続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

三百六十五段の階段を登って伊香保神社2(別当寺・医王寺の記憶)

2023-01-22 15:31:47 | 上野十二社

寒い寒い寒すぎる朝です。

ひめちゃんは、一人散歩で、堀之内を西に出ます。

タバサねーちゃんは、さきほど起き抜けに、一応用を足してしまったので、自宅待機です。

天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

久しぶりに、常広寺の新墓地に転がされている天神様にご挨拶です。

あけましておめでとうございます

そのうちに、天神宮・天神川・天神沼等の天神川の物語を、「天神川物語総集編」で整理しますね

 

天神田のあぜ道を帰ります。

あの竹林の向こうに天神沼、右の木々の前に天神宮、その間に天神川が流れています。

 

道ばたの草はまだ凍っています

寒波の来襲です

 

 

 

伊香保神社の鳥居が見えてきました。

でも、右手奥の路地に何かあります。

 

 

寄り道です

薬師堂とあります。

薬師様がおいでです。

合掌

 

御堂の傍らに石造物です。

 

薬師堂の由来があります。

天正2年(1574)、湯泉山医王寺開山とあります。

医王寺という寺名は治療の仏である薬師如来を祭る場合が多いそして温和泉山は温泉場の寺という意味を表しています。医学が未発達の時代に人々は湯治をしながら精神療法も併せて薬師如来を祭る医王寺に祈願したようです。

 

そうなんだ、納得です

でも、度重なる火災で消失とあります

 

そして弘化2年(1846)湯泉山医王寺再建

天保4年から13年目に完成、大工の棟梁は出雲から出張、華麗な建物で「伊香保の薬師か、日光か」といわれたという。

明治11年(1878)伊香保大火 温泉山医王寺は全て焼失 伊香保神社の場所にあり温泉神社の別当寺でした。 

明治26年 度重なる大火で、薬師如来を大家から守るために蔵造りにして現在の場所に建立。

 

温泉神社(現在は伊香保神社)の別当寺だったんですね

もう一度合掌

 

 

さて、石段に戻ります。

別当寺医王寺は、この上にあったんですね。

 

 

階段を登り切って、社務所です。

「御朱印は、土日祝日にお受けしております」ですって。

やっぱり、残念

 

 

さて気を取り直して、拝殿で参拝です。

2礼2拍1礼です

 

おや、右のボックスにお守りとかと一緒に書き置きの御朱印もあります。

代金300円を入れて、1枚いただきます。

 

 

神社の由緒です。

薬師堂とは、ちょっと違ったニュアンスです

ここに別当寺・医王寺があったなんて、全く影もないです。

伊香保大明神の言葉もないですね。

 

 

史跡の説明板があります。

この灯籠は、新田郡阿久津村の白石栄左衛門が、天保4年から50年間に60回の入湯を果たした記念に奉納したんですか

新田郡の阿久津村は、旧尾島町、我が故郷近くです。

ここからあんなに離れた故郷から、60回もやって来たなんて。

うれしい奇遇です

 

 

(つづく)

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三百六十五段の石段を登って伊香保神社

2023-01-21 16:02:51 | 上野十二社

寒い寒い朝です

今日は気温がとても低い予報です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんは、さっきタバサねーちゃんに意地悪をして叱られました

ハイシニアのタバサねーちゃんは、目覚めるとすぐに用を足したがります。

タバちゃんがそこらまでのちい散歩で帰ってきた時、玄関に入るのを阻止しようとしたのです

 

でも、タバサねーちゃんな気にしてないようです。

2人だけの柴犬家族になってしまったのだから、仲良くしようね

 

赤城山は吹雪いているようです。

 

 

 

 

これから気温の低い日々が続く予報です。

でも、20日は、まずまずの気温になりそうです。

本当は、上野国三之宮・伊香保神社の社務所が開いている21日がいいのですけど、気温が低い予報です

お留守番のひめちゃんたちの心配が少ない、20日に、思い切って出かけてみました

 

県道34号線を大正橋に出て、利根川を渡ります。

国道17号線を横切り、県道33号線をひたすら行きます。

けっこう上り坂です。

迷う事無く到着です。

伊香保温泉街の石段近くの有料市営駐車場は満車、少し離れた有料市営駐車場に駐車です。

観光案内図を確認です。

中央の石段を登って、上にある伊香保神社を目指します。

 

駐車場の隣は、徳冨蘆花記念館でした。

徳冨蘆花って、明治の文豪でしたよね。

伊香保と関係あるんだ

 

 

さほど歩かずに、石段です

あれ、湯煙が立ってる

階段の中央を、お湯が流れてるみたい。

 

けっこうな人出です。

中国語も聞こえます

これより石段の碑があります。

石段の歴史もあります。

石段の登場は、天正四年(1576)ですか

戦乱で傷ついた兵士の治療のためですか

 

平成23年に、石段をたして、365段にしたのですね

 

振り返って、後ろの景色です。

いい景色だけど、まだ先は遠い

 

 

少し登ると、また案内板です。

伊香保神社300mですって

でも階段を登るので、楽じゃないよね

 

 

おや、不可解な建物があります。

伊香保の関所跡です

 

「靴を脱いでお上がり下さい」とあります。

ちょっと失礼します。

伊香保は、三国街道の抜け道だったんですか

三国街道は、江戸と越後を最短距離で結んでいたとか。

その抜け道が、ここを通っていたんですか

 

向こうが正門かな?

雪をかぶった山々は、三国の山々かな

 

見学者もけっこういます。

この振り袖の人は通してもらえるのかな

 

 

石段に戻って、また登ります。

 

 

ご当地キャラの自販機です。

こちらも、ご当地キャラですね。

 

 

ちょっと振り返って、石段です。

365段一気に登るのではなく、途中にいろいろ気を引くものがあるので、さほど苦しくなく登ってきました

 

もうすぐのようです

 

鳥居が見えてきました

右の路地奥に、気になる所があります

 

(つづく)

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山中で川の神を祀る甲波宿袮神社

2023-01-19 15:58:02 | 上野十二社

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

おとうさんは、今朝も諏訪神社前のあぜ道から、山上城に入ってロウバイを見ようとしています。

アタチはもっと向こうの高台に行きたいのになあ

不思議な色合いの浅間山です。

ちょっと神秘的かな?

 

北から堀切を通って、三の丸のロウバイです。

赤目の花が咲くのは、この木だけだったかな?

少し遅かったかな?

 

帰り道、まだ霜柱がしっかり立ってます。

寒くても、2名でのお散歩が楽しいね

 

 

 

1月4日、上野四之宮・甲波宿袮神社(かわすくねじんじゃ 渋川市川島)を尋ねます。

国道353号線から利根川を渡り、国道17号線を渡り、県道35号線(日陰道)に出ます。

ひたすら行って、新幹線の高架下をくぐります。

この右の細い坂道を上るべきでした。

ちょっと細いので、左の道を行っても、神社に到達出来ません。

付近をグルグル回って、参拝から帰る地元の人に聞いて、やっと駐車場に到着できました。

 

新幹線の高架が見えます。

向こうの山は、赤城山です。

 

細いながらもちゃんとした道で、神社に到着できました。

 

こちらが、本来の参道です。

さっき、この下もウロウロしましたけど、駐車スペースはありませんでした

 

鳥居をくぐって参拝です。

 

駒犬さん、あけましておめでとう

神社の説明板です。

川の神で、人々の罪やけがれを呑み去ってくれるんですね

でも、川から離れてます

 

 

りっぱな社殿です。

天井絵もあります。

 

2礼2拍1礼です

 

書き置きの御朱印があります。

代金を賽銭箱に入れて、御朱印をいただきます

 

 

拝殿の彫刻が見事です

すごい

さぞかし名のある彫刻師の作品でしょう。

 

この方は、孔子かな?

 

 

後ろの本殿も覗いてみます。

失礼します

やはりみごとな彫刻です

 

本殿後ろから望みます。

さすが上野四之宮・甲波宿袮神社です。

 

 

拝殿前に戻ります。

ちょうど参拝のご夫婦がいました。

 

「こんにちは すごい彫刻ですね 誰の作品か御存知ですか?」

「いやあ、分からないんだよ。」

「ここは、駐車場が分からなくて、川の神を祀ってるのに、山の周りをウロウロしました

「もとは、川の近くにあったんだよ。ちょうどあの新幹線の辺りさね。流されて引っ越したんだよ

「そうですか。ありがとうございます

 

いろいろ検索すると、甲波宿袮神社は、本来は吾妻川の南岸に鎮座していたけれども、天明3年(1783)の浅間山の噴火の際に泥流により流出。

同5年に現在地に再建されたと言うことです。旧社地には観音堂が現存するともあります

 

 

駐車場に戻ると、「あれ、新幹線がやってくる

赤城山もまったく違う姿です。

あの山の南に帰ります。

 

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火雷神社の別当寺・梅龍山観音院東林寺

2023-01-17 17:59:42 | 上野十二社

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

今朝は、諏訪神社の前のあぜ道から、山上城の堀切に入ります。

あれ、落ち葉が少なくなってるよ

三の丸に、ロウバイが咲いてます

山上城登城のご褒美下さいな

ロウバイの向こうに、真っ白な浅間山が見えました

 

 

 

火雷神社の裏に、気になる空間があります

民家のようだけど、石造物があります。

もしかしたら、かつての神社の別当寺かな?

梅龍山観音院東林寺です。

廃寺ではなさそうですけど、無住のようです。

 

さて、『ぐんまのお寺』(上毛新聞社)にあるかな?

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅱ』(平成13 上毛新聞社)にありました

当寺は梅龍山観音院天神坊東林寺と号する。寺伝によれば、天治元年(1124)大元法印開基と伝える。~(中略)~寛永年間、快賢法印の代に滝の慈眼寺末となり、上野十二社の一つ火雷神社の別当寺として威を振るったといわれる。山号梅龍山は火雷天菅原道真の好んだ梅にちなみ、院号観音院も火雷神の本地観世音菩薩(十一面観音立像、木像が火雷神社から当寺へ移って存する。室町彫刻といわれる)が根拠と思われ、天神坊はまさに天神の名そのものである。

 

境内の風景です。

 

 

裏に出ると、利根川の土手です。

ちゃんと利用されてます

 

土手からの境内です。

 

自転車道の左の道・青い道を、神社の方に戻ります。

 

 

あれ、駐車禁止ですって

道標もあるのに。

どこで許可をもらうのかな?

 

 

下を見ると、龍の模様のマンホールの蓋です

「たまむら」は、龍の玉の伝説で、玉村だそうですね。

素敵なデザインです

 

 

神楽殿の後ろから、神社に戻ります。

天井絵があります

神社は現役で活躍中です。

火雷神様、天神様、活躍中です。

 

 

拝殿を見ながら帰ります。

ここから、ペコリです

 

 

参道を戻ると、神社の由緒のそばに道標です。

さっきは気づきませんでした。

この付近は、かつては幹線道路だったのでしょう。

 

 

駐車スペースに戻る途中、梅の花が咲いてます。

火雷神社には、梅の花が似合います

 

 

火雷神社にあった十一面観音は、明治の神仏分離令で、別当寺だった東林寺に移されました。

そして、前掲書に寄れば、現在は町の歴史資料館にあるということです。

玉村町歴史資料館は、何度か訪れています。

そういわれれば、大きな仏像がありました。

歴史資料館のパンフレットに、この十一面観音がありました。

いままではさほどの感動もありませんでしたけど、次回はしっかりお会いしてきます

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下之宮の火雷神社

2023-01-16 19:31:47 | 上野十二社

濃霧の朝でした

ほんの先も見えません。

誰にも会いませんでした。

 

夕方には、薄日が差しました

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、南の方にお散歩です。

あちゃあ、小学生の下校時間です

「こんにちは

「こんにちは あの子、かわいいね

 

あの子って、どの子?

ひめちゃんだよね

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は気温が低く雨っぽかったので、一日中室内犬です。

タバサねーちゃんは、煮干しが入ってる引き出しの前に、ズーッといて、何とか取り出そうと何度もチャレンジしていました

実は、タバサねーちゃんは、煩悩の塊でした

 

早めに出たので、ズーッと南まで足を延ばします。

途中に、石宮と石造物があります。

後ろの梅の木、幹は割れているのに、毎年花を咲かせています。

梅って、案外生命力のある木なのです

 

ひめちゃんちのロウバイ、葉っぱも落ちて、見頃になってきました

真冬の黄色、いいですね

 

 

 

1月3日、倭文神社(しどりじんじゃ 伊勢崎市東上之宮町)の後、下之宮の火雷神社(ほのいかづちじんじゃ 佐波郡玉村町)目指します。

大国神社でいただいた上野十二社リストの住所をナビに入れて、伊勢玉大橋で利根川を渡ります。

川を挟んで、上之宮と下之宮ということですから、川は利根川です。

そうすると、上之宮・倭文神社の脇を流れる宮川は、利根川の元の流れかな?

 

あれ、ナビの地図に、伊勢玉大橋の近くに火雷神社です

目的地の住所は、玉村八幡宮の近くで、まだ先です。

でも、利根川を挟んで、相対する所です

 

寄ってみましょう。

「延喜式内」の文字があります。

ここが、下之宮・火雷神社です

 

こんもりと太鼓橋風の石橋があります。

渡ると聖域です

 

右手には、手水社です。

 

 

神社の由緒もあります。

当神社は、上州名物の一つになっている雷の神様である火雷神をまつってある。景行天皇の時代に上野国の統治者御諸別王がまつったと伝えられ、平安時代の延暦十五年(798)官社となり、延喜の制では、小社に列して上野十二社の八の宮として、上野国の延喜式神名帳に従一位火雷大明神と書かれている。~(中略)~また、伊勢崎市上之宮の委文神社と相対し、その上之宮に対し下之宮といわれ、地名起源となっている。

 

ナビさんの地図、大正解でした

あれ、委文神社になってます

普通に入力して変換すると、委文神社です。

でも、上野九之宮は、「倭(やまと)」の文字の倭文神社です

 

 

手水社は、こだわりの手水社のようです。

菅原道真も祀ってます。

天神様は、元々は雷神を指していたといいます。

けれども、道真の死後の清涼殿落雷事件以来、道真と火雷神が結びついて祀られるようになったと言うことです

来る途中に寄った香林火雷神社も、天満宮の幟があがってました

 

 

狛犬さん、あけましておめでとう

 

 

配神の天神様にちなんだ梅で、明るく優しい火雷神社です

古い由緒書があります。

菅原道真命は、配祀神の中においでです。

 

 

本殿も、明るく元気が出そうな造りです。

人物が見えますけど、どなたかな?

 

 

あれ、奥の方に何かあります。

民家のようだけど、石造物がある

もしかして、火雷神社の別当寺だったかも?

ちょっと探検です

 

 

(つづく)

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