しおり、49日を迎えました。
( ↑2019年6月 しおり )
人で言うと、魂もお空へ還る日とされていますね。
結局の所、私はその辺のカン(第六感とか霊感とか?)は持ち合わせていない為、
49日が云々…と言われても、余り変わることはありませんが、
それでもケジメの日…として感じています。
基本、死んだ先は「無」だと思っていますが、
それでも…もし魂が在るとするのならば…
私達との暮らし、すなわち、
しおりにとっての「過去の日々」に囚われる事無く、
自由に己らしく過ごしていって欲しい…。
あんなにも情深きコが、この先…幸せになれない筈はないのです。
だから、前を向いて自信をもって自分ために進んで欲しいと
…願っています。
( ↑ 2019年5月左からうぃる、せがーる、しおり)
沢山の思い出を遺してくれたから…
私たちはそれで十分なのです^^
しおりへ…
沢山のあたたかなお気持ちを寄せていただいたこと
心よりお礼申し上げます。
よろしければ、ぽちっと…お願いします^^
闘病生活、応援お願いいたします。
僕は信心もないし、霊感もありませんが、四十九日tって意味があるのだろうなと思います。
だから今回の記事の件、よく分かります。
猫が亡くなったあと、人間(知人)の四十九日もロクに対応しないのに、猫の四十九日って我ながらおかしいなと苦笑しました。
でもそれって僕自身が猫と別れていくプロセスなのかなと気づきました。すべての踏ん切りはつきませんが、ある種の執着を捨てたとき、天に行けたと表現するのかな。なんて。
人間のとき気づけよ、と自分でも思いますが・・・。
しおりちゃんが無事、天に着いていることを願って
しおりちゃん、沢山の思い出をありがとうね。
寂しいなぁ。。
しおりちゃん、ありがとうね。
まま、ありがとうございました。
コメント…そして私の言いたいこと(ちゃんと纏まっていないのに…)
…を的確な言葉で表してくださってありがとうございます^^
本当に。別れのプロセス…なのですよね。
私、しおりとの出会いが無かったら…
己が抱えた病との事も、もっともっと戸惑って足搔いていたと思います。
…でも、しおりが過去に抱えた負の恨み節を語るでもなく、
受け入れ受け流し淡々と進む日々の中、彼女の背中を見ていたら、
理不尽な事も苦しみも悲しみも、あるいは喜びすらも…
「執着しないこと」での自由さを教えてもらった気がするのです。
まさに…6×6さまの言葉通り…
「執着を捨てたとき天に行けたと表現する」
ここ、なのかなぁって^^
受け入れる=執着を捨てる ことは、
ある意味、意識のひとつ上、高みに上った事でもあるように思います。
人間の時に気がつかなかったのは私も同じなのですが…
(私の父は20年以上前に他界しています)
人との別れは、それまでの暮らしの中の色々が具体的&現実的過ぎて
考える余地が少ないのでは?…と言う気がしました。
毛者たちの、多くを語らず背中を見せる姿こそが心深く刺さってくるのかも知れません。
澄んで濁りのない…情深き命だからこそ、余計に…!
彼等彼女等と出逢い…共に歩いた時間にこれからも支えられていくのでしょうね。
大きな存在ですよね^^
コメント、そしてしおりへのあたたかなお気持ちも…
ありがとうございます^^
今はお友達の犬猫達も皆年齢を重ねていて、
中には旅立つコも居たりして、随分と寂しい毎日になってきています。
犬猫達の月日は本当に足早で…切ない限りですよね…。
今回お送りしたメッセージに添えたラベンダーは、
今年咲き出した際に、しおりと一緒に摘んだものをドライにしていたのです。
まさか、そのしおりが居ないなんて…その時は思っても居ませんでしたが、
命とはそういうものだと…噛み締めている所です。
ダンくんとの日々、大切にたいせつに過ごしてくださいね!
いつもありがとうございます^^