を、ざっと振り返ります



ひめちゃんが獅子丸の養家に寄り始めると、まもなく他の家族も寄るようになりました。
時には、タバサねーちゃんもまざります




4月の半ばでしたけど、このころまだ浅間山には雪がありました



けっこうみんなで、獅子丸を迎えに行っていたんですね



6月の初めに実家に帰りました。



実家に帰ってしばらくして、みんなと同じにハーネスにしました。


ちょっといかつさがとれて、マイルドになったようです

草もよく食べました

 


レインコートも着るようになりました。





人(犬)生色々、何時までも笑顔を忘れないですね。

 

(つづく)

 

 

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郷右衛門殿、さらばじゃ(獅子丸実家に帰る)

2022-08-02 14:59:10 | 獅子丸な日々・総集編

ひめちゃんの右前足の痛みは去ったようです

タバサねーちゃんと、堀之内を西に出ます。

天神田(字天神の田んぼ)を廻って帰ります。

 

途中にあるケンくんちの畑から、天神田・常広寺・山上城を望みます。

オレンジのカンナ、いいね

 

獅子丸の墓標のお地蔵様は、世界情勢のためお迎え延期になってます。

七海ママの墓標に、2役お願いしているような感じです。

ミニ地蔵様の後ろ辺りに、獅子丸は眠ってます。

このあたりにもヒマワリの種を蒔いたはずですけど、成長したのは1本だけです。

小さいけれど、力強そうな花です

 

 

 

 

2019年6月7日、獅子丸は実家に帰りました。


いつかは実家に帰るものとは思っていましたけど、意外に早くその日は訪れました



将来、「獅子丸家の真実」という小説を書きたいと思っていました。
最初の出だしは大分前からできていました。

ひめちゃんとおかあさんが、獅子丸を迎えに来ました。
獅子丸は実家に帰ることになったのです。
高齢の獅子丸家のおとうさんは入院することになりました。
「さらばじゃ、郷右衛門どの」獅子丸はつぶやきました。
獅子丸は、過去生(かこせい)で獅子丸家の御先祖・郷右衛門(ごうえもん)さんに、子孫の見守りを頼まれていたのです。
このおとうさんで、獅子丸家は尽きます。
後に続く子孫はいないのです。
獅子丸はあるときは馬、またあるときは犬、またあるときは猫と、転生を繰り返しながら、いつも獅子丸家にやって来て居着きました。
転生のたびにやって来ての第一印象は、「ああ、また落ちぶれた」、「あーあ、また落ちぶれた」でした。
誇りと伝承を残して、獅子丸家は滅び去ろうとしています。
明日からは、ひめちゃんと獅子丸とおかあさんの三人で暮らしていくことになります
(つづく)


こんな状況を思い描いていました。




2ヶ月くらい前に、獅子丸家のおとうさんが足を悪くして、獅子丸のお散歩ができなくなりました
実家のおかあさんとひめちゃんで、毎朝毎晩迎えに行ってお散歩していました



1ヶ月程前に、東京からおとうさんの弟さんと猫が帰ってきました。
そのころから、いつも開け放たれていた母屋は閉ざされ、獅子丸は離れたバラックにいつも一人でいるようになりました
そのうちに、お散歩から帰って「ただいま」と大きな声で叫んでも、反応がなくなりました

まるで帰ってくるなというようです

まさかそんなはずはない、おとうさんと二人で7年も仲良く暮らしてきたのに
でも、度重なると、本心かも知れない

本当につらく悲しいことでした
獅子丸も実家のおかあさんも、深く傷つきました



何があったのでしょう?
東京から老人と猫がやって来て、獅子丸は余計ないらない存在になってしまったのです
「ただいま」に「おかえり」と返事がないのは、本当につらいものです

早くこんな環境から連れ出さなければ

 



6月6日に、紫陽花の鉢を郷右衛門忌(常広寺開基・山上郷右衛門の供養イベント)の引き出物として喜捨したので、サークルが一つ空きました。
セキチューに行って、ドッグハウスを購入してきました。
悪戦苦闘して組み立てます

夕方、獅子丸を迎えに行きます

「しばらく実家で預かります。足が治ったら迎えに来てください。」
書き置きを残して、去ります。


さらばじゃ、郷右衛門殿!
7年間ありがとう、獅子丸は実家に帰ります


獅子丸は輪廻転生を繰り返しながら、獅子丸家を見守ってきたのです
いわば守り本尊でした
さらばじゃ、郷右衛門殿!



お散歩をしながら、実家に帰りました


夜泣きもせずに、静かに実家の生活になじんでいます



昨日の朝も今日の朝も、ひめちゃんと東の牧場の方にいきました


今日は雨なので、昨日の写真です。

ヤギのあかちゃんがいます。
獅子丸はにはまだ珍しい生きのもです。



そばにあるのは、古墳の石ですね。



白いのは、おかあさんかな?



雨の今朝は、ヤギさんたちの姿はありませんでした。

 

 

 

 

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ご先祖様のああ勘違い・その2

2022-08-01 15:32:26 | 獅子丸な日々・総集編

今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の北の方を元気に歩いてきました。

でも、帰り道、草むらが好きなひめちゃんは、何ものかに右前足をかまれました

動物病院で、痛み止めと解毒剤の注射をして、お薬をもらってきました。

蝮(まむし)にかまれたかも知れません

動物病院が休診でなくて、本当に良かったです

 

 

 

獅子丸家(獅子丸が七年間養子にいっていた家)のご先祖は、常広寺(じょうこうじ)の開基・本橋院殿寶輪廣誉大居士(ほんきょういんでんほうりんこうよだいこじ)です。

そして、彼の俗名は山上郷右衛門顕将(やまかみごうえもんあきまさ)だといいます。


小田原からやって来たと伝わり、家紋の裏紋は三つ鱗です。
そして、北条から嫁が来たともいいます。

ええッ


伝承しかありませんけど、獅子丸家はこのあたりでは一番古い家です。
それはほとんどの人が認めているところです

ひめちゃんや獅子丸が住んでいる葛塚の要害の地は、関東管領と古河公方が衝突する紛争地域でした
その後もさまざまな勢力に蹂躙されて、こかんの郷(荒れ果てた土地)になってしまったのです

世の中が収まって最初にやって来たのは、獅子丸家の人々でした


戦乱で無くなった人々の霊を弔うため、山上城の鬼門に常広寺を建てました



自家は葛塚城の鬼門に長安寺を建てました
(山上城から北東に数百mで葛塚城です。)
ここには以前にも寺があったようなので、再興というべきかもしれません。


戦国武将・小田原北条家家臣山上郷右衛門は、上野国、特に東上州を動き回りました。


郷右衛門は、小田原城開城後北条氏直に従って高野山に行っています。


その後、徳川家康に使番(伝令将校)として使えたと言います。



なぜ、晩年、山上の地にやって来たのか?

山上は、いまだに全国の山上さんが、ルーツの地としてやって来ます
もしかしたら、郷右衛門さんもご先祖の地と勘違いして、この地に執着を持っていたのかもしれません

小田原からやってきて帰農した山上さんは、ご先祖様の戒名にちなみ改姓しました。
山上の山上さんであることが、何か煩わしさをもたらしたのでしょう。

父祖の地と勘違いして、こかんの郷にやって来た獅子丸家もあれから400年、誇りと伝承をのみ残して、最後の一人になっています。

 

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ご先祖様のああ勘違い

2022-07-31 21:21:06 | 獅子丸な日々・総集編

昨年の暮れ、12月13日の夜、突然の事故で獅子丸は逝きました。

ひめちゃんと一緒に、10歳の誕生日が目前でした。

 

天寿を全うすることなく逝った、獅子丸の死がとても悔やまれます

もうじきお盆です。

鎮魂の意味でも、記事の少ないこちらのブログに、再編集してアップしたいと思います。

獅子丸がこの世に生きた足跡です

新着記事の合間に、少しずつアップしていきます。

しばらくの間お付き合いくださいませ

 

 

 

 

ひめちゃんは、冬の寒い日に生まれました。
ひめちゃんの一緒に生まれたきょうだいは、男の子2名女の子2名でした。
七海ママが、4名の子供を産み落としたのは初めてです。
ひめちゃんたちが生まれるようになったいきさつについては、後日語ります。




4名の中で、白足袋をはいた子は、獅子丸だけでした。
足の先が足袋をはいたように、白くなっていたのです。
きょうだいの中で、一番大きな子でした。




大きく生まれて、さらによくお乳を飲みました。



まだ耳が立っていないので、生後1ヶ月くらいでしょうか?
大きくおっとりした子でした。

 

生後2ヶ月くらいになると、4名でミニドッグランでよく遊びました。




獅子丸はけっこうバランスのいい体型です



ひめちゃんは真っ黒くろすけでした



それからまもなく、ひめちゃん以外のきょうだいは養子に行きました
獅子丸が養子に行った家を、仮に獅子丸家と呼んでおきます。


この獅子丸家との関わりが、余計に失われた歴史が語りかけてくるきっかけになったのです



将来、獅子丸を主人公にして、「獅子丸家の真実」という小説を書きたいと思っています。
最初のシーンはできています。

ひめちゃんとおかあさんが、獅子丸を迎えに来ました。
獅子丸は実家に帰ることになったのです。
高齢の獅子丸家のおとうさんは入院することになりました。
「さらばじゃ、郷右衛門どの(^-^)/」獅子丸はつぶやきました。
獅子丸は、過去生(かこせい)で獅子丸家の御先祖・郷右衛門(ごうえもん)さんに、子孫の見守りを頼まれていたのです。
このおとうさんで、獅子丸家は尽きます。
後に続く子孫はいないのです。
獅子丸はあるときは馬、またあるときは犬、またあるときは猫と、転生を繰り返しながら、いつも獅子丸家にやって来て居着きました。
転生のたびにやって来ての第一印象は、「ああ、また落ちぶれた(´・_・`)」、「あーあ、また落ちぶれた(´・_・`).」でした。
誇りと伝承を残して、獅子丸家は滅び去ろうとしています。
明日からは、ひめちゃんと獅子丸とおかあさんの三人で暮らしていくことになります(^-^)/
(つづく)



郷右衛門さんて、だれでしょう?

 

 

(つづく)

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