続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

女淵城と観音堂の間を流れて

2022-08-31 15:12:30 | 桂川物語

雨上がりの朝です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんが突然動かなくなりました

「遊ぼ」の姿勢で待ってます。

黒柴のデナちゃんの姿を見付けたのです。

でも、デナちゃんは方向転換して行ってしまいました

せっかく待っていたのに、残念

 

タバサねーちゃんと、堀之内の西側・東芝の田んぼ道を歩いてきました。

赤城山は、重く垂れ込めた雲に覆われて、その姿を見せませんでした。

 

ガーデンパトロールで、あれみんな色が違う

三四郎地蔵、サマンサ地蔵、ののこ地蔵、雨に濡れて、みんな色が違います。

偶然だけど、みんな違う石だったのです。

早く世の中が平常に戻って、獅子丸地蔵をお迎えしたいね

 

 

 

おかあさんは、女淵城のお堀メインの所から、魔住田ヶ淵まで車を取りに行ってきます。

タバサちゃんは、「おとうさんと待っててね

 

さて、桂川を渡って帰りましょう。

 

 

殿原橋を渡ります。

向こうに見えるのは、御霊橋です。

 

上流の流れです。

いい雰囲気です。

 

 

突き当たりを上流の方に左折します。

観音堂です。

境内に駐車して、「タバちゃん、待ってってね

タバサねーちゃん、熱中症にならないように、ちょっとの間エンジンは付けぱなしです。

 

 

ダッシュで桂川を確認です。

 

 

橋の名はありませんけれど、さっきの女淵城の案内図だと、茶の木橋です。

下流の流れです。

 

こちらは上流の流れです。

 

この先、電柱の所を左折すると、女淵城の本丸です。

今回は本丸パス。

 

 

急いで観音堂に戻ります。

 

観音堂の説明板を確認です。

ここの観音様は、県内最古級の木彫仏なのです

本来は十一面観音らしいのですね。

60年に一度のご開帳ですか

この次は何時かな?

御堂の床下にもう一枚の説明板です。

なぜ床下にあるのだろう?

 

御堂を覗いて合掌

 

 

さて、ダッシュで裏を探検です。

石仏がたくさんありますけど、この方が目立ちます。

十一面観音ですね

 

 

御堂の裏手に桂川が見えます

あそこが赤城橋かな?

この次は是非あそこまで行ってみたいものです。

 

 

鳥居の側の道標を確認です。

今は細い道ですけど、かつてはメインストリートだったのです

この細いかつてのメインストリートを、南に行って県道に出ましょう。

 

タバちゃん、お待たせ。

タバちゃんは、いい子で待っていられます

 

 

県道への細道をたどって帰ります。

県道への出口には、「女淵城跡・聖観世音」の案内です。

かつては、ここが女淵観音堂へのメインの参道だったのです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔住田ヶ淵と女淵城

2022-08-30 15:56:26 | 桂川物語

今朝はお天気も悪く、いい写真がありません

 

ちょうど1年前、2021年の8月31日、元気な獅子くんの姿があります

本日はアーカイブでご容赦下しませ

7年間養子に行っていて、実家に帰ってきて2年ちょっとでした

元気いっぱい明るく、ひめちゃんとのお散歩を楽しんでいました

ひめちゃんも楽しんでいました

 

実り始めた田んぼには、シラサギです。

今年は、最近ほとんど見かけません。

どうしたかな?

 

 

 

 

8月25日の朝、タバサねーちゃんは脱走して、おかあさんの車の回りをウロウロ。

お出かけの催促です。

タバサねーちゃん、久々のお出かけです

さて、何処へ行こうか?

そうだ、桂川の源流が気になってます、

行ってみよう

 

 

地図だとここが桂川の始点です。

でも振り返って北を見ると、まだ先がありそうです。

この先もそのうちに辿ってみたいです。

上流はさほどの水量ではないのに、線路の下をくぐってしっかりと流れ出しています

 

 

この場所のすぐ先には、踏切と魔住田ヶ淵(まずみだがふち)があります。

数年前に訪問したときは、もっと鬱蒼とした雰囲気だったと思います。

今では、「魔」が住んでる雰囲気はゼロです

 

史跡魔住田ヶ淵の碑文を確認です。

此の地は高野辺家成の姫の伝承地であるが、昭和五十三年度群馬県営粕川土地改良事業によって平夷された

南北二五四米東西一八米深さ六米であった。

 

南北に細長い淵だったのです。

桂川の源流とは重ならないかな

 

高野辺家成の姫の伝承とは、この淵に姫が継母に沈められたという事いうのでしょう。

『粕川村誌』(昭和47年)に、

一説には、往昔高野辺家成という者が当地に居住した。女子有り、継母これを憎み、郎等と謀って、魔住多の淵に静めたので後の人がその淵を女の淵と呼んだことから地名になったという。

 

 

踏切の向こうは、女淵城(おなぶちじょう)です。

せっかちおじさんは、タバちゃんともう城趾の方に行ってしまいました

 

あわてて後を追います。

初めて北側から女淵城を攻めます

 

今は埋められてしまった魔住田ヶ淵から、勢いよく水が流れ落ちてます

 

やがて静かな鏡のような水面となり、付近の風景を逆さに映します

 

次に滝の様に流れ落ちると、濁り始めます。

 

振り返って魔住田ヶ淵です。

 

タバちゃん、興味津々です

何か居るのかな?

鯉がいます

 

ちょっと暑いですけど、楽しいですわ

 

 

お堀(沼)の南に出ます。

ここがいつもは到着して探訪の出発地です。

 

女渕城についての、説明板と付近の地図があります。

あれ、右の方に桂川も描かれています

桂川の方に行ってみましょう

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする