続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

新田義重勧請・堀口賀茂神社

2024-08-28 15:59:59 | 新田紀行

ひめちゃんは、「何者じゃあ

 

案山子が倒れてます

そんなに大雨が降ったかな

設置された最初の日は気にしましたけど、後は気にしてませんでした。

別物に見えるのかな

 

赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

プーちゃんの足が見えます。

生きてるね

小屋の前の深い穴は拡大中です

土を掘れることが生き延びるカギだね

雨雲レーダーが「30分後に降り出します」だったので、大急ぎで堀之内の西を歩いて帰ります。

 

 

 

 

堀口氏館跡のすぐ近くには、堀口賀茂神社があります。

さっき通ったけれど、駐車場がない

境内にも車両は入れそうもない

でも、せっかくだもの、何とか寄りたい

ゆっくり走行して、社務所兼地域の集会所らしき建物の横に、ゴミ置き場があります。

ちょっとの間だけ、失礼します

 

 

鳥居から参拝です。

 

鳥居の脇には、石造物です。

 

鳥居をくぐって2礼2拍1礼です

額は賀茂宮です。

 

 

さて、社殿の周りを一周してみましょう。

 

本殿は、なかなかの彫刻です

 

 

おや、社殿脇に、説明板があります。

「新田義重が京都の賀茂大神を勧請してきたと伝えられている」とあります。

新田の一族はかなり遠くにもいますけど、ここは近いです。

地方の実力者は娘を新田氏に妻に差し出して、生まれた子を新田ではなく母の実家で育てたといいます

堀口氏は新田本家の一族でしょう

 

 

さて、社殿の一周続けます。

  

竜がいっぱい

こんなに竜がいるところも、そうそうないと思います。

 

大きな彫刻は、中国の物語ではなさそうです。

 

日本の武将伝かな?

 

見事な彫刻です

 

 

社殿裏には境内社と石造物です。

 

道祖神が2基あります

神社前の道は、かつては人々の行き交う街道だったのでしょう

 

早川の出口が名字の地の堀口さんたち、もちろん賀茂神社も参拝していったことでしょう

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堀口は早川の出口(堀口氏館跡と正覚寺跡)

2024-08-26 15:40:48 | 新田紀行

昼間はカンカン照りになりました

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お風呂場でシャワーです。

でも、朝は、小雨というか霧雨の中のお散歩でした

 

なので、今日は20年前の七海ママ・0才の秋から冬のアーカイブです。

 

ナナちゃんも、音の出るボールが大好きでした。

なんとなくひめちゃんの寝姿です

鋭い目つきです

何かあったかな?

七海0才の冬は、雪が多かったようです

痩せてちっちゃかったナナちゃん、だいぶ丸々ナナちゃんになってきました。

雪のミニドッグランで思いっきり遊びました

 

 

 

春先だったと思いますけど、ひめちゃんが二度目の朝散歩をしている時期がありました。

その少し遅めの朝散歩で、何度か行き会って話をしたおじいさんがいます。

近年、小学校の近くに引っ越してきたそうです。

そして、「ウチは堀口と言うんだよ。堀口とは、川の出口という意味だよ。新田の一族・堀口氏なんだそうだ。名字の地に、一族で行った事があるよ。」

「ええッ、それって早川の出口の堀口氏館跡ですか?」

「連れて行ってっもらったから、どこだか分からなかったけれど

「早川は、新里の山奥・奥沢から流れ出して、長い長い旅を続けて、尾島の堀口(尾島町堀口、現太田市堀口町)出利根川に合流します

そんな話をしたことがありました。

 

中島屋敷とヒマワリ畑の後、帰りがけに、ちょっと寄り道してみよう

 

かすかな記憶を辿って、何とか到着です。

 

説明板はよく見えません

石碑もあまりよく見えません

「ここには新田の一族・堀口氏館があり堀口氏開基の正覚寺があった。昭和43年に早川改修工事によって堤防が築かれ、正覚寺は浄蔵寺に合併のやむなきに至った。」ということのようです

50年前は全く違う景色だったのです

 

この南あたり・土手の向こうあたりが早川物語・最終章でしょう。

早川物語、最終章の間近の風景です

お天気と駐車場の関係で、土手を上って、早川の出口を確認してきませんでした

やはり、確認して来るべきでした。

反省

 

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、長い長い旅を終えて、もうすぐ利根川と合流するのです。

早川物語番外編・早川の起点(これが本当の早川物語第一章)

ふるさと新田をを流れる早川と、新里を流れる早川は、つながった同じ川だったのです

浄蔵寺の銀杏が色づく頃、また行ってみましょう

 

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嵐の中(?)のひまわり畑

2024-08-25 18:10:37 | 新田紀行

昨日も今日も、昼過ぎから雷鳴が始まりました

ひめちゃんは、「アタチはさまってまふ」をしてしまいそうです

やむなく午後から室内犬です。

ネッククーラーをつけて、暑さを凌ぎます。

どうも完全室内犬を目指してるかな

 

昨日の朝には、天神田を廻ってケンくんちの前を通りました。

おばちゃんが、ちょうど車で帰ってきたところでした。

早速、ひめちゃんに、「覚えてる」と挨拶してくれました。

忘れませんでふよ 

大好きだったケンくんのママだもの

 

ミニドッグランのフンスに直播きのアサガオが咲き始めました

やっぱい夏には咲いて欲しい花です

 

 

 

8月16日、台風の影響でスッキリしないお天気でしたけど、おおたんのスタンプラリー・スタンプ求めて、旧中島家住宅を訪ねました。

到着したときは、まだ雨も降っていませんでした。

何人かの訪問者も来ていました。

なんだか年々劣化しているような

昔はもっと元気な中島屋敷でした。

スタンプラリー・スタンプをゲットして、中をざーっと見学して外に出ます。

あれ、降り出してます

傘を持たずに来たので、ダッシュで車に戻ります。

さて、妻沼小島のヒマワリ畑はどうしよう

中島屋敷の後は、ヒマワリ畑が定番のコースになってます。

初志貫徹、寄って行きます

 

 

中島屋敷の裏の道を少し東に走ると、まもなく「埼玉県」です。

利根川の北側の埼玉県熊谷市です。

 

廃校になった中学校の南が駐車場です。

やはり誰もいません

スコールのように雨が吹き付けてきます

でも、ヒマワリは咲いてます

初志貫徹、何とかあそこまで歩きましょう

 

傘を差しても結構濡れながら、今満開のヒマワリ畑です

台風に備えて、設備や備品は撤去されてます。

 

あれ、今年はヒマワリの背丈が低い

迷路に入ってみませんでしたけど、たぶん迷路の先が見えちゃうよ

意図的、それとも偶然

踏み台用の収穫カゴのみ残ってます。

 

でも、満開のヒマワリ畑、訪問できました

 

あの土手の向こうには、利根川が流れます。

利根川縁の道を走行してみたいけれど、もっとお天気のいい日にしましょう。

 

駐車場に戻る途中、これから満開の畑が目に入ります

若い元気な花も、それなりにいいなあ

 

駐車場を出るとき、さっきは目に付かなかった案内が目に入ります。

「県境で過ごす」の文字が光ります

そう、ここは県境、利根川の北で群馬県と地続きの埼玉県熊谷市です

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縁切り寺・満徳寺(諸悪との縁切りも)

2024-08-23 17:22:46 | 新田紀行

今朝はどんよりした曇天でした

明るい写真がないので、ムーハウス先住犬たちのアーカイブです。

2007年7月7日、三四郎&サマンサ、七海&小次郎の4名は、赤城南面にあったドイツ村のドッグランに行きました。

他にワンコはいなくて、貸し切り状態だったようです。

 

 

ワンコ用プールで遊ぶのは、小次郎と七海だけでした。

 

三四郎&サマンサは、一度もプールに入りませんでした。

思いっきり十分遊んで、満足の一日でした

 

 

 

8月7日、おおたんのスタンプラリー・スタンプ求めて、満徳寺(太田市徳川町)を訪問です。

最近、案内図が新しくなった史跡が多いような

駐車場から路地を歩いて、満徳寺です。

スタンプは資料館を入ってすぐの所にあります。

スタンプラリー・スタンプをゲットして、しばし涼しい館内を見学です。

 

今回は、この説明板がとても気になりました。

「関西では広く諸悪との縁切りを意味した」んですか

周辺の諸悪を断つ縁切り俗信、そのうちに訪ねてみましょう。

あの時は、この説明板の下の小さな註に築きませんでした

過去の企画展のパンフレットもいただいて大満足で、本堂を目指します

 

 

尼寺という感じです。

 

駆け込んだ女達が暮らしたのは、ここ庫裏跡です。

 

彼女たちは、ここで暮らしたんだ

 

すぐ東には寺役場跡です。

縁切りの手続きは、お寺の尼さんではなく、男性の寺役人が行ったと言うことです

嫁は家族なのに家族として扱われずに、女中としてしか見ない人々が多かったのでしょう。

こういう空間がある事は大切です

 

さて本堂です。

余りの暑さに、そこそこで退散です

大事なものを見落としてきてしまいました

満徳寺近郊の、縁切り俗信の写真を見落としてきてしまいました

 

あの時は気づかずに本堂を後にします。

 

駆け込み門を出ます。

ここから駆け込んだのですね

 

門前の道を北の方に行くと、畑中に、新田氏の祖・新田義重夫妻の墓があります。

今日はパスです。

 

駆け込み門のそばには、古びた史跡のポールと説明板です。

そのうちに新しくなるでしょう

 

本堂を眺めながら、駐車場に戻ります。

寺役所跡にコスモスが咲いています。

ここで、駆け込んだ女達の新しい人生が始まったのですね

心和む光景です

 

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続・桔梗の寺・義貞院金龍寺

2024-08-21 17:14:38 | 新田紀行

ひめちゃんは堀之内を北に出ます。

途中の道ばたの草に食い付いて動きません

ここは去年までナス畑だったけれど、耕作放棄地になりつつあるようです。

除草剤も撒いてなさそうなので、しばらく待ちます。

 

道ばたに今年もサルビアやマリーゴールドがきれいに咲いている空間があります。

あれ、奥のハウスにはブドウがなってる

 

やっと、岩神沼に到着です。

あれ、います

今朝はアオサギさんです。

そーと近づきますけど、弾丸のように飛び去ってしまいました

「そんなに急いで何処へ行く」でふよね

 

 

 

桔梗の寺・義貞院金龍寺、桔梗の冴えた色が印象的です

 

 

本堂前で、おおたんのスタンプラリー・スタンプをゲットです。

本堂は開け放たれています

ご本尊に合掌

 

本堂内をちょっと覗かせてもらいます。

山号は大田山なのですね。

禅寺のいい雰囲気です。

お上がり下さいとはないので、この辺で失礼しましょう。

 

御朱印をと庫裏に声をかけようと思いましたけど、ちょうどお昼時です。

またの機会にしましょう

桔梗の花、もう少し境内にたくさんあるといいなあ

 

登ってきた階段ではなく、左の墓地を降りましょう。

右への山道、行ったことありそうです

 

「新田義貞公墓入口」とあります。

ずーっと昔、来ました

由良氏の五輪塔と新田義貞の供養塔です。

供養塔は、背面の一番目立つあれかな

合掌

 

ここまで来る人は少ないのでしょう。

説明板は、ほとんど見えません

でも、みなさんに合掌

 

 

さて、墓地の中を抜けて駐車場に降りましょう。

振り返って本堂です。

 

 

あれ、義貞公墓所ですって

さっきは供養塔、こちらは墓所

越前から持ち帰った遺骨は、ここにあると言うのかな?

でも、ひっそりしてる

とりあえず合掌

 

 

でもでも、義貞院の院号はすごい

花見塚に新田義貞と眠るという勾当の内侍さんは、何と言うかな?

善昌寺に義貞の首を届けたという桃井次郎尚常さんは、何と言うかな?

 

その内に御朱印をいただきに来ましょう

 

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