寒い寒い寒すぎる朝です。
ひめちゃんは、一人散歩で、堀之内を西に出ます。
タバサねーちゃんは、さきほど起き抜けに、一応用を足してしまったので、自宅待機です。
天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。
久しぶりに、常広寺の新墓地に転がされている天神様にご挨拶です。
あけましておめでとうございます
そのうちに、天神宮・天神川・天神沼等の天神川の物語を、「天神川物語総集編」で整理しますね
天神田のあぜ道を帰ります。
あの竹林の向こうに天神沼、右の木々の前に天神宮、その間に天神川が流れています。
道ばたの草はまだ凍っています
寒波の来襲です
伊香保神社の鳥居が見えてきました。
でも、右手奥の路地に何かあります。
寄り道です
薬師堂とあります。
薬師様がおいでです。
合掌
御堂の傍らに石造物です。
薬師堂の由来があります。
天正2年(1574)、湯泉山医王寺開山とあります。
医王寺という寺名は治療の仏である薬師如来を祭る場合が多いそして温和泉山は温泉場の寺という意味を表しています。医学が未発達の時代に人々は湯治をしながら精神療法も併せて薬師如来を祭る医王寺に祈願したようです。
そうなんだ、納得です
でも、度重なる火災で消失とあります
そして弘化2年(1846)湯泉山医王寺再建
天保4年から13年目に完成、大工の棟梁は出雲から出張、華麗な建物で「伊香保の薬師か、日光か」といわれたという。
明治11年(1878)伊香保大火 温泉山医王寺は全て焼失 伊香保神社の場所にあり温泉神社の別当寺でした。
明治26年 度重なる大火で、薬師如来を大家から守るために蔵造りにして現在の場所に建立。
温泉神社(現在は伊香保神社)の別当寺だったんですね
もう一度合掌
さて、石段に戻ります。
別当寺医王寺は、この上にあったんですね。
階段を登り切って、社務所です。
「御朱印は、土日祝日にお受けしております」ですって。
やっぱり、残念
さて気を取り直して、拝殿で参拝です。
2礼2拍1礼です
おや、右のボックスにお守りとかと一緒に書き置きの御朱印もあります。
代金300円を入れて、1枚いただきます。
神社の由緒です。
薬師堂とは、ちょっと違ったニュアンスです
ここに別当寺・医王寺があったなんて、全く影もないです。
伊香保大明神の言葉もないですね。
史跡の説明板があります。
この灯籠は、新田郡阿久津村の白石栄左衛門が、天保4年から50年間に60回の入湯を果たした記念に奉納したんですか
新田郡の阿久津村は、旧尾島町、我が故郷近くです。
ここからあんなに離れた故郷から、60回もやって来たなんて。
うれしい奇遇です
(つづく)