真面目な話です。
うっちーを保護した後…
時間を経て…
いろんな難しい問題を乗り越えて、
晴れて、うっちーは我が家の子になった
その後…。
うっちーを保護した場所近くで、
おばちゃんにまとわりつく、牛柄猫を目撃
ハタから見て、それは明らかにお食事の催促に見えた。
※過去ブログ、何処かにこのお話を書いた筈なのですが…探せませんでした(^^ゞ
見つけたら…リンク貼りますので、取りあえず簡単に記します。
後ろから車が来てなかったので、停車して、
車内から、おばちゃんに話しかける。
「9月に居なくなった子猫いませんでしたか?」と…。
おばちゃん、「?」マークを飛ばしつつ…
「このコの子供は、みんなこの柄だよ…」と。
後ろから車が来ちゃった為、自分の車も走らせたカイヌシ。
その時に解った。
「餌やりさん」が居たんだ…と。
野良子猫の割に、人見知りをしなかった、保護時のうっちー。
衰弱していた事も有ったかも知れないけれど、
おびえたりはしなかった事は、
「餌やり」さんが居たから、人に慣れていたんだ…と。
でも、その餌やりさんは、うっちーの小さな命の存在を、
気にも留めず…
人知れず消えていこうとしていた命だったんだ…と。
それが解った時、哀しい気持ちになった。
自然の野良猫に比べ…
美味しいご飯が常に食べれると言う事は、
栄養が状態が良い分、どんどん繁殖する。
どんどん増えた命は、カラスに襲われたり…
猫風邪等で弱ったり、車にひかれたりして命を落とす。
その連鎖。
小さな命の苦しみの連鎖。
何処かで読んだ。
野良猫は、春から夏にかけて気候が良いことと、
発情期の関係から、爆発的に数が増えるのだと。
でも、冬に向かい気候が厳しくなると、その数を急激に減らす。
これが完全な自然の中での事なら仕方ない。
(…と、猫好きとしては哀しいけれど、そう思うしかない。)
それが自然淘汰と言われる事かも知れない。
だけれど、
「人が餌をやる」という事はどうなのか?とも思う。
「お腹を空かせた母猫が可哀そうだから…」
…と、餌やりさんは言うかも知れない。
その「1つの命」だけをみたら、確かに可哀そうかも知れない。
でも、栄養が良ければ…どんどん繁殖し、
「小さな命」は増える。
そして、小さな命で有っても、
命を落とす際の苦しみは、皆…同じ。
苦しみを多数増やす事は、正しいことなのだろうか?
生きたくて生きたくて…
でも苦しみ、衰弱し、
時には何かの餌食になって死んでいく。
産まれて、数か月で消えていく命。
「うっちー」 だって、そんな命の一つだった筈だ。
※上の「うっちー」文字クリック頂くと、保護時のブログに飛びます。
でも、出逢い…
ガリガリで衰弱し…消えていこうとしていた「小さな命」は
今、こんなにも幸せをくれている。
だからこそ思う。
その「命」について、
全ての責任を取れないのであれば、
安易に餌を与えるべきではないと思う。
安易に野生に手を貸すのは間違っていると思う。
なぜ、こんな話を今、書いているかというと。
また、そのうっちーを保護した場所付近で、
保護時のうっちーと同じくらいの子猫を携えた、
牛柄の母猫を目撃してしまったからです。
うっちーを保護して丸2年経過。
今年も…また、増えてるんだな…と。
その生後3ヶ月位の子猫は、元気そうで、
母猫の後を追い、
車の走る道路わきを速足で歩いていたけれど…。
朝夕は冷え込む様になってきたこの頃。
暖を求める様になってきた、うっちーと重ね、
切ない気持になるのでした。
運よく成猫になれても、
野良猫の寿命は、3~4年だそうです。
それだけ過酷な環境下だという事。
今宵は…、
命について、考えてしまいました。
「向き合った命」から、不幸を増やさない為に、
避妊手術をして、
元の場所に戻し見守って行く活動をなさってる方達。
「不幸な命」を幸せにしたくて、
保護した命の終の棲家を…、
懸命にねこ親さんを探して頑張っている方達を、
知っているからこそ、考えてしまいます。
↑ コギの姉ちゃんに狙いをつけるうっちー(笑)
あ、写真は以前のものもあり、
まだ、エリカラ姿のうっちーでっす!
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