続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

猫絵の殿様の額・九之宮倭文神社

2023-01-15 15:16:56 | 上野十二社

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんは、「今日はどうしても神社の向こうの高台を突き当たりまで行く」と譲りません。

タバちゃん、大丈夫かな?

タバちゃん、ここのところ食欲全開中で、おウチ犬の時はおやつボックスをあさろうとしてます。

体調は復活しているようですけど。

 

早朝の赤城山には、横雲が棚引いていました。

突き当たりを南に下り、途中のあぜ道から神社前に戻って帰りました。

 

 

 

 

延喜式内上野十二社の九之宮・倭文神社(しどりじんじゃ 伊勢崎市東上之宮町)を目指します。

駐車場が見当たらないので、隣の上之宮地区会議所に、ちょっとの間失礼します

 

 

神社の向こうに川が流れます。

川から確認です。

川は、宮川です。

橋は、みょうじんはしです。

下流の宮川の流れです。

宮川は、けっこう水量豊かな川です

 

 

さて、上野九之宮・倭文神社に参拝です。

赤い橋を渡って、大きな鳥居をくぐります。

振り返って、参道入り口です。

 

竹で作った鳥居も設置してあります。

お正月ですね

 

 

拝殿で参拝です。

2礼2拍1礼です

 

 

拝殿の右側に、説明板やら石造物やらがあります。

由緒、読みにくい

主祭神は、天羽槌雄命で、そいの歴史は古く、機神、農耕、養蚕の神として崇敬されてきた。

 

そういえば、伊勢崎は織物の町でした

 

宮郷七福神巡りの恵比天もいます。

左手に持ってるのは、鯛ですね

 

道祖神・双体道祖神があるので、近くに幹線道路があったかな

 

脇の鳥居からの皆さんです。

 

 

本殿を確認です。

拝殿の西側に回り込みます。

拝殿前にも、小さな太鼓橋です。

橋を渡ると、日常の空間とは異なる、聖なる空間です

拝殿も本殿も。落ち着いて風格ある建物です。

 

 

神楽殿もまだ現役かな?

 

 

神楽殿の南に、こんもりした空間があります。

空間の中央には弁財天です。

周囲に堀の跡があります。

隣を流れる宮川の水を引いていたのでしょう。

後ろに出られて、宮川の流れです。

枯れた水で、ちょっっぴり寂しい弁天宮です。

 

 

社務所が僅かに開いてます

中には、氏子総代さんです。

先客がいて、御朱印を書いてます。

御朱印をお願いします。

「先輩の総代から、字が下手でも心を込めて書くように」と言われたとのことです。

心を込めて、御朱印を書いていただきました。

ありがとうございます

 

 

鳥居を出ます。

振り返って、「あれ、岩松さんだ

新田源朝臣道純(にったみなもとのあそんみちずみ)ですって

新田岩松家は新田氏の子孫という血筋で、下田島に広大な屋敷をかまえながらも、経済的困窮とあいまって所望によって、猫絵を描いたり寺社の額を描いたりしていました。

猫絵の殿様の額が、ここにもありました

 

下田島の御屋敷の跡には、現在太田フレックス高校です。

昔々は、尾島女子高校でした。

実家では、子どもの頃、尾女のチャイムが聞こえたものでした

 

 

さて、下之宮・火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)を目指しましょう

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上野五之宮・淵名の大国神社

2023-01-13 19:55:31 | 上野十二社

昨日の朝、ひめちゃんはケンくんに逢えました。

いつもは入らない、元獅子丸家(獅子丸が7年間養子に行っていた家)の路地を、どうしても行くと譲りませんでした。

ケンくんの姿がみえたのです

濃厚接触して、お互いの進路を取りました

ありがとう、バイバイ

堀之内に戻ると、タバサねーちゃんがお散歩に出たところでした。

タバサねーちゃんは、体調もいいようです

朝ご飯の後、みんなで大胡ぐりーんふらわー牧場にお出かけしました

 

 

 

 

1月2日、世良田東照宮参拝の後、国道17号線(上武道路)で帰ります。

国道17号線をしばらく走ると、左手に多くの幟と提灯をぶら下げた神社が見えます。

大国神社(おおくにじんじゃ)です。

国道から鳥居前の駐車場に入ります。

 

賑やかに、神社の説明板です。

大きすぎるので、分割です。

 

境内の案内です。

桜と紫陽花の神社かな?

 

神社の由緒です。

大国主命を祀る、大国神社です。

淵名の地名は、「大国主命の力によってもたらされた雨によって、池が変じて淵になった」ので、淵名というのですね。

淵なの淵は、かなり深かったのかな?

 

石幢の説明です。

近くの御手洗池の池畔から出土したんですね。

古い歴史を持つ神社です。

 

延喜式内上野十二社の大国神社です。

延喜式神名帳は、延長5年(927)にまとめられた、当時の全国の神社一覧だそうです。

ここは、その上野国の12の神社の五之宮なのです。

 

初詣の人々が、それなりに来ています

 

古い神社の縁起も健在です。

ここは旧佐波郡境町下渕名字明神です。

 

 

大きなりっぱな社殿です

 

 

社務所に、神社の役員さん達がいます。

御朱印も出しています

御朱印をお願いして、参拝です。

 

 

手水社の向こうに、石幢です。

 

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

彫刻が見事です

 

 

彫刻に見とれて、拝殿本殿を一回りです

 

 

社務所によって、御朱印をいただいて帰ります。

御朱印と一緒にいただいた資料に寄れば、「この見事な彫刻の作者は、淵名の名工・弥勒寺音次郞(みろくじおとじろう)と言われている」とあります

また、上野十二社の一覧もいただきました。

せっかくだから、十二社廻ってみようかな

 

 

鳥居脇に、古い住所です。

「佐波郡采女村(うねめむら)大字下渕名」です。

何時までも、記憶に残って欲しい地名です

 

また、桜の季節・紫陽花の季節に参拝出来るといいなあ

 

国道17号線の向こうを、早川が流れます。

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、長い旅をして、ここまでやって来ました。

もう少し旅を続けて、利根川に合流します

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