続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

時鳥我が身ばかりに降る雨か(織間本陣跡と八海山)

2024-02-16 19:57:23 | 日光例幣使街道

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

穏やかな朝です。

今朝は字・塚越を歩きたいようです

冬になると白く見えるあの山も、少し雪解けしてるかな

 

ひめちゃんは、もうじき12才になります。

色々思うところがあるのでしょう。

短時間の内に、いろいろな表情を見せます。

犬は、人間が思う以上に、感情を持ってます

記憶力も思考力も演技力もあります

天気予報より春めいた1日になりました

 

 

 

2月8日、久しぶりに忠治茶屋の焼きまんじゅうが食べたいと出かけました

忠治茶屋は、日光例幣使街道・県道142号線沿いにあります。

旧境町経由、東から行きます。

 

例幣使街道・境宿の織間本陣を確認です

本陣の記憶は、県道142号線沿いのスーパー駐車場の隅にあります。

見事な松があったのですね

 

本陣は例幣使街道を上下する諸大名をはじめ、特に毎年四月京都より下向する例幣使や公卿門跡衆の休憩を主とした。

宿泊ではなく、休憩のための本陣だったのです

 

栗庵似鳩は雪の中で救われて、俳諧師冥利の生涯を送りました。

小林一茶は、織間本陣の主人・俳人の専車がいなかったために、その後も経済的に苦しい生活を送りました。

同じく、江戸を食い詰めて上州にやって来た俳諧師でも、何故かその後の運命はまったく違ったのです。

 

時鳥 我が身ばかりに 降る雨か (ほととぎす わがみばかりに ふるあめか )

 

一茶の嘆きが伝わってきます

 

 

県道142号線は、この先の信号を左折します。

竹石の渡し(たけしのわたし)の少し東は、県道の一本裏の細い道が例幣使街道です。

車のすれ違いも大変な細い道です

 

 

ここに八海山という、日光例幣使街道の一里塚ともいわれている史跡があります。

鳥居の額は、御嶽山です

 

隣は稲荷大明神です。

1礼です

 

説明板を確認です。

遠方まで行かなくとも信仰が出来るようにと、越後三山や木曽御嶽山の修験者の霊場を分祀した築山が築かれ八海山と呼ばれるようになりました。

その築山に松が植えられていることから例幣使道の一里塚出逢ったという説もありますが、正式な記録は無いため、真実は定かではありません。

 

そうなんだ

 

御嶽山は、急いで登ると危ないみたい

 

無理をせず下から合掌

 

 

さて、県道に戻って、忠治茶屋です。

結構、賑わっていました

おいしい焼きまんじゅうをげっとして、自宅をナビに入れて、違う道を帰りましょう

 

 

ナビ様の言うとおり進みます。

あれえ、双体道祖神の道しるべだって

 

急遽、何とか停車して、ダッシュで確認です。

民家の敷地のようですけど、失礼します

 

南・五里やう、西・いせさき

 

確かに、伊勢崎の市街地の中心は西の方です。

五里やうは、五料

「五料の渡し」は、南に行って、例幣使街道を西に行きます。

この道も、それなりの街道だったかな?

 

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三ッ橋伝説と栗庵似鳩の記憶

2024-02-15 16:27:15 | 日光例幣使街道

ひめちゃんは、堀之内の南西・塚越を歩いてきました。

塚越の塚は、庚申塚古墳です。

草も刈ってあるし、頂上へ登って見よう

りっぱな庚申塔です。

あれ、倒れてるのは、青面金剛です。

手も6本、2鶏3猿のフル装備の青面金剛です

庚申塔の下部に人名が見えます。

現在もこの辺にある名字がほとんどかな

そろそろ、降りましょうでふよ

アタチは歩きにくくはないけれど、おかあたんは気をつけてね

庚申塚古墳、庚申塔がいっぱいです。

石はどこから持ってきたんだろう

 

 

 

2月12日、日光例幣使街道の県道142号線を走ります。

31の三ッ橋伝説の地を探します。

日光例幣使街道沿いと言うことですけど、史跡としての説明板があったのは、道の北側です

 

まず説明板が目に付きます。

微妙に路上駐車できます

合掌

 

説明板を確認です。

世良田長楽寺の開山・栄朝禅師が通りかかって、経文を唱えてハシカの子を救ったのです。

栄朝禅師は、牛に乗ってやって来たのです。

世良田長楽寺は、この日光例幣使街道の先(だいぶ先ですけど)にあります。

 

 

少し東に、栄朝禅師が牛を打った松をさしたら根付いて、大きな松になったという牛打の松跡があるはずです。

案内番や説明板はありませんけど、群馬銀行・豊受支店の向かい側に、それらしき史跡がみえます

松の跡は見当たりません

碑が3基です。

 

向松庵創立二百年記念碑です。

一部は隠れてしまってます。

でも、大体は読み取れます。

寛政初期に牛打の松に向かって庵が建てられたのです。

創立者の二翁は栗庵似鳩(りつあんじきゅう)の門人だったのです

そしてその後、全国を訪ねたり俳歷を残したり、門人を育てたりしたのです。

ここにも、栗庵似鳩の記憶です

 

この碑は、よく見えません

「松の威容に・・・」の文字は見えます。

牛打の松は、威容を誇ったのです。

 

こちらは全く見えません

いずれにしても、この辺りは徘徊が盛んだったのです

そして栗庵似の存在も大きかったのです

 

ふと、文久2年生まれの実家の曾祖父が俳諧を楽しんでいたと聞いた事を思い出しました。

彼は長寿で、私が生まれた時はまだ存命でした。

ちょっとだけ接点のある曾祖父、もっと一緒に生きて欲しかった

 

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這出でよかひ屋が下の蟇の声(栗庵似鳩の記憶)

2024-02-13 15:30:29 | 日光例幣使街道

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

今朝も、あの白い山が見えます

上野国山上から南西の方向に、冬になると一つだけ白い山が出現します。

周りは青いのに、あの山だけ白井から、けっこう高い山かも

アタチも分かりませんでふ

あの山の麓まで行ってみたいけど、相当遠いような気もします

 

 

 

県道142号線(日光例幣使街道)に、「栗庵似鳩の墓」と「上蓮の阿弥陀如来・地蔵石仏」⇒があります。

31と33の中間くらいかな

子どもの森の少し左(西)です。

昨日は、左(西)から来て矢印を曲がりました。

 

しばらく行くと、小さな御堂が見えます。

ちょっと路上駐車です。

 

墓地の一角ですけど、南側から入れます。

 

案内版があります。

阿弥陀如来と地蔵菩薩それに俗体の男女の4体が卵形の1つの石に刻まれているんですか

 

失礼します。

ためつすがめつ、眺めます。

合掌

 

 

栗庵似鳩の墓に寄って、その後、観音寺を目指しました。

 

観音寺の手前に、気になる空間がありました。

急遽、また路上駐車です。

 

案内版もあります。

長沼の芭蕉句碑は、ここだったのです。

這出よ かひ屋が下の 蟇の声 

寛政癸丑年 長沼松谷発起同通志

      蓮沼栗庵甫力総社中 建之

と刻まれているのですね

 

句碑は栗庵似鳩の提唱で19年前に故人となった、長沼観音寺の住職で俳人の松谷を追悼しているのです。

 

栗庵似鳩は、雪の中、観音寺の松谷を訪ねてやって来たのでしたね

 

「這出よ かひ屋が下の 蟇の声(はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)」は、元禄2年(1689)5月17日(太陽暦7月3日)に、松尾芭蕉が尾花沢(山形県尾花沢市)で詠んだ句です。

芭蕉は、平泉の後、出羽国を通って日本海側を尾張に向かいます。

 

「蚕を飼う部屋の床下からヒキガエルの声が聞こえてくる。そんな暗いところにいないで、こっちへおいでよ」

ヒキガエルは、パートナーを求めて鳴くとか

松谷に呼びかけています

 

庚申塔や天明の供養塔もあるということです

険しそう

ちょっと登るのは遠慮しておきましょう。

合掌

 

後で確認したら、例幣使街道周辺の史跡・文化財の32でした

 

すぐそこが観音寺です。

真っ白な浅間山が見えました

今回ちょっと足を延ばしたことによって、俳諧師・栗庵似鳩が生きてきました

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雪佛生まれしときの顔に似よ(栗庵似鳩の墓と観音寺)

2024-02-12 15:28:20 | 日光例幣使街道

ひめちゃんは、堀之内を北に出て、岩神沼まで行ってきました

誰もいないかな?

あれ、沼の奥にカモさんがいます。

もう少し近づこうと動くと、みんな飛び立って行ってしまいました

フットパスのカモさん達は、悠然と日向ぼっこしていたのにね。

赤柴の老犬・プーちゃんの前を通って帰ります。

プーちゃんは出てきてくれましたけど、ひめちゃんはシカトです。

ごめんね

 

 

 

日光例幣使街道周辺の文化財、32と34のちょうど中間あたりに、俳諧師・栗庵似鳩(りつあんじきゅう)の墓があります。

栗庵似鳩の上州俳壇への登場は、忘れられないほど印象的でした

そして、退場もまた、忘れられないシーンです

 

みやま文庫『佐波伊勢崎史帖』(しの木弘明、平成3年)によると、

栗庵似鳩は上州に正風を唱えた最後の俳諧宗匠であった。それほどに栗庵の力量はすぐれており、大きな指導力を持っていたのである。

明和九年十二月二十三日は雪空であった。大阪を食い詰めて江戸に来たが、江戸も食い詰めて行き場のなくなった似鳩は、とぼとぼと中仙道をたどった。戸田の渡しを越す比には小雪がちらついてきた。熊谷で道を折れると境町向かったが、もう一面の雪景色で、中瀬の渡しに利根川を越すときには足は雪に埋まり、夜の雪道である。境町から例幣使街道に出たが、それは長沼村の観音寺の俳人松谷を訪ねようとしたからである。ところが長沼の手前、上蓮沼にきたときあまりの寒さと空腹のために、雪の中に倒れてしまった。

もう雪の真夜中に人通りはなかった。倒れた乞食坊主の背中には雪が降り積もったのである。夜中にこれを見付けたのはこの村の高柳勘太夫で、乞食坊主を助け出すと、自分の家に連れて帰ったのである。~(中略)~似鳩は大阪の人、玉置氏、酒を愛して瓢堂と号した。小林一茶は同じ乞食坊主で、生涯を流浪のうちにあり、死ぬ年の正月には、丸焼けになって、放り出され、悲嘆の内に一生を終わったが、乞食坊主似鳩は高柳勘太夫という理解者があったために、俳諧冥利の生涯をおくったのである。

 

また、彼の最後も印象深いものでした

寛政九年十二月二十三日は雪の降る寒い日であった。この日隣村の弟子多賀谷思水の文木館に連句の興行があった。諸俳とともにあった似鳩は、好きな酒杯をかたわらに、終日呑んでは付け句していた。終わって夜中の雪道を帰ったが、途中足をすべらせて雪の中に倒れてしまった。その背中に雪が降り積もった。やがて村人に助け出されたが、その雪の上には似鳩の面があったのである。

 雪佛生まれしときの顔に似よ

この一句を辞世に栗庵三十年の幕を閉じたが、それは俳諧冥利に満ちた生涯であった。

 

雪の日に登場した栗庵似鳩は、また同じ雪の日に退場して行ったのです

忘れられない逸話でした

 

 

久々の再訪です。

小さな墓地の一角にあります。

説明板がなければ、気づきません。

合掌

 

墓石の裏、よく見えません。

玉置氏とか、大坂の人とかは見えます。

 

隣は、近年建てられた碑です。

辞世の句「雪佛生まれしときの顔に似よ」は、よく見えます

退場の顛末を知っていると、忘れられない一句です

 

 

彼が訪ねようとした、長沼村の俳人松谷の観音寺は、すぐそこです。

車でほんの数分です。

最初の地図の左下の卍が観音寺です。

今回初めて足を延ばしました。

 

『ぐんまのお寺真言宗Ⅱ』(上毛新聞社 平成13)によれば、

明和8年(1771)11月上蓮沼村まで来て雪中に倒れた俳人似鳩が名主高柳勘太夫に誘われて初めて出席した、明くる正月の句会は観音寺であった。似鳩は栗庵と名乗り63才で没するまでこの地に留まり多くの門弟たちに正風(蕉風)を伝えたが、観音寺の僧松谷がその一番の後援者だった。松谷は僧名隆鑁、安永3年(1774)12月没、38歳。似鳩編の追善集『有無の日集』二冊(安永4年刊)がある。

 

現在は無住です

ご本尊は十一面観音です。

現在も観音霊場巡りの札所です

御詠歌は、「世の中の苦界を守る観世音詣る人には利生あるべし」

 

本堂前で、心を込めて合掌

そのうちに、納経所・満善寺に伺いましょう

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ひめちゃんの病院帰りの寄り道・真冬の鹿田山フットパス

2024-02-10 16:04:33 | 群馬県・東毛

ひめちゃんは、赤柴の老犬・プーちゃんの前を通って堀之内の西端を歩いてきました。

フーちゃんは姿を見せませんでした。

ちと心配

刈り取られずに年を越し、雪の下敷きになった稲があります。

なんだか、頭をもたけてきたような

 

 

ひめちゃんは、ここのところやたらとお尻やお腹を舐めてます。

舐めすぎです

よいお天気なので、動物病院に行って、帰りにフットパスに寄ることにします。

土曜日なので、動物病院の混み具合が心配です。

タバちゃんは、おうちで待っててね

 

ひめちゃんは、タバサねーちゃんが一緒でないので、車の中では、過呼吸です

案外小心者です。

 

朝まだ寒い内だったので、意外と空いていました

ほどなく呼ばれてました。

診断は、皮膚炎になる手前だそうです。

ひっつき草も何のその、ひめちゃんは枯れた草むらにも入ってます。

野焼きがなくなって、犬にも影響が出ています。

飲み薬を7日分処方されました。

晩ご飯に、缶詰と一緒に食べましょう。

 

 

さあ、久しぶりの鹿田山フットパス(みどり市笠懸町)です。

あれ、駐車場は混んでます

何とか駐車出来ました

病院帰りなので、沼を一周して帰ります。

カモさんがいます

雪もまだ残ってます。

カモさんは、大勢います

 

止まり木のようなものがありそうです。

止まり木を固定したひもが見えます。

カモさん達が休めるように、止まり木が設置されているのです

 

ここのカモさんは、逃げません。

全然、人を気にしてません。

カモさんの目にも、感情がありそうです

 

ペットの持ち込み禁止の所がありますけど、そうならないようにみんなで持ち帰りましょう。

何故か、自然の中では排泄したくなるようです

ひめちゃんも、お持ち帰りです

 

こういう空間も必要です。

楽しそう

 

ひめちゃんはそこらの草を食べて、しっかりお土産をお持ち帰りです。

 

沼の南端には未だ雪があります

気を付けて歩いて、東岸です。

赤城山を背景にいい景色です

 

やっぱ、タバちゃんがいないと寂しいでふよ

 

そのうちに、向こうの山も歩こうね。

けっこう山の中に入って歩いてる人がいます。

 

 

駐車場に戻ります。

寒いけど、強い日射しです

中央の沼の周りを歩いて来ました。

「すきです鹿田山」の案内です

今度は、タバちゃんと来ようね

 

 

ひめちゃんがおうちに帰った後、タバちゃんもそこらまでのちい散歩をして、外のお部屋(サークル)に帰ります。

シッポも上がって、しっかりした足取りで歩けました

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